新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2018/08

小うるさい男性は嫌いですか?♪GM7

  “良く売れてる楽譜”という意味ではなくて
 「注文の多い料理店」は宮沢賢治の童話だが、『注文の多い楽譜』というと、ご存知の方も多いと思うが、マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)である。

 例えば、彼の交響曲第7番ホ短調「夜の歌(Lied der Nacht)」(1904-05)の楽譜を見るとこんなことが書かれている(掲載譜は音楽之友社のスコア)。

 
  傷めちゃうかも

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  模倣ったって、聞いたことないし……
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  だいたい?
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  ちょっとだけ?
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  どんなポーズで?
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  はい……
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 これだけあーだこーだ注文をつけても、指揮者とオーケストラが違うと演奏も異なる。
 最後の譜面の指示なんて、逆にとらえれば、ほかの箇所は書かれたとおりに演奏しなくてもいいのかなと思えなくもない。
 そんなわけで、同じ曲のCDを何枚も買わなきゃならないハメになる。

MahlerKlemperer  数ある7番の録音のなかでも、ほかの多くの演奏とはまったく異質なのがクレンペラー/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団の演奏。
 ここに書いたように、異様なまでにテンポが遅いのだ。


 もしマーラーがこの演奏を聴いたとしたら大絶賛するのか?それとも激怒するのか?
 興味深いところだ。


 1968年録音。EMI。






消えてしまったあいつ。生まれてしまったこいつ♪ニールセン/Sym4

NielsenSet  誰かが針を?
 何日か前にシャワーを浴びながら、お泡プクプクにしたタオルを握ったときに右の薬指のつけ根に痛みが走った。

 誰かがタオルに針を仕込んだのか?スーパーやコンビニのパンや豆腐のなかから針が出てくることがある物騒な世の中だ。タオルから針が出てきても、少なくとも釘が出てくるよりは現実味がある。


 だが、針はなかった。指も傷ついていなかった。

 その痛かったところを押してみると……いててててて……って、な~んだ、あのガングリオンか。
 しばらく忘れていたな。また痛み出したってことか……


 …………んっ、待てよ。

  えっと、こっちはお箸を持つ方の手だから……
 ガングリオンがあったのは左手の薬指だったはずだ。
 生まれたままの姿でそのままリビングに行き、確認のために(正しくは、左だったか右だったか混乱してしまったために)過去のブログを検索してみると……

 

 ……間違いない。左手の薬指のつけ根だった
 そうだ、だから刺激を与えまいと、しばらくは結婚指輪を外したのだった。


 じゃあ、その左手のガングリオンは…………優しく触っても、強く押しても……ない。
 どんだけ触ってもない。


 左手のガングリオンはなくなり、反対側に新たなガングリオンができたっってことだ。まさか、手品のように左から右に移動したってことではないだろう。

 まっ、1年もしたらこれも消えてなくなるだろう(また左にできたりして)。


 ニールセン(Carl Nielsen 1865-1931 デンマーク)の交響曲第4番Op.29,F.S.76消し難きもの(Det Uudslukkelige)」(1914-16)。


 以前は「不滅」の名で呼ばれることが圧倒的に多かったが、最近では「消し難きもの」が使われる機会が増えた。こちらの方が原意に近いらしい。


 ニールセンの6曲ある交響曲のうちもっとも知られており、2群のティンパニが特徴的。
 単一楽章だが4楽章構成のように4つの部分からなっている。


 ボストック/ロイヤル・リヴァプール・フィルの演奏を。


 2000年録音。membrane。


 なお、この曲の日本初演を行なった指揮者は秋山和慶。オーケストラは東京交響楽団で、1968年のことだった。

ダブルでツ~ンとしてみない?♪C.P.E.B/Wq.47

DSCN0206  石はお香でよみがえる?
 日曜日の朝。

 この日はストーンブレスレットとそれを置いている浄化用の水晶のさざれ石を、窓越しだが日光に当てた。

 どこのだれがいつ、石に直接聞いてみたのかちっともわからないが、パワーストーンは身に着けているうちにいろいろな邪気を吸収してしまうので浄化しなければならないそうだ。

