新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の前期高齢者の元・サラリーマン。  背景の写真は江別市「天味(てんまい)」の醤油ラーメン。 (記事内にアフィリエイト広告が含まれている場合があります) コメント欄は撤去しました。

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2018/09

内浦湾を突っ切って札幌へ♪シベリウス/フィンランディア

SibeliusJansons  バイキング初体験の場所

 一昨日も取り上げた、その三浦綾子の「塩狩峠」

 信夫が移住するために札幌駅に着き、幼なじみの吉川と対面したときの会話。


 「宿屋もずいぶんあるんだねえ」
 「うん、山形屋だの、丸惣だの、けっこう大きな旅館があるよ」
 「北海道というと、ただ山か野のように思っていたが、どうも認識不足だったね」
 二人は駅前の広い通りを歩いて行った。
 「野幌だったか、汽車の窓から煉瓦工場が見えたよ。アマ会社やビール工場なども、札幌にはあるんだものなあ。想像もしなかったよ」


 この小説を読んでいて、ストーリーとは別にプラスアルファとして私が楽しめたのは、丸惣とかマルイ呉服店とか北辰病院といった実在したむかしの施設の名前が出てくるところである。

 丸惣(まるそう)旅館のことは知らないが、少なくとも私が小学生のときには『ホテル丸惣』というのがあった。場所は時計台の通りをはさんで西真向いだったと思う(現在MNビルが建っているところ)。
 私はそのホテルのレストランで人生で初めてバイキングを体験したのだった(まさか勘違いしていないと思うが、初・略奪とかではなく初・食べ放題である)。

JTB_TT197503 「もしや」と思って調べてみると、あったあった!
 交通公社の時刻表1975年3月号。巻末のホテルや旅館のリストにその名を見つけた。

 江別市はレンガの産地だが、現在でも野幌駅近くにはレンガの旧ヒダ工場が残っている。信夫が見たのがその工場だったかどうかはわからないが、旧ヒダ工場は現在『EBRI』というアンテナショップになっている。

 また、信夫は札幌にアマ工場があると言っているが-もちろん尼ではなく亜麻だ-、これは現在のサッポロビール園(当時はビール工場)の近くにあった『帝国製麻紡績工場』のことだ(ちなみに江別市大麻の地名は、むかし麻畑があったことに由来すると言われている)。


  東京→札幌の旅で野幌を通ったって?
 ところでここで大いなる疑問。

 東京から札幌に来るのに、信夫はなぜ札幌よりも北側にある野幌を通ってきたのか?


 「札幌から一路帯広へ」と言いながら「途中に気になる場所があったので、そこでしばし休憩」と、なぜかいきなりニセコでソフトクリームを食べるみたいなテレビの旅番組のごとく、三浦綾子は信夫にルートを外れさせてまで野幌のレンガを紹介したかったのだろうか?

 信夫が吉川の家に着くと、彼の母親はこう話す。


 「ほんとうによくおいでくださいましたねえ。お疲れになったでしょう。室蘭から岩見沢回りでいらっしゃったんですってねえ。私たちは函館から小樽まで船で来たんですけれど、わたしは船に弱くて酔いましてねえ。函館から室蘭までの船は揺れませんでしたか」

 吉川のお母さんは、実に親切だ。信夫がどういうルートをたどってやって来たのかを、私たち読者にこのようにきちんと説明してくれているのだから。

 信夫は上野で妹の夫の岸本に見送られている。だから、間違いなく上野から汽車で青森に行ったはずだ。そして、“次第に近づいてくる函館山の、むっくりした姿”を連絡船から眺めた。

 しかし、この連絡船も私たちが頭に思い浮かべるものとは違うのだ。
 というのも、青函連絡船が運航を始めたのは1908年になってからだからだ。

 明治10年(1877年)生まれの信夫が23歳になったこの年は1900年。だから、信夫が乗ったのは別の“連絡船”ということになる。

20180810JR5 - SHIOLARI そして吉川ママの説明によると、信夫はさらに函館から室蘭までの船に乗り換え、汽車で室蘭から岩見沢に向かった。つまり室蘭本線を下ったわけだ。

 函館駅ができたのは1902年で、函館⇔札幌の直通列車が運行されるようになったのは1906年のことだというから、函館港に降り立っても陸路では、少なくともすんなりとは札幌まで移動できなかったのだ。

 また、いまの千歳線(旧:札幌線)ができたのは1926年のこと。したがって室蘭本線(室蘭→苫小牧→追分→岩見沢)を使うしかなかったのである。

 いや、当時はこの路線が基幹路線だったのだ。なんせ『本線』なのだ。石炭輸送の重要なルートだったのである。


 掲載した路線図はずっとあとの昭和23(1948)年のものではあるが、信夫のたどったルートに黄色い線を引いてみた。

 つまり、以上のことを一言でいうと、三浦綾子はテレビの旅番組のようなウソはついていない、ということだ。

 1900年はシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957 フィンランド)の有名な作品、交響詩「フィンランディア(Finlandia)」Op.26の改訂版が完成し初演された年である。そしてまた、今日9月20日はシベリウスの命日である。


