新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

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2018/09

本日ANA便に搭乗する方は読んでみて!♪ドヴォルザーク/ルサルカ

  雑草にたっぷりのオメガ3脂肪酸
 ANAの機内搭載誌「翼の王国」の9月号。
 つまりは、読めるのは今日限りってことになるが、それに“山形 かてもの ほしもの いいもの”という記事が載っている。書いているのはnakaban氏である。

 内容は、山形は保存食である『干し物』の盛んな土地だ、というもの。

 私の目を引いたのは、そのなかに「ひょう」と呼ばれ、“『ひょっとして、いいことがありますように』と、山形ではお正月に食べる風習がある」”という、スベリヒユについて。

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 オメガ3脂肪酸を多量に含むなど、その栄養価が並外れて高いというのだ。

 それなら、ウチの庭や玄関前のアプローチにも生えてくる。当然、位置づけは悪名高き『雑草』である。

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 記事中に出てくる料理上手な五十嵐京子さんが“ひょうは摘んでも摘んでも生えてくる”と言っているように、まったくもって厄介な植物なのだ。

 しかし、nakaban氏も“僕も空き地に生えているのを採ってきて、サラダに混ぜたりしている”という。

 そこで帰宅後、食べ物と健康の関係についてはそこそここだわっている妻に、朗報としてこのことを伝えた。

 返って来た言葉は、「たまーにキタキツネも歩いているし、なんかヤダ」だった。
 なんとなく私もほっとした。

  ロマンティックだけど一般的ではないご提案
 同じ「翼の王国」9月号巻頭ごあいさつで、ANAの平子社長はこんなことを書いている。

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 ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904 チェコ)の歌劇「ルサルカ(Rusalka)」Op.114,B.203(1900)。

 ここで取り上げているように、『水の精伝説』による作品である。

RUSALKA でも、「じゃあ聴いてみるか」ってほど、一般的な曲ではない。
 少なくとも、ショッピングセンターのなかにテナントに入っている小さなCDショップにこの曲のディスクを発見できる確率はかなり低いだろう。絶望的と言ってもよいかもしれない。

 そんなポピュラーとは言えないオペラの、第1幕で水の精のルサルカが歌うアリア「月に寄せる歌(白銀の月)」を持ち出すなんて、社長さんもかなりマニアックだ。

 ハルバラ/プラハ国立歌劇場管弦楽団、同合唱団、スプルトヴァ(ルサルカ:S)他の演奏を。

 1961年録音。スプラフォン。

私の札響感動史(35)♪なぜか流れが悪く響きも粗かったタコ6

SSO350_351  写真ではサラリーマン。でもファゴットの名手
 1993年4月の第346回定期(オール・ショスタコ・プロ)のあとに私が行った札響の演奏会は、9月の第350回。

 マルク・アルブレヒトの指揮で、メインはマーラーの第1番だった。
 良くも悪くもフツーの演奏。
 それよりもファゴットのトルコヴィッチを迎えてのウェーバーのファゴット協奏曲ヘ長調が心踊らされるような演奏で楽しめた。アンコールのウェーバーの「ロンドJ.158」からの一部も素敵だった。

  フランス的=物足りなさも……
 翌10月は、なんとジャン・フルネが指揮台に。
 オール・フランスもののプログラム。
 ドビュッシーの「海」にしろ、サン=サーンスの交響曲第3番にしろ、力で押してくるようなところがまったくなく、フランスの本場の鳴らせ方ってこういうもんなんだなと、感心させられた。

  札響らしくない出来
 年が明けて、1994年1月から3月は北海道厚生年金会館が改修工事のため、会場は札幌市民会館に。

 1月の第354回は手塚幸紀の指揮で、メインはショスタコーヴィチの交響曲第6番。

SSO9401

 めったに生で聴ける曲ではないので楽しみにしていたが、厚生年金より響きが良いはずの市民会館なのに、どうも音に隙間がある。初期のナクソスのショスタコの録音のようだ。流れも良くない。
 後日、FM北海道で放送されたものをエアチェックして聴いたが、会場で聴いた時よりも響きが全然密ではなかった。残念であった。

