新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2018/02

名古屋から引き連れてきた多肉な奴ら♪シューマン/謝肉祭

  大阪の水が合っている?
 名古屋から大阪へ『鉢植え』もお引越し。
 気候の変化もほとんどなく、また引っ越しに要する日数もわずかだったので、以前東京から北海道の自宅に引っ越したあとにパキラの葉が私に苦しみを訴えるかのように順に茶色くなり枯れたようなことはなかった。

 名古屋のマンションよりも日当たりが良いためだろう。むしろ元気になってきているように思われる。

 なかでもある家の庭に植えられていて歩道の方まではみ出して繁っていた名もなき植物-赤い花がかわいらしかった-は、一節を頂戴し-断りもなく-土に挿していたらすっかり一人前になってしまった。

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 アロエも一回り大きくなったし、オリーヴも新しい葉を出し始めている。

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 けど、妻にはもうこれ以上鉢植えを増やすなと釘を刺されている(自宅に帰るときに置き場所がなくなる←すでに自宅にはいくつもの鉢植えがある)。

  受取人の感想は?
 ところで中学生の分際にもかかわらず、年寄りっぽくサボテンや多肉植物に興味を持った私だったが、当時はサボテンの園芸書の巻末に書かれていた通販業者からカタログを取り寄せ、年に2度ほど注文していた。
 汚く拙い字で書かれた-いまでも字は拙いと自慢できる-注文書が入った現金書留を受け取った業者の方は、おそらく奇異に感じただろう。

SchumannBiretBox シューマン(Robert Schumann 1810-56 ドイツ)の「A.S.C.H.-S.C.H.A.-踊る文字(Letters dansantes)」。
 20曲からなるピアノ曲「謝肉祭『4つの音符による面白い情景』(Carnaval 'Scenes mignonnes sur quatre notes')」Op.9(1833-35)の第10曲である。

 ここにあるA.S.C.H.は変イ、ハ、ロ(As.C.H)、S.C.H.A.は変ホ、ハ、ロ、イ(Es.C.H.A.)の音のこと。
 シューマンは当時エルネスティーネという女性に想いを寄せていたが、その女性の出身地がアシュ(Asch)。また、S.C.H.A.はシューマンの名の中に含まれる文字の音名となっている。

 これらの音からなる2つのモティーフが曲の中に用いられている。

 ビレットのピアノで。

 2013年録音。IBA(ナクソス)。

  踏み入れてはならない地
 その業者というのは『山城愛仙園』で、通販事業部は昔と変わらず尼崎市の東園田町というところにあるが、直売所もできて、それは豊中市にあるという。
 土日祝日だけの営業らしい。

 行きたい。行ってみたい。

 けど、妻にこれ以上増やしてはいけないと言われている。
 
 でも、覗きに行くだけなら……いや、それで収まるわけがない。

 そこは足を踏み入れてはいけない地。

 そう言い聞かせている。

私の札響感動史(22)♪秋山の『ディスカバー名曲』の取り組み

  首席の第1弾はラフマニノフの3番
 1988年に春に札響の岩城体制は終わった

 新しい体制でのトップバッターは高関健。4月の第291回定期でブルックナーの第7番を取り上げているが、私はこのコンサートには行っていない。

 翌5月の第292回は堤俊作が登場。チャイコフスキーの交響曲第5番で熱い名演を聴かせてくれた

 ミュージック・アドヴァイザー・首席指揮者の秋山和慶が指揮台に立ったのは6月の第293回。

 このポストに就任した秋山の方針は「日本ではあまり演奏されない名曲を積極的に紹介する」という、実に勇気のある、そして期待が持てる意欲的な取り組み。

 この回はラフマニノフの交響曲第3番をメインに取り上げてくれた。
 私もはじめてこの曲を耳にしたが、文句なく一発で好きになった。まさに「あまり聴かれることのない名曲」を教えてもらったのだった。

SSO293rd

 またこの日のソリストはルイサダ。初来日で札響にも来てくれたのだが、あのルイサダが札響と協演したというのも、なんとなくすごいことだ。

  あのときの無念を心に抱き続ける私
 秋山が次に登場したのは9月の295回定期。
 メインはエルガーの交響曲第1番。
 この曲も私は聴いたことがなかった。

SSO295th

 だが急に東京出張が入り、私は行けなくなってしまった。

 後日、AIR-G(FM北海道)でこの日の演奏が放送されエアチェックしたが、なんとすばらしい曲、なんとすばらしい演奏と、私は行けなかった不幸をただただ嘆くしかなかった。
 その思いはしつこくいまでも持ち続けている。

