Shostako8  後ろ髪引かれる思いで……
 金曜日に私はJRで“おにサンド”を携えて帯広に戻ったことを報告した。

 その日、そしてその翌日は札響の第583回定期演奏会が行なわれたのだった。

 指揮はアシュケナージ。独奏は実際の姿・演奏を知らないものの、とても好きな顔立ちの河村尚子。

 で、そういう誤った好きな理由はともかくとして、アシュケナージがショスタコの10番を振るということで、喉からのどちんこが出るくらい聴きたかった演奏会だった。

 しかし、金曜日の夜と土曜日の昼までは、こちらで重要な仕事がある。どれくらい重要かというと、本社からわざわざツバサ氏までもが足を運んでくるというくらい重要なものなのだ。
 そんなときに、「私、タコ聴きたいからお休みいただいてよろしいか?」などと言えるわけがない。
 それに金曜の夜は夜で、なかなか楽しく過ごしたわけだし……

  アシュケナージの狙いと私の期待のズレ?
 アシュタコ天の演奏が果たしてどのようなものだったが妄想オヤジのように想像するしかないが、ここを見るかぎりでは、タコの魅力が堪能できるものだったことは確かなようだ。

 私はアシュケナージによるショスタコのCDをあまり持っていない。
 10番は持っていない。

 そこで、心理学的用語でいう、合理化、逃避、白日夢のすべてを網羅するかのように、まるで代償のように彼のタコ8のCDをあらためて聴いている。

 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第8番ハ短調Op.65(1943)。

 この作品、さまざまな演奏についてはこれまで収拾がつかないくらい何度も書いてきた
 アシュケナージ/ロイヤル・フィル盤もここで取り上げている

 そして、代償的に久しぶりに聴いたアシュケナージのタコ8は……、やっぱり悪くないんだけど、私にはどこか今一歩物足りない。

 だから10番が聴けなかったことなど平気さ!って気持ちが治まるかというと、う~ん、なかなかそんな気にはまだなれない。

 でも、またまた別な代償行為的希望がある。

 来年6月の札響定期ではタコ8が取り上げられるのだ。
 指揮は広上淳一。

 行きたいなぁ。行けるかなぁ……

 アシュケナージによるタコ10は、現在は全集盤で入手できるだけで単売盤はない。
 これまた、私が二の足を踏んでいる理由である。