新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2018/07

ひっそりとした不思議な坂道で鉱物採取♪LvB/pソナタ29

NishinoMap-1 (2)  むかし、志ぶ家は西野ターミナル近くにあった

 小学生のとき、自宅から1kmほど離れた《道路》に、しばしば友人たちと石を拾いに出かけた。


 その《道路》とは山の手通りがL字型に曲がっている西端の先。


 いまでは大きな老人施設やその向かいにそば屋(志ぶ家)があるが、当時は砂利道で、その先にある宮丘公園もいまのように整備されておらず、ただの空き地だった。


 その砂利道-かなり急な登りで、途中からは車が入れないようになっていた-に敷かれていた石-1つ1つがかなり大きかった-のなかにけっこう《鉱物》が混じっていたのである。地図で丸く囲った場所である。


  なぜこういう石がここに?

 西野のあたりは、舗装が整備されていく前はかなり角の鋭い採石が砂利として道路に敷かれていた。近くの福井や平和の山に採石(砕石)場があったからである。


 ところがこの坂道に敷かれていた-というよりばばらまかれていたという方が近い-石はそういうのとはまったく異なっていた。いったいぜんたい、誰がどこから運び込んだのだろう?


 私たちは日曜日に、ときには弁当持参でそこに行き、ハンマ-で石を割り、とてもきれいな石英の塊やキラキラと光を反射する結晶質石灰岩(大理石)を採取したのだった。1つ1つの石が大きかったのは、どうせ車が通らない道だからだったのだろうか?


 石を砕くと中の空洞に小さいながらも水晶の結晶があったりして、いやぁなかなかワクワクしたものだ。


BeethovenPfSonata ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)のピアノ・ソナタ第29番変ロ長調Op.106ハンマークラヴィーア(Hammerklavier)」(1817-18)。


 ハンマークラヴィーアというのは言ってしまえばピアノのことなのだが、ベートーヴェンのハンマークラヴィーアのためのソナタはこの曲だけに限らないのに、なぜかこの曲だけがそのように呼ばれるようになった。


 ブレンデルの演奏で。


 1970年録音。フィリップス(現在販売されているのはデッカ・レーベル)。


 あの道路、いまはもうすっかり路面が変わっているだろうが-宮丘公園へ行く道の1つとなっているので整備されただろう-、何年か前に『志ぶ家』にそばを食べに行ったときについでに見てくればよかったと後悔している。


 あのとき拾った石はほぼすべてどこかにいってしまった(紛失してしまった)。あるいは、実家のどこかにまだあるのかもしれない。1つだけ手元にあるのは石英(6cm×5cm×5cm)である(3方向から撮影)。色も形も悪いが、わずかに結晶化しているのがおわかりになるだろうか?

 こういうのが道路に敷かれていたのである。やっぱり不思議だ。



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Sekiei20180716b



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 さて、昨日札幌に戻り3日間の出張を終えた私が今日まずすること。それは散髪である。


これはマルハナバチなんだよ♪R-コルサコフ/熊蜂の飛行

  だってクマみたいに毛深いし……

 私はずっとクマンバチ(クマバチ)と呼んでいたのだが、どうやらクマンバチではなくマルハナバチのようだ。


 My Gardenにやって来ているずんぐりしたハチのことである。

 彼らはよっぽど紫色が好きなようで、ラベンダーやサルビアの花に集まってくる。

               ↓ どこにいるかわかるかな?

Lavender4_20180708

               ↓ どこにいるかわかるよね?
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  外人さんですか?

 わが家にやって来ているのがそれかどうかはわからないが、セイヨウオオマルハナバチというのが在来種を追いやって勢力を増しているそうだ。だとしたら、セイヨウオオマルハナバチには厳しく対処しなくてはならない。でも、在来種と区別がつかないのでどうしようもない。


RKorsakovScheherazadeAshkenazy リムスキー=コルサコフ(Nikolai Rimsky-Korsakov 1844-1908 ロシア)が書いた有名な「熊蜂の飛行(The flight of bumble bee)」も実はクマバチではないという。

 ロシア語はわからないが、英訳されたbumble beeというのはマルハナバチのことなんだそうだ。


 「熊蜂の飛行」は歌劇「サルタン皇帝の物語」(1900初演)の第3幕に出てくる曲。


 今日は組曲「サルタン皇帝の物語(The Tale of Tsar Saltan)」Op.57(1899)をご紹介。
 歌劇の中からリムスキー=コルサコフが『音画』として作ったものである。もちろん「熊蜂の飛行」も入っている。


