新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

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2019/12

クリスマスの翌日は大みそか♪ブリテン/ジュビラーテ・デオ

20191230Entrance  30日でも『一夜』
 昨日、玄関に《お飾り》をつけた。

 なぜなら29日に飾ると“苦しみ”に通じるから避けた方がいいし、31日は『一夜飾り』になるので良くないと言われるからだ。

 じゃあ、なぜ『一夜飾り』はダメなのか?

 いくつかの説がある。

 たとえば、葬式も『一夜飾り』となり、それと同じになるから避けるべきだという説。
 あるいは、正月の神様(歳神様)をお迎えするにあたり、たった一晩しか飾らないのは失礼だという説がある。

 が、どうも私を説得するには決定打に欠ける。人間さまがテキトーにこじつけた感がひしひしと伝わって来るからだ。

 そんなときに、「なるほど!」と思わせる説に遭遇した。

  その家の事情を後任に引継ぐ
 それは、“新しい年の歳神様は31日の早朝にその家を訪れる”説である。つまり、31日の昼にちんたらとお飾りを飾っても、時すでに遅しってわけだ。
 まだ飾っていないそこのあなた!残念でした……

 でも、じゃあなんで31日の早朝に来るのか?元日の朝ではないのか?

 なんでも、今までの(今年の)歳神様は元日の午前零時に帰ってしまうという。
 新しい歳神様と交代する前に引継ぎが行なわれるが、そのために新しい歳神様は31日の早朝にやって来るんだそうだ。
 って、ここでいきなりビジネスっぽく《引継ぎ》なんて言われると「はぁ~っ?」って悪態もつきたくなるが、見た人もいないくせにそういうことになっているらしい。だが、そのとき(31日の早朝)に門松とか松飾りがないと、「この家は私を迎える気がない」と、大人げなくプイプイしちゃって帰っちゃうのだ(この1年いままで居た歳神様は後任が来ないまま寂しく帰るってことになる)。
 ということで、『一夜飾り』はダメってわけなのだ。

 が、ここで困った問題が。
 30日に飾ったわが家には、すでに先ほどあたりに後任の歳神様がやって来られて、真剣に引継ぎ中。と思いたいところだが、旧暦では30日が大晦日。だから30日に飾っても、やっぱり『一夜飾り』って話もある。

 こうなると、28日以前に飾るべきという早割みたいな話になって来る。

 はいはい。
 誰も神様とお話ししたこともないのだから、神様を讃える気持ちさえあれば一夜でも29日でもよいってことにしませんか?(賛同を求む)
 そこのあなた!今日でも遅くないですよ(って、今日もまだお店ではお飾りを売ってるわけだし)。

BrittenChoralEditionBox ブリテン(Benjamin Britten 1913-76 イギリス)の「神をたたえよ(Jubilate Deo)」(1961)。
 合唱とオルガンのための作品である。

 スパイサー/フィンジ・シンガーズの演奏で。

 1996年録音。シャンドス。

  こちらでは新年の新作入荷!
 ところで今日のタイトルを見たあなたは、私がついぞ致命的に調子が悪くなったと思ったかもしれない。
 でもそうではないのだ。

 昨日、こんなメールが届いたのだ。

20191230Spam

 まったくもって、アホなミサコである。

 では、広大な読者のみなさん、今年もありがとうございました!良い年をお迎えください!

しびれ、つり、崩落……今年の文字は「病」♪ブルックナー/Sym9

20191229Busstop  悪い刺激の日々
 今年もいろいろなことがあった。

 年ごとに刺激的がこと-それはほとんどの場合良いものではなく悪いものだ-が増えているように思うのだが、それに溺れずに済んでいるのは、起こったことを忘れることも増えているからだ。

 日記を書かない私だが、このブログを書いてなかったら、この1年に起こったことのほとんどを忘れてしまうに違いない。このブログを書いていても忘れているくらいだから(こっぱずかしくて読み返せない)。

 この年の私の重大ニュースは、まずは夏前に左上の奥歯の根が抜け、それを受け初めて治安の悪い大阪の地で初めて歯科医院にかかることになり、抜歯したことだ。そして左にならえとばかり、秋には右上の奥歯も脱落した。残骸のように残っている犬歯の横の根も同じ歯科医院で抜いた。詳しくは「歯」で検索である(YAHOO!で検索しても私の「抜歯への道」はヒットしない。必ず私のブログの右サイドから検索することが成功の秘訣である)。

