新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2018/01

私の札響感動史(18)♪「マンボ!」だって真剣、大汗だった岩城

WestsideSymphonic  大太鼓が好き!
 ラッパ隊も葉っぱ隊(古い!)もいない「シンフォニエッタ」のコンサートのあとの1年間(84年4月~85年3月)。
 この間に行った定期演奏会で印象に残っているのは10月の第252回と3月の257回。指揮はいずれも岩城宏之。

 いじわるでもなんでもなく、尾高忠明が振った回はなぜかあまり記憶に残っていない。

 第252回の1曲目は佐藤喜美の「どこかで」。
 ただこの曲の記憶を、私はどこかで失くしてしまったようで、編成の規模すらも覚えていない。

 2曲目はいまや大家(たいか)となった、若手のムローヴァをソリストに迎えてのパガニーニ。ここに書いたようにとても好感の持てる演奏だった。この写真の睨みつけるような目には好感を持てないけど。

 そして3曲目はショスタコーヴィチの交響曲第5番。岩城らしい引き締まった演奏。最後のティンパニと大太鼓が重なって強打する響きに、幸せなる呆然を体験した。

SSO252nd

  パフパフが好き!
 第257回は、1曲目が一柳慧、2曲目がブリテンのヴァイオリン・コンチェルトと、なかなか一般聴衆が喜ばなさそうなプログラム。私もちょっと苦痛だった(でもアンコールのバッハのパルティータは良かった)。

 しかし、後半のガーシュウィンの「パリのアメリカ人」、バーンスタインの「ウエスト・サイド・ストーリー」の「シンフォニック・ダンス」は心スイングってもの。

SSO257th

 「パリのアメリカ人」では自動車のクラクションが、ラッパホーン(パフパフホーン)によって再現される。ラッパに黒い球体のゴムの袋がついていて、そのゴムをつまむと「パフパフ」と鳴るやつだ。
 いにしえのことを言えば、『底抜け脱線ゲーム』で司会の金原二郎が鳴らしていたやつだ。

 私が小学生のころ、自転車にこれをつけていた。
 いや、電池式のハンドルのグリップ近くにあるスイッチを押すと「ピー、ピー」となるブザーを付けていたこともあったが、あれはすぐに電池がなくなってしまう。ブザーに連動して光る豆電球のパイロットランプ-これが光ることにいったい何の意味がるのだろう?-が、電池の消費に拍車をかけているのは明白だ。
 そんなわけで電池不要の人力ラッパ(あなたは『じんからっぱ』ではなく『じんりきらっぱ』と読むべきである)にしたのだが、これはなかなか強烈な音がする。
 静かな浦河の町を騒々しくしてすまなかった。

 この日の「パリのアメリカ人」で、クラクションが鳴るときに音がひっくり返らないかなあと、半ば心配、ちょいと期待していたのだが、ちゃんとひっくり返ってくれたりして、妙な喜びを感じた私。
 「ウエスト・サイド」も打楽器を中心に大活躍で、観ていて楽しいステージだった。
 ドラムセットやサックスなどがステージにいるということが、超法規的のように感じたものだ。

GershwinPrevin 岩城の指揮は-前にも書いたように-いつでも真剣勝負って感じなので、こういう曲のときにはしばしばぎこちない感じがして超ノリノリってものではないのだが、それでもいつものプログラムとはまた一味違った札響の魅力を堪能できた。

 そんなわけで、ガーシュウィン(George Gershwain 1898-1937 アメリカ)の「パリのアメリカ人(An American in Paris)」(1928)。

 アメリカ人の作曲者がパリを訪問した時の、この大都会に対する「すげぇ~」っていう驚きや楽しさ、そしてまた「こんな騒々しいところなんてイヤ。早く帰りたいよぅ」という郷愁が、ジャズの手法を用いて描かれている。
 
 曲中で使われるパフパフホーンは4種類。ガーシュウィンは実際に、これをパリで買い求めアメリカに持ち帰ったという。

 プレヴィン/ピッツバーグ交響楽団の演奏を。

 1984年録音。デッカ。

  誰かが再構成したものを作曲家が指揮者として取り上げるというのは最強認知
 ↑ 長くてすまん。

 もう1曲。
 バーンスタイン(Leonard Bernstein 1918-90 アメリカ)のミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー(West Side story)」(1957)の「シンフォニック・ダンス」(1961)。

 ここに書いたように、ミュージカルのなかからバーンスタインの監修のもとで管弦楽用に抜粋・編曲したものだが(誰の手によるのか私は知らない)、有名な「トゥ・ナイト」や「アメリカ」のメロディーは出てこない。