  だってティンパニさんがカッコよかったんですもの
 さらに秋山は12月の第297回で、メインにニールセンの交響曲第4番「不滅」を取り上げている。

 この曲はニールセンの代表作ではあるものの、いまの私にとってはおもしろいような、どこか物足りないような曲だ。だが、初めて聴いたこのときには、なかなか聴きごたえのある曲だと思ったし、2組のティンパニの掛け合いに萌えた。

SSO297th

 なお、1曲目の武満徹の「乱」-この曲は札響とは深い縁がある-と2曲目のカバレフスキーのチェロ協奏曲第2番も、私にとっては初めて聴く曲。
 カバレフスキーのチェロ協奏曲には興奮させられたし、いまでも好きな曲である。

 秋山の「知られざる名曲」を積極的に取り上げる姿勢は、私にとって新たな曲を開拓するのに非常に役立ったのだった。秋山の存在というのは、実は私の中で非常に大きいのだ。

Kavalevsky Vc カバレフスキー(Dmitry Borisovich Kabalevsky 1904-87 ソヴィエト)のチェロ協奏曲第2番ハ短調Op.77(1964)。

 ショスタコーヴィチの同時代のカバレフスキーの代表作といえば組曲「道化師」。
 カバレフスキーはわかりやすく親しみやすいことを作曲の基本姿勢としたが、「道化師」は子供向けの作品ということもあって広く親しまれている(よく小学校の運動会などで使われる)。

 しかしチェロ協奏曲第2番にはそんなカバレフスキーの表情はまったく出てこない。この人、血液型はABだったんじゃないかってくらいだ。
 重苦しく、意味ありげ。とても深遠な音楽。
 明るくないとはいえ、決して親しみづらい音楽ではないので、ご存じでない方はぜひ勇気をふるって聴いてみてほしい。第2楽章の最初でアルトサックスが叫ぶように吹くところも聴きどころだ。

 私が愛聴盤は、ウォールフィッシュのチェロ、トムソン/ロンドン・フィルの演奏によるもの。

 1987年録音。シャンドス。

なぜ『ザンギ』と『うどん』という異色の組合わせ?GM/この世の生活

  あれから数十年。ようやく真意を知った私
 昨年末に電子版で購入したジョージ秋山の「アシュラ」(幻冬舎文庫版)。

Ashura1

 このマンガは、小学生のときに利用していた浦河の床屋(理容室)で何度か読んだ。
 その床屋-『くずの』という名前だった-には少年マガジンがそろっており、当時連載されていたのマンガの1つが「アシュラ」だった。

 時代は平安時代末期。農村部は飢饉で餓死した死体だらけ。人肉を食べる者もいた。

 そんなときに気がおかしくなった女が産み落とした赤ん坊。その名がアシュラ。
 女は空腹のためアシュラを焼いて食べようとするが、そのときに雷が落ち、大やけどを負ったアシュラは川に流される。

 一命をとりとめ、獣のように生き抜くアシュラ。

 あるときアシュラは人狩りに捕まり、そこでほかの人たちと係わることで人間らしさを得てゆく。そんなとき、生みの親-父親と、気がふれた母親-と出会う。
 出生のいきさつを知ったアシュラは決して両親と一緒には暮らせないことを悟り、自分と同じく人狩りに捕まった仲間たちとその地を離れ都へと向かう。

Ashura2

 子どものころ読んだときは、死体やそこからあふれ出るウジの絵に衝撃を受けた。
 しかし、あらためて読むと、その気持ちの悪い情景や人肉食という異常さよりも、生まれたときから人間として扱われたことのない、いや自分がニンゲンであることさえ知らない、アシュラのあまりにも悲しい人生の心の葛藤を描いていることを、いまさらながらに知った。これはおとな向けのマンガである。

 MahlerKnaben  のん気すぎる母親
 マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の「この世の生活(Das irdische Leben。「浮世の生活」という邦題もある)」。
 歌曲集「子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)」の第5曲(1892-93作曲)で、餓えておなかがすいたと訴える子どもと母親の対話形式の歌詞である(「子供の不思議な角笛」はアルニムとブレンターノの2人が編纂した民謡詩集)。