 次のニュースは、妙に左の足がつりそうになると思ったら、医者が何らかの理由で提案し変更した薬の副作用のせいだったという、重大な医療ミスにつながりかねない事故に遭遇したことである。このあたりの話は「中性脂肪」で検索するとよい。もちろんググっては面白い話にヒットしない。私の涙と笑いのストーリーを知りたいなら、私のブログの右サイドバーからムムることだ。

 3つ目のニュースは、5月に左足の甲がしびれたことだ。腓骨神経障害ということで11月まで薬を飲んでいたが、効いてるんだか効いてないんだかわからないので、そちらの病院に行くのはやめた。で、その後だが、まだしびれは残っているがだいぶ症状はやわらいだ。要は、薬よりも時間である。問題は、ちょっと良くなってきたら(障害=神経圧迫の原因と思われる)脚組みを、ついついまたしてしまいそうになることだ。なお、この件については「腓骨神経障害」とか「足の甲」なんかでムムってほしい。ムムる以外の検索だと紋甲イカとかの情報しか得られない恐れがある。

  「テ・デウム」は聴かず(つまり「合唱付かず」)
 年末なので昨日は『第九』を聴いた。
 でもあまのじゃくな私は、ベートーヴェンのじゃなくて、ブルックナー。USBメモリに詰めてきたflacファイルを、自宅のリビングのミニコンポでかけたのだった。

BrucknerBoxJochum ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第9番ニ短調WAB.109(1891-96)は、3楽章までが1894年に完成。その後、完成されないまま作曲者が没してしまった(第4楽章はスケッチのみ)。

 ここに書いたように、ブルックナーはこの曲の終楽章が完成されなかった場合、代わりに自作の「テ・デウム」を演奏しても良いと言ったとか……

 ヨッフム/シュターツカペレ・ドレスデンの演奏を。
 1891-96年オレル版によるノヴァーク版。

 1978年録音。ワーナー。


 ってことで、病気に関するニュースばかりだ。
 えっ?10になってないって?私は“十大ニュース”ではなく“重大ニュース”と書いたはずだ。

 なお、今日からウチの辺りには5日間にわたってジェーアーール北海道バスはやって来ない(夕鉄バスは1日2本ほど来る)。

三浦綾子が描く《妙なる家族のひずみ》♪ベルリオーズ/レクイエム

Miura_Zanzou2  何もカイゼンされないままに……
 三浦綾子の「残像」を、前回の出張の際に機内で読み終えた。

 最後の行に到達したときの感想は「えっ、これで終わり?」というもの。濃霧の手稲山山頂に置いてきぼりにされたようなものだ。

 あらゆることが解決されぬまま終わる。いや、どいつもこいつも(あの家もこの家も)世も末状態で、救済なんてしませんよっていうことなのだろう。ディエス・イレやトゥバ・ミルムで歌われる情景を思わせる。

 にしても、弘子たちが“磯部きしめん”なるシャレオツなランチを食べたのはどこかと、その痕跡を探るべく、私はわざわざ現地(中村屋旅館と札幌グランドホテル)まで足を運んでみたほどなのにやれやれである。

 この小説に出てくる人物でいちばんまともに見える主人公の真木弘子も、近くにいたらややこしそうだ。西井市次郎だっておかしい。西井修は「続・氷点」の三井達也と同一人格だ。

 三浦綾子の小説は読んでいてイライラする(その登場人物のおかしさに)。
 けど、おもしろいのである。別な作品も読みたくなるのである。
 困ったものだ(いえ、うれしい悲鳴です)。

 ベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-69 フランス)のレクイエムOp.5,H.75(1837)。

 作品についてはあの記事この記事をご参考にしていただきたいが、次の10の楽章からなる。

  1 レクイエム - キリエ(入祭唱 - 主よ、憐みたまえ))
  2 ディエス・イレ - トゥバ・ミルム(怒りの日 - 妙なるラッパの響き))
  3 クィド・スム・ミセル(そのとき憐れなるわれ)
  4 レックス・トレメンデ(おそるべき御稜威(みいつ)の王よ)
  5 クェレンス・メ(われをさがし求め)
  6 ラクリモサ(涙の日)
  7 オッフェルトリウム(奉献唱)
  8 オスティアス(賛美のいけにえ)
  9 サンクトゥス(聖なるかな)
 10 アニュス・デイ(神の子羊)

BerliozRequiem 録音は古いが、自分が知っている範囲内ではこの曲の最良の演奏と思っている、C.デイヴィス/ロンドン交響楽団、同合唱団、ウォンズ・ワース・スクール少年合唱団による演奏を。テノール独唱はダウド(この曲で独唱が登場するのは第9楽章のみである)。

 1969年録音。フィリップス。

 


