もみじのためにはねられたいか?
帯広から自宅に戻るとき、そのほとんどは夕張ICで高速を降りる。
そのあとは“石勝樹海ロード”という愛称がつけられているものの最近ではあまりそう呼ぶ人が多くない国道274号線を札幌方向に走り、三川、長沼を経るというルートをとる。
その夕張ICから札幌側に5kmほどの地点、つまり毎回通るところの左側に“滝の上自然公園”というのがある。
左折して踏切を渡ってすぐの場所だ。が、国道からは全貌がすっかり見通せるわけではない。
今回帯広に戻る途中、つまり上の説明と逆ルートなので右折して、ここに立ち寄ってみた。 というのも、その少し手前、国道に架かっている雨霧橋の上で、紅葉を眺めている一行がいたからだ。歩道もないところで危険極まりない。こんなところで紅葉を楽しむな!
警察の方々にはしばしば行なっているJR滝ノ上駅前での取り締まりを、この時期は橋上もみじ見学ツアーに対する注意に切り替えてほしいものだ。
紅葉山とか楓という地名があるほど
ところで現在の新夕張駅の昔の名は紅葉山(もみじやま)駅だった。さらに、廃止されたがその先には楓(かえで)駅というのもあった。
ということは、このあたりはもみじの里ってわけだ。そうじゃなきゃ、こういう名をつけるわけがない。
滝の上公園も紅葉が見ごろかもしれない。 せっかくの秋だ。たまにモミジもよかろう。そういう出来心で立ち寄ってみた。
予想外の人気スポット
駐車場にはけっこう車が停まっていて、私が想像もしていないほどだった。貸切バスも1台停まっていたほどだ。これまで見向きもせず通り過ぎていて申し訳なかった。
こんなに訪れる人が多いとは思わなかった。甘く見てごめんね。でも、PR不足だよな(って、いきなり開き直り)。
売店もいくつか開いていた。
国道をはさんだ公園の向かい側に夏季しか営業しないJA夕張の売店があるが(今年はすでにとっくに閉鎖)、そこで400円ほどで売っていた“北沢食品の大福もち”が、全く同じともいいきれないものの、同じく3個入り550円で売っていた。
高い……
じいちゃんは炭砿マンだった
なんでもここは夕張川の浸食によって多くの滝と奇岩が見られる渓谷。公園はその横に作られている(マップの写真は下に掲載)。
このあたりはアイヌ語でポンソウカムイコタンと呼ぶそうだ。意味は“渓谷の美しいところ”。
おまけに隣接して北海道炭礦汽船が大正時代に造った滝之上水力発電所もある。
この発電所は現在は北海道企業局が管理しており、現在何かの工事中。正面上の窓には北炭のマークが描かれている。
なかなか味のある建物だ。
私の父方の祖父は北炭に勤めていたそうだ。
岡山で暮らしていたが、チフスだかコレラの流行によって親兄弟、親せきがほとんど死んでしまい、妻(つまり私の祖母。2人とも早熟だったのね)とともに、あてがあったのかどうかは知らないが北海道に渡ってきた。詳しいいきさつはわからないが、たどりついた北海道の地で夕張の北炭に就職したのだった。たぶんそのころの炭砿はけっこう稼げたんじゃないだろうか? そんなわけで亡くなった私の父は夕張生まれである。
でも、ほんの手前で引き返したわけで
渓谷には端が2本架かっていて、私は根性がないので手前の千鳥橋を渡りきらず、中ほどまで行って戻ってきた。
でも、この渓谷の光景はなかなか圧巻だった。
あらためて手元にある道路地図を開いてみると、“大小無数の滝と奇岩は見応えあり”と書かれている。
うん。まったくもって見応えがあった。
なんでも今度の日曜日の10:00から15:00まで“ゆうばり紅葉まつり”が開かれるそうである。
そんなわけで秋にちなんで
ミヨー(Darius Milhaud 1892-1974 フランス)の「秋の小協奏曲(Concertino d'automne)」Op.309(1951)。
2台のピアノと8つの楽器(fl,ob,3hrn,2vn,vc)のための単一楽章の協奏曲である。
ミヨーは春から秋までの4つの小協奏曲を書いているが、春夏秋冬の各コンチェルティーノはまとめて作曲されたのではなく、作曲年はばらばらである。
ジョワとボノーのピアノ、ラムルー管弦楽団メンバーによる演奏で聴くことができる。
録音は古く1958年。フィリップス。
DSLR、欲しい……