 って、今回は「感動史」になってないな……

SilvestriBox  心臓麻痺に気をつけて、いざ海へ
 ドビュッシー(Claude-Achille Debussy 1862-1918 フランス)の「海-3つの交響的スケッチ(La mer - 3 Esquisses symphoniques)」(1903-05)。

 印象主義音楽の管弦楽作品の代表的な傑作。
 そして今日は、上に書いた私の『感心』とは矛盾する演奏を。
 シルヴェストリ/パリ音楽院管弦楽団によるものだ。

 許光俊と鈴木淳史の「クラシックCD名盤バトル」(洋泉社新書)で、許氏はこの演奏についてこう書いている。

 ……ひとことで言うなら、まるで《禿山の一夜》のような《海》である(おもわず笑)。フランスのオーケストラでも指揮者によってはこんな演奏になるのかと肝をつぶすはずだ。音色や音の動きが鋭角的なのである。もったいぶらずにスパスパと行くので、真夏のラムネのように爽快である。-(中略)-まるで雪の舞う冬の日本海、正月恒例、男子総フンドシで寒中水泳、ヨシおれもやるぞみたいハイぶりなのだ。おそらく、名人揃いのパリ音楽院管が、暴れていいよと言われて大喜びで遊んだのであろう。いわば印象派ではなく野獣派的《海》である。この魅力は独特だ。

 許氏の書いていることはウソではない。ちょっと大盛りって気はするが……
 ただ、まったくもって、いつもの「海」の印象ががらりと変わる「海」である。

 1958年録音。EMI。

どちらも偽りなしの強炭酸と、偽りありアリの中国人♪JSB/BWV.565

Tansan_W  中身は双子、というか同一?
 ヨドバシから炭酸水(500ml×24本)が届く前日、私の計算ではその日の夜の分が不足することが明らかになった。一週間前のことだ。

 そこで帰宅途中に阪急オアシスに寄って、ウィルキンソンの炭酸水を手にしたのだが、そのあと別な売り場でもっと格安の-サツドラの超炭酸水にあとわずかってところ-炭酸水を見つけた。
 こんな風に2か所に分けて置いてあるのって、ちょっと自分が試されているようでプンプンである。

 私はウィルキンソンの炭酸水を元の棚(冷蔵ではない)に返しに行き、そして2通路離れた冷蔵庫に並んでいるサンガリアの伊賀の強炭酸水を持ってレジに行った。
 それが写真の左側の青いラベルのものである。

 ところがいつもヨドバシで買っている同じサンガリアの、これまた同じ『伊賀の天然水 強炭酸水』は右のようにラベルは白いのである。

 ラベルに書いてあることを読んでも、同じことしか書いてない。
 店でのバラ売り用と箱売り用でビジュアルを変えているのだろうか?でも、そんなことをしていたらかえって手間ではないのか?
 私の疑問は払拭されずにいる。

 なお、『伊賀の天然水 強炭酸水』のテレビCMで小泉孝太郎が飲んでいるのは白い方である。

  信用できないニセモノ女・恵美
 上の炭酸水は見た目は明らかに違う。だが、中身は一緒のようだ。

 一方、こちらは装いも似ているが、いい加減さとろくでもなさも一緒だ。
 ヤフーメールに届いたスパムメールである。

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  バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)のトッカータとフーガ ニ短調BWV.565(1708以前)。

 バッハの作品でも、複数の一部地域(リビアの砂漠の中央とかウラル山脈の山奥など)を除き、知らぬ者はいないほど有名な作品だ。

 ところが、ここに書いたように、バッハの代表作なのに実はバッハの作品ではないという、偽作説がある。

 詳しくはウィキペディアをご覧いただきたいが、ただニセモノと決めつけられたわけではない。

 つまり、今の段階では『偽作』ではなく『疑作』ということだ。

 リヒターのオルガン演奏で。

 1978年録音。グラモフォン。

 どうぞ、今予約して買いなさい。
 365天営業してなさい。
 あなたが拘留されなさい。

血糖値急降下ってこと?♪ビゼー/交響曲ハ長調

BizetSym  舌が、食道が、胃が、腸が求めている
 このあいだの日曜日の夜のことだ。

 一人鍋をし、だいたい食べ終え、コンサドーレ札幌の試合の様子をネットのテキスト速報で盛り上がらずに眺めていると、急に甘いものが食べたくなった。

 欲した甘さの種類は生クリームかプリン。

 こういうことはごくまれにあるが、私は間食をしないので-だらだら寝るまでハイボールを飲んでいることを間食とは言わないこととする-、冷蔵庫の中にはプリンもなければ、ましてやケーキもない。コンデンスミルクすらない。

