新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は江別市「らーめん しょう」の味噌ラーメン。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2018/10

ご光臨に萌えるミサコは誰でもウェルカム♪中国古謡の変奏曲

DSCN0400  でも、まだ暑くね?
 北海道で生まれ育った私だから、この時期の北海道がそれなりに寒いっていうのはわかっている。


 しかし、本州生活3年目のせいかどこか感度が鈍っているようで、けっこうな寒さにマンドリルのお尻も真っ赤っかって思いをした(←意味はない)。

 そう。実はいま私は北海道にいる。
 今日の朝を、私は帯広で迎えた。

 行程ががちがちに固まっている出張なので、帯広勤務時代にお世話になった取引先の方々や支社の方々に会う時間の余裕はほとんどなく、ましてや美珍楼で担々麺を味わうという贅沢なひと時を過ごすなんてことはご法度だった(だが足寄で豚丼を食べた。あまり本意ではなかったけど……)。

 今日はこれから旭川方面に向かう。

 大阪も寒くなった。とはいえ、いまだスーツの上着を着て歩いているとちょっと汗ばむくらいだ。
 でも、こちらの人々は暦で衣替えをするようで、すでに厚手のコートを着て歩いている女性も少なくない。私がいまあんなコートを着たら、熱中症で倒れてしまうに違いない。

  この人なら狙われるかも
 女性といえば、大阪府警が駅前で上の写真のクリアファイルを配っていた。


 “大人の女性だから防犯ブザーを持つ!”。実に良いことだ。
 良いことだが“オシャレに身を守る”っていうのが、どういうことなのかは不明。

 このクリアファイル、私はとても恥ずかしくて使えないが、こういうアニメキャラが好きな萌え萌え原理主義者にとっては垂涎(すいぜん)のまとになるのかも知れない。

 大阪にはこういう大人の女性が多いのかって?
 ……いまのところ見たことないです。

MoemoeSpam  到着は“保障”なのね
 萌えといえば、ほらほらまたまた来ました。あれの類似、と言っちゃ悪けりゃ、バリエーション。

 萌美早子という、漢文みたいな文字列の名前だ。モエ・ミサコなのかモエビ・ソウコなのかホウミソウシわからないが、よくぞまぁこういう名前が考えつくよなぁ~と、ちょっぴり感心。

 本文については何も言うまい。
 と思ったが、“スタイルが多い(・・)”とか“品質がよい”とかって『保証』とは言わないんですよね、わが国では。

 このお店-発信者は前のと同一であることは間違いない-のメール。いったいどれくらいのバリエーションがあって、何名分の女性の名前を準備しているんだろう?

Yellowriver  今日は、中国古琴曲を王建中(ワン・ツェンツォン)が編曲した「古き中国のメロディーによる3つの変奏曲(3 Variations on an Ancient Chinese Melody)」でもいかがなもんかしら?

 お気に召すかどうかは保証しませんけど。


 殷承宗(イン・チェンツォン)のピアノで聴くことができる。


 1990年録音。ナクソス。


  ところで、萌え萌えのモードの状態にとどまっている人が集まる地が留萌である、というのは誤情報である。

ためときゃけっこうなアンプが買えた?イザイ/子供の夢

Cui_Midori  当たっている人ってこの世に本当にいるの?
 宝くじの売り上げが年々落ちているという。

 わかるわかる!

 だって、じぇ~んじぇん当たらないんだもの。

 根気強くずっとLOTO6を買い続けているが(どうしてこういうことには根気強いのか、自分が恨めしい)、年に2回か3回1000円が当たるだけだ。

 購入価格は3口で600円。
 それをほぼ10年間買い続けているので、単純計算で600円×週2回×50週×10年でなんと60万円!
 こんな大金を、究極の夢に投資していることになる。
 このようにあらためて計算してみると、自分が愚かなロバのように思えてきた。ロバには失礼だが。

 けどLOTOの恐ろしさは、買わなくなったときに、それまで買っていた番号大当たってしまうのではないかという強迫観念に襲われることである。そう考えるとやめられない。

 LOTOはともかく、年末ジャンボなどは当選金が高額になったせいで当たり本数が減った。
 当たらないから売れなくなる。
 3億円の1等が10本という口数より、1等5000万円が60本という方が、当たる確率は6倍になるわけで、小心臓の私にははるかに良いのに……