 いや、それが「塩狩峠」と何か関係があるかというと何もない。


 そういうことで、ヤンソンス/オスロ・フィルの演奏を。


 1990年録音。ワーナー(旧EMI)。


 1978年10月号の時刻表を見ると、夕張→追分→岩見沢→札幌と走る普通列車が乗っている。
 この追分→岩見沢→札幌の部分こそが、信夫が通ったものと重なるのである。

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 この列車、夕張線(現在の石勝線の支線(廃線決定済み))では上り、室蘭本線では下り、そして函館本線では上りと、上ったり下ったりなかなかややこしい任務を負っていたのだった。

ラブラドライトの祟り?♪山田耕筰/暗い扉

20180905b
  9月4日。台風直撃の当日
 昨日から関西空港連絡橋で鉄道の運行が再開された。
 台風21号が大阪を直撃したのは9月4日のこと。
 2週間前の台風襲来日のことを振り返ってみよう。

 大阪での暴風雨のピークは午後1時半ころから3時半ころまで。
 すでに報告したように、この間、私はベランダの窓のシャッターを下ろしていたため、そしてほかの部屋の窓はすべて曇りガラスだったため外の様子はわからず、ウーとかボーとかゴーといった風の音や、何かがぶつかり合うような多彩なひどい衝撃音を耳にしながら、世の中は今いったいどんなことになっているのかただただ想像するしかなかった。
 いや、そのシャッターさえあおられてメリメリメリとはがれ吹き飛んでしまうんじゃないかと、生まれたての子猫のように心臓をドキドキさせながら、ゆっくりとコーヒーを飲んだりした。

 瞬間的な停電が何度も起こったため、ルーターやNAS、オーディオ、TVの電源を落とし、そのため部屋の中は無音。それでさらに暴風が奏でる凶暴な偶然性音楽がいやおうなしに耳に飛び込んできた。

20180905f 私の心の奥底に潜む野次馬根性のせいで、音が少し治まった3時半ころにシャッターを上げてみた。
 向かいの家の窓が割れているとかいうこともなく、けど斜め向かいのアンテナが折れていたぐらいの変化しかわからなかった。

 そのあとである。私の住むマンションから徒歩4分くらいのマンションに住む氷山係長から-この日は支社の社員全員が自宅待機だったのだ-停電になっているというメールが届いた。

 わが住居の電気はすでに安定しており、台風のニュースを見ながら「峠は越したわい」と甘酒をすすっていた私は、すぐ復旧するんじゃない?と、返信した。実際、すぐに停電なんて治ると思っていたのだ。

 17時近くになって、またメールが来た。

 停電は私の住む地区のみでしょうか?お湯も沸かせず真っ暗で参りました。暑くて早めの回復に期待します。

 私は「知らん!」と冷たく返事をするようなことはせず、関電に連絡してみたら?とアドバイスした。

 返事が来た。

 電線がものすごい状態でスパークしたあと、かれこれ3時間ほど停電です。蒸してて参りました。

 蒸しててというのは、たまたまシューマイを蒸しているところだということではなく、蒸し暑いという意味だ。

20180905e 暑くて大変でしょう。私のところへ来てシャワーを浴びて、なんなら今日は泊ってもいいですよ、と返そうか?いや、いけない。私に変な趣味があると疑われてはこれまでの信頼関係が台風後のわらの家のように吹き飛んで跡形もなくなってしまう。私は心を鬼にして、へんな親切心を出さないことにした。

  9月5日。台風直撃の翌日
 朝、通勤で駅に向かう道すがら。
 なんでも克服しそうなライザップなのに看板が落ちていた。

 駅に行くには氷山係長が住むマンションの前を通らなければならない。そのマンションのエントランスは真っ暗。オートロックも使えないため管理会社の人が処置したのだろう。入り口のドアは開放されていた。
 近くの信号も活きの悪いイワシの目のようになっていた。

20180905g レストランの貼り紙の一部が台風による職場放棄のストライキ中で、低い牛丼となっていた。

 このあたりは停電しているのに、なぜか東急リバブルの文字だけが煌々と輝いていた。

 ここから別方角で歩いて15分ほどのところにある社宅も停電したままであることが分かった。

 氷山係長は私より20分ほど後に出社してきた。
 疲れ果てた顔をしていた。でも、ゆでタコのようにはなっていなかった。

 彼は今日明日は市内のホテルに泊まると言っていた。

 マンションに帰るときに見た氷山係長のマンションのエントランスは洞窟のように暗かった。

 山田耕筰(Yamada,Kosaku 1886-1965 東京)の交響詩「暗い扉(The Dark Gate)」(1913)。

 三木露風(1889-1964)の詩集「廃園」の「暗い扉」による。

YamadaNaxos 真っ暗な部屋に暗い扉が閉ざされている。なかにいる人々はみんなで「開けてくれ」と割れるほど扉を叩く。だが扉は動かない。「死ぬんじゃないか?」と皆泣き出す。でも扉は閉じたまま。

 このような内容の詩である。

 湯浅卓夫/アルスター管弦楽団の演奏で。

 2000年録音。ナクソス。

  9月6日。台風直撃の翌々日
 この日の早朝、午前4時に社宅の停電が復旧(停電のため給水ポンプも働かず断水もしていた)した。社宅に住む社員の1人から、出勤前の私にメールが来たのである。