 そうこうしているうちに欲望は強まり、真っ黄色のモンブランが食べたくてしょうがなくなった。

 この時間、ケーキ屋はもう閉まっているだろうし、そもそもさすがに1人でケーキ屋に行ってケーキを1個だけ買う勇気も気力もない。
 コンビニに行けばモンブランそのものは無理かも知れないにせよ、プッチンプリンは間違いなく売っているだろう。しかし、富田林署から逃亡した罪人がいまだ逃走ingなのだ。夜間に出歩くのは危険だ。蜘蛛が歯を磨いてヒトを噛むべくうろうろしている可能性だって高い。

 だからあきらめた。
 耳のかゆみに比べりゃスイーツをがまんすることなんて、まだたやすいってもんだ。

  虫歯だらけじゃなかったのかな?
 ビゼー(Georges Bizet 1838-75 フランス)の交響曲ハ長調(1855)。

 ビゼーがパリ音楽院で学んでいるときに書いた古典派様式による習作。
 交響曲第1番と呼ばれることもあるが、1859年に着手された2番目にあたる交響曲は破棄されたため、残されたビゼーの交響曲はこれ1曲である。
 また、この曲が初演されたのは1935年になってからのことである。

 バーンスタイン/ニューヨーク・フィルの演奏を。

 1963年録音。ソニークラシカル。

 ところでなんで今日はビゼーなのかというと、ビゼーは甘いものに目がなかったそうだから。

 ハロルド・C・ショーンバーグは「大作曲家の生涯」(共同通信社)で、こう書いている。

 ……無愛想で、気短なこの青年は、いつでも優雅な衣装を身につけ、アメ、ケーキ、チョコレート、パンケーキ(プティ・フール)を常に口に入れていた(ビゼーのご機嫌を取り結ぶためには、甘い物を用意することが最大の必要条件だった)。

 そしてまた、交響曲ハ長調については、

 ……ビゼー初期の愛くるしい『交響曲ハ長調』は、グノーの『管楽器のための交響曲』を、そのままなぞった作品である。しかし、メロディーはビゼー自身のものである。

 これって褒めてるの?うん、褒めてるんだろうな。

 ビゼーが糖尿病だったかどうかは知らないが、亡くなったのは心臓病によってであった。
 「カルメン」初演の3か月後のことだった。

 で、翌朝。
 すでに甘味への欲求はなくなっていたが、コンビニに行ってみた。

 驚いたことにモンブランが売っていた。真っ黄色ではない、もっと高級なやつが。

 1つしか残ってなかったので、駆り立てられるように買ってしまった。

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 もしかすると270円となれば六花亭や柳月のモンブランより高いかも知れない。
 が、さすがイタリア栗、ってことかどうかはさておき、口のなかでとろけるその味は否応なしの絶品度合いを私に突きつけた。

ビヨーブ、昔人形etc、買受公認!♪ポルディーニ/踊る人形

  性善説に立ったうえでの陳列
 台風21号が大阪を直撃する少し前のこと。

 マチナカを探索していると、骨とう品を扱うにふさわしい骨とう的看板を掲げた店を発見した。
 自称・古美術店、かつ、買受センターである。
 ところで、古美術と古道具の境目はどこにあるのだろう?それとも同じものと考えていいのだろうか?

