2018/09
ところがいつもヨドバシで買っている同じサンガリアの、これまた同じ『伊賀の天然水 強炭酸水』は右のようにラベルは白いのである。
なお、『伊賀の天然水 強炭酸水』のテレビCMで小泉孝太郎が飲んでいるのは白い方である。
信用できないニセモノ女・恵美
上の炭酸水は見た目は明らかに違う。だが、中身は一緒のようだ。
一方、こちらは装いも似ているが、いい加減さとろくでもなさも一緒だ。
バッハの作品でも、複数の一部地域(リビアの砂漠の中央とかウラル山脈の山奥など)を除き、知らぬ者はいないほど有名な作品だ。
リヒターのオルガン演奏で。
1978年録音。グラモフォン。
どうぞ、今予約して買いなさい。
顔は写真だが……
阪急電車に乗るたびに目に入る宝塚歌劇の車内ポスター。
いま掲示されているのは宙組のミュージカル・プレイ「異人たちのルネサンス-ダ・ヴィンチが描いた記憶-」。下の方にはもう一つの公演の本朝妖綺譚「白鷺の城」ってのもあるが、そっちは、まあいい。
前にも書いたように、宝塚の男役スターの姿には違和感をぬぐえない私。このポスター(ここに載せたのは車内ポスターではなく、宝塚のホームページにあった同じデザインのポスター)を見てても、そんなに僕をにらまないでって感じで、目をそらせてしまうのだが、でも勇気をもってしっかりと見てみると、ちょっと感心してしまった。
1つは主役の《男性》-ミュージカルの筋は知らないが、きっとこの人がダ・ヴィンチ(1452-1519)なのだろう-が持っている鉛筆。
これがトンボ鉛筆とか三菱uniとかじゃないところが-あたりまえだけど-きちんと考えられている。鉛筆の削り方もその時代っぽくていい。
そしてもう1つは、よく見ると左側の女性-まどかさん-の衣装や手が写真でなく絵になっていること。
ダ・ヴィンチが彼女を描いたってことを表現しているのだ(よね?)。
これはなかなか手の込んだ演出である。
と感心してしまったのであった。
多声極まれり
ところで音楽史でルネサンス音楽というと、バロック音楽の前の時代の音楽を言う。ルネサンス音楽の前の時代は中世音楽である。
ルネサンス音楽といっても『音楽復興』という意味合いはなく、ルネサンス期に作られた音楽ということ。1400年~1600年に書かれた音楽で、ポリフォニー(多声音楽)を特徴とする。
なお、『レコード芸術』誌などのジャンル分けでは、ルネサンス音楽や中世の音楽は『音楽史』とされており、このブログのカテゴリでも『音楽史』としている。
ルネサンス音楽時代の作曲家(音楽家)は数多くいるが、今日はその中からバンキエリ(Adriano Banchieri 1568-1634 イタリア)の作品を。
バンキエリは1634年没ということで、ルネサンス音楽の終焉期の作曲家ということになる。
彼の「四旬節前の木曜日の正餐前の夕べの集い(Festino nella sera del giovedì grasso avanti cena)」(1608出版)。
このなかの、単独で録音されることもある「動物たちの対位法(Contrappunto bestiale alla mente)」は、いろいろな動物たちの鳴き声を模倣して歌う、人を食ったような曲だ。
ファソリス/ソナトーリ・デ・ラ・ジョイオーサ・マルカ、ルガーノ・スヴィッツェラ放送合唱団の演奏を。
1995年録音。ナクソス。
このCDの日本語の帯に書かれた演奏者名。
ソナトーリ・デ・ラ・ジョイオーサ・マルカ(Sonatori de Gioiosa Marca,Treviso)のことを『トレヴィソの陽気なマルカの音楽家たち』と表記している。
人を食ったような名前だ……。それだけで売れ行きに影響しそうな感じがする(もちろん悪い方へ)。
壊れた炊飯器について
燃えないゴミの収集日に収集してくれるかどうか、ワクワクソワソワしていた私。
というのも、市が収集するゴミのサイズぎりぎりで、突起物部分はかすかにサイズオーバー。
しかしその日の夜帰宅すると、ゴミステーションから姿を消していた。ちゃんと収集してくれたのだ(まさか古炊飯器コレクターが持って行ったわけではないだろう)。
私がどんなに安堵したか、みなさんならわかってくれるだろう。
ポーポーちゃんについて
おととし、わが家のシンボルツリーである桃色ナツツバキに営巣したポーポーちゃん。ポメラニアンではなくキジバト(ヤマバト)である。2羽の子どももあっという間に巣立っていった。
去年は営巣せず、今年はどうか?と思ったが、今年もやって来なかった。あたりでは鳴き声がするのに、わが庭に住もうとは思ってくれなかったのだ。借地代をとるなんて言ってないのに残念である。
