新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2017/10

遠き故郷でのエリシュカの最終公演を思い……♪ドヴォルザーク/vn協

20151101pumpkin  祭り好きで仮装好きな日本人?
 毎年10月31日はハロウィンなんだそうである。

 アメリカってことあるごとにお祭り騒ぎして、まぁなんて陽気な国民なんでしょと思いきや、日本人だってなかなかのお祭り好き。
 ハロウィンが定着するのかどうかはわからないが、いまやそれなりにけっこうな人がこの日、ヘンテコな格好をしているのは事実だ。

 バレンタインデーが一時期よりも盛り上がらなくなっているので、新たな行事を盛り上げていかなくてはならないという意図が見え隠れする。ああ、みんな誰かが操る商業という名の意図に操られ誘導されてしまっているのね。

 そんなことより、自宅のオーブンレンジのその後である。

 おっと、ここで事務連絡。「Hさん、メッセージありがとうございました!

BALMUDA  回らない上に、消えなくなった
 皿が回転しなくなってしまったと書いたが、妻は多少の温めムラが起ってもしょうがないと、そのまま使い続けていた。実は買い換えるならシンプルなデザインのBALMUDAのオーブンレンジにしようと考えていたのだ。発売は12月である。

 ところが週末に長男が帰宅。
 レンジを使うと妙な音がしていると指摘。さらには温めた庫内から食品を取り出して扉を閉めたあとも庫内照明が消えないという、いよいよもって支離滅裂な行動をとり始めた。

 こりゃあまずい。しかし、レンジがないと困る。しょうがない、12月までは待てない。

 ということで、ケーズデンキに行って、日立だかのオーブンレンジを急きょ土曜日に購入したという。
 夢のBALMUDA-私はこのメーカーを知らなかったが、最近人気の日本のメーカーらしい-は、夢に終わったが、出費は約半分で済んだのがせめてもの慰みだろう。

  さようなら、エリシュカさん
 その28日・土曜日、そして前日の金曜日は札響名誉指揮者のラドミル・エリシュカの最後の来日公演となる第604回定期演奏会が行なわれた。

 Twitterを見ると、コンサートに臨んだ人たちの感動の声、感謝の声、惜しむ声であふれている。

 うまく言えないが、エリシュカは、もしかすると札響でやや希薄になっていたかもしれない人間的な温かさで音楽に接するんだということを、思い出させてくれたのではないかと思う。それを最初に感じたのは団員たちで、だからこそ氏に来てくれることを望んだのではないだろうか?

 この日の演奏の模様は、11月26日(日)の14:00~15:50にNHK-FMで放送の予定である(北海道内のみの放送)。

DvorakVnMidori 私はといえば、土曜日はエリシュカ/札響のCD(「新世界より」)を、コンサートに行けない代償として聴き、日曜日は窓の外のどしゃ降りを横目に(することもなく)、なんとなくドヴォルザークの気分で、ヴァイオリン・コンチェルトなんかを聴いた。

 定期のプログラムそのものの作品、「シェエラザード」なんかを聴くと、悔しさが募りそうなので避けたのだ。

 ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904 チェコ)のヴァイオリン協奏曲イ短調Op.53,B.96・108(1879-80/改訂1882)。

 ドヴォルザークのチェロ協奏曲に比べると人気はかなり落ちるし、ヴァイオリン協奏曲のジャンルの中でも人気が高いわけではないが、聴けば聴くほど味わいが深まる作品だ。

 ドヴォルザークらしい民族性を感じさせるメロディーと雰囲気。
 徐々に演奏される機会が増えてきているようだが、もっともっと聴かれてもちっともおかしくない曲なのである。

 五嶋みどりの独奏、メータ/ニューヨーク・フィルの演奏を。

 1989年録音。ソニークラシカル。

 関係ないが、マンションの部屋に置いてあるドラセナが花を咲かせた。
 なかなか貧弱、いや可憐である。

20171028Dorasena

 ちなみに、このワンちゃんは伊勢神宮のおかげ横丁のおみやげ屋で買った。
 つまり、ある意味では“いせわんこ”である

 ちょっと葉が茂りすぎて、ワンちゃんがかわいそうに思えてきている今日この頃だ。

ジュピターのお礼でウナカレが♪WAM/セレナータ・ノットゥルナ

UnagiCurry  ランチにはお薦めできないカレー
 オディールさんに、ヴォルフィ(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の後期交響曲のCDをお貸したということを2週間ほど前に書いたが、貸したからにはきちんとした育ちの彼は返してくれた。

 しかも、お礼にと静岡に出張したときに買ってきた、地元では超人気の名物、かどうかわからないが、少なくともほかの土地では売られていないと思われる、貴重なお品をちょうだいした。

 うなぎカレー


 うなぎが好きなカレー好きの人や、カレーが好きな上にうなぎも好きという人にとっては、感涙物の一品だろう。

 この意外な組み合わせには、食べるのにちょいと勇気が要りそうだが、おや?、パッケージをよく見ると“うなぎ蒲焼レトルトパック”が別添とある。
 うなぎを煮込んでいるわけではないようだ。
 少し、いや、かなりほっとした。
 ハレの日が来たときにでも舌鼓をポンポンポポンと打ってみたい。楽しみである。

 うなぎといえば、「うなぎ」という名のクラシック音楽作品がある。
 私の知る限りでは少なくとも1つはある。なぜなら、その曲のCDを私は持っているからである。

 F.クープランのチェンバロ曲、第22組曲の第4曲のタイトルが「うなぎ」である。
 この記事で紹介しているが、別段ニョロニョロした感じの曲ではない。

Notturna  夜にこの曲を聴きながらお菓子を
 で、オディールさんに感謝の意をこめて、別なモーツァルトの作品をご紹介。

 ここで詳しく紹介しているセレナード第6番ニ長調K.239セレナータ・ノットゥルナ(Serenata notturna)」(1776)。

 “夜のお菓子 うなぎパイ”じゃないが、曲名の意味は“夜のセレナーデ”。
 2群の弦楽5部(第1vn,第2vn,va,vc,cb)にティンパニが加わる。

 モーツァルトのセレナードといえば「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」(セレナード第13番)がチョー有名だが、そちらは弦楽合奏なのに対し、「ノットゥルナ」ではティンパニが勇壮に響き渡る。

