新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2018/05

カッコウの声がタネをムクムク・モードに♪GM1 by ラインスドルフ

  続々と宿根草が開花
 カッコウの声が聞こえるようになり、庭にはときおりポーポーちゃん(この場合は固有名詞ではなく、鳥類の種の名前)が何やら様子をうかがうようにやって来ている。あるいはスズメっこ隊はしょっちゅう遊びに来るようになった今日このごろである。

 この前、私が気がつかないうちに、唐突というかサプライズで『ゲウム・ミセス・ブラッド・ショー』が咲いたが、宿根草では『バーバスカム・ビオレッタ』も花を開いた。

 『ブラッド・ショー』が深橙色なら、こちらは通りスミレ(深紫)色。


20180527Violetta

 そしてあと半月ほどでバラたちが咲きだす。

 うんうん、良い季節だねぇ。


  シルバー・ピンクの花が盛っちゃう予感
 例年、いちばん先に花を咲かせるバラは『オールド・ブラッシュ・チャイナ』
 もちろんもうつぼみをつけているが、今年は意表をついて『コンラッド・フェルディナント・マイヤー』がすでにつぼみをプクプクに、それも数多くふくらませている。

20180527Conrad

 コンラッドは去年、おととしと数輪しか花をつけなかったが、今年は3年ぶりの盛り上がりを見せる予感がする。

 オオデマリの花もだんだん白くなってきたし、チャイヴのつぼみもすっかりピンク色。カッコウの声に促されるようにインゲンマメも土の中から芽が顔を出してきた。


20180527Oodemari

20180527Chives

20180527Ingen

  私にとって、マーラーとの『仲人役』
 これまで何度となくカッコウがらみで取り上げてきた、マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第1番ニ長調(1884?-88/'93-96)。


 先日『レコード芸術』の特集の廉価盤(千円盤)のことに触れたが、私が初めてマーラーの曲のLPを買ったのが、RCAの千円盤のこの曲。

 ラインスドルフ指揮ボストン交響楽団によるもので、最初に聴いた夜(塾に行く前にレコード屋『ぴぴ』で買い、塾から帰ってきた後に聴いた)から今日に至るまで、私の最も好きな作曲家はマーラーのまま不変となっている、その記念碑的演奏。1975年4月4日のことだ。

 なお、このころ千円盤は(このシリーズは)1300円になっていた。

 ほれ、ごらん!いまでは(交響曲に改編後は作曲者が削除し)死語になった「巨人」の文字が堂々と!


Mahler1LP

 第1交響曲とカッコウの関係は、ここここなどに書いているように、冒頭の下降動機がカッコウの鳴き声であるからである。

 また、ラインスドルフ盤で初マーラーを聴いたときの衝撃と幸福感についてはここここに書いてある。


 マーラーの第1交響曲には、たくさんのすばらしい演奏の録音がある。

 ラインスドルフ盤だって良い演奏だが(彼はバーンスタインやショルティよりも先にマーラーを積極的に取り上げていたそうだ)、いまやもっと良いものが大量に残されているのだ。

 しかし、私にとっては手放すことなど絶対にできない、《思い出オーバーフロー》的演奏である。


Mahler3Leinsdolf

 1962年録音。RCA


  アリ対策はネバネバで
 かつてポーポーちゃんがお家を構えたナツツバキ。

 この木には例年カイガラムシが発生し、その排泄物(甘い樹液)を求めるアリが幹を大阪の地下街の人ごみのように行ったり来たりする。
 さらにその排泄物-カイガラムシは吸っておいて消化しきれないものを垂れ流すらしい-によって黒すす病が発生し、その幹も汚らしくなる。

 ところが今年はアリが往来していない。
 もしかすると、『あの手』が有効に働いているのかもしれない。


 『あの手』というのは幹に両面テープを貼るというもの。
 ごくふつうの両面テープをぐるっと一周巻くのである。

20180505Natsutsubaki

 ずっと前に買って読んだ、「ガーデニング ワザあり事典」(快適生活研究会編:PHP文庫)。先日、それを読み返していて、このワザ-まったく記憶になかったが-に出くわした。


 単に、たまたままだ往来の時期じゃないのかもしれないが、アリは寄ってきていない。

 さて、今年はポーポーちゃんが営巣に来るのだろうか?