練りワサビについて
練りからしを買いに行ったのに、何をとち狂ったのか、間違えて練りわさびを買ってしまった私。
新品の練りわさびが2本という大量在庫を抱えてしまったのに、先日シンクの引き出しの中に、別な新品の練りわさびがあるのを発見。しかも同じ商品が1つもないという見事さ。しかし3本もどうするか?やれやれ……
いずれにしろ、いま私の部屋には3本の新品のわさびと1本の洋からしがある。
ヨンゲン(ジョンゲン。Joseph Jongen 1873-1953 ベルギー)の「3本のフルートと1本のアルト・フルートのためのワロン地方のノエルによる2つのパラフレーズ(Deux paraphrases sur des noels wallons pour trois flutes et une flute alto)」Op.114-1,2(1940)。
この幻想的な曲をブリュッセル王立音楽院フルート四重奏団の演奏で。
1997年録音。ナクソス。
こがねそばについて
先週に日曜日は北海道にいたわけだが、またまた新札幌の『八雲』でそばを食べた。
冷やしこがねそば-小さめの角餅2個とえび天が1本のっている-を頼んだ私だが、ショーケースのサンプルではゆでたホウレンソウものっかっているのに、目の前に置かれたそれにはなかった。うそつき……
ほうれんそうをのせ忘れたのか?それともこういう仕様に変わったのか?いや、サンプルは温かいこがねそばのものだった。冷やしだとホウレンソウはのらないのかも知れない。どっちにしろ聞く勇気なんて、私にはない。
それにしても、餅を食べるときは歯にかぶせた冠がとれてしまわないかと、いつも恐怖に襲われる。
新発売の弁当について
火曜日に久々にローソンに行き、昼食用に買った新発売という弁当。
これはなかなか素敵な内容。“ごっつうおいしい”かどうかはともかく、この『関西満彩幕の内』は満足度大。特に西京焼がおいしい。赤いウインナーの串揚げも地味にうれしいし、奈良漬けの味が少々移ったポテトサラダも珍味。
残念なのは、バイトの兄ちゃんA君(注:日本人)が割り箸を入れ忘れていたことだ(実は翌日、その翌日も、さらにその翌日も、私は同じ店で同じ弁当を買ったのだが(4日間連続!)、店長の名札をつけたB子さんや別なバイトのC君は、当たり前に割り箸と紙おしぼりを袋に入れてくれた)。
八つ裂きについて
赤いウィンナーといえば、数日前に本社から出張で来た人と夕食をともにしたとき。
ここ『がんこ寿司』で、まず私が頼んだのは『たこ踊り鉄板焼き』。
たこと言っても海に生息する蛸ではなく、海に生息する魚を原料にして作ったソーセージを真っ赤な皮で包み、そのうえで半分を八つ裂きにした、タコさんウインナーである。
見た目もなかなかだし、おいしかった(って、赤いウインナーの味だけど)。
こちらの店舗には ゛ がないことについて
その『がんこ寿司』のメニューには、前に行った別の『がんこ寿司』の店と違って、メニューには『アボガド』ではなく『アボカド』と書かれていた。
ちょっぴり裏切られたような気がした。
親切な家と商売っけのない女について
大阪に戻った17日は、大阪空港に着いて、モノレールで蛍池に行き、そこですぐに阪急に乗り換えないで、蛍池のCANDOに寄ってエアークッションを購入。オークション出品したCDを送るのにこの商品は実に便利。
そのCANDOの近くの家の前。歩道にあふれ出た植物を摘んでいいですよという貼り紙。
この花、私の部屋にもあるベビーサンローズ(花蔓草)だ。
私は名古屋にいたとき、やはり見知らぬ人の家の庭先の歩道にはみ出している一つの芽を失敬して育て、今に至っている。このように書いてくれると、私のようにその後負い目を抱いたまま暮らし続けなくて済む。
ところで、なんでわざわざ蛍池のCANDOに寄ったかというと、出張からマンションに経路の途中にあるってことだからだが、実はマンションから最寄りのCANDOにはこれと同じ商品が置いていないのだ(大きいサイズのはある)。だから、わざわざここに立ち寄ったのだ。
その最寄りの店で、先日、店員の若い姉ちゃんに「17cm四方のエアークッションは入荷する予定はありますか?」と尋ねたら、間髪入れず「ありません!」と答えられた。感心するほど素早く、接客には不向きだと痛感する、実に感じの良くないヒトであった。
多胎出産について
自宅にある多肉植物。
先週、外に放置してあったものを、そろそろ朝晩冷え込むからと、屋内に取り込もうとしたら、葉の周辺にこんなにたくさんのお子さまが!