 ※参考~ウィキペディアの「レクイエム」のページに載っている「ディエス・イレ」と「トゥバ・ミルム」の歌詞。

Dies irae

Tubamirum

年賀状のことが気になって寝つけなかった日曜日♪西村/ケチャ

MiuraAyako_AinoKisai   けっこう負担になる年賀状書き
 セコマはホットシェフの大盛の豚丼弁当を、ごはんをちょっと残して食べ終えたあと、私は昼寝の体勢に入った。が、寝つけなかった。なぜなら、心に引っかかることがあったのだ。

 カーナビがヒートアップしたこと?
 それもある。

 が、それ以上に気になっていたのが年賀状の作成である。
 テレビのCMでは元日に配達して欲しけりゃ25日までに出せと脅し文句を放っている。
 はがきを買っていただいているお客様への言葉とは思えないものだ。

 で、私には今日のこの日しか時間がない。
 作成といっても、表面も裏面も印刷はできている。
 あとは手書きでひとことメッセージを添えるだけだ。

 で、取り組んだ。

 もっと時間がかかるかと思ったが、1時間もかからないですんだ。
 考えてみりゃ、70枚ぐらいだからそんなものだろう。
 でも、どうしても何を書いていいのか思いつかない相手が2人いた。
 すまないが、そのまま出すことにした。

  だってカレールーに油が浮いてたんですもの
 翌日は新千歳空港で「ちとせラーメン」のしょうゆラーメンを食べてから大阪に戻ったことは、すでに報告したとおりである

 今日は午後の便で新千歳に飛ぶ。年末年始のお休みでの帰省である。

 今日から読む小説は、北海道民にはおなじみの(といっても今の若い人たちは知らない?)菓子店「ニシムラ」の創業者が主人公の、三浦綾子の「愛の鬼才」である。

NishimuraKetiak 西村は西村でも、今日は西村朗(Nishimura,Akira 1953-  大阪)の「ケチャ(Kecak)」(1979)。

 6人の打楽器奏者のための作品で、パーカッショングループ72の委嘱により作曲された。
 ここに書いたように、複雑なリズムが一糸乱れず繰り広げられる世界は、何度聴いても感嘆ものだ。

 パーカッショングループ72の演奏を。

 1988年録音。カメラータ。

20191224LAWSON_PL なお、大阪に戻った翌日の火曜日の昼ごはんはLAWSONの「タルタルチキン南蛮&鶏そぼろ弁当」で、店長さんはまあまあ元気だったし、弁当の鶏肉もタルタルの味も良かった。ただ、何が“南蛮”なのか不明のまま食べ終わってしまった。

 水曜日は外勤途中に、大阪駅の梅三小路にある居酒屋のランチメニューの「牛すじカレー」(¥800)。なかなかスパイシーだったが、その1時間後には胃がもたれた。

 木曜日の昼食は、京都の取引先に向かう車中で、デイリーヤマザキで買った『鮭ハラスおにぎり』(あまり時間がなかったのだ)。このおにぎり、ごはんの硬さや鮭の味がじつに良かった。デイリーヤマザキを利用することはめったにないが、レベルの高いおにぎりに出くわしてしまった。

 そして金曜日は支社の数名とそば屋へ行き、年越しそばを食べた(正確には海老三昧天丼&そばセットである)。
 このように私は日本の伝統を継承することに微力ながら貢献しているのである。

温泉街の老舗洋食屋は外人だらけ♪メンデルスゾーン/Sym4

  羊蹄山を望めるのかどうかは確認できず
 かつてないほどさらさらの血液になっていたことが判明した翌日、私は妻とともに妻の実家に行った。
 あっ、断っておくが「お義母さん、私の血は脂っぽさが減りました」という報告のためではない。正月に顔を出せないので、行くことにしたのである。

20191222Yuuraku

 いつものパターンだが、輪厚のスマートインターから高速道路に入り、伊達方向に向かう。
 樽前SAでいったん休憩。
 この日の樽前山である。

20191221Tarumae

 いつもは伊達で昼食を食べるのだが、調べてもその気になるような店がなく、妻が「昔から有名だ」という洞爺湖温泉街にある喫茶店風の洋食屋「望羊蹄」に行ってみた。

 着いたのは1時半過ぎ。たまたま待つことなく入れたが、そのあとも続々と客が来た(このあいだの「重亭」のパターンに似て、ラッキーだった)。

 けっこう古い建物で、店内は暗い。おそろいの深緑のエプロンをしたウェイトレスが何人もいる(店の大きさの割には多い)。そして、その接客はなかなか丁寧である。

20191221Boyotei2

 ざっと見渡した(耳をそばだてた)ところ、食べに来ている客は中国だか台湾だかわからないが、あちらから来た観光客が過半数を占めている感じだ。
 そもそも、店の前に出ているメニューがこれだもの……