 西野茂雄氏の訳を載せておこう。

 「母さん、母さん、お腹がぺこぺこだよ、パンをおくれよ、さもなきゃ死んでしまうよ!」
 「もうちょっと待ってね、いい子だから、あした大急ぎで麦を刈るからね!」

 そして麦刈りがすんだ時に、その子は相変わらず叫びつづけた――
 「母さん、母さん、お腹がぺこぺこだよ、パンをおくれよ、さもなきゃ死んでしまうよ!」
 「もうちょっと待ってね、いい子だから、あした大急ぎで麦を打つからね!」

 そして麦打ちがすんだ時に、その子は相変わらず叫びつづけた――
 「母さん、母さん、お腹がぺこぺこだよ、パンをおくれよ、さもなきゃ死んでしまうよ!」
 「もうちょっと待ってね、いい子だから、あした大急ぎでパンを焼くからね!」

 そしてパンが焼きあがった時に、その子は棺台にのせられていた。


 最後に静かに一打鳴らされるシンバルの音が実に印象的だ。

 シュヴァルツコップのソプラノ、セル/ロンドン交響楽団の演奏を。

 1969年録音。EMI。

 先日、札幌は狸小路で見かけた看板。

 なんだか張り切った自信満々の顔をしているけど、要するに共食いだわな。

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 表情からして、こっちより『悪』に感じる。

 あっ、ザンギっていうのは北海道弁らしいが鶏のから揚げのことである。
 「そだね~」「そっかい」同様、覚えておくべき必須北海道語である。

ソーダ割りのことアルね♪DSch/Sym2

  貨物ターミナルが巨大ビルに
 以前大阪で勤務していたときといまとでは、梅田のあたりもずいぶんと変わった。

 当時はヨドバシ梅田ができたばかりで、その西側や北西側は開発中の更地だったりJRの貨物ターミナルだったのだが、そこには『グランフロント大阪』などが建ち、まださらなる開発が進められている。JRの大阪駅もきれいになった。

 上の地図が2003年当時、下が2017年時点の梅田である。

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Osaka2018Map

 そしてまた、わが社の大阪支社の場所も変わった。
 梅田エリアであることには変わりないが、現在は阪急梅田駅をはさみJR大阪駅とは反対側のビルに入居している。

  客は来るのか?
 金曜日に市内に外勤し戻る途中、地下街-大阪の地下街は異常なほど発達している-で大阪フィルのポスターを見かけた。

 3月の定期演奏会は、井上道義の指揮でショスタコの交響曲第2番と第3番をやるそうだ。
 すっごいマニアックだ。
 これはまず生で聴けないプログラム。
 でもこの日は出張で大阪にいない私。

Shostako12Kofman ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第2番ロ長調Op.14十月革命に捧げる(To October)」(1927)。

 1917年の革命の10周年を記念して作曲された。ここに書いたように、サイレンも用いられる意欲作、というか、ちょいとばかり作曲者の空回り的作品。

 久しぶりに冷ややかなアプローチのコフマン/ボン・ベートーヴェン管弦楽団、ウクライナ国立合唱団の演奏を。

 2004年録音。MDG。

  ほっかでもほっと同様コロッケが入っていた
 あまり関係ないが、金曜日は近くの『ほっかほっか亭』の日替わり定食を食べた。
 値段はホットモットと同じ500円だが、味も大差ない。つまり優劣つけがたい。もっと言えば、私はどちらの味方でも敵でもない。
 あるいはビルの近くには注文後ギガ速で担々麵が運ばれてくるような店もなさそうだ。

 今回私が住むことになったマンションの近所に、これまた氷山係長も住んでいて、もちろん夜ごと訪問しあうなんてことはまかり間違ってもないことだが、さすが大阪生活1年先輩の彼である。金曜日は彼が厳選した中華料理店ではないのだが中華料理が主体の居酒屋へ行ってみた。

 こんなことを書いているオディール君はうらやましがるかもしれない。
 彼も転勤した。北海道の東側のほうへ。「オディールさん、寒いですか」

 で、私たちはビールを飲み、ハイボールを頼むときは「そだね~」と言ってみる勇気もなく(店の『母さん』が、日本語が堪能ながらも中国の方なのできっとわかってくれないと思ったのだ)、なによりメニューに『ハイボール』と書いてあるのだから素直にその通りに言い、餃子やセロリとザーサイの炒め物などを食べた。どの料理も実においしかった。

