新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2021/04

伊福部昭のなかの歴史~1985年の道新記事⑦♪交響譚詩

  黄ばんだ紙面⑦
 第6話の次は第7話である。十進法ですもの。4月4日に掲載。

19850404DoshinYukan

 伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の交響譚詩(BALLATA SINFONICA。1943)は、私が最初に『きちんと』聴いた伊福部作品。1982年にNHK-FMをエアチェックしたのだが、演奏は外山雄三/NHK交響楽団だった。演奏会のライヴ録音だったのだろうか?

 もちろん伊福部作品にはもっとむかしから漠然と心惹かれていた。それは「キングコング対ゴジラ」などの特撮映画の音楽によってだが、作曲者が誰であるかは知らなかった。
 また、伊福部昭という人が作曲したと認識したうえで「交響譚詩」より9年も前の1973年に郢曲「鬢多々良」をTVで観て(聴いて)いる。しかし、このときの音楽はまったく記憶に残っていない。

Ifukube201108 ということで1982年6月に「伊福部デビュー」した私だが、それほど惹かれたわけではなかったし、あの怪獣映画の魅力的な音楽と同じ作曲者だとも気づいていなかったと思う。
 だが、その半年後「ラウダ・コンチェルタータ」によって、私の音楽人生から伊福部音楽を除くことは不可能になってしまったのだった。






サバサバしちゃった日♪レスピーギ/ミクソリディア旋法の協奏曲

20210413Aosa  あれからもう40年経ったのね
 多くの人にとっておそらく最も好きでない曜日ではないかと思われるのは月曜日だ。

 本日はその月曜日である。加えて仏滅でもある。

 私としてもみなさんの悲しみに深く共感するとともに、明日の大安を心のよりどころにして、みなさんとともに力を合わせて今日一日を明るく元気に過ごす所存である。

 そんなことはともかく、先週の金曜日の昼は「おふくろの味弁当」にした。
 なんというか、朝からサバの気分だったからだ。それも塩サバではなく西京だ。

 ご存じのように、この弁当にはサバの西京焼き(風)のおかずが入っている。
 そして、この日は免疫力アップの一助になるようにと、セブンイレブン謹製の「あおさ」のカップみそ汁をお弁当のお供にした。みそ汁を飲むと(それも海藻やなめこの)体に良いことをしたような気分になるのは、私がニッポン人だからだろうか?

 でも、考えてみればご自宅で『あおさ』のみそ汁なんて食べたことがない。『ふのり』や『とろろ昆布』はあってもだ。
 ふつうにスーパーに売っているものなのだろうか?
 気にしたこともないから、まったくわからない。
 『のり』のなかでもメジャーなような特殊なような、不思議な位置づけの食べ物だ。それは私だけの話だろうか?まっ、コンビニのPBのみそ汁に使われるくらいだから、マイナーなわけはないか……。

 それはともかく、この日帰宅すると、夕食のメインはサバの塩焼きだった。
 朝はサバな気分だった私だが、1日のうちで『サバサバ』したかったわけでは全然ない。
 なので、ちょっぴり悲しい食卓になった。

 世の中ではあまり聴かれることもない決してメジャーとは言えない作品でも、ふとしたきっかけで、あるいは相性の良さで、自分のツボにはまってしまう曲というのがある。

RespigiMisoridio レスピーギ(Ottorino Respighi 1879-1936 イタリア)の「ミクソリディア旋法の協奏曲(Concerto in modo misolidio gregoriano)」(1925)もその一つだ。

 私が初めてこの曲を耳にしたのは、1981年11月21日にNHK-FMで放送された「青少年コンサート」で、ピアノ独奏は木村かをり、岩城宏之指揮の大阪フィルだった。
 1981年だって。この年の春、私は2年間の高校マスター課程を修了し(二浪ともいう)、大学に入学したのだった。遠い昔のことだ。

 私が聴いている写真のCDは事実上廃盤。



むかしの札響公演パンフを画像データ化してご紹介♪第157回定期演奏会

 ※ このシリーズを始めたきっかけについてはこちらをお読みください。

  タコはがまんしたのに……
 1975年11月の第154回定期のあと、12月に「第9」の演奏会には行ったが、定期演奏会で次に臨んだのは2月の第157回である。

 12月の定期では大好きなショスタコーヴィチの交響曲第5番が取り上げられているのに、それにも行かなかった。
 なぜか?
 高校受験を控えていたからである。
 受験生がちょろちょろしてはいけないのである(と、いま思えば「それで受験に影響が出るようなら最初からダメだろうに」ってもんだ)。

 なので、12月と1月は自粛したのである。
 そして2月の定期演奏会は行った。

 不思議だ。
 何がって?