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 料理は安くはない。サンドイッチ類は1,000円以下のものがあるが、スパゲティ・ミートソースやナポリタン、カレーライスで1,200円。スパゲティ・イタリアンが1,100円。って、イタリアンって何じゃろなっと思ったら、日本語での説明はないが、英語でニンニクと塩の味付けと書いてあった。

 妻はミックスサンド、私はカレーライスを注文。

20191221Boyotei1

 このカレーライスはおいしかった!ちょっとヘビーなので食べ過ぎると胸やけしそうな感じもしないではないが、味はすばらしかった。
 このところ、このカレー(ここのは望羊蹄のものと違ってライトでヘルシーさが伝わってくる。ただしライトでもコクがある)とかあのハヤシとか、けっこうヒット率が高くてうれしい。

MendelSym4Gardiner メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn[-Bartholdy] 1809-1847 ドイツ)の交響曲第4番イ長調Op.90イタリア(Italian)」(1833/37改訂,1851出版)

 ガーディナー/ウィーン・フィルの演奏を。
 このディスクには、ここでも書いたが、第2楽章から第4楽章の1833/34年改訂稿の演奏も収められている。

 1998年録音。グラモフォン。

  カーナビが熱中症に?
 ところで、翌日自宅に帰る途中、苫小牧東インターあたりを走行中に、車の中で流れていたFM放送が突然切れた。
 見ると、カーナビ(カロッツェリア)の画面が死んでいる。

 そのまま走行していると、カーナビは復活(FMはあらためて操作しないと入らない)。
 15分ぐらいすると“高温あるいは低温を検出したためシステムを一時停止します”というメッセージが出て、再び画面は闇。

 また15分ぐらいすると“復帰します”みたいなメッセージが出て、復活。

 自宅に着くまでこれが4,5回繰り返された。
 もちろん、こんな症状はこれまで出たことがない。だからカーナビの設置個所が不適切-エアコンの吹き出し口の近くなど-というようなことは、今さら当てはまらない。

20191222HotChefBurtadon ディーラーに聞いてみると「ファンが止まっているのかもしれない」とのこと。
 ただ、どっちにしろメーカーに出さなければならないらしい。それに、こうはなっても自分で切れるということは煙が出てくるとかの心配はないだろうということで、次の点検の時に合わせて見てもらう方向で考えることにした(ファンというよりも基板がいかれているような予感が私はしている)。

 だが、そのあとネットで調べるとメーカー(パイオニア)に出しても症状が再現できず修理不能とか、怪しいところの部品を交換したがまた症状が出たってことも少なからずあるらしい。
 修理代も高いようなので(取り外し、装着だけでもそれなりらしい)、どうしたものかと悩んでいる。

 で、セコマのホットシェフの豚丼を食べてあらためて思ったことがある。
 それは、おいしいのだが十勝の豚丼ならもう少したれに甘みがあるってことで、これもそうだったらいいのにと思った。それと、ごはんがやや硬め。この炊き加減、汁気のあるかつ丼にはちょうどいいのかもしれないけど……

ラーメン・ラマダンで自己ベスト大幅更新!♪JSB/マタイ受難曲

20191220DonkyReceipt  だって2次会ができないんですもの
 アルフレッドさんから電話がかかってきたのは、午後4時過ぎのことであった。
 昨日書いたように、この日は6時から彼らと食事をすることになっている。

 それがこの時間に電話とは、もしかして急遽中止か?
 携帯を持つ手に振動が走る。

 「はい」
 「もしもし、MUUSANですか?」
 「そうです。どもども」
 「いまどこですか」
 「道庁のそば」
 「これから本社とかと打合せですか?」
 「いや、それはもう済みました」
 「じゃあ、早めに飲み始めませんか?」
 「……」
 「いま外勤が終わり、もう会社に戻らないで、MUUSANの都合がよければ、姥向井さんが来る6時までの間0次会をしたいなぁと」
 「わかった。じゃあ、5時にAPIAのローソンの前で」

 私が4:55に待ち合わせ場所に着いたとき、アルフレッドさんはもうそこにいた。
 そして私たち2人はAPIAの「海へ」に行き、5時04分からビールを飲んだ。1次会で料理を食べるので、ここでは枝豆しか頼まなかった。