 氷山係長はホテルで今日の朝を迎えている。
 社宅が通電したということは、それよりも駅に近い氷山係長のマンションの停電も復旧しているに違いない。彼はこの朗報をまだ知らないはずだ。

 しかし私がそのマンションの前を通りかかると、エントランスは……やっぱり洞窟状態のままだった。

 この日も彼はホテル住まい。
 しかし、帰宅途中に私が目にしたのは、洞窟が明るいエントランスに変わっている姿だった。

IMGP2340 私はまだ支社で涼んで、いや、仕事をしている係長に「ピカピカ光る!」と電話した。

 私の報せを受け、彼はホテルをキャンセルし-当日キャンセルだから満額支払い?-、自宅マンションに戻った。

 帰宅しました。こんなにも電気の有難みを感じたこと日はないです。……

 でも、このとき北海道の多くの地域では停電が続いていた。

 なぜ、氷山係長のところだけ復旧が遅かったのか?

 前の週にスイカ店長のところで飲んでいたときに、彼は私のストーンブレスレットを間違えて「数珠」と言ってしまった。ラブラドライトのストブレである。確かに数珠っぽいといえば数珠っぽい色合いだ。

 だが、ラブラドライトの怒りを買ったせいではないか?
 そんな気がしないでもない。
 邪気払いの効果があるラブラドライトだが、係長が邪気とみなされてしまった可能性もある。
 
 だとすれば、彼は自分だけでなく周りの住人も巻き添えにしたってことになる。

塩狩峠の衝撃でお部屋にお籠りした宰相候補♪CPEB/Wq.233

C.P.E.Bach Wq233  本震と同じような時刻に……
 昨日はなかなかつかれる1日だった。敬老の日だというのになんてこった!

 まずは寝ているときにグラッ!グラグラグラ……
 寝ながらグラノーラ、ではない。地震である。時は午前3時ちょっと前。

 私の予想では震度は3だ。
 そのまま階下に行きNHKを観ると、わが居住地域は震度3だった。
 こういうふうに予想した通りだと、ちょっぴりうれしい。が、これよりも震度が大きくなるとそんなこと言ってられない。

 なんとなく寝不足のまま、まだ薄暗いうちに起床。それにしても日の出が遅くなったものだ。

  自己犠牲による使命感
 北海道新聞を開くと、第2面に目が覚めるような石破氏の顔が(いえ、特に意味はありません)。
 その特集記事のなかに、石破氏が高校生の時に三浦綾子の「塩狩峠」を読んで、“その衝撃で部屋に2日間閉じこもった”と書かれていた。

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 私がこの小説を読んだのはつい最近のこと。石破氏の気持ちはわかる。もし、私も高校生のころにこの本を読んでいたらおこもりしたかもしれないし、その後進学した大学がキリスト教系だったので場合によってはクリスチャンになっていたかも知れない。

  駅で停車したのは不幸中の幸い
 さて、それはそうと、その後新千歳空港に向かうために、札幌行きの普通列車に乗った。
 この列車は-前にも書いたが-札幌駅からは今度、新千歳空港行きの快速エアポートに変身するのである。

 順調に走っていたこの普通列車が厚別駅に到着したときのことだ。
 この駅で、後ろから来る旭川発の特急ライラック10号に追い抜かせるため4分ほど停車するのだが、その特急がなかなかやって来ない。

 そこで車掌のアナウンス。が、音量が小さくてよく聞こえない。聞こえないが聞こえないと不利な状況に追い込まれそうな気がして、執念で聴きとる。

 苗穂駅と白石駅の間で信号だか、列車の位置情報を探知する装置だかが故障したという。

 「しばらくお待ちください。また、あらたな情報が入りましたらお伝えいたします」

 このアナウンスを聞く限りだと、もう少しでトラブルは解決し、しばらくしたら列車は動き出す。誰もがそう思ったはずだ。ライラックもそのうちやって来るのだ。
 だが、あとで考えると、しばらくお待ちくださいという言葉は、「発車まで」ではなく「あらたな情報が入るまで」だったのだ。

 待つこと20分。
 この間、いったんホームに出て電話をかける人が増えてきた。
 そのとき、今度はホームに流れたアナウンスは、これから修理の作業を始めるだか、現場に向かうだがという、これまでの20分をどうしてくれる!というもの。

 多くの人が降車し、駅前のタクシー乗り場へ。

 といっても、この駅にはもともとふだんからあまり客待ちしているタクシーはいないようで、私は幸い先頭から3人目に並ぶことができたが、一向にタクシーは姿を現さない。

 私は決心した。ここで受動的に待っていてはいけない。能動的活動をしよう!
 列からはずれ、とりあえず新札幌駅をめざす。しばらく歩くと空車が来たのでそれに乗ることができた。
 あー、気疲れした。

 C.P.E.バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach 1714-88 ドイツ)の受難カンタータ「救世主の最後の受難(Die letzten Leiden des Erlosers)」Wq.233,H.776(1776)。いや、私は救世主じゃなく、救世主はタクシーの運転手さんなんだけど……。でも受難の当事者は私だし……

