新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2019/08

追想-002♪1973年頃の生協西野店にはそば屋や家電売り場もあった

2016-10-05_5sub  雅美さんの声はしわがれ声
 「それではさっそくお聴きいただきましょう」

 こんなアナウンスの最後の断片から、そのテープは始まる。
 その直後に力強くシンフォニーが鳴り響く。

 その声はアナウンサーのものではない。音楽評論家の藁科雅美のどう転んでも透きとおった声とは言えないものだ(ちなみに、男です)。
 「それではさっそくお聴きいただきましょう」という声を、私は入れたくて入れたのではない。
 曲が始まるのが今か今かと待っていて、エアチェックの録音スタートでフライングしてしまったというオチだ。

 正確な日付けを記録していないのだが、1973年の8月。NHK-FMで20:05から放送された「N響夏のステレオコンサート」という番組。

 藁科氏の言葉に従いさっそく聴くと同時に録音したのは、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)の交響曲第5番ハ短調Op.67(1805-08)。いわゆる「運命」である。

  そもそも交響曲とはどういうものかもよく知らなかった私
 指揮はサヴァリッシュ。
 冒頭の有名なモティーフは、鑑賞とは別な次元で耳にしたことはあったが(TVマンガの中などで)、「運命」を交響曲として聴くのは事実上初めて。いや、ベートーヴェンの交響曲自体、聴くのは初めてである。

 そして、この曲が「ジャジャジャジャーン」だけじゃなく、聴いたこともないメロディーが出てきて(つまり第2~第3楽章)30分以上も続くとは思わなかった。やれやれ。

 ところで番組名がなぜ「ステレオコンサート」なのか?

 実はこのころは、FMでもまだステレオ放送ではない、つまりモノラルの番組も少なからずあったのだ。
 それを聴き、そして録音している、私のラジカセも、ステレオラジカセなんてものではなく(そういうのは世の中になかった)、モノラルのこれだったのだ。

 このとき使ったのはFUJIのC-60のテープ(上の写真の右側下段の奥に写っている赤いやつ)。
 このテープは、西野界隈(札幌市西区です)ではなぜかコープさっぽろ西野店(当時は確か『札幌市民生協西野店』)にしか売っていなかった。

 この『札幌市民生協西野店」は、建物も、そして場所も、現在の『コープさっぽろ西野店』とは異なり、山の手通りに面していた。現在の『コープさっぽろ西野店』の山の手通り側の駐車場のところである。



 TDKやSONYのテープよりかなり安かったので、本当はTDKとかSONYばかり使いたかったにもかかわらず、経済上の理由から私は主にそれを使っていた(ただ私の経験からすると、TDKの90分のテープは伸びやすい、あるいは切れやすいように思った)。

 『生協西野店』は、時期的には『ホクレンマーケット西野店』より少しあとに完成したと思うが、ワンフロアながらも本屋や時計売り場があり(私が初めて雑誌『レコード芸術』を買ったのはここでであった。1973年12月号である)、また席数はわずかだったがそば屋もあった(ワタシ、母親に連れられて入って、食べたことあります)。
ClarionFasshonable
 家電製品売り場も、クラリオンの、音量の大きさ(?)に応じて赤やら青やら黄色やら緑のランプが点滅するパネルがある不思議なステレオが、マニアックにも展示してあった(クロス型イルミネーションが素敵ぃ~)。

 このステレオ、なんという製品だったのかネットでいろいろ探したもののなかなか見つからなかったが、ようやくヤフオクでカタログが出品されているのを発見できた。『ファッショナブルステレオ』というシリーズだったらしい。
 両端のスピーカーの上に乗っかっているのが、その光るパネルである。

 なお、ホクレン(1977年1月閉店)、生協に続き、西野の街に第3の大型スーパー、西友西野店がオープンしたのは1976年のことである(建設が始まったころの光景はこちら)。

 この日C-60のカセットテープ(つまり片面30分)。
 もうテープが終わりそうなのに曲は終わらない。
 クラシック音楽を聴くようになって5か月ほど。エアチェックするのも慣れてきており、特にテープがなくなる直前にイジェクトボタンを押してすばやくカセットを取り出し、ひっくり返してまた戻し、録音ボタンを押す。その動作をすばやく行えるようになってきていた私。