  夢はかなうか?夢に終わるか?
 そんなLOTOボンビーなのに、でもLOTO6を買い続けなければならない哀れな私が、先日偶然にも乗ったのが『宝夢』号。


 いや、『宝夢』号は、宝くじの売上金で日本赤十字社に寄贈された献血車とかレントゲン車じゃない。

 阪急電車である。
 遠目で見たことはあったが、乗るのは初めて。

HankyuTakarayume

HankyuTakarayume2

 乗れてうれしくてたまらないという気持ちはまったくないが、本来の意味とは違うものの(宝は宝塚の宝のはず)、なんとなく宝くじが当たる夢がかなうような気がしている。
 あっ、宝くじはあくまでも夢のままっていう風にも解釈できるけど。

 イザイ(Eugene Ysaye 1858-1931 ベルギー)の「子供の夢(Reve d'enfant)」Op.14(1902?)。

 イザイが生まれてきた末息子のために作曲したヴァイオリンと管弦楽のための曲。

 ここではピアノ伴奏版を、五嶋みどりのヴァイオリン、マクドナルドのピアノで。


 1992年録音。ソニークラシカル。


 なお、本日この曲を取り上げたのは、クラシック音楽作品において「おっさんの夢」という曲がなかったからにほかならない。

ボンビーゆえに活かせなかったJR北の高い技術力♪ライヒ/ディファ・トレ

Hosokawa _DMV4  “熱い”北の車両屋さん
 ここに書かれているお話は、すでにとん挫したものである。

 最初に出版されたのは2007年と、そんなに昔のことではないのに、北の鉄道マンの夢はいいところまで実現したにもかかわらず、結局夢と消えた。

 畑川剛毅の「線路にバスを走らせろ 『北の車両屋』奮闘記」(朝日新書)。


 10月26のブログで触れた、JR北海道が開発したDMV(デュアル・モード・ビークル)。
 本書はその誕生物語で、

 鉄道ファン必読。JR北海道は民営化から20年、ローカル線廃止の危機に、なんと、線路でも道路でも走れるDMV(デュアル・モード・ビーグル)を開発してしまった。劣悪な経営環境のなか、フラノエクスプレスなどでリゾート列車ブームを先駆け、雪や極寒に耐える車両、乗り心地と効率の両立などなど。奇想天外のアイデアと斬新な技術を生みだした「北の車両屋」たちの奮闘を描く。


というもの。

 著者は朝日新聞の記者。2004年~2005年に北海道報道部に勤務。2005年に半年だけJR北海道の担当記者となり、そのときにDMVに出会った。

 この手の本なので、物語を『美しく』しているところもあるだろうが、DMVの開発のほか、リゾート列車の製造、振り子気動車特急の開発、特急の高速化の実現、交流回生の実用化といった、そのころのJR北海道の熱い思い、高い技術が詳しく書かれている。なかなか読み応えのある内容だ。


Hosokawa_DMV1

 DMVとは、一般道路ではバスとして、線路上では鉄道車両として運行できる車両。
 JR北海道はこの開発に成功。営業運転できる直前までたどりついていた。


Hosokawa_DMV2 
不通の箇所もバスでGo!

 2015年1月の低気圧による高波で、日高本線の厚賀と大狩部の間で土砂が流出。
 このため鵡川⇔様似間が不通になり、それはいまも復旧の見込みが立っていない(復旧というよりも廃止の話が出たり消えたりしている)。

 だがDMVなら、被災した厚賀⇔大狩部の1駅区間だけバスとして国道を利用し、あとは鉄路を走ることができる(いまはこの1か所のために様似までの長い距離をバスで、しかも静内で乗り換えて行かなければならない。参考までに現時点の北海道の路線図を下に載せた)。

 あるいは、いま廃止が協議されているいくつもの路線だって、低コストのDMVの投入で鉄路を存続できるかもしれない。

 線路をはがしてしまえば、もう元に戻すことは事実上不可能となってしまうのだ。

 解決すべき課題は少なくないが、ディーゼルカーより車両費も安く、軽重量で線路にもあまり負荷をかけないDMVは、乗客が減った赤字路線の主役になるはずだった。


 しかし、この本が書かれたあと、あるいはJR北海道の技術陣が熱い思いで奮闘していたこのころから、事故や不祥事でJR北海道を取り巻く環境は急速に悪化した。


 せっかくの高速化実現も、安全面から減速と、過去と同じ状態に戻された。

DifferentTrains ライヒ(Steve Reich 1916-  アメリカ)の「ディファレント・トレインズ(Different Trains)」(1988)を、クロノス・カルテットの演奏で。