 通常は水晶のさざれ石の上に置いておけば浄化されるが、たまには日光や月光をあてたり、流水で洗ったり、あるいは天然塩の上に置いたり、乾燥したセージの葉を燃やしてその煙をあてるようにしなければならないのだそうだ。

 ただ、コトが単純ではないのは、石の種類によってアレルギーがあるようで、月光はいいが日光はダメとか、流水はダメ、塩は良くないなど、どうしてそんなことがわかるのか不思議だが、とにかくなんでも一緒くたにはできないということだ。

 私はいつもは“万能”の浄化パワーがあると言われている水晶のさざれ石の上にブレスレットを置いているが、そのさざれ石自体もたまには浄化してあげなくてはならないというので、まとめて陽の光に当てたのだった。

 そうすると、ストーンたちからもくもくと邪気が立ちのぼり……ってことがあるはずもなく、まあ「良いことしちゃった」という自己満足が残った。

  間違えたのは邪気のせいか?
 この日は前日よりもさらに暑いというので8時前にファミリーマートに出かけた。

 前日、セブンイレブンの冷凍の肉シューマイをレンジアップして食べたのだが-まさか私がアジの干物だけで満腹になるはずがない-、そのときに洋がらしがなくなってしまったのだ。

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 前日同様、不要不急の用事ではなかったが、ファミマに行ってチルドの惣菜や私のお好みのソーセージ、そしてワサビを買って帰ってきた。

 息遣いを荒くして-いや、興奮したんじゃなくて、暑いから-部屋に戻り、買ってきたものを袋から出したときに私は致命的なミスに気付いた。しばし呆然としてしまい、冷凍食品の『お母さん食堂 和風仕立ての鶏ごぼうご飯』をとかしてしまうところだった(にしても、あれがこんな風に進化していたとは!)
 そう。洋がらしではなく、間違ってワサビを買ってしまったのだ!

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 ワサビなら前の日にダイコクドラックで買っているではないか!
 ちぇっ、こうなりゃハウスとS&Bの協演・競演で、鼻に穴が開くくらいツーンっとしてやる!

  からしのない角煮なんて……
  C.P.E.バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach 1714-88 ドイツ)の「チェンバロとピアノのための二重協奏曲(Concerto doppio a cembalo,fortepiano)」変ホ長調Wq.47、H.479(1788)。

 ここでも書いているが、バロック音楽から古典派音楽へという過渡期に活躍した大バッハの次男坊・エマヌエル(前古典派と位置づけられる)は、その生涯最後の年に、鍵盤楽器としてそれまで主流だったチェンバロと、これからの楽器と目されるピアノ(フォルテピアノ)を対峙させるようなコンチェルトを書いたのだった。

BachCPEDoublecon そしてまたこの曲、古い楽器と新しい楽器を意地悪っぽく対比させるキワモノではなく(とはいえ、作曲した意図はわからないが)、エマヌエルの豊かな楽想-彼はメロディー・メーカーであると私は思う-が実におサレに響くのである(で、チューブ入りのワサビを売り出したのはハウスとS&Bのどちらが先だったのだろう?)。

 私が聴いているのは、インマゼールのチェンバロ、ケリーのフォルテピアノ、コレギウム・アウレウムによる演奏(1982年録音。ドイツ・ハルモニア・ムンディ)。

 ところが、もう廃盤になってしまっている。世の中、情けのかけらもない。

 なお、洋がらしがなかったためにこの日の夜、『煮玉子入り豚角煮』はおあずけとなってしまった。

枕を濡らしたボク……♪伊福部/眠狂四郎多情剣

Miura_Shiokari  お試し版にまんまと……
 さて、きちんとカレーの皿を洗い、お昼寝タイムに入った私。

 でも、目をつぶる前にちょっと本を読もうと、読み終わりまで残り4分の1ほどの小説をちょこっとだけ読むことにした。私のもくろみでは3ページも読めばもう目を開けてられないくらいの睡魔に襲われると思ったからだ。

 それは三浦綾子の「塩狩峠」(小学館。電子書籍版)である。
 実は1か月ほど前のことだったと思うが、この「塩狩峠」の無料お試し版があったので買ってみた(ただだけど)。なかなかおもしろい。おもしろいが、そこはうまくできていて、お試し版はこれからってところで終わっている。まんまと策略にのってしまい、私は有料正式版を買ったってわけ。

