MozartPconComp  直前に掘り出し物が? 
今日はアサイチの飛行機で東京に向かう。

 言っておくが(という言い方もないが)、戻りは日曜日である。そのことは読者の方々のこの間の暮らしになんら影響を与えるものではないので心配はしていないだろうから安心してほしい。

 近ごろの東京のホテルは高い。背丈ではなく料金のことである。

 で、料金の関係から今日はふだん使うことのないホテルをだいぶ前に予約した。しかし、おとといにもう一度調べてみると、いつも使っているホテルで、安くはないがそこそこ納得できる料金の空き室が出ていた。
 もちろんそちらに予約変更したが、直前になるとこういうことがあるので、世の中ウカウカしてられない。


 ただ、土曜日の夜はやはりどこも高く、京橋のこれまた初めて利用するホテルに泊まることになっている。


 そんなボヤキはさておき、村上春樹の「職業としての小説家」(スイッチパブリッシング)の話。

 このなかで、氏が小説を書きあげ世に出すまでの流れを書いている。


MurakamiShokugyo 第1稿が出来上がったら一週間置いておくのだそうだ。そのあと1回目の書き直し。また一週間置いたあとに2回目の書き直し。2週間から1ヵ月放っておき、今度は細かい部分の書き直しをし、奥さんに読んでもらう。奥さんからチェックが入ったところを書き直す。奥さんのOKがでるまでこれが繰り返される。これが終わってようやく編集者に読んでもらうそうだ。


 そりゃあれだけ完成された小説を世に出すのだから、このくらいのことはしなきゃならないのかもしれないが、一般的なイメージとして書き上げたそばから待機している編集者に原稿を渡すというイメージが作家にはつきまとうので(ノリスケさんのように)、ずいぶんと細かな作業をするんだなぁと意外に思った。ということは、完成された作品には時制などの誤りがまずないということだろう。


 村上春樹と比較するつもりはまったくないが(それは冒瀆ってもんである)、毎日ブログ投稿している私の場合は書くだけでかなり精一杯で読み返す時間もあまりなく、まったくもって読んで下さっている方々に申し訳なく思ってしまう。

 しかし言い訳以外のなにものでもないが、私には日々書きたいことが起こってしまうのだ。
 だから、毎日駄文を吐き出すことをお許し願いたい。

  出だしのパターンが違う2曲について
 ところで、少し前にモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の“ツータータッター”シリーズのピアノ・コンチェルトを紹介したが、その間に位置する第14番と第15番(ともに1784年の作)はツータータッターでは始まらない。


 ピアノ協奏曲第14番変ホ長調K.449の冒頭は、


MozartPcon14Score


であり、ピアノ協奏曲第15番変ロ長調K.450の冒頭は、


MozartPconScore


である(譜例は「作曲家別名曲解説ライブラリー モーツァルト 1」(音楽之友社)に載っているものを使わせてもらった)。この2曲は1784年の作。


 ところで前にも書いたことがあるが、モーツァルトはこの1784年から自分の書いた作品を記録し始めた。つまり“自作品目録”を作るようになったのだった。
 “職業としての作曲家”を自覚した、あるいは意識したのであった。


 そしてまた、目録の2番目の作品がピアノ協奏曲第15番。

 このコンチェルトはそれまでのサロン的なものから発展して管弦楽の響きが充実。特に管楽器が重用されている。

 礒山雅氏は「モーツァルト=翼を得た時間」(講談社学術文庫)のなかで、こう書いている。

 そして何より、K.450の協奏曲から管楽器のオブリガート的な使用が始まり、それが音楽に、著しい多彩さと深みを与えるようになったことである。従来のコンチェルトのオーケストラ・パートが弦合奏を主体に編成され、管楽器は任意に加えられるか、若干の補強的なパートを演奏するにすぎなかったのに対して、K.450、およびこの年のうちに書かれた4つの協奏曲、それ以降の20番台の協奏曲においては、管楽器が大きな個性と独自の発言権をもって、音楽に関与するようになっている。言いかえれば、ピアノとオーケストラの間だけではなく、オーケストラの各楽器間にも、協奏的な競い合いと歌いかわしが始まったわけで、これによってモーツァルトの協奏曲の世界は、以前とは比較にならぬほど多彩で奥行きの深いものとなった。(157-158p)

 では、当時の響きに近いと思われるソフロニツキのフォルテピアノを使った演奏を。
 指揮はカロラク、管弦楽はムジケ・アンティケ・コレギウム・ヴァルソヴィエンセ。

 2005-06年録音。PRO MUSICA CAMERATA.。

 では、シモのことを気にしつつ飛行機に乗ってきます。