 勇壮さだけではなく、愛らしさとの2つの表情をもつが、ここで紹介するコープマン盤ではティンパニやらコントラバスやらのアドリブがまた絶好調の最高潮!ぜひ一度お聴き願いたい演奏だ。

 コープマン/アムステルダム・バロック管弦楽団のこの録音は1988年。エラート。

  一度湯に通すのが決め手

 先日、うなぎのかば焼きを買った。正確に言うなら、買ってもらった。

UoshuHashi 妻がこちらに来たときに、丸栄の地下の魚周で買ってきたのだ(にしても、割り箸の袋に描かれた魚ちゃんの表情の無気力なことよ。なんかかわいいけど)。


 ただ、スーパーや百貨店で売られているうなぎのかば焼きは、温めるのが厄介だ。
 レンジをかけると硬くなり、特に皮はごわごわになり食えたもんじゃなくなる。
 ただフライパンで焼き直しても、魚焼きグリルで焼いても、やはり硬いままだ。

 それにしても、うなぎのかば焼きって百貨店の魚売り場はもちろん、そこそこの規模の町ならどこのスーパーにも置いてある。日本全国にすれば相当な数だろう。なのに、うなぎが不足しているっていうのが、なんだか信じられない。

 話を戻すと、ネットでうなぎの温め方を調べてみた。
 すると、一度熱湯で洗うと良い、と書いてあった。

 フライパンで湯を沸かし、2分の1に切った-だって長いまんまじゃ入りきらないから-かば焼きを入れて、箸でちょこちょこっと動かす。
 するとあらかじめ塗られていたタレが熱湯に溶け出す。
 時間にして1分ほど。

 うなぎを湯から出す。身が崩れそうなほど軟らかくなっている。

 身についた水気をペーパータオルをあてて吸い取り、水気を切ったフライパンに皮の方を下にして戻し、酒を少々と付属のタレをかけて蓋をし、弱火で5分ほど加熱する。


 すると、うなぎ専門店と違わない、とまではいかないが、かなり近いところまでいった。


 こうやってやればいいんだ。


 私の市販のかば焼きに対する「硬くてまずい」という偏見は、この日私の中からほぼ消失した。

私の札響感動史(09)♪芥川の魅力を突き付けられた夏の夜

AkutagawaMusica  笑う2人
 昨日の記事に出てきた芥川也寸志(Akutagawa,Yasushi 1925-89 東京)の「交響管弦楽のための音楽(Musica per Orchestra Sinfonica)」(1950)。

 NHK創立25周年記念管弦楽曲懸賞で特賞をとった作品である。なお、「交響管絃楽のための音楽」と表記されることもあるが-発表当時はそうだったのだろう-ここでは“弦”を使うことにする。

 これまでの“感動史”の流れからは時代がとぶが-でも、年を追ってなんて一言も言ってないもんね-札幌交響楽団第283回定期演奏会(1987年7月16日)で、音楽監督・岩城宏之がプログラムの1曲目でこの曲を取り上げた(この日のような構成のプログラムも、岩城時代になってから、ときおり組まれるようになったものだ。なお、この日は当日になって、バーバーの「弦楽のためのアダージョ」が追加され、3曲目に演奏された)。

 ついでに言うと、この前の月の定期はシャローンによるマーラーの5番に大感動したのであった。

SSO283rd この日のプログラムノーツには岩城と芥川の対談が載っていて、「交響管弦楽のための音楽」についてこう話している。

 岩城 レコードは何種類くらいあるんですか?
 芥川 さあ。サインしてくださいなんて持ってきたの見て、初めて見るなんていうのがあるね。故森正さんが東京交響楽団でやったレコードが一番良かったような気がします。森正さんはよく演奏してくれた。小沢征爾が難曲だ、難曲だと言って出だしのテンポが決まらないのね。速すぎたり遅すぎたり。
 岩城 僕のテンポは決まってる。実は昔、サントリーのコマーシャルでヘルメス・ジンの曲があった。あの「シャ、シャ、シャ、シャ、 ジン、 ジン ヘルメス・ジン」という曲のテンポでやればピッタリなんですよ。いつかこのことを芥川さんに言ったら、おこってましたよね。
 芥川・岩城 (笑)


 この曲の出だしの部分がこれ(掲載譜は全音楽譜出版社のスコア)。

 ヘルメス・ジンの曲がどんなもんかはしらないが、そして“僕のテンポ”を芥川がどう思っていたのかわからないが、この日の演奏は、のちに聴いた他の演奏とほぼ同じだったので、うまく指示通りで来てたのだろう(このころにはFM北海道(AIR-G)が「札響アワー」という番組を放送しており、定期演奏会の録音をエアチェックできる恩恵にあずかれるようになっていた。つまり、定期でやった演奏を、繰り返し聴けたのだ)。

 

AkutagawaMusica_1

  大笑いする2人
 また、この曲の初演(1950年3月21日、日比谷公会堂、近衛秀麿/NHK交響楽団。ラジオで生中継された)のときのエピソードをこう語っている。

 岩城 うわさで聞いたのですが、第2楽章のトロンボーンから始まるところでシンバルが2回鳴ったんですって?
 芥川 3回。
 岩城 3回?
 芥川 ほんとは1発なんだけど、アタッカ・スピードと書いてあるので、近衛さんがすぐやったらシンバルは鳴ったけどトロンボーンが出ない、ページめくりが間に合わなくて。2度目は弱音器を取るのが間に合わなくて、3発目にやっと出たわけ。私の先生の伊福部昭さんが放送聴いてて、「先生いかがでしょうか?」って聞いたら「あそこのシンバル、3発はちょっと多いんじゃないか。」
 岩城・芥川 ハッハッハ


 ハッハッハ、かい。

 しかもこの演奏会に、高校生の岩城は行ったと言っている。覚えてないってことはあるかもしれないが、行っているのに「うわさで聞いた」って、ちょっとヘンな感じ。

 ま、それはいいとして、曲は2つの楽章からなり、第1楽章と第2楽章は続けて演奏(アタッカ)される。

 第2楽章の出だしはこうである。

Akutagawa交響管弦楽2Score_b

 で、岩城のテンポがどうとか生意気なことを書いたが、この日初めて聴いた「交響管弦楽のための音楽」がすこぶるよかった。それまで芥川の曲は聴いたことがなかった
 この日の夜をきっかけにして、私は芥川に興味を持つようになった。

