1本もはみださずに整える理容師ってすごい
日曜日は昼過ぎに自宅に着いた。
庭は芝が伸び放題で穂まで出かかっている有様。
ユーフォルビアなどの宿根草はいいだけ株が大きくなり繁茂している。
これじゃバラたちが窮屈そうだ。
おまけに支柱に誘引しないままグングン伸びたバラの枝は、風のせいで根元から折れたりもしている。折れかけているのに蕾をつけているのもあって、実に不憫だ。
上の写真がその庭の状態だが、芝生のあちこちをバラのために割いたせいで芝刈り機を入れることができない。
そこで芝刈りばさみでカットする。
が、不思議なもので切ったつもりでも、切れていない穂をつけた芝の茎が何本も残る。このことを思うと、床屋の技術というのはたいしたものと言わざるを得ない。
混沌とした庭の状態だが、それでもあらゆる植物が緑に輝き、花をつけている様子はワクワクする。
カーニスの「カラー・フィールド」という曲に印象が通じるものがある。混沌、ワクワク感、緊張感、色彩感という点で。
怒りと祈りの曲
しかしカーニス(Aaron Jay Kernis 1960- アメリカ)のチェロと管弦楽のための「カラード・フィールド(Colored Field)」(2002)は、作曲者がナチスによるユダヤ人虐殺が行なわれたアウシュヴィッツとビルケナウを訪れたときに霊感を得て書かれたもので、庭仕事がたいへんながらも浮かれた私の気分とは大いに異なるものである。
もともとはイングリッシュ・ホルン(コーラングレ)と管弦楽のための協奏作品として書かれたが、モルクのためにチェロ版が作られた。
なお、カーニスはこの作品で2002年のグロマイヤー賞作曲部門賞を受賞している。
賞金はUSドルで$200,000だそうだ。
3つの楽章からなり、第1楽章は「Colored Field」、第2楽章は「Pandora Dance」、第3楽章は「Hymns and Tablets」。
初めて聴いたときはなかなかゲンダイオンガクしている曲だなと、渦巻くカオス的展開に血圧が上昇したが、聴き返すうちに多様多彩な音響美、心に訴えるメロディー、土俗的で野蛮な響きに魅せられてしまった。
第1楽章の激しい中間部は、まるでアマゾンの山奥で巨大モウセンゴケに捕えられてしまった恐怖って感じで、その手の映画に使えそうだ。そういう映画はもう流行らないだろうけど。
第2楽章は、南海の無人島に漂着したところ、いきなり原住民の生け贄礼讃踊りの輪に取り巻かれる恐怖のイメージだ。
またフルートと鐘が織りなす高く複雑な背景音が印象的。ドラマティックで聴きごたえは十分だ。
第3楽章の弦の重層的な響きと独奏チェロとの対話は重苦しい讃歌だが、瞑想的でもある。何らかの政治的メッセージも感じられる。曲が終わりに近づくにつれ、感動で胸が熱くなってくる。
庭で色とりどりの花を咲かせるバラや宿根草、敵はその地を浸食しようとする雑草どもだ。あるいは雑草化した芝だ。
刺激に富んだガーデニングとこの曲の雰囲気は、うん、やっぱりどこか通ずるものがある。
モルクのチェロと大植英次/ミネソタ交響楽団による演奏は1994年録音。エラート。
コンラッド、久々に咲く!
あまり時間がなかったので芝刈りも剪定も丁寧にできなかったが、AFTERの写真が2枚目である(写真の色合いが違うのは呪われたからではなく、夕方になったからである)。
花が終わったユーフォルビアや花はまだだが咲いたところであまり目立たず葉ばかりが繁茂するラクティフローラなどをカット。
少なくとも爆発コントをやっているときの志村けんの頭のような状態からは脱出した。
そしてまた、このあと私は自分の頭髪を整えに床屋に行ってきた。
この日、レディエマ・ハミルトンとオールド・ブラッシュがすでに開花していた(写真3,4枚目)。さらに昨年は1つも花をつけなかったコンラッド・フェルディナント・マイヤーも開花し(写真5枚目)、さらに多くの蕾をつけていた。
他のバラたちもプクプクした蕾をつけており、これらがドバっと一斉に開花した時のことを考えると、興奮のあまりパンドラ踊りをしそうになる。それがどんなダンスか知らないが……
なお、庭の写真のなかで猫じゃらしのように見えるのは、芝(ケンタッキー・ブルー・グラス)が異常生育したのではなく、ホルジューム・ジュバタムいう植物。
風に揺れる姿はなかなか美しい。


ジャングル化すると厄介ですねよねぇ。