 ラジカセの透明窓からカセットのリールを凝視し、テープから最後の端の透明テープに切り替わった瞬間にその動作を行う。
 慌ててしまうと手を滑らせてテープを落としてしまい、元も子もなくなるのでその緊張ったらハンパなもんじゃなかった。

 この日はコーダの途中、ほんとにあと2分ぐらいで終わるってところでA面のテープが終わり、B面への入れ替え作業。無事に成功したが、最初から30数分の曲だとわかっていたら、C-90のテープを使えばなんのことはない話ではあった(私が放送される曲と演奏時間が書かれた番組表が載ったFM雑誌(FM fan。この雑誌には恥ずかしい思い出がある)を買うようになったのは、それから少しあとのことである。

 何度か繰り返しこのテープを聴くうちに、第1楽章だけではなく第2楽章から終楽章までの音楽も-退屈なところもあったが-さすが楽聖さんの書いた曲と感心させられた(←中1のくせして何様になったつもりの言い分だか)。
 N響っていうのもすごいんだろうなぁとも思った。

BeethovenSym5_2nd_Score  N響とはかなり違ったベルリン・フィル
 ところがその2か月ほどあとに、カラヤン/ベルリン・フィルが来日。
 10月25日の初日の公演で「運命」が演奏され、私は生中継を聴きながらエアチェックもした(ちゃんとC-90を使って)。

 最初の「ジャジャジャーン」から迫力というか、キレが違っていた。

 また、とりわけ印象的だったのが、第2楽章の中間部。次第に曲が高潮しクライマックスに達したときの「ジャジャジャジャジャジャジャ……」という部分(楽譜を掲載した箇所。このスコアは全音楽譜出版社のもの)が、N響の演奏ではシャープな響きだったのに、ベルリン・フィルのは力強いのに響きがソフトでふくよかだったこと。

 私は演奏者によって1つの曲がこんなにも変わるということを、早くも知ってしまったのであった。

 にしても、最近「運命」を聴きたいっていう衝動にまったくかられなくなったなぁ。
 自分の体力とか精神力が、この曲に耐えられなくなってきてんのかなぁ……

Beethoven Sym6Zin  パインの輪切りがのった茶筒型のケーキも好きだった
 まるじょうストア→カスタムパルコ→札幌市民生協西野店→太田理容室→千秋庵→ウインキー→小沢商店→笹原商店(現・セコマ)。

 当時の山の手通り沿いのあの界隈は、向静学園方面に向かってこういった店が並んでいたような気がするが、時代的な記憶がごちゃごちゃになっているかもしれない。

 千秋庵といえば、最近『チョコレートオニオン』を見かけない。

 そう思って、お盆前に札幌のESTA地下にある千秋庵で聞いてみたら、とっくに、ほんとにかなり前に、終売になったという話だった。

 好きだったのに……(って、20年以上も食べてなかったんだけど)

「今日で治療は終わりました」のtrueの意味は?♪伊福部/座頭市血笑旅

TrueSmile_DC  えっ?本丸は?
 数日前に歯科医院に行ってきた。

 ちょいと暇つぶしに、ではなく、もちろん治療のためだ。これの続き。つまり、型をとって製作してもらった《詰め物》が出来上がったので、それをがっちりと接着してもらった。

 治療が終わると、医師が「治療お疲れさまでした。これで終わりました」と言う。その口ぶりは、「今日の治療は終わりです」ではなく、「あなたがこれまで通ってきた用件は終わったのです」というニュアンスだった。

 えっ?本来のここに来た目的の、部分入れ歯はどうなるの?
 奥歯を抜いたところは、そのまま放置するっていうの?
 それってインプラントを断ったはらいせなの?