 いま気づいたが、ということは、去年は革命100周年だったのか……

ガッツ石松は人工生命ではないけれど……♪大栗/大阪俗謡による幻想曲

OhguriNAXOS  子どものころトドラのプラモをもっていた私
 「ウルトラマン」より前に制作・放映されていた円谷プロの特撮番組「ウルトラQ」を知っている人ももう少なくなってきているだろう。

 けちけちしたらカネゴンになってしまうとか(だから私は貯金しない主義を貫いている)、灯台に行くとそこには巨大グモが生息していたとか(だから私は灯台守になるのを断念した)、雲の上にはトドラがいるとか(だから飛行機に乗るたびにトドラに衝突しないか心配になる)、蝶を採取しに行くと鱗粉で巨人になってしまうとか(だから昆虫は嫌いだ)、酔っ払って電車に乗るとドアが開かなくなるとか(だから酔っていても無人の電車には乗り込まないようにしている。それはきっと回送車だし)、夜中に線路を2人に分身した少女が歩いているとか(だから夜中に線路に近づかないようにしている)、真珠が熱で大きくなり中からナメゴンが生まれてくるとか(だから真珠を焙ったことはない)、人間の大きさが8分の1になってしまうとか(だからそういう人がいないか常に足元には気を付けている)、とにかく毎週毎週、純情な私をナマハゲの襲来のように恐怖に陥れたものだ。

  ガッツ石松顔の人工生命
 「地底超特急西へ」という回では、東京から北九州に向かう試運転の超特急に、輸送のためボンベの中に圧縮して詰め込まれた人工生命M1号が乗せられたが、走行中に細胞分裂しだし、人工生命というイメージとはほど遠いぶさいくなゴリラの姿になる。そして人工生命のイメージにはほど遠いおバカな動きで、挙句の果てに超特急の運転台を壊してしまう。そのため機関車は暴走し、車止めも役に立たず大爆発。
 爆発の威力で人工生命M1号は大気圏外まで吹き飛ばされる。宇宙でM1号は最後に「私はカモメ」と言う(その声が、妙にゴリラ顔にマッチしていなかった)。

 M1号は西を通り越して大気圏外へと行ってしまったが、MUUSANは西の都に行くことになった。

  新任地は大阪
 そう、転勤先は大阪。二度目の大阪勤務である。

 「二度目?ブログでその当時の話を読んだ記憶がないけど……」

 そう思ったあなたは正しい。
 私がブログを始めたのは2007年8月。でも、前回大阪に勤務していたのは2005年まで。
 ブログを書いていなかったのだから、当時の大阪のことを書けるわけがない。

 大阪支社には先行除雪車のごとく、1年前に氷山係長と凸川係長が先入りし、状況を把握しある程度の地ならしをしておいてくれている。

 そして今回は、伏草課長も同じく大阪に転勤した。きび団子もあげていないのに、お伴してくれるなんて勤勉かつ忠実な人だ。

 『浪速のバルトーク』と呼ばれる大栗裕(Oguri Hiroshi 1918-82 大阪)の「大阪俗謡による幻想曲(Fantasy on Osaka Folk Tunes)」(1955/改訂1970)。

 大栗は東京交響楽団、NHK交響楽団(当時は日本交響楽団)のホルン奏者を務めたあと、朝比奈隆の要請で大阪フィルハーモニー交響楽団(当時は関西交響楽団)に入団した。のちにホルン奏者をやめ、作曲に専念するようになった。

 「大阪俗謡による幻想曲」は朝比奈隆の海外演奏旅行のために書かれた作品。初演は関西交響楽団によって行なわれたが、その翌月、朝比奈はウィーン・トンキュンストラー管弦楽団およびベルリン・フィルでこの曲を指揮し、大栗の名はヨーロッパでも知られるようになった。

 下野竜也/大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏で。

 2000年録音。ナクソス。

 そんなわけで、今後はしばしばワンダーワールド・レポートを書かせていただくことになる(だろう)。

南極に置き去りになったのはタロとジロだが……♪ハイドン/pソナタ50

HaydnPsonataAx  統率のとれた勤務時間
 先日運転免許の更新に行ったことを報告したが、更新手続きのたびに思うのだが、実に時間に正確である。

 講習の受付け開始は、当初案内と1分とも狂わず正確に始まるし、(今回の私は講習時間の関係で少しゆっくり行ったが)朝の始業も窓口があくのは案内時刻と1分とも違わない。前回更新に行ったときに、玄関が開くのが時間通りなのは待っている身としては寒くてまいったけど、窓口のカーテンが8:45にサーッと一斉に開いたときには感動すら覚えたものだ。