 アルフレッドさんが言うには、今日8時過ぎからの取引先との会合に急に顔を出さなくてはならなくなり、2次会に行けなくなった。だからこうして0次会をしたかった、ということだった。

 でも、私としては最初から2次会は考えてなかったんだけど……

  採血前の食事で大きく変動(するようだ)
 さて、翌日。

 私は会議の前に、前日採った血液の検査結果を聞きに病院へ。

 もう一度中性脂肪の薬のことを書くと、14年間飲み続けていた血中の中性脂肪の値を下げる薬が、いまさらながら「あまり効いてないようなので別な薬に替えましょう」と医者が宣言したのが8月上旬のことだった。別な薬とはフェノフィブラートである。

 その時点で、それまで飲んでいたベザフィブラートがまだ1か月分残っていたので、実際にフェノフィブラートを服用し始めたのは9月上旬からであった。

 10月末に病院に行き「変わりはないか?」と聞かれ、「どーも足がつりそうになる」と訴えたが、それで検査項目にプラスしたCK(筋肉の異常を調べる項目)の値が2799にも達していることが発覚(正常範囲は60~287)。

 それを見て、医者は再び宣言した。「この薬はあなたには合ってない!」。
 はいはい、それは私にだってわかりますです。
 センセのせいで、私は余計な受難を被ったのではないでしょうか?これが心筋だったらと思うとぞっとします。

 こうして中性脂肪の薬を1か月中止。
 服用中止のせいで中性脂肪は1194と自己ワースト更新となったが(気味の悪いことに、コレステロールは、HDL、LDLともに正常値より低くなっていた)、CKの値が正常値に戻った。そのため、薬も以前飲んでいたベザフィブラートで服用再開となったのだった。

20191220HospitalResult 今回が再開して1か月経った検査となる。

 CKは正常値を保っていて安堵。
 そして何よりも、中性脂肪の値が244と、過去最良の数値となっていた。

 これならベザフィブラートが効いてないとかどうとかの話ではない(フェノフィブラートを飲んでいた2か月間だって、筋肉がボロボロになったにもかかわらず中性脂肪の値は636だったのだ。なお正常範囲は50~149)。

 要するに、採血の前にラーメンを食べなかったこと何よりの薬だったってことだ(じゃあ前夜から食事をしていないドックの時でも高いのはなぜかっていう疑問は残る)。

 バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の「マタイ受難曲(Matthaus-Passion)」BWV.244(1728-29)。

BachMatthausHerreweghe ヘレヴェッヘ/コレギウム・ヴォカーレ他の演奏を。

 1998年録音。ハルモニア・ムンディ。

 ところでこの日の昼は(遅めに)、「びっくりドンキー」に行き『チーズバーグディッシュ』を食べた。

 ドンキーのディッシュ・メニューはコスパが非常に良いイメージがあったが、チーズバーグもいつの間にか844円にもなっていたのね……

三浦綾子「残像」の「中村屋」説、即時撤回!♪伊福部/ウポポ

20191219ITM_PL   朝昼兼で『抜き』に備える
 さて、今日は先週の木曜日の話である。
 大阪から新千歳に飛び、新千歳から札幌まで走った日である。いえ、ですから飛行機と電車が。

 すでに報告したように、この日は15時過ぎに定例の血液検査の採血が予定されていた。
 なので、13時半過ぎに新千歳空港に到着したあと、優雅に遅めの昼食として「ちとせラーメン」を食べるわけにはいかなかった。

 そのため、これまた搭乗前に食事をするのは私にとってはある種の賭けではあるが、大阪空港で空弁を買って、飛行機に乗る前に食べた。
 あの「日本の朝食」弁当である。

 あいかわらず、私はこの弁当を朝に食べたことがなくて、ちょっぴり申し訳なく思っている。けど、この日は朝昼兼である。10:30過ぎにこれを食べ、採血は15時。ってことは、食後4時間半の血液だ。なんだか良いことが起きそうな気がする。

  小説の舞台を探る
 結果が出るのは翌日なので、翌日の会議前にまた病院に来ることにして(ってあらかじめ予約してたんだけど)、本社に行きいくつかの部署で打合せ。

 その打合せも4時過ぎに終わり、6時からの会食-この日のメンバーはアルフレッド氏や姥向井さんたち-まで時間があったので、私は現地取材とばかり、三浦綾子になったつもりで「中村屋旅館」に行ってみた。

 小説「残像」が書かれたときに「中村屋旅館」がどのような状態だったかわからない。
 いま、「中村屋旅館」は「緑苑ビル」のなかにある。そして緑苑ビルの地下は飲食店街になっているが、このビルが「残像」執筆時にもう建っていたとは思えない。