 私は不安になってそのことを医師に尋ねた。

 すると医師は、「焦らない、焦らない」とでも言いたげに、諭すように言った。

 「それは歯ぐきがきちんと安定してからです。1か月後にまた来ていただきます。ブラッシングで歯ぐきがどのくらい良くなっているか確認し、クリーニングもします。順調にいけば2、3か月で入れ歯を作る治療に入れると思います」

 そっか!そうでした。

 私は、インプラントをお断りし部分入れ歯にすることを嘆願したので、それだったら抜いた痕が落ち着いくや否や取りかかるものと、いつの間にやら思い込んでいたのだった。

  笑いのあとには血を見るだろう
 私は心から納得し、お愛想ではない真実の笑顔を医師に、さらには衛生士さんに返した(次回の治療では笑顔は失せ、少なからずの出血も伴うのだろうけど)。

 でも、より一層の歯ぐきの完璧健全化が求められるインプラントだったら、もっと月日を要するんだろうから、転勤族の身としては、やっぱり大阪でインプラント治療を選択しなくて良かったのだと思う。

 なお、上の写真は今通っている歯科医院のものではない。

 江別市にある歯科医院の看板だ。
 江別は麦の産地。それをきちんと取り入れているのね。ベーカリーショップじゃなく歯医者なのに……

IfukubeHayashi 伊福部昭(Ifuklube,Akira 1914-2006 北海道)の、映画「座頭市血笑旅」の音楽。

 「座頭市血笑旅」は1964年公開の大映映画。座頭市シリーズの第8作にあたる。にしても「血笑旅」とは、字づらだけでも震え上がっちゃいそうだ。

 以前は林友声が上海交響楽団を指揮した、セッションでのステレオ録音があったが(キング-セブンシーズ。掲載写真)、いまは入手不可。

 聴くならサウンドトラック盤で、ということになる。

 えっ?歯科での治療のあと、その日はどんな弁当を買ったのかって?

 その日は昼からの予約だったのでした……

愛に満たされた盆明けの2日間♪ブラームス/「愛の歌」

20190818Glass  はしがき
 お盆明けの最初の土日(17~18日)のこと。

 このあたりの日々の出来事をブログに書いてないのは、実は報告するタイミングを単に逸しただけだが、土曜日の朝は期限切れの卵を目玉焼き-当然ながら固焼き-にして食べ、シーチキンの缶詰も開け、エアコンのフィルターを掃除したりした。

 日曜日は、昼はエルガーやバルトークやブラームスを聴きた。
 夜、ハイボールを飲むときに使っているお気に入りのグラス-青いのと緑色の2つがあるが、緑色の方。って、どうでもいい話だろうけど-に、強烈なひびが入っていることに気づいた。ハイボールを飲んでいるときに、である。

 かつて、私の粗相でウチの車のフロントガラスに走った亀裂を、私は思い出してしまった。
 というのも、グラスのひびもフロントガラスのときと同じように、発見時から飲酒終了時までの2時間ほどの間に、どんどん伸張したからである。

 ところで、「よく10日ほど前のことを覚えてるな。感心感心」と思っているあなた。はっきり言おう。違うよ、それは。

 私の記憶力は全然乏しい。メモリ不足もはなはだしい。


 その日に『つぶやいた』ものを見返したのである(グラスの日々に関しては、つぶやきに「けがをしなくてよかったですね」と心配のメッセージをくれた方がいた。この場を借りてあらためてお礼申し上げる)

  ここから本題
 前置きが長くなった(このあとの本題よりも)。

20190818Spam愛 その土日に、私は愛の攻勢を受けた。

 それぞれの、本文はどうなっているかって?
 
 件名に短い文章が続いているだけである。

 たとえば、

 愛/セキュリティーマネー@絶対おしえます様から


 10万円分あります。使って欲しいです。「ひらがな16文字」って言えばわかりますよね?文字化けせず確実に伝える方法は


http://YKNTD.AiAi-sOLutIONsTar.com/G9SIdSOgVJ/g0vvXPgWPc/XGcXLYTOf/1IaTKfDGbU/Li

ってなものだ(さっぱりわからんが)。


 差出人の名前はすべて違う。


 でも、そんなことは問題ではない。
 要するに、私は本当の愛には恵まれていないということを、思い知らされた。

BrahmsWaiz ブラームス(Johannes Brahms 1833-97 ドイツ)のワルツ集「愛の歌(Liebeslieder)」Op.52a(1874)。