 ここで詳しく書いたように、詞はE.カルシュ。編成はソプラノ、テノール、バスの独唱が各2名、合唱、管弦楽に通奏低音。

 クイケン/ラ・プティット・バンド他の演奏で。

 1986年録音。ドイツ・ハルモニア・ムンディ。

  見捨ててよかった……
 私が新千歳空港に到着したときには、新千歳空港駅発のエアポートはまだ運行を再開しておらず、バス乗り場は長蛇の列。

 意地悪く携帯電話でJRの運行状況を確認してみると、多くの列車が運休&遅延。そして私が厚別駅で見切りをつけた普通列車は、その時点でもまだ“厚別駅に停車中”になっていた。

 ふだんからちょっと余裕持たせ過ぎじゃない?というくらい、空港には早く行くようにしている私。その分、時間を無駄に使っているのかも知れないが、こういうときは早く出て、速く判断したから予定の便に乗れた。そんな自分をほめてあげたい。

 新千歳空港ターミナルビルの搭乗待合室内の飲食店はまだ開いていなかった。
 『翼の王国』にANA-Openの広告が載っていたが、これも地震のために中止になった。
 
20180917TsubasanoOkoku

 でも地震のことだけじゃなく、台風21号による『Mr.ICEのムレムレなつらい一夜』についても報告せねば……

阿古屋さんは覚えていた!そして粋な配慮♪ファーナビー/彼の夢

IMGP1568  夢と化したmasaさんとの再会
 北海道を襲った台風21号(9月5日)と北海道胆振東部地震(9月6日)のせいで、北海道を訪れる観光客や修学旅行生などのキャンセルが相次いでいるという。

 先日、たまたまいつも順番待ちで長い列が途絶えない某スープカレー店の前を2日続けて通ったが、並んでいる人はゼロ。ガラス越しに見る店内にも空席があった。
 この店でそんな光景が見られるなんて、レアメタル級のレアだ。来道客の減少で混雑店にすんなり入れるという現象は、キャンセルせずに予定通り北海道に来ていただいた方々へのご褒美とも言える。

 私はと言えば、取引先の方と今月末も帯広に行く予定だったが、状況を鑑み今回は出張を取りやめると先方からの申し出。ちょうどその日に新得で行われる『北海道そば祭り』も見に行くつもりだったので(『新得そば祭り』の拡大版催事である)、私もきっとその場でmasaさんたちの顔を久しぶりに見ることができると楽しみにしていたが、それも夢と終わってしまった。

PJBEPASRRE ファーナビー(Giles Farnaby 1563頃-1640 イギリス)の「彼の夢」FVB.194。

 ファーナビーはエリザベス朝時代におけるヴァージナル曲やマドリガル曲の作曲家。

 「彼の夢」は、エリザベス期の作品集「フィッツウィリアム・ヴァージナル曲集(Fitzwilliam virginal book)」(略号FVB)の中の1曲。この曲集の中にファーナビーの作品が50曲含まれているそうだ。
 “彼”というのはファーナビー自身のことで、原題は「Giles Farnaby's dreame」である。

 ハワース編によるフィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルの演奏で。

 1975年録音。デッカ。

  君をレモンちゃんと呼んでいいかな?とかではなく……
 さて、この間書いたように先週の金曜日も本社に行ったわけだが、その日の夜は、これまたひっさしぶりに阿古屋さんと札幌の『銀座ライオン』に行った。いや、当初は阿古屋さんの上司の三鍋さんと2人で食事をするつもりだったが、阿古屋さんも予定がないということだったので3人でソーセージを食べることにした。

IMGP2189 『銀座ライオン』なのに早々にビールからハイボールに飲み物を替えたのだが、そのとき阿古屋さんが店員のお嬢さんに何かこそこそ耳打ちしている。こんなところで口説いているのか?まあ、彼は独身だから別にいいけど、と思ったが、口説いていたのではなくスライスしたレモンを頼んでくれていたのだ。
 帯広支社で一緒だったときに知った、ハイボールにレモンをたっぷり入れるという私の習性を、覚えていてくれたのだ。こういう心遣いはなかなかカンドーものである。

 この日は、私は食事の席をかけもち。
 三鍋さんと阿古屋さんと別れたあと、これまたまたまた久しぶりにナシニーニ氏と檜さんと会って食事をした。

 ナシニーニ氏は鬼太郎のように前髪を伸ばしていた(写真はイメージになっていないイメージ)。
 檜さんは少し顔が細くなっていた。頬を削ったのではなく、やや痩せたのだ。
 むかしの話に花が咲き、三者三様でいろいろ悩みもある現在の話については花弁が開き切らなかった。

 ところで、地震のあと自宅の上空に自衛隊の戦闘機の音がしばしば鳴り響き、ときには姿も確認できる-千歳空港に戻るとろころなのだろう-が、なんでこんなに飛んでいるんだろう?