えびカツ丼とはいかなるものか?PMD/肉体の悪魔

PMDBoyfriend  天ぷらがとんかつに
 月曜日は私用のため休みをもらった。午前中、札幌市内で用を済ませ、帰りに新さっぽろのカテプリに寄った。

 昼はカテプリ地下2階のフードコートで食べようと思ったが、いつの間にやらエリア外に出てしまい、陸、いや床続きのサンピアザ地下2階にいつの間にか足を踏み入れた。そして、そこにある『玉藤』に入ることにした。

  玉藤は札幌はすすきのが発祥の老舗とんかつ店である。
 一時期はあちこちに店舗を構えるほどブーブー、いやブイブイ言わせていたか経営が悪化。いまは『どうきゅう』という会社が経営している。

  さて、この日の私は天ぷらを食べたい気分だった。しかし、この地下2階エリアには天ぷらを食べさせてくれるようなところはなく、揚げ物つながりでとんかつにするという、みごとなまでの臨機応変さを発揮したわけだ。

 でも、このさらに下、サンピアザの地下3階-あの『醤油屋』がある-に、メニューに天丼もある『ごまそば処 八雲』があったことを、遅咲きの私は気づいてしまった。

  とんかつがエビフライに
  さて、私はカツ丼にしようと決心した。

  ヒレカツ丼とロースカツ丼はともに800円のイーブンである。さらにえびカツ丼という880円というのがある(いずれも厚手の表紙のお品書きとは別刷りの、1枚物のメニューに書かれている)。
 写真は載っていなかったが、たぶんトンカツが通常の半量で、エビフライが1本のっていると思われる。

  テーブルに案内され、私はただのカツ丼よりも10%も高いえびカツ丼を、妻はカツサンドを頼んだ。

  妻の後ろがわに見えるカウンター席。そこに一人の女性客が座っていてヒレかロースか、それとも別なものかは知らないが定食を食べていた。ビールを飲み、私のえびカツ丼が運ばれて来るまでの間に、キャベツを1回、ご飯を2杯おかわりした。いえ、別になんでもありませんが、おかげさまで待ち時間を退屈せずに過ごせました。

  私のえびカツ丼がやって来た。が、それは間違って運ばれて来たものだった。なぜなら、エビフライが2本玉子でとじられているだけで、カツの姿がないからだ。

  「間違ってますよ」と笑顔で言おうとしたが、私はそこではっと気づいた。間違いである可能性は、カツサンドと一緒に運ばれて来ていることで可能性が低いことは明白だ。

  つまりこの店におけるえびカツ丼というのは、エビフライをカツとじのようにとじたものなのだ。スーパーの惣菜弁当にあるえび重と同じ種類のものだったのだ。お重ではなく丼だが。
 もっとわかりやすく言っちゃうと、わかりにくいが、この店ではエビフライのことをえびカツと称しているのだ。牡蠣フライは牡蠣カツと呼んでいないにもかかわらず、である。

  エビフライはぷりぷりしていた正真正銘のもの。
 しかし、とんかつ店に入って1片の肉さえ口にしないなんて、非ベジタリアンの私には悔やんでも悔やみきれない。これじゃあ悪魔にそそのかされたようなものだ。

  そこで強引に妻に、エビフライの半尾分を差し出し(気を使って頭側にした)、カツサンド3枚のうち1枚を強奪した。こんなユダヤの商人みたいなことをしたバチか、パンの微細な破片でむせてしまった。

 P.M.デイヴィス(Peter Maxwell Davies 1934-2016 イギリス)の組曲「肉体の悪魔(The Devils)」。

 ケン・ラッセル監督の1971年の同名のイギリス映画のための音楽だが、そこから4曲を選び組曲化したもの。

 「肉体の悪魔」といえばラディゲの処女小説(1923刊)が有名だが、ケン・ラッセルの映画の方はハクスリーの歴史研究書「ルーダンの悪魔」を原作としている。

 クレオバリー/アクエリアスの演奏で。

 1989年録音。ナクソス。

  エビフライが鶏肉に
 翌日。

 昼過ぎに伊丹空港に降り立った私は、そのままモノレールで蛍池へ。

 駅に隣接する商業施設にある『ザ・どん』で、昼ご飯を食べた。親子丼……

 なんだか毎日同じようなものを食べてる気が……


 ところで昨日の帰りにセブンイレブンで買って帰った、チルド惣菜の牛すき焼き。

 食べたんだけど、妙に酸っぱさを感じた。

 こんな味つけなの?(けさ、おなかを下しているといった異常はありません)