 全18曲のピアノ連弾曲集で、声楽(独唱)を伴う同名のOp.52をアレンジしたものである。

 ベロフとコラールの演奏で。

 1979年録音。EMI。

  あとがき
 なお、佐藤さんは全然知り合いじゃない人だし、栃木県に11店舗目のルートインができることは、私の日々の暮らしに120%関係のない出来事だと、ここに宣言する。

カサカサ散るもの、ピョンピョン跳ねるもの♪ブラウニング・マイ・ディア

 20190825Cuctus 先が細いところがちょっぴり……
 あのサボテンのその後だが、順調に生育を続けている。部屋にある他のサボテンたちがフェイクのようにまったくもって変化のない同じ状態なのとは対照的だ。

 日曜日(25日)に撮影した姿がこれ。

 先が細くやや徒長気味なのかもしれないが、その様子がいろっぽいと言えばいろっぽい。やがて太~ぉくなっていくのだろうか?

 いっぽうで、8月の前半を留守にしていたのでそうなることはある程度予測できたが、オリーブの木の落葉がひどい。

 いっそのこといっぺんに落ちてしまってくれたら掃除も楽なのだが、朝起きるたびに、毎日10~20枚の葉が床に散らばっている。これが小判だったら毎朝大喜びなのだが、ただの落ち葉だ。

 おまけにこの葉は案外硬めで非力なMyコードレス掃除機では吸い込めないありさま。手で拾わなければならない(コード有掃除機を出してくるのはめんどくさい)。

 私がその落ち葉拾いをしているときである。
 動いたのである。何かが。

  どこにどんなエサがある?
 不意に何かが動き、のけぞった私。

 その未確認物体は、小さなクモであった。雲でなく、蜘蛛である。あの、ピョンピョン跳ねるやつだ。
 名古屋のマンションでも何度か出てきて私は飛び跳ねて逃げ惑ったものだが、この大阪の部屋にも出た。ピョン吉じゃあるまいし、クモのくせにすばしっこく飛び跳ねるのが怖い。こんなクモ、北海道では見かけたことがない。小さいのがせめてもの救いだ。

 ネットで調べてみると、このクモはアダンソンハエトリというハエトリグモの一種で、害虫を食べる益虫(クモは昆虫類じゃないけど)なんだそうだ。

 てことは、えさになる害虫がこの神聖であるべき部屋に生息しているということになる。

 クモが出るのもいやだが、エサが生息しているのも嫌だ。

 とりあえず益虫であろうとも、私はアダンソン君を退治した(私にとっては害虫である)。
 そのあとはどうすべきかとっても困りながら思案中である。

20190825Olive なお、オリーブの木には人生をやり直してもらうことにした(かつての元気時代の姿はこちら)。

 バッサリと切ったのである(剪定ばさみが手元になかったのでけっこう難儀した)。
 緑色の新芽が出てくることを楽しみにしたい。

 ストニングズ(Henry Stonings 1543頃-89頃 イギリス)の「ブラウニング・マイ・ディア(Browning my dear)」。
 「葉は緑に(The leaves be green)」の主題に基づく、リコーダーを含む器楽合奏曲だが、「葉は緑に」がどういう楽曲なのか(民謡?伝承曲?)、私には不明である。

 エスタンピの演奏を。
 「緑の森の木陰で-森にまつわる世俗音楽集」というCDに収録されている。

 1995年録音。NAXOS。

Under the Greenwood

歳をとると高菜とかしらすとかがうれしい♪サン=サーンス/戴冠式行進曲

20190820_711LP  自由研究「麻痺状態で食すほか弁の味について」
 私の場合、19日の月曜日からサラリーマンとしての本格的な2学期が始まった。

 この日の昼は、午前中に歯科医院に行ったついでに-いや、こっちの方が重要な用務と言えるかもしれない-『ほっかほっか亭』で弁当を買い、でも歯科医に打たれた麻酔の効きが想定していた以上に長く続き、麻痺状態で食べるハメになってしまった。