 こちらはバーンスタイン自身の指揮よるロス・アンジェルス・フィルの演奏を。

 1982年ライヴ録音。グラモフォン。

 私も今度、ウエストに行くことになったが、その話はまたの機会に。

じゃあ、苫小牧にメガネを作りに行くとするか♪サティ/官僚的なソナチナ

  ここも札幌駅
 いまだに正月のことを書いて、こいつまったく正月気分が抜けてないなと思われてしまうかもしれないが、抜けていないのでは決してなくて、私の場合は年がら年中正月気分でいるようなものなのだ。

 元日の北海道新聞に載っていた広告-って、広告だらけなんだけど-のなかに、珍しいことにJR貨物の全面広告が載っていた。

20170101JRkamotsu

 確かに貨物ターミナル駅のことを知っている人は多くないだろう。
 壮観だ。
 そしてまた、北海道から農産物などを大量輸送する手段として、JR貨物にはがんばってもらいたいものだ。

  JR貨物は被害者?
 「昭和解体」を読み終わった後、JRに関係する本をいくつか読んだ。

haishin

JR_Umare

Uragirareta

JR_Houkai

ShashouniSabakareru

 それらを読むと、国鉄時代の労使対立の構造はJRになっても変わっていらしい。
 JR北海道の体質はひどいものだが、どうやら北海道だけでなく東も西も実態はひどいらしい。

 貨物にしたって、国鉄時代に企業努力を怠ったためにトラック輸送へと客が流れた。

 そうそう、JR貨物はレールの使用料をJR旅客各社に払っているが、北海道の八雲付近で起こった貨物列車の脱線事故の場合、補償はどうしたのだろう。
 借り賃を払ったのにJR北海道のレール保守点検がいい加減だったために起こった事故だ。JR北海道はJR貨物に対して補償金をきちんと払ったのだろうか?

 これらの本を読んであらためて問題の深刻さを知り、なんともくら~い気分になった。

 でも、JRだけではなく、国のスタンスも(こと北海道、四国、九州のJRについていえば)悪い。
 鉄道路線を一度廃止してしまうと、再開なんて事実上ムリ。
 廃線にしないために行政がいかにかかわっていくかは、JRの甘えなんかじゃなく、必須のことだろう。

  列車運行に関しては日々正確な繰り返しが必要ですが
 サティ(Erik Satie 1866-1925)の「官僚的なソナチネ(Sonatine bureaucratique)」(1917)。

 3つの楽章からなるが、サティはここでピアノ教則本で有名なクレメンティの「6つの向上するソナチネ」Op.36(1797刊)の第1番ハ長調Op.36-1をパロっているのである。

SatieTakahashi 楽譜の行間にはある役人の1日の様子が書かれており、ピアノ練習曲のつまらなさと役人のつまらなさ(本人は気づいていないかもしれないが、融通の利かなさやかわりばえのしない型通りの仕事の繰り返し)を引っかけているのだろう。

 高橋悠治のピアノで。

 1979年録音。DENON。

 ところで毎年思うことだが、正月になるとなぜそれまで観たこともないようなテレビコマーシャルが流れるのだろう?
 いや、1年前と同じようなものもあるから、観たことがあるのかもしれない。けど、どう考えてもそのコマーシャルを見たからといって、私が何か動機付けされるものではない。

 たとえばこんな感じのメッセージが流れる(画像はたいていは静止画)。

 「あけましておめでとうございます。苫小牧、メガネの〇〇を本年もどうぞよろしくお願いいたします」

 「室蘭市〇〇町、〇〇写真館より新春のお慶びを申し上げます」

 「釧路市、〇〇薬局では今年も皆様のご健康をお祈りしております」

 どうして、こういう離れた街の店のCMが正月になると流れるのだろう?

彼ったら、ちゃっかり流行を追っちゃって……♪PIT/Sym4

TchaikovskyBernstein  出勤停止!
 彼とはオディール・ホッキーさんのことである。

 月曜日にインフルエンザ二枚貝型に罹ったことが判明した。
 もちろん鳥インフルエンザではなく、人さまが苦しめられる方である。

 また、同じ日に-オディールさんよりも先に報告があったのだが-女性社員の1人もインフルエンザに罹患した。

 一方、この日は叙勲受賞内定の電話連絡を待つかのように、開元さんはずっとスーツの上着を脱がずに席に座っていた。いつになく態度もつつましやかだ。

 が、いつになってもそんな電話は来ない。だいいち、そういう時期ではないし、それにも増して彼が叙勲を授かる理由は1つもない。
 いったい彼の胸のうちは、どないになっているんだろう?