 1988年録音。ノンサッチ。

  お金がないのであきらめざるを得なく……
 本書はこう結ばれている。

 都市間の大量高速輸送を可能にした新幹線、都市内の大量輸送の任務を果たし続ける在来線。DMVは、必要な技術開発と、既存の鉄道の考え方の枠を超えた新たな基準が認められれば「人口集積が少ない地域でも成り立つ、新しい公共交通システム」のモデルになる可能性を秘めている。大量高速輸送とは別の、少子高齢化社会における鉄道の新しい役割を切り開く先兵になる。

 しかし出版から7年後……

 ウィキペディアの『北海道旅客鉄道』の項には次のような記述がある。 


 また、JR北海道は早ければ2015年(平成27年)頃の実用化・運行開始を目標として2002年(平成14年)より鉄道の線路と道路の両方を走行できる車両デュアル・モード・ビークル (DMV) の開発を進めていた。これについても同様の理由により、2013年(平成25年)9月27日に運行線区の選定作業中断を発表し、翌2014年(平成26年)3月を最後に試験運転を含めた準備作業が凍結となり、同年9月には導入を断念することが発表され、さらに翌年の2015年(平成27年)8月には、後述のような事故や不祥事が相次いだことから、安全対策と北海道新幹線に経営資源を集中させるため、DMV開発にこれ以上資金を投入し続けることはできないとの判断から実用化自体を断念し、DMV事業から撤退することが発表された。なお開発の過程においてJR北海道が蓄積した関連データなどは求めに応じて外部へ提供するとしており、2017年(平成29年)2月には、徳島県の阿佐海岸鉄道において、2020年までに世界で初めて、DMVの運行を開始することが発表された。


 なんとも歯がゆい思いがするのは私だけだろうか?

 北海道新幹線よりも(課題はまだまだ多かったが)DMVの方が道民にとっては価値があるように思うのだが……

JRHokkaido2018Map

私の札響感動史(38)♪男の子2人の一生懸命な姿に視界不良となった私

SSO368_369  あのときの大野さんはまだ30歳半ばでしたもんね……
 前回取り上げた第364回定期演奏会のプログラムノーツ。


そのなかの、次回定期の演奏会の聴きどころを紹介する連載記事で、青澤唯夫氏がこう書いている。

 ……私が本格的に札響を聴きはじめたのは1991年からで、まだ日も浅いわけだから大きなことは言えないが、それにしても秋山和慶が指揮する時の札響は、聴き手にとってはもう安心して音楽に浸りきることができる。
 ほかの指揮者が危なっかしくて仕方ないというつもりはないが、秋山和慶の指揮は私たちの国のあらゆる指揮者のなかでも屈指の安定感を持つことは疑いない。……


 まったくもって同感である。
 そしてまた、安定しているだけではない。そのプログラムは実に挑戦的である。
 それが両立しているのがすごい。私はこれまで、秋山が指揮する札響で、つまらなかったと思ったことはない。


 さて、1995年に入り最初に行ったのは、その首席指揮者・秋山和慶が登場する1月ではなく、大野和士が指揮した2月の第366回定期。

 前半のワーグナー/ジークフリート牧歌、ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第1番(独奏:中村紘子)はなぜか印象に残っていないが、後半のルトスワフスキの「管弦楽のための協奏曲」は、札響の緻密なアンサンブルが楽しめた。ただ、大野の指揮はちょっとまじめすぎるというか、まだ硬いというか……


SSO370_371  これまためったに聴けない生スクピーコン
 次に行ったのは4月の第368回。
 指揮は秋山。ピアノは伊藤恵。

 この日も秋山は珍しい曲を取り上げてくれた。
 スクリャービンのピアノ協奏曲である。


 非常に甘美でロマンティックな作品で、私がこんなに良いと思っているのに、なぜ世の中の人々はあまり関心を示さないのだろうかと、孤独のどん底に突き落とされたような思いをしていたのだが、秋山が取り上げてくれて「ほぅらね!これだって日本ではあまり演奏されることのない名曲』ってことさ!」と、市議会議員選挙で多くの支持を得たような気分になったものだ。