 その翌日。麻痺してしないノーマルモードの状態で2学期最初に食べた弁当は、セブンイレブンのこれ。

 『新発売』のシールは貼られていないが、私としては初めて目にする弁当。長期休暇をいただいきコンビニ弁当から遠ざかった生活をしていた間に、すでに『新発売』の冠がとれてしまったのかもしれない。

 この弁当は脂っぽいおかずも少なくヘルシーで、味も安定したなかなかのものであった。

SainSaensJarvi サン=サーンス(Camille Saint-Saens 1835-1921 フランス)の「戴冠式行進曲(Marche du couronnement)」Op.117(1902)。

 この曲について、そして私とこの曲とのカラビニエリな関係についてはここをご覧いただければと思う。

 N.ヤルヴィ/ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団の演奏で。

 2011年録音。シャンドス。

  顔色も少し良かったです
 そのあとの21日以降は出張で、名古屋でかつ丼を食べたり、名古屋で買った駅弁を大阪に持ち帰ったりして、コンビニ弁当を買う機会がなかった(良いことなのか残念なことなのか判断がつきかねるが)。

 で、昨日、ほぼ一週間ぶりにコンビニ弁当を買った。

20190826PL_LAWSON 思い出したようににときおり傑作弁当を放つ asnas を覗いてみたが、意表を突く新商品は発見できず、並んでいるのはどれも、わが年齢には重すぎる、見るからにハイカロリーのものばかりだった。

 そこで LAWSON に行き、前にも買った鮭の幕の内弁当を買った。

 550円という価格設定は、コンビニの中でも高級路線であることを示すし、コンニャクやシイタケの煮物も入っていい手、これまたバランスを配慮したよくできた弁当である(上の弁当も550円だ)。

 そしてなによりあの女性店長さんが前回見たときよりは疲れ切っていないようで、ちょっぴり安心した。

救済してもらう手立てもなかったし……♪WAM/p協

MiuraAyako_Haha  けつろん
 本日は事実上、休載させていただきます。

  いいわけ
 どうも書く意欲がわかず、逆に読む欲求は強く、昨日は記事の下書きなどせず、読みかけだった三浦綾子の自伝「命ある限り」を読み終え、さらに小説「母」にとりかかった。

 そんなわけで、休日の人間本来の過ごし方らしく音楽をかけながら、時に茶をすすり、読書をしたので、ブログ記事の下書きができなかったのである。

 読書のときにBGMには、モーツァルトのピアノ・コンチェルトを選んだ。

1年半ぶりの『ミャ古屋』♪バダジェフスカ/乙女の祈り

20190822a  私はレタス……
 水曜日に横浜に向かったことを報告したが、私はスマホを持っていなくて、コンデジで撮った写真を家のパソコンに取り込んだ挙句に、家のノートパソコンでブログ記事を書いている有様なので、写真付き記事のアップが、時代錯誤の奇人のように遅くなる。リアルタイム投稿は無理なのである(ツイッターでも同様)。
 が、そこは一休さんの「あわてない、あわてない」って名言を思い出して水に流してほしい。

 今回、新横浜から名古屋までの新幹線は混んでいて、3人掛けシートの真ん中という、ハムサンドイッチのレタスの役割を仰せつかったような状況に置かれたが、まあ、飛行機よりも開放感はあるし、1時間20分ほどのことなので、それほど苦痛ではなかった(飛行機の1時間20分は長く感じるのに。そして飛行機なら必ず20190822bトイレに行くのに、不思議なことに新幹線では尿意なしだった)。

  味噌のは勘弁
 昼は何を食べようか迷ったが(何を食べたいかでなく、どこならすいているかという観点で)、エスカの行列ができていたひつまぶしの店の隣に相席にならずに済む程度にすいていた居酒屋を発見。
 日替わりサービスの丼物-かつ丼680円-を食べた。厚くないカツが、歯を治療中の私には実にありがたかった(私が座った入り口近くの席のすぐそばにレジがあり、そこにいた店のおばあさまが私のことを見つめていたような気がしないでもなかったので写真は撮らなかった)。味も良い意味でふつう。

20190822d 頼んだあと、「もしかして『みそかつ丼』だったらまいるな」(味噌カツが苦手なので)と不安になったが(サンプルは見たんだけど)、運ばれてきたのはふつうの『かつとじ』のかつ丼で、私は心の中で「ふつうってすばらしい!」とつぶやいた。