  ここにいた方が暖かいから?
 私は勇気を奮って尋ねてみた。

 「開元さん、寒いの?」
 「はい」
 「もしかして風邪?」
 「なんかわからんけど、熱が37度ちょっとある」
 「…………。ご、後生だから、すぐに早退してくれ!」

 けど、彼は早退しなかった。
 上着を着て、ずっと席に座っているだけなら、帰って寝た方がいいかと思うが……
 そこに居れば居るだけ、周りにたちの悪い菌を放散することになるし。

  これは勇気づけの言葉だ
 また、開元さんに次いで私の近くに席のある女性社員は、驚くほどおっさんぽく執拗な咳をしていた。

 「風邪ひいたの?」
 「そうみたいです。でも病院に行ってないのでインフルエンザかどうかはわかりません。熱はないんですけど」
 「いや、あなたならインフルエンザのウイルスも逃げていくで……」

 しまった!一歩間違えばパワハラになる発言だ。

 彼女は、しかし、「ひどいこと言いますね」とだけ言って、力のない笑みを浮かべた。マスクをしていたので確認はできなかったが。
 体調が良くないせいで弱気になっていて、私としては助かった。スイマセン、特に意味はありません。冗談というべきものです。

 と、こんな状況の中にいたら、なんだか自分も寒気がするような気がしてきた。

  予防作戦展開
 そこで、帰宅途中に、スーパーでショウガと青ネギと長いも-川西長いもだ-を買い、しょうがをおろしてそれをなめ、長いもをすって青ネギをたっぷり入れ、惣菜の浜松餃子を食べた。甘酒も飲んだ。
 そのあと熱を測ると36.9度だった。

 きわどいが平熱だ。

 しかし寝る前にもう一度測ると36.6度。食事による対策効果が0.3レベルあったと考えられる。

TchaikoSym4-1Score そんなこととはほとんど関係なく、チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)の交響曲第4番ヘ短調Op.36(1877-78)。

 このあいだの日曜日の夜に「こんなとこにも一軒家」とかいう番組を観ていたら、なんでこんなところに一軒家が建ってるんだ?というところの家に住んでいるおじいさんが、大音響でこの曲を聴いていた。
 確かに、周りに誰も住んでいないのだから気兼ねなく大きな音を出すことができる。

 うらやましい(でも、そんなところには住みたくない)。

 テレビに映っている再生装置からは、この曲の冒頭の『運命の動機』が高らかに鳴っていた(掲載した楽譜はZEN-ONスコア。チャイコフスキーの場合、第4番冒頭の動機も第5番冒頭の動機も、同じく「運命の動機」と言われている。ベートーヴェンなら第5番冒頭の動機のことだけを指すので、チャイコの場合は紛らわしい)。

 何度もエリシュカ/札響の演奏を取り上げるわけにもいかないので、今日はバーンスタイン/ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏を。

 ここでも一度取り上げているが、バーンスタインの死の前年の1989年のライヴ。このころのバーンスタインの演奏はどれもこれも「音楽を味わう」ようなアプローチだ(テンポが遅くてオケがたいへんそう)。

 もちろん、オディール君は昨日も休み。人類のために今日も休んでもらわなきゃ困る。

あっちの運動も盛んだったのだろうか?♪WAM/K.613

  センセイの青春の書?
 中学生のときに通っていた学習塾。
 そこのメイン講師(主宰者)が住むアパートの一室に何度か遊びに行ったことがあるのだが、先生の愛読書の1つに「高校生無頼控」(芳谷圭児・小池一夫)というマンガがあった。

KoukouseiBrai1Cover

 学生運動に参加し、その後行方知れずになった兄を探すため、高校生のムラマサ君が九州から上京する。

KoukouseiBrai1BookLive

 ところがこの高校生、どこでどう学んだのか口達者で、知り合った女性とすぐに「やって」しまう。その上、あっちのテクもすごい。とにかくひっかけられたオンナというオンナ全員が「ム・ラ・マ・サ・く~~~ん」と叫び、彼に惚れてしまうのだ。

 中学生の私は、高校生になればこういうことができるようになるのか、「MU・U・SA・aaaaa~~N」と叫ばれるのかと、興奮しながらこっそり読んだものだった。
 しかし、高校生になってもそういうことはできなかった、世の女性に顧みられることのなかった私。

  村上春樹との類似性
 実際、学生運動世代(と、便宜上言わせてもらう)のワカモノが性に開放的だったかどうかは知らないが、最近電子書籍でこのマンガを購入して読んで思ったのは、こんなにうまくいくわけがないということと同時に、これって村上春樹に通じるものがあるってこと。

 氏の「1973年のピンボール」の最初の方にこういうくだりがある(写真は電子書籍版)。

1973BookLive

 やはり学生運動だ。

 ここに出てくる主人公も、すぐオンナと寝る。
 これに限らず、村上春樹の小説の主人公はすぐにやっちゃう。

 1949年生まれの村上春樹自身が学生運動世代なので、ずっとそういう感覚を持ち続けているということなのだろうか?

 簡単に受け入れる女性たちの姿は、「高校生無頼控」と村上作品の両者でとてもよく似ているのである。

 あの世代って、男も女も、そういう傾向にあったんでしょうか?