幸運のオレンジ・カーと黄色い絨毯♪ヴィヴァルディ/四季

  美珍楼のお姉さんには会えなかったけど
 先週は久しぶりに帯広に出張。
 やはり懐かしい。

 美珍楼の担担麺を食べるチャンスはなかったし、平和園のロースも、長寿庵のそばも食べるチャンスがなかったが、なんとか次回は実現したい(私は『インデアン』のカレーには執着がない)。

 帯広駅では『伝統的』なカラーのキハ40を見て(たまたまだけど)、「おお、セブンセブンセブンだ。縁起がいいわい」と思いつつ、スーパーとかちに乗って帰って来た。
 
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  見事な黄色
 追分駅を出てすぐ、見事なナタネの畑が見えた。

201805Oiwake

 写真がきちんとしていない理由は一つ。

 カメラ(オリンパスのコンデジ)の性能がいま一つなのと、列車の窓の透明度があまり高くないからだ。
 窓の透明度が高くないのは、(たぶん)冬の氷塊によるガラス破損防止のため、フィルムを貼ってあるからだ。

 きちんとしてるって?いや、コントラストとか修正しました。
 あまり関係ないけど、旧型の球型の灯油タンクが懐かしい。

 これだけ広くナタネ(アブラナ)を植えているが、そしてまたほかにもいくつか黄色い畑が見えたが、緑肥?

 かと思いきや、安平町(旧追分町を含む)ではナタネ油とアブラナの花のはちみつを作っているんだそうだ。

Vivaldi4seasonsP  こっちも黄色
 今日はジャリのヴァイオリン、パイヤール指揮パイヤール室内管弦楽団の演奏でヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi 1678-1741 イタリア)のヴァイオリン協奏曲集「四季(Le quattro stagioni)」Op.8-1~4。
 ここに書いたように、ヴァイオリン協奏曲集「和声と創意への試み」の第1~4曲である。

 パイヤールの演奏は、もちろんピリオド(古楽)演奏ではないが、こういう演奏は懐かしくもある。
 全曲のなかでは、「冬」の有名な第2楽章の美しく甘美な演奏が白眉である。

 1970年録音。DENON。

 今日、パイヤールのこのCDを取り上げた理由?
 わかってるくせにぃ~。
 そう、ジャケット写真が菜の花畑だから。
 でも、いま販売されているのは違いますから。

 さて、帯広ではいまは札幌の本社勤務となっている日向山課長に、偶然にも会った。
 彼も出張してきていたのだ。
 残念ながら、いや、喜ばしいことに相変わらず元気だった。

果たして本名?謎に包まれた廉価な指揮者たち♪ボロディン/中央アジア

Recogei201806Renka   ビアンカはまったく知らない……
 『レコード芸術』(音楽之友社)6月号の特集は“アナログ絶頂期「1970年代」に生まれた名盤たち”。
 書店で表紙を見たときには“アングラ絶頂期”と読み違えてしまった私。

 それはともかく、その特集のなかで、“70年代 廉価盤の世界 ― 名作の文庫本のように”という記事を、芳岡正樹氏が書いている。

 30センチ・ステレオLPの千円盤が、はじめて発売されたのは1969年5月のこと。日本コロムビアが「ダイヤモンド1000シリーズ」として10枚の千円盤を発売したのを嚆矢(こうし)とすることに端を発する。但しアーティストはハンス=ユルゲン・ヴァルター、ギンペル、ビアンカなどと地味で、「安かろう、悪かろう」のイメージがついて回った。 

 「おぉっ!」と私はヒジョーに懐かしく思った。
 私はこの最初に名が出てきた指揮者の、まさに『ダイヤモンド1000シリーズ』の1枚を買ったのだった。

  《帯》に『1200円』のシールが貼られていた
 購入したのは1973年12月27日のこと。コーヨー無線西野店という記録が残っている。『カスタムパルコ』の1Fにあった店だ。
 価格はオイルショック後だったので、1000円ではなく1200円(か、1300円)になっていた。

 このLPに収録されていた曲は、

 ① L.モーツァルト/おもちゃの交響曲
 ② ウェーバー/歌劇「魔弾の射手」序曲
 ③ ボロディン/交響詩「中央アジアの草原にて」
 ④ ラヴェル/ボレロ
 ⑤ チャイコフスキー/スラヴ行進曲

