新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2019/09

Oliveの和名は、そのまま『オリーブ』なのである♪JSB/小フーガ

20190901Cuctus  1週間締め切った部屋の中で
 今年の8月、私はその前半はずっと北海道に滞在していた。
 出張数日、あとは夏休みだの盆休だのである。

 そして大阪に戻ってみると、その間にこの街は100年も過ぎ去っていた、ってことがあるわけもなく、予想していた通り干ばつ状態に置かれたオリーブの木が、今日は10枚、明日は8枚ってな具合で、嫌がらせのように葉を床に落とした。

 いったんおおかたの水分を失った《半押し葉》状態の葉が再生することはない。あとはいつ重力に耐えられなくなるかだけだ。
 しかも、この鉢植えを名古屋で買ったときから気になっていたのだが、この木は枝ぶりが悪い(幹の高さの中央あたりに枝がない)。
 そこで思い切って根元近くで切り詰めたのだった。なお、この部屋には剪定ばさみがないので、でもふつうのはさみでは切れないので、ニッパで切り離した。

 この間の日曜日、ほぼ1週間ぶりに-と書くと、たいていは1週間弱だが、今回の私の場合は1週間強の期間であった-大阪の《寓居》に戻ると、すっかりちび助になってしまったオリーブは、落とす葉もないので落葉はしていなかった。

20190915Olive いや、それどころじゃない!
 そこには驚くべき光景が!

  遁走曲ト短調「小遁走曲」
 なんと、新たな葉が出てきているではないか!
 まるで山火事のあとの焼け野原の木が息吹き始めたかのように……

 その蒼々しい葉は、温室のようにくそ暑く温度が上がりきっている部屋の中ででも、一瞬ではあるが私の気持ちをさわやかなものにした。
 ほとんど葉がない状態だったので、1週間強にわたって水が与えられなくても、蒸散がほとんどなかったためにお元気になっちゃったんだろう。

 が、次回は正月休み中に再び干ばつに見舞われる恐れがひじょうに強いわけである。

 ところでタイトルに書いたようにオリーブの場合は、和名もオリーブである。

 音楽でシンフォニーは交響曲、コンチェルトは協奏曲という和名というか和訳が使われていて、このあたりは違和感はないが、たとえばフーガの日本語訳は遁走曲である。
 でも、フーガはそのままフーガと呼ばれていることに、私はなんとなくほっとするのである。

 StravinskyRiteSeguinバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)の「フーガ ト短調」BWV.578(1707以前)。
 俗に「小フーガ」と呼ばれている、有名な曲である。

 ここではオルガンによる原曲ではなく、ストコフスキーの編曲による管弦楽版を(関心はないだろうが、私がこの曲を最初に聴いたときも、オリジナルではなくストコフスキー版だった)。

 ネゼ=セガン/フィラデルフィア管弦楽団による演奏で。

 2013年録音。グラモフォン。

 で、あのサボテンは、引き続き元気である(上の写真。ただしこれは9月1日撮影)。

アルフレッド氏は何を妄想しているのか?♪ワーグナー/トリスタン~愛の死

  “至るところにある妄想”
 珍しく「文藝春秋」を買った。10月号だ。日韓断絶の総力特集を読むためではない。
 新聞広告で、村上春樹の「この夏、ドイツでワーグナーと向き合って考えたこと」という特別寄稿文が載っていることを知ったからだ。
 
BungeiShunjyu201910a

BungeiShunjyu201910b

 意外だったのは冒頭の文章。

 最初にお断りしておきたいのだが、僕はとくに熱烈なワーグナー愛好者というわけではない。世の中にはディープなワーグネリアン(ワーグナー信者)が少なからずおられるようだが、そういう類のファンではない。クラシック音楽は昔からわりに熱心に聴いてはいるけれど、僕がふだん愛好するのは室内楽か器楽曲か、あるいはバロック音楽が中心で、大がかりな音楽はそれほど頻繁には聴かない。

 ふ~ん。春樹氏がワグネリアンだと思ったことはないけど、こういう作品をかいているくらいだから、けっこうよく聴く作曲家だと漠然と思っていた。

 そして、近年の私も春樹氏と一緒だ。大がかりな音楽はそれほど頻繁には聴かなくなってきている。
 いま、部屋に流れているのはベートーヴェンの交響曲第8番である。たぶんコンサートのメインには据えられない曲だ。