MozartVariations2  このタイトルの意味してるところは知りませんが
 モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の「『女ほどすばらしいものはない』による8つの変奏曲(8 Variationen uber ein Lied “Ein Weib ist das herrlichste Ding”)」ヘ長調K.613(1791)。

 ピアノ独奏のための作品で、テーマとなっている「女ほどすばらしいものはない」は、シカネーダーの「愚かな庭師」という劇のためにB.シャックもしくはX.F.ゲルルが作曲したものと考えられている。

 オールトのフォルテピアノで。

 2001年録音。ブリリアント・クラシックス。

 同じくすぐパンツを脱いじゃう「俺の空」(本宮ひろ志)の安田一平の場合は、エリート高校生で、安田財閥の跡取りとして花嫁探しの旅に出る。
 でも、この「ヤリヤリ旅行」もムラマサに影響を受けているような気がしないでもない。

オットセイはいないが犬はいるらしい♪ニコライの「女房たち」

  封印された2階への道
 先日札幌に行ったときに、かつて『シャンボール』があった建物の前を再び通ることがあった。

 今回は写真を撮ってきた。

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 『シャンボール』は階段を上がった2階にあったが、いまはその階段は実に巧妙に目隠しされており、通り過ぎる人はまさかそこに階段があると思わないだろう。

 いや、ジョージアを買おうとして、うっかり100円玉を落としてしまい、それがコロコロと自販機の裏側の方に逃げていくような非常事態が起こらない限り-しかもそうなると救いようがなくなる-、その暗黒の開口部自体に気づかないかもしれない。

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 これは、この名古屋某所の「ジ・エンド」ならぬ『エンデ』や『大名寿司』(ここは夜になると障害物が取り除かれ、なんの問題もなく営業しているのかもしれないが)のように、「あらあら、どうしたことなの?」という姿をさらしていない点では、かつて受験勉強もせずにピザトーストセットを食べに立ち寄っていた私にとっては、『シャンボール』の栄枯盛衰に心を痛めずに済まされている言えよう(栄や盛があったかどうかはしらないが)。

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  この店はセコンドとは全く関係ないのだろうか?
 昨年末に閉店した名曲喫茶の『ウィーン』
 その店主・横山氏は、札幌市教育委員会編の「さっぽろ文庫57 札幌と音楽」のなかで、昭和34年の開店当時のことについて、こう述べている。
 
 その頃、クラシック音楽喫茶といえば、「美松」ではセミプロみたいな人がクラシックを演奏していましたし、ほかには「セコンド」とか「シャトー」などが有名でした。

 私が『シャンボール』に時折立ち寄ったていったのは昭和50年代のことだ。

 『シャンボール』の1階も喫茶店だった。その店の入り口は『シャンボール』への階段の横にあった。『セコンド』である。横山氏が昭和34年当時には名曲喫茶として有名だったと言っているのと同じ名だ。

 『シャンボール』のマッチ箱。茶色の地に白抜きで店の名が書いてあったが、その反対の面は同じく茶色の地で白抜きで『セコンド』と書かれてあった。たぶん横山氏が言っている店と同じだろう。

 『セコンド』に入ったことはなかったが、しかし、私が知っている『セコンド』は軽食喫茶だったはずだ。なんせ、『セコンド』で作ったピザトーストやらカレーライスが、上の『シャンボール』に運ばれてくるのだから。名曲喫茶としての役割は『シャンボール』に譲ったのだろう。

 『シャンボール』はなくなってしまったが、1階の店はまだやっていた。
 しかし名前は『セコンド』ではない。前に書いたように『オットー』だ。

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 かつてサンヨーのオーディオブランドが『OTTO』だったが、それとは関係ないはずだ。店には犬がいるらしい。

FASCINATING ORCH PIECES ニコライ(Otto Nicolai 1810-1849 ドイツ)の歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち(Die lustigen Weiber von Windsor)」(1849初演)の序曲

 原作はシェイクスピア、台本はモーゼンタル。3幕からなるが、序曲以外はあまり聴かれることはない。

 ニコライは作曲家としてはこの歌劇だけで名を残しているといっても過言ではないが、指揮者としても活動し、ウィーン・フィル(の前身)の創設者でもある。

 その序曲が入っているCDを、私は1枚しか持っていない。
 それも(という書き方は失礼千万だが)小林研一郎/東京都交響楽団によるもの(「剣の舞/管弦楽名曲集」。録音年不明。DENON)。

 このCDは廃盤になったようだ。

 それにしても、喫茶店の入り口の真横に缶コーヒーの自販機とはねぇ……

 ところで年末のニュースで『ウィーン』の最終日の店内の様子が映し出された。
 びっしりと席が埋まり、その客たちが音楽に聴き入っている映像を見た妻が「不思議な世界……」と言った。
 私でさえも同じように感じた。