 どんなに混んでいようとそれは決して崩すことはないのだろう。
 もし、その日によって3分早く始業したら、不公平だという市民の苦情がくるのかもしれない。
 毎日毎日、一定なのが重要なのだ。

 典型的なお役所仕事だが、私は嫌味で言っているのではない。
 ここまで徹底するのは立派だと感心するのである。
 あまりにも行列が長くなりすぎて、初売りの開始を30分早めた百貨店の話を例年のように耳にするが、免許センターなどの徹し方は、ある意味すがすがしい。

  手順はよくわかるが親切ではない
 ところで更新の手続きだが、むかしと違ってずいぶんと楽になった。
 台紙をくれる人から始まり、次の手順をきちんと教えてくれる。
 その態度は決して親切ではない。親切ではないが必要な情報は伝えてくれる。
 このあたりの事務的に徹する姿勢も、ある意味すがすがしい。
 もしここに親友が来たとしても、彼女たちは絶対に順番をちょいと早くしてあげるとかいう融通をきかすことは絶対ないだろう。

 始業時間や終業時間、休み時間に手続きの順番など、すべてが公正に行われているのだ。

 こんななかで人間的だと感じたのは視力検査係の人だ。
 なかなか輪の切れ目がわからない老人に、根気よく何回もリトライのチャンスを与えていたからだ。
 もっとも、ここで即「不合格」とやると、大もめになるんだろうけど……

  場所によって値段が違うのは当然公平なこと
 ところで、免許更新を更新したあと新さっぽろで、当初は『醤油屋』のラーメンを食べる意気込み120%だったのに店に行きつく前にあっさり心変わりしてしまい予想もしていなかった『開高』に立ち寄り、ラーメンとチャーハンのセット、750円也を食べたことは報告した也。

Kaiko2 翌週、札幌で打ち合わせがあり、その前に札幌中心部にある『開高』の前を通りかかった。
 すると、なんとチャーハンセットが880円ではないか!
 新さっぽろ店より130円も高い。

 不公平だ。中心部にいる人たちがかわいそうだ。
 って、場所によってこんなに違うものなのね。
 場所代が高いからしかたがないのだろう。

 ついでに、テレビ塔近くの桂和大通ビル50(旧・有楽ビル)の地下をうろついた。
 学生のころ、土曜日の帰りにここに入っていた『太郎』や『ジロー』によく行ったものだ。
 そしてそのころからあったが(『太郎』も『ジロー』もいまや跡形もない)、なぜか一度も入ったことがない『五十番』。この店は健在だ。

Gojyuban ラーメンが380円!?
 安い!

 このときすでにESTAの『四川飯店』で担々麵定食を食べてしまっており(今回は見栄をはらず、紙エプロンをもらってワイシャツへの汁はねを防御した)、これ以上食べると視線が反転するくらい苦しくなるのは間違いないこの日も『五十番』には縁がなかったが、今度ぜひ立ち寄ってみたいものだ。

  もしかして『五十番』違いかも
 ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)のピアノ・ソナタ第50番ハ長調Op.79,Hob.ⅩⅥ-50(1794/95)。

 このソナタは、アメリカの音楽学者ランドンによるいわゆる「ランドン版」では第60番とされている。

 3つの楽章からなる。

 アックスのピアノで。

 1988年録音。ソニークラシカル。

 んっ?

 いまふと記憶がよみがえった、というかあいまいに思い出したのだが、私があのころ見ていた『五十番』の看板は、有楽ビルでではなく、サンデパートビル(ドンキが入っている狸小路4丁目のビル)の地下の『五十番』だったような気がしてきた。

 サンデパートビルの『五十番』はすでに閉店したそうだが、桂和大通ビル50のの『五十番』はその支店だという
 高校生のころ、もしかすると有楽ビルには『五十番』はなかったかもしれないが、果たしてどうだったかその記憶はよみがえってこない。