  私にはあらゆる点で絶対に無理
 さて、バイロイト音楽祭である。

 ワーグナーという作曲家にほとんど関心のない私には、どんな様子の劇場なのか全然知らなかったが、村上レポートを興味深く読ませていただいた。

 劇場の客席は二千ほどだが、ぎっしり満員。見渡す限り空席はただのひとつもない。文字通りすし詰めの状態だ。風通しも皆無なので、時間が経過するにつれて、人いきれで劇場の中はどんどん暑くなっていく。僕も初めは上着をきちんと着ていたのだが、三幕目には我慢できずに脱ぐ。その頃には、ほとんどの男性客が白いシャツ姿になっている。暑いのでできるだけ水分をとらなくてはならないのだが、なにしろ席が狭く、一度腰を下ろしたらもう外には出られない。途中で洗面所に立つなんてことはまったく論外だ。

 ひぇぇぇぇ~である。寿司が食いたくなってきたぜぇ。
 いやいや、そうじゃなくて、“論外”という状況とは!

 私なら脱水症状で死ぬか、失禁で死ぬほど恥ずかしい思いをするかのどちらかになるのは必至だ。
 自分がバイロイト詣でをしたくなるほどの熱烈なワグネリアンにならなかったことに、感謝する。だれに対してか、はわからないけど。

WagnerTennstedt そして村上春樹氏が、こういう音楽書には書かれてないような裏話を報告てくれたことに感謝したい(もちろんこのときの出し物の演出や演奏についても書かれているが、ここでは触れない←わたし的に関心が薄いし)。

 ワーグナー(Richard Wagner 1813-83 ドイツ)の楽劇「トリスタンとイゾルデ(Tristan und Isolde)」(1857-59)から「愛の死『優しくかすかな彼のほほえみ』(Liebestod 'Mild und leise wie er lachelt')」。

 ノーマンのソプラノ、テンシュテット/ロンドン・フィルの演奏を。

 1987年録音。EMI。

 もし、あなたがいま、「文藝春秋」を買うことを検討中なら、早くしたほうがよい(日韓断絶特集もなかなかおもしろかった)。

BungeiShuinjyu201910c

 今日の夕方、札幌からムッカマール氏とアルフレッド氏、そして姥向井さんが出張で、当大阪支社を訪れることになっている。
 夕食をともにするのは言うまでもない。

 アルフレッド氏から昨日届いたSMSには「明日よろしくお願いします。ドキドキで今日寝れるか心配です!」と書いてあった。いや不安による不眠の心配ではない。私と会うのが楽しみで、超興奮状態に陥っているのである。
 今回の訪問について、彼が私に予定を聞いてきたのは、なんと4月のこと。
 即、話がまとまったあとに来たSMSの返信は「ずいぶん先の話ですが、今から楽しみで楽しみでちびりそうです!」というものだった。
 今日、飛行機の中でちびらないことを祈っている。

淡い恋心が確信の恋へと変わった敬老の日の前日♪リスト/愛の夢

20190915CTSramen2  裏事情など興味あるまい
 細かく書くと、「そんなことどうでもいいから起こったことだけを書け」と、あたかも電報料金を負担せざるを得なくなった小市民が言うような文句を浴びせられそうだから、ズバッと書こう。

 “私は先週、3回、新千歳空港でラーメンを食べた”と。
 どうだ!うらやましいだろ?嘆け!ひざまずけ!けど私を煽るな!

 1回目は月曜日。
 早めの昼食で、3階のフードコートの『ちとせラーメン』の『しょう油』。

20190915CTSramen1 2回目は水曜日。
 通常時間の昼食で、3階のラーメン道場の『弟子屈』の『むかし醤油』。

 3回目は先だっての日曜日。
 これまた早めの昼食で、3階のフードコートの『ちとせラーメン』の『しょう油』である。

 なぜこんなに新千歳空港に行くのかって?