 ただ、甘美でロマンティックということは、一歩間違えると甘ったるく平板で退屈な演奏ってことになりかねない。

 しかしそこは『安定の秋山』(安定=優等生的ではない)。この曲の魅力をきっちりと聴かせてくれた。いつでも、さりげなくきちんと名演に仕立て上げちゃうところがすごい、秋山は。

 もちろん伊藤恵も言うことなし。ときに優雅にときに激しくと、豊かな表現でこの曲を弾いてくれた。


 スクリャービンで満足してしまったせいか、そのあとの「シェエラザード」はあまりよく覚えていない。このころから私の『メモリ不足』が始まっていたのだろうか?


 翌5月の第369回は札響桂冠指揮者・岩城宏之の登場。
 ドビュッシーの「夜想曲」とラヴェルの「ダフニスとクロエ」全曲という意欲的なプログラム。

SSO371PN これは行きたかった。つまり、私は行けなかった。
 結局、私が岩城/札響のステージを最後に見たのは、聴いたのは、いつのことになるのだろう?これより前か?それとも、このあとも聴く機会があったのか?
 今度、あらためて確認してみなきゃ


  海の向こうでは大ヒットしたレクイエムが札幌市民会館で
 6月も行けず、今度は7月の第375回。
 指揮は秋山、ヴァイオリン独奏が戸田弥生。


 モーツァルトの印象は残っていないが、「揚げひばり」は、札響の美しい弦の響きにのって、戸田が清楚な演奏を聴かせてくれた。

 そして、ロイド=ウェッバーの「レクイエム」。

 私は初めて聴くこの曲に、そして演奏に、すっかりやられてしまった。いや、気持ちが悪くなったんじゃなく、感動し、一目惚れした。


 そもそもロイド=ウェッバーという作曲家を知らなかった。
 「オペラ座の怪人」や「キャッツ」などの曲を誰が書いたかなんて関心がなかったんですもの。


 実際、この曲が発表されたときにはここに書いたような反応が起こったほどなのだ。

 このレクイエムの作曲者が有名なミュージカルの音楽を数々と手がけていたなんて思いもよらなかった私を、非難してはいけない。
 でも発表後、すぐにヒットチャートに躍り出たとか、そのなかでも特に第7楽章の「ピエ・イェズ」は超人気となったなんてことを知らなかった私は、ちょっぴり非難の対象となりそうだ。


 また、このレクイエムでは児童合唱のうち2人(ボーイソプラノとボーイアルト)が独唱も務めるが、おじさんはその姿-いっしょうけんめいきちんと上手に歌う姿-にもう涙腺が失禁しそうになった(児童合唱のメンバー全員もよくやってくれた!)。彼らももう30歳を過ぎてるな。いま、何してんのかな?

 プログラムノーツに“照明 (株)ライズ”と書かれているが、このステージでは特殊な『照明』が仕掛けられていた。
 
LloydWebberReqiem 曲の最後、オーケストラとオルガンがベスビオス火山の大噴火のように音響を炸裂させるところで-個人的にはこの破壊的な強奏が果たして必要なんだろうかと思っている-ステージの通常の照明が落とされ、赤い照明がステージ奥で照らされるのだ。まぁ、怖いことですこと……


 様々な打楽器やサキソフォン、シンセサイザーなどが用いられ通常のレクイエムと様相は違うが(ヴァイオリンは編成に加わらない)、聴き手のツボをおさえた傑作であることは間違いない。


 この曲のCDは、あいかわらずマゼール盤(イギリス室内管弦楽団、ウィンチェスター大聖堂聖歌隊他。1984年録音。EMI)しか出ていない(「ピエ・イェズ」だけなら他にも録音がある)。


 この曲のヴォーカル・スコアの表紙もCDと同じデザイン。

 きっと、いわゆるひとつの商業主義的なものがあるのだろう。


LW_RequiemScore

 スクリャービンのピアノ・コンチェルトについてはこのCDがお薦め。

その賞は何年間公募したのだろう?♪チェレプニン/Sym3

TcherepninSym3  昭は利三の子
 伊福部昭のファンなら、チェレプニン(Alexander Nikolaevich Tcherepnin 1899-1977 ロシア→アメリカ)の名前は間違いなく知っているだろう。

 伊福部を語るとき、彼の存在を忘れることはできない。
 伊福部昭の音楽を最初に認めた音楽家。それがチェレプニンである。
 そして短期間ではあったが、伊福部は来日したチェレプニンに師事している。

 しかし、伊福部ファンのなかでも、彼の作品を聴いたことがある人の数は『大半』とは言い切れないのではないだろうか?