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 だから弘子たちが行ったのは緑苑ビルの飲食店街ではなく(客を急募している店があったり、天井が空だったりするのよ)、旅館本体の食堂ではないかってことになる(小説では中華食堂と和食堂の2つがあるってことになっているし。旅館の“お食事”の看板も、ご覧のようにでている)。

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  私の推測は間違いだった
 というよりも、そんなことではないことらしい。
 現地に行って私は自分の間違いに気づいたのだ。

 弘子が勤める放送局がHBCだとしたら-これは間違いない-「中村屋旅館」までは400~500mの距離がある。小説に書かれている200mにはあてはまらないのだ。
 昭文社の『スーパーマップル』を載せておこう。

20191219Nakamuraya_Map

 ってことは、やっぱりグランドホテルに食事に行ったってことになる(あるいは、いまはないが他にもモデルになるホテルが当時はあった?)。
 自分で推察し、結論を出し、そのうえでやっぱりおかしいと否定するなんて、なんて私は暇人なのだろう。

 当時はグランドホテルの地下に食堂があったのだろうか?
 いまはホールしかない。

20191219GrandH1

 この写真はグランドホテルからHBC方向を写したもの。
 手前の建物がグランドホテルで、奥の看板が出ているビル(矢印)がHBCである。

20191219GrandH2

20191219HBC

 また、以前HBCの駐車場だった場所に、現在HBCの新社屋が建設中である。

20191219HBCnew

 そんなとき、携帯電話が鳴った。
 アルフレッド氏からだった。

Ifukube_Tri_PCCR90079a 今日も札響のこのアルバムを。

 伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)が作曲したHBCのコールサインが収録されている。

 2018年ライヴ録音。






ヘルシーについて(MUUSAN編)♪J.C.バッハ/オリオーネ

20191223CTSramen  今年の食べおさめ!
 またすぐに年末年始休暇で帰ってくるのだが、昨日の昼の便でいったん大阪に戻った。

 いくら有給休暇がたくさん残っているとはいえ、そのまま年明けまで戻らなかったら、今後の私の処遇に大きな影響が出そうな気がしたからだ。
 というか、自分自身がそんな大胆なことをするとソワソワしちゃって、つまりは絶対できるタマではないのだ。

 新千歳空港11:40発の便。
 今回、往路で新千歳空港に13:40に着いたときには《健康上の理由》からラーメンを食べることができなかった。
 そのリベンジのため、個人的にはわが身(おなか)のことを考慮した場合搭乗前の食事は推奨しないのだが、今年になって何回かトライして失敗-機上での急降下など-も起こしていないので、搭乗前に「ちとせラーメン」を食べた。
 本当はライスも食べたいところだが、食べ過ぎはおなかをこわす(下す)危険性が高い。そのため、そして中性脂肪だの自分の年齢だのヘルシーさも考えて、ライスの誘惑はあっさりと捨て去った。

BachHogwoodSet J.S.バッハの末っ子であるJ.C.バッハ(Johann Christian Bach 1735-82 ドイツ)の歌劇「オリオーネ,またはディアナの復讐(Orione, ossia Diana vendicata)」(1763初演。台本=G.G.ボッタレッリ)の序曲を。

 なんでもこのオペラ、初めてイギリスの歌劇の管弦楽にクラリネットを導入した作品なんだそうだ(J.C.バッハはロンドンで活躍したので《ロンドンのバッハ》と呼ばれた。このオペラもロンドンで初演された)。

 ホグウッド/アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックの演奏で。

 1976年録音。オワゾリール。

 ということで、リベンジというとやる気満々で前向きな《再挑戦》ってイメージがあるが、一方で《復讐》っていう意味もあるのである。
 もちろん私が「ちとせラーメン」に対し復讐する動機も理由も何もない。賞賛し迎合するのみである。

  食べ過ぎるとおなかを壊すという基本を思い出した私
 食べ過ぎで思い出したが、帯広勤務時代は全然だったのに、その後出張で帯広に行き、年に1度か2度担々麺+小ライスを食べることがあったが、そのあと必ずと言っていいほどおなかが痛くなり、下した。食べて1時間も経たない頃にである。

 なんでだろうと思っていたが、子供のころを思い出して、原因が分かった。
 食べ過ぎなのだ。
 若くもないのに食べ過ぎてはいけないのだ。
 特に美珍楼の担々麺はそれだけでもけっこうボリュームがある。だから『いつもの』ように食べると食べ過ぎになっちゃうのだ。けど、ほんの6~7年前は全然平気だったのに、着実に内蔵も老化していっているってことだろう。

