もう閉鎖します、だって春だから
ほうら、あほらぁ~と毎日を漫然と過ごしているうちにーいや、あなたのことではなく、もちろん私のことだー2月も最終日だ。かわいそうに、ロッシーニは2月29日生まれだから、今年は誕生日なし。
江別市内の雪堆積場(雪捨て場)も来週の金曜日、3月7日に完全閉鎖だそうだ。
なんだか、春がやってくるのがいよいよ現実味を帯びてきた。
私の部屋ー厳密には長男の部屋ーに置いてある柱サボテンの(おそらくその名は)アズレウスが新たな芽(枝)を出してくれて、その色合いが新緑の季節を思い起こさせる(生長すると灰色がかった青緑色=青磁色になる)。なんてったって、その姿がかわいい!
上のリンク先の記事のときに、すでに新たな芽(枝)を出していた(おそらくその名は)白雲閣のいまの姿がこれ。この芽吹いている陵(縦にとおったひだ)の時計回りで2つ目の陵の地際からもあらたな芽が出てきている。
ほかのサボちゃんたちも元気。
この金手毬は伸びすぎて、理容室に行く前の私の髪の毛のようだ。
この2つは名前知らず。
ということで、札幌駅立売商会の『非駅弁』の「今月のおすすめ弁当(如月)」が買えるのも今日が最終日。明日からは「弥生」だ。
そして、来月いよいよ年金の請求手続きをしに年金事務所に行って来る。予約はすでにした。
♪ 今日の一曲 ♪
ロッシーニ(Gioacchino Rossini 1792-1868 イタリア)の「弦楽のためのソナタ(6つの四重奏のソナタ。6 Sonate a quattro)」(1804)。
各曲とも3楽章から成り、編成は2vn,va,cb。
ところで、ロッシーニは『イタリア初期ロマン派歌劇の最大の作曲家』(井上和男編「クラシック音楽作品名辞典:三省堂)なわけだが、H.C.ショーンバークはこう書いている(「大作曲家の生涯(中)」亀井旭/玉木裕 共訳:共同通信社)。
……『ウィリアム・テル』のようなオペラでさえ、基本的には古典的で、優雅なメロディーと、明快で慎しいオーケストレーション、全音階的和声とを特徴としている。1830年にはロマン主義は強固な基盤を確立しており、ロッシーニは反ロマン主義者だった。彼はロマン派の音の大きさ、“突飛さ”、それに“気取り”を嫌った。とりわけ、その歌唱様式が大嫌いだった。テノールに高音を歌わせることが当時流行した。ロッシーニはロマン派のやることなすこと、すべてが気に入らなかった。高音の「嬰ハ」で聴衆に多大な感銘を与えていたエンリコ・タンベルリク(Enrico Tamberlik イタリアのテノール歌手 1820-89)が、ロッシーニを訪ねた時、彼は取り次ぎの者にこう命じた。
「よろしい。お通ししなさい。ただし嬰ハ音はコート掛けにかけてくるように。お帰りの時、持ち帰って頂くようにね」
ロッシーニ(Gioacchino Rossini 1792-1868 イタリア)の「弦楽のためのソナタ(6つの四重奏のソナタ。6 Sonate a quattro)」(1804)。
各曲とも3楽章から成り、編成は2vn,va,cb。
ところで、ロッシーニは『イタリア初期ロマン派歌劇の最大の作曲家』(井上和男編「クラシック音楽作品名辞典:三省堂)なわけだが、H.C.ショーンバークはこう書いている(「大作曲家の生涯(中)」亀井旭/玉木裕 共訳:共同通信社)。
……『ウィリアム・テル』のようなオペラでさえ、基本的には古典的で、優雅なメロディーと、明快で慎しいオーケストレーション、全音階的和声とを特徴としている。1830年にはロマン主義は強固な基盤を確立しており、ロッシーニは反ロマン主義者だった。彼はロマン派の音の大きさ、“突飛さ”、それに“気取り”を嫌った。とりわけ、その歌唱様式が大嫌いだった。テノールに高音を歌わせることが当時流行した。ロッシーニはロマン派のやることなすこと、すべてが気に入らなかった。高音の「嬰ハ」で聴衆に多大な感銘を与えていたエンリコ・タンベルリク(Enrico Tamberlik イタリアのテノール歌手 1820-89)が、ロッシーニを訪ねた時、彼は取り次ぎの者にこう命じた。
「よろしい。お通ししなさい。ただし嬰ハ音はコート掛けにかけてくるように。お帰りの時、持ち帰って頂くようにね」
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