 名曲集とはいえ、おそろしく統一性のない選曲である。 指揮者だが、①③⑤はハンス・イェルゲン=ヴァルター(芳岡氏はユルゲン=ヴァルターと記しているが)、②がヴィルヘルム・ブリュクナー=リュッゲバーグ、④がC.A.ビュンテ。

 ユルゲン=ヴァルターの名を目にして、なんかピンときた私は、なかなかすごいと自分でも思う。
 この名に再会できたのは、ラブラドライトのパワーのせいか(ラブラドライトには『再会する』力もあるそうだ。いや、単なる偶然と信じてやまない私だが)。

 どっちにしろ、これらの指揮者の名前については、その後現在に至るまで、目にしたことがない。
 なおオーケストラは、①②④がハンブルグ交響楽団。③と⑤がハンブルグ放送交響楽団である。

  いまは好きになった「スラヴ行進曲」
 どんな演奏かはあまりよく覚えていない。 けど、きっと“安かろう、良いとは言えないだろう”だったに違いない。
 その証拠にってわけでもないが、その後長らくの間-別な演奏を聴くまで-「スラヴ行進曲」も「ボレロ」もあまり好きになれない曲だった。

 でも、「中央アジアの草原にて」-この曲は手元にあった『オールカラー版 学研学習大百科事典』の第10巻『国語・美術・音楽・英語』のなかで、音楽鑑賞曲として詳しい解説が載っていた-は何度も聴いたし、それ以上に「おもちゃの交響曲」は楽しめた。「魔弾の射手」序曲も繰り返し聴いた。

SilvestriBox あのころの、夢多きわが若き時代を思い起こしながら、どうせなら当時聴きなれていたちょっぴり古い録音のサウンドで、ボロディン(Alexander Borodin 1833-87 ロシア)の交響詩「中央アジアの草原にて(In the Steppes of Central Asia)」(1880)。
 シルヴェルトリ/ボーンマス交響楽団の演奏を。

 1968年録音。EMI。

 シルヴェストリが指揮した録音は、当時、東芝EMIの千円盤レーベル(当時は1200円)であるセラフィムから発売されていた(うんこ色のジャケットがやれやれって感じだった。のちにグリーンがベースのものに変わったが)。

 私も、「シェエラザード」(R=コルサコフ。ボーンマスso)、ドヴォルザークの第8交響曲と序曲「謝肉祭」(ロンドンpo)などを持っていて、繰り返し聴いたものだ。 その演奏が懐かしくて、上で紹介したCDボックスを購入したのだった。

いつまでも寝転んでんじゃねぇよ!マゼールの「冬の日の幻想」

20180506speaker1  肩ひじ張らず音楽を楽しめる
 20年近く使ってきたスピーカー(インフィニティKAPPA80)を処分して、B&Wの、おそらくはメインスピーカーとしてよりもサラウンドの背面用で使っている人が多いかもしれない小さなスピーカーに替えたのが3月のこと。

 それまでは私の胸ぐらいまでの高さがあったのに、新しいスピーカーは床に置くとひざ下の高さである。


 KAPPA80の音は好きだった。
 しかし、スピーカーというものも、アンプやプレーヤーほどではないが、私が考えているよりも進化しているようで、この小型ブックシェルフスピーカーは、そのサイズからは想像もつかないような繊細かつパワフルな音を出す。20年前のこのサイズのスピーカーならこんなに立派な音は出せていなかったと思う。

 そしてまた、このスピーカーにしてから、音楽を聴くときになぜか『気負い』がなくなった。

 KAPPAのときは「さあ、音楽を聴くぞ!」という、ある種の決意みたいなものがいた。それは『ながら聴き』のときでさえ少なからずあった。しかし、小型ブックシェルフにしてからは、純粋に音楽を聴く(あるいは流す)歓びのようなものを感じる。

 KAPPAではBGMとしてずっと音楽を流し続けるって気にはあまりならなかったが、これならずっと流していたいって気持ちになるのはなぜだろう。


 もしかすると、大好きな音ではあったが、KAPPAのサウンドはやや重かったのか?