 アシュケナージ/フィルハーモニア管弦楽団の演奏を。


 1986年録音。ロンドン(デッカ)。


 今日は北見から富良野経由で札幌に向かう。

ひ~らいた、ひーらいた!♪ブルックナー/アヴェ・マリア

  ほぅら、花弁が開いたよ

 今日は十勝から北見へと進む(予定通りの行程なら。本日予約投稿につき、変更があった場合は後日まとめて報告)。

 そんなわけで、バラの写真でお茶を濁す。それも同じ花。時と共に移ろいゆく姿をボーっと眺めていただきたい。品種は『ニュー・アヴェ・マリア』(HT。1983作出:ドイツKordes)である。

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  ヘ長調にこだわり有り?

 ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の「アヴェ・マリア(Ave Maria)」ヘ長調WAB.6(1861)。


 ブルックナーは「アヴェ・マリア」を3曲残している。いずれもヘ長調で、第1作(WAB.5)は1856年作の4部合唱とオルガンのための曲。第2作目がこのWAB.6で、無伴奏7声合唱のための曲。そして、第3作(WAB.7)は1882年作でアルトとピアノ(またはオルガン、もしくはハーモニウム)の曲である。

 3曲のなかでは第2作のWAB.6が最も有名である。


 ヒギンボトム/オックスフォード・ニューカレッジ聖歌隊の演奏を。


 1997年録音。エラート。

 アヴェ・マリアを集めて詰め込むというおもしろい企画のオムニバスCD。



AveMaria

 いつも読まさせていただいているブログには、出張中ということで読みに行けていない。
 ごめんなさい。
 あなたのこと、忘れたわけじゃないの。

耳が痛い話とピンクの汁とか薔薇のこと♪スメタナ/モルダウ

SmetanaMaVlastKubelik  かゆかったのが痛くなって……
 高知に出張したのは先々週のことだが、飛行機に乗っているときになんとなく左耳の穴の中がかゆくなったので、かといって胸ポケットには耳かきも綿棒も入っていなかったので、小指で耳の穴をほじってみた。

 すると、入り口のすぐ近くにポツンとゴミが付着している感触があったので、私はできる限り小指の先を細めて-もちろんイメージとしてだ-四苦八苦したうえでその突起物をとることができた。できたのだが、そのあとそこが痛くなってしまった。こういうのを“後の祭り”というのだろうか?

 つまり本日のタイトルは、「おまえの背格好、ダックスフンド!」というような耳が痛くなることを言われたという意味ではなく、本当に耳が痛くなった話なのだ。

 ホテルにチェックインし、洗面用具を格納したポーチから半年以上前に金沢のアパホテルに泊まったときに(いや、1か月半前に帯広のリッチモンドに泊まったときのような気もする)持ち帰った綿棒を取り出し、耳に入れようとしたらなんだか入りずらい。

 耳の穴を自分の目で確認することは、ザリガニのように眼に柄がない私にはできないが、まるでびっくりしたサザエみたいにふさがった感じがする。
 けど聞こえ方はいつもどおりで、モスキート音こそ聴取できないものの、冷蔵庫のブ~ンという音だって望んでいないのによく聞こえる。

 綿棒の角度を変えてみると中に入ったが、そのときに疝痛が走り、取り出した綿棒の先はうっすらとピンク色に染まっていた。赤飯のご飯粒を耳に入れられた記憶はないので、血がにじんでいるということだろう。


  ここでいったんピンク・タイム
 今のMy Gardenから、ピンクのバラを。

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▲ ボッサノヴァ


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▲メニー・ハッピー・リターンズ

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▲ ニコル ▼
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▲ オールド・ブラッシュ・チャイナ

  ピンク・タイムのあとはお医者さんごっこ
 さてさて、そのあとからは思い出したように突如痛みが走るは、なんとなく穴の中がかゆいは、かといって綿棒なり耳かきを入れるとかゆい穴に手が届く至福のときになるどころか、またまた痛みが走るはで、なかなか大変なのである(現在進行形)。

 たぶん間違いなく外耳炎だが、穴の入り口近くにあったプチっとしたものを、それもゴミだったと今でも信じて疑わないのだが、その異物をとっただけで耳穴全体が荒れているというのが不思議である。


