新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2017/12

酉の役目は本日限り。明日からは戌の世だ!♪ディーリアス/SQ

RecoGei201801  口?渇いてます
 私が『レコード芸術』の1月号を立ち読みしたのは23日のことだった。

 尋ねられてもいないのに詳細をご報告したように、イオンのなかにある《morimoto》にクリスマスケーキを、《日本一》に鶏の半身揚げを取りに行き、丸大のペパーポークまでついでに購入した際、書店でペラペラとページをめくり、「でも、ボク、いらない」と買わなかったのだ。

 しかし、その決意もゆるく『レコ芸』を買ってしまった。
 25日のことだ。

 「舌の根も乾かぬうちに、なんてやつだ」と私を非難するのは、しかし、間違いだ。
 2日もあれば舌だって根まで乾くってもんだ(特に口呼吸を続けた場合)。

  私を見つめる赤の後光のモーツァルト
 買ったのは新千歳空港ターミナルビルの書店。

 最初に1階の-JR新千歳空港駅からANA側の出発ロビーへと上がるエスカレーター(地下1階~1階)に乗った先にある-文教堂に寄った。

 このときは『レコ芸』を買う気はなかった。
 もう一度、パラパラと眺めてみようと思っただけだ。
 しかしこの書店には『レコ芸』がなかった。内心、ちょっぴりほっとした。あったら買わねばならない気持ちになっただろうからだ。

 そしてまたエスカレーター(1階~2階)に乗り出発ロビーで職場へのおみやげを買い、少しだけうろうろしていると-〇〇カードはお持ちですか?と2回声をかけられた-またまた文教堂の前にたどりついた。もちろん先ほどとは別の文教堂である。
 一応整理しておくと、文教堂は1階(到着ロビーではない、離れ小島のようになっているフロア)と、2階にあるのだ。ついでに言うと、2階のJAL側には紀伊国屋書店がある。

RecoGei201801Dokusha その2階の文教堂には『レコ芸』があった。
 しかも表紙をこちらに向けて置いてある。

 目が合った。ヴォルフィーと。

 「私をこのまま置いてきぼりにするつもり?」
 そう訴えられている気がした。

 なので買った。
 カバンが重くなるのに……

 しかし、買って良かったと思うことがある。

  ぼっち×3で衣付きチキンに舌鼓
 というのも、読者投稿欄『読者投書箱』に札幌市民を称える声が載っていたからである。
 いや、エリシュカの最後の公演に感動したという内容なのだが、なかなか読んでいて心温まるものだった。
 この人は絶対に善い人に違いないと思わざるを得ない。

 この日の夕方。
 千葉課長が「クリぼっちですか?」と聞いてきた。

 『クリぼっち』という言葉の意味を知らなかったが、クリスマスに独りぼっちのことだと教えてくれたので、すぐに実用化し「クリぼっちです」と私は答えた。

 さらに千葉課長の部下も『クリぼっち』であることが判明し、3人で麻婆豆腐と青菜炒め、そしてクリスマスといえばチキンということで鶏のから揚げを食べに、あの店に行った。
 中華でクリスマスも悪くなかった。

DeliusEdition  今日はしらさぎじゃなくつばめ
 いまだクリスマスのことを書いているが、今年も今日で終わり。トリ年からイヌ年になる。

 なんとなく象徴的に、ディーリアス(Frederick Delius 1862-1934 イギリス)の弦楽四重奏曲

 1916年に完成したが、翌17年にスケルツォ楽章を追加している。

 ディーリアスは楽譜の第3楽章に「Late Swallows」、つまり「去りゆくつばめ」と記している。

 フィッツウィリアム弦楽四重奏団の演奏を。
 1978年録音。デッカ。

 なお、この第3楽章はのちにディーリアスの弟子のフェンビーが弦楽合奏曲に編曲し、「去りゆくつばめ」とした。
 いまでは、フェンビー編のこの独立した楽曲の方が有名である。

 それではみなさん、よいお年をお迎えくださいますよう。

 では、お互いの気が向けば、また明日!

長靴をはいた人♪OEKのプロコフィエフ/Sym1

MussorgskyIwaki  すみやかに席を回しましょう
 火曜・水曜と北陸に行ってきた。
 取引先への暮れのご挨拶のためである。

 私が北陸に行くときはほとんどの場合、荒天である。
 しかし今回は、やっぱり荒天であった。

 名古屋から特急『しらさぎ』に乗り金沢へ向かう。
 毎度のことだが、米原で座席を反転させるときに妙な緊張が走る。

 米原から進行方向が逆になるので座席を回す。人間としてはそれが自然な行為なのだが、皆が皆そのことを認識していればコトはスムーズに進むものの(車内アナウンスもされるし)、必ずそのことを全く認識せずにどっしりと座りこんだままの人がなぜか私の座席の回転に影響を及ぼす範囲内にいて、「気づいてよ」「まさかこの人、席をそのままで乗り続けるつもりなんだろうか」「もしかして進行方向に対し後ろ向きに座るのが好きなの?」と不安になり、挙句の果てには「進む方向が変わりますので、席なんて回してみたりしません?」と言う羽目になるのである(それで「イヤ!」と言われたら、私はどうすればよいのだろう)。