 だから細かく書くとあなたの演算処理に負荷がかかるので教えない。

 ただ間違いなく言えることは、飛行機を眺めに行ったってわけではないということだ(そうそう、火曜日に飛行機好きの氷山係長と札幌で会った)。

 水曜日に『弟子屈』の『むかし醤油』を食べたときに、また感じた。
 このときも感じた、私の好みが変わったのではないかということを、だ。

  子供のころ食べた、浦河の「おくむら食堂」のラーメンを思わせる味
 確かに『弟子屈』の『むかし醤油』はおいしい。

 だが、前回と今回感じたこと。
 それは『Ajinomoto』か『ハイミー』か、あるいは『ミタス』か『いの一番』かは知らないが(って、もうとっくにないものもあるが)、おそらくは化学調味料か何かの、かすかではあるが、舌をピリッと刺すような刺激である。

 その点、『ちとせラーメン』の方は、見た目は『むかし醤油』よりも絢爛さには劣るが、味は『むかし醤油』に比べ、より“むかし風”であり、シンプルで優しい昭和的なおいしさが私の舌の上に広がるのである。

 たまたま短期間に食べ比べる結果となり、この今の私には『ちとせ』の味の方が合っていると確信した(敬意を表して、あらためて日曜日に撮影した写真を載せておく)。
 『弟子屈』への愛情はかなり後退してしまったのだ(誤解を招かないよう重ねて言うが、ここのラーメンもとてもおいしいことはおいしいのだ)。

LisztBolet リスト(Liszt,Franz 1811-86 ハンガリー)の「愛の夢-3つの夜想曲(Liebestraume - 3 Noctturnos)」S.541(1850頃)。

 副題の通り3曲からなるピアノ曲だが、圧倒的に良く知られているのは第3曲変イ長調のもの。この第3曲はリストが作曲した歌曲「おお、愛しうるかぎり愛せ」(1845頃)を編曲したものである。

 ところで、ここ『ちとせラーメン』では『しょう油ラーメン』以上に私の口に合うものはないように思われ、ライス以外のほかのメニュー(ほかの味のラーメンやチャーハンやスタミナ丼など)を頼む機会は一生訪れそうもない。

スマホがなけりゃ世の中生きていけない?♪ラフマニノフ/パガ・ラプ

20190914MiniCompo  高いうえにでかいので、狭いリビングにはムリムリ
 K'sに行ってミニコンポを買ったことは、非常に丁寧さを欠いた形で報告させていただいた

 実はこのとき、気に入るような商品があるかどうかわからないって感じで店に行ったのだった。

 私としてはmarantzのM-CR612が理想だとは思っていた。
 ただ、リビングでBGM的に音楽やラジオを聞く目的としては値段が高いこと(スピーカーは別売りなのだ。しかも、このアンプにつなぐとすればそれなりのスピーカーでないと本領発揮とならないだろう。メーカーが推奨しているのはB&WとかDALIときたもんだ。まっ、同族だし)、図体もでかいこと、ってことから性能的(音もすばらしいという予感)には申し分ないが、妻が同意するとは思えなかった。

 そしてまた、予想通り、K'sの店頭にはM-CR612はなかった。
 では、ほかにどんな商品があるのだろう。私はこの場で初めて見る商品の数々を目の前にして、比較した。

  どんな機能があるのか、表示がまちまちで路頭に迷った私
 とはいえ、今回買うにあたり、私としては、絶対に備わっていなければならない機能の条件がある。

 それは無線LANでネットにつなげられること。インターネット・ラジオが聞けること。そしてUSBメモリに保管したFLACの音源ファイルが再生できることであった。

 店頭に並んでいた多くが単なる『ミニコンポ』であった。つまり、ネットワークCDレシーバーではない。
 では私の条件を満たす商品は?

 それはパナソニックのSC-PMX150とSC-RS75、そしてSONYの製品(型番は記憶していない)だった(ONKYOの製品もあったが、それは中途半端に値段が高かった)。

 それにしても、商品のスペック表示が実に中途半端なものがあるのには困ったものだ。
 PMX150は取扱説明書が置いてあったので細かいところまで確認できたが、SONYに関してはまったくもってその人となりが不明だった(ただWiFiのアンテナがあったので無線LANで繋げられるのだろう)。

 SC-RS75はその姿からNon!

