
今年は未年である。そして、スクリャービン(Alexandre Scriabin 1872-1915 ロシア)の没後100年である。
太った中年の女はスクリャービンのピアノ・ソナタに聴き入っている音楽評論家のような顔つきでじっと空間の一点を睨んでいた。僕はそっと彼女の視線を追ってみたが空間には何もなかった。
(村上春樹「羊をめぐる冒険(下)」 講談社文庫 100p)
ハロルド.C.ショーンバーグは、スクリャービンについて以下のように書いている。
スクリャービンの作曲スタイルは、1898年を境として変わる。『ピアノ・ソナタ第3番』は、音構成よりも色彩の点描に重点を置く傾向を示している。輪郭はあいまいで、内容も秘密めいた響きを持ち始める。スクリャービンはこの作品を Etats d'Ame(霊魂の状態)と呼んだ。これは彼の音楽における、というよりも、あらゆる音楽における決定的断絶だった。
1903年の『交響曲第3番』と『ソナタ第4番』でスクリャービンは、作曲上のあらゆる約束事を無視し始める。3度の代わりに4度を積み重ねた和音の実験を始め、彼の作品、特にピアノ曲は信じ難いほど困難かつ複雑になった。「神秘の和音」(ハ、嬰へ、変ロ、ホ、イ、ニ)を創り出し、これを基盤として全作曲を行った。
「私の『第10ソナタ』は昆虫のソナタである。昆虫は太陽から生まれる……太陽の接吻である……物事をこのように観察するとき、世界観はなんと見事に統一されることか」
(以上、ハロルド.C.ショーンバーグ:亀井旭・玉木裕 共訳「大作曲家の生涯」 共同通信社)
スクリャービンの交響曲第3番についてはここで取り上げているが、今日は彼のピアノ・ソナタ。
アシュケナージによる全10曲のCDである。
宙に何か見えました?
覚悟して順に聴いていくと、ドイツ後期ロマン主義とフランス印象主義の両方を併せ持ったような初期のソナタから、独特の響きと聴き手に偏頭痛を起こさせそうなまともさから距離がある神秘主義時代のソナタへの変遷がよくわかる。
進むにつれ、あなたも中年の女性のように何もない空間をじっと見つめざるを得なくなる可能性は大だ。
各曲については次のとおり(なお、〈 〉内はアシュケナージの録音年)。
・ 第1番ヘ短調Op.6(1892) 〈1984〉
4楽章構成。ショパンの影響が強い。終楽章が葬送行進曲なのが特徴。
・ 第2番嬰ト短調Op.19「幻想ソナタ(Sonata fantasy)(1892-97) 〈1977〉
2楽章構成。10曲のソナタの中でもとりわけ美しい。
(ドビュッシー+ショパン)÷2のような味わい。
・ 第3番嬰へ短調Op.23(1897-98) 〈1972〉
4楽章構成。ショパンの影響から脱却しつつある作風。
作曲者は第2楽章を「束の間の幻影をとらえようとした」と述べている。
・ 第4番嬰へ長調Op.30(1903) 〈1972〉
2楽章構成。スクリャービンの個性がはっきりとしてきた作品。
神秘和音の萌芽が現れている。
・ 第5番Op.53(1903) 〈1972〉
単一楽章。調性記号は記されているものの嬰へ長調の開始後自由に扱われ終結は変ホ長調。
調性から脱却し機能和声は崩壊。自己の語法を確立した作品。以降のソナタは単一楽章となる。
1908年に自費出版した楽譜の冒頭に、スクリャービンは「お前を生へと招こう。おお、神秘の力
よ……」と記した。
・ 第6番Op.62(1911) 〈1982〉
単一楽章。調性記号はなく、スクリャービンはこの曲を「悪夢のような、うす汚れた」と形容した。
・ 第7番Op.64「白ミサ(Messe blanche)」(1911) 〈1977〉
単一楽章。神秘主義の世界への没入の極致を示している。
タイトルは「汚れのない、神聖な」の意味で、作曲者自身がつけた。
・ 第8番Op.66(1913) 〈1983〉
単一楽章。やや冗長な印象の作品。
・ 第9番Op.68「黒ミサ(Messe noire)」(1913) 〈1972〉
単一楽章。「白ミサ」と並ぶ傑作とされる。
加速して高揚していく様が悪魔的だとして友人が「黒ミサ」と名づけた。
・ 第10番Op.70(1913) 〈1977〉
単一楽章。序奏のメロディーが最後に再び現れ静かに終わるところが何か示唆的。
昆虫のソナタ?太陽の接吻?世界観の見事な統一ねぇ……わかんねぁなぁ。
レーベルはデッカ。
このCD、「ルビジウム・クロック・カッティングによるハイ・クオリティ・サウンド」というのも売り。
なんかカッコいい。ハイテクノロジーの神秘的世界を感じさせる。
えっ?白子さんと黒子さんって知らない?
では、ロゼットの公式サイトをご覧あれ。
なお、私には美沙という名の知り合いは1人もいない。
けさの私の頭の中はスクリャービン的です。二日酔いで。