ホワイトチョコレートはお好き?吉松/白い風景

YoshimatsuMemoFlora  生臭くないから、私でもOK!
 『戻りの話』を先にしてしまったので、順序が逆になるが、今日は『行きの話』。

 旧齊藤、じゃなかった旧サイト-というか、一応はそっちが本館-の今日の記事でも触れているのだが、先週札幌に出張したときの話である。

 そちらの記事に書いたように、この日セントレアは年末年始の反動をモロに受けたかのようにすいていて(だが、不思議なことに空港までのミュースカイはそれなりに混んでいた)、9番搭乗口前のANA FESTAではいつもなら売り切れてしまっている『まぐろの漬け おにぎり』がまだ残っていて、飛行機に乗る前には食事をとらないようにしている私だが-万が一、腸内流動物急降下が起こってはたいへんなので-、朝食抜きだったのでこれを1個買って食べた。
 おにぎりはなかなか美味だった。

  客にとっては快適な搭乗率
 空港内がガラガラなのに飛行機の中は満杯ってことはあまり考えられないのだが、私が乗った新千歳空港行きは、やっぱりすいていた。
 そこで指定していた通路側の席から、「ただいま飛行機のドアが閉まりました」というアナウンスが流れるや否や、窓側席へと移動した。

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 この日は北陸や新潟、函館のあたりが大雪。
 雲で覆われ下が見えないところは「大雪、なう」なんだろうなと思うと、自分が大雪でべそをかきながら雪かきするときのことを思い出し、心を痛めた。

 飛行機が着陸する前も揺れることが予想されるとアナウンスがあったが、パイロットさんが巨大な綿あめみたいな雲々をうまく回避しながら飛んでくれたため、ほとんど揺れがなかった。

 この日は苫小牧側から空港に進入。
 苫小牧東部石油備蓄基地が見えると、「帰って来たぜ」って小林旭風の思いにかられる。

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  美しい模様
 ご存知の方も多いだろうが、風向きによっては内陸の長沼の方に回って逆側から侵入、着陸する。
 しかしこの日は大回りせずに、素直にそのまま苫小牧側から進入できたのだった。

 ところで、私はあまりホワイトチョコレートが好きではない。
 が、この美しさには見とれてしまう。

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 って、だまされたあなたはおバカさん。

 これは発電ソーラーパネルである。

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 この様子から、前の日か夜のうちにそこそこ雪が降ったと推察される。
 真っ白に覆われた箇所では、全然発電できていないんだろうな……

 吉松隆(Yoshimatsu,Takashi 1953-  東京)の「白い風景(White Landscape)」Op.47a(1991/改訂97)。

 フルートとチェロ、ハープ、弦楽合奏の作品で、3曲からなる。

 作曲者は自身のホームページで、この作品(Op.47の方)についてこう説明している。

 雪の風景によせる3つの楽器のための3つの幻想。
 1曲目は「雪占(ゆきうら)」、
  降る雪や風の様々な形によせて春を占う大気の歌。
 2曲目は「静雪(しずゆき)」、
  静かに積もりゆく雪によせて漂う優しい風の歌。
 3曲目は「雪消(ゆきぎえ)」、
  淡い光の中でとけて消えてゆく雪によせる夢の歌。

 1991年秋作曲。1991年11月2日、fl:太田嘉子、fg:太田茂、hp:中村由美子により富岡ホワイト美術館にて初演。op.47。

 バロウのフルート、プライスのチェロ、ウィルソンのハープ、藤岡幸夫/マンチェスター・カメラータの演奏で。

 1998年録音。シャンドス。

 そして、飛行機は無事着陸。

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 その後、札幌駅で若園課長と合流し取引先へと向かった。

 なお、翌日私はロイズのホワイトチョコレートを食べてしまったことを申し添えておく。

EhiteChoco

 ↑ これは正真正銘、ロイズのホワイトチョコである。

バックはイヤ。だって痛いから……♪ストラヴィンスキー/プリバウトキ

AsadaYuukirinrinShijyuukata  私の肩は②型
 浅田次郎の「勇気凜凜ルリの色 四十肩と恋愛」(講談社文庫)。

 ここに収められているエッセイの初出は、「週刊現代」1995年10月7日号~96年10月12日号での連載。

 このなかの『四十肩について』。

 氏(1951年生まれ)が44歳で四十肩になったときの話である。

 聞いた限りでは、激痛を伴う「ちょっとした動作」には多少の個人差があるらしい。大別すると、①手を上方に上げる②手を後ろに回す③掌(てのひら)もしくは肘をつく-の三種類である。

 私の場合は②である。
 ②で激痛が走り、目の前が黒ゴマが飛び交っているようになる。

 この②に関し、氏はこう書いている。

 この②の体位に変則バージョンがあることを近ごろ知った。車の運転は、右手を後方に回すことなど有りえないから、けっこう安心していられる。ところが先日、後方視界の悪い場所でバックを試みた。右手でハンドルを握ったまま、左手で助手席を掴み、体をグイと振り向けたら、ああっとそのままブッ倒れてしまった。なぜだッ、とよくよく考えてみれば、答えは簡単であった。腕は回さなかったが体の方が回ったのだから、腕を回したのと同じことなのであった。

 わかるぅぅぅぅぅぅ~!