 SC-PMX150は特価セール扱いで5万弱。
 SONYも同じくらいの価格。

 しかし、SC-PMX150は展示品限りでさらに安くなるというので、そしてまた、なんとなくSONYには気乗りしなくて、展示品っていうのは好きじゃないけど、PMX150にした。
 余談だが、店員さんの商品知識のあまりにものなさにもちょっと驚いた。FLACもインターネット・ラジオのことも知らなかった。私の方がずっと詳しいじゃん!

  実はすごい奴だった!?
 さて、家に帰ってこの製品のことを調べると、大きな期待は抱いていなかったのに、とてもレビューでの評価が高いではないか!
 良い買い物ができたのかもしれない(ハイレゾ対応でもあるし。けど、SACDの再生には対応していないようだ)。

 ところでインターネット・ラジオを聞くにはスマホが必要であることが判明した。
 そこで妻のスマホを借り-私はスマホを持っていない-無料のアプリをダウンロードすると、聴けるようになった(なんでパソコン用のソフトはないのだ?)。

 どうやら、PMX150自体にはインターネット・ラジオのチャンネルを選択する機能がない。
 ただ、スマホで選んだ局を6つまでリモコンで登録(プリセット)できる。
 プリセットした局を聞く分にはスマホは不要となる。
 登録した局を再生している状態が上の写真である。

 まっ、このオーディオを使うのはもっぱら妻なので、妻がスマホでいろいろ好みの局を探せばいいってことだ。

20190914blogMessage  masaさんの怒りの日
 話は変わるが、masaさんから文句が来た。
 メッセージで、である。

 9月12日13日の記事を見て、「いい加減にしなさい!」って気持ちになったのだろう。

 すまんのぅ……
 怒らんでおくれ。

 ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943 ロシア)の「パガニーニの主題による狂詩曲(Rhapsody on a Theme by Paganini)」Op.43(1934)。

RachmaninovPFConBrill この独奏ピアノとオーケストラのための作品(序奏と24の変奏曲)は、パガニーニの「24の奇想曲」の第24曲イ短調の主題を用いているが、もう1つ、グレゴリオ聖歌の「怒りの日」のメロディーも使われている。

 ルディのピアノ、ヤンソンス/サンクト・ペテルスブルク・フィルの演奏を。

 1990年録音。ブリリアント・クラシックス(原盤:EMI)。

 ということで、連休明けの今日の記事はいたずらに長くなっている。

 その12日と13日の私のブログへのアクセス数だが、12日は91、13日は70であった。
 やはりただでさえ中身がない私のブログではあるが、いっそうピーマンだったこの2日間はアクセス数が少ない。

 んっ?
 でも開いてみないと、どんな内容かわからないではないか?
 タイトルだけで敬遠しているのだろうか?だったら、対策としては荘厳きわまりないタイトルにするっていう手はある。

 ただ、同じこの2日間の本館の記事-この間には更新していない-のアクセス数を見ると、12日は440、13日は108であった。
 こんなに多いとは驚きである。

 これでわかったことがある。
 ブログ管理ページの中のアクセス数は、どういうからくりでそういう数字になるのかよくわからない、ということだ。
 それが私の現時点の結論である。

「花咲くMUUSAN邸ぃ~」2019.9(2)♪伊福部/宇宙大戦争

20190912Masora  今年仲間入りしたバラ
 今シーズン新たに買ったバラ苗は『ブルー・フォー・ユー』と『真宙(まそら)』である。
 『ブルー・フォー・ユー』は以前育てていたものが冬の間に枯死したための買い直し。
 そして『真宙』は、妻がアプリコット色のバラもあっても良いのではという提案から初めて買った品種である(そのあとは、導入したことも忘れてるように思われる)。
 いずれも雪印種苗で買った

 この『真宙』だが、夏時期(お盆前)にも咲いたことは咲いたのだが、どこか花が貧弱。
 今になって、ようやくまともな花がついた。それがこれである。

 鼻を近づけると-いや、だから、土とかじゃなく、もちろん花に-良い香りがする。
 まだつぼみを多くつけているので、もう少し咲き続けてくれることを期待している。

 伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の「宇宙大戦争」組曲
 伊福部が作曲した1959年公開の東宝SF映画「宇宙大戦争」の音楽を12曲からなる組曲に編んだもの。
 2014年に行なわれたオーケストラ・トリプティークの演奏会(伊福部昭 百年紀2)で初演された。