 なんとかマイシンという軟膏をつけた綿棒を、おっかなびっくり耳穴に入れて消毒しているが(勝手な治療法)、早く治ることを祈ってやまない(これで中耳まで進行し聴こえ方に影響が出たら、No Music, No Lifeだ)。


 そんなわけで、今日はプッチーニの「私の名はミミ」。ではなくて、スメタナ(Bedrich Smetana 1824-84 チェコ)の交響詩「ヴルタヴァ(Vltava)」(1874)。ドイツ語名は「モルダウ(Die Moldau)」。スメタナの作品では最も広く知られている曲だろう。
 余計な講釈かもしれないがヴルタヴァは川の名前である。さらに言っておくと「ヴルタヴァ」は6曲からなる連作交響詩「わが祖国」の第2曲である。

 耳が聞こえなくなった作曲家としてはベートーヴェンが有名だが、フォーレやスメタナも聴力に障害が起こった。
 スメタナの場合は、1874年に両耳が完全に聞こえなくなってしまった。


 ハロルド・C・ショーンバーグの「大作曲家の生涯」(亀井旭/玉木裕訳:共同通信社)には、こう書かれている。


 人生の終りに近い1874年、スメタナはベートーヴェンと同じように聴力を失い、シューマンと同じように、精神が錯乱した。彼は1875年、友人に送った手紙の中で、聴力障害について勇敢だが悲壮に、次のように書いた。――「私の耳は外見は全く健康的だが、内部器官――内臓中のあの見事な鍵盤――は損傷し、調子はずれとなっている。ハンマーが突きささったままで、どの調律師もこの損傷を修理することに成功していない」。彼は記憶力と言語能力を失い、収容された精神病院で、1884年5月12日に死んだ。


 「ヴルタヴァ」はスメタナが完全に失聴した、そのすぐあとに作曲されている。

 クーベリック/ウィーン・フィルの演奏を。

 1958年録音。デッカ(TOWER RECORDS UNIVERSAL VINTAGE COLLECTION +plus)。

 さて、今日は『スーパーとかち』で帯広へ。

 十勝地方は極端な日照不足だそうで、新得のmasaさんから「来るなら太陽も連れてきて」とメッセージが届いた。masaさん、ガッテンだ!


 耳の調子だが、土曜日あたりから痛みは消失。しかし、しばしば左の耳が遠くなったような-耳のなかに水が入ったときのような-聞こえ方になり、とっても愉快ではない。


正体は緑の簾なのか?♪サティ/グノシエンヌ

Kobutsu1_20180708  変態じゃないですよ。私もそうしてます

 私が「この石の名前、わかりますか?」と控えめかつ丁重にみなさんに情報提供をお願いした

 その結果、寄せられた情報は、驚いたことになんと1件だった。

 『Yahoo 知恵袋』や『教えて!goo』には的外れなものも含め、あれだけいろんな人が反応しているというのに、私に対する世間の冷たさを痛感しているところだ。ヒュゥゥゥゥゥゥ~と心にすきま風。脳内にはアンニュイな「グノシエンヌ」のメロディーがはかなく流れる。

 もっとも、的外れな情報、誹謗中傷、「すっぱだかでお風呂に入る私は変態ですか?」みたいな逆質問が来るよりははるかに良い。

Satie サティ(Erik Satie 1866-1925 フランス)の「グノシエンヌ(Gnossiennes)」。

 6曲からなり、作曲年は1889年から'91年にかけてと1897年。6曲のうち、第1~3番が特に有名で、最近では第3番が『生感覚レンズ』とアピールしているコンタクトレンズのCMで使われている。


 その「グノシエンヌ」をデ・レーウのピアノで。
 けだるそうで無気力に響くデ・レーウのピアノが、いかにもサティにぴったりで、私が大好きな演奏である。


 1974年録音。フィリップス。



  ひとりで探すというクラさ

 その唯一の情報を寄せてくれた人は、オディール・ホッキーさんだった。


 つまり私の知人であり友人であり偉大なる指導者である。ということは、なおさら見ず知らずの人たちから私の存在は完全に《無》として扱われているようで、いっそのこと名前も『無USAN』にしようかと自虐的にならざるを得ない。


 それはともかくとして、ホッキー蔵書で調べてくれた結果-「街の中で見つける『すごい石』」、「ひとりで探せる川原や海辺のきれいな石の図鑑」Vol.1&2-、この鉱物は“いちばんちかいとおもわれるのは『緑簾石』”だそうで、次の候補として考えられるのは『蛇紋石』か『鉄電気石(トルマリン)』。それがオディール博士が出した《想い》だった。


