《前回のあらすじ》
すでにこの世では売られていないと思っていたものが、東京の店に不良在庫かどうかはともかく残っているという秘密が明らかになり、私はそれに食いついたが、お約束の日にちまで取りに行くことができないため私は大きなストレスにさらされた。 卑怯な手を使うべきか?……
さて、どうしたものか……
初めての体験で、欲しかったものを私は手に入れかけている。いや500数十マイル先の場所に既に事実上確保している。
しかし約束の期日までに取りに行けない。
あぁ、このストレス。十二指腸潰瘍になりそうだ。
引き取り期限が過ぎて注文がキャンセルされた直後に、また取り置きを申し込む。それを東京に行ける月末まで繰り返す。
そういうやや卑怯な手はある。
しかしきっとすぐに、タワレコ側で「こいつイタズラかもよ。いや、たちの悪い嫌がらせだよ、きっと」と2回目以降の取置き申し込みは拒まれる恐れがある。だからこの切羽詰まった卑怯な手も現実的じゃないし、私のような常識的な紳士がやるべきことではない。
店舗に電話をかけて事情を話し、特例としてしばらく取り置いてもらえないだろうか?それも考えた。
が、決まりですのでそれはできませんと言われたら、私は立ち直れないほどの悲しみに襲われるだろう。
万が一そのように配慮してくれたとしても、出張が急きょキャンセルになって取りに行けなくなったとしたら、私はタワレコ秋葉原店店長ならびにスタッフから、「やっぱりこの注文、最初からウソだったんだよ」と誤解されるのは避けられない。
悩んだ。
いけない。このままでは仕事が手につかない。昼食も喉を通らないかもしれない。
そのとき頭の中でLEDがピカッと光った。
彼に頼るしかない……
東京支社の知り合いにお願いできないか?
その考えが発電元だった。
いや、そんなことを頼むのは迷惑になる。
でも、彼なら「よろこんでぇ~」とは言わないだろうが、私を助けてくれるかもしれない。
そう考えているうちに、彼に頼むことが運命的であることのように思えてきた。
彼は東京支社の課長である。
一緒に席を並べて仕事をしたことはないが、仕事上けっこう濃く、そしてまた長い付き合いになる。
ただ、私のいまの仕事の関係上彼と接する頻度がこのところすっかりごぶさたね、ってことになっている。
電話をかける。
かわいそうに、たまたま彼は在席していた。運が悪いと同情したくなる。
「お久しぶりです」と私。
「どーも、ご無沙汰してます」と彼。
「折り入ってお願いがあって電話したんだけど」と私。
「なんでしょう?」と彼。
何を言われるのだろう?受話器を通じてそんな緊張感と不安が伝わってくる。この警戒心を失わない限り、きっと彼なら振り込め詐欺に引っかかることはないだろう。
「実はとっても手に入れたいCDがあるんだ」
「はぁ」
「でも、それはもう手に入らないんだ。現役盤じゃないので……」
「あらあら、それは残念ですね」と彼。特段残念と思っていないのに、このように言ってくれるところがオトナだ。
「ところが、秋葉原のタワレコに在庫があることがわかったんだ。で、取り置いてもらうことにしたのはいいが、引き取り期限が1週間しかないんだ」
「取って来てあげましょうか?」
ほれ!この勘の良さ!人柄の良さ!私は天使に微笑まれたようにうれしくなり、彼は彼で、都内のCDショップをくまなく探し歩いてほしいというようなとんでもない依頼でなかったことに緊張感も緩む。
実は私だって東京の店舗だからという理由だけで、安易に東京支店の彼にお願いしようと単純に考えたわけではない。東京支社が東久留米市にあったとしたら、とても何かのついでにアキバまで行ってほしいなんて図々しいことは言えない。しかし東京支社は千代田区にあるのだ。そして、電話の相手はとても良い人なのだ。難度の高い判断と人選をしたわけだ。
「じゃあ、予約番号を教えるからぜひともブツの引き取りをお願いしたいんだ。お金はすぐ送るから」
「はい、わかりました」
なんと見事な展開だろう。
こうしてすでに幻になりかけたCDは、彼の迅速かつ正確な仕事ぶりで翌日の金曜日の夕方には私の手元に届いた。昼食を食べそびれることもいとわず、昼休みに取りに行ってくれたのだ。
その間、私はすっかり安心して珍宝楼で担担麺を食べたのだった。
ワタシ彼に感謝するアルネ
届いたというお礼をメールすると、「土日にゆっくりとお聴きください」という彼の細やかな心遣いがにじみ出た返事が来た。
しかし私は彼の善意を踏みにじってしまった。
土曜日は札幌へ移動。日曜日は父の法要かつその後は帯広に移動ということで、聴く時間がとれなかったのだ。
優雅で繊細なクープランの組曲は、落ち着いた雰囲気の中でリラックスして聴くのがふさわしい。
課長、じっくりと聴くから許してね。
その彼に感謝と賛辞の意味を込めて、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)のカンタータ第29番「神よ,我ら汝に感謝す(Wir danken dir Gott)」BWV.29(1731初演)のシンフォニアを。
このカンタータはライプツィヒ市参事会員選挙用に書かれたが(で、参事会員ってなんだ?)、有名なシンフォニアは無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調BWV.1006(1720)から転用したもの。
晴れがましく生き生きとしたこの曲には、いつ聴いても気持ちが元気づけられる。
ダントーネ指揮アッカデーミア・ビザンチーナの演奏を。
ハツラツとしているが、個人的にはオルガンの音が軽やかすぎる感じがしないでもないと思う。
2011年録音。デッカ。
バッハのシンフォニア集である。
さて、これで出張に行った際にタワレコに行く必要はまったくなくなった。
支社長に「やっぱり離ればなれになることなく、ずっと4人で行動しましょう」とどう切り出すかが、私の新たなる課題である。
ありがとうございます。もったいぶった展開、失礼しました。