
週刊文春に連載されている適菜収氏の「今週のバカ」。
6月25日号(先々週号)の本欄のタイトルは“文部科学の愚民化計画”。
文科省が全国の国立大学に対し、学部や大学院のあり方を見直すよう通知を出した“異常な介入”問題について書いている
そのなかに次のような文があった。
バカとは無知のことではない。価値判断ができないということだ。
バカが制度をいじるから、バカが量産されるのだ。
うん、見事な論理だ。
この人けっこう過激らしいが、説得力がある。
ところで早いもので今日は金曜日。
明日は北海道における週刊文春、週刊新潮の発売日である。
そしてあさっては、たいそう話題となっている「天皇の料理番」の放映日である。
私はそう熱心にこのドラマを観ていない。
そしてまた、うっせーこと言うなと言われそうだが、このドラマのオープニングに使われている「威風堂々」を耳にすると、「た、た、頼むから許してくれ」と思わずにはいられない。
曲があまりに継ぎはぎだらけだからだ。どこかでカットしてつなぎ合わせるにしてもせめて1回にして欲しい。これじゃフィギアスケートで演技に使われる音楽と同じ扱いだ。
実は5曲あるんです
エルガー(Edward Elgar 1857-1934 イギリス)の行進曲「威風堂々(Pomp and circumstance)」Op.39。
実はこの行進曲、全部で5曲あるのだが、突出して第1番が有名。ふつう「威風堂々」という場合は、面倒な手続き不要で第1番を指す。
各曲の作曲年は次のとおり。
第1番ニ長調 1901
第2番イ短調 1901
第3番ハ短調 1904
第4番ト長調 1907
第5番ハ長調 1930
原名の“Pomp and circumstance”は、シェイクスピアの「オセロ」第3幕第3場にある、オセロのセリフからとられているという。
もっとも有名な第1番については、エドワード7世から歌詞をつけるよう要望があり、それを受けてエルガーは6曲からなる「戴冠式頌歌(Coronation ode)」Op.44(1901)を作曲(詞はA.C.ベンソンによる)。第5曲「希望の栄光の国(Land of hope and glory)」で第1番の中間部のメロディーを用いた。
この歌はイギリスにおいては、国歌に次ぐ国民的愛唱曲になっているということだ。
ハロルド・C・ショーンバーグ著「大作曲家の生涯(下)」(共同通信社)にはこう書かれている。
最初の2つの行進曲は1901年、プロムナード・コンサートで初演された。「最初の曲『ニ長調』の演奏が終わったときの情景を忘れることは決してあるまい」と、エルガーは自叙伝に書いた。 ― 「聴衆は一斉に立ち上がって歓声を上げた。やむなく同じ曲をもう一度演奏したが、結果は同じだった。実のところ、彼らは私がプログラムを進めることを拒否した……。場内を鎮めるために私は3度、同じ曲を演奏した」。
その後まもなく、エドワード7世(1901-10年在位)がこの曲に歌詞を付けることを思いつき、『希望と栄光の国』が生まれた。それ以前のエルガーが“有名”だったとするなら、以後の彼は「名を知らぬ者がいない」存在となった。……(中略)……
『威風堂々』はエルガーに名声と収入をもたらしたかもしれないが、音楽的には益よりも害の方が大きかった。この曲のために彼はキップリング風の盲目的愛国主義者の汚名を着せられ、『威風堂々』の作曲者の作品などまじめに扱えない、という人々さえ生んだ。音楽家たちはきびきびした立派なマーチを、あるがままに受け入れることはしなかった。
まあ、価値観はお国によっても人によってもさまざまってことか……
今日は全5曲を録音しているショルティ/ロンドン・フィルの演奏を。
1976年録音。デッカ。
第1番以外はつまらないと思ったあなたを、私はバカだなぁなんて思いません。
きっとあなたの価値判断は間違っていないと思います。
関心はないかもしれませんが、ちなみに私は、第1番以外なら4番がちょっといいかなぁと思います。
はい、CHANDOSです。