  見解の一致

 それにしても驚いた。
 実は私も『緑簾石』ではないかと思っていたのだ。さらに、そうでなければ『蛇紋岩』かもしれないとも考えた。『電気石』も候補に挙がっていた。

 私とオディールさんは何かでつながっているのか?……いや、誰が調べてもそのへんが近そうだってことになるのだろう。

 オディールさんは、そのメールをこう締めくくっていた。

 
 しかしこれだけ大きくかつ純度が高そうな結晶を拾えるなんて、MUUSAN少年氏は運が良いとしか言いようが無いですね!


 はい、これで一生分の運を使い果たしたようです。


 なお、“簾”は“すだれ”。“のれん”(暖簾)ではありません。


せっかくのイベントがどしゃぶりで……♪チャイコフスキー/雷雨

20180715YakimonoIchi  せとものだから濡れても大丈夫だが……
 昨日は朝から強い風に激しい雨。

 これじゃあ当然庭仕事はできない。する気も起きない。
 しかも昼過ぎからは雷が轟いた。

 前日とこの日は江別駅前で年に1度の『やきもの市』が開催されていた。
 たまたま今年は自宅に戻ったタイミングと開催日が合ったので見に行こうと思ったものの、こんな雷雨じゃ行く気にならない。やきものどころか、こちらが水で濡れた玉子ボーロのように崩れちゃうかもしれない。

 ところがである。
 2時くらいになると晴れてしまった。

 そこでやきものには目がない、とはまったく言えない私だが、『やきもの市』に行ってみた。

  私が買ったのはコースター(1枚100円)2枚のみ
 そして買った。
 水を吸ってくれる素焼きだかなんだかのコースターを。

 ハイボールのグラスにできる水滴は厄介だ。飲もうとしたときにズボンのおマタのあたりにしずくが垂れてしまうと、まるで『追っかけ漏れ』のようにしみになってしまう。誤解を受けかねない。どっちみっち家の中だから誰も見てはいないんだけど。
 追っかけ漏れ疑惑はともかく、これで水滴に悩まされることも少なくなるだろう。

 私が買ったのはこれだけ。
 あとの陶器は妻が買ったものだ。

 全道52市町村から集まった、250以上のブースの出展者のみなさま。遅ればせながらも晴れてよかったですね。

TchaikoSymRozhdes チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93)の序曲「雷雨(The storm)」Op.76(1864)。

 24歳の若きチャイコフスキーが書いた最初の本格的な管弦楽作品で、サンクトペテルブルク音楽院での作曲の課題のために書かれた。A.N.オストロフスキーの同名の戯曲にインスピレーションを得ている。

 その戯曲の内容は、母親のいいなりで結婚した娘が夫の居ないときに不倫するが、雷雨が恐ろしくなった彼女は夫にそのことを白状する。夫の母に責められた彼女はヴォルガ川で入水自殺する、というもの。

 私が持っている唯一のCDは、ロジェストヴェンスキー/ロンドン交響楽団によるものだが廃盤。
 今日も朝からお空には厚い鉛色の雲が……

 さて、どうしたもんざんしょ。

私の札響感動史(30)♪330回はマラ3だ!

Mahler3Abbado  またまた初となるマラ3
 前回のVol.29の記事では、第328回定期から第330回定期までの3公演分が書かれたポスターの写真を掲載した。

 そこで気づかれた方もいただろう。

 そう。
 1991年11月の第330回定期で、札響初となるマーラーの交響曲第3番が取り上げられたのだった。

 4月には初「ハルサイ」もやってくれたし、すごい積極的。創立30周年の記念年の名に恥じない取り組みだ(9月のブルックナーの第8番も札響初)。

 指揮はまだ、これまた30歳そこそこの若手の十束尚宏。
 独唱は-年齢のことはさておき-辻宥子。

 このときが札響定期初登場となった十束の指揮者としての力量はともかく-現在はアマチュア・オ―ケストラの指導と作曲に軸足を置いているようだ-、「ハルサイ」のとき同様、私にとっては札響がマーラーの3番という編成規模も曲の長大さも化け物のような作品を演奏してくれるということが感涙ものだった。