 井上和男編「クラシック音楽作品名辞典」(三省堂書店)には、氏について次のように書かれている。

 ニコライの子。ロシア革命後、父に伴ってグルジア経由でパリに亡命。パリ音楽院に学び、ピアニスト、作曲家として西ヨーロッパで活躍。中近東、極東にも演奏旅行。1935年日本人作曲家奨励のためのチェレプニン賞を設定。’49年よりアメリカに定住(’58年市民権獲得)。増3和音の組合せによる、9音音階、東洋音階などを用いた現代的作風で知られる。

  久しぶりに買った桃屋の……
 いきなり“ニコライの子”って言われてもねぇ……

 じゃあ、そのニコライを見てみると、

 さすがに“アレクサンドルの父”という文から始まってはいなかった。

 ペテルブルク音楽院でリムスキー=コルサコフに師事。印象主義の影響とロシア国民楽派の伝統にたって作曲。ディアギレフのロシア・バレエ団の指揮者を務め、バレエ音楽に傑作を残す。ロシア革命後パリに亡命。息子アレクサンドル、孫イワンも作曲家。

 なるほど、お父様はロシア・バレエ団-ストラヴィンスキーの3大バレエやラヴェルの「ダフニスとクロエ」などは、ディアギレフの依頼で書かれた-の指揮者だったのか。

 でも、“バレエ音楽に傑作を残す”って言われても、みなさん知ってます?
 「火の鳥」とか「ペトルーシュカ」や「春の祭典」のような、有名な作品はない。私は知らない。
 そもそも、アレクサンドル以上にニコライ・チェレプニンという音楽家の名前を知っている人は少ないだろう。

 で、息子・アレクサンドルに話を戻すが、私がチェレプニンの名前を知ったのも、伊福部昭が「日本狂詩曲」(1935)で『チェレプニン賞』をとったという話から。

 そのチェレプニンの交響曲第3番嬰へ長調Op.83中国交響曲(Chainese symphony)」(1952)。

 5年前にも取り上げているが、その後5年間、この曲を聴くことがないまま5つ歳をとってしまった。
 償いとして、先日桃屋の搾菜を買った次第である(メンマと迷ったのは言うまでもない)。

 確かに「中国っぽいな」って音楽。
 しかし、聴いていて伊福部作品のように血が騒ぐとか、魂が揺さぶられるということは、私にはない。西欧音楽には数えきれないほど血圧を上昇させらてきたにもかかわらず……
 そしてまた、井上氏が書いているように現代的であり、とっつきにくいところもある(第3交響曲はまだ聴きやすい方)。

 私が持っているCDはLan Shui/シンガポール交響楽団の演奏によるものだが(1999年録音。BIS)、廃盤。

 伊福部昭が第1回のチェレプニン賞の受賞者だってことはわかっているが、じゃあ、そのチェレプニン賞って第何回まで続いたのだろう?

 

速報!2019年度札響定期プログラム発表!

SSO2019

 なんだか、目の前に、鮭・イクラ親子丼と活ヤリイカの刺身とジンギスカンとスープカレーとラーメン(醤油・味噌・味噌)と春ウニと道産和牛ステーキと豚丼を出されたような、魅惑のプログラム!

 いいな、札幌やその近郊に住んでる人は……

 コンサートに合わせて北海道に帰って駆けつけたいが、何度実現できるか?

