形勢逆転
もんじゃの店では、3品目は“「なに」もんじゃ”にしようかなとはしゃいでいる“若干2名”の期待に背くように、私は「次はお好み焼きが食べたい」と、何とか自分の意思を訴えた。
すると、ほかの2名もそれに賛同してくれた。
つまり5名で行っていたわけだから、大はしゃぎの“若干2名”より私を含む残り3名の意見が有利になったのだ。僅差だが、多数決での勝敗は明白。
若干2名も多少おとなしくなり、何という組み合わせか覚えていないが、お好み焼きメニューではその店の第3位というものを頼んだ。
やっぱりこれだ。
いつまでもドロドロしていて味もしっかりと伝わってこないもんじゃ焼きより、お好み焼きのほうを私は断然好む。
モダン焼きはご存知?
ところであの店にはモダン焼きはあったのだろうか?
ホテルに戻る途中ですでにおなかがすいていて、とても不満が残った。
流動食みたいなものを少しと、お好み焼き1切れしか食べてなかったからだ。焼きそば(正しくは中華めんが、というべきか)が入ったモダン焼きでもさらに食べていれば、少しは私の満足感も違ったろうに。
もう10年以上前のことだが、大阪に勤務していたときに出張で行った広島でモダン焼き(という名称だったかどうかは記憶が定かではない)を食べたことがある。ボリューム満点で美味しくもあったが、広島は台風のど真ん中。大阪にまったく帰れない状況下だったので、味わうどころじゃなかった。
今度はゆっくりと食べてみたいものだ。
ホテルにたどり着く前にコンビニで、またビスコ(今度はクリームがノーマルなタイプ)と、それにたらこのおにぎりを買って帰った。
音楽よりは演技の才能が長けていたようで
チャップリン(Charles Chaplin(Charlie Chaplin) 1889-1977 イギリス)の「モダン・タイムス(Modern Times)」(1935-36)。
ご存じのようにチャップリンは喜劇王と言われる映画俳優。映画監督や脚本なども手がけたが、作曲家としての顔も持っていた。
「モダン・タイムス」は1936年のアメリカ映画。
私はこの映画、100%知らない。
そもそもチャップリン自体、ほとんど知らない。
「オレらサラリーマンなんて会社の歯車の1つに過ぎないのさ」と嘆く会社員もいるらしいが(そういうやつほど会社で役に立つどころか、ほかの歯車の周期を乱している)、この映画の内容も単調な仕事に嫌気がさして、みたいなたぐいのものらしい。
最近になってこの映画の音楽を“complate”収録したディスクがリリースされた。
1999年から2000年にかけて、この録音で指揮を務めているT.ブロックという人がスコアを復元したらしい。
曲は、ベタな表現だが“笑いとペーソスが伝わってくる”もの。
もっとも上に書いたように私はこの映画のことはまったく知らないので、チャップリンの映画だからそういうものなんだろうと勝手に思い込み、影響を受けているせいかもしれない。
またまた“伊福部昭”讃
映画音楽というのはこのように聴くとけっこう間延びすることが多い。
それは音楽が映像に結びつく地位にあるわけで、ある程度はやむを得ない。同じことはバレエや舞台の音楽にも言えることである。
だから、良いとこどりの観賞用作品、つまり組曲が作られたりもするわけだ。
私が好きなショスタコーヴィチでさえ、映画音楽全曲となると途中何度もおしっこに行きたくなることがある。あっ、音楽とは別問題か?
そういう意味では、伊福部昭はすごい。
編成の問題はともかく、氏の場合は映画音楽や舞踊音楽と純音楽作品の垣根がまずない。
およそ、耳に心地よいメロディーで観客を喜ばせるということがなかった。自分を信じあんな重い音楽ばかりを映画に付ける作曲家なんて、ほかにはなかなかいないだろう。
彼の音楽は映画の従属物になっていないのである。
古今東西を見ても、バレエ音楽でも付随音楽でも映画音楽でも、従属物になっていないきちんとした主張のある音楽こそが、今でも聴きつがれているといえるだろう。
「モダン・タイムス」に話を戻すと、チャップリンは作曲家の顔も持ってはいたが、それはメインの仕事ではなかった(はずだ)。
ということで、素直に当時の空気を味わうってことで、厳しい目を向けるのはやめましょう(と自分に言う)。
なお、作曲はチャップリンだが、オーケストレーションを行なったのはE.パウエルとD.ラスキンである。
演奏はブロック指揮ハノーヴァー北ドイツ放送交響楽団。
2006-07年録音。CPO。
ではでは、ぜひこのCDをお試しあれ!