私の札響感動史(34)♪スケルツォに始まりスケルツォに終わったが……

SSO_Scriabin_Opinion  法悦にひたれなかった私
 前回は舘野がハチャトゥリアンのピアノ協奏曲を、私をはじめとする札幌市民を中心とした北海道民に披露してくれた、加えてアンコールでジーンとさせてくれた第340回定期について書いた。

 実はこの日のプログラムノーツに、前月の第339回定期についての聴衆からの感想が載っていた。

 もう一度前回の記事に載っているシーズンのチラシをご覧いただきたい。

 そうなのである。なんとこのとき秋山はスクリャービンの「法悦の詩」(交響曲第4番)を取り上げているのである。残念ながらとさりげなくいえないほど悔しいのだが、私はこの演奏会に行けなかった。
 「法悦の詩」という大規模な曲、不思議ちゃんっぽい曲を聴けなかったのは、仕事の都合だったとはいえ、悔やむに悔やまれない。

 ポケットスコアの1ページに収まらず見開き縦組みに印刷されているページもあるほどの複雑な音の絡みと重なり合いを生で聴いてみたかった(もっとも私がこのスコア(オイレンブルク/全音楽譜出版社)を手にしたのはずっとあとのことだが)。私の記憶では、その後、札響がこの曲を取り上げたことはないのでないか?

Scriabin4Score

  外山雄三のウケ度外視の取り組み
 気を取り直して次のシーズンに進もう。
 といっても、1992-1993後期のシーズン(第342~345回)には一度も行けていない。

 その次の1993年前期(4月~7月。第346~349回)。このなかで行っているのは第346回だけだが、それこそ私にとっては絶対見逃せないプログラム。オール・ショスタコーヴィチだ。

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 ポスト・マーラーと言われていたショスタコーヴィチだが、当時もいまも、すごく人気のある作曲家とは言えないだろう。そのショスタコの曲だけでプログラムを組んだ外山の意欲にまずは拍手喝采だ。

 録音が少ない「スケルツォ」は小品ながらも、ショスタコが体制の顔色などうかがう必要のなかった時期の“()の顔”がわかる曲。たぶん、私も2度と生で聴く機会はないだろう。モンテヴェルディの「ヴェスプロ」に現れるのと似たメロディーが印象的だった。

 2曲目のチェロ協奏曲第1番の堤はさすがの貫録ある演奏。この曲ではホルンが独奏的に活躍するがやや不安定だったように記憶している。

  興奮ではなく沈静に包まれたホールの雰囲気
 そして、交響曲第15番。“人生を回顧し静かに吐露する”ようなこの曲の寂びの世界に、客席の人びとが引き込まれている。私にはそんな空気を感じた。決して親しみやすいとは言えない、いや、この曲はなんなんだろうって思う人の方が多いとはずだ。だが、言葉は悪いが、葬儀の厳粛な雰囲気に近いものがホールを支配した。
 
 オーケストラを室内楽のように扱うこの作品はソロで奏する箇所も多いが、札響の各パートは心を込めて美しく歌い上げた。ほんの数か所しかない音が炸裂するところでは外山の棒にピタッと反応した。打楽器群の『点滴のリズム』のアンサンブルもピッタリと合っていた。

 最後のグロッケンシュピールの一打の響きが消えゆくとき、なぜか私には明るく照らされたステージが遠のいていくような錯覚に襲われた。目頭が熱くなった。

 後日、北海道新聞に評が載り、この曲について“不思議な音楽だ”と書いてあった。もちろん執筆者-失念してしまったが-が演奏会で初めてこの交響曲を聴いたというはずはなく、生で聴かないとわからない“不思議さ”が体験できたということだろう。

 アンコールは「明るい小川」から「スケルツォ」。

 スケルツォで始まりスケルツォで締めくくられたが、ショスタコーヴィチが第15番を通じて私たちに訴えた“幼少期の思い出から病床まで”という波乱に満ちた人生の重みが心にずっしりと残った。

Mahler9Sanderling  ベルリンじゃなくクリーヴランドを選べ!
 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の最後の交響曲となった交響曲第15番イ長調Op.141(1971)。

 私がの曲の録音はかつては何種類かしかなかったが、現在ではそこそこの録音点数がある。

 そんななかでも、私がいまだにいちばん聴く機会が多いのがクルト・ザンデルリンク指揮クリーヴランド管弦楽団の1991年録音のもの(エラート)。このブログでも何度か取り上げている
 ザンデルリンクにはベルリン交響楽団を振った1978年の録音もあるが(ドイツ・シャルプラッテン)、見通しの良さや心の芯にまで訴えてかけてくる点でクリーヴランド管による演奏の方が断然優れている。

 このコンサートの2か月後の第348回定期は、久々に岩城の登場。そしてシュニトケのヴィオラ・コンチェルトとショスタコの5番という、私をパブロフの犬状態にさせるようなプログラム。
 これまた行けなかったことを、25年経ったいまもジクジク悔やんでいる私である。

雰囲気にのまれて買っちゃったんです♪ケージ/ラジオ・ミュージック

20180913Jinjya  居酒屋も閑散……
 おとといと昨日は本社に行き、いろいろな部署と情報交換を主とした打ち合わせ。

 駅に向かう途中にある神社では、そこそこ大きな木が根元より抜けかけていた。やはり台風の被害もかなり大きかったことがわかる。

 おとといはの夜は、日向山氏と橘皮氏(ともに本社勤務なう)と日向山氏の上司である田糊さんと久しぶりに食事をした。

 こんなときに不謹慎?
 いえいえ、こんなときこそ経済を活性化することが大切。
 私たちが行った居酒屋も客の入りはイマイチどころかイマ3くらいだった。
 飲み放題にしたのだが、問題はたくさん飲んだので店にとって本当に活性化されたのか、ほんとうに私たちは店に寄与したのかということに自信がないことである。