  次の日選んだのは『こだま』
 夜はここに書いたように、絶品のポテトサラダを頼み(『まるく』という店の名前が冠されている自信作)、〆にカレーライスを食べた(その間に各種おばんざいも頼んだが)。
 その料理も満足のゆくものだった。

 翌日は朝に名古屋を出発する新幹線に乗車。
 乗る前に、私が名古屋時代にも絶賛し続けていた、あの弁当、『こだま』を買う。

20190822e

 この日とった席は、いちばん出入り口に近い車両の最後部の席。
 今まで意識していなかったが、新幹線のホームに設置されている扉(『ホームドア』というらしい)が閉まるとき、席のせいもあって、チャイムの音が良く聞こえた。
 このチャイムって、「乙女の祈り」だったのね。

 バダジェフスカ(Tekla Badarzewska1834-61 ポーランド)の「乙女の祈り(Molitwa dziewicy[ポ]/La priere d'une vierge[仏])」(1856刊)。

 ここでもチラリとは書いたが、井上和男編「クラシック音楽作品名辞典」(三省堂)によると、バダジェフスカ(ボンダジェフスカ)は、

 サロン音楽の女流作曲家。18歳のときの作品「乙女の祈り」が1859年パリの『音楽ニュース雑誌』Revue et gazette musicale の付録に載って以来、爆発的人気を呼び、全世界で愛好されるようになった。ほかに34曲のピアノ曲がある。

 って、《女流作曲家》というわりには、34曲しかないんだ……って感じ(大作かもしれないけど)。
 そしてまた、「乙女の祈り」だけの一発屋である。

 いずれにせよ、新幹線のホームドアが閉まるときにこの曲が使われているのは、「駆け込み乗車で挟まれる人がいませんように」という乙女の祈りが込められているのである(当然ウソです。どこの乙女か知らないし、開くときも鳴るわけだし)。

 昼前に大阪の会社に戻り、待ちに待った昼。
 お弁当のふたを開ける。

20190822f

 すばらしい!

 かばんのなかに縦に入れて持ち帰ってきたのに、ほぼ中身の荷崩れ無し。

 表面を覆うセロファンとそしてぴっちりと隙間のないように設計されたふたのおかげだ。過酷な条件を強いられる駅弁が、いかにぐちゃぐちゃにならないか考え抜かれているとしかいいようがない。

 味?
 モチロン、サイコー!

ピンク色のゴムがはずれはしないかと心配した若き日々♪レスピーギ/噴水

moeref3  クリーニングと謎の薬を塗ったおかげ
 歯科医院での治療のその後についてのご報告。

 抜歯をし、そのあと2回にわたって歯ぐきのクリーニングをした。それは、帯広での拷問にも似た歯石とりは何だったのかというぐらい、穏やかな治療だった。
 クリーニングのあと、茶色い薬を塗られ、しばらく口の中に溜めとくように言われた(厳密にはぺっっと吐き出してもいいが、飲み込まないようにと指示された)。

 その後、小康状態は保っていたものの腫れていることには変わりなかった左下奥の歯ぐきの違和感が大幅に改善された。
 ってことは、あのお医者さんの見立ては占い師も青ざめるほど当たっていると言わざるを得ない(現時点で)。

 なお、一時期は封印していた電動の利用も再開した←歯ブラシのことです。

 先日、それは19日の月曜日のことだったが、その前に発見された左下の犬歯に入れてある詰め物がフィットしなくなってきていることに対する治療が行なわれた。

 麻酔の注射を打たれ、金属の詰め物を外され、仮の詰め物を入れられた。仮といっても陶磁器みたいな素材だ。
 私が子どものころは、白やら黄色やらピンク色のゴムをバーナーで焙って溶かし、それを歯の穴に入れられたものだ。あの色の違いに何か意味があったのだろうか?そして、詰められたゴムはほとんど間違いなくその日のうちに外れたものだ(もちろんガムやミルキーなどを食べたわけではないのに、である)。