 昨年五十肩になってしまい、越年までしてしまった私。

  バックモニター非装着車なもんで……
 ただし、私の場合、氏とは逆で、病んでいるのは左である。

 愛車レガシィの運転席の窓を開け、体を乗り出し後方を見ながらバックしようとしたら、ほれほれ肩に流れる100万ボルト!
 「光る光るトーシバ、走る走るトーシバ」って歌が、頭の中に流れましたね。

 これを無防備に最初にやってしまったのは新札幌アークシティの駐車場。

 大声を出すのはなんとかがまんしたが-屋内駐車場で男の叫び声が聞こえたと、大騒ぎにならずにすんだのだ-、ハアハアハアハアと、薄暗い4畳半部屋でへんなことをしているヒトみたいな、聞きようによって恍惚状態のような、声にならない息を吐きながらバック。

 助手席の妻が怪訝な顔をして私を見、曰く「おどけてるの?」

 って、「誰がいい年して運転中におどけてるっていうのっ?!オロロン、オロロン」である。

StravinskySrtBoulez ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky 1882-1971 ロシア→アメリカ)の「プリバウトキ(Pribaoutki。おどけた歌)」(1914)。

 男声独唱と8楽器(フルート、オーボエ(イングリッシュホルン持ち替え)、クラリネット、ファゴット、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)のための歌曲。

 詞はロシアの俗謡による。

 次の4曲からなる。

 1. コルニーロおじさん(Kornilo)
 2. ナターシュカ(暖炉)(Natachka)
 3. 連隊長(Le Colonel)
 4. おじいさんとうさぎ(Le Vieux et le lievre)

 シャーリー=カークのバリトンとアンサンブル・アンテルコンタンポランの演奏で。

 1980年録音。グラモフォン。

 その後もまだバックのときは痛みが走る。
 浅田流の後方確認の仕方は、私の習慣とは異なるのでできない。

足先以外は元気そのもの♪クープラン/第18組曲の第7曲

CouperinOrdreCompBaumont  成人の日の悲劇
 今日の午後の便で新千歳空港から名古屋へと戻る。

 「えっ?1週間前に戻ったんじゃなかったのか?『はたらくのりもの』の話は偽造だったのか?」と思ったあなたはあわてんぼうさん。

 実は12日の金曜日に札幌の取引先に用事があり、若園課長と出張したのである。

 どんな用事かというと、名古屋に本社があるA社とわが社は取引関係にあるが、わが社がA社に納めているある品物については、A社の本社ではなく札幌支社を窓口にすることになったので、その打合せである。

 その若園課長。気の毒なことに、成人の日に自宅で子どもにケリを入れられ足の指を負傷してしまった。

 家庭内暴力か?荒れる成人式?

 いや違う。たわむれていて踏まれたかなんかしたそうだ。
 そもそも若園課長の子どもは成人式にはほど遠いくらいまだ若い。まさに『子ども』なのだ。

  痛風患者のようにも見えるが……
 ではあるが、負傷の程度は重い。
 本人は骨折している気がすると信じ込んでいた。

 だが場所が超局部的なので、若園課長は元気にしか見えない。
 実際元気なのだ。

 8日はどこも休診だったので、9日になって病院に行った。
 夜になってその診断結果をメールで報告してくれた。

 それなりに優秀な町医者が、最新鋭かどうかはわからないレントゲン機器を駆使して下した結論は、強い打撲。幸いにも骨に異常はなかった。

 骨折はしていなかったものの、単なる打撲ではなく「強い打撲」なのだ。
 歩くのは当然のごとく不自由そうだ。

 クープラン(Francois Couperin 1668-1733 フランス)の「片足の不自由な元気者(Le gaillard boiteux)」。

 「クラヴサン曲集第3巻(Pieces de clavecin troisieme livre)」(1722出版)の「第18組曲(Ordre No.18」(全7曲)の第7曲。

 ボーモンのチェンバロで。

 1992年録音。ワーナー。

 そんな状態で札幌に行き、冬道を歩くなんて、さぞ大変だったと思うし、実際大変に見えた。。
 そんな状態でなくても冬道で転ぶ人だっているくらいだから(私のことだ)。

 以上のようないきさつから、本日再び新千歳空港(この空港にはヘンテコなニックネームがついてないくて何よりだと思う)から中部国際空港名古屋に向けて飛行機に乗るわけで、1週間前に新千歳空港でただ除雪車の写真を撮っただけで、そのあとずっと北海道に潜伏していたわけではない。