茄子の状況とJR北海道の状況♪J.シュトラウス/観光列車

DSCN0422  ついに煮沸→開封→開口→消化
 去年、氷山係長からプレゼントされ、感謝の気持ちで食べるのが惜しく大切に保管してあったあのカレーをついに食べた。

 パッケージには“賀茂茄子のとろけるような食感をお楽しみください”と書いてあるが、残念ながら“とろけるような食感”はわからなかった。

 ただ、カレー自体の味がなかなか秀逸。

 パッケージの写真と茄子の状況が(『お断り』どおり)まったく違うが、満足の味だった。

 と、満足していたところに、JR北海道が来春運賃を値上げするというニュースが。

 そして高橋知事が、JR北海道は経営努力が足りないと言ったとか言わないとか。

 そりゃ運賃値上げは困るけど、なんせ乗ってる人の数が、いやそもそも道民の数が少ないわけで、ここに書いたように大阪や東京のようになりっこない。
 しかも、新しい車両すら造れない財政状況なのだ。

 JR北海道は努力せよと言ってばかりいないで、道民の足、観光客の足のために、国や道がもっと支援していかなきゃ、ホント、北海道に鉄道がなくなるよ。

  改造の技術力!DMV撤退も惜しい!
 ネガからデジタル化したので画像が悪くて申し訳ないが、そしてまだ私になついていてくれていたころのかわいい息子が写りこんでいるので-なので、世紀末のころだと思う-モザイクをかけているが、ブルートレインや独自に造ったリゾート列車(JR北海道はそういう技術が高かったのだ)が走っていたころは、まだまだJR北海道も元気だった。本州に比べれば車両のヴァリエーションはなかったが、でも華やかだった。

 しかし、その後状況は深刻なまでに悪化した。
 寝台特急や夜行列車は時刻表から消え、リゾート列車の数もぐっと減った。残っているものも老朽化してしまい、だましだまし使っている状態だ。

 鉄道会社なのに車両がない。
 これって、タクシー会社なのにタクシーがないのと一緒。ラーメン屋なのに丼が足りないのと同じ。
 
 こうなってしまったのは、やはり国からの援助、国鉄から分割民営化したときの仕切り方が間違いだったと思わざるを得ない。

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 JR北海道がやるべきことをやるのは当たり前だが、それだけではどうにもならないのだ。
 値上げしても赤字解消には至らないっていうぐらいなんだから。

 どんどん新車両を投入して、ダイヤの利便性を高め、徐々に客-特に観光客-を増やしていく(かな?)。
 その先行投資のために、国や道(お金が苦しいのはわかっているが)は動くべきではないだろうか?

 J.シュトラウス(Johann Strauss II 1825-99 オーストリア)のポルカ「観光列車(Vergnugungszug)」Op.281(1864)。

 私が持っているCDはことごとく廃盤になってしまっている。
Sato JR
 JR北海道の状況については、佐藤信之氏の「JR北海道の危機 日本からローカル線が消える日」(イースト新書)に詳しい。

 JR九州、JR四国も「単独維持困難路線」を発表…
 どこで道を誤ったのか?

 発足時3,176.6km→現在2,552.0km。それでも、全線の48%が単独維持困難!
 打開策は、どこにあるのか?

 興味がある方には、ぜひご一読をお薦めしたい。

Satoh_JR_EastBunko


スタイル豊富?意味わかんないし……♪クープラン/第27組曲

SagawaSpam201810  佐川が工場から直送?
 いきなり“佐川急便”だもの。
 売り言葉に買い言葉で、私としては「なんだよ?」って言いたくなる。

 Amazonとか楽天とか帝釈天あたりから、何か素敵なプレゼントがサプライズで届いたんじゃないかって、かなり淡い期待を抱いちゃったりもする。

 で、開いてみた結果がこれだ ↑。

 タイトルと本文の、ホッキョクグマとマレーグマくらいのギャップ。いや、ギャップじゃなくて完璧別次元である。

SpamMotomura  何を経営してるって?
 その点、まだこちらの方が受け取った人を喜ばせたい、笑顔にさせたいというサービス精神がある。

 自称・本村真由美は、実は偽名。本名はホンソンシニューミであることは間違いない。国籍は……餃子の国の人かしら?