  かわいそうなヤソのふじ子
 三浦綾子はこれまでエッセイは読んだことがあるが、小説ははじめて。
 記念館にまで行ったことがあるのに、いまさらこの年になってこの有名な小説を読んだのである。

 ネタバレ無しで内容を紹介すると、永野信夫の父の名は貞行である、ってことになる。

 で、横になって読み始めると、まさに物語は暗いマック、じゃなかった、クライマックスでやめられなくなった。そして、私は不覚にも流してしまった。壮年男性の美しく輝く涙を。
 だって、ふじ子がかわいそすぎるではないか!

 そして、すっかり眠気が覚め、あと2時間もしたらやって来る郵便局の配達のお兄さんに泣いたことがばれないよう、昼寝をあきらめ瞳をぱっちり開けてドライアイ化した。お兄さんは、今回は北海道米の『ななつぼし』を持ってくるのだ(ヨドバシで購入)。

  珍しく夜は焼き魚
 悲劇に心打たれた私は食の嗜好も変わってしまった。
 というのも、この日の夕食には珍しくアジの干物を焼いた(冷凍庫に入っていたのだ)。

Ifukube9 そしてまた、ハイボールを飲みながらアジをつつきつつ聴いていたのが伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の映画音楽のサウンドトラックで、なかでも「眠狂四郎多情剣」(1966。大映)のもの悲しい音楽に、またまた気分はナヨナヨとなってしまった。

 幸いなるかな、翌日からはいつもの傾向に戻ったので、朝はベーコン、昼は担担麺(麺はこれスープはこれ)、夜は角煮を食べた。







容器だけでなく味も進化!♪DSch/SQ12

ShostakoSQEmerson  もっと暑くなる前に……
 あっという間に過ぎ去ってしまったこの土日。
 休みってどうしてこんなにはかなく通り過ぎて行ってしまうのだろう。

 土曜日は朝イチバン-9時開店-でダイコクドラックに行き、歯ブラシと味ぽんとじゃもじと練りわさびと馬油石けんを買ってきた。

 なにもくそ暑いなか、わざわざ急いで買いに行くこともないが、不要不急のお出かけをわざわざしたのは、やはり丸一日まったく外に出ないのは健全な壮年男性としてはよろしくないだろうと思ったからだ。けど、なんせ体の弱い壮年だから、それでも真昼間よりは少しは暑さがマシな朝にお出かけしたのである。
 この日のダイコクドラックは5%引きの日だった。わざわざ不要不急のお出かけをしたかいがあった。

 にしても、味ぽんなんてへたすりゃスーパーより安い。
 しゃもじも108円で100円ショップと同じだ。これでごはんがこびりつくという厄介さからしばらくは解放される。

20180825BonC1  食後の胃の重さがないのは材料が良い証し
 昼は久々にボンカレーを食べた。
 ボンにカレーを食べに行ったのではない。いまや3分間待たなくてもよい大塚食品のボンカレーである。電子レンジで500Wだと、そのまま1分40秒レンジアップするだけなのだ。
 見よ!松山容子さんの服装は昔ながらだが(だがビミョーに変化してきている)、手にしているのはアルミパウチではなく、蒸気口を装備した最新のものなのだ!

 そして味。
 間違いなくおいしい。あちこちで売られているけっこう値段も高い『ご当地もの』のカレーだって、その多くは(なかにはもちろんおいしいものもあるが)ボンカレーの足元にも及ばない。
20180825BonC2 この安定度はすばらしい。

 ボンカレーをたたえる意味で、ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-1975 ソヴィエト)の弦楽四重奏曲第12番変ニ長調Op.133(1968)。
 この曲が書かれた年にボンカレーは誕生した(東宝映画の「怪獣総進撃」も公開された)。

 弦楽四重奏曲第12番は2つの楽章からなり、全曲で約26分だが第2楽章だけで約20分を占める。

 エマーソン弦楽四重奏団の演奏で。

 1994年ライヴ録音。

 カレーを食べ満足した私はおねむになり、さあお昼寝しようと横になった。
 だが、そのあと泣かされる羽目になるとは……

 