 昨日の記事で載せた片山氏の文にあるように、芥川は伊福部昭に大きな影響を受けたとされている。
 が、伊福部昭のように土っぽくない。
 どこか甘美で、ちょっぴりおセンチな感じで、でも心地良い。
 そこが橋本國彦の影響によるところなのだろう。

 私は橋本の書いた音楽を聴いたことがないのでその影響度のことはわからないが、フランスのエスプリと土俗的な民族意識が融合した音楽、それが芥川の作風ということになるのだろう。

 やはり、ここでは作曲者自身が振った演奏を聴いておきたい。

 芥川也寸志/新交響楽団による1986年ライヴを。fontec。

  ところで、この1987年の4月に私は結婚した。
 それまでの1人から、妻と2人で札響定期会員になるべく、2人並びの席で申し込んだ。
 もちろん「あたしたち、結婚しました!」なんてことは一言も伝えていない。

 が、会員証が送られてきたときには、当時の事務局にいたKさん(女性)から「ご結婚、おめでとうございます」というメッセージが。
 同じ姓の男女が並びの席で申し込み。しかも私自身は長い年数にわたって1人で会員だったので、結婚したことがわかったのだろう。女性ゆえの気づきかもしれない。男性なら、「おっ、妹がいたのか」とか、あるいは事務的に処理されただけかもしれない。

 だが、些細なことかもしれないが、こういうちょっとした心遣いがまた札響ファンを作っていくんだろうな、と思った。

私のプロフィールが謎に包まれる?♪ピエルネ/シダリーズと牧羊神

Pierrne  伊福部の向こうに橋本が
 「音盤博物誌 片山杜秀の本(2)」。

 その第41章「信時楽派が存在する(中)」


 芥川也寸志は、伊福部昭との関係ばかりで語られがちだけれど、演奏会用作品から映画音楽まで、好んで書いた甘い旋律には、明らかに橋本の影がある。そして、たとえば芥川の出世作《交響管弦楽のための音楽》の第1楽章は、ピエルネ《シダリーズと牧羊神》の〈小牧神の入場〉と似ているが、ピエルネこそは橋本師匠の好みの教材だった。橋本は昭和初期のヴァイオリニスト時代、ピエルネの大作ソナタを持ち曲にもしていた。伊福部ゆずりのオスティナートの向こうに橋本ゆずりの愛くるしいフランス趣味が透けるのが、芥川の音楽という気がする。


 信時(のぶとき)とは信時潔(1887-1965)のこと。橋本は橋本國彦(1904-1949)のことである(ちなみに、伊福部昭は1914-2006)。

 ピエルネ(Gabriel Pierne 1863-1937 フランス)のバレエ「シダリーズと牧羊神(Cydalise et le chevrepled)」(1919)から、6曲からなる第1組曲(1926)。

 この曲については、この過去記事をご参照いただければと思うが、「小牧神の入場」は確かに言われてみれば、芥川の「交響管弦楽のための音楽」に似ている。


 マルティノン/フランス国立管弦楽団の演奏を。

 1970年録音。エラート。


profile終了  そこからは入場できなくなります
 このlivedoorブログで、また1つサービスが終了する。“livedoorプロフィール”である。
 終了するのは年明けの1月31日。

 まあ、確かにあまり重要な機能ではなかった。
 私も一応パーツを左サイドバーに貼っていたが、はい、明日からはずします。気が早いけど。

 これまでここを使ってメッセージを送ってくれた少数民族の皆さんにお礼申し上げる。

 なお、あなたが一方的に私にメッセージを送りつけたいときは、正統的パーツである“メッセージ”を使っていただければ、今まで同様私に届くしかけになっている(メアドの入力は必須ではない)し、メッセージではなくコメントをいただいた場合は、ヘンテコなものでない限りは必ず応答するようにしている。

  950円をおよそ1000円と言うのとはワケが違う
 話は変わるが、おとといの朝のニュースで、アインシュタインの直筆メモにおよそ2億円の値がついたと夏目アナが言っていた。

 が、朝日新聞の朝刊を読むと、それは約1億7,700万円と書いてあった。
 2,300万円も差がある。それを“およそ2億円”にしちゃうなんて、太っ腹だ。

 そんなことを思いつつ、別な新聞(遅れて届く北海道新聞)を眺めていたら、こんな記事が。

20171025Doshin1

20171025Doshin2

 そう、庶民にとってはこの額でも大々々問題なのである(ミニロトの1等だって、“およそ1,600万で、2,300万よりも少ない)。

 で、昨日のプレミアムフライデーはどうお過ごしに?
 

七珍万宝より価値のある情報 in 2017♪アルスノヴァ金管Qnによるペーツェル

Pezel  正月の一目惚れ
 「おれは今、もーれつに感動している!」
 そんな星飛雄馬の気持ち状態の私である。

 1977年1月3日(当時なら、そろそろククレカレーが食べたくなるころだ)の6:10からNHK-FMで放送された“ニューイヤー・バロック”。

 正月三が日なので“ニューイヤー”というのはわかるが、放送時刻からして、いつもやっている「バロック音楽のたのしみ」の番組名を実に安直に変えただけと思われるものだが、この番組で私はあるマイナーな曲と衝撃的な出会いをした。
 なぜ、その曲だけをエアチェックしたのか覚えていないが、とにかくその曲をとっても気に入ってしまった。

 ペーツェル(Johann Christoph Pezel 1639-94 ドイツ)の「『金管五声部の組曲』より第1~3曲」である。演奏時間は約6分。
 演奏はアルスノヴァ金管五重奏団だった。