 そのときのライブ録音を。

 指揮は齊藤一郎。THREE SHELLS。

  見ごろはあと1か月くらいか?
 『ブルー・フォー・ユー』をはじめ、そのほかのバラ株もつぼみをもっている。
 そんななか、いま良い花を咲かせているのは返り咲き(二度咲き)した『ピエール・ドゥ・ロンサール』と四季咲き品種の『グラハム・トーマス』である。

20190912Pierr

20190914GrahamThomas

  イモムシのせいで、葉は穴だらけの糞だらけ
 野菜の方は、まだキューリが旺盛に実を肥大化している。また、今年は春大根がうまく育ってくれた。残り2本。葉がないのはイモムシ(蛾の幼虫と思われる)に食われ無残な状態になっていたのを切り落としたせいである。

20190912Daikon

  名人の予言はまあまあ当たっていた
 ところで、わが家のシンボルツリーである『ナツツバキ』。

 それをバッサリと切り詰めたのはゴールデンウィークのことだった。
 しかし、いまはこのように再び繁茂している。

20190912Natsutsubaki

 また、実はもう1本あるナツツバキ-それは家の横のスペースに植えてあった-は、先月に地際から切った。
 横にフキの葉が写っているが、これはわざわざ植えたものではない。不法侵入した雑草である。

20190912NatsutsubakiSide

 ところで先日、20年近く前に買った平野康弘編著の「名人庭師とっておきの知恵袋」(講談社+α新書)を、これまた20年近くぶりに読み直してみると、ナツツバキに関してこんなことが書かれていた。

HIranoNiwashi いま一番人気の庭木
 ひところ、ハナミズキが大流行して、新しくつくる庭では、どこでも入れたことがあった。15年、あるいは20年くらい前だったろうか。
 -(中略)-
 いま、ナツツバキ、ヒメシャラが同じような状態だ。新築の家の庭ではたいてい、どこかしらにナツツバキが植わっている。
 -(中略)-
 ハナミズキは少し見飽きられてきた。雑木だから、丈がぐんぐん伸びる。大きくなって芯をとめたら、不格好きわまりないので、そのままになっている。
 -(中略)-
 と、なぜこんな話をするかというと、きっと、今後10年、あるいは10数年たったときにナツツバキもハナミズキと同じ運命をたどるような気がしないでもないからだ。ナツツバキも雑木で、自然樹形が美しい木だから、芯(梢)を下手にはさむと、樹形が台なしになってしまう。サクラほどとはいわないが、ある程度の大きさになってしまう。
 -(中略)-
 どうしても丈をおさえざるをえないときは、若木のうちに、先端を少しはさんで、二番枝、三番枝を立てて、切りかえしていくしか方法はない。生育するにつれて目立たなくなるが、切りかえた部分は、やはりぎくしゃくする。-(後)-

 つまり、ナツツバキはでかくなって大変。しかも丈を抑えようとすると不格好になるって話だ。

 たぶん私はこの本(2000年9月第6刷)を、ナツツバキを庭に植えてから買って読んだと思う。
 が、竹の棒のように細い苗木を植えたときは、大きくなった時のことなど考えない。むしろ早く大きくなって花をつけるようになってほしいと願うばかりだ。だから、この教訓のことは頭に残っていなかった。

 まったくおっしゃる通りだ。
 こんなに大きくなると思わなかったし、カット後もこんなにすぐにまたもや立派に繁るとは思わなかった。むしろ強剪定で-名人庭師は剪定のことを“はさむ”と書いている-枯れてしまうかもと思っていたくらいなのに。

