雪はずっと降りやまず、昼はあまり外を歩きたくなかったので至近の荒涼庵に行った。
じつに久しぶりのことだ。
こんな天気だからもしかするといつもよりは混んでいるかもしれないと心にもないことを思い、時間をずらして少し遅めに行った。
すると心にもない私をあざ笑うかのように、信じられないほど混んでいた。
といっても、席が空くのを待つ人が入口にたむろしイライラしているわけでは全然ない。各テーブルがほぼ埋まっていたという程度だ。
それでもこれは「こんな光景を目にできるなんてなかなか貴重!」ってくらい珍しいことだ。
きっと私と同じ考えの人が偶然にも19人ぐらいいたのだろう。
つまり、天気が悪いから遠くに行くのは億劫だ。だから今日のところは荒涼庵で手を打とう。しかし、万が一のこともあるかもしれないから少し遅めに行こう、と。
もちろんこの人たちは私よりも早くは来ていたが、時刻は12時半を過ぎているというのにまだ食事の最中ってことは、私よりも少し前に来たに過ぎないということだ。
こんなときに、かしわそばだのラーメンだのと、日替わり以外のものを頼んでも出てくるまで何日待たされるかわかったもんじゃない。
実際問題、店のおばちゃんはすでにパニック状態に陥っていて顔が引きつり、店主は次に何をするべきなのか目標を見失いフライパンを持ったまま、うつろな表情で厨房の中を行ったり来たりしていた。
ただでさえ頭が熱くなっているおばちゃんがおやじにイライラし、キッと振り返って「何やってんの!早く追加のキャベツ切りな!」と怒鳴りつけるに違いないとおもっていたら、やっぱりそのとおりになった。
なぜ私のは四角じゃないの……
そういうわけで、私はやむなく日替わりバイキングを食べることにした。
この日はヒレカツ、ウインナー、シューマイ、白菜の中華風煮物、漬物、サラダ、味噌汁というメニュー。
みんな20cm角ぐらいの正方形の皿に素敵なバイキングメニューの品々を盛り付けている。皿は一応は各おかずが交じり合わないよう4つに区切られているものだ。
おばちゃんは客が来て“日替わり”という意思を確認すると、トレイにその皿を乗せて渡してくれる。この瞬間に、バイキングを食べる権利が与えられるのだ。
ありがたくトレイを渡された客は箸やフォークやスプーンやショベルをとってそのトレイにのせる(持ったままでも構わない)。この段階になると、トイレに行くことは許されない。
次に自分で欲求の赴くままの量のご飯を茶碗に盛り、そのあとおかずを粛々と取る。先に味噌汁をとる人もいるが、そのあとにおかずを取ると、途中で味噌汁がこぼれる恐れがあるのは、どこのバイキングの場合でも共通する注意点だ。
私の前の人はその角皿を乗せられたトレイを渡された。
しかし私のは、ウチの子供が3歳ぐらいのころ使っていたような楕円形の、そして大きな楕円、小さな楕円、三角形のでき損ないの形に区切られた皿だった。お子様ランチに使われるような皿だと思っていただければ大筋あっている。つまり、角皿が底をついたのだ。
なんだか最初からケチがついたような気分だ。仲間外れにされたような……
これにポケモンとかの絵が描かれていなかったのがせめてもの救いだ。
と、思ったら味噌汁の鍋のところで「おばちゃん!お椀がないよ!」と言っている客がいる。
お椀も底を尽きかけていたのだ。
つまりすべてが追いついていない。
なんとかお椀をどこからか取り出してきたおばちゃんは、それを渡す前にチラッと現れずにシンクに放り込まれたお椀の群生を恨めしそうに見ていた。
透き通るような白さ!
ヒレカツはどれもが今川焼(北海道では“おやき”と呼ぶ)の型に入れたように完璧に同じ形、大きさ、厚さだった。といっても、おやきほど大きくも厚くもない。大きさはよく惣菜売り場に3個ぐらいがパック詰めされて並んでいるこれまた合同図形のようなコロッケよりもひと回り小さく、厚さはハムカツ並みだった。
ウインナーはその繊細な口当たりからオール・ポークではないと推察された。
シューマイは驚くほど色白で、原材料に肉が使われていないのは明白だった。
白菜の中華風煮物は、白菜とエノキダケとこの店が好んで使うカニ風味かまぼこをあんかけ煮込んだものだったが、エノキダケがけっこうな太さの束のままになっていた。エノキ好きにはたまらない演出である。
サラダは、余計な飾りつけを徹底的に排除した、別名“キャベツの千切り”であった。
荒涼庵のバイキングは、バイキングと自称しているだけで実態は店側が盛り付けを放棄したセルフサービスの定食。
何度もおかずを取りに行く人は、そうそういない。
少量だがバランスは悪かった
私はご飯を半膳強、ヒレカツを双子のように2枚、シューマイの白さとは対照的に赤黒く光ったウインナーを2本、シューマイはきっと口の中でにゅめっとするに違いないから食べるべきではないと判断しパスした。
煮物の白菜を数片、味噌汁はお椀を要求すると代わりに丼を渡されそうだったので見向きもせず、繊維質確保のため漬物を少々、ウサギが食い散らしたように残っているキャベツには近寄らず、つまりお子様ランチの皿にふさわしい量の盛り付けをして、同じ支社の若者が座っていたテーブルに相席させてもらい食べた。
私が食べ終えたのは彼らより早かった。私は食事のスピードが速い方ではない。なのに若者たちに勝った。しかしそれは、バイキングの名に恥じるくらいの量しか食べなかったからだ。彼らの盛り付けに比べると私のは病人食のようだった。
なんだか、コストパフォーマンスが悪い食事だが、まぁ500円台だから文句は言えない。
そしてまた、このように私は食べすぎ注意を継続しているのである。
いきなりこちらも白くなった
雪はずっと降り続いた。
この日の積雪は29センチだったという。
昨日の朝は、除雪車の音で目が覚めた。いや、目が覚めたときに除雪車の音がした。
すっかり冬景色。歩道は氷でツルツル。
冬のしょっぱなから転んでなるものかと、最高警戒レベルの歩行をして通勤。
このときたまたま聴いていたのはブラームス(Johannes Brahms 1833-97 ドイツ)の交響曲第4番ホ短調Op.98(1884-85)。ヤンソンス/バイエルン放送響の演奏。
この作品には、個人的には秋のイメージがある。
そして、冬だともっとさびしい気分になる。
でも、このヤンソンスの演奏はほのかな温かみがある。
それが私の仕事行くのやめようかなっていう萎えつつある根性を、なんとか救ってくれた。
警戒歩行のせいで、社についたときにはすでにふくらはぎが張っていた。
この演奏の録音は2012年。BR-Klassik。