おばちゃんのあいまいな態度……
土曜日。
占冠インターで道東道を降り、国道237号線を南下。
日高峠を越えこの国道237号線と国道274号線が交差する日高町のあたりで激しく雨が降り出した。
さらに車を進め平取町の振内(ふれない)という集落に入ると、道沿いに手書きで“スズラン群生地”と大きく書かれた看板があった。ちょうどその向かいの農産物の直売所に寄る。このころには雨はやんでいた。
目的はトイレだったが、“ただ借り”はよろしくないので“ニシパの恋人”のトマトケチャップを購入した(高いおしっこについた)。
「スズランはまだ見れますか?」
「そうねぇ、先週が鑑賞会だったけど、まだ大丈夫だと」
「どう行けばいいですか」
「ここからならその先を左に曲がって橋を渡ったらすぐに右に折れて……」
「どのくらいかかりますか?」
「うん、その道だよねぇ」
最後は会話が成立せず、おばちゃんの独り言のように終わった。
いま思うに、そこまでして行くところじゃないよと言いたかったのかもしれない。
直売所を出てすぐの交差点にも“スズラン群生地 左折”という手書き看板があり、その指示に従うと橋があり、そして右折する道があった。
距離は30kmとある。
けっこう遠い。
でも滅多に来られるところじゃないのでそのまま進むことにする。
が、その直後急に道が狭くなった。
この道道(本州なら県道にあたる)797号線はセンターラインこそ引かれているもののけっこう道幅は狭い。
妻が引き返そうかと言うが、私は強行することにする。
途中すれ違ったのはトラック1台だけ。それも最初のころのこと。
あとは孤独な走行。途中片側が崩落している箇所もあった。
それでもところどころに“すずらん群生地 ↑ ”という小さな看板が立っていて、この道こそが花の香り漂う楽園への正統的ルートであることに間違いなかった。 1週間前の鑑賞会というイベントにはどれくらいの人が集まったのだろう。まさか、3人や4人じゃないだろう。
この道を何台もの車が連なったとは想像できない。そんな荒れた道だ。
貫気別(ぬきべつ)という集落である。ほっとする。
そのあとは道道845号線を走る。
この道はごく普通の走りやすいもの。
このように①のルートでたどり着いた群生地は道道から右に入ってすぐのところにあった。
孤独なおじいちゃん
駐車場には車がポツネンと1台だけ停まっていた。その運転席にはおじいさんが座っていた。
私たちが車を停めて降りると、そのおじいさんも車から出てきて、無言のままわき目も振らず群生地の入口へゆっくりと向かっていった。曲がった腰が痛々しい。
その少しあとに入口に行くと、そのおじいさんはそこにある椅子にずっと前からそうしているように座っていた。そして、「もう終わりかけだけど、この辺りにはまだ咲いてるのがある。写真を撮るならそこがいい」と看板の地図の一角を示した。 このおじいさんは番人兼案内人だったのだ。
私は村上春樹の「羊をめぐる冒険」の“羊男”を思い浮かべた。
それにしても今日はいったい何人の人が訪れるのだろう。
おそろしく孤独な仕事だ。
おじいさんの言うとおり、スズランは少しは咲いていた。
上の写真だけ見ると確かにスズランがたくさん咲いているように見えるかもしれない。
が、観光ガイドブックにあるようなイメージではない。辺り一面スズランの花でいっぱいってことが、ピーク時にはあるのだろうか?スズランの香りにあたりが満たされるのだろうか?