 “コーピ品を経営します”なんて、とっても面白く間違ってくれている日本語で、私は好きですねぇ。間違いじゃなく、頓智だったとしたら、もう表彰ものだ。

 迷惑なメールだけど、こういうのがぱったり来なくなったらこれまた寂しいかなって思わせるものがある。

 クープラン(Francois Couperin 1668-1733 フランス)の「第27組曲(Ordre No.27)」。

 1730年出版の「クラヴサン曲集第4巻(Pieces de clavecin quatrieme livre)」に収められているが、クープランの全4巻全27組曲の最後の曲である。


CouperinOrdreCompBaumont この組曲は、


 1. 上品な女(L'exquise)
 2. けしの実(Les pavots)
 3. 中国風(Les Chinois)
 4. 頓智(Saillie)


の4曲からなる。

 ボーモンのチェンバロ演奏で。


 1991年録音。ワーナー。


  高級品だけどお望みじゃなかった
 ところでORIENT。
 いまはどんな時計を出しているのか知らないが、中学に進学する半年ほど前、つまり小学校6年のとき、ぼちぼち腕時計をし始めるクラスメートなんかが出てきて、私も腕時計が欲しいなって思ったものだ。

 それこそ(ってことはないが)『カスタムパルコ』や、(確かテナントで入っていたと思う)『コープさっぽろ西野店』(当時は札幌市民生協西野店)の時計店のショーケースに並んでいる腕時計を眺めながら、私は買ってもらうならシチズンかORIENTOの、文字盤が濃いブルーかグリーンの、風防ガラスが宝石のようにカットされているもの以外、考えられないと思っていた。

 当時は風防ガラスが盛り上がった、9面カットとかなんとかいうのが流行っていたのだ。

 そんなある日、親戚のおじさんが家に遊びに来て、来年は中学に上がる私に何かプレゼントしようと言ってくれた。私は腕時計が欲しいと言った。
 でも、買ってくれなかった。というより、おじさんは自分がつけていた腕時計をくれたのだ。

 それは当時高級時計の代名詞だったRADOのものだった。
 なぜ子どもの私がRADOが高級だと知っていたのかだって?
 当時はクイズ番組の優勝賞品は『JALパックで行く空の旅』と、副賞で『酒田時計貿易からRADOのペアウォッチ』を、というのが定番であり、庶民の憧れだったのだ(番組によっては優勝はエールフランスとかパン・アメリカン航空の『空の旅』であり、副賞の高級腕時計はテクノスだった)。

 買ったときは7万円したと、おじさんは言った。

 すごい!小学生に、そんなお高いものを!


 けどねぇ。デザインはおっさんくさいし、その後しょっちゅう狂うことがわかったし……

 おじさんのせいで、私はカットガラスの腕時計(1万ちょっとくらいだったと思う)を身に着けることがついぞないまま、この歳になってしまった。

学生も、大阪はやかましく北海道は物静か♪ゴットシャルク/解放の叫び

GottschalkPiano  飛行機ってのは『飛ぶもの』なのっ!

 離陸するため飛行機は速度を上げて滑走し始める。


 珍しく、けど不本意ながら、この日は前方座席に座っていた私。


 後ろの方からは「ウワァー」とか「キャー」とか「ギョェー」という悲痛とも言える叫びが聞こえてくる。私も、ジェットコースターの最前列に座らされて、後ろの客の恐怖の声を自分の背中にぶつけられているような気になる。


 ふわっと期待が地上から離れる。
 

「ギャァァァァァァァ~」と断末魔のような叫び!


 前回札幌に出張した時のことだ。


  旅の最初に疲れ切ってしまわないように

 修学旅行生たちである。彼らは北海道に向かう最初の段階でムンク化してしまったのだ。


 最近では珍しく、純朴な生徒が多い学校だ。あるいは、山奥の、文化から隔絶されたところにある全寮制の学校なのだろうか?飛行機に乗るのが初めてという生徒が多いのは確かなようだ。

 私が初めて飛行機に乗ったのは中学3年のとき。だが、この修学旅行の高校生のように騒いだりはしなかった。

 恐怖のあまり声も出なかったからだ。


 私はANA派である。


 ANAの事前座席指定範囲の開放ルールは知っている。

 しかし、今回はぎりぎりになっても後部座席は埋まったままだった。
 頭からすっかり抜けていたが、修学旅行のシーズン到来。だから最後の最後まで後部座席に空きが出なかったのだ。


 ゴットシャルク(Louis Moreau Gottschalk 1829-69 アメリカ)の「解放の叫び(Le cri de delivrance)」Op.55(1863)。