Kottou

 それにしてもこんなふうに無造作に置いたままにしといて、盗まれたり割られたりしないのだろうか?
 いや、私が泥棒なら盗まないけど。いえ、そういう意味ではなく、道徳心があるから。

 台風でベニヤ板は吹き飛ばされなかったのだろうか?地震でブロック塀の倒壊の心配はないのか?
 ?の連発で申し訳ないが、お節介ながら気にかかる。

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 茶道具が『茶道貝』、贈答品が『贈筒品』みたいなこの字、私は案外好きだ。

  これじゃ魔物も逃げ帰る?
 玄関-買受センターの入口というよりは一般住宅の玄関のようだ-の上には、こわ~いお顔に、たくさんのぶら下がりもの(吊り灯篭っていうのだろうか?)が。
 台風のときはジャラジャラ暴れまくったんじゃないだろうか?(この写真でさえ踊っているように見える)。

 私が子どもだったら、ここの前は怖くて通れない。
 玄関からは昔人形が出てきそうだし。
 
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 ポルディーニ(Ede Poldini 1869-1957 ハンガリー)の「踊る人形(The dancing doll)」。

 もともとはピアノ曲(原題「ワルツを踊る人形(La poupee valsante)」)だが、クライスラーがヴァイオリン曲に編曲して弾いたことで有名になった。

 グローヴス/フィルハーモニア管弦楽団の演奏で(管弦楽編曲が誰の手によるのかは不明)。
 管弦楽小品名曲集である。

 1988年録音。DENON。

GrovesPO

 

昼下がりの情事、ではなく、殺戮♪ルーセル/蜘蛛の饗宴

RousselSpider   暑さも和らいだのでお散歩がてらで
 この三連休は大阪で過ごした。

 朝、ゆっくり寝ていようと思っていたのに、土曜日も日曜日も昨日の仏滅も、5時ころにいったん目が覚める。そういうカラダになってしまったようだ。でも、眠い。まだ寝ていたい。瞳の奥が重苦しい。
 でも、なぜか二度寝できない。

 で、うすうすは気づいていたが、瞳の奥が重苦しいのは、やはり前の日に飲みすぎている後遺症だろう。家飲みでこうなんだからどうしようもない。

 土曜日はダイエーに行き、日曜日はファミマと阪急オアシスに行き、昨日はセブンイレブンに行った。

 ダイエーへ行ったのは食料調達という目的があったが、その他はなんとなく行ってきただけ。セブンイレブンにいたっては、前日の夜に急にモンブランが食べたくなったので翌朝行ってみたら、まさかあるとは思わなかったモンブランがあって、そのときはもう食べたいという気持ちは消失していたのだけど、敬意を表して買った。私としては栗のクリームはもっとラーメン色した安っぽい方が好きなんだけど。

20180924Seaka  恐怖の告知を発見してしまいました!
 そんなわけで何度も出入りしたため、日ごろは注意して見たことのないマンション1階の掲示板が目に入った。

 すると、なんとも恐ろしいことが近隣で起こっているではないか!全然知らなかった。

 しかもすでに最初に発見されてから1か月も経っている。
 知らぬが仏とはこういうことだ。

 明日からは出勤時もなるべく地面に接しないように、バレリーナのように爪先立ちで歩こう←意味ない。

 ルーセル(Albert Roussel 1869-1937 フランス)のバレエ「蜘蛛の饗宴(Le festin de l'araignee)」Op.17(1912)。

 ファーブルの「昆虫記」からG.de.ヴォワザンが台本を作ったバレエだが、個人的にはこういう題材をなぜバレエにしようとするのか、その発想が理解できない。世の蜘蛛好きの方には申し訳ないけど。

 バレエの筋は、蜘蛛が蝶を捕えて体液を吸って満足、とはいかないで、さらに貪欲にカマキリとイモムシもモノにし、けどカマキリの逆襲に遭って殺されてしまう。それとは別に、同じ庭の別な場所ではカゲロウの葬式が行なわれている、というもの。

 ステファン・ドヌーヴ指揮ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団の演奏を。

 2010年録音。ナクソス。

 そういえば、カトリーヌ・ドヌーヴっていまはどんなんになったのだろう?
 むかし、あんなきれいな人が世の中にいるのかって青年心に思ったものだ。
 すっごくきれいなおばあさんになっているのだろうか?