 それにしても桂和大通ビル50に五十番とは、なかなかしゃれてますですね。

石狩地方第2の都市はどこかしら?♪DSch/「観光列車」トランスクリプション

EbechunR1  農業都市としての顔を持つ町
 17日の北海道新聞朝刊。そのなかの《江別版》のページに載った記事。

 『江別の食材 札幌でPR』『地場産小麦のパン、寒玉キャベツ…』という見出し。
 内容は、

 市は、江別産の食材をPRするイベントを札幌市内で相次いで開催する。江別産小麦でつくるラーメンや寒玉キャベツなどを活用した創作メニューを提供するフェアが札幌の飲食店で行われており……

というもので、

IMGP1324 ……太田ファームの卵と地元農家が手作りしたトマトケチャップを使ったオムレツや、製麺業大手菊水の即席ラーメン「えべチュンら~めん」でつくる「かも南蛮風のラーメン」など、12の個性的なメニューが並ぶ。……

 ……少子高齢化で人口の微減傾向が続く中、市は観光客の増加が市内の産業振興に不可欠と判断、観光振興計画を19年ぶりに見直し、3月中に策定する。計画では江別の食と農業の魅力をPRし、札幌など道央圏からの日帰り観光客の取り込みを柱にする方針だ。

  えべチュンの顔は名産のレンガ
 江別市は古くから札幌のベッドタウンとして発展した町で、昨年9月1日現在の人口は118,874人と、千歳市の約97,000人よりも多い(ちなみにほかの石狩管内の市町村をみると、石狩市は約59,000人、恵庭市が約70,000人、北広島市が60,000人。また当別町は約16,000人、新篠津村は3,000人である。札幌市は約196万人となっている)。

1 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)がヨハン・シュトラウス(Johann Strauss Ⅱ 1825-99 オーストリア)のポルカ「観光列車(Vergnugungszug)」Op.281(1864)を編曲した版を。

 なぜ、ショスタコがこのような管弦楽編曲を行なったのか私はわからないが、きっと何かがあったに違いない。

 私が持っている録音はロジェストヴェンスキー/モスクワ・フィルによる演奏だが廃盤(1979年録音。BMG)。

  私と江別の関係は?
 ところで、江別市は私と友加里が、じゃなく、私と縁がある町である。
 というのも、通っていた大学が江別市にあった(もちろん今もある。なお、江別市には大学が4つある)。
 そして何より、私は現役の江別市民なのである。
 この市の、好評分譲中のニュータウンに家を建て、私たち一家は札幌市民をやめて江別市民となったのだ。

 これまで読者の方にわかりやすいように、プロフィールでは私の自宅は『札幌圏』だと紹介してきたが、この際だからあなたも江別市は札幌の隣町であるということを公男に命じた方が、じゃなくて、肝に銘じた方がよい。この記事に載っている写真は江別駅構内である

 で、ご存じのように仕事の関係でいまの私は常にここに住んでいるわけではないが、そしてまた私のブログが江別の観光振興に役立つとは到底思えないが、それでももしかすると微力ながら江別の魅力を紹介する一助を果たせるかもしれない。

 ただ、すでに問題も生じている(私の中で)。

 太田ファームってどこにあるの?

 それにしても19年も計画を見直さなかったっていうのもなぁ~

広くなった道の両側は垂直に切り立った壁♪伊福部/氷壁

IMGP2121  一団が来る前に出そう!
 土曜日は腸内の排泄、ではなく、町内の排雪作業が行われた。
 冬のシーズンに一度、市(の委託を受けた会社)が大々的に除排雪を行なってくれるのである。

 雪が降れば除雪はしてくれる。しかし基本的に雪は道路の両脇に寄せて積みあがるだけで、道幅は狭くなる。そこで排雪が必須となるわけだ。

 作業部隊が現れる前に、私はカーポートの屋根の上にのぼりあたりの景色を見渡した、のではなく、その後屋根に積もった雪を道路わきへと投げ捨てた。
 セコイとかこずるいというなかれ。わが家への訪問ができないほど積みあがった捨てられた雪(上の写真は捨て始めたばかりの時点のもの)は、もうすぐ除排雪作業部隊がきれいに持って行ってくれるのだ。その恩恵にあずからない手はない。

IMGP2124  やって来た頼もしい奴
 やがてストロングなとどろきとともに除雪車がやってきた。
 先行隊である。この除雪車が何度も往復しいつもより強力に道幅を広げ、また路面のアスファルトぎりぎりまで雪を引っかき、その雪を『どこか』まで押して持っていく(それももちろんダンプに積まれてドナドナの歌とともに雪捨て場へと運ばれていく)。いつものようにただ道路の両脇に押し付けるだけではないのだ。