 まあ、彼ら彼女らの声は「ここから降ろしてくれ!止めてくれ!」という、開放を願う叫びだったわけだが、細かいことは言わんで欲しい。


 ペナリオのピアノで。


 1992年録音?。EMI。


 と、張り切って紹介したのに、実は張り切っていないことが天に通じたのか、廃盤。

 しかも、ほかの音源も見当たらなかった。


 まったく叫びたい気分だ。「ごめーん!」と。


  シーンとしていた江別の某私立高校

 大阪に帰る便も、後部座席はとれなかった。
 やはり修学旅行生がぎょうさん乗っていた。
 しかし、来るときのようなプチ・パニック状態に陥っている気配は感じられなかった。

 確認はしなかったが、みな飛行機慣れしているか、全員が失神していたのだろう。


何も知らずに眠っていた人々♪フランク/呪われた狩人

MurakamiChikyuu  看板を見かけたことはあったけど
 少し前の話になってしまうが、10月8日に『名古屋ボストン美術館』が閉館したというニュースをやっていた。

 知ってる知ってる、『名古屋ボストン美術館』。行ったことないけど、知ってる。

 村上春樹他による「東京するめクラブ 地球のはぐれ方」(文春文庫:2008年第1刷)で、村上春樹が「やれやれ」って感じで詳しく書いていたから。

 名古屋ボストン美術館は美術館とは言っても、高層ビルの中に間借りしている身分である。ビルの三階から五階までが美術館スペースとして使われている。で、その上に何があるかっていうと、ホテルがあるんだよね。全日空ホテル。……

 ……名古屋ボストン美術館はボストンのボストン美術館(ややこしいなあ)から展示品を借り受け、名前も使わせてもらって、その謝礼として5000万ドル支払っている。「えー、なに、これで5000万ドル?それってちょっとないんじゃないの」と僕なんかは思ってしまう。もちろん営業的にはすごい赤字で、その赤字ぶんは税金で補われている。これはミイラ男より怖いですよね。だいたい名古屋に〈名古屋ボストン美術館〉があるからって、それで名古屋の都市としての文化的価値がぐっと上がるってものでもないだろうし(下がるとまでは言わないけど)、わざわざ大金をはたいてそんなことをする意味がどこにあるんだろうってつくづく思います。
 もともとは名古屋商工会議所が独自の都市再開発事業のひとつとして企画推進してきたものだが、途中で暗礁に乗り上げてにっちもさっちもいかなくなり、かけ込み同然のようなかたちで愛知県と名古屋市の財政支援をあおぐことになった。「市と県の税金で支援を受けるが、文化水準を上げる事業なので、市民県民の理解を得ることができると思う」と当時の商工会議所会頭は述べているけど、ほんとかなぁ。……

 理解を得られなかったようです。村上さん。当然ですよね。

SaintSym3Myun  共通点は単に『ボストン』だけだけど
 ミュンシュ/ボストン交響楽団の演奏で、フランク(Cesar Franck 1822-90 ベルギー→フランス)の交響詩「呪われた狩人(Le chasseur maudit)」(1882)。

 ドイツの詩人G.A.ビュルガーのバラードによる曲で、安息日に狩りをしたために天罰を受ける狩人の物語。
 ミュンシュは激動の14分ってもので、迫力満点にこの曲を演奏している(録音もあまり古さを感じさせない)。

 1962年録音。RCA。

 ところで、村上春樹の文に唐突に『ミイラ男』っていうのが出てくるが、これは私がその前の文章を割愛してしまったせいで、世のおじさんがやりがちな唐突で意味不明なギャグではない。
 ちゃんと載せます(って、引用が多いと罰せられるミイラの呪いがあるらしいんだけど)

 たまたま、そこでやっていた常設展が『古代地中海世界の美術』で、

 古代エジプトのミイラとか、ピラミッドの石碑とか、ファラオの持ち物とか、遺跡から出てきた仮面とか、その手のおどろおどろしいものがずらりと並んで、フロアひとつを占めている。観客もそれほど多くなくて、あたりは妙にしーんとしている。夜なんか見回りする人はさぞやおっかないだろうなと思う。そういう気味の悪い、呪いでもかかっているんじゃないかとおぼしきもろもろの「美術品」(要するにその昔墓場からかっぱらわれてきたものだよね)の上で、罪もない宿泊客が何も知らずにぐうぐう眠っているわけだ。

ということ。

 この『古代地中海世界の美術』は5年間続いたそうだ。

 老後、バイトでもこういうところの警備員は、私はできない。

 ※新得高校卒業生のmasaさん、メッセージありがとうございます!

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