イカに多いのはタウリン、笛を吹くのはラウリン♪ヴィヴァルディ/海の嵐

DSCN0197  こだま」にはかなわない
 このあいだの水曜日と木曜日は横浜に出張だった。


 久しぶりに長い距離を新幹線の中で過ごしたが、それはそうと新幹線が開業してもう50年以上経つというのに、相変わらずいまだに“新”幹線っていうのってなんかへんなの、なんて思いながら、新大阪駅で買った幕の内弁当を発車と同時に食べ始め、京都に到着する直前に食べ終えた。

 この弁当も、九重パターンである。
 鮭と玉子焼きは秀逸的うまさ。しかし、残念なことに、得体の知れない揚げ物は硬かったし、かぼちゃの煮つけはそもそもあまり得意じゃない。牛肉はうわべだけで下はしらたきばっかりだったのには「やられた!」って感じ。そんなわけで、満足感は六重ってとこDSCN0198ろだった。


  豊橋は瞬間的豪雨
 翌日は予定を早く切り上げて大阪に戻った。
 というのも、台風が直撃するっていうからである。午後3時くらいからは在来線の間引き運転も始まるという情報も入ってきた。


 途中、浜松当たりだったと思うが、突然窓に放水されたかのように、外が何も見えなくなった。
 ゲリラ豪雨とまではいかないのかもしれないが、ゴリラ豪雨くらいの激しさがある雨だ。
 当たり前かも知れないが、そんな状況でも“のぞみ”君はひるむことなくスピードを維持し、西を目指した。たいしたものだ。
 その雨はあっという間にやんだ。“のぞみ”君の勝ちである。

 京都もそこそこ雨が降っていて、おやおや、こりゃ大阪も雨だなと覚悟したが、なんと陽ざしが痛いほどの晴れ(しかも多湿)。
 ダイエーで食料品を買い込んでから帰宅した(この日、支社では台風対策のために3時までに全員を帰社させたため、私は私で直帰した)。

  私の知らないうちに……

 テレビでは満潮と重なるので高波に注意だとか、どこそこに避難勧告が出たとか言っていたが、私が住んでいるあたりは夜になっても、風こそ強くなっていったが雨は落ちてこず、そのうちエンジェルのような顔で寝てしまったボク。そして、朝起きると良い天気。
 台風の通過を完璧に気づかぬまま終わってしまった。


Vivaldi_BflCon_BRILL ヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi 1678-1741 イタリア)のフルート協奏曲第1番ヘ長調Op.10-1,RV.433,F.VI-12,P.261「海の嵐(La tempesta di mare)」。


 たくさん数字を並べてしまったが、RV.ははリオム(P.Ryom)による番号。F.はファンナ(A.Fanna)、P.はパンシェルル(M.Pincherle)による番号である。
 Op.の作品番号はヴィヴァルディの生前に出版された作品集につけられているという(Op.1からOp.14まである)。

 Op.10は6曲からなるフルート協奏曲集。

 現在では、ヴィヴァルディの“フルート協奏曲”は独奏部をフルートで演奏することが多い。「あったりまえじゃないか!フルート協奏曲なんだから」と思うあなたはいけない子。

 ヴィヴァルディの時代にはフルートではなく(フルートはなかった)ブロックフレーテ(リコーダー)が主流で、もっぱらその楽器のために書かれたのであった。ただし、この協奏曲集については『フラウト・トラヴェルソ』と指定されており、そのように指定されたフルート曲の出版はこの曲集が最初と考えられている。

 フラウト・トラヴェルソというのはフルートの前身の横笛で、トラヴェルソというのは“横向きの”という意味である。


 第1番から第3番にはタイトルがついていて、第2番は「夜」、第3番は「ごしきひわ」。
 中学生のときに最初に「ごしきひわ」の名を目にしたとき、いったいこれはなんじゃらほい?と思ったが、ゴシキヒワというスズメ目アトリ科ヒワ属の鳥の名前なんだそうだ。


 ラウリンのブロックフレーテ、ドロットニングホルム・バロック・アンサンブルの演奏を紹介しようと思ったが、調べてみると廃盤(1991年録音。ブリリアント・クラシックス(原盤:BIS))。