 そのあとはダンプカーを十数台引き連れたロータリー式の除雪車がやってくる。
 道路わきに積みあがっている雪をロータリー車が呑み込む。その横にダンプカーがゆっくりと伴走し吐き出されるIMGP2127雪は荷台に積み上げられる。
 荷台がいっぱいになったらすぐに後続の別のダンプカーが来るのである。ロータリー除雪車とダンプカーが並走するので、その道幅確保のためにも先行隊による除雪が必要なのである。

 それにしても公道の幅ギリギリのところのラインをきっちりと走行するロータリー車の運転テクは大したものだ。私だったらあっけなく消火栓を巻き込んでしまいそうだ。

  せっかくきれいになったが……
 こうして道幅は広がり、(写真ではわかりにくいかもしれないが、いや全然わからないだろうが)快感的雪壁が残されるのである。

 この日、函館の方の道南や根室の方の道東は大荒れの天気になった。
 しかしこちらは先行隊の除雪車がやってきたときにはやや強めの雪が降っていたものの、その後は晴れた。

Ifukube9 だが、油断はできない。
 例年の傾向を見ると、排雪が行なわれた直後にあっというまに再び道が狭くなるような大雪に見舞われることが多々あるからだ。
 だからといって、気を引き締めたところで、降るものは降ってしまうのだが……

 伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の「氷壁」。1958年に公開された映画「氷壁」のために書かれた音楽である。

 サウンドトラック。キング。

 この曲を含む、伊福部昭の映画音楽全集で聴くことができる。

やさしくしたらなんとなくファインに♪フォーレ/ドリー

FaureDolly  研磨剤なしの薬用ペースト
 なんのために私は『ココカラファイン』に寄ったのか?

 それは『アセス』を買うためである。

 2年ほど前から歯ぐきの腫れが不定期に繰り返し襲ってくるようになってから、私は歯磨き粉(正確にはペースト)を『アセス』にしている。

 抵抗力が落ちたときに現われやすくなるという歯ぐきの腫れ・炎症だが、引っ越し後のあわただしい日々の連続にもかかわらず、落着いていた。
 妻に「不思議なことに、このところファイン」と言っていたくらいだ。

 ところが、先週の後半になって、私の上下左右の中でもいちばんたちの悪い不良野郎の左下が腫れ始めた。自宅に戻るというタイミングでの腫れだから、もしかすると緊張感の薄れのせいで発症したのかもしれない。

 自宅の洗面台を見ると、あらあら、『アセス』のチューブは真っ平。
 それで新しいものを買うために『ココカラファイン』に寄ったのだった。

 それにしても、歯磨き粉1つを買うために、ここまでくどく説明することについて、私自身遺憾に思っている。

  朝のお口の中は〇〇がうじゃうじゃ
 ところで、ヒトの口の中は寝ている間に常在菌なるものが繁殖するそうだ。

 朝、起きぬけにコップ1杯の水を飲むことは腸の活動を活性化させるので良いことと言われるが、起きたばかりの口の中には菌がいっぱい。だから歯磨きしてから水を飲むようにしたほうが良いという。

 そんな話を聞くと、歯ぐきに炎症が起こっているときの朝の口内は、もっとひどいことになっているのは間違いない。ばい菌だらけだ。もともと、起きたらすぐに水を飲む習慣のある私だが、その話を聞いてからというもの、なんだかぞっとして、いまや起床してまずは歯磨きをすることにしている。

 話が横道に迷い込んでしまったが、『アセス』を使って歯ぐきをやさしくマッサージするように磨いた結果、2日ほどで腫れはだいぶ治まった。

 この年になってようやく実感しているのは、歯ブラシは-歯科衛生士の言う通り-強く当ててはいけないということだ。

 前に腫れたところを涙目でギシギシと歯ブラシで攻撃した結果、血が出てきて、「おぉ、たまっていた悪い血が出てきたわい」と、こういうことで歓ぶのはいかがなものかとは思うが、でも喜んだが、それって強く歯ブラシを当てたせいで歯ぐきを傷つけたための『けがによる出血』ということがあった。

 みなさん、歯ぐきには優しさをもって接してね!