なんつーか、きもかわいい。
外耳炎について
耳が痛くなり、耳の穴に水が入ったような聞こえ方になったり、痛みがかゆみに変わったり。
そんな症状が最初に現れたのは7月4日のことだった。高知行きの飛行機の中で最初の痛みが来た。
この日から翌日にかけて四国や中国地方は大雨に見舞われ大きな災害が起こった。
あれから2か月半が経つ。
そして私の耳は、完全に治ったとは言えない状態だ(音楽を聴くことに支障はない、ような気がする)。
聞こえがおかしくなるということはほぼなくなったが、痛みやかゆみは残っている。
その原因はわかっている。かゆくなってくると、いけないこととはわかっていても、耳かき棒を入れてしまう。
ちょっと撫でるつもりがついつい力が入り、また傷つけてしまって痛くなる。
それが治りかけてまたかゆくなり……という繰り返しだ。
がまんが足りん!
このままではいかん!
これからは顔をゆがめてかゆみに耐えよう。
とっても強くて怖い悪役たち
とはいえ、キング・タイガー、ビッグ・タイガー、ブラック・タイガーのことではない。いや、古いねっ。
えっ、ご存じない?アニメ「タイガーマスク」の『虎の穴』の3人の支配者なんですけど。
つまり、炊飯器のふたがだらしなくなり、湯気がモレモレになってご飯がムレムレされず、私としてはやれやれで、だから、つまり寿命が来たので新しいものに買い替えたことを報告したわけだが、段ボール箱に3頭というか3匹の虎の絵が描かれていたのである。
1つはみなさんもどこかで目にしたことがあるであろう、“埴輪まなこ”のトラ。
名前は知らない。私はこのトラをタイガー君と呼ぶことにする。いばるほど全然凝った名ではないが……(よく見るとジジくさくない?)
オスのティグとメスのティーラというらしい。
口のなかもメッシュ
が、このアメリカのアニメなんかに出てきそうなキャラクター、ぜんぜんかわいらしくない。私は好きになれない。
と思ったら、やっぱりアメリカの人が作ったキャラで-だから虎男くんと虎子ちゃんってわけにはいかなかったのだろう-、このように父さんと母さんと、さらにはご丁寧にじいさんとばあさんまでいるという。
2005年から使われているそうだが、まったく知らなかった。
でも、もともとのタイガー君とどう使い分けしてるんだろう。
曲名は長いが曲は短い
モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の《サルティの「歌劇『2人が争えば3人目が得をする』のミンゴーネのアリア『子羊のように』」による8つの変奏曲(8 Variationen über die Aria des Mingone 'Come un' afnello' aus der Oper 'Fra i due litiganti il terzo gode' von Sarti)》イ長調K.460(K6.454a)(1784)。
サルティ(Giuseppe Sarti 1729-1802)はイタリアの作曲家。
モーツァルトは「子羊のように」をこの変奏曲のテーマとして用いただけでなく、歌劇「ドン・ジョヴァンニ」にも引用している。
私が持っているディスクはベルダーのフォルテピアノによる演奏(2001年録音。ブリリアント・クラシックス)だが、いまや廃盤。
さて、今日は新しい炊飯器で(寅乃助と命名)お米を炊いて(すでに稼働中)、炊き立てのご飯をいただくこととしよう。
なお、わが家にはこれでトラが3種そろったことになる。
寅乃助と、石のタイガーアイとレッドタイガーアイだ。
タイガーアイとレッドタイガーアイには日々、宝くじがあたりますようにとお願いしているところである。
鉛色の空のもと、駅に向かって歩いていた私のはるか前の方に、ジョギングのウェアー(に類するもの)を来た人の姿が見えました。はるかに前だったので、最初はセミぐらいの大きさに見えました。