 そうそう「スト」が戻っていた。

20180922roastBeef

 なによりである★。

体位じゃなくて犬や猫の対位です♪バンキエリ/四旬節前の木曜日の……

Takaraduka_Ijin  顔は写真だが……
 阪急電車に乗るたびに目に入る宝塚歌劇の車内ポスター。

 いま掲示されているのは宙組のミュージカル・プレイ「異人たちのルネサンス-ダ・ヴィンチが描いた記憶-」。下の方にはもう一つの公演の本朝妖綺譚「白鷺の城」ってのもあるが、そっちは、まあいい。


 前にも書いたように、宝塚の男役スターの姿には違和感をぬぐえない私。このポスター(ここに載せたのは車内ポスターではなく、宝塚のホームページにあった同じデザインのポスター)を見てても、そんなに僕をにらまないでって感じで、目をそらせてしまうのだが、でも勇気をもってしっかりと見てみると、ちょっと感心してしまった。

 1つは主役の《男性》-ミュージカルの筋は知らないが、きっとこの人がダ・ヴィンチ(1452-1519)なのだろう-が持っている鉛筆。
 これがトンボ鉛筆とか三菱uniとかじゃないところが-あたりまえだけど-きちんと考えられている。鉛筆の削り方もその時代っぽくていい。

 そしてもう1つは、よく見ると左側の女性-まどかさん-の衣装や手が写真でなく絵になっていること。
 ダ・ヴィンチが彼女を描いたってことを表現しているのだ(よね?)。
 これはなかなか手の込んだ演出である。

 と感心してしまったのであった。

  多声極まれり

 ところで音楽史でルネサンス音楽というと、バロック音楽の前の時代の音楽を言う。ルネサンス音楽の前の時代は中世音楽である。

 ルネサンス音楽といっても『音楽復興』という意味合いはなく、ルネサンス期に作られた音楽ということ。1400年~1600年に書かれた音楽で、ポリフォニー(多声音楽)を特徴とする。


 なお、『レコード芸術』誌などのジャンル分けでは、ルネサンス音楽や中世の音楽は『音楽史』とされており、このブログのカテゴリでも『音楽史』としている。


BanchieriNAXOS ルネサンス音楽時代の作曲家(音楽家)は数多くいるが、今日はその中からバンキエリ(Adriano Banchieri 1568-1634 イタリア)の作品を。
 バンキエリは1634年没ということで、ルネサンス音楽の終焉期の作曲家ということになる。

 彼の「四旬節前の木曜日の正餐前の夕べの集い(Festino nella sera del giovedì grasso avanti cena)」(1608出版)。


 このなかの、単独で録音されることもある「動物たちの対位法(Contrappunto bestiale alla mente)」は、いろいろな動物たちの鳴き声を模倣して歌う、人を食ったような曲だ。

 ファソリス/ソナトーリ・デ・ラ・ジョイオーサ・マルカ、ルガーノ・スヴィッツェラ放送合唱団の演奏を。


 1995年録音。ナクソス。


 このCDの日本語の帯に書かれた演奏者名。

 ソナトーリ・デ・ラ・ジョイオーサ・マルカ(Sonatori de Gioiosa Marca,Treviso)のことを『トレヴィソの陽気なマルカの音楽家たち』と表記している。


 人を食ったような名前だ……。それだけで売れ行きに影響しそうな感じがする(もちろん悪い方へ)。

どーでもいい話ばかりだけど……♪ヨンゲン/2つのパラフレーズ

 いろいろなことがあって皆さんにまだお伝えしていなかった数々の『その後』について、本日一挙にご報告。


  壊れた炊飯器について

 燃えないゴミの収集日に収集してくれるかどうか、ワクワクソワソワしていた私。
 というのも、市が収集するゴミのサイズぎりぎりで、突起物部分はかすかにサイズオーバー。
 しかしその日の夜帰宅すると、ゴミステーションから姿を消していた。ちゃんと収集してくれたのだ(まさか古炊飯器コレクターが持って行ったわけではないだろう)。
 私がどんなに安堵したか、みなさんならわかってくれるだろう。


  ポーポーちゃんについて
 おととし、わが家のシンボルツリーである桃色ナツツバキに営巣したポーポーちゃん。ポメラニアンではなくキジバト(ヤマバト)である。2羽の子どももあっという間に巣立っていった。
 去年は営巣せず、今年はどうか?と思ったが、今年もやって来なかった。あたりでは鳴き声がするのに、わが庭に住もうとは思ってくれなかったのだ。借地代をとるなんて言ってないのに残念である。