 実際、B&Wのこのスピーカー(686S2)は、KAPPAが遅いというわけではないが、音楽に機敏に反応する。年寄りの話を聞いていたのが、急に相手が若者になったような感覚さえする。


  やはり床置きにはがまんの限界が
 当初は暫定的に床置きしていた。
 自宅に引っ越した後は文字通りブックシェルフ(棚置き)で使おうと思っていたので、スタンドを購入しても不要になると考えたからだ。


 しかし、いくらなんでもずっと床置きにはできない。床置きだと妙な低音が強調されてしまうし、『ながら聴き』ならともかく、きちんとスピーカーに向かって座って「よし、聴くぞ!」ってことにならない。いつまでも寝そべって聴くわけにはいかないのだ。

 
 そこで、ヨドバシ.comでいちばん手頃そうなスタンドを買い(ハヤミ製)、そこにスピーカーをのせた。高さはちょうどいい。

 そしてまた、いくらすばらしい小坊主とはいえ、やはり低音不足なのは間違いない。

 そこでサブウーファーを導入した。

20180506speaker2  どこか心にひっかかりが

 正直言って、サブウーファーを使うことには抵抗があった。いや、いまでもある。しかし、ブログつながりで、オーディオに詳しい『七味とうがらし』さんが、「サブウーファーを使う手がある」とコメントを寄せてくれたので、この人が薦めるということは純粋に音楽を聴く場合でも効果的なものに違いない、と思うようになった。

 サブウーファーが担う帯域の低音は、左右の指向性がないので1台でいい。

 しかし、理論的にはそうかもしれないが、左右に2か所なくて、本当にステレオのバランスを崩さないのだろうかと、いまでも不安に思う(が、2台置く気はない)。


 また、サブウーファーの出す音が、B&Wの美しくて繊細なサウンドを逆におかしくしないかという心配も、やっぱりまだある。


 現在は100Hz以上の音は出ないようにフィルターを調整。出力も、サブウーファーだけの音を出したときに聴こえるか聴こえないかくらいの音量(これはKAPPA80のウーファーの音量よりもけっこう小さいレベル)に抑えているが、このあたりどのくらいの調整にすればよいのか、まだよくわからない。


 つまり、サブウーファーの効果をまだ享受できていないのだ(とはいえ、先日ショルティ指揮のマーラーの8番を『ながら聴き』していて、弱音部の大太鼓のロール・サウンドに心も体も震えたが)。

 なお、サブウーファーはスピーカーコードのLとRの入力端子があるものにした。
 私が使っているプリ・メインアンプにはAVアンプと違って、サブウーファー用のRCA出力端子がない。
 したがって、サブウーファー側にもRCA入力端子しかないものは使えない。

 ヨドバシで相談すると、ONKYOのものが他よりも安くてスピーカー入力端子があるということで、それにしたのだった。

 なお、686S2はバイワイヤリング接続(赤、黒、白、緑の4芯のスピーカーケーブルのうち、アンプのSP出力Aのプラスに赤と黒、マイナスに白と緑を接続。スピーカー側で、バス/ミッドレンジ端子に黒(+)と緑(-)、トゥイーター端子に赤(+)と白(-)に分岐させて接続。

 サブウーファーはアンプのSP出力Bと接続した(なので、アンプでスピーカーBだけの出力にするとサブウーファーの音だけを確認することができるのだ)。

  若きマゼールの「冬の日Go!Go!」
 チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)の交響曲第1番ト短調Op.13冬の日の幻想(Winter Daydreams)」(1866/改訂''74)。


 今日紹介するマゼール/ウィーン・フィルの演奏は、1964年の録音だが、さすがデッカ。


 ここでも書いたが、すばらしい音だ。

 特に、第1楽章でのコントラバスの弓からヤニが飛び散って来そうな引き締まった低音には、いつもシビレテしまう。


 上に書いたように、現在私はサブウーファーの音量を、耳をすませば聴こえるか聴こえないかくらいに設定している。まさに隠し味だ。

 でも、こういう録音の音楽を聴くときには、ついついレベルを上げてみたくなる誘惑が……


 適正レベルってどのくらいなんだろう?

 考えるだけですっかり疲労困憊だ。

黒?じゃあ私、固まります♪スクリャービン/pソナタ9

  2016は黒嫌い?
 私は、手元にあるCDについて、作曲家ごと、楽曲ごとに所有している演奏がわかるようWordで管理している。ファイルのサイズは約2.7MBである。

CDlistExple

 大阪では(帯広、名古屋でも)ウィンドウズ7のノートPCでWord2010を使っているが、このファイルを扱っていて不都合が生じることはこれまでなかった。

 ところが先日、自宅のウィンドウズ10のノートPCを使っていて(Word2016)、《検索》をしたところ異変が起こった。

 《検索》のキーワードに“黒”と入れると、ふつうなら瞬時に該当する箇所までカーソルがとぶはずが、ややしばらく考えた後、画面が真っ白(純粋な意味での真っ白ではなく、シックなツートン)になるのである。

  この画面だけ見た人は、何のことやらと思うだろう
 キーワードを入れた部分の“黒”の文字だけが、この世に未練があるように残像となっているのが、なんとなく皮肉というか、さらしもののようだ。

WordErrorScr


 “黒”でフリーズ、応答不可。はいはい、プログラムの強制終了ですね。

 これって、Word2016のバグなんだろうか?