  生姜焼きはメニューから消えていた
 それはそうと、金沢に近づくと先行する普通列車が遅れているということで、『しらさぎ』も少しだけ遅れた。普通列車の遅れの理由は落雷だという。どこに雷が落ちたのか知らないが、少なくとも電車を直撃したわけじゃないだろう。

 大阪から金沢入りした牛坂課長たちと合流し、昼食を食べるべく駅前のフォーラスに向かったが、フォーラスに行くには一度外に出なければならず、短距離ではあったが、雨というかみぞれに当たった。この立派な商業施設がなぜ駅と地下でつながっていないのか不思議である(金沢駅自体には地下フロアがないようだが、駅を出てすぐに地下に降りる階段があり、北鉄の駅や、石川県立音楽堂、駅前のホテル日航などにつながっている)。

 そして私たちは富金豚で定食を食べながら、これから向かうお取引先さまの状況について情報交換をし-熱いとんかつをほおばりながら打合せをするのはかなり困難を要した-、喫煙ブースで一服し-心無い人のせいか壁の一部が壊れていたが、壊れてからしばらく経っているようだった-、トイレに立ち寄ったあと、そのお取引先に向かった。

  ウルトラホーク1号のように3分割
 「今年もお世話になりました」「いやいや、こちらこそ」「どうですか業績は?」「なかなかたいへんです」「では来年もよろしくお願いします」と、かいつまんでいえばこんなやりとりをし、そのあとわれわれ一行は3班に分かれた。

 第1班は名古屋帰還組。班といっても1人である。
 第2班は金沢市内のほかのお取引先回りをする、金沢班。
 第3班は富山のお取引さまのところへ向かう、またの名を『富の山探索隊』。私はこの第3班である。メンバーはほかに伏草課長と丸針係長だ。車で富山に向かう。

 富山は金沢以上に天気が悪かった。
 いや、風はない。しかし空から垂直に雪が落ちてきていた。

 市内の取引先に伺ったあと、あのAPAホテルらしくない造りのアパホテルにチェックインし、そのあと先ほどのお取引先さまと食事をともにした。

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 翌朝。

 「へぇ、体重90kgの人ってエコぉ~!」と感心しながらシャワーを浴びる。

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 ここでわれら『富の山探索隊』は分裂する。
 私は名古屋帰還組。伏草課長と丸針係長は北陸挨拶巡りの旅である。

  私の革靴はちょっぴりビチョビチョ
 ホテルの窓から見たところ、北海道とはまた微妙にちがう冬景色。しかし、冬靴ではないので転ばない決意表明を独りでし、出発。

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 駅に向かって歩き始めると、まあ、なんと道がびちゃびちゃなことでしょう!
 北海道の雪道とは違うのだ。北海道ならアイスバーンになっているところだ。

 そして、通勤の人も通学の人も、やたらと長靴率が高い。これだけびちゃびちゃなら無理もない。長靴通勤・通学は実に実用的・合理的だ。
 私も長靴を履いてびちゃびちゃの歩道をびちゃびちゃ音をたてて歩いてみたい。そういう欲求にかられた。

 駅のあたりを観光客のように写真撮りしたあと、北陸新幹線で金沢へ。さらに金沢から名古屋へと『しらさぎ』に乗り換える。

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 『しらさぎ』の発車時刻まで時間があるので、一度改札を出る。

 名古屋に着くのは13時ちょっと前。
 『しらさぎ』は米原でいっきにガラガラになるので-多くの人が新幹線に乗り換える-、隣の席に人がいたとしてもきっと降りるだろうと予想。だったらシャイな私でも車内で昼ごはんを食べることができると、駅弁の品定め。

  いちばんうれしかったのは赤いウインナーかも
 私好みの幕の内弁当系にした。『幕の内弁当』ズバリそのものの名の駅弁があるはずなのだが、見当たらなかった。ちょっぴり悲しい気分で、代替案として『加賀彩々』というのを購入。

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 まあまあ満足のゆく弁当だった。

 石川県立音楽堂をフランチャイズ・ホールとするオーケストラ・アンサンブル金沢の演奏で(指揮は岩城宏之)、プロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)の交響曲第1番ニ長調Op.25古典(Classical)」(1916-17)を。

 作品についてはこちらをご覧いただきたいが、個人的にはこういうスタイルの交響曲をプロコフィエフがもう何曲か残してくれたら楽しかったのに、と思っている。

 2003年録音。ワーナー。

 あっ、そういえば火曜日のミニロトもはずれていたので、やはり私は《富の山》に縁がないようだ。
 
 だって、富金にも富山にも行ったんですよ……

親切をありがとう。でも負担、増しますよね?♪細川俊夫/さくら

Hosokawa  個人の番号が知れるのも恐れない必死さ
 2週間ほど前のことだが、0120から始まる電話番号から着信があった。
 その着信に気づかないでいたのだが、その数十分後には070から始まる電話番号からショートメールが届いた。

 「重要なご案内がありますのでこちらへお電話をお願いします」と書かれていた。

 相手は保険の相談窓口-『保険の窓口』とか『保険市場』といったところ-だった。

 かつてそこに相談しに行って保険を見直したことがある。
 だからこそ私の電話番号を知っていたわけだが、それにしても個人のスマホからショートメールを送って来るとは、ある意味たいしたものだ。