  練りワサビについて
 練りからしを買いに行ったのに、何をとち狂ったのか、間違えて練りわさびを買ってしまった私。
 新品の練りわさびが2本という大量在庫を抱えてしまったのに、先日シンクの引き出しの中に、別な新品の練りわさびがあるのを発見。しかも同じ商品が1つもないという見事さ。しかし3本もどうするか?やれやれ……

WASABI_Tri


 いずれにしろ、いま私の部屋には3本の新品のわさびと1本の洋からしがある。

Jongen ヨンゲン(ジョンゲン。Joseph Jongen 1873-1953 ベルギー)の「3本のフルートと1本のアルト・フルートのためのワロン地方のノエルによる2つのパラフレーズ(Deux paraphrases sur des noels wallons pour trois flutes et une flute alto)」Op.114-1,2(1940)。

 この幻想的な曲をブリュッセル王立音楽院フルート四重奏団の演奏で。


 1997年録音。ナクソス。


  こがねそばについて
 先週に日曜日は北海道にいたわけだが、またまた新札幌の『八雲』でそばを食べた。

 冷やしこがねそば-小さめの角餅2個とえび天が1本のっている-を頼んだ私だが、ショーケースのサンプルではゆでたホウレンソウものっかっているのに、目の前に置かれたそれにはなかった。うそつき……

 ほうれんそうをのせ忘れたのか?それともこういう仕様に変わったのか?いや、サンプルは温かいこがねそばのものだった。冷やしだとホウレンソウはのらないのかも知れない。どっちにしろ聞く勇気なんて、私にはない。

 それにしても、餅を食べるときは歯にかぶせた冠がとれてしまわないかと、いつも恐怖に襲われる。
 
  新発売の弁当について
 火曜日に久々にローソンに行き、昼食用に買った新発売という弁当。

 これはなかなか素敵な内容。“ごっつうおいしい”かどうかはともかく、この『関西満彩幕の内』は満足度大。特に西京焼がおいしい。赤いウインナーの串揚げも地味にうれしいし、奈良漬けの味が少々移ったポテトサラダも珍味。

20180918PL_Kansai

 残念なのは、バイトの兄ちゃんA君(注:日本人)が割り箸を入れ忘れていたことだ(実は翌日、その翌日も、さらにその翌日も、私は同じ店で同じ弁当を買ったのだが(4日間連続!)、店長の名札をつけたB子さんや別なバイトのC君は、当たり前に割り箸と紙おしぼりを袋に入れてくれた)。


  八つ裂きについて
 赤いウィンナーといえば、数日前に本社から出張で来た人と夕食をともにしたとき。
 ここ『がんこ寿司』で、まず私が頼んだのは『たこ踊り鉄板焼き』。

 たこと言っても海に生息する蛸ではなく、海に生息する魚を原料にして作ったソーセージを真っ赤な皮で包み、そのうえで半分を八つ裂きにした、タコさんウインナーである。
 見た目もなかなかだし、おいしかった(って、赤いウインナーの味だけど)。

20180918Tako

  こちらの店舗には ゛ がないことについて
 その『がんこ寿司』のメニューには、前に行った別の『がんこ寿司』の店と違って、メニューには『アボガド』ではなく『アボカド』と書かれていた。
 ちょっぴり裏切られたような気がした。

  親切な家と商売っけのない女について
 大阪に戻った17日は、大阪空港に着いて、モノレールで蛍池に行き、そこですぐに阪急に乗り換えないで、蛍池のCANDOに寄ってエアークッションを購入。オークション出品したCDを送るのにこの商品は実に便利。

CANDO_AIRBUG

 そのCANDOの近くの家の前。歩道にあふれ出た植物を摘んでいいですよという貼り紙。

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 この花、私の部屋にもあるベビーサンローズ(花蔓草)だ。

 私は名古屋にいたとき、やはり見知らぬ人の家の庭先の歩道にはみ出している一つの芽を失敬して育て、今に至っている。このように書いてくれると、私のようにその後負い目を抱いたまま暮らし続けなくて済む。

 ところで、なんでわざわざ蛍池のCANDOに寄ったかというと、出張からマンションに経路の途中にあるってことだからだが、実はマンションから最寄りのCANDOにはこれと同じ商品が置いていないのだ(大きいサイズのはある)。だから、わざわざここに立ち寄ったのだ。

 その最寄りの店で、先日、店員の若い姉ちゃんに「17cm四方のエアークッションは入荷する予定はありますか?」と尋ねたら、間髪入れず「ありません!」と答えられた。感心するほど素早く、接客には不向きだと痛感する、実に感じの良くないヒトであった。

  多胎出産について
 自宅にある多肉植物。
 先週、外に放置してあったものを、そろそろ朝晩冷え込むからと、屋内に取り込もうとしたら、葉の周辺にこんなにたくさんのお子さまが!