  いきなりこみあげるものが……
 冒頭のホルンによるファンファーレ-ブラームスが第1交響曲の終楽章や「大学祝典序曲」でも用いているドイツの学生歌「われらは立派な校舎を建てた」のメロディーだ。この学生たちは建築学科の生徒だったのだろうか?-が吹き上げられただけで、もーダメ、アタシ。
 胸にこみ上げるものがあって(胸やけしていたのではない)、鼻腔の湿度も100%(ミナトシキをシュッシュしたのではない)。

 約100分の夢のような時間の幕が切って落とされたばかりだというのに、こんなことではあと99分持ちこたえられるだろうか?……それほど冒頭ですっかりヤラれてしまった。

 なお、いまも私は一応元気で過ごしていることからもわかるように-そりゃあちこち病の気配を感じてはいるが-、このときの残り99分を持ちこたえたのであった。

 マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第3番ニ短調(1893-96/改訂1906)。

 今日はDVDを。

 アバド/ルツェルン祝祭管弦楽団、テルツ少年合唱団、シェーンベルク合唱団、ラーソン(Ms)の演奏。

 2007年ライヴ。medici arts。

  さっぽろ地下街は札響より10歳下
 ところで、この日のコンサートは“札幌地下街20周年記念協賛”となっている。

SSO330th1

 プログラムノーツの表3(裏表紙の裏側)にはさっぽろ地下街の広告も載っていたが、裸にすることないだろうに……。なんで(少なくとも胸の上までは)裸なのか意味が全然わからないし。暖暖で暑いの?

SSo330th2ad

かんらん石でできている丘に非ず♪LvB/かんらん山上のキリスト

SB_Roushuku  来週の「後退宣言!」
 来週は北海道内各地を巡る出張。

 月曜日の祝日は《海の日》にちなんで自宅で蛸頭の刺身でも食べるつもりだ、と心にもないことを書いちゃった。

 火曜日は《北海道みんなの日(道みんの日)》という、北海道民の大半が知りもしない旗日でもなんでもない記念日だ。いつから制定されたのか知らないが、多くの道民にとって単なる仏滅の日であり、北海道民を除く全国民にとっては明らかに仏滅以外の何ものでもない。

 その火曜日は札幌の本社で打ち合わせをし、、翌日の水曜日から十勝を皮切りに(『スーパーとかち』で帯広に移動。そのあとは茜課長がドライバーを務めるレンタカーで移動の男5人旅)、北見、旭川、岩見沢と回り、札幌へ戻ってくる。

 ということは、少なくとも水曜日から金曜日まではブログを書く時間がない。
 そんなわけで、なかなか広告主が見つからない駅の電飾看板のように花の写真でお茶を濁すことになるだろう。

  行なうべきはこまめな売り場チェック
 さて、先週の金曜日に東急ハンズで石を2つ買ったことをちらっと報告した
 催事のとき以外は鉱物・化石は置いてないのだが、この日はプチ催事のように置かれていた。プチなので、前に方解石などを買ったときほど点数はない。

 桂歌丸師匠は緑色の着物で10日に旅だったそうだが、私が6日に買ったのも緑色の石だった。でも、これって偶然にすらなってないことは言うまでもない。

 東急ハンズは4月にそれまでの南1条西8丁目という妙に中途半端な場所から、駅前の東急百貨店に移転したが、ハンズの集客効果で東急百貨店自体の売り上げも大きく伸びているようだ。

 それはそうと、買ったのはアベンチュリンとかんらん石の原石である。かんらんは“観覧”じゃないことは言うまでもない。“橄欖”と書くのだが、この漢字はどう記憶を呼び起こしても、あるいはどんなに頭の中に力を込めても、念写もできないほど縁のない文字だ。
 一方、アベンチュリンは“亜弁駐輪”と書くなんてことはない。

 橄欖石(olivine)は、オディール・ホッキーさんの好きな石だ。本人がそう言ってたので間違いない。オリヴィンの語源はオリーヴ。ご覧のようにオリーブ色をしているからだ。
 じゃあ橄欖って何かというと、オリーブに似た植物だという。
 この2つの植物はまったくの別種なのだが、実がオリーブに似ているそうで、それゆえにオリーブが橄欖と訳されてしまったという。ひとことで整理すると“誤訳”ってことだ。
 私が購入したかんらん石は、玄武岩のなかにできているものである。