 輝かしい第1曲、物憂げな第2曲、その憂いを打ち消す華やかな第3曲。

 短いこの“組曲”を、ポット式石油ストーブの、煤けたのぞき窓のなかの炎を見ながら、何度聴いたことか。

 もちろん、それを春になっても、夏になっても、秋になっても、ストーブは焚いてないが、やはり何度も聴いた。

  夏には“拡大版”が
 で、7カ月後の8月19日に放送された“バロック音楽のたのしみ”。
 そのときもこの作品が放送された。

 曲名は「『5声部の組曲』より」。放送されたのは1月3日の3つの曲に続き4曲、計7曲。演奏時間は約11分。
 ただし、先の3曲ほどの衝撃は、続く4曲には感じなかった。といっても、比較論。4曲も私の心を歓ばせてくれた。愛聴してたのは、もっぱら最初の3曲ばかりだったが……

 カセットテープを処分したあとは、この曲が聴けなくなってしまった。
 そこで、私はこの曲のCDを探し求めることになる。

  奏者向けっぽい録音がちょっとあるだけ
 ところが、ペーツェルの作品はあまりCD化されていない。というよりは、もともと録音自体がひじょうに少ない。
 あっても、どちらかといえば金管楽器の演奏者向けのアルバムに、ちょこっと入っている程度。
 そういう使命を帯びたCDは比較的価格も高い。

 そしてまた、金管五重奏とか金管5声部のための“音楽”とか“組曲”、“ソナタ”という、住所不定、自称・会社経営みたいな作品名が記載されている。
 この曲名はこの曲だという、音楽作品の特定がなかなかできないのである。

 それでも、オンラインショップが登場してからは“Pezel”で検索し、CDを探すことが楽になった。いや、楽になったというよりも、インターネットのない時代は、ほぼ探すのが不可能だった。
 そして入手し得るものはしてきたつもりだ。

 ・5声のためのアルマンド (エアチェック。フランス国立管弦楽団五重奏団)
 ・金管五重奏のための音楽 (同。同)
 ・「ソナタ集」から第69,71,75番 (ウルリッヒ(trp)他。ナクソス)
 ・組曲 (フィラデルフィア・ブラスEns。ソニークラシカル)
 ・3つの小品(リール金管五重奏団。RG)

 ほかの作曲家たちの金管五重奏曲などが収められたなかの、1つ。
 つまり、専門用語でいうところのオムニバス盤のなかで、10分あるかないか、いや5分ほどの長さのこれらのペーツェルの作品のために、私は「今度こそあの曲と一緒かもしれない」と「神様、仏様、マリア様!」と節操なく祈りながら購入してきた。

 どれもはずれだった。
 宝くじ並みに当たらなかった。

IMGP0255 この曲に関する唯一の情報は、「バロック音楽のたのしみ」で服部幸三氏が話していた「これらの曲を時報として塔の上から吹いていた」というものだけだった。


  作品名判明す
 かわいそうなそんな私が色めきだったのは、2007年の年末のこと。

 “レコード芸術”の“海外盤REVIEW”で、ペーツェル(とライヒェ)の“TOWER SONATAS”というCDが紹介されていたのだ。ふだんは買っていないレコ芸だが、年末なので買った。そして、この情報を得た。運命的なものを感じた。

 すぐにタワレコ・オンラインで注文。

 それが写真のCDだが、ここに収められているペーツェルの「5声の吹奏楽(Funffstimmigte blasende Music)」(1685刊)は、16曲からなるもの。

 「あの人は今!?」じゃないが、いよいよもって再会できるかもしれない。CDを再生しようとして、過呼吸になりそうな私の状況をご理解いただけるだろうか?
 新品CDを包んでいるフィルムをなかなかはがせなかったほどだ。

 プレイボタンを押す。
 1トラック目、2トラック目、……16トラック目

 ない……。
 酸欠状態になりそうな私のこのときの状況に共感していただけるだろうか?

 「クラシック音楽作品名辞典」(三省堂)によれば、この「5声の吹奏楽」は実は全部で76曲ある。
 つまりこのCDは、そのなかから16曲を抜粋したものなのである。
 で、はずされちまったワケ。

 とはいえ、失意のどん底に落とされただけではなかった。
 この16曲の中に、77年8月に知った7曲のうちの2曲が含まれていた(残念ながら当初の3曲ではない)。
 つまり、最初にFMで知った「金管5声部の組曲」という山田太郎さんみたいな名前の作品は、1685年出版の「5声の吹奏楽」の一部であることが判明したのだ。

  投票日、政権私に衝撃が走る
 そして、このあいだの日曜日。

 小池百合子が海外逃避し台風が荒れ狂っていた22日の早朝に、これ以上のものがあるのだろうかというくらい貴重な情報をコメントで寄せてくれた方がいた。

 ブログを始めて10年になるが、雨の日も風の日も、暑くて倒れそうなときも、めんどくさいなぁと思ったときも、続けていてほんとうに良かったと、しみじみ思った。

 コメントを寄せてくださったのは“ペーツェル好き”さん。日本にペーツェル・ファンがいるとは、なんと心強いことか!
 その記事とコメントがこちらである。

 教えていただいた YouTube を観てみると……おぉぉぉぉぉぉぉ~~~っ!ぐれぇぇぇぇぇぇぃ~~~とぉっ!
 あの7曲版の演奏だったのである!ある!アル!
 画像は静止画で、音楽にはLPの溝をなぞる針音も聞こえる。

 懐かしい!
 あぁ、よみがえる青春の日々!
 目を閉じると、煤けたストーブののぞき窓がよみがえる。うぅぅぅぅぅぅぅぅぅ~サンポット!

 狂喜乱舞したかったが、身体の節々が痛いので断念した。
 赤飯を炊きたかったが、ごま塩がなかったのであきらめた。
 朝から祝杯をあげようかと思ったが、1日を棒に振るので延期した。

 カセットテープを処分したのがいつごろのことだったかはっきり覚えていないが(きっと小分けにして捨てたんだろう)、この曲に再会したのは30年以上ぶりになることは間違いない。初めて聴いたときからは、40年ということになる。

 “ペーツェル好き”さん、ありがとう。

 あなたのこと、好きになって、いいですか?