 電話をしてみると、私の誕生日が近づいているのでいま加入している医療保険の見直しのチャンスだという。

 私にとってどういうチャンスなのかというと、私が入っている医療保険はいまなら問題ないが、この先20年後、30年後になって高度医療による治療を受けるようになると、高度医療には適用されないので見直した方がよいと言う。

  状況は180度変わった?
 しかし-今回の担当者とは違ったが-この医療保険に入ったときにアドバイスされたのは、北海道では高度医療治療をできる病院は数えるほどしかないので、その特約をつける必要はないというものだった。

 あれから10年ちょっと経っているとはいえ、あのとき無駄になると言っていたことと反対のことをお勧めしてきたのだ。

 しかも、私の医療保険は65歳で払い済みになりあとは一生保障が続く。
 ここで切り替えれば保険料を払う年数が延びるうえに、間違いなく保険料も上がるだろう。そうでなければ、ボランティアじゃあるまいし、保険の見直しを勧めてくるはずがない。

 そしてまた、20年後はともかく、30年後の私なんて高度医療なんて高尚な治療など全く必要のない、単なる老弱で寝たきりになっているか、もう死んでいるだろう。

 細川俊夫(Hosokawa Toshio 1955-  広島)の「さくら-オットー・トーメック博士の80歳の誕生日に(Sakura - for the 80th birthday of Dr.Otto Tomek)」(2008)。

 笙のための作品で、日本古謡「さくらさくら」を素材にしているそうだが、「さくらさくら」のメロディーが姿を現すことはない。どうしたことざんしょ?

 宮田まゆみの笙による録音がある。

 2009年録音。ECM。

 この博士は(誰なんでしょう?)は、いまもお元気なんでしょう。きっと。

  勧誘電話はカード本体の契約にも悪影響を及ぼしかねない
 そんなわけで見直すのは無駄だ。どう考えても見直すだけ無駄だ。

 この保険相談の会社(単独の保険会社ではなく、いろいろな保険会社の総合窓口になっている)には、ニッセイから切り替えるときに相談にのってもらったので感謝しているものの、お断りした。

 ここには全然ハラはたたなかったが-むしろ「お疲れさまです」とねぎらってあげたいくらいだ-、迷惑なのがクレジットカード会社からしばしばかかってくる保険の勧誘だ。

 JCBだのセゾンだのから保険の勧誘が来るが、これは迷惑だ。
 「今度電話してきたら、カード自体を解約しますよ」と言いたくなる。

 そう思っていながらも、いつも言えないでいるけど……

 さて、本日で年内の業務終了。
 夕方の『北海道の翼』で北海道へ帰らさせていただきます。

 みなさんは『プレ金』ですてきな時間をお過ごし……って人いるのかね?

私の札響感動史(16)♪若き尾高の最良の演奏の1つ、シベリウスの1番

Bruckner0Sapporo  正指揮者・尾高忠明デビュー
 前回でようやく尾高忠明が札響の正指揮者に就任したところまで話が進んだ(書いている私自身、進んでいる実感がないが)。1981年8月のことである。

 正指揮者になって最初の定期演奏会が10月の第219回定期。

 曲はハイドンの第88番と三善晃の「ノエシス」、そしてドヴォルザークの交響曲第8番であった。
 あらあら888……。

 ただ、この日の演奏で何か印象に残ったことは?となると、正直なところない。

 少しは変化があったのだろうが、片山氏の指摘している点がまだ解消されていなかったんじゃないかと思う(私にとって物足りないのは、特に“解釈が穏健”という点)。

 「さっぽろ文庫57 札幌と音楽」(札幌市教育委員会編)には、

 岩城はフランス、アメリカなどの現代物、尾高は地味にオーケストラの訓練に適した曲と選曲を分け合った。尾高はハイドン交響曲シリーズを行い、札響の質的向上に尽力した。

とあるが、この日(第219回)のプログラムはともかく、この役割分担は尾高がちょっと気の毒に思えてくる。

 第218回定期から始まったそのハイドン交響曲シリーズ。取り上げられた作品は次のとおりである。

 第218回(1981. 9.29 岩城) 第82番「熊」
 第219回(1981.10.19 尾高) 第88番「V字」
 第220回(1981.11.20 大町陽一郎) 第104番「ロンドン」
 第221回(1981.12.14 尾高) 第48番「マリア・テレジア」
 第222回(1982. 1.21 外山雄三) 第103番「太鼓連打」
 第223回(1982. 2.16 G.デボス) 第101番「時計」
 第224回(1982. 3.16 尾高) 第85番「王妃」
 第225回(1982. 4.26 A.エレーデ) 第93番
 第226回(1982. 5.21 朝比奈隆) 第2番
 第227回(1982. 6.17 岩城) チェンバロ協奏曲、ブラームス/ハイドン・バリエーション
 第228回(1982. 7. 7 尾高) 第96番「奇蹟」
 第229回(1982. 9. 6 岩城) 協奏交響曲
 第230回(1982.10. 6 F.ヴェルニッツィ) 第87番
 第231回(1982.11.17 尾高) 第1番

 ここでシリーズは終わる。
 14回にも、というか、14回だけでというか、このシリーズはさりげなく終わった。
 取り上げられた作品がどういう基準で選ばれたのかもよくわからなかった。

