Ifukube100th3Ura  500トンという端数の根拠は?
 今日は午後から東京に出張。
 明日は朝から国会議事堂近くのビルの会議場でお仕事である。


 国会議事堂といえば、その昔、キングコングにまたがられ、そのまま居眠りまでされてしまった。
 よく体長45mのサルの化け物(ファロ島の人びとは“巨大なる魔神”と崇めるが)の重さに耐えうることがきたものだ。だって体重2万500トンですよ。

 にしても、「おくさん、おまけだ!2万トンでいいよ!」ってまけるという発想はなかったのだろうか?
 いや、この方がリアル感がある。
 そういう今朝の私の体重は64.8kg(トランクスとTシャツを着用した状態で)。

 ところで、そのときキングコングの手に握られていたのは若き女性の“ふみ子”。
 仮に彼女の身長を150cmとすると、キングコングはその30倍の大きさ。
 身長175cmの私が6cm弱のナマコを手にしているのと同じにことになるが、映画で握られていた“ふみ子”はもっと小さく扱われていたように思うのは記憶違いか?


 1962年に公開された東宝の「キングコング対ゴジラ」は、ゴジラシリーズでは最高の観客動員数を記録した映画。
 1962年ならどう考えても私がリアルタイムで観れるわけがないのに、私は確かに浦河の大黒座でこれを観ている。


 変だ。


 と思ったら、1970年と1977年の東宝チャンピオンまつりでリバイバル上映されたという。
 きっとそのときに観たのだろう。


Ifukube100th3  キモは音楽だったんです。気づかなかったけど……
 ただ、「キングコング対ゴジラ」に限らず、幼い私は、怪獣同士の戦いの場面はともかく、それ以外の場面で怪獣映画を楽しんだとは言えない。この手の映画のストーリーは幼児や学童にはけっこう難しいものがあるのだ。怪獣映画はむしろ大人向けだったといえる。

 が、それでも私が魅かれたのは、そのときは気づかなかったが、やはり音楽によるところが非常に大きいのだろう。

 もちろん伊福部昭(Ifukube,Akira 1614-2006 北海道)の音楽だ。
 その証拠に、伊福部が音楽を担当していない「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」はほとんど印象に残っていない(佐藤勝が音楽を担当)。

 この映画を、私は遊びに行っていた親戚宅のある渡島福島町の映画館で観た。
 が、この映画の公開年は1966年。やはりどーしても計算が合わない。
 リバイバル上映だったのだろうか?

 「伊福部昭 百年紀Vol.3」には「キングコング対ゴジラ(King Kong vs. Dodzilla)」の組曲が収められている。

 齊藤一郎/オーケストラ・トリプティークの演奏は、Vol.1からVol.2、そしてこのVol.3と順にこなれ、上手くなっている印象を受ける。

 そのなかでも、この「キングコング対ゴジラ」は、シリーズ中最高の出来ではないか?


  合唱も現地っぽさ満点
 「北海道讃歌」では、痛たたたたぁ~と嘆かされた合唱団も、このファロ島の原住民の祈りの歌では、その整然としていないアンサンブルが功を奏し、まさに原住民の必死かつ心がこもった叫びとなっている。
 それとも、最初っからこの曲に向くような練習を重ねた反動で、「北海道讃歌」はうまく歌えなかったのか?


 組曲は次の15曲からなる(No.は映画(サウンドトラック)におけるミュージックナンバー)。


 No.1  「メインタイトル」(合唱(ファロ島民の歌)入り)
 No.2  「世界驚異シリーズ」(パシフィック製薬提供の同名のTV番組のオープニング音楽)
 No.6  「ファロ島」(神秘的かつ素朴な音楽)
 No.14  「大ダコ対キングコング」(夜中に海から現われた大ダコとキングコングとの戦い)
 No.18  「埋没作戦準備」
 No.20  「100万V作戦準備」(No.18の変型)
 No.10  「ゴジラの恐怖」(ゴジラのテーマ)
 No.27  「キングコング輸送作戦」(リトミカ・オスティナータにも現れるメロディー)
 No.19  「キングコング対ゴジラ」
 P.S. No.4 「ふみ子救出作戦I」(合唱入り)
 No.15 「眠れる魔神(前半)」(合唱入り)
 No.26 「ふみ子救出作戦II」(合唱入り。打楽器のリズムが大きく乱れながら進む)
 No.12 「眠れる魔神(後半)」(合唱が入るが、変形されている。混乱した叫び)
 No.1  「メインタイトル(リフレイン)」
 No.30  「エンディング」


 またCDの最後のトラックには、No.1を基にするアンコール曲が収められているが、販売元によると“ド迫力の爆音オーケストラと観客1000人の大合唱を含む”演奏だという。

 “999人の第九”とか“1万人の第九”というキワモノ企画があるが、このコンサートではアンコールで聴衆もファロ島民になったつもりキングコングに対する祈りの歌をでったようだ(でも、1000人しかお客さんが入ってなかったのか?歌詞は配られていたのか?とすれば、アンコールはあらかじめ行なうことが決まっていたということか?)。

 また、上に“No.1を基にする”と書いたが、組曲のNo.1は1'56"の演奏時間なのに対し、会場大合唱アンコール編は2'46"。繰り返しが行なわれているのだろう。


 このアンコール、みんなコーフンして浮足立っているのがわかる。「ア、ア、アタシ、どーしたらいいのかしら」って感じ。
 始まってすぐピッコロは間違って(黙ってられなくて)吹いてるし。

 パガニーニのコンサートを聴いて感激したシューベルトが、そのあと夢遊病者のように街を歩き回ったっていう話をどこかで読んだことがあるが、みなさんそれに似たトランス状態って感じ。

 そういう私も初めて「ラウダ・コンチェルタータ」を札響定期で聴いた後、興奮のあまり帰り道の記憶がほとんどないという経験がある。


 なお、拍手はこのアンコールのあとにのみ入っている。


 2014年ライヴ録音。スリーシェルズ。