「やべっ!」っとあわてて朝帰り♪サン=サーンス/死の舞踏」

IbertMartinon  そんなことに狂っちゃいかん!
 先週の“出没!アド街ック天国”が出没した場所は、静岡県の寸又峡温泉。

 寸又峡と書いて、“すまたきょう”と読むのだが、私の頭にはなぜか“素股狂”という文字が浮かんでしまった。そんな人が、実際にいるのかどうかわからないけど。

 さらに大井川鐵道の千頭駅も取り上げられていて、スマタだのセンズだのという絶妙な組み合わせに、ちょっと困惑してしまった乙女のようなアタシ。言い換えると、バッカな己であった。

  なぜここで?
 組み合わせといえば、このあいだスーパーで買い物をしたときのこと。

 天井のスピーカーから流れていたBGMは、クラシック音楽の管弦楽曲の交響詩。

 ポンポンポンポンポンポンポンポンポンポンポンポンと柱時計が告げる時報のようなリズム。
 そして来たぁ~。お世辞にも上品とは言えない、いやはっきり言ってグロなヴァイオリンのソロ。

 イントロ当てクイズが得意な人ならどっくにわかっただろうが、サン=サーンス(Camile Saint-Saens 1835-1921 フランス)の交響詩「死の舞踏(Danse macabre)」Op.40(1874)だ。

 これほど食品売り場に「死の舞踏」……
 なんとも不思議な組み合わせと言わざるを得ない。

 そのとき、骨付きハムが置いてある冷蔵ケースの前にいなくてよかった。なんとなくだけど……
 でも、野菜売り場の“ブドウ”の前にいました、私。ええ、甘い香りを楽しんでいたんです。

 サン=サーンスの「死の舞踏」の筋書きは、夜中に墓場から骸骨が現われてフィーバーフィーバーのごとく踊りまくるが、夜が明けてニワトリの鳴き声が聞こえると、あわてて墓に撤退すというもの。

 夜明けを告げる鐘の音が聞こえて退散する悪魔を描いた、ムソルグスキーの「はげ山の一夜」とともに、2大朝帰り交響詩と私は定義している。もっともレイボヴィッツのはげ山は「アタシ、今日は帰りたくないの……」ってなものだが。

  歪みもまた快感!
 この曲の演奏では、録音は古いがマルティノン/パリ音楽院管弦楽団のものが私は好きだ。

 イベールの「ディヴェルティメント」が聴きたくて、最初は玉光堂すすきの店でLPを買ったが、デッカの輸入盤の廉価なのにしっかりした厚めの盤に感心し、自分が生まれる前に録音されたとは思えない音にほれぼれしたものだ。
 イベールと同様、「死の舞踏」でも大太鼓の重低音が鳴り渡る。鳴るというより振動だ。
 それは歪んでもいるのだが、「これぞ本格的重低音だ」と、無邪気に喜んでいた私だった。

 1960年録音。デッカ。

 にしても、なぜ「死の舞踏」だったのだろう?

 私には、なにか深い意味があるような気がしてならない。

 たとえば、これがかかったら、骨なしチキンのタイムセールをせよ!とか……

チェンバロによるバードの世界♪ラモー/鳥のさえずり他

IMG_0003  ドビュッシーも尊敬した作曲家
 生麺タイプのカップめんはラ王である。響きも字も似ているものの、しかしながら、今日取り上げるのはラモー。

 ドビュッシーの「映像第1集」の第2曲のタイトルは「ラモーをたたえて」。そのラモーである。
 ドビュッシーは、フランス音楽の偉大なる先人・ラモーへの尊敬の念の“イメージ”をこの曲で表現したのだった。

 ラモー(Jean-Philippe Rameau 1683-1764 フランス)は後期バロック時代のフランス最大の作曲家とされる人物だが、現在その位置づけにふさわしいほど広く聴かれているかというと、Non!である。

 皆川達夫氏は「バロック音楽」(講談社現代新書)で、こう書いている。

 ……(大クープラン(フランソワ・クープラン)の同時代人で)重要なのは次の世代に属し、オペラの上でも重要な仕事を残したジャン・フィリップ・ラモーである。彼のクラヴサン作品の数は決して多くないが、鍵盤的なイディオムの追求、舞曲形式の重視そして和声的効果で、とくに注目すべきものがあり、大クープランのそれとともに今日の演奏会の重要なレパートリーとなっている。
 ニワトリの鳴き声を模倣した〈メンドリ〉は特に有名だが、しかしラモーのクラヴサン音楽をこの1曲だけで評価するのは、誤りといえよう。同様に、ラモーの同時代者ルイ・クロード・ダカンも鳥の声を模した〈カッコー〉で知られているが、これもいわばひとつの戯作であって、このすぐれたオルガン作曲家の本領を発揮した作品とはいいがたい。


 う~ん、重要なレパートリーになっているのかぁ……な?

  レスピーギも使用
 そんななかで、よく知られている曲が、皆川氏も書いている「めんどり」や、「タンブラン」、「めんどり」である。

 「鳥のさえずり(Le rappel des oiseaux)」と「タンブラン(Tambourin)」は、1724年出版(改訂1731)の「クラグサン曲集(第2組曲)(Pieces de clavecin)」に含まれる。
 この曲集は10曲からなり、「鳥のさえずり」は第5曲、「タンブラン」は第9曲にあたる。

 「めんどり(La poule)」はレスピーギが組曲「鳥」の第3曲「めんどり」で用いた曲。
 「新クラヴサン組曲,またはクラヴサン曲集第2集(Nouvelles suites de pieces de clavecin,ou Second livre)」(1728頃出版)の第12曲だが、この新組曲は、第1~7曲が第4組曲、第8曲~第16曲が第5組曲に分かれている。
 ということは、第5組曲の第5曲ということにもなる。

 マルコムのチェンバロで。
 1965年録音。デッカ。

 B.シャンピニュール著「音楽の歴史」(吉田秀和訳:白水社文庫クセジュ)には、ラモーについて以下のような記述がある。

 ……彼は孤独な男で、世間ぎらいだった。天性剛直で、恐るべき性格の持ち主として通っていた。40歳になるまで、彼は孤独のうちに、和声の抽象的な科学的研究に没頭していた。……(中略)……『和声論』は1722年に出版され、音楽界にセンセイションをまき起こす。著者は、音楽の最も著名な理論家としての地位を確立する。……

 ちなみに、ダカン(Louis-Claude Daquin 1694-1772 フランス)の「かっこう(Le coucou)」は「クラヴサン曲集第1巻(Premier livre de pieces de clavecin)」(1735刊)-第1組曲(8曲)、第2組曲(6曲)、第3組曲(4曲)、第4組曲(2曲)からなる-に収められており、第3組曲の第1曲である。
 なお、第2組曲第6曲の「つばめ(L'hirondelle)」もよく知られている。

 上で紹介したCDには「かっこう」も入っている(1960年録音)。
 

自分にふさわしい送り歌は?♪グローフェ/グランド・キャニオン?