 そして、交響曲シリーズっていっても、最初の82番だけで、あとはコンチェルトなんかを取り上げている岩城はズルくない?いまになって、私はそう感じている。

 このなかで、朝比奈が第2番を振った第226回定期のライヴ録音はCD化されている。
 当日のメインプログラム、ブルックナーの交響曲第0番とのカップリングである。

SSO224th  パワフルなプロコととても抒情的なシベリウス
 さて、尾高の指揮する定期演奏会で、私が最初に「尾高はいい!」と思ったのが、82年3月の第224回定期。

 申し訳ないが、肝心の「王妃」の記憶はない。

 しかし、中村紘子をソリストに迎えて演奏されたプロコフィエフの第2番のコンチェルトが力演。
 「中村紘子ってこんなに厳しい演奏をすることもあるんだ」と意外な発見(聴いてるだけでこの曲がピアニストにとって難曲なのもわかる)。
 それに絡むオーケストラも、重量感あるサウンドを聴かせてくれた。
 滅多に演奏されないプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番が聴けたことは、いま思っても幸せだった。

 そしてメインのシベリウスの1番がこれまたすばらしかった。

 札響のサウンドはシベリウスに合っているとしばしば言われるが、尾高がこの日札響から引き出したサウンドも凍てつく空気を感じさせるもの。そして、非常に透明な美しさをもった情感豊かな音楽を聴かせてくれた。

 この日の模様はあとで(確か)NHK-FMで放送され(まだAIR-Gの定期番組「札響アワー」は始まっていなかったはずだ)、それをエアチェックしたが、このシベリウスの第1番は私が知っている演奏(録音)のなかでは最高と言えるものだった(その思いは今でも変わっていないが、あのテープはもう手元にない)。

古都に鳴り渡る演歌の声♪チャイコフスキー/フィレンツェの思い出

TchaikoSQ  傷ついた僕
 チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)の弦楽六重奏曲ニ短調Op.70フィレンツェの思い出(Souvenir de Florence)」(1887-90/改訂'91-92)。

 チャイコフスキーが書いたバレエの1つ「眠れる森の美女」。
 このバレエは1890年にペテルブルクのマリーンスキー劇場で初演されたが、不評に終わってしまった。

 心を傷つけられたチャイコフスキーはイタリアのフィレンツェへ行った。傷心旅行ってわけだ。

  立ち直った僕
 そのときの旅の思い出を、チャイコフスキーは帰国してから弦楽六重奏曲の形で残したのだった。
 この曲を聴く限り、チャイコフスキーはフィレンツェ旅行で立ち直ったようだ。

 先日、こんな光景を目にしたにした。

20171202Firenze

 フィレンツェ。
 英語ではフローレンス(Florence)。
 調べたところ、イタリア語ではFirenze。
 Frencheってどこ語ですの?
 でも、郵便受けが笑顔っぽくてかわいいですね。

 さて、音楽作品の方だが、私が持っているのはケラー四重奏団にヴィオラのカシュカシアンとチェロのペレニイが加わったメンバーによる演奏のCD(1993-94録音。エラート)。

 しかし現在は入手困難な状態。
 でも、心配はいらない。このディスクが最高ってわけじゃなくて、たまたま私が聴いているのがこれってだけの話だ。

  強引すぎる訴え
 ついでに、街で見かけて撮ったもう1枚。

20171202Ningyo

 なぜ、強引に《美》をつける?

ご教示も何も、あなたはご存知のようですが♪WAM/カノンK.508

a  粘りに関する記事を粘り強く追跡する人
 おとといの『元気の時間』(TBS系)のなかで、肝臓を守る食品の一つとしてレンコンが紹介されていた。

 レンコンに含まれるムチン(あの粘り気である)が胃壁を保護してアルコールの吸収を穏やかにするので肝臓への負担が減る、ということである。

 先日の記事で私は長いもを取り上げ、そこでムチンが男性の更年期障害に良いという話を書いたが、長いもやオクラ、レンコンといった植物に含まれるムチンは、《一般的》に体に良いと言われている。

 そのときの私の記事に長文のコメントが寄せられた。

 〇〇〇〇という、凝ったというかヘンテコな名前の会社の人物からだが、ここに載せたように、要するにムチンというのは動物性の物質であって植物性というのは間違いであり、われわれはその間違った情報を正すため、汝が長いものムチンと言っている根拠を示せ、ということなのだ。

 このコメントが届いたとき、私は実に科学的に世の中のために貢献している企業かと思った。いや、実際、そういうきちんとした会社なのかもしれない。

 しかしネットでいろいろ調べてくると、《ムチン》について触れているいくつかのブログに、まったく同じコメントが投げ込まれていることがわかった。

 なかにはそのコメントにきちんと答えているブロガーさんもいる。その多くは、TVや本で紹介されていたことを書いたまでで、科学的なことまではわからないという、しごくまっとうな答えだった。
 だが、このコメント氏はその返事に対しては深追いしていない。「回答ありがとうございました」もない。ご教示を願っておいて、その後は放置プレイなのである。