20180909Taniku

 なんつーか、きもかわいい。

  外耳炎について
 耳が痛くなり、耳の穴に水が入ったような聞こえ方になったり、痛みがかゆみに変わったり。
 そんな症状が最初に現れたのは7月4日のことだった。高知行きの飛行機の中で最初の痛みが来た。
 この日から翌日にかけて四国や中国地方は大雨に見舞われ大きな災害が起こった。
 あれから2か月半が経つ。

 そして私の耳は、完全に治ったとは言えない状態だ(音楽を聴くことに支障はない、ような気がする)。

 聞こえがおかしくなるということはほぼなくなったが、痛みやかゆみは残っている。

 その原因はわかっている。かゆくなってくると、いけないこととはわかっていても、耳かき棒を入れてしまう。
 ちょっと撫でるつもりがついつい力が入り、また傷つけてしまって痛くなる。
 それが治りかけてまたかゆくなり……という繰り返しだ。

 がまんが足りん!
 このままではいかん!

 これからは顔をゆがめてかゆみに耐えよう。

トラ!とら!虎!♪WAM/8つの変奏曲K.460

TIGER1  とっても強くて怖い悪役たち
 とはいえ、キング・タイガー、ビッグ・タイガー、ブラック・タイガーのことではない。いや、古いねっ。

 えっ、ご存じない?アニメ「タイガーマスク」の『虎の穴』の3人の支配者なんですけど。

 つまり、炊飯器のふたがだらしなくなり、湯気がモレモレになってご飯がムレムレされず、私としてはやれやれで、だから、つまり寿命が来たので新しいものに買い替えたことを報告したわけだが、段ボール箱に3頭というか3匹の虎の絵が描かれていたのである。


 1つはみなさんもどこかで目にしたことがあるであろう、“埴輪まなこ”のトラ。
 名前は知らない。私はこのトラをタイガー君と呼ぶことにする。いばるほど全然凝った名ではないが……(よく見るとジジくさくない?)


TIGER2 あとの2匹について、私は知らなかった。

 オスのティグとメスのティーラというらしい。

  口のなかもメッシュ

 が、このアメリカのアニメなんかに出てきそうなキャラクター、ぜんぜんかわいらしくない。私は好きになれない。


 と思ったら、やっぱりアメリカの人が作ったキャラで-だから虎男くんと虎子ちゃんってわけにはいかなかったのだろう-、このように父さんと母さんと、さらにはご丁寧にじいさんとばあさんまでいるという。
 2005年から使われているそうだが、まったく知らなかった。


 でも、もともとのタイガー君とどう使い分けしてるんだろう。


MozartMaman  曲名は長いが曲は短い
 モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の《サルティの「歌劇『2人が争えば3人目が得をする』のミンゴーネのアリア『子羊のように』」による8つの変奏曲(8 Variationen über die Aria des Mingone 'Come un' afnello' aus der Oper 'Fra i due litiganti il terzo gode' von Sarti)》イ長調K.460(K6.454a)(1784)。


 サルティ(Giuseppe Sarti 1729-1802)はイタリアの作曲家。


 モーツァルトは「子羊のように」をこの変奏曲のテーマとして用いただけでなく、歌劇「ドン・ジョヴァンニ」にも引用している。


 私が持っているディスクはベルダーのフォルテピアノによる演奏(2001年録音。ブリリアント・クラシックス)だが、いまや廃盤。


 さて、今日は新しい炊飯器で(寅乃助と命名)お米を炊いて(すでに稼働中)、炊き立てのご飯をいただくこととしよう。

 なお、わが家にはこれでトラが3種そろったことになる。
 寅乃助と、石のタイガーアイレッドタイガーアイだ。
 タイガーアイとレッドタイガーアイには日々、宝くじがあたりますようにとお願いしているところである。