 いまの詰め物はそうそう抜け出したりしなさそうだ。
 けどちゃんとした詰め物が入るまではもろいので反対側で物を噛むように言われた。

 どっちにしろ左の上の奥歯は1本抜けた状態で、このところは右側だけで食べている。当初痛みがあった右上の奥歯も、鍛錬されたのかこのところはあまり痛まない。

  上の写真はイメージです。萌え萌えモエれ、です
 それでも、帰りにまたこの弁当を買って帰り、まだ麻酔で口のあたりが別生物状態のまま食べたが、不思議なことに左下の犬歯の形がちょっと変わっただけなのに、なぜか右側でも噛みづらくて、唐揚げ1個とちくわの磯辺揚げを残してしまった。もったいない……

 食後に口をゆすぎにトイレに行ったが、左下の歯ぐきに麻酔を打ったのにもかかわらず、ぶくぶくうがいをしたときに、ダラぁ~っと口元から水が漏れ出るのではなく、上唇側の方から水鉄砲のごとく水が発射されたのも、これまた不思議であった。

RespighiVecchia レスピーギ(Ottorino Respighi 1879-1936 イタリア)の交響詩「ローマの噴水(Fontane di Roma)」(1914-16)。

 「ローマの噴水(泉)」はレスピーギのローマ3部作(噴水/松/祭り)の最初となる曲。

 「夜明けのジュリア谷の噴水」「朝のトリトンの噴水」「昼のトレヴィの噴水」「たそがれのメディチ荘の噴水」の4つの楽章からなり、続けて演奏される(→詳しくはこちらを)。


 ここでも取り上げている、ラ・ヴェッキア/ローマ交響楽団による演奏を。

 ところで歯医者で治療中、胸ポケットに入れてあった携帯電話が鳴った。

 あとから見たら、妻からだった。

 “リビングに置いてあったミニコンポが突然黙りこくった”という内容だった。
 つまり、突然死したらしい。

 もう20年近く前に買ったSONYの、MDの録音再生もできる絶滅型コンポである。
 よくぞ、20年ももったものだ。

 だが、この手の電化製品が突如稼働しなくなるというのは珍しい。しかもFM放送を聴いているときに、妻と国交を断絶するかのように、予告なく押し黙ってしまったそうだ。

 ヒューズでも切れたのだろうか?いや、ミニコンポにヒューズって話はあまり聞いたことがない。

 次回帰ったときに取り組むべき課題である。

リトミカ・オスティナータの中にキジバトの声を聞く♪伊福部/リトミカ

RitmicaCD  本日も予約投稿
 昨日書いたように、昨日は横浜から名古屋へ。

 夕方に入り、夜は名古屋勤務のときによく行った-といっても、2年間名古屋で勤務したものの、両手の指が足りなくなるほどは行っていない-居酒屋で、お気に入りのポテトサラダと〆のミニカレーを食べて、感激の涙を流した。

 ところで、何度も書いている、かつてわが自宅のナツツバキにヤマバト(キジバト)が営巣し、雛がかえった話だが-そしてそれからというもの、キジバトはわが家の守り神のような位置づけになり、偶像崇拝としてやら置き物まで買ってしまった-、あれは私の名古屋勤務1年目のことだった。

 あの子らが去ったあと、名古屋で「デーデー ポッポー」という鳴き声を耳にし、ここまで私を追いかけてきたのか?と錯覚したこともあった。

 ところで、「デーデー ポッポー」ではなく「デーデー ポー」っていうことになるが、私は伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の「ピアノと管弦楽のための『リトミカ・オスティナータ』('Ritomica ostinata' per pianoforte ed orchestra)」(1961)を聴くと、全身の神経系にキジバトの鳴き声を感じる。

IfukubeRitomicaAdagio  若き伊福部昭は山で耳にしたに違いない
 「リトミカ・オスティナータ」の曲の構造は、A-B-C-B'-A' という形になっている。
 A と C と A' がテンポの速い部分。B と B' は遅い部分である。

 曲が始まり A で暴力的に盛り上がったあと、B の アダージョに入る。
 その最初が、低音楽器による「デーデー ポー」なのである(掲載譜の箇所。このスコアは全音楽譜出版社刊のもの)。