 それとも、このファイル独特のエラーなのだろうか?(最近、何事も徹底的に追及するという意欲がなく-というか、忘れ-、ほかの文書で試してみなかった)。

 ちなみに“黒い”でもフリーズ。しかし、“黒ミサ”とか“黒鍵”では異常なく瞬時に検索できた。

ScriabinPsonatas スクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915 ロシア)のピアノ・ソナタ第9番Op.68黒ミサ(Messe noire)」。

 “黒の悪魔的性格から与えられた通称”(井上和男「クラシック音楽作品名辞典:三省堂)ということだが、黒って悪魔的性格なのか……。

 このときにも紹介した、アシュケナージの演奏を。

 1972年録音。デッカ。

 なお、あらためて大阪で使用中のウィンドウズ7機(Microsoft Office Home and Business 2010)のWord2010で“黒”、“黒い”で検索してみると、同様にフリーズすることが確認された。

  料理に髪の毛が入っていたら?
 黒といえば、先日豚肉の生姜焼きを食べようとしたところ、豚肉に真っ黒い髪の毛がへばりついていた!

 当然クレームをつけたと皆さんは思うだろう。

 しかし、私は静かにその髪の毛を取り除き、黙って食べた。

 なぜなら、それは私が作り、皿に盛り、テーブルまで運んだ一品だったからだ。

 髪の毛はともかく、自分で言うのもなんだが、ひどくおいしく出来上がった。

あちこちの痛み、その後♪マショー/恥ずかしさ,恐れ,疑い

Faenza  おや、いつの間にか……
 腰のことばかり書いているが、読者の皆さんのなかには私の五十肩や歯ぐきがその後どうなっているのか、気になっている人も0.3人くらいいるだろう。

 『五十肩』(もしくは『四十肩』、かっこよく言えば『肩関節周囲炎』)だが、まだほんのわずかばかり痛みというか違和感があることはあるが、いつの間にやらほぼ症状は消失した。少なくとも車を運転していてバックするとき、「ギャァァァァァ~~ッ!」と叫ばざるを得なかったのが、まるではるか遠き日の出来事のように思えるようになってきた。
 3月には、かなり良くなったと報告したが、もはや完治したと宣言してもいいだろう!
 ということは、発症から約1年で治ったことになる。

 なぜ治ったのか?60歳に、より近づいたからか?
 いや、そうではない。

 名古屋の若園課長は『四十肩』になったが、半年ほどで治ったと言っていた。
 浅田次郎氏もいつの間にかケロッと治ったと書いていた。

 みんな、正しいことを言っていたのだ。
 「ふんっ!この痛みが消えることなんてあるもんか!」と、みんなの言うことをどこか疑ってぐれていたあの頃の私。
 ごめんなさい……

 ブログつながりの七味とうがらしさんは、ともに痛みを耐え抜こうと励ましてくれた。
 同じくLimeGreenさんは、「お大事に」と言ってくれた。
 ありがとう!ぼく、がんばりぬきました!

 マショー(Guillaume de Machaut 1300頃-77 フランス)の「恥ずかしさ,恐れ,疑い(Hont, paour, doubtance)」。

 マショーは僧侶だったが、詩人・音楽家として活動。フランスのアルス・ノヴァを代表する人である。

 『アルス・ノヴァ』というのは『新しい技法』の意味。フランスの音楽理論家フィリップ・ド・ヴィトリが著わした記譜法の理論書の表題。
 現在では、当時書かれた、自由度をもった新しい傾向の音楽の総称になっている。その『アルス・ノヴァ』を実践者であり完成者がマショーと言われている。

 この曲はイタリアのボローニャ近郊のファエンツァに保存されている14世紀以降の器楽曲を集めた楽譜『ファエンツァの写本』に収められている。

 ボッシュ/アンサンブル・ユニコーンの演奏を。

 1995年録音。ナクソス。

 ところで、最近連絡を取り合っていないが、若園課長は元気だろうか?
 『打撲あらため骨折事件』という不幸に見舞われたが、完治したのだろうか?
 そしてまた、満保係長とは相変わらず刺激多き日々を過ごしているのだろうか?