 念のためアリバイの証拠写真を載せておこう。

20170107MyuTicket

 けさも1週間前と同じく、夜のうちに降った雪が積もってしまっている。
 まずは雪かきしなければ……

 ※業務連絡:masaさん、こちらこそ本年もよろしくお願い申し上げます。

なにがあって彼は「切れてしまった」のか?♪GM8

Mahler08OzawaBSO   伊福部がベルリオーズを押しのけました
 もし「大好きな作曲家を3人挙げよ」と私が言われたら(言われたことはないけど)、いまならマーラー、ショスタコーヴィチ、伊福部昭と答える。

 この3人の中でずっと変わず不動の地位を気づいているのがマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)。

 私がクラシック音楽を聴き始め、マーラーを知ったそのときから、彼の音楽は私の日常生活にいつもまとわりついてきた。
 そういえば、むかし『ラーマ』というマーガリンがあったな。

 そんな大好きなマーラーだが、「じゃあ、マーラーの交響曲のなかでもいちばん苦手なのは?」と聞かれたら(聞かれたことはないけど)、私は第8番と答えるだろう。

  陰影がなければ名曲じゃない!
 「西村朗と吉松隆のクラシック大作曲家診断」(学研)で、日本を代表するこの2人の作曲家はこう話している。

Book Nishimura_Yoshimatsu 吉松 マーラーの8番《千人の交響曲》なんか、はじめから合唱とオケが全開で、そのまま終わりまで続くじゃない。逆に2番《復活》は最後の最後にちょっぴりしか合唱が出てこない。あれも、おかしなバランス感覚だよね。
 西村 あー、8番は苦手(苦笑)。8番は最初から最後までアーッって感動し続けている感じ。陰影がない、陰影が。7番のフィナーレからマーラーはおかしくなっている。あの瞬間から何かが切れたように思う。
 吉松 6番で切れたかな。
 西村 6番は陰。デモーニッシュかつ鬱病のよう。そして7番のフィナーレの異常な明るさ。突然の躁転(笑)。名作には影と光の中間の陰影があるべきだよ。

 -中略-
 吉松 ……それにしても、シベリウスとマーラーっていうのは1番、2番までは似たものがあったかもしれないけど、4番以降は決定的に対照的な作風になるよね。両者が会ったのは、シベリウスが最もコンパクトで内省的な4番、マーラーが最も大編成で誇大妄想的な8番を書いているときで、全然話が合わなくて最悪だったみたい。

 先日の記事で、マーラーの8番では沈んだ気持ちは回復しないと書いたが、この曲のワケのわからないハイテンションさは私の心を癒したり鼓舞したりはしてくれないのである。

 マーラーはこの曲について、

 宇宙が歌い始め、鳴り響く有様を想像して欲しい。もはや人間の声ではなく、惑星と太陽の回転なのである。

と述べたというが、これはもうほとんどおビョーキ。言ってる意味がよーわからん。
 
 その交響曲第8番変ホ長調「一千人の交響曲(Symphonie der Tausend)」(1906)。
 タイトルはもちろん通称。あまりに編成規模が大きく、演奏に1000人ほど必要なためにこう呼ばれるようになった(ちなみに、この70年ほど前にベルリオーズが理想としたオーケストラは467人で、これに360人の合唱団が加わるというものだった)。

 どうやれば1000人にもなるのか?
 これが、この曲の楽器編成と声楽の編成である(音楽之友社刊のフィルハーモニア版スコア)。

Mahler8Hensei


 今日は小澤征爾/ボストン響、ダングルウッド祝祭合唱団ほかの演奏を。

 ここに書いているように、あっさりしたもの。“なんとかなる”曲という小澤の言葉が、そのまま演奏に表れているような……

 1980年録音。デッカ。

  ハイなテンションはここまで
 あらためてマーラーの第7番以降の交響曲を見てみると、第7番-この曲はむかしから大好きである-は葬送行進曲から始まり、おセンチになったりしているうちにテンションが上がってきて終楽章ではこの上なくハイな状態になる。
 つまりこの曲でマーラーは、暗から明というよりも、鬱から“躁転”したのだ。

 続く第8番は出だしっから『躁』だ。第2部でしみじみと歌うところはあっても、『鬱』は忍び寄ってこない。

 第8番のあとに書かれたのは「大地の歌」。
 9という数字を付けると命を落としてしまうかもしれないというジンクスを避けて、番号を付けなかった連作歌曲ともいえるこの交響曲は6つの楽章からなるが、奇数楽章は酒ばっかり飲んでいてけっこうテンションが高い。
 しかし偶数楽章は(第4楽章はちょっと毛色が違うが)鬱っぽさの陰が現れる。
 いまは躁、そのあとは鬱ってな、躁鬱共存の音楽だ。