  ですから第4曲が……
 フォーレ(Gabriel Faure 1845-1924 フランス)の「ドリー(Dolly)」Op.56(1894-97)。
 次の6曲からなるピアノ連弾作品で、タイトルの「ドリー」は、この作品を献呈したエレーヌ・バルダックの愛称である。

 1. 子守歌(Berceuse)
 2. ミャウ(Mi-a-ou)
 3. ドリーの庭(La jardin de Dolly)
 4. キティ・ヴァルス(Kitty-valse)
 5. 優しさ(Tendresse)
 6. スペイン風の踊り(Le pas espagnol)

 なお、第4曲のキティというのは、キティちゃんではなく犬の名前である。

 ヴォロンダとオージュのピアノで。

 1996年録音。ナクソス。

途中であえなくひっかかり作戦変更した私♪WFB/デュオ

IMG_20180217_0003  だってすいていたんですもの……
 昨日報告したように、DUO2への連絡通路があるDUO1の最上階-といっても5階-まで上がった私。

 ところでDUO1の5階は飲食店街である。かつては『四川飯店』もあったのだが、なくなって久しく、残念な思いも久しいままだ。おそらくこのフロアでいちばんの人気を保っているのは『びっくりドンキー』だろう。

 そしてまた、ここにはラーメン店もある。
 帯広の『麺屋 開高』である。
 帯広に4年間住んでいたのに、この店のことはまったく知らなかった。
 そしてまた、あとで知ったことだが、帯広には『本店』の1店しかないが、帯広以外に新千歳空港店さっぽろテレビ塔店、この新さっぽろ店ル・トロア店、さらにはシンガポールにもある。

 実は前日、新千歳空港で『開高』の文字をどこかで見かけた。
 そしてまた、12時を少し過ぎた時間だというのに、この新さっぽろ店はすいていた。
 初心貫徹で『醤油屋』へ行ったとしても、昼どきの混雑で落ち着いて食事ができないかもしれない。
 それに『開高』の(ホエー豚麺とかじゃないノーマルな)ラーメンとチャーハンのセットメニューは750円とリーズナブルだ。

 そんな懐かしさ(といっても、前日のことだ)と好条件が相まって、結局最有力候補、というより本日無二のはずだった『醤油屋』はやめ、この『開高』にした。

  むかし混んでいた店で受付拒否されたことのトラウマが
 食券を買わなきゃならないというのがお気に召さないが-私はいつも千円札を入れたはいいが、エラーで戻って来る悪夢を想像してしまう-、なんと小銭でちょうど750円ある。それにしても、食券販売機の場所が柱の陰にあってわかりにくい。これは初めて来た客を呼び込む機会を失う悪条件の1つになるだろう。
 
 買った食券は、醤油ラーメンとミニチャーハンのセットのものである。

 感動するほどおいしいわけではなかったし、私にとってはちょっとばかりこってりしていた。
 チャーハンもふつうの味。逆に言えばトータル的にそこそこうまい。
 が、食べたあとチャーハンじゃなくて白ご飯にすればよかったということと(私は『ラーメンには白いご飯が合う』派である)、やっぱり『醤油屋』の昔ながらのあっさりしたラーメンを目指すべきだったと、反省した(繰り返すが『開高』がまずいということでは決してない)。

 食べたあと、未練たらしく『醤油屋』の前まで行って中をのぞいてみた。
 そんなに混んでいなかった。老人客が多かっただが、昔の時代を思わせる店内のつくりは、1人でいるにはちょいと落ち着けないかもしれない(そのあと私はココカラファインに立ち寄り、帰途についた)。

BachHogwoodSet J.S.バッハの長男であるヴィルヘルム・フリーデマン(Wilheim Friedemann Bach 1710-84)のデュオ ヘ長調F.57(1733⇔46)。

 「6つの二重奏曲(6 Duette)」F.54~59のなかの1曲で、私が知っているのがこの曲集のなかでF.57だけという、まったく個人的制限付き条件でのセレクトである。
 で、なんのデュオかというと、フルートのデュオのための作品である。

 そのディスクは、プレストンとマギーマンのフルート、ホグウッドのチェンバロによる演奏。

 1976年録音。オワゾリール。

 ラーチャー完食から2時間後、私はトイレに行った。
 とても鮮やかな黄色の美しい尿が出た。
 麺のかんすいの色だ。これで私の消化器官も泌尿器官も正常に働いていることが証明できた。

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