 繁ったが、結局ポーポーちゃんは今年来なかった。

 そしてこのあとは落葉の片付けをする季節がやってくる。

ほぼ10年ぶりの、でも実質は初の岡山(2)♪WAM/pソナタ11

  ホールっぽくない建物
 昨日の話の続きである。

 クソ暑い中、岡山の街中を後楽園目指して歩き続けた私。
 すると、こんな建物が。

20190904Okayama08

 岡山シンフォニーホールがあるビルらしい。
 少し離れたところから見ると、上の方は円柱形である。

20190904Okayama09

 面白い形ではある。
 そしてこのビルの中には献血ルーム「ももたろう」も入っているらしい。

  なんと恐ろしき建物!
 この円柱の写真を撮った私の背中側には、聖書を販売している建物が。

20190904Okayama10

 単なる教会ではない。「禁酒會館」と書いてある。
 お酒を飲んでいけない宗派の教会なのだろうか?(たとえば、モルモン教はアルコールは禁止である)。
 いずれにしろ、私は絶対信者になれない。もっとも、どこの宗派であろうと、信者になりたいと思ったことはないのだが。

 さらに進むと、ようやくお城が見えた。

20190904Okayama11

 常識的に考えると「岡山城」ってことになるのだろうが、案内板を見るとやはり「岡山城」だった。

 この写真を撮った場所にこの川を渡る歩行者専用の橋がある。
 渡ったところの丁字路に「後楽園」の文字が。

20190904Okayama12

  好き嫌いを肯定する猫
 私は左の道を選び、先に進み、園の入り口の前を迷いもせずにそのまま通り過ぎ、マチナカへ戻るべく一生懸命歩いた。

 途中、何かの店の看板を見て、「そうだ!そうだ!」と心の中で賛同した。

20190904Okayama13

 そのときである。どこかでモーツァルトのトルコ行進曲が聞こえてきた。
 音はひどい。
 街頭放送だろうか?(帯広の街では7年前と同じ、ニッセンレンなんかの街頭放送(宣伝)がいまだに流れていた)。
 ただ、少ししたらぶつっと切れたので、信号の歩行者が青のときに流れているのかとも思った。でも、結局はどこから放たれていたのかよくわからなかった。

  鳩の飾りがついたドアノブ
 ここも何の店か知らないが、気づかずにそのままドアを開けようとしたら、喉から心臓が飛び出すくらいびっくりするだろう。
 でもそれぐらい、なじんでもいた。

20190904Okayama14

 モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331(K6.300i)(1783)。

MozartSonata331Uchida 第3楽章のロンドが「トルコ風(Alla Turca)」と指定されていて、通称「トルコ行進曲(Turkischer Marsch)」と呼ばれている。

 内田光子のピアノ独奏で。

 1983年録音。フィリップス。

 こうして、私のルーツを求めない散策は終わった。
 ワイシャツが濡れタオルになったみたい。それぐらい汗をかいた。
 やれやれ……


ほぼ10年ぶりの、でも実質は初の岡山(1)♪JSB/主よ、人の望みの喜びよ

BachRedel
  実は父方のルーツの土地
 先週、岡山と倉敷に出張してきた。

 前に大阪勤務を経験していたときには、年に数回は岡山の取引先に行っていた。しかし、新幹線で岡山駅に着くと、タクシーで取引先に向かい、用が済むとまた駅へ、というパターン。
 また、そのあと(およそ10年前)も岡山には行っているが、そのときも乗り換えただけで、駅の外には出ていない。

 つまり、私は岡山の街をほとんど知らない。

 しかし、せめて今回は駅の辺りだけでも見てみたいと思った。
 というのも、私の父方の祖父母が岡山出身だからだ。岡山のどこの出身かは知らないが-間違いなく郡部のはずで、いまの市内ではないはずだ-若くして結婚した祖父母は北海道に渡ってきた。コレラだかチフスが流行って、親族のほとんどが壊滅状態になり、新天地を求め北海道の炭鉱をめざしたのだ。
 私の父は北海道で生まれているので、私にとっては岡山にはなじみも感慨もないが、上に書いたように、マチナカを見ておくのも悪くないと思ったのだ。

 今回の出張は茜課長と一緒だったが、私は一足早く岡山入りすることにした。

  途中に停まるのは新神戸だけ
 新大阪で「のぞみ」に乗る。

20190904Okayama01

20190904Okayama02

 バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)の有名なコラール「主よ、人の望みの喜びよ(Jesus bleibet meine Freude)」。カンタータ「心と口と行いと命もて(Herz und Mund und Tat und Leben)」BWV.147(1723初演)の第10曲である。