 ヴィヴァルディにはほかにも「海の嵐」という協奏曲がある(“海の嵐”マニアだったんですかね?)。

 RV.98の協奏曲ヘ長調「海の嵐」はブロックフレーテとオーボエ、ヴァイオリン、ファゴット、通奏低音のための合奏協奏曲で、このフルート協奏曲第1番RV.433の異稿である。

 また、12曲からなる協奏曲集Op.8「和声と創意への試み」(第1番から第4番までが有名な「四季」)の第5番のヴァイオリン協奏曲変ホ長調RV.253も「海の嵐」だが、こちらはRV.433とは別物である。

 

  彼女の頭の中は大嵐

 ところで新大阪から大阪まで在来線に乗り、さらに梅田から別な電車に乗ったのだが、ややはるか斜め前に座っていたオバサンがやたら怖った。

 ずっとブツブツ以上会話以下ぐらいの音量で、あたかもアジ演説のようなことを一人でしゃべり続けているのだ。
 すべては聞き取れなかったし、聞きたくもなかった(私の耳は明らかに拒否していた)が、「長野県警」がどうしただの、「税金泥棒」だの「責任とれ」だの、「わかってんのか、おまえ」とか「ぼやぼやしてるな!」など、かなり穏やかでないことを言っている(興奮状態の田嶋陽子が近いと言えば近い)。
 その声はときに激高する。ちょっと目を上げたら、完璧に目が合ってしまったが、彼女の眼はうつろではなく恐ろしい狂気に輝くものだった。あのとき私はよくちびらなかったと思う。立ち合いの時の横綱だってひるむだろう。
 こっちにやって来て、「そこの健康そうなサラリーマン!誰が座っていいと言った!?」、「おいっ!寝てるふりしてるんじゃねぇ!」などと怒鳴られるんじゃないかとヒヤヒヤしたものだ。

 世の中に対する怒りを、電車の中で、それなりの大きな声であのぐらいずっとしゃべり続ける人に遭遇したのは-しかも女性-、初めてだ。


 二度と遭いませんように!


闇夜を照らすのが役目,ではなくて♪シューマン/おぼろげな光

  整備不良?
 ふだん通勤に利用している阪急電車。

 あるとき先頭車の片方のライトが切れている電車に遭遇した。

20180820Hankyu2

 運転士は運転前点検で気がつかなかったのだろうか?

 と思いきや、それはいわゆる“ライト”ではないことを知った。

 “通過標識灯”というものなんだそうだ。
 あぁ、よかった。余計なことを言い触れ回って大恥をかかないで済んで……


  近畿の私鉄ではほぼあたりまえ
 この通過標識灯というのは、その駅に停まる電車かどうかを区別するためのもので、特に近畿の私鉄で装備している場合が多いそう。逆にJRではほとんど装備されていないという(法的な装備義務はない)。

 JR北海道に慣れ親しんでいる私が、ライトの球切れだと思うのも無理からぬことなのだ。
 でも、冷静に考えてみれば、前照灯としては機能するほどパワーのある明るさじゃない……。問題意識が足りんかった私。

 阪急の場合、特急や回送などのときには両側が点灯、急行や準急などでは向かって右側が点灯。普通列車の場合は両側とも消灯となる。


20180820Hankyu1



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 知らんかった。けど、知ってると便利かも。
 普通列車しか停まらない駅のホームにたたずんでいるときでも、遠くに点灯した電車が見え始めたら、「ちぇっ、この駅には停まらないのかよぉ!」と、いち早くがっかりできるもの。

SchumannChore シューマン(Robert Alexander Schumann 1810-56 ドイツ)の「おぼろげな光(Ungewisses Licht)」。

 「4つの二重合唱曲(4 Doppelchorige Gesange)」Op.141(1849)の第2曲で、ツェードリツの詩を歌詞としている。


 H.ノイマン指揮ライプツィヒ放送合唱団(ピアノ伴奏:アレンス)の演奏で。








今日の夕飯は30分温め直したけさの缶詰よ♪JSB/BWV.656

  冷たいヒツジは臭いがきついでしょう
 先日赤レンガ庁舎に行ってみたときのこと。

 特別展だかをやっていた部屋があって、なかなか楽しめる展示-むかしの食べ物や飲み物のラベル-を見させてもらった。

 これは麦酒のラベル。

DSCN0150

 だが、よく見てほしい。
 左側にあるやつを。

DSCN0151

 めちゃリアルなヒツジさん。
 絵は芸術的仕上がりだが、これを見て食欲がわくかどうか……
 20分温めて食べるべきだ。冷めたヒツジは、私は無理だ。

 バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)のコラール前奏曲「罪なき神の子羊よ(O Lamm Gottes)」BWV.656。