  なぜか、おとなしく良い子にしている歯ぐき
 さて、名古屋で通院していたものの、上下左右の奥歯(歯ぐきを含む)の治療のうち、終わったのは左上の奥だけにとどまり、時間切れとなった件

 その後の状況だが、治療の緊急性としては左上の奥に次ぐ症状の左下奥だが、まだ多少歯ぐきが腫れ続け痛みもちょっぴりあるものの、ぼっこりと大きく腫れるようなことはないまま、小康状態で推移している。
P6060258 また、右上も歯間ブラシを通すとちょっとくすぐったいような違和感があるが、腫れたりしていないし痛みもない。
 右下にいたっては、休火山状態である。

 名古屋のときはあれほどまでそろいもそろって腫れたり痛がらせてくれた奥歯全箇所。
 なのに-治療が終わった左上は別として-ほかの3か所が大阪に来てからずいぶんとおとなしくしているのは不気味である。

 そういえば、今回『ぎっくり腰』になったのは-ここに書いたように、私は2015年にもこれをやっていて、全治20日を要している-、私があの『玄武ブレスレット』を購入した後のことだ。

 健康パワーを秘めたストーンたちが結集したブレスレットなのに、私は『ぎっくり腰』になってしまった。
 このことからわかるのは、『ぎっくり腰』は細胞レベルからくる異状ではないということだ。

  黒い斑点、出現
 そうそう、先日左手の手のひら、親指の付け根の下のぷくっとしたところに新たなほくろを発見してしまった。
 いままではなかったものだ。

 最初はインクか何かかと思ったが、水で洗おうと、お湯で洗おうと、せっけんを使おうと、消えない。つまり汚れではないのだ。

 まだ針先くらいの大きさだったが、妙に黒々としている。
 これが大きくなるようなら、即座に皮膚科にいかなければならない。

 と思っていたら、昨日見たらもう無くなっていた。

 皮の下にごみが入り込んだみたい。えへっ!

エリシュカのCDを回収・交換します♪スメタナ/ワレンシュタインの陣営

201805SSO_HP  意外とすぐに発覚しないものなのね
 札幌交響楽団のホームページに“お詫びとお知らせ”が載っている。

 アップされたのは5月18日。


 昨年11月にリリースされた、エリシュカ/札幌交響楽団のCD。そこに収められているスメタナの「ワレンシュタインの陣営」に編集ミスがあったというものである。


 このCDは2016年10月15日~16日に行なわれた第594回定期演奏会を収めたもの。
 プログラムは、メインがチャイコフスキーの交響曲第5番で、ほかにドヴォルザークのスケルツォ・カプリチオーソと、スメタナのこの曲。

201805RecallPlus 上に書いたようにスメタナの曲に編集ミスがあったことがわかったというのだ。

 そのミスとは第636小節~第637小節の2小節が欠落。


 以前、こちらのCDを最初に聴いたときにはすぐに気づくどころか、どってんこいたのに、今回はぜ~んぜん気がつかなかった。

  だって、知らなかったんだもん
 いや、実は私、「ワレンシュタインの陣営」なる曲を聴いたのは、このCDが初めて。
 だから、欠落していようが2割増しになっていようが、わかりようがない。元の正しい曲を知らないんだもの。

 しかも、この曲に関しては、繰り返し聴いていたわけではないので、不自然さも感じなかった(この報を受け、まずはも一度聴くべきなんだろうが、すまない、さぼっている)。


 あ~よかった。知ったかぶりしてこのブログで「完璧な演奏」などと書かなくて(この演奏については、幸いまだ取り上げていなかった)。


Tchaikovsky5EliskaSSO このCDは-特にチャイ5の評価が高く-『レコード芸術』で特選盤に選ばれていたが、評論家の方たちは、「ワレンシュタインの陣営」について、どんなことを書いてたんだろう?(ごめん。その号を読み返していない)。