 レーデル/プロ・アルテ管弦楽団による、管弦楽版の演奏を。

 1996年録音。エラート。

 さっ、岡山に着いた。
 新大阪からは1時間ほど。つまり完璧なる日帰り圏だが、今回は珍しく1泊するのである。

20190904Okayama03

 私を迎えてくれた(わけではないが)のは、桃太郎である。

20190904Okayama04

 とにかく街のいたるところに桃太郎。上のリアル桃太郎はかわいくないが、下のは親しみが持てる(って、これ桃太郎じゃないのかもしれないけど)。

20190904Okayama06

 でも、私はやはりこういう光景にひかれる。

20190904Okayama05

20190904Okayama07

 『ドラム缶焼』ってどんなものだろう?
 そんなことを思いながら、クソ暑い中、私はさらに(駅を背にした方向)に歩みを進めた。
 「後楽園」を目指した、わけではないが、そっちの方に向かったのである。……続く

読むまでもないほど短い本日の記事♪ケージ/4'33"

CageRadio  書くことたくさん。でも時間がない!
 業務多忙につき、書きたいことは多々ありますが、書くのが追いつきません。
 ということは、極めて遺憾ではありますが、本日はおやすみするしかありません。

 お騒がせせず、静かに終わります。

 このCDのケージの「4'33"」のように……

 これに懲りず、今後ともよろしくお願いいたします。

ネットワークプレイヤーのようにはいかなかった♪GM/Sym6

DSCN2586  妻はスマホを持っているから、まあいいか
 先日、自宅のミニコンポが突然死したことを報告したが、K'sで展示品が安くなっていたので購入した。パナソニックのPMX150だ。

 だが、購入してから知ったのだが、このコンポだけではインターネットラジオは聞けないらしい。スマホが必須なのだ。

 やれやれ……(スマホを持っていない私)。

 そんなわけで、今日の記事ははこんだけ。

 気分は「悲劇的」というよりは「悲観的」……

Mahler06Ten91

「花咲くMUUSAN邸ぃ~」2019.9(1)♪WAM/カノンK.228

  ANAさま、いただいたタネはちゃんと花を咲かせました
 春先に大阪空港の ANA のラウンジで配っていたヒマワリのタネ。
 もらったその日にすぐに庭にまいた。
 そして、それは咲いてくれた。私はこの株を『向日葵太郎』と命名した。

20190908Garden0

 バラたちも、秋となり-といってもこの日はむし暑かった-最盛期の勢いは全然ないが、咲き続けてくれている(9月8日にコンデジで撮影)。
 上から、『シャルロット』『アブラハム・ダービー』『ニコル』『アルフォンス・ドーデ』『スウィート・ジュリエット』。

20190908Garden1

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20190908Garden3

 ところで、開花状態は最盛期ほどではないものの、バラにたかっているアブラムシはあいかわらずである。無数ともいえる数だ。
 見よ!このおぞましい整然さを!

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  大量殺戮をするサイテーな私(だろうか?)
 三浦綾子の「母」-この小説は小林多喜二を人生を、多喜二の母が語る形をとっている-のなかで、多喜二はこう語る。

MiuraAyako_Haha 「なあ母さん、花でも海でも、空でもな、この世のものは、みんな生きたがっている。その生きたがっている者を殺すことは、一番悪いことだ。虫でもトンボでも、犬でも人でも、みんな生きたがっている。……」

 それはよぉぉぉぉぉぉ~く理解できる。多喜二さん、いや、綾子さん。

 だが、私は『一番悪いこと』をするしかなかった。健全に生きたがっているバラのために……

 モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のカノン、「ああ、われらが人生のあまりにも短くて(Ach! zu kurz ist unsers Lebens Lauf)」K.228(K6.515b)(1787)。

 四重唱2つによるカノンだが、本来は歌詞がない。ヘルテルによる歌詞がある。

 マット/ヨーロッパ室内合唱団の演奏で。

MozartCanon 2002年録音。ブリリアント・クラシックス。

 その問答無用の大量虐殺だが、日曜日は風が強くて薬を散布できず、月曜火曜は出張。今日もお仕事ってことで、まだ『行為には至っていない』。

 バラさんたちのことを思うと、早くやっちゃいたいのだが……




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