 日向山氏と田糊さんは自宅が近所で、停電の復旧は早くはなかったものの、大きな被害はなかったそうだ。一方で、比較的マチナカのマンションに住んでいる橘皮氏の方は、食器が散乱するなど大変だったらしい。

 そんなわけで、いろいろと話が咲いたのだが、日向山氏が「今日のこともブログに書くんでしょう?」と言うので、別に書く気はなかったが、もしかしてこれは書いてくれという意味なのかと思い、このように取り上げた次第である。
 つまり、日向山氏も橘皮氏も、そして田糊さんも元気だったということである。

20180913Radio  偶然、ちょうど入荷したというので……
 ところで食事に行く前の空き時間に、私はビックカメラ札幌とヨドバシのマルチメディア札幌に立ち寄ってみた。

 ビックの1階では乾電池とか懐中電灯の特設コーナーがあり、けっこうな人たちが群がっていた。
 3階のラジカセコーナーでは聞いたことのないメーカーの小型ラジオがそれなりの数並んでいたが、聞いたことのないメーカーだったので買うのをやめた。

 そのあと東急ハンズに行ったが、今回は岩石標本は置かれてなかった。
 前回東急ハンズに来たときはコーキング材を買った。結局、無駄な骨折りに終わったやるせなさにあらためて襲われた。

 そのあとヨドバシに。
 2階で「いま、入荷しましたぁ~!」とラジオを並べ始めていたので、ビックとは別の聞いたことのないメーカーのものではなく、かといってSONYとかの5000円以上のものを買うつもりもなく、2000円ほどの東芝製(MADE IN CHINA)を買った。

 これは大阪に持ち帰るつもりだ。
 今回の台風で氷山係長が巻き込まれたような長い停電となると、私には情報の取りようがなくなるからだ(すべてがAC電源が必要なものばかり)。なお、大阪の台風21号通過後の話は、あらためて書くつもりだ。

 また、自宅用の小型ラジオはヨドバシドットコムに注文してある。
 今日か明日には届くだろう。

CageRadio

  偶然の音楽
 ケージ(John Cage 1912-92 アメリカ)の「ラジオ・ミュージック(Radio Music)」(1956)。

 タイトルを見ると何かのラジオ番組のテーマ曲かなと思うかもしれない。でも、作ったのは偶然性音楽を創造したケージである。そんな心潤すような曲なわけがない。

 そう、ここに書いたように8人のプレイヤーが楽譜(というよりも指示書)に従って、ラジオのチューニングダイヤルをあっちへこっちへと回すのである。

 そのときによって、やっている番組も違うし、チャンネル間のノイズの音も違う。
 かくして、その時だけしか耳にできない『音楽』が出来上がっちゃうのである。

 ヒダルゴほかのパフォーマンスで。

 録音年記載なし。CRAMPS。

 そうそう、おととい本社に行ったときに、千葉課長とも会った。

 地震が起きた日、彼は東京に出張していたそうだ。
 その日は新千歳空港が使えなく、東京→新千歳便は欠航。

 そこで千葉課長は東京から釧路に飛び、釧路から(閉鎖されていない)札幌の丘珠空港に飛び、ぶじ戻ることができたという。

 さすが!である。

どこの場所でもご自由に!♪DSch/Sym8 by ハイティンク

YabeNIhonshihai  いきなりなんてぇことを
 大型台風と巨大地震の大きな被害。
 そんななか、厚真町と札幌市の被害状況を視察後、安倍首相はウラジオストクで開かれた東宝経済フォーラムに出席。

 そこで、いきなりプーチン大統領から、日本とロシアの間の平和条約を今月末までに「無条件」で締結しようと提案した。

 日本のスタンスは、平和条約を結ぶのは北方領土問題が解決したあと。
 いやぁ、揺さぶってきたなぁ。
 Abe氏、顔ひきつってたよなぁ。

  日本の国土はアメリカのもの?
 矢部宏治の「知ってはいけない 隠された日本支配の構造」(講談社現代新書)。

 このなかに次のようなことが書かれている。

 ……旧安保条約の第1条には次のように書かれています。
 「平和条約および安保条約の効力が発生すると同時に、米軍を日本国内およびその周辺に配備する権利を、日本は認め、アメリカは受け入れる」

 ……日本の場合は、特定の場所を基地として提供する取り決めではなく、どこにでも米軍を「配備」できることになっている。これを「全土基地方式」といいます。

 ……そうした現状をもたらす根拠となったのが、旧安保条約時代のこの第1条なのです。

ShostakovichSym08HAitink 矢部氏の説明が正しいとすると、ロシアは絶対に北方領土を返還しない。
 だって、日本に返したとたんに米軍基地が建設されちゃうもん。