 18のコラール前奏曲BWV.651-668(1708-17頃出版)のなかの1曲である。

BachOrganKoopman

 コープマンのオルガン演奏で。

 録音年の記載なし(DDD)。INTERDISC TRADING。

  だんご?
 羊とは逆側の右に展示してあるラベル。
 私は何て読むのかしばらくの間わからなかった。
 ようやくリンゴのことだとわかったが、もっとリンゴっぽい絵だったらもっと早くに理解できただろうに。

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 この鹿も、なかなか悠然・勇猛な凛々しい立ち姿。
 
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 でも、食べられちゃうのね(アタマでかいような)。

 こちらは常温でももちろんOKだが、熱湯に30分入れて温めた方がきっとおいしいはず。能書きにもそれがにじみ伝わってくる。

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 で、けさの私は冷凍ご飯をレンジアップして、目玉焼きをおかずにする所存である。
 あつ、佐藤水産の鮭フレークもあるな。

姉妹なのにどっちもみどり♪ブラームス/Op.63-5

IMGP2587  支柱のあなは私の心にあなを開けた、かも
 おとといの記事では、朽ちた木と見苦しいあなの写真でみなさんの心を痛めてしまったことと思う。

 だが、言っておくが、私の心の方が痛んでいる。あなたよりずぅぅぅぅぅーっと!


 あんなに私を苦しめた歯ぐきや肩腰の痛みはすっかりと言っていいほど消えてしまったが(ただし歯ぐきはときおり怪しげな違和感のシグナルを放つ)、このたびは精神的にやられてしまった。アリどもによって私の心にもあなが開いたのだ。


 だが、そんなヤワな精神力なら、ヒアリに嚙まれただけで重篤な状態になってしまうだろう。
 強くなろう。
 前向きになろう。
 ってことで、今日は逆に心躍るような、ってほどではないが、あなにHしちゃってはなの写真。


 今年は『楽園』(写真上)の花付きが良好。また『アルフォンス・ドーデ』(写真中)もここにきて花を次々と咲かせ始めた。『シャルロット』もお盛ん、いや、旺盛である。


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 一方、『ブルー・フォー・ユー』は奇跡の復活を果たすことなく、お盆のタイミングに合わせ、私の手によって枯れた根が抜かれた。月曜日の“もやせるゴミ”の日に収集車に積まれ、その後火葬を終えたはずだ。


 夏の終わりを告げるようにミント(確かペパーミントのはず)は花を咲かせ始めた(なんせ河川敷にあるクリの木が新種のウニのような実をつけている季節なのだ)。
 逆にホップはまるで新緑の季節のような明るく鮮やかな緑色の実をつけている。


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IMGP2640

  みどりに燃えはしないが萌えた
 ところでH、そして緑といえば、高校生くらいのころ『かまきり夫人』こと五月みどりを観て、なんていろっぽくてえろっぽいきれいなおばさんなんだろうと思ったものだ。

 もし彼女にどうしてもと頼まれたとしたら、血汐あふれる若き私は素直にパンツを脱ぎ、尊い純潔をみどりさまに捧げたかも知れない。


BrahmsPcon1Ax ブラームス(Johannes Brahms 1833-97 ドイツ)の「青春歌その1わたしの恋は緑にもえ(Meine Liebe ist grun)』(1873)。
 「9つのリートと歌(9 Lieder und Gesange)」Op.63(1873-74)の第5曲で、詞はフェリックス・シューマン。

 バトルのソプラノ、レヴァインのピアノで。


 1983年録音。ソニークラシカル。


 そのみどりさんは1939年10月生まれ。つーことは、今年で79歳になる。
 いまはどんな感じなんだろう。一説によると、あの若さと美貌を維持しているらしいが……

 ちなみに1938年生まれの私の母親は口だけは達者なまま(というよりは増強されている)だが、見た目は……である。


 先日、駅へ向かう道すがらに、なんとさつきみどりを見かけた!
 でも、あまりピチピチしていなかった。

DSCN0160

 長雨と低温のせいだろう。
 よその家の家庭菜園に対してとやかく言ってすまん!