LaSacre  奇妙な集団の儀式と思われるかも
 音楽ファンのなかには、「自分の葬式のときには〇〇を流してほしい」と考える人も少なからずいるだろう。
 いや、そうめんとかの話じゃなく、曲の話である。

 むかし読んだある本のなかに、ある大学生の手記として「ぼくが死んだときには、ストラヴィンスキーの『春の祭典』を流してほしい」ってなことが書かれていた。

 たぶん、その願いはかなわなかったろう。
 というのも、そのように書かれた手記が発見されたのは、とっくに葬儀が終わったあとだと思われるからだ。

 仮にそうでないとしたら、残された家族は大変な目に遭う。

 だって、「春の祭典」と言えば30分はある。
 彼が「『春の祭典』の『いけにえの踊り』をかけてほしい」とか「『春の祭典』の『長老の行進』を流してほしい」というのならともかく、単に「春の祭典」と言われると、全部かけなきゃならなくなるからだ。

 参列者も、「今日のお経は長いな」と20分くらい耐え、「今日は張り切ってるけど、何言ってんのかよくわからないな」と10分ほど坊さんの説教を感心したふりで聞いて、坊さんが退場したあとに、「あとは近親者のみで……」というのを期待していたら、「これより故人の希望により、イーゴル・ストラヴィンスキー作曲、バレエ音楽「春の祭典」を、ゲオルグ・ショルティ指揮シカゴ交響楽団の演奏でお聴きいただきます」という案内。こうなると、もはや地獄だ。

 かといって、読経と並行して音楽を流すとなると、もうそれは騒音の域である。

 そもそも、いくら好きだから、そして最後のお願いだからといって、ハルサイを葬式に、というのはTPOにまったくそぐわないものである。

  私の場合の候補は
 で、自分がもし1曲を選ぶなら何になるだろうと、時おり考えることがある。どうせかなえてくれないのはわかっているし、参列してくれる人にとっては迷惑千万だろう。いま流行りの家族葬なら、願いは身内からより強固に却下される気がする。

 好きな作曲家の曲を選ぶとなると、マーラーかショスタコーヴィチか伊福部昭かベルリオーズということになる。
 長い曲はダメだ。そのへんは死後の私もわきまえている。かといって、好きな作曲家の作品のなかでも好きな曲、かつ、そこそこ雰囲気に合うを選びたい。
 マーラーが好きだからといって「亡き子をしのぶ歌」は自分の葬式には変だし、ショタコーヴィチの「森の歌」の「ピオネールは行くぅ~」なんて歌が流れたら、なんのこっちゃ?である。

 マーラーなら交響曲第6番(通称「悲劇的」)の第3楽章(アンダンテ楽章)が、葬式会場にもそこそこ合いそうだ。全体的には穏やかで、郷愁をそそる。長さも15分ほどで、長いと言えば長いが、まあがまんできる範囲だろう。

Mahler06Solti

 ショスタコーヴィチなら、意表をついて-あるいは核心をつくかもしれない-「祝典序曲」という手もあるが、死んでからも「ばっかじゃないの」と言われたくない。
 交響曲第5番や第7番の第3楽章も、自分の葬式の場となると、なんだかおのれの死を美化しているような感じで恥ずかしい。第10番の第3楽章を選んだら、何かを暗示しているんじゃないかと誤解されかねない。
 そんなことを考えていくと、第15番のどれかの楽章-どれもが合いそうだ-ということになるが、きっと参列者にとっては、第1楽章なら矢が刺さったリンゴ、第2楽章以降なら「だから何を訴えたいんだ」といいう怒りを伴った疑問が心に浮かぶだろう。
 ショスタコは難しい。

ShostakoSym15

 伊福部昭。
 交響頌偈(じゅげ)「釈迦」の第3楽章「頌偈」なんて魅惑的だが、坊さんに知れたら「いつ悟りをひらいたってんだよ!」と叱られそうだ(私は死んでるから関係ないけど)。それにこの曲もまた迫力がありすぎる。
 となると、「シンフォニア・タプカーラ」の第2楽章か「交響譚詩」の第2楽章。どちらも、私を偲ぶにはぴったりだ(と私は思うのだが)。この2曲は有力候補だ。

IfukubeShaka

 ベルリオーズだと、ベタで「レクイエム」という手もある。
 第6楽章「涙の日」なんてとっても好きな曲だが、誰も涙をタラタラさせていないかもしれないのに、この曲を流すと自意識過剰と思われるのは必至。それに、この楽章も音量が大きすぎる。
 では第9楽章の「聖なるかな」はどうか?しっとりとした美しい曲だ。もう、この際故人が聖という文字とは無縁のような人だったということは忘れてもらう。が、テノールの独唱がロロロロロロロ~と巻き舌でrの音を歌ったりするこの曲は、かなりの確率で参列者の失笑、もしくは嫌気を誘う危険性がある。
 じゃあ、「幻想交響曲」はどうか。第3楽章は長いし、私のイメージとは結びつかない。もう死んでいるのに第4楽章の「断頭台への行進」もないだろう。第5楽章なら鐘も鳴るし、地獄行きの審判が下るかもしれない「怒りの日」のメロディーも出てくる。が、私の死を魔女の踊りとごっちゃにされるのはいやだ。

BerliozRequiem

 そんなことを考えているとき、自分でも気がついていなかった、聴きなれたピッタリな曲があった。

  自分の没に日没はいかが?
 それはグローフェ(Ferde Grofe 1892-1972 アメリカ)の代表作、組曲「グランド・キャニオン(Grand Canyon)」(1931)の第4曲である。

 この曲は、日の出/赤い砂漠/山道を行く/日没/豪雨、の5曲からなる。つまりピピピと来たのは「日没」。


 私はそうしょっちゅうアメリカの作曲家の曲を聴いてはいない。
 特有のノリがビミョーに肌に合わないところがあるからだ。


Grofe 「グランド・キャニオン」は高校のころはずいぶんと聴いた。
 が、年を重ねたこのところはすっかりご・ぶ・さ・た。

 それを久々に聴いたわけだが、「日没」が私の葬式にはいいかもと思ったのだった。
 そんなこと、いままではこれっぽっちも感じたことがないのに。

 全然、自分のイメージじゃないのだが、雰囲気も長さもばっちりだ。それは誰の葬式にも合いそうだということでもある。

 そこのあなた!自分にはどうかと、確かめてみてみませんか?