 珍しくない曲とは全然言えない曲なので、評論家諸氏も気づかなかったのだろう。


 6月25日以降、交換のための返品を受け付けるそうだが、ワタシ、どうしようかなぁ。

 これはこれで貴重品として持っておいて、修正盤を新たに買おうかなぁ。


 迷っちゃうなぁ……


ウトナイ湖や白鳥湖に接する湿地帯なんです♪RVW/沼沢地方にて

  ひっそりと《起点》
 先日苗穂駅を利用したときに、構内にひっそりと立っているある標識に気づいた。

20180517Naebo2

 千歳線は白石駅⇔沼ノ端駅間の路線かと思っていたが(白石から札幌側は函館本線、沼ノ端から苫小牧側は室蘭本線。なお、南千歳駅⇔新千歳空港駅は千歳線の支線)、この看板によると、苗穂駅から千歳線が始まるってことになる。

V-WilliamsBoult  かつて湿地もいまでは住宅地に
 突然だが、ヴォーン・ウィリアムズ(Ralph Vaughan Williams 1872-1958 イギリス)の交響的印象「沼沢地方にて(In the fen country)」(1904/改訂「'05,'07,’35)。

 この沼沢地方というのは、1904年にホルストと一緒に民謡収集のために出かけたイギリス東部のイースト・アングリア地方にある湿地帯のことである。
 ただし、この曲では民謡の直接の引用はない。

 私が持っているCDはボールト/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団の演奏によるもの。

 1968年録音。EMI(現行盤はワーナー)。

 で、沼ノ端は勇払原野の湿地帯で、むかしはなんにもなかったところ。
 浦河に住んでいた小学生のとき、札幌から様似行きの急行「えりも」に乗ると、まずは列車は苫小牧まで行き、進行方向を変えて札幌方面へ逆戻り、かと思ったら沼ノ端でいま走って来た千歳線から離れるのであった(こっちは日高本線のレールを走っている)。

  線路名称上ってなぁに?
 ウィキペディアの『苗穂駅』によると、

 函館本線のみの駅だが、線路名称上の千歳線の終点駅でもある。ただしJR北海道の基本計画上は、白石駅が終点で当駅を経由しない(しかし、千歳線の0キロポストは当駅構内にある)

 うん、だから確かに写真の通り、0キロポストは苗穂駅構内にあった。
 けど、“線路名称上の”という意味が、私にはよくわからない。

 この標識のすぐ横には、こんな看板も。

20180517Naebo3

 この境界を超えたら(札幌駅側になるのだが)、なんという場所になるのだろう?

  おや、クリスタルエクスプレスが放置?
 苗穂運転所(か、苗穂工場かもしれない)を、撮った写真をついでに載せておこう。

20180517NaeboCristal

20180517Naebo1

 なんか、こういう風景、ワクワクします、ワタシ。

 そういえば、小学校の作文で将来何になりたいかというのを書かされたことがあった。
 そのとき『電気きかん車』と書いた、ひむかい君は、夢をかなえることができたのだろうか?

カイモ効果?カッコウの美声が響いた日♪ディーリアス/春初郭公

20180521Maidurusou  待ちに待った……
 昨日も『プライベートな用件』のために休みをもらった。

 用事を済ませ午後に自宅に戻ったが、この日は実に天気が良く暖か、というか暑いくらいだった。

 外にちょっと出て、でバラの芽たちを愛でていたら-って、お触りなんてしないでただ眺めていただけだが-鳴いたのである。声が聞こえたのである。「カッコゥ、カッコゥ」と。

 カイモの「カッコウ鳥」を取り上げたせいだろうか?
 だとしたら、みごとなタイミング!
 ようやく、今年初めてカッコウが鳴いた!

DeliusCookoo
  何度目になるのかわからないけど……
 ディーリアス(Frederick Delius 1862-1934 イギリス)の「春初めてのかっこうを聞いて(On hearing the first cuckoo in spring)」(1911)。

 「小管弦楽のための2つの小品(2 Pieces for small orchestra)」の第1曲(第2曲は「河の上の夏の夜(Summer night on the river/1912))。

 この曲を毎年のように、何度取り上げてきただろう?
 でも、とっても好きな曲なんだから許してほしい。

 作品についてはこの記事がいちばん詳しいような気がする(自分で書いておいてあいまいだが)。

 そしてまた、この曲の演奏で私がいちばん好きなデル・マー/ボーンマス・シンフォニエッタを、またまたお薦めしておこう。

 1977年録音。シャンドス。

 写真の花は、いま、わが家の庭で咲いている『マイヅルソウ』

 妻の実家の庭にあった何かの木の苗をもらったときにくっついてきた山野草だが、いまではけっこう増えた。

 バラにはマッチしない植物のような気もするが、かわいらしいので邪険にせずに残している。

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