気味悪がられる理由はよくわかる
ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928 チェコ)の音楽を、私はそうしょっちゅう聴くわけじゃないが、一度聴くとそのあとしばらくの間はクセになってしまい、頭の中を支配し、鼻の穴を通じて歌ってしまい、また聴きたくなる。そんな、一時的な中毒性がある。
おとといも列車に乗る前に駅で無意識に「タラス・ブーリバ」の第1楽章を口ずさんでいて、折しもトロンボーンの「ブッホホッ」という力強いフレーズの箇所で、すれ違いざまに女子高生に気味悪がられた(ような目つきに感じた)が、このようなことが起こらないためにも、休日は不要不急の登校をしないよう女子高生に指導してほしいものだ。
先日はエリシュカ/札響の演奏によるこの作品を取り上げたが、今日はレーグナー/ベルリン放送交響楽団の演奏で「タラス・ブーリバ」と「シンフォニエッタ」を(ちなみにエリシュカ/札響の「シンフォニエッタ」についてはこちらをご覧いただきたい)。
このCDの帯には宇野功芳氏が次のような文を寄せている。
両者の中では「タラス・ブーリバ」の方がいっそう出来が良い。第1の特徴は各楽器を渾然と溶け合わせた豊か
なハーモニーの美しさで、それがベルリン放送交響楽団のほの暗い音色感と相俟って、独特の世界を現出させてゆく。それは土俗的なチェコ音楽ではなく、ドイツ後期ロマン派の味わいなのだ。
また、宇野氏の言葉かどうかははっきりしないが、“ヤナーチェクがこんなに楽しく親しみやすく聞けるなんて
!”というコピーも載っている。
柔らかさが大人だねぇ
レーグナーの「シンフォニエッタ」の特徴は、両端のファンファーレ楽章でも、輝かしいブラスの音で聴き手を圧倒させるというたぐいのものでないということ。
柔らかだ。
それはおとなしい演奏というのではなく、大人の味わいとでもいうべき鳴らせ方だ。中間の3つの楽章も鋭角的なところがなく、じっくり聴かせててくれる。
ドイツ後期ロマン派の味わいかどうかは知らないが、派手さに走らない分、逆に聴き飽きがこない。
地味な存在ながらも、ユニークな名演と言える(ただし、ティンパニと金管の強烈アタックがとっても好きな人には歯がゆいかも)。
「タラス・ブーリバ」も「シンフォニエッタ」と同じ音楽づくりだが、この勇ましくも悲しい物語にレーグナーの優しげでしっとりしたスタイルがよく合っている。宇野氏が書いているように、「シンフォニエッタ」よりもこちらの方が「いっそう出来が良く」、説得力がある。
「シンフォニエッタ」の録音は1979年、「タラス・ブーリバ」は1980年。ドイツ・シャルプラッテン。
村上春樹の「1Q84」の主人公の1人である天吾は、高校2年生のときに、吹奏楽部が「シンフォニエッタ」の吹奏楽版を演奏する際、急きょティンパニ奏者として駆り出された。
小説にはこういうくだりがある。
冒頭のファンファーレの部分では、ティンパニが縦横無尽に活躍する。
でも、天吾の性格からして、そのときの演奏はレーグナー盤のようなものだったんじゃないかなと、勝手に想像している私である。
けっこう危ないオジサンです。