 だって北海道の公立高校の入試は3月の頭に行われたはずだからだ。
 12月と1月はがまんしたのに、入試直前の2月には北海道厚生年金会館までお出かけするなんて、自分のことながら、どういう基準でそういう行動に出たのか、いまとなってはさっぱりわからない。

 さて、この日の演奏会は札響にとっても私にとっても初の「ハロルド」だった。また私にとっては「牧神」も「海」も生で聴くのは初めてだった。

 プログラムに掲載されているのとは異なり、当日は最初に「ハロルド」が、休憩をはさんだ後半に「牧神」と「海」が演奏された。

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 「ハロルド」終楽章の2人の奏者によるタンバリンに萌えた私。
 「牧神」のアンティークシンバルの透明な響きに心洗われた私。

 なおその後、幸い志望校には合格でき、パンフの13ページに広告が載っているロンバール指揮の「ハロルド」のLPを合格祝いの一環として親に買ってもらったのであった。

 にしても、フォルテシッシモはどうなるのだろう(16ページ)。

DebussyRavelBoulez ドビュッシー(Claude-Achille Debussy 1862-1918 フランス)の「牧神の午後への前奏曲(Prelude a l'apres-midi d'un faune)」(1892-94)。




 




氷山さんからのメール、masaさんからはメッセ♪レスピーギ/ローマの噴水

20210415PL1  「組み立て名人」をめざす!
 先週の木曜日の、私の悩みというかボヤキの記事に、さっそく氷山さんが共感と激励のメールを送ってくれた。

 氷山さんもブログを運営しているのだが、私のこの思いはよくわかるという。
 彼もアップする画像はまだたくさんあるものの、帰宅してからもパソコンの画面を見るのが嫌になりつつあり、またコロナで趣味の写真撮影もはかどらなず、モチベーションが下がっているそうだ。
 しかしそのメールには、『知り合いに言わせると、ブログはのんびりマイペースでも、好きなことについて文章を考えたりするキッカケが、組み立ての思考や気分転換など頭の活性化に良いということでした』とも書かれていた。

 私の場合とは事情が少し異なるものの、やはりブロガーのモチベーションの低下は世の中の変化にも関係しているようだ(ということにしておこう)。
 しかし、頭の活性化に良いのなら、ここでやめるのは得策ではないのだろう。
 『ブログは頭のにんにく卵黄!』って、よくワケがわからない標語を掲げて、続けていこう。

 また、この日の記事には masa さんも反応し、メッセージを寄せてくれた。
 それは、『う~ん 今日のはもっともなお話でした。それじゃ変わらぬご支援してあげます』というものであり、否定も肯定もしていない。
 ただ、今後もご支援してあげますってことは、早く店じまいした方がいいよ!ってことではないようだ。ってことですよね? Mr.masa(って、『今日のは』ってことは、ふだんはもっともな話じゃないってこと?)。

  逆噴射や「オエッ」をなんとかがまん
 そんなわけで、先週の木曜日は久しぶりに歯科医院に行った。

 入れ歯の調子も良く、ほとんど調整のし直しは無し。そしてまた、衛生士さんによる歯ぐきのクリーニングも、ときおり唾液が喉の奥の方にたまりすぎオエッとなりかけたものの、なんとか耐え抜いてローマの噴水状態になることなく終了。

 社に戻る前に、回り道兼寄り道で ESTA の地下に寄り、以前2度ほど利用したことのある「キッチンステージ」で、「デミグラスソースのハンバーグ弁当」を購入。
 初めて買った弁当だが、ハンバーグは共通(だと思う)。

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 2段重ねの下のご飯を見ると、ありゃ少ない……

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 ところが食べ終わってみると、おかずがおかずだけに、これでも十分に満腹になった。
 どのおかずもおいしく(ただしポテサラはハーフカットのミニトマトの汁で水っぽくなっていた)、そしてまた、エビフライもきちんとしたもの(中のエビが貧相ではなく、ちゃんとエビの味と食感がある)。
 さりげなく入っているイカリングに、これまたうれしい思いをさせられた。

RespighiRomaSinopoli レスピーギ(Ottorino Respighi 1879-1936 イタリア)の交響詩「ローマの噴水(Fontane di Roma)」(1914-16)。