 この本、読んでいるとなんてこったいって気持ちになる。

 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第8番ハ短調Op.65(1943)でも聴きましょう。

 今日はハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏で。

 1982年録音。デッカ

セメントも防蟻剤も何もかもが無駄だった件♪ルジツカ/解体

RuzickaVa  同じ日なら被害はどんなことに?
 9月6日の未明に北海道は大きな地震に見舞われたが、その前日の深夜は台風21号が北海道を襲った。
 地震が残した傷跡があまりにも大きいので台風のことはその後あまり話題にならないが、台風も大きな爪痕を残したことは間違いない。そしてまた、近畿地方ではいまだに停電の地域もあるという(氷山係長のマンションは先週の金曜日になってようやく復電した)。
 北海道の地震が、1日違いで台風直撃と同じ日だったら……考えるだけでも非常に恐ろしい。

  フェンス補修の仕上げ、のはずが……
 ところで、私が家の横のラティスパネルの修理に取りかかったということは先日書いた

 今回、コーキング材で白いままになって、いかにも補修しましたよ、という箇所を塗装するつもりでいた。そして準備万端、パネルに手をかけると……なんとグラグラではないか!

 支柱が、コンクリートの束石に埋め込まれているところからグラグラなのだ。これは地震の影響というよりも、台風21号の強風であおられ、このようになったに違いない。

 ついにあきらめた。
 もう撤去しよう。

 この6枚のパネルからなるフェンスだが、パネルと支柱はビスで取り外しできるようになっている。
 しかし、もう20年も経過し、ほとんどのビスはかたく固着してしまっており、何度もトライしているいちにねじの頭が私の頭に勝るとも劣らないくらいバカになってしまったもの多数。
 そこでパネルが支柱に取り付けられているその金具の上下を切断して外すことにした。節電が叫ばれている中、電動ノコギリを使用してしまってごめんなさい。

20180910Panel

  しつこく居残っているやつら
 こうしてパネルをなんとか取り外したあと、グラグラになった支柱をもぎ倒すようにはずすと、なんということでしょう!束石の中に刺さっている部分が腐食していたり、支柱の下部も仲が空洞になっていたりした。

20180910Shicyu1

20180910Shicyu2

 じわじわと虫害と腐食が進み、台風の強風が追い打ちをかけ、ついぞ修復不能になった。
 それにしても、先日あれだけ亀裂から殺虫剤や防蟻剤を注入したのに、今回支柱の根元の箇所からキクイムシらしきものの幼虫と思われる白いイモムシがもそもそ出てきたり、あるいはノコの振動で驚いたのかどこからか出てきて慌てふためいているアリがいたのには驚いたというか、自分の無力さすら感じた。

 それでも空洞になったその支柱の下部に、前回の補修のときに上から入れたコンクリートがわずかながらも到達していたことには、ほんのちょっと慰められた(写真に写っているのがわかるだろうか?)。が、コーキング材はやはり上部にとどまったままだったようだ。

 ルジツカ(Peter Ruzicka 1948-  ドイツ)の「解体(Abbruche)」(1977/78)。

 ルジツカの指揮、ベルリン放送交響楽団の演奏を。

 1993年録音。WERGO。

 あちこちで巨木が倒れるほどの台風の強風のなか、虫どもに穴だらけにされたあのフェンスが倒れずに持ちこたえてくれたことに感謝である。

20180910Kamiesho

 さて、大型ごみ回収の依頼をしなければ……

ボーダレスはおかしくなりブログラムはもうすぐ終わる♪JSB/BWV.736

BlogramInfo2  終了理由は知らないが……
 ブログランキング&成分解析サービスの『blogram』が10月いっぱいをもって、サービスを終了することが発表された。メールでもその案内が届いている。

 サービス開始が2009年6月だ遠いから、9年も続いていたことになる。

 このサービスに参加したのは、確か偶然からだ。なんだか知らないランキングサイトで、私のブログがいくつかのカテゴリーで(勝手に)上位にランクインしていることを何かで知り、登録したのだった。

 このサービスでは会員同士ならば自分のブログにアクセスしてくれた人、さらには投票してくれた人がわかるようになっており、それによって知り合ったブロガーさんも-コメントのやり取りがあるなしは別として-少なくない。

 いまアクセスしてくださっている人(=私が読ませてもらっているブログ)については、ブログラムのサービス終了後もブラウザの『お気に入り』に登録して、引き続き読ませていただくつもりである。

 さて、問題は“投票ボタンをブログから外していただくようお願い”されたって無理だってことだ。
 サイドバーのものは外せば、その先どの記事を読もうが投票ボタンは表示されなくなるから簡単だが、個別の記事に貼ったもの(私の場合は文末)は記事の1つ1つを編集して外さなければならない。つらっとお願いされても無理無理!こうして、サービス終了後は故意に置き忘れたごみのように投票ボタンの残骸が表示され続けるのである。いやみったらしく今日も文末に貼っちゃおう。けど、明日からはもう貼ってあーげない!
 なお、サイドバーの投票ボタンはしばらくは残しておくつもりである。