 私も最初は、出典元のwebページのいくつかを紹介しつつ、正直かつ丁寧な回答コメントをアップしようと考えたのだが、やっぱりやめた。

 というのも、この人自体が[補説]として、“オクラや山芋などに含まれるぬめり成分もムチンと呼ばれることがある”ってことを紹介しているからだ。ご教示も何も、ちゃんとわかっているわけだ。

 それよりなにより、コメントにもかかわらず会社名に住所、携帯の電話番号まで載せているということは、これって自社のPRなんじゃないかと思えてきたのだ。

 もしかすると純粋な研究に基づき、国民の健康を願う会社なのかもしれない。

MozartCanon  言っちゃあ悪いが……
 モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のカノン「すべての友の健康のために(Auf das Wohl aller Freunde)」K.508(1786)。

 3声のカノンで、ヘルテルによる歌詞もある。

 マット/ヨーロッパ室内合唱団の演奏を。

 2002年録音。ブリリアント・クラシックス。

  でも、このコメント文の体裁って見れば見るほど、スパムメールに似ている。とっても。

 この会社を検索してみた限りではヘンテコなところではなさそうだが、ふつうの会社かどうかというとちょっとハテナな感じだし、私にはなんとも判断できなかった。

 そんなわけで、いただいたコメントは公開しないし、返信もしないことにしたし、コメント受付拒否に登録させていただいた。悪しからずご了承願いたい。

 私は今日、北陸に出張してくる。
 泊りである。
 夜は、たぶん、ムチンは摂取しないだろう。

X'masだがツリーではなくヤドリギの話♪ファリャ/恋は魔術師

Shanshan  すぐに崩れた顔
 今日は正真正銘のクリスマスである。

 そのこととかなり時勢的に話は乖離しているが、先日は会議のあとに懇親会があり、お座敷での宴会料理でありがちなことだが、皆がみな流浪の民のように移動し始め、まさか自分の皿と箸をもって動き回るわけにいかないので、必然的に飲んでばかりで、終わったときには「ほとんどなんにも食べてない」という飢餓の人。
 このままでは行き倒れてしまうと、そのあと数人で目に入った『香香厨房(しゃんしゃんちゅうぼう)』という中華料理店に寄った。

 ふつうのチャーハンを頼もうとしたら、お店のお嬢さんが「いまはこちらがお勧めです」とかなり自信をもって進めてくるので、その『香香炒飯』を注文した。

 テーブルに運ばれてきたシャンシャンはかわいらしかった。
 しかし、空腹な酔っぱらいたちによって瞬時にして元の顔を失ってしまった。
 ごめんね、シャンシャン。

  どこか違った味
 ところで、今回自宅で過ごしたとき、一度、マルちゃんワンタンメン『激めん』を食べた。
 いまでは北海道限定販売ではないが、名古屋のスーパーではレギュラーサイズは見かけない

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 「メンマ」という独立した表示は何の意図があるのだろう?という疑問はともかく、お湯を入れると……
 う~ん、かぐわしい。

 あらためて見ると、こんなに緑色に乏しいもんなんだぁ。

IMGP2047

 食べると……(今回は)おいしい!というよりは、ほのかに懐かしいという感覚だけ。
 名古屋のマンションの一室でミニサイズを食べたときはもっとおいしく感じたのに、満足度は高くなかった。食べたあと少しもたれたし……

 なお、こういう一般レベルのカップラーメンではないが、カップ麺でいまいちばん完成度が高いと思うのは、マルちゃん正麺のカップタイプである。

  木に寄生する木
 いろいろ話がとんで申し訳ないような気はあまりしていないが、先週の前半に伊勢に行って来た。
 取引先への年末挨拶のためである。

 伊勢神宮を参拝する時間はなかったが、近くに行ったので五十鈴川の水面を眺めてきた。

20171218Ise1

 向こう岸にあった木。
 この木の枝には、ぼんぼりのようなものがいくつかついている。

20171218Ise2

 こういう様子は気をつけてみると珍しくはないのだが、意外と見過ごしているものだ。
 これはヤドリギである。
 木の枝に寄生する植物だ。
 珍しくはないと言いつつも、珍しくそのタマタマの写真を撮ったので載せておく。
 これに丸く電飾したらいかがなもんでしょう?

FallaThreeDutoit  乱れる音楽界
 そんなこんなでクリスマスではあるが、そんなこととは関係なく、クラシック界でいま時の人となっているデュトワの録音から、ファリャ(Manuel de Falla 186-1946 スペイン)のバレエ「恋は魔術師(El amor brujo)」(1914-15/改訂'15-16)なんぞを。

 死んだ男が、幽霊となってモトカノの恋の邪魔をするって話だが、大御所が立場を利用してチュッチュッ、ナデナデするなんて、この幽霊よりもたちが悪いかも。

 デュトワ/モントリオール交響楽団、トーランジョー(S)の演奏で。

 1981年録音。ロンドン(デッカ)。

 ソプラノ歌手のトーランジョーがデュトワからセクハラ被害に遭ったかどうか、私は知らない。
 そもそも、トーランジョーがおいくつで、どんな姿の人かも、私は知らない。

  元気だけど、それが?
 昨日は、行きつけの床屋に行って髪を切ってきた。
 今年の汚れ(ではないが)、今年のうちに!ってことで、すっきりしてきた。

 年賀状も出した。
 コメントで「お元気ですか?」と書くたびに思う。
 元気じゃなきゃそもそも私からの年賀状を読まないだろう。そこまで元気が失われていなくても、わざわざ「元気じゃないですよ」と言ってくる人はいない。
 元気だったら、それはそれでたいへん喜ばしいことであるが、「元気です」と言ってくる人も、やっぱりいないだろう。その相手から年賀状が届けば元気ってことだろうから、「元気ですか?」と書くこと自体ナンセンスだともいえる。