言いわけしたんだから実行に移さねば……♪シューマン/Op.59-4

 昨日の言いわけに基づき、舌の根も乾かぬうちにではあるが、本日は「意義ある静養」取得のためお休みさせていただくことにする。

 なお、左の写真と当記事とは一切関係ない。おいしかったが……

SchumannOp.59_4










残された時間の有意義な使い方は?♪ドヴォルザーク/序曲「謝肉祭」

IMGP2086  やめる気はありませぬが……
 いまに始まったことじゃないが、このブログもけっこう前からマンネリ状態にあることを自負している。

 ネタはあるのだが、どのネタにも新鮮味が感じられない。体調が思わしくない人が読んだら腹痛を起こしかねないほどだ(写真は本文とは何の関係もありません)。

 私の生活パターン(仕事内容)が激変し、出張先での話など、心温まる(?)エピソードがほぼなくなったことで、ブログの内容も単調で短調的になる傾向がある。

 クラシック音楽ブログではあるが、もう自分の紹介したい曲は紹介しつくした。しつくしたあげく、何回も何十回も使いまわしされている曲も多々ある。

 キーのミスタッチも20歳~40歳のころに比べると、増えた気がする。若いころに比べ指が太くなったわけじゃないのに不思議だ。

 これを読んでいる人にとって、このブログの内容は脱力的な疲れを感じることも多いだろうが、何を隠そうこれを書いている人はもっと疲れている。というのも、ブログを始めたころから14歳も老いたわけで、千代の富士のように「体力の限界、気力もなくなり」とまでは追い詰められてはいないものの、物理的精神的に作業がはかどらなくなっているのは事実である。

 さらに-これが最大の悩みどころなのだが-この年になって残り少なくなった人生の時間をブログ更新にいままでと同じように割いていていいのだろうか?という疑問を感じるようになった。って、いまさらながらにそんなことに気づくなんて愚かすぎるか……

 全世界に向けて文章を書くよりも(全世界の人口のうち読んでくれている人は0.025ppmくらいである)、自宅の物置前に敷いているレンガの凸凹を直したり、芝生で芝以上に面積を占めている雑草を抜いたり、積極果敢に風呂掃除をしたりしたほうが、役に立っていると思われる人生になるのではないかと感じたりするのである。それに、このままじゃ死ぬまでにCDのリッピング作業が終わらないかもしれないではないか!

 とはいえ、じゃあいっそのことブログをやめちゃおうかっていうと、そこは健康のために悩ましいところだ。
 ブログを書くことで、少しはボケ防止に寄与しているような気がしないでもないのだ。一方的ながらも世間とのつながりももてる。それに対し、レンガを持ち上げたり長時間の雑草抜きは腰を痛めるリスクがある。

 でも、文章を書くことがボケ防止になるということが単なる幻想にすぎないとわかったときにはこのブログを閉鎖し、「続・読後充実度 84ppm の話」に移行しよう(←冗談です)。

EliskaFarewell ってなことで、ときおり休んだとしても、それは手抜きではなく意義ある静養だとご理解いただいたうえで、みなさまにおかれましては変わらぬご支援を私にしなさい。

 ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904 チェコ)の「自然と人生と愛(Priroda, zivot a laska)」から、第2曲の序曲「謝肉祭(Karneval)」Op.92,B.169を、エリシュカ/札響の名演で。






足の下には意味ありげな刻印が?黛敏郎/彫刻の音楽

20210401EbetsuSTA1  記念碑?
 朝、私は江別駅の2番ホームの札幌寄りの場所に立っている。いや、だから、出勤するために電車を待っているときのことである。

 向かいには3番ホームがある。その3番ホームを支えている鉄骨のうち、私が立っている正面近くのものに、同じ鉄の素材のプレートがあり、そこに文字が刻まれているっぽいことに、先日気が付いた。

 スマホで写真を撮ってみると、やはり明らかに何かが書かれている。
 しかし、何が書かれているのかわからない。拡大してもぼやけるだけだ。一眼レフに望遠レンズをつけて写すと読み取れるだろうか?が、出勤時にそんなものを持って行くほどの意気込みは私にはない。

20210401EbetsuSTA3 何が書かれているのかこの目で確かめるには、ホームから線路に下りて見るしかないが、そのような行為は社会的大問題に発展しかねないので、良識派の私にはとてもできない。

 だとすると、ホーム下の鉄骨事情に詳しい人からの情報を待つしかない。
 そのようなレアな人がいたら、ぜひとも情報をお寄せいただきたい。

 このところすっかり日が長くなった。
 仕事を終えて帰りの電車に乗り、江別駅に降り立ってもまだ明るい。
 先日、電車を降り3番ホームを改札に向かってチンタラ歩いていて、ふと2番ホームのほうを見ると、なんと3番ホーム下の刻印のちょうど向かいあたりに、やはり何かが書かれている同じようなプレート状のものがあった。2番ホームの下にも暗号が隠されていたのだ。

 果たして何が書かれているのか、謎はダブルになってしまった。

Tonepleromas 黛敏郎(Mayuzumi,Toshiro 1929-97 神奈川)の吹奏楽曲、「彫刻の音楽(Music with Sculpture)」(1961)を。……といっても音源の入手は困難な状況である。