 っていうか、ラーメンものといっしょにライスを食べるって行為自体が、どう善意に考えても、体に良くは絶対ないのだ。

 クリスマス・イヴだというのにラーメンとか担々麺の話題しかなくてごめん。

 次回以降は、いろいろなことがあった(特に食事面と健康面)先週のことを書くつもりである。
 過去を振り返りたくない人も読んでおくれ。
 

ヘルシーについて(店長さん編)♪マクダウェル/ハムレットとオフィーリア

  なぜか残っていない去年のドンキー歴 20191217PL_Hokka
 先週の月曜日の昼食は弁当ではなく、珍しく《外食》したことを報告した
 しかも、妨害阻止をなんとか切り抜け、ハヤシライスを注文。まさに、勝利のハヤシ!って感じであった。

 で、なぜこの日に限って外食したかということは、暮れの元気なごあいさつで外に出かけていたからということも書いた。

 そういえば、去年の今ごろ、伏草課長&氷山係長と一緒に、年末のあいさつ回りをし、大阪市内の「びっくりドンキー」で久々のドンキーのハンバーグを食べ感涙したことを思い出した。そして、ちょっと食べすぎてそのあとおなかが痛くなったことも思い出した。あれはけっこうつらかった。帰りの車の中で私がどんどん無口になっていったのは機嫌を損ねたのではなく、痛みに耐えていたのと肛門に全筋力と気合を集中させていたせいであったことを、ここに白状しよう(そのときのことをブログに書いていないのが不思議だ←その後発見)。

  きくらげに感じる健康さ
 さて、翌日の火曜日は午前中に支社の近くに出かける用があり、帰りに弁当を買った。
 GOZENの弁当のラインナップにもときめきを感じなくなったので、「ほっかほっか亭」に行き日替わり何とか弁当を。

 豚肉とチンゲンサイの炒め物がおいしかったし、きくらげを口にした瞬間にとっても体に良いものを食べているという充実感に浸ることができた。
 ただ、唐揚げは衣がサクッとしていなくていまひとつ私の好みに合わなかった。
 それにしてもこれで500円とは。ご飯ももはや私には多過ぎ。と言いながらも食べたが、スパゲティは1本も食べずに残した(それが中性脂肪の数値の低減につながることを願っている)。

20191218LAWSON_PL  『満彩』が放つ健康さ
 水曜日はLAWSONへ。
 弁当はまだ配送されたものの陳列途中で、あの店長さんはレジで別なお客さんの接客中。
 私は今回も棚にあったあの『関西満彩幕の内』を手に取りレジへ。

 前の客の会計が終わり、そしてまた私のほかには客がいなかったからだろう。
 店長がご親切にも「これでよろしいですか?ほかのお弁当もいま出しますけど」と言ってくれた。

 「どれどれ」とまだコンテナの中にあるほかの弁当を見て、結局その中から選ばなかったら申し訳ないと思い、私はこの日も『マンサイ』で行くことに決めた。

 「いえ、これでいいです」
 「いいですか?すいませんです」
 「いえ。このお弁当おかずが豊富で良いですね」
 「ヘルシーですよね」

 と、12月18日のマクダウェルの誕生日の朝から弁当談議に花が咲いた(ってほどじゃあない)。

MacDowell Suite じゃあ、マクダウェル(Edward MacDowell 1860-1908 アメリカ。生きていた時代はほぼマーラー(1860-1911)と一緒だ)の交響詩(音詩)「ハムレットとオフィーリア(Hamlet and Ophelia)」Op.22でも。

 湯浅卓雄/アルスター管弦楽団の演奏で。

 1999年録音。NAXOS。

 って、店長さんがこの弁当をヘルシーだって言うってことは、新商品はいつも自ら食べてチェックしているのだろうか?
 それまたたいへんだ。

 そしてまた、ヘルシーって言葉が似合わないほど店長さんは疲れた顔をしており、笑顔も空虚だった。気の毒なことだ。

カツ重はありません。だってウチの自慢はハンバーグ♪真島/波の見える風景

20191216ShiminhirobaSTA  1本も傘がないので椅子かと思っちゃったの?
 12月の後半を迎えた16日・月曜日は、当支社の葦山課長(初登場)と一緒に、暮れの元気な(とも言い切れない)ご挨拶のため神戸と大阪市内の取引先を訪問した。