 ちなみに「こまつみどり」っていうのがある。さつきみどりの妹の名と同じだが、こちらは小松菜の品種名である。


熱中症にご用心!「伊福部昭トリビュート」ライヴCDは熱すぎる!

Ifukube_Tri_PCCR90079a  藤田さん、ごめんなさい
 今年3月にKitaraで行われた札幌交響楽団による「伊福部昭トリビュート」コンサート。
 予約しておいた、そのライヴCDが届いた。

 伊福部の愛弟子だという藤田崇文氏の指揮。
 しかし、いくら愛弟子でも指揮者としては私にとって未知のもの。まぁ、まさにお祭り感覚で楽しめりゃいいんじゃない?ってノリで聴いてみたのだが、私のそういう投げやりな態度に猛省を促すような立派な演奏。

 いやいや、なんてたって、札響のパワーがすごい!ものすごい!なんか腹立つことがあったのかというくらいの炸裂度。熱い!熱すぎる!

 録音も優秀でステレオ感を強調した感じのするもの。
 このあたり、クラシックのオーケストラ作品の通常の録り方とはちょっと違うのかも知れない。
 また、それと関係するのかも知れないが、オーケストラのサウンドは重心がやや高め。低音にもう少し厚みがあってくれればと恨みに思う。
 逆に言えばきらびやかな豪華絢爛な響きがスピーカーからこれでもかと飛び出してくる。


Ifukube_Tri_PCCR90079c  朝からハイな気分にはなれない曲調かもしれないけど
 放送開始のアナウンスのあとに最初に流れるのはHBCのコールサインであるHBCラジオのテーマ曲「ウポポ」。
 そして最後に流れるのはHBCテレビのコールサインであるHBCテレビジョンのテーマ曲(この曲は「伊福部昭百年紀Vol.3」にも収められている)。演奏会終了を告げるアナウンスが放送終了の案内のように流れる。

 始まりとお開きにコールサインをもってくるところなんか、なかなか憎い演出だ(HBC=北海道放送はTBS系列の放送局)。


 さて、個人的にはいつもの習慣で“管弦楽作品”として聴くと、パワーは十分すぎるほどあるものの、上に書いた軽めのサウンドがちょっぴり不満。

 芥川の「交響管弦楽のための音楽」(第2楽章)やSF交響ファンタジー第1番(一部割愛あり)、シンフォニア・タプカーラ(第3楽章)では、「もっとズンズンして欲しいの」と、おねだりしたくなっちゃう。

 一方で、賛歌というには重苦しい「北海道賛歌」は、このサウンドによって賛歌らしく聴こえてくる(声楽なしのオーケストラのみの演奏)。
 ショスタコーヴィチの「祝典序曲」も、祝典にふさわしい華やかな響きだ。


  すばらしすぎる「レズギンカ」
 伊福部作品でなくて申し訳ないが、この演目の中でいちばん名演だと思ったのはハチャトゥリアンの「ガイーヌ」の「レズギンカ」(CDでは「レスギンカ」と表記されている)。

 この曲ではチェクナヴォリアン/ナショナル・フィルの演奏に勝るものはないと思っていたが、こと「レズギンカ」だけについていえば、この藤田/札響の演奏が私が知っている演奏のなかでは最高にて最強にて最優秀!
 炸裂するパーカッションが快感すぎる!


Ifukube_Tri_PCCR90079b 全体を通して、札響のうまさにまたまた感心・感動させられた。


 CDの帯の裏には、「ゴジラのテーマ」の楽譜が。
 これまた憎い配慮だ。

 2018年ライヴ録音。ポニーキャニオン。

 ちなみに、「ゴジラのテーマ」に似ていると言われるラヴェルのピアノ協奏曲第3楽章。
 いや、正しくは「ゴジラのテーマ」がラヴェルのピアノ協奏曲に似ているのだが、そのメロディーがこれである(掲載譜は日本楽譜出版社のスコア)。

RavelPfconIII

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