私の歩みはアレグロ・モデラート♪ハイドン/アンダンテと変奏曲

SchubertTroutDemus  ジョガーを察知!
 昨日の朝のことです。

 鉛色の空のもと、駅に向かって歩いていた私のはるか前の方に、ジョギングのウェアー(に類するもの)を来た人の姿が見えました。はるかに前だったので、最初はセミぐらいの大きさに見えました。

 でも、だんだんその姿は大きくなりました。
 私と同じ方向に向かっているにもかかわらず、なぜか徐々に近づいたからです。
 そして近づいてはっきりとわかったのですが、その人は実際にジョギングをしていたのです。


 でも、とってもとっても進むのが遅いのです。電池切れ寸前のようです。
 だから後ろからだんだん近づいたのです。


  無言は配慮
 確かに私は歩くのが速い方です。新品のアルカリ電池を入れたようにです。
 私はみるみるうちに、そのジョガーに近づき、追いついてしまいました。
 小学校の算数の『旅人算』で計算したら、私の歩く速さの方が、この人の走る速さよりも速いという驚きの答えになってしまうでしょう。でも、しょうがありません。なくなる寸前のマンガン電池による走行と、新品のアルカリ電池の歩行はこういう結末を迎えるということでしょう。

 そのジョガーはおじいさんでした。

 でも『にんにく卵黄』を毎日飲んでいるような体格ではなく、粗食こそ健康の源と考えているような感じでした。


 最初にセミに見えたのは背中に羽があるからではなく、ミンミン唸っているからでもなく、ウェアの背中が茶色だったからです。だったらセミじゃなくてガムシに例えてもいいんじゃないか?なんて、失礼千万ってものですよ、そこのあなた!

 そのおじいさんは、ジョギング中にもかかわらず、右手には歩行杖を持っていました。
 ジョギングをするほど元気なのに、用心深い人です。でも、立派な心構えだと思います。

 私は後ろから「バンフライ!」と声をかけようかと思いましたが、やっぱりやめて黙って右側から、走っているおじいさんを歩いて追い抜きました。「バンフライ!」という掛け声は、クロスカントリーなんかで前の選手を追い抜くときに言う掛け声です。どうして無言で追い抜いたかというと、私の掛け声でびっくりして転んだらたいへんだと思ったからです。驚かないにしても「バタフライ!」と聞き間違えて、いきなり「♪あなたに抱かれて、わたしは蝶になるぅ~」と歌われても困ります。そっちの方が、はっきり言って困ります。

 追い抜いたあととっても気になりました。追い抜いたとたんマッハの走りで、近ごろ日本で流行ってるみたいにあおられる危険だってゼロではないからです。恨みに思って、私を後ろから杖で殴ってやりたいと殺意を抱く恐れだってあります。

 でも、振り返って見るのはいやな感じに思われると思ってがまんしました。しかし、気配でそのままどんどん距離が開いていくのがわかりました。

 私はジョガーであるこのおじいさんのプライドを傷つけてしまったでしょうか?
 おじいさんを物悲しい気分にさせてしまったのでしょうか?


 だったらおじいさん、ごめんなさい。

  この曲のテンポの方が速いです。おじいさんより

 ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)の「アンダンテと変奏曲(Andante con variazioni)」ヘ短調Op.83,Hob.XVII-6(1793)。


 アンダンテというのは、ご存じのように速度指示で「歩くような速さで」。

 この曲を耳にした誰もが-あまのじゃくじゃない限り-『物悲しい音楽』と感じるようだ(私を含む)。

 作曲のきっかけとなったのは、ハイドンの音楽の信奉者だったウィーンの貴族、マリアンネ・フォン・ゲンツィンガー夫人の死だったと言われている。哀悼の音楽なのかも知れない。

 デームスのピアノで。


 1959年録音。グラモフォン(TOWER RECORDS UNIVERSAL VINTAGE COLLECTION +plus)。


 こんどおじいさんをずっと先に見かけたときは、その瞬間に右と左ともう一度右を確認したうえで道路を斜め横断して、反対側の歩道を歩み進もうと思います。
 そして、おじいさん、いつまでも健康でいてください。

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