 そして第9番。先日書いたように、死の予感があると一般的に言われている。
 それが真実かどうかはともかく、少なくとも躁の音楽とは言えない。

 マーラーのテンションは第8番で頂点に達し、あとは下がっていったのだった。

raりるれrororoのRossini♪「ウィリアム・テル」序曲

ROKUTEN  ハレの日を台なしにした「はれのひ」
 年末年始は詐欺師たちも休むのかスパムメールの数も減る。

 減るがゼロにならない。しかし、あくどいという点では凝ったものはほとんど来ない。

 偽物ブランド品が明朗会計だとか、有料放送がこのカード1枚で永久にタダとかいうものばかりだ。もっともこれだって、騙された方にしてみればじゅうぶんにあくどいが。

 あくどい-これがなんでちゃんと『悪どい』って変換されないんだろうと思っていたら、『悪どい』と書くのは誤りなんだそうだ。『あくどい』の由来は『灰汁どい』、つまりアクが強いってことらしい。じゃあ『灰汁どい』って変換すればいいのに-といえば、まさかの成人式当時に店がもぬけの殻だった『はれのひ』はひどすぎる。

 これは全国民を敵に回したようなものだ。
 こういう非礼に私たちはひどく怒りを感じる。

 それにしても、ハレの日にとんずらとは、経営者もなかなかたいした根性の持ち主だ。いや、これっぽちの良心もないのだろう。
 今後、涙ながらに会見することがあっても-もちろん私ではなく、この会社の経営者が-、私は100%同情しないだろう。

  心配になっても禁クリック
 スパムメールに話を戻すと、こんなのが届いた。

 ラじゃなくてロ。
 あわて者のサザエさんなら、「あら、通販で買ったオーブントースターかしら」ってなぐあいに騙されるだろう。
 漢字で書けば「碌店」かどうかは知らないが、どっちにしろろくでもない店だ。

 そんなろくでもない店だが、親切な私は、ひとつお教えしておこう。
 18:00のときはPMってつけなくていいのよ。
 ついでに言うと、AM18:00っていうのはないのよ。
 こんどから気をつけましょうね。

  つながりは「ロ」だけだが……
 さて、今年はイタリア初期ロマン派歌劇の最大の作曲家ロッシーニ(Gioacchino Rossini 1792-1868 イタリア)の没後150年にあたる。

 ロッシーニの書いたオペラは、グランド・オペラと呼ばれるものではなく、歌手と歌唱のための娯楽用のオペラであるベル・カント・オペラであった。つまり、芸術性を聴衆に求めるものではなく、楽しけりゃそれでいいじゃないかってタイプのもので、非常に人気を得た。

 ベルリオーズは書いている(ハロルド・C・ショーンバーグ「大作曲家の生涯」亀井旭・玉木裕共訳(共同通信社)より)。

 イタリア人にとって音楽とは官能的な喜びであり、それ以上のものではない。精神の高貴な表現である音楽に対し、彼らは料理の仕方並みの敬意しか払わない。連中は、何も考えずまた注意を払わなくともすぐに消化できる、いってみればマカロニ料理のようなスコア(楽譜)を求めている。

 さすが文才もあったベルリオーズ。うまいことを言う。
 せめてスパゲティにしてほしいものですよね?

 ショーンバーグはこう続ける。

 ベル・カント・オペラの大半が型どおりの作品で、カヴァティーナ(訳注=歌詞の反復がない短いアリア)とカバレッタ(訳注=平易で簡潔な歌)に重点を置いて、大急ぎで作られた曲だった。テンポのゆっくりとした抒情的なカヴァティーナは歌手の腕の見せ所で、美しい音調、ニュアンス、色彩をいずれも表現しつつ、長いフレーズを歌いこなす能力を誇示するためのものだった。カヴァティーナのあとには速いテンポのカバレッタが続き、歌手たちの技巧はこの部分で発揮された。

 歌手たちの立場は作曲家よりも偉くなった。楽譜通りに歌わない歌手もいて、いま舞台で歌われているのが自分が書いた曲かわからなくなる作曲家もいたそうだ。

FrancaiseParay そのロッシーニの曲の中で、おそらくいちばん広く知られている歌劇「ウィリアム・テル(Guillaume Tell)」(1829)の序曲。

 この序曲は、夜明け/嵐/静けさ/終曲の4部からなっており、小さな交響曲を思わせる。

 パレー/デトロイト交響楽団の演奏を。

 1959年録音。マーキュリー。

 ロッシーニが「ウィリアム・テル」を完成させて上演されたとき、ロッシーニ・ブームは頂点に達した。
 しかし、ロッシーニはこのときに突如引退。
 亡くなるまでの39年もの間、書いた作品はほんの少しだけ。

 歌手のご機嫌取りに嫌気がさしたのか?

 ほかにも理由はあったようだが、それだけ十分に稼ぎ切ったからこそ隠居生活ができたのだ。

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