でも、だんだんその姿は大きくなりました。
私と同じ方向に向かっているにもかかわらず、なぜか徐々に近づいたからです。
そして近づいてはっきりとわかったのですが、その人は実際にジョギングをしていたのです。
でも、とってもとっても進むのが遅いのです。電池切れ寸前のようです。
だから後ろからだんだん近づいたのです。
無言は配慮
確かに私は歩くのが速い方です。新品のアルカリ電池を入れたようにです。
私はみるみるうちに、そのジョガーに近づき、追いついてしまいました。
小学校の算数の『旅人算』で計算したら、私の歩く速さの方が、この人の走る速さよりも速いという驚きの答えになってしまうでしょう。でも、しょうがありません。なくなる寸前のマンガン電池による走行と、新品のアルカリ電池の歩行はこういう結末を迎えるということでしょう。
そのジョガーはおじいさんでした。
でも『にんにく卵黄』を毎日飲んでいるような体格ではなく、粗食こそ健康の源と考えているような感じでした。
最初にセミに見えたのは背中に羽があるからではなく、ミンミン唸っているからでもなく、ウェアの背中が茶色だったからです。だったらセミじゃなくてガムシに例えてもいいんじゃないか?なんて、失礼千万ってものですよ、そこのあなた!
そのおじいさんは、ジョギング中にもかかわらず、右手には歩行杖を持っていました。
ジョギングをするほど元気なのに、用心深い人です。でも、立派な心構えだと思います。
私は後ろから「バンフライ!」と声をかけようかと思いましたが、やっぱりやめて黙って右側から、走っているおじいさんを歩いて追い抜きました。「バンフライ!」という掛け声は、クロスカントリーなんかで前の選手を追い抜くときに言う掛け声です。どうして無言で追い抜いたかというと、私の掛け声でびっくりして転んだらたいへんだと思ったからです。驚かないにしても「バタフライ!」と聞き間違えて、いきなり「♪あなたに抱かれて、わたしは蝶になるぅ~」と歌われても困ります。そっちの方が、はっきり言って困ります。
追い抜いたあととっても気になりました。追い抜いたとたんマッハの走りで、近ごろ日本で流行ってるみたいにあおられる危険だってゼロではないからです。恨みに思って、私を後ろから杖で殴ってやりたいと殺意を抱く恐れだってあります。
でも、振り返って見るのはいやな感じに思われると思ってがまんしました。しかし、気配でそのままどんどん距離が開いていくのがわかりました。
私はジョガーであるこのおじいさんのプライドを傷つけてしまったでしょうか?
おじいさんを物悲しい気分にさせてしまったのでしょうか?
だったらおじいさん、ごめんなさい。
この曲のテンポの方が速いです。おじいさんより
ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)の「アンダンテと変奏曲(Andante con variazioni)」ヘ短調Op.83,Hob.XVII-6(1793)。
アンダンテというのは、ご存じのように速度指示で「歩くような速さで」。
この曲を耳にした誰もが-あまのじゃくじゃない限り-『物悲しい音楽』と感じるようだ(私を含む)。
作曲のきっかけとなったのは、ハイドンの音楽の信奉者だったウィーンの貴族、マリアンネ・フォン・ゲンツィンガー夫人の死だったと言われている。哀悼の音楽なのかも知れない。
デームスのピアノで。
1959年録音。グラモフォン(TOWER RECORDS UNIVERSAL VINTAGE COLLECTION +plus)。
こんどおじいさんをずっと先に見かけたときは、その瞬間に右と左ともう一度右を確認したうえで道路を斜め横断して、反対側の歩道を歩み進もうと思います。
そして、おじいさん、いつまでも健康でいてください。
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