夢の素材はジョイフルにあった♪ニールセンのピアノ小品

20190226CTS1   現実が歪んで再現される……
 タイトルの「夢」は、『将来の夢』とかの『夢』ではなく、眠っている最中にみる『夢』のことである。

 日曜日に江別は大麻(おおあさ)にあるジョイフルエーケーに行って来た。
 主な目的は、妻が突っ張り棒を購入するためだったが、なぜか私はそこで粒コショーのミルを買った。さらに、将来の夢である『物置の建て替え』のために、展示してある物置群を見てみた。見てみたがいろいろ見ているうちにワケがわかんなくなり、どうでもいい気分になった。
 それにしても多くの人が物置を吟味していた。こんなに物置を建てようと思っている人が大麻に集結しているとは予想外だった。

20170624c それはそうと、月曜日の朝がたの睡眠中に猛烈かつ急激な便意をもよおした。

 夢の中においてである。

 夢である証拠に、私の目の前にはいきなり新千歳空港のトイレが出現し、「助かった」とばかりに駆け込んだ。
 ところが足を踏み入れると、そこは空港のトイレとは程遠い、昭和40年代の公衆便所のような古く汚く薄暗く狭く臭い便所だった。

 べニア板のようなドアがついた個室が2つあり、手前の個室に入ると、そこには大便器ではなく小便器しかなかった。
 「あぶねぇあぶねぇ、ここじゃできない」と、隣の個室のドアを開けた。
 するとそこには衛生的とは言えない和式の便器があった。
 和式便所は苦手である。苦手であるがこの際やむを得ない。
 と、しゃがみこんだところで目が覚めた。
 このハチャメチャさが夢ではなく現実ならば、私はこの世に絶望せざるを得ないだろう。

 そしてみなさま、ご安心ください。子どもがおねしょしてしまうような、夢と現実の融合は今回ありませんでしたから。

 で、なんでこんな夢を見たのか、私は考えた。
 そしてわかった。

 前日にジョイフルエーケーに行ったとき、和式便器が売られているのを目にしたからだ。
 妻が「いまでも和式の便器にする家があるのかなぁ」と言っていたので、その言葉によって、より強く私の脳に強く刷り込まれたのだ。考えようによっては私は『感受性が高い人』なのかもしれない。

NielsenSet ではニールセン(Carl August Nielsen 1865-1931 デンマーク)の「『楽しいクリスマス』の夢(Drommen om "Glade Jul"/The Dream of "Silent Night")」FS.34(1905)を。
 2分ちょっとのピアノ小品である。






伊福部昭のなかの歴史~1985年の道新記事⑥♪土俗的三連画

  黄ばんだ紙面⑥
 第5話の次は、まったくもって当然のことだが、第6話である。

19850403DoshinYukan

 そして、ほんとだ、伊福部さんの名が

IfukubeRIN では、伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の土俗的三連画(Triptyque aborigene.1937)を、高関/札響の演奏で。








ゼロだったのがこの日はクァルテットに♪ボロディン/中央アジアの草原にて

20210409Ginzake  でもこんなにあるとつまらない気がするのはなぜ?
 この記事を投稿した3時間10分後、札幌駅でいつものように Kiosk をのぞくと、なんとこの日は「銀鮭弁当」が4つも棚にあった。

 私が「仕入れを増やしてくれないかなぁ」と嘆いたことが反映されたのか?

 いや、3時間ほどの間にそんな風に世の中が動くとは考えられない。

 なので、

 ① 最近売れ行きが良いので試しに多めに発注してみた
 ② いつもこの数を仕入れているが、この日はたまたま売れるスピードが鈍っていた

のどちらかだろう。

  いまさらながら元の状態に
 それはともかく、昨日は今年初めての土いじりをした。つまりガーデニングである。

 狭い庭にもかかわらず、植えるバラの品種を増やしたいと、10年ほど前にこれまた狭い芝生の何カ所かの芝をはがしバラを植えた私。

20210410Garden1

 ところがこれが妻にひどく不評だった。私も内心、これは見た目が悪いなとは思った。
 それに、シーズン真っ盛りでバラの枝が繁ってくると作業もしづらい。

 ということで、この間に枯死したバラや庭木もあり、少しはスペースに余裕ができたので、バラ苗を移植して、芝を復元することにしたのだ。

20210410Garden3

 もっとも、芝も作ってから20数年経ち、もとの芝であるケンタッキーブルーグラスはほとんど壊滅状態(私はタネをまいて芝生を作ったのだった)。いろんな雑草がミックスされた草原(くさはら)状態である。放っておいても、いま土が露わになっているところはそいつらの進出を受けてそのうち緑で覆われるはずだ。

 バラたちも新芽を膨らませ始めてきた。
 またクロッカスに続き、チオノドクサが咲き始めた。

20210410Garden4

20210410Garden2

 ボロディン(Alexander Borodin 1833-87 ロシア)の交響詩「中央アジアの草原にて(Dans les steppe de l'Asie centrale)」(1880)を(これまた私がひっどく好きな曲なのである)。

BorodinJarvi

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