 ってなことを思いながらも、何人かの人に「元気ですか?」と書いてしまった。

 それにしても年ごとに届く喪中はがきの数は増える一方だ。
 年賀状をやり取りしている相手その人ではなく、親がバッタバタ逝く世代に私たちはなったというわけだ。

 年賀はがきを何枚買うか、年々“《読み》が難しくなってきている。

イオンの損失を未然に防いだ私♪シュッツ/クリスマス・オラトリオ

20171223XmasCake  違うの!もっと大きいやつなの
 昨日は10時過ぎにイオンに行き、全国のイオンでお見かけする『日本一』に予約していた鶏の半身揚げとフライドチキンを受け取り、さらにmorimotoに予約しいたケーキも受け取った。

 チキンは妻が受け取りに行ったが、どこかのおばあさんが串焼きを買っているところで、それは当たり前の光景なのだが、あれを頼んだと思いきや、それをやめてあっちにし、これを3本頼んだと思ったらやっぱり2本にして別なのに替えるという、店員泣かせ-実際、お兄さんは涙ぐんでたといううわさもある-の要領を得ない迷いing注文で、そのおかげでずいぶん待たされたという。

 一方私は、予約票を握りしめ、引換所のお姉さんに渡したが、6号を予約したのに5号の箱を持ってきて、もし彼女が気づかなければ心を鬼にして「イチゴー足りなぁ~い」と言わねばならないと覚悟を決めたが、幸いなことに彼女は己の間違いに気づいてくれ、無事緑の箱ではなく、赤い箱のケーキを手渡された。

 なお、私はバタークリームが好きなので、今回のケーキもチョコ味ではあるがバタークリームのものにした(なぜ、プレーンのバタークリームのケーキはラインナップされないのだろう。売れないからだな、きっと)。

Tchaikovsky5EliskaSSO  幸い私の感性は偏っていなようだ 
 それをいったん車に積み込みに行き、そのあと富士メガネにフレームの調整をしてもらい、ピシッと決まったあと書店に行った。

 『レコード芸術』の1月号が並んでいた。
 北海道では店頭に並ぶのが本州より2~3日遅れるのだ。

 エリシュカ/札響のチャイコフスキーの5番が、『特選盤』に選ばれていた。

 批評家のいうことなんてまったく気にしない、という性格ではない私なので、自分の耳がまだロバの耳になっておらず、きちんと良いものを判断できる-少なくともとらえ方が著しく異なっていない-ことがわかり一安心した。

 例年、レコ芸の1月号は買っている。『レコードイヤーブック』が付録になっているからだ。
 しかし、今年はあまりCDを買わなかったし、今後もCDを増やすことはないと思うので、こういう過去の録音のデータブックももう要らないな、と買うのをやめた。

  北海道限定なのだろうか?
 そのあと食品売り場に行く。

20171223ArabikiPork1 名古屋のスーパーでは見つけられないボロニアソーセージの『あらびきペパー』があったので、迷わず、でも妻の目を盗んでこっそりカゴに入れる。

 このソーセージは私の大好物なのだ。どんなに体調が悪くて食欲がなくても、あるいは重度の吐き気に襲われていようとも、これを2mm厚くらいに切りフライパンで焼くと、これだけでもりもりご飯を食べられる、なんてことはまったくないが、好きなのである。

 いくら妻がハムソーは添加物が多いからとちょっぴり怖い顔をしても、おいしいものはおいしい。この主張は曲げられない。

20171223ArabikiPork2 だいいち、ハムやソーセージはヨーロッパで昔から今に至るまで作られ続けている伝統的な食べ物だ。体に悪いと言っても、食用禁止候補になるほど悪いはずがない。

 ウィンナーも製法的にはボロニアソーセージの仲間だが、このペパーちゃんとウィンナーの2袋パックとは価格に大差がない。となると、断然私はペッパーをとる(と、宇野功芳風)。

  お客さん、いまなら丸ごとの方が断然お得ですよ
 そのあと総菜コーナーに行くと、なんと鶏の丸焼きが400円ちょっとで売られていた。

 安い!安すぎる!
 だが、すでに『日本一』のチキンが車の中で芳香を放ち、充満している。

 おや?この丸焼きの半身も売られているが、その値段は700円ほど。

 これは妙だ。

 半分に切るのが手間だから高いのか?丸ごとだと手間いらずで、持ってけドロボーってことなのか?