 まずは通勤客で混みあっている阪急神戸線に梅田から乗車。神戸三宮でこれまた混みあっているポートライナーに乗り換えて市民広場駅へ。
 市民広場を訪れる人の中には傘立てと椅子の区別がつかない人もいるらいい。嘆かわしいことだ。
 これに座ったらお尻に格子模様がついてしまうだろうに……

20191216Kobe_moon 朝9時の、まるでカスピ海のような晴天の空には月が。
 フジッコってここにあるのね。

 駅からちょっと歩いたところにある本日最初の訪問先へ。
 30分ほどお話をし、「来年もよろしくお願いします」と言って切り上げ、再びポートライナーに乗って三宮へ。

 ここから徒歩圏の取引先2軒を訪問。それにしても葦山課長は神戸の地下街に詳しい。
 私はどこがどうだかちっともわからなかったが、なかなかディープな飲食店なんかもあることを知った。

  好きなもの頼んじゃだめですか?
 そして、ここ三宮から阪神電車で大阪の難波に乗り換えなく行けることも初めて知った。
 私たちは次の目的地-難波である-に向かうため、阪神三宮駅で近鉄奈良行きの準急に乗車(車両は近鉄のものだった)。40分ほどで難波に着いた(って、ふだん気にかけていなかったけど、『なんば』って難しい波って書くんだ)。

 時は12:30.次の訪問先に行く前に食事だ。
 葦山課長が「ここが有名らしいんですけどどうでしょう?」とスマホの画面を見せてくれたのが、この店である。

20191216Jyuutei1

 重亭
 丼ものならぬ重ものの店かと思ったが、歴史ある洋食屋なんだそうだ。
 いや、洋食屋なんて安易に言ってはいけない。欧風料理店だ(カレーマルシェみたいね)。

 ただ、歯がはえそろっていない赤ちゃん返り状態にある私が、肉物を食べられるかというと自信はない。
 いや、食べることはできるのだが、飲み込むまでに時間がかかるのだ。そのことを思うだけでひどくプレッシャーを感じ食欲が落ちる。

 でも、オムライスとかもあるようなので、まずは葦山課長のあとをヒョコヒョコとついてきたのだった。

 店の前は長蛇の列。かと思いきや、待っている人はいない。しかし中をのぞくと店内は満席。
 私たちは待ち人の一番目になった。そのあと次々と客がやってきたので、私たちは幸運だった。

20191216Jyuutei2

 外で待っているときに、なかから店のおばちゃんがメニューを持って出てきた。
 私は食べやすいであろうハヤシライスに決めて、「ハヤシライス」と言ったのだが、おばちゃんは「ウチはハンバーグが有名なんよ」と言う。
 葦山課長がすかさず「私はハンバーグ」と言った。なかなか臨機応変な人物だ。サンプルを見ながら、いまのいままでポークチャップに興味を示していなかったっけ?

 それを聞いたおばちゃんは満足そう。そして、再びその目は私に。どうすんの?っていうハブのような視線だ。
 「いえ、歯が弱いのでハヤシライスを……」
 って、なんでそんなことまで言わんきゃならんのだ?

  でも自慢するだけあるすごい肉汁
 店の中に入るとみんなハンバーグを食べてるのかと思いきや、全然そうではなかった。ふんっ!
 そしてまた、常連客が多そうだ。「いつもありがとうございます」と言われている年配客が何人もいた。

 葦山課長のハンバーグはナイフを入れると、肉汁が皿にあふれるように流れ出た。自慢のハンバーグだけある。
 でも、私はびっくりドンキーのハンバーグが食べたいなぁと俗っぽいことをこのとき思った。

20191216Jyuutei3

 ハヤシライスは、この色合い(赤みが強くない)からはわかりはしないだろうが、この色合いっぽい味。よくありがちなハヤシとはちょっと違う。そしておいしい!グリーンピースって、とても懐かしいし。
 葦山課長のハンバーグより出てくるのが遅かったので、注文を受けてから仕上げの手を加えているのかもしれない。

 それにしても、入店前に注文を聞いていったわりに、料理が出てくるまでそれなりに時間がかかった。

Ifukube_Tri_PCCR90079a 真島俊夫(Mashima,Toshio 1949-2016 山形)の吹奏楽のための交響詩「波の見える風景(Seascape)」(1985/改訂1988)。

 1985年度の全日本吹奏楽コンクールの課題曲になった作品で、藤田崇文が管弦楽用に編曲したものがアルバム「伊福部昭トリビュート 春の音楽祭 イン キタラ」に収められている。

 藤田崇文/札幌交響楽団の演奏。

 2018年録音。Three Shells。

 なお、難波から地下鉄で次の目的先に行き、あと2軒回って支社に戻ったことを報告しておく。

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