 林務官を務めていた伊福部には、「デーデー ポー」はなじみのある鳴き声だったのだろう(←って、キジバトの鳴き声に似ているという印象も含め、すべて私の勝手な思い込みです)。

 私が持っているこの曲のCDは8種類になった(ピアノ・リダクション版によるものと、初版のライヴを含む。8種もあるなんて隔世の感がある)。

 しかし、私がLP時代にこの曲を初めて知った小林仁の独奏、若杉弘/読売日本交響楽団の演奏をしのぐものはまだないのではないだろうか?(当時はこの音源しかなかった)。

 迫力がある演奏は他にもある。が、全体的なバランスや緩徐箇所の歌わせ方は、この演奏がいちばんに思う。セッション録音だが、それは(1発収録で不利だという)ライヴかセッションかという問題とは別な次元の話だ。

 この音源(ビクター)は現在、受注生産のMEG-CDという形で購入することができる。
 レーベルもミュージックグリッドとなっている。
 録音は1971年。

 そうそう、札響の定期で聴いた「リトミカ」の演奏もすばらしかった!

 さて、今日は大阪に戻ったあと、午後には歯科医院に行かねばならない……

北国の秋の到来を告げる野草たち♪ディーリアス/北国のスケッチ

  てなことで、本日は予約投稿
 今日の朝を私は横浜で迎えている。
 昨日、出張で横浜に来たのである。

 昨年も8月に横浜に用事があり訪れたが、台風が近づいているということで用務もそこそこに早々と大阪に戻ったことが記憶にまだ新しい(歳をとると1年はあっという間なのだ。同じように記憶力も落ちるのだが……)。

 今回私は、お盆時期に台風に振り回されたので-判断ミスとも言えるが-この出張は気象災害に悩まされないよう勘弁してもらえそうだ。

 今日は横浜で用事を済ませたあと、名古屋に行く。
 支社を訪問するが、1年半前に転勤したから最初の名古屋なので楽しみである。

 大阪も横浜も暑いし、きっと名古屋はそれ以上に暑いだろう。
 お盆のころ、北海道もそこそこまだ暑かった。今年の北海道の夏は例年以上に湿度が高いように感じる。

  これらに秋を感じるのは個人的感想?
 しかし、家の近所を散歩してみると、秋の到来を感じさせる野草の花々が咲いていた。

201908Ebetsu17

201908Ebetsu03

201908Ebetsu07

201908Ebetsu09

201908Ebetsu10

201908Ebetsu04

201908Ebetsu15

201908Ebetsu13

201908Ebetsu16

 最後の写真は、ウチの庭で咲いているミントの花である。

 ディーリアス(Frederick Delius 1862-1934 イギリス)の「秋-風がこずえを渡る(Autumn - The wind soughs in the trees)」。

DeliusMackerras 1913年から14年にかけて作曲された、3曲からなる「北国のスケッチ(North country sketches)」の第1曲である(第2曲は「冬の風景」、第3曲は「踊り」、第4曲は「春のおとずれ-森と牧場と静かな荒地」)。

 マッケラス/ウェールズ・ナショナル・オペラ管弦楽団の演奏で。

 1989年録音。デッカ。……あら、廃盤……

 リッピングして、オークションに出してみようかしら、このCD。
 
激励のお気持ち承り所
最近寄せられたコメント
私の浮き沈み状況

これまでの御来訪者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

メッセージ

名前
メール
本文
本日もようこそ!
ご来訪いただき、まことにありがとうございます。

PVアクセスランキング にほんブログ村
サイト内検索
楽天市場 MUUSAN 出張所(広告)





カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
タグ絞り込み検索
読者登録
LINE読者登録QRコード
QRコード
QRコード
ささやかなお願い
 当ブログの記事へのリンクはフリーです。 なお、当ブログの記事の一部を別のブログで引用する場合には出典元を記していただくようお願いいたします。 また、MUUSANの許可なく記事内のコンテンツ(写真・本文)を転載・複製することはかたくお断り申し上げます。

 © 2014 「新・読後充実度 84ppm のお話」
  • ライブドアブログ