 いやいや、そんなことはあるまい。
 豆腐だって、新巻鮭だって、太巻きだって、ビールだって、絨毯だって、フルサイズがハーフサイズの半額ってことはない。

 たまたま近くで品出ししていたパートさん-いや、醸し出す雰囲気だけでそう判断してはならない。正社員かもしれない-に、お節介にも私は言った。

 「こちらの半身の方が、一羽よりも値段が高いのですか?」

 ほぅれ。なんという謙虚で人を傷つけまいとする言い方だろう!「おばちゃん、この半分の200円の間違いじゃないの?」なんてことは決して言わないのだ。

 そのパートさん(仮定)は「あらっ!違います。間違ってます。これは1400円です。ありがとうございます。まあまあ」と私に感謝の辞を述べ、並んでいた5羽分、5パックを慌ててバックヤードに引き上げた。

 もし、これがすべて売れればイオンとしては5000円の損だ。
 あのパートさんが値札をつけたわけじゃないので彼女に罪はない。が、彼女の1日の稼ぎ分に匹敵するぐらいの損失を出すところだったのだ。

 私が悪意ある人間だったら、「しめしめ、間違っているな」と5パック買い占めて-それは塩味だったが、醤油味の丸焼きには1400円のシールが貼られていることをその直後に知ったのだった-冷凍保存するにも冷蔵庫には入らないから、庭の雪の中に埋めて雪解けまで冷凍保存でもするところだったが、イオンはある貴紳によって救われたのだ。

20171223Tonpei  私は勝負はしないけど
 そのあと別なスーパーに行き、チルド品のコーナーを見ていると、にわかに昼はラーメンが食べたくなり、いろいろ並んでいるなかから帯広の『とん平』のを選んだ。

 この店には一度行ったことがある。帯広に住んでいたときのことだ。
 場所は西2条南2丁目。なかなか混んでいる店である。
 『とん平』というからには『かつ平』と同じように『三平』の血を受け継いでいるのだろうか?

 そのときの味の記憶は定かでないが、この日作った『中華そば醤油味』は魚のだしが強いあっさり系。私にはあっさりしすぎの感があるが、なかなかおいしかった。

SchutzChristmasOratorio そんなこんなで、昨日のイヴイヴのうちにチキンもケーキも食べてしまったのだが(ラーメンのだけど)、クリスマスらしくシュッツ(Heinrich Schutz 1585-1672 ドイツ)の「クリスマス・オラトリオ-神とマリアの子なるイエス・キリストの喜ばしく恩寵ゆたかな生誕の物語(Weihnachts Oratorium-Historia, der freuden- und gnadenreichen Geburth Gottes und Marien Sohnes, Jesu Christi)」SWV.435(1660初演)。

 ソプラノ、3アルト、3テノール、4バス、合唱と器楽のための作品。

 ベルニウス/ムジカ・フィアタ・ケルン、シュトゥットガルト室内合唱団ほかの演奏で。

 1990年録音。ソニークラシカル(VIVARTE)。

素顔じゃないので素直になれるんです♪ハチャトゥリアン/仮面舞踏会

MasquaredeSuite  先週のニュースから
 NHKだったと思うが、お見合いパーティーというのか出会いパーティーというのか、とにかくカップル志願の人たちが集まる場で、みんな仮面をかぶっているのをやっていた。

 仮面婚活パーティーとかいうんだそうだ。

 仮面といっても、セーラームーンや鬼太郎のお面をかぶるのではない。
 本物の仮面である。ご興味がおありならご購入をご検討してみてはいかが?仮装舞踏会用の仮面を。ふふふ。
 あっ、もう今年のクリスマス・パーティーには間に合わないか……

 仮面婚活パーティーは、なんでもたいそうカップル成立の率が高いらしい。
 素顔じゃないので自然のままで話しやすいとかなんと……

 けど仮面をとったら犬神家の一族のスケキヨみたいだったりしたらどーするんだろ?
 まったく関係ない身ながら、少々心配である。

 そのニュースでは、背後にハチャトゥリアン(Aram Ilyich Khachaturian 1903-78 ソヴィエト)の組曲「仮面舞踏会(Masquerade)」の第1曲が使われていた。

 「ワルツ」「夜想曲」「マズルカ」「ロマンス」「ギャロップ」の5曲からなる組曲「仮面舞踏会」は同名の劇付随音楽(1941)から1943年に編曲されたもの。

 このときも使われていた第1曲「ワルツ」は、浅田真央が演技で使ったことで(もう9年も前の話だ)一時期はプチ流行した(だからこそ、ニュースでも使うことを思いついたのだろう)。

 録音は古くなったが、この曲の決定盤となるとコンドラシン/RCAビクター交響楽団の演奏だろう。
 だからこそ、技術陣も古い音源をなんとか劣化させない状態でよみがえらせるべく、XRCDだ、SACDだと努力しているのだろう。

 1958年録音。ビクター。

   先週のバラエティーから
 金曜日の夜だったと思うが、たまたまつけていたテレビで鹿沼えり(絵里)という声が!

