ミンチ肉大放出!
先週の荒涼庵の一週間。
バイキング継続中のテュラテュラテュッ・ラッ・ラァー。
月曜日
カツとじ、鶏ささみフリッター、ナポリタンスパ、カニロール天ぷら、サラダ、ライス(道産米)自由
火曜日
マーボー豆腐、ミートボール野菜あんかけ、シューマイ、メンチカツ、サラダ、ライス(道産米)自由
水曜日
豚生姜焼き、肉もやし炒め、いかチリ、サラダ、ライス(道産米)自由
木曜日
焼魚、から揚げ甘酢あんかけ、ハムカツ、五目ご飯、サラダ
金曜日、私は朝から橘皮課長と一緒に外勤に出て夕方まで戻らなかったので、メニューを確かめることはできなかった。
大嵐係長にメモっておくようお願いすることも考えたが、「いったい何のために?」と言われると合理的な言い訳ができそうもなかったので、いさぎよく“データ欠落”という扱いにする決断をした。
ボリューム満点エブリディである。これならお客さんは喜ぶだろう。
しかし、肝心のお客さんの入りが悪い。すなわち、そもそも喜びを享受する機会をあることを知っている人が少ない。
店の入口がわかりにくい上に、店の雰囲気も、構造的にも暗いというのがネックに違いない。せめて照明の数を増やしてはいいのではないだろうか?
777K
その間の私の昼食はといえば、月~水はコンビニ弁当で済ませた。
木曜日は大嵐係長とKという、店名のイニシャルがカフカ的なラーメン屋に行った。
Kに行ったのは2年ぶりくらいである。
というのも、ちょっと混んでくると(といっても客数5名が限界)なかなかラーメンが完成にこぎつけないから敬遠していたのだ。
前に行ったときは、作り手と不思議なくらい動きの悪いおばさんの2人がいたが、ラーメンが出て来るのに30分かかり、おまけに異様なまでに引き算が苦手なおばさんのせいで会計がもたついて、おつりをもらうだけで1分半は費やした。
しかも、この日いたのはマスクをつけたパガニーニのような容姿のおじさん1人だけだった。
いや、最初店に入ったときには“a la パガニーニ”氏の姿も見えなかった。
ただカウンター席にお客さんが1人、ポツンと座っていた。しかし、1人ということは、そうそう待たされないだろうと思って、席に着いたのだった。
パガニーニ氏は厨房の、こちらからは死角になるところに隠れて、いや、何をするではなくいたずらにそわそわしながら立っていた(この時点で先客のラーメン作りに手つかずの状態)。
そして、炎天下のクリオネのような動きで注文を取りに来たが、やはりその風貌は悪魔的だった。怖いのではなく、得体が知れないという意味で。
この主人(もしくは従業員、もしくはピンチヒッター)、いくらマスクをつけているからといって、2年前の作り手と同一人物とは思えない。もっと若かったように思う。
が、2年間でここまで一気に老け込んだという可能性も否定できない。
そしてまた、あのおばさんが乗りうつったかのように、動きが緩慢である。暑さで弱ったクリオネみたいだということだ。
冷たそうなガスコンロ
そもそもコンロに火がついていない。注文を受けてしばらくしても、炎は消えたままだ。作業に取りかからないのだ。
ラーメン屋って、開店前には少なくとも種火はついているのではないか?ガスが止められているのか?
と、パガニーニの動きを見ていると、麺はそこで茹でるのではなく、それ用の鍋はこちらから死角になっているところにあるようだ。
それにしても、湯気の気配がちっともない。呪文を唱えて茹で上げるのか?