Olivine3_201807

 アベンチュリン(avemturine)は和名を砂金水晶(砂金石英)というが、この和名を見てもなんだか全然パピッとしない。そもそも砂金の水晶ってのが意味不明だ。

 と悪態をついても誰もほめてくれないだろうからまじめに書くと、石英が結晶となる途中で雲母が作られその粒が水晶の中でキラキラと輝くようになる。それが砂金と呼ばれるゆえんである。

 アベンチュリンは私が持っているストーンブレスレットにも入っていて(ヒーリング効果があると言われる)、今回購入した原石は白っぽいが、磨くとヒスイのようにも見える(実際、インド翡翠(ひすい)とも呼ばれるが、ヒスイとは別鉱物)。

 上のストブレの写真で矢印がついているのがアベンチュリンだが、キラキラはしてないなぁ。

Aveturine1_201807

  楽聖の失敗作?
 ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)にオラトリオ「かんらん山上のキリスト(Christus am Olberge)」Op.85(1803)という曲がある。

 この曲を聴いたことがある人は少ないだろう。私も聴いたことがない。ただ、音楽之友社から年に一度出版されていたクラシックLP(その後CD)総目録(現在は廃刊)で、むかしから曲名だけは目にしていた。

 初演時にはなかなか好評を博したそうだが、いまではまったくといっていいほど聴かれることのない曲だ。


 このオラトリオがどういういきさつで作曲されたのかはよくわかっていないが、ベートーヴェンはまったくもって熱心ではないクリスチャンだったので-イエスのことを「はりつけにされたただのユダヤ人」と言ったとか-、宗教的な思いが込められているとは思えない。
 詞も聖書によってなく詩人のF.X.フーバーと共にベートーヴェンが作っている。


 かんらん山(オリーブ山)というのは、ルカ福音書によるとイエスが囚われの身になる前に最後の祈りを捧げた場所。周囲にオリーブ畑があったのでこの名がついたそうだ。


 今日のこの記事を機に、私も「かんらん山上のキリスト」を聴いてみようかという気に少しだけなっているが(冷める可能性大)、あなたはいかが?

 さて、大阪空港に行くとするか……

おなかいっぱい、胸……ぱいのぱいのぱい♪グラネルト/Op.20

GlanertSym

GlanertWergo

  ナッセンの名になじみがあるのはナゼ?
 13日の金曜日である。

 それとは関係ないが、イギリスの作曲家・指揮者のオリヴァー・ナッセンが7月8日に亡くなった。66歳。


 オリヴァー・ナッセンの名は、私にはなじみ深い名前。
 だが、彼の作品を聴いたことはないし、指揮者としてのCDもあらためて調べると1枚(のなかの1曲)だけだった。


 それなのに、なんでよく知っている人のように名前になじみがあるのだろう?

 不思議だ。不思議だが不思議がっていてもしょうがないので、唯一手元にあるナッセンの指揮する音源を聴いて、この謎は迷宮入りにしよう。


 その曲は、グラネルト(Detlev Glanert 1960-  ドイツ)の「マーラー/スキッチェ(Mahler/Skizze fur Ensemble)」Op.20(1989)。


 Skizzeというのは《スケッチ》のことで、荒れたマーラーの墓の様子の印象などが作曲動機になっているようだ。


 管弦楽はロンドン・シンフォニエッタ。


 1992年録音。wergo。


  うどん食べ放題とか?
 以上の話題とはまったく関係ないが、先週見かけた求人の大広告。

 『おなかと胸いっぱい業』って、外食産業としてなかなかイケてるお誘い文句だ。

20180709OpSt

 でも、おじさんは最初『胸おっぱい業』って読んじゃったぞ。

チャオ!って言われてもねぇ……♪WAM/cl協

Book_KobutsuZukan  没後200年に『石』発見
 今日は石の話である。

 堀秀道氏の「鉱物 人と文化をめぐる物語」(ちくま学術文庫/筑摩eブックス)は、読んでいてこっちがそのノリについていけないというか恥ずかしくなるようなやれやれといった章もあるが-著者がタイムスリップ機の製作に成功し石器時代に行ったり、江戸時代に行き平賀源内と会うあたり-、全体としてはそこそこ楽しめた。

 この本のなかの「モーツァルトが石の名前になったわけ」(初出は2006年)。

 1991年のモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の没後200年の年に、『モーツァルト石(Mozartite)』なる鉱物が発見命名されたことが紹介されている。

