吾輩は係長である。名前はまだ無い
この1週間の昼食事情を振り返ってみる。首相のとか知事のではなく、私の、である。
月曜日は“Piece of Cake”で日替わりのチキンソテー定食、火曜日は珍宝楼でいつものやつ、水曜日はしばらくぶりに“つのかくし”に行った。久しぶりだったのに、というか、久しぶりだったのであえて冒険せずに前と同じメンチカツ定食を頼んだ。
最近は阿古屋係長の後任であるZ係長(襲名披露は今後)も昼食行動を共にしている。
彼はきちんと“自分を持っている”人物であり優柔不断なところがない、と評価するにはまだ判断材料がたりない。現時点では五分五分である。
というのも、珍宝楼に3人で行ったときには、私と仁野さんが担担麺を頼んだにもかかわらずZ係長は引きずられずに麻婆麺を頼んだ。強い意思の持ち主だ。
ところが“つのかくし”に4人で行ったときは、Z係長も他の3人と同じく無抵抗にメンチカツ定食を注文した。周りの空気にのまれる、もしくは多少自分の意思を殺しても周囲との和を重んじる持ち主である可能性は否定できない。
以上の状況から、まだZ係長の真髄をうかがい知ることは不可能である。
クープランを聴きすぎた反動?
一方で、このところの朝の通勤時の音楽事情だが、このあいだにわかにチャイコフスキーの5番をもよおしたのと同じように、ベートーヴェンの交響曲第6番が無性に聴きたくなった。それも、ひと昔前の重厚でいかにもシンフォニックな演奏で。
となると、私の場合はショルティ/シカゴ響である。
ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の交響曲第6番ヘ長調Op.68「田園(Patorale)」(1807-08)。
ご存知のように第3番「英雄」や第5番「運命」、“のだめ”ですっかり有名になった第7番や第九のジンクスのもとになっている第9番「合唱付き」に比べ、男くさい曲ではない。
それでも、ショルティの手にかかると、っていうか、ピリオド演奏が台頭する前の演奏だといわゆるドイツ的っていう響きが体を揺さぶる。
う~ん、厚い音の重なりに重低音。広いステージが目の前にあるようなデッカのクリア・サウンド。
弦楽器の数もベートーヴェン時代の本来の形じゃないだろうが、でも私にとってはベートーヴェンらしさとして刷り込まれている響きで心が満たされる。
ましてやショルティである。筋トレが趣味だった牛の肩ロースのように引き締まった演奏だ。
1974年録音。デッカ。
豚丼のロースは軟らかかった
木曜日は“まま母”に行って豚丼を食べた。
いつも「今日の日替わりはなぁに?」と聞くのだが、さんまのかば焼きだったりカレイの煮つけだったりして、私のお好みだったためしがない。そこで、この店ではいつもそうするように豚丼を頼んだ。
秋吉課長もZ係長もそれにならった。
この一件も係長のパーソナリティ分析のデータとして貴重になるだろう。
珍しいことにこの日はママに「ロースにする?バラにする?」と聞かれなかった。出てきたのはロース豚丼だったが、きっとロースしか肉の在庫がなかったのだろう。
また珍しくないことに店内は相変らず薄暗く煙たかった。
さらに言うと、この日のみそ汁はじつに美味かった。
金曜日は会議があって、そこで出していただいた弁当。
カツオといった危険副食は入っておらず、真四角のトンカツが、と思ったらイカのすり身のフライ。でもどこか懐かしい味がした。
そして土曜日だが、すでにお気づきかと思うがお出かけ先で食べた。
その奇行、いや、紀行文については近いうちに。