果たして私たちはラーメンを作ってもらえるのだろうかと、そこまで追い込まれた気持ちではらはらしていると(どこかにラーメンの出前を頼んでいるんじゃないかとさえ思ったほどだ)、これまたスローモーにコンロに火を着けて、ようやくもやしを炒め始めた。
しばらくして-でも予想よりも早く-ラーメンが運ばれてきた。まあ、ISDN並みの速さってところか。
お盆に3つラーメンがのっていた。
最初にカウンターの先客に出し、そのあとわれわれのところに2つ持ってきた。
あの先客が私たちよりどれくらい前に入店したのかはわからない。しかし、注文し終わっていたことは間違いない。
コンロが非点火状態だったというところからして、われわれの直前ということも考えられるが、あのパガニーニの動きからすると、あの客はもっと前に店に入り、椅子に座り、注文していた可能性もある。
いずれにしろ、早く来た人と、そのあとに来た私たち2人のラーメンが同時に出来上がったことについて、私は先客氏になんとなく申し訳なさを感じた。
そのあともう1人の客が入ってきたが、昼どきだというのに私たちが会計して店を出るときには、結果的にこの計4人しか来店していなかった。その後、誰かが来そうな雰囲気もなかった。
一方、帰りに前を通ったMというラーメン屋。ガラスのドア越しに見えたが、びっちり満席だ。
Kの味がMに比べ月とすっぽんほど違うのかというとそうではない。
が、Mは店内に活気がある。店の雰囲気も店員も明るい(この点では、Kと荒涼庵(おっ、こっちもKだ)には共通するものがある。荒涼庵にはパガニーニはいないが……)。
Mだとチャーシューは古くないか、メンマはかびていないかといぶかる心配もない。
そしてなにより安い。Mのランチセットメニュー(ラーメンに肉のおかずの小皿1品と小ライス)がKの味噌ラーメン単品の値段と同じなのだ(ただしKは大盛りにしても追加料金なし。大盛りは自称、普通盛りの1.3倍である)。
と書いてきたが、もう一度よく考えたところ、味もMとKではやっぱり月とウミガメくらいの違いがあるという答えがでた。
テルマエロマエ?
さて、荒涼庵のメニュー。
まずもって、カニロール天ぷらって何だろう?かにかまぼこの天ぷらってことなんだろうか?薄皮を巻いたようなカニカマボコが売られているのを見かけたことがあるような気がするが……
ナポリタンスパって、もちろんナポリ風温泉じゃないのはわかるが、変にスパをつけたばっかりに中途半端な印象を与える。
火曜日は火曜市ならぬひき肉市の様相である。メンチにシューマイ、ミートボールにマーボー!
全国ひき肉協会なるものが存在していたら、会長をはじめ役職員一同大喜びしそうなラインナップだ。
私が若かったら、たとえエサを食べているような雰囲気の中であろうとも、これらのメニューは魅力的に思えただろう。
そして、肥満まっしぐらだったろう。
齢をとってよかった。齢をとることは悪いことばかりじゃない。
時代遅れだったかもしれないが……
A.スカルラッティ(Alessandro Scarlatti 1660-1725 イタリア)のマドリガル「消えた炎(Sdegno la fiamma estinse)」(「怒りは炎を消し」という訳もある)。
アレッサンドロ・スカルラッティは声楽曲、特にオペラとカンタータで名が知られているが、器楽曲で功績のあるドメニコ・スカルラッティの父である。オペラではナポリ楽派の創始者とされている。また、オペラやカンタータ以外の声楽曲も、いくつか録音で聴くことができる。
マドリガル(マドリガーレ。madrigale)は、バロックの前のルネサンス期にイタリアで発祥した豊かに感情を表現した歌曲の形式。
バロック時代になるとカンタータが生まれマドリガルは廃れたが、アレッサンドロのマドリガルはこの音楽形式が消えつつある時期に書かれたものである。
何を歌ってるのか内容はよく知らないが、飛び交いからみ合う声が刺激的。
古いのに新しさを感じさせる曲である。
ルーリー指揮コンソート・オブ・ミュージックの演奏を。
1986年録音。ドイツ・ハルモニア・ムンディ。