 ストロンバーグ/ボーンマス交響楽団の演奏で。

 1998年録音。ナクソス。


 と、いろいろ考えてはいるものの、いいんです、私。坊さんのお経と説教だけで。
 いや、それもいらないくらいだ。
 死んだあとも面倒はかけさせる気はないし、ひんしゅくも買いたくないので。

 無音でいい。
 棺桶のなかで、ケージの「4'33"」をかけてくれていると、前向きに思うことにするから。

“解決”を選んだら未解決になったかも♪アグリコラ/空しく私は泣く

CClearn1  れじす鳥 
 名古屋で使っているノートパソコンのレスポンスが非常に悪い。
 ネットでもエクセルでもワードでも、「おねがいっっっ、そんなにじらさないでぇ~」ってくらい遅くなった。

 いよいよもって-買ってから6年経つ-ダメになってきたかと恐れおののいたが、このパソコンは問題なく働いていてくれたので、ディスククリーンアップとかデフラグとか、きちんとお掃除をしたことがをやったことがなかったことに気づいた。

 以前、OSがXPのVAIOやVistaのFMVのときはディスククリーンアップやデフラグをしょっちゅうやっていた。
 でないと、Cドライブの容量が少ないために、すぐに不安定になっていたからだ。
 あげくのはてに、次々とあまり必要ないと思われるプログラムまでアンインストールせざるを得なかったものだ。

CClearn2 だが、今使っているLaVieは、Cドライブにまだ300Gの空き容量がある。
 2年ほど前にデフラグしようとしたが、必要ないと、にべもないメッセージが出た。
 逆に言えば、それほどまで快適に動いていたのだ。

 私は意を決して(ってほどじゃないが、時間はかかる)、ドブ池清掃作戦のごとく、作業を行なうことにした。

 最初にやったのは、フリーソフトのCCleanerを使っての、使われていないごみファイルの削除。
 1つ1つのファイルのサイズは小さいが数は多い。ちりも積もればごみ山になるってわけで、不要ファイル合計の容量は1Gほどにもなった。

 次に、同じくCCleanerでレジストリをチェック。
 PC9800時代からパソコンを利用している私だが、いまだにレジストリって何の鳥?ってくらい、よくわからない。というか、覚える必要がなかったので、覚える気がなかったのだ。

 「パソコンで困ったときに開く本」(朝日新聞出版)によると、“ウィンドウズやアプリケーション・ソフトの各種設定が一括して記録されているファイルのことです。パソコンのハードウエア情報や、パソコンに接続した周辺機器の情報なども管理しているため、このデータが壊れてしまうとウィンドウズは正常に動かなくなります。新しい周辺機器を接続したり、コントロールパネルで設定を変更したりすると、このデータの中身が変更されます。通常は、ユーザーが直接レジストリを見たり変更したりする必要はありません”ということだそうだ。わかっていただけましたか、レジストリのこと?私?んーっ、ちょっとビミョーかな。

  えっ?flacが孤独だって?
 さて、CCleanerのレジストリの解析が進むと、いくつか“関連付けされていない拡張子”が表示された。
 そのなかには“.flac”というのもあった。

 レジストリなので関係ないのかもしれないが、flacファイルはいまちんたらちんたらとCDをパソコンにリッピング(取り込み)している音楽ファイルの拡張子である。
 この拡張子をもったレジストリを削除してしまうと、何か予測もつかないような-いやリッピングした音源ファイルが聴けなくなるという極めて重大な危険な香りがする-泣いても泣ききれないほどの悲劇が起きそうな気がする。
 そこでいったん、慌てることはないのに慌ててキャンセルした。

Agricola このブログで何度も取り上げている、NAXOSから出ているアグリコラ(アグリーコラ/ Alexander Agricola 1446?-1506 オランダ)の「世俗音楽集」。

 なぜ何度も取り上げるかというと、魅惑的なタイトルの作品がたくさん収められているから。
 それだけではない。あまりその作品は知られていない音楽家だが、曲もまた魅力的だ。


 今日の話の内容にふさわしい曲名は「空しく私は泣く(J'ay beau huer)」。

 もっとも、私の適切な判断で、空しくオロロンオロロン泣かなくて済んだが。


 ポッシュ/アンサンブル・ユニコーンの演奏。


 1995年録音。ナクソス。


  新旧で判断が異なる
 ここで考える……んっ?
 そういえばこのCCleanerはもう5年以上前にダウンロードしたものだ。もう老いぼれだ。新しいものを正しく判断できないかもしれない。

 そこで、最新のCCleanerをダウンロードして、もう一度レジストリの解析を実施。

 すると不思議なことに“関連付けされていない拡張子”として“.flac”が表示されない。
 つまり、“.flac”はごみではなく、何かに関連付けられているということだ。


 よくわからないが、いまから5年以上前の旧バージョン時には、まだflacという拡張子が存在していなくて、旧CCleanerにとっては異物だったのかもしれない。だから、不要な、あるいは謎の拡張子としてみなされた可能性がある。

 次に、もともとウィンドウズに備わっているシステムツールのなかの“ディスククリーンアップ”を実施。
 CCleanerで問題点を解決したあとなので、わざわざディスククリーンアップを実行する必要はないのだが、そこはしつこく徹底的に。


 それが終わったら“デフラグ”。今回、Cドライブでは4%の、Dドライブには1%の修復箇所があった。
 6年使っていてこのぐらいというのは、個人的は少なく治まっているなという印象。