 あぁ、あの美しかった鹿沼えりが出るんだと、ちょいと色めきだった私。
 映画を観ることはできなかったが、川村先生の姿とオーバーラップする。

 夫・古尾谷雅人の自殺や自身の大病、借金で苦労しているという内容だったが、大病しそしてまた年をとったとはいえ、私には若いころの面影を見出すことができなかった。

 あぁ、思い出は、偶像は、美しいままにしておくべきだった……

よく吟味した結果……♪エリシュカ/SSOのチャイ5

Tchaikovsky5EliskaSSO  冬は先が読めない
 今週は週の半ばに札幌で会議があった。

 会議は午後からだったので当日の朝の便で新千歳へ飛ぶことも可能だが、なにせもはや『冬場』である。
 天候不順などで万が一飛行機が遅れたら-現実として『万が一』どころか『十が一』ぐらいの高確率でそういう目に遭う確率が高い。宝くじの著しく低い当たりの確率を見習ってほしいものだ-取り返しのつかないことになるので、前日に移動した。

  空弁、余りません?
 中部国際空港はすいていた。
 年末年始の民族大移動を控えた嵐の前の静けさなのだろうか?
 こんなにターミナルの利用者の数にムラがあると、日持ちのしないおみやげを扱っている店はたいへんだろうなと、自分の身には関係ないことながら心配になってしまう。

 飛行機の中もすいていて、私の隣2席は空席。
 いつものように通路側のHを指定していたが、「ただいま飛行機のドアが閉まりました」というアナウンスを聞いて、たまには窓際の族になってみようと、窓側席のKに移動した。
 とはいえ、別に窓の外を眺めるわけではないが……

  何度も聴いてきたが……
 エリシュカ/札響のチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)の交響曲第5番ホ短調Op.64(1888)。

 2016年10月15日,16日に札幌コンサートホールKitaraで行なわれた、札幌交響楽団第594回定期演奏会のライヴ録音である。

 このCDを手にしたのは1か月ほど前のことだが、エリシュカ/札響のライヴCDがどれもこれもことごとくすばらしい出来で、もしかすると私は洗脳されているのではないか?、などと一応はいったん批判的とは言わないまでも、ニュートラルなスタンスをとる意気込みで、この1か月何度も繰り返しこれを聴いてみたのだった。

 そして、最近ではポータブル・オーディオで曲を聴くことがすっかりなくなった私ではあるが(ウォークマンのHOLDスイッチが破断して不便になったためだが、聴きながら歩いていて周囲の出来事に気づかないのも怖いことだと思うようになった。後ろから来た自転車にはねられて死ぬことだってある世の中なのだ)、今回は出張に携えた。
 この記事を書くにあたり、何もすることのない機内でもう一度聴こうと思ったからである。

  力づくではない、素材の良さを生かした調理
 結論から言うと、この演奏も高水準極まりない演奏。

 ロシア的な(と言われる)土臭さ、要するに野暮ったさみたいなところはなく、またスケールが大きいかというと、必ずしもそうではない。しかし、こじんまり収められちゃっているのとも違う。

 全曲を通じ、各楽器の音の輪郭が鮮やかでしっかりと聴き取れ、低音も充実している。
 エリシュカがなにか特別なことをしているかというとそうではなく、素材(曲)の魅力を純粋に引き出している感が強い。
 
 「運命がどうだ」とか「ぼく、おセンチなの」というような感傷も過度にならず、金管が叫んでもそれは決して絶叫にはならない。お涙頂戴とか圧倒的音量でたたみかけてくるものではないのだ。

 総じて(この曲には不似合いな言い方だろうが)快活。
 エリシュカは、「さっ、お昼にしましょ」と、弁当箱を包んでいるハンカチをひどくゆったりとほどくタイプのお年寄りではない(きっと)。
 歌わせるところはたっぷり歌わせるが、それもネチネチせず、札響の美しさが心を洗ってくれる。

 絶品・活イカのお造り!
 イキイキ!透明!シャキシャキ!美味い!

 そんな演奏だ。

  耳が遠くなっていたせいです
 機内で聴いているときに、それまでマンションで聴いてた時とは感じなかったことが。
 終楽章のオケの響きが薄いというか軽いというか……

 が、それは気圧のせいで私の鼓膜が魚の目化していると気づき、バルサルバ法-鼻をつまんで、鼻をかむように息を出す。息が耳の方へ回り耳が遠くなっているのが治る。注意点はきちんと鼻をつままないと、鼻水が放出されるという点だ-を行なうと、あらあら、ちゃんと終楽章も良く鳴っているじゃない。
 ただし、終楽章はオケが疲れたのか、ほんのわずかではあるが、ややパワーが落ちているようだ。

 そんなわけで、またまた称賛せざるを得ない演奏なのだ。

 レーベルはパスティエル。

 札響には私が知る限り、チャイコフスキーの5番のCDが(廃盤も含め)3種ある。
 堤俊作の指揮山田一雄の指揮、そしてこのエリシュカ盤である。

 次から次へとCDを出しているわけではないのに、チャイ5で3枚もあるって、なんだかすごい。

  -20+25=+5
 離陸直後と着陸前に、飛行機はひどく揺れた。

 そんなわけで聴きながらメモをとったのに、揺れのせいでその文字の多くは部屋の中で舞い上がった塵が描いた軌跡のようで、自分でも判読不能な点が多かった。
 が、要するに上に書いたとおりである。

 追い風だったのかどうかわからないが、新千歳には定刻よりも20分も早く着陸した。
 しかし駐機場が空いておらず-出発が遅れているピンク色の飛行機が居座っていたのだ-、その手前で機内で25分待たされた。

 結局定刻より5分遅れということだ。
 ぬか喜びして無駄にドーパミンを消費してしまった。

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