  豹変事情は知らないが……
 さて、このblogramの投票ボタンの退場の前に、先日から既に姿を消したバナー(投票ボタン)がある。それは『Boderless music』のもの。
 これをクリックすると、もともとは日本語によるブログのランキングだったものが、ある日突然、怪しげな英語のメニューのようなものが表示されるようになった。ときには、変なエラーメッセージがでるときもある。
BorderlessAbnormal いったい何が起きたのかちっともわからないが、サイドバーからはすでにバナーを撤去。文末のバナーも9月7日の記事を持って最後にした(そのバナーはこのようになった。つまりやはりノーマルな状態ではない)。

 『blogram』はサービス終了、『Borderless』は怪しげになったのでこちらから終了したが、最近こちらから会員登録を解除したサイトがほかにもある。

  性格が変わった経緯は知らないが……
 それはブログとは関係ないのだが、1つは『Dreammail』。アンケートに答えるなどしてポイントをためて、そのポイントで懸賞に応募、商品をゲットしようというものだが、当たり前のことながら全然当たらないし、そもそも飽きてしまった。

 もう1つは『永久不滅リサーチ』。これはなかなかきちんとしたアンケートサイトで、世論の意見を反映できるようなアンケートが来ていた。私は社会貢献できると思ってアンケートに答えていたが-これ、ホント!-このごろは、「車の一括査定をご存知ですか?」「ミドリムシを飲んだことがありますか?」みたいなアンケートの体裁をしたその実体は広告というのが増えてきたので、いやになってやめたのだった。

BachJSLeonhardt バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)のコラール「われ汝に別れを告げん(Valet will ich dir geben)」BWV.736。

 バッハがオルガン曲として編曲した「27のコラール(27 Choralbearbeitungen)」BWV.714~740の第23曲。

 私が聴いているのはレオンハルトのオルガン演奏による1988年録音のもの(ドイツ・ハルモニア・ムンディ)。

だって『かんこ』じゃなくて『がんこ』なんですもの♪ラヴェル/蛾

  入力し変換すると“阿保が℃”になるし……

 私は、ずっと『アボカド』のことを『アボガド』と何ら疑問なく呼んでいたと、以前書いた

 実際、北海道では『アボカド』と言っている人に出会ったことがなかった。ただし、この“森のバター”とも言われる果実について、妻以外と話すことがそもそもなかったので統計的には弱い。

 だが、村上春樹が“アボカド”と書いているのを知り、言いようのない胸騒ぎを感じた。

MurakamiRadio2

 そして、いろいろ調べてみると、『アボガド』と呼ぶのはまるで非常識極まりないことのようだと、自責の念にかられた。

 とはいえ、気をつけてはいるもののついつい「アボガド」と言ってしまう。「アボカド」って言いづらいし……


 しかし、何年か前、自宅近くのスーパーでは堂々と男らしく『アボガド』と書いてあった(しかもこの日のお買い得品)。
 ただ、やはりこれだけでは北海道訛りだからだ、と一蹴されかねない。


2016112017220000b

 “ガ”はダメなのか?“カ”が正解なのか?
 蛾も蚊も嫌いな私は苦悩した。


 ラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937 フランス)の「(Noctuelles)」。5曲からなるピアノ曲集「(Miroirs)」の第1曲である。

 この“蛾”は“夜の蝶=娼婦”をほのめかしてると言われている。

 5曲中第4曲の「道化師の朝の歌」以外の4曲について、ハロルド・C・ショーンバーグは“音楽と絵画の中間にある無人の境をさまよっているように思われる”と書いている。


 モニク・アースの円熟期の演奏を。“すべてに良きフランス趣味が香り立つ模範的な表現”なんだそうです。


 1968年録音。エラート。


RavelHaas (2)

  北海道だけではなかった!
 さてさて、先日東京からお客さんが来て、一緒に『がんこ寿司」に行ったときのこと。

 なんと、メニューにこんな料理が!

20180827Ganko

 北海道だけでなく大阪でも『アボガド』という表現が存在していたのだ!

 私が「よろこんでぇ~」の店で「よろこんだぁ~」のは言うまでもない(『本鮪アボド和え』を注文した。おいしかった!)。

 なお、あるサイトにはこう書かれている。


 日本語では、英語の表記が「avocado」と書くためアボカドと発音するのが正しいとされています。しかしながら各地の方言の関係でアボガドと言った方が自然だったり、カの前がボであるために濁点が続いた方が発音しやすかったりといった理由で、アボガドと発音する方が増えてきてしまったのが現状です。
 両方の表記が浸透してしまっている関係で、インターネットなどでは両方の表記を記載することで、どちらの表記で検索しても情報が調べられるようになっていますよね。
 ちなみにgoogleの翻訳機能を用いて発音を確認してみると、「アボカド」という発音に聞こえますが、若干ガの発音も濁って聞こえるようにも感じます。


 これからはちょっぴり自信をもって「アボガド!」と言えそうな私……

御多分にもれず参加中・・・
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MUUSAN

 クラシック音楽、バラ、そして60歳代の平凡ながらもちょっぴり刺激的な日々について、「読後充実度 84ppm のお話」と「新・読後充実度 84ppm のお話」の2つのサイトで北海道江別市から発信している日記的ブログ。どの記事も内容の薄さと乏しさという点ではひそかに自信あり。

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