 これをすべて終えると、おやおや、はっきり実感できるくらいレスポンスが速くなった。

 悪いのは日々のお手入れを忘れていた私だった。


 写真を載せたスクリーン画面。
 上の写真はデフラグまでの作業を完了後、意地悪く、いや怖いもの見たさで、もう一度古いCCleanerでレジストリの解析をしてみたときのもの。
 新CCleanerでは異物とみなされなかった“.flac”が、やはりまだ“関連付けされていない拡張子”として“.flac”が引っかかる。

 このあと、またまたしつこく新バージョンのCCleanerで解析すると、ほぅら、引っかからない(他の怪しい拡張子のものは、上に書いた作業ですでに“処分”されている)。それが2枚目の写真だ。

 以上のことから、ウィンドウズやセキュリティ関連だけでなく、こういうツールでも「ソフトの更新は怠ってはいけない」という、当たり前と言えば当たり前の教訓を新たに得た私である。

 ※ 今日のこの記事、数日前にまだ完成していないのに、「なぜか」公開されてしまった。「なぜか」というのは、自分の手違いといった落ち度にまったく心当たりがないから。しかも、すぐに非公開に戻したのに、某ランキングサイトではちょっぴり順位が上。いろんな点で不思議。
 

私の札響感動史(08)♪第157回、北海道厚生年金会館にハロルド現る!

Harold  なんと全曲札響初演の第153回
 スダーンがタクトを振った1975年9月の第152回定期演奏会は創立14周年の回だった。

 札幌交響楽団は1961年の9月に創立された。


 152回定期のプログラムノーツには、“札幌交響楽団14年間の作曲家別演奏曲目”というリストが載っている。


 その翌月には岩城宏之正指揮者就任記念の第153回定期演奏会が行なわれた。
 そこで岩城が組んだプログラムは、石井眞木の「オーケストラのための『序』」、ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」。

 できたてほやほやの石井の「序」(あー、これもう一度聴きたい!)は当然としても、ラヴェルの「左手」も「ペトルーシュカ」も、14年間演奏曲リストには載っていない。
 つまり、岩城はオール札響初演プログラムを組んだわけだ。


 第153回定期については、しかし、これまでもここここなどで書いているので、ここではスルー。


  急きょヴィオラ首席の西川がソリストに
 11月の第154回定期は、札響に何度も来ていたコシュラーの指揮。
 この回は、当初バルトークのヴァイオリン・コンチェルト第2番のソリストを務める予定だったシルヴィア・マルコヴィッチが直前になってルーマニア政府に国籍変更を申請、来日不能になるという事件があった。
 当時のルーマニアは社会主義共和国だったが、ルーマニア共産党のトップであるチャウシェスクの独裁政権国家だった。シルヴィアさん、逃げ出したかったのね……

 そのためヴィオラ首席の西川修助が急きょソリストを務め、同じバルトークのヴィオラ協奏曲を演奏した。
 私がバルトークのヴァイオリン協奏曲よりもヴィオラ協奏曲の方が好きなのは、こんなことが影響している、ってことはないか……


 12月の第155回は再び岩城が。ソリストは岩城の奥さんの木村かをり。
 木村が弾いたのはラヴェルのピアノ協奏曲。また、プログラムのメインはショスタコーヴィチの交響曲第5番!


 だが、たいへん残念なことに、この月と、年明け1月の定期(指揮&ピアノ:ジェスキント)に、私は行っていない。だって、受験生だったんですもの。

  「海」もこのときが札響初
 2月の第157回定期は、正指揮者・岩城の3度目のステージ。

 プログラムは、ドビュッシーの「牧神の午後の前奏曲」と「海」、そしてベルリオーズの交響曲「イタリアのハロルド」。

SSO157th1

SSO157th2

 「イタリアのハロルド」はもちろん、「海」も“札幌交響楽団14年間の作曲家別演奏曲目”には出てこない作品。

 この日の曲目解説には、異例なことに、岩城時代になって札響のプログラムに大きな変化が現れたことについて、最初に触れている。

SSO157th3

 西川修助は11月に続いてのソロ。

 なお、当日になって演奏順が変更となった。
 「イタリアのハロルド」→(休憩)→「牧神の午後の前奏曲」→「海」である。


 「イタリアのハロルド」には圧倒された。
 こんなすばらしい曲があるのかと思った(それまでの私は、あまりベルリオーズになじみがなかった)。

 さっそく玉光堂オーロラタウン店でLPを買い(あの店、当時は意外と旬なクラシックのレコードが置いてあったということだろう)、無事に合格した高校へ早起きして通学するために、目覚まし時計がわりにしたのはここに書いたとおりである。


 最初に買ったLPはロンバールが指揮した当時新譜としてリリースされたばかりのものだったが、この録音は左右のバランスが悪かった。どっちかは覚えていないが、オーケストラが片側に寄っているような音場だった。


 次に買ったバーンスタイン/ニューヨーク・フィル、リンサー(ヴィオラ)の演奏は、最後の最後でタンバリン奏者がステージの上を右へ左へ駆け回るような録音。ステレオ効果を狙ったのかもしれないが、会場狭しと動き回る床運動の選手じゃあるまいし、こんなんありえん!ってものだった。


 この夜の演奏が、果たして演奏として良かったのかイマイチだったのかはわからないが、「ペトルーシュカ」に続いての、岩城/札響の記念碑的演奏だったことは間違いないだろう。
 タワレコでCD化してほしい演奏の1つだ。おねがいしますおねがいしますおねがいします。


 ベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-69 フランス)の交響曲「イタリアのハロルド(Harold en Italie)」Op.16,H.68(1834)で、私がこれまで聴いてきた中では、血が騒ぐタイプの表現ではないが、バランスの良いコリン・デイヴィス/ロンドン交響楽団、今井信子(va)の演奏が、いちばん安心した気持ちで聴ける。

 1975年録音。TOWER RECORDS UNIVERSAL VINTAGE COLLECTION +plus(原盤:フィリップス)。

 狂気じみたのが好きなら、タンバリン激走のバーンスタイン/NYPの演奏も面白いだろうが-私もまた聴きたくなってきた-、ネットでいくら探してもCDが見つからない。

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