 有名無名とにかかわらず作曲家が鉱物名になったのは初めてだった。ただし、発見地がザルツブルク地方であれば理想的だったろうが、イタリアであった。命名者は「モーツァルトの記念の年の発見であること、モーツァルトが歌劇『魔笛』をはじめ、作品の各所で地質鉱物に理解を示しているから」というやや漠然とした抽象的な理由を述べるにとどまり、それゆえ新鉱物を審査する国際鉱物学連合の新鉱物委員会の方でもとまどったらしい。難色を示す意見も出たが結局、国際投票で3分の2に達する票をえてモーツァルト石に決定された。


 モーツァルト石はその後、日本でも発見されたそうだ。


  「魔笛」に陰の台本作者がいた?
 著者は、命名者が歌劇『魔笛』に現われている地質学、鉱物学の影響がフリーメイソンにあると考える。


 フリーメイソンの起源は古く、明確ではないが、石の職人の組合に端を発しているという通説がある。モーツァルトの時代のフリーメイソンのオーストリアのリーダーは、ボルン(1742-91)であった。ボルンは鉱山学、冶金(やきん)学者で鉱物と化石の研究者でもあった。―(中略)―『魔笛』の重要人物の高僧ザラストロはこのボルンをモデルにしたと考えられている。―(中略)―
 次に台本作者は興行師のシカネーダーとされるが、これは表向きで、真の作者、少なくとも陰の共作者はアウグスブルク生まれのギーゼケ(1761-1833)とする説が強い。彼は若い頃、ウィーンで大学に通いつつアルバイトとしてシカネーダー座に加わり、座主のシカネーダー同様に役者から台本作りまで何でもやっていたという。フリーメイソン会員でモーツァルトとも一緒だった。
 彼は後にグリーンランドの鉱物の研究に長年を費やし、アイルランドの首都ダブリンで鉱物学の教授となった。1817年から19年にかけてダブリン協会への鉱物標本を入手するためにウィーンに滞在していた折に、『魔笛』の原作者であることを告白したとされる。―以下略―


 このあたりの話は、私も初めて知った(100%鵜呑みにできていないけど)。


 著者はこう結ぶ。


 終わりに、モーツァルト石について、モーツァルト本人の意見を聞いてみることにしよう。
 「鉱物にぼくの名前が付いたんだって、それはうれしいね。ザルツブルクの石ではなくて残念でないのかって?そんなことはないよ。ぼくはイタリアには3回も長くいてね、気に入っているんだ。自分のこともイタリア風にアマデーオと呼んでるくらいだよ。2番目の産地が日本だって!それは良かった。当時は東洋趣味が流行していてね、『魔笛』の主人公のタミーノは日本人の王子にしておいた。先見の明かな。すてきな報せをありがとう。チャオ!」


 って、お願いだから聞くんじゃないって……

MozartClMayer モーツァルトのクラリネット協奏曲イ長調K.622(1791)。


 モーツァルトとはフリーメイソンで一緒だったバセットホルン(クラリネットの仲間の古楽器)奏者のシュタードラーのために書かれた作品で、完成したのはモーツァルトの死の2か月前。
 こんなに心に染み入る音楽がほかにあるだろうか!というもの(いや、あるんですけど)。

 マイヤーがクラリネットではなくバセットホルンを用いた演奏を。
 共演はフォンク指揮のドレスデン国立管弦楽団。

 1990年録音。EMI。

  小学生のときに拾った石の名は?

 ところで、この鉱物の名をご存知のかたはぜひお教え願いたい。


Stone_Midori1

 この石はいまから40数年前に、私が浦河町に住んでいるときに拾ってきたもの。

 とはいえ、山などから採取したものではない。ある空き地に無造作にトラック1台分くらいの量が小山になっていたのだ。
 よくわからないが、鉱物として利用するのではなく砂利などの代わりに使うために運ばれ一時保管されていたと思われる(あのあたりで産出する鉱物ではないだろう。鉱山があると聞いたこともないし)。
 断っておくが、少年MUUSANは友だちと立ち入り禁止のどこかの敷地内に入り込んで盗んできたのではない。私有地だったかもしれないが、そこは誰でも入れる場だった。

 私が持っているこの石のサイズは、正確に測っていないが7~8cmの長さ(ずさんな保管のために一部が割れて幽体離脱してしまった)。

Stone_Midori2

 濃い緑色の光沢のある柱状の結晶が美しい。


 捨てずに、けど日の目を見させないで、よくぞとっておいたものだと自分でも思う。
 やっぱり私、石ラブ男だったのね。

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