どうもうまくイメージできない。だってほかの植物もたくさん生えているから。4枚目の写真のように。
もっとも、園芸植物のお花畑じゃないんだから、ワラビやら何やらが混じって生えているのが当たり前か……
そこに座ったままのおじいさんに「どうも」とあいさつし、私たちは車に乗り込んだ。
おじいさんはずっとそのまま鎮座していた。
帰りは再びいったん振内に戻ることにした。カーナビの目的地を振内の農協スタンドに設定した。
すると①のルートを戻るのではなく、道道638号線を進む②のルートを指示された。距離もこちらの方が10kmほど往路より短い。 帰りはもっとひどい道だった
が、ちょいと進むと道は急に細くなった。
妻が引き返そうと言ったが、車の向きを変えるスペースもない。
道道の名に恥じるくらいの細い道であり、ところどころにある待避所を使わなければ車はすれ違えない。もっとも1台も対向車には出くわさなかったが……
この道、実は地図を下調べしていたときに、その道の細さに避けるべきだろうと思っていたもの。それが効率重視のナビの思し召しに誘導され入りこんでしまったのだった。
途中沿道の雑草刈りの作業をしている人たちがいた。
なんとなく心強く感じた。
が、それも1か所だけの話。 それにしてもこんなところで草刈りが行なわれていることに不思議な感じがした。もしかするとヘルメットをかぶった森の妖精だったのかもしれない。
途中で妻は車酔い。あとで知ったが、かなりこの道ウネウネしていた。桂峠という峠を越える道だったのだ。
さらに途中で車の右前部から異音が。
まさかこんなところで故障?そうだとしたらいったいどうしたら良いのだ?
しかし、その音は数秒後に消えた。気づかなかったが枝でも引っかけてしまい、それを引きずる音だったのか?
車を停めて辺りを見たが、そういうものはなかった。気になったがそこに居続けるとクマでも出て来そうな感じだったので、先を急いだ。
舗装こそされてはいるが(簡易舗装でしかもガタガタ。未舗装と舗装のハーフみたいな路面だ)、私には「羊をめぐる冒険」で“鼠”の父がもつ別荘へ通じる山道を“僕”たちが車を降りて歩かざるを得なくなった光景がオーバーラップした。 森から脱出し、道も広くなったときにはほっとした。
そして振内に戻ったときにはまた雨が激しくなった。
最初からずっと降っていてくれたら、群生地に行こうなんて思わなかったのに。たまたま雨がやんでしまったのが凶と出た。
まったくもって骨折り損のくたびれもうけ。しかも多少の危険を伴うものだった。
あとから気づいたが、そのあとは門別へ向かうのだから、群生地から845号を戻りそのまま71号線に進んで荷負という集落に行けばよかったのだ。そこで国道にぶつかる。
しかし私には来たときと同じルートしか頭になく、それは嫌だったから①を戻る考えはまったくなかった。そして結果的には来る時よりもずっとひどい②のルートを走るはめになってしまった。
71号線は地図で緑色の道路である。広い道に違いない。
そして、大型バスなどがズズラン群生地に向かう時は、71号線-貫気別-845号線を使うのだろう。大型なら797号線はたぶん走れないし、638号線はまったく無理だ。
投げやりっぽく「すずらん」という歌を
ロシア民謡の「すずらん」。
フェルツマンナという人が作曲したという。
下で紹介するCDに載っている歌詞の日本語訳(ダーク・ダックスによる)は次のとおり。
ある夏の夜 しずかな森を
ひとり歩くとき
いずこともなく ただようその香
すずらんの花よ
ランディシー ランディシー
やさしいおとめよ
ランディシー ランディシー
君こそ
すずらんの花 胸にいだいた
かわいい娘よ
君のこころは すずらんのよう
けだかくかおるよ
ランディシー ランディシー
やさしいおとめよ
ランディシー ランディシー
君こそ
愛のかおりが 夜にただよう
ダーク・ダックスによるCDを私は持っているが、なんだかこういうのを持っているのがちょっぴり恥ずかしい気がする。
でも、ロシア民謡を聴きたくなるときってあるんですもの……
キング。録音年不明
ようやく振内に戻ったあとはさらに南下。
二風谷ダムを見たあと平取市街を抜け、そのまま門別へは向かわずに私たちはむかわ町に向かった。
にしても、ランディシーって何だ?
確かめなかったけど、もしかして携帯圏外だったかもしれないです。
ああいう道道があるとは思いもよりませんでした。
スズラン、一応きちんと保護しているというふれこみです。開花期間以外は立ち入り禁止にするそうですが……