新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2017/09

お茶が?まったく気づきませんでした♪西村朗/ケチャ

  北海道の工場で製造してます
 こちらからのお客様を空港で出迎えた伏草課長と合流した私は、精力的に仕事をこなすよう伏草課長を激励した。いくつかの取引先を訪問し、この日は終わった。

 翌朝。
 私は北海道らしい朝食を食べ、一行とともに出かけた。

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 何か所かを訪問したあと、午前中で私は皆と別れた。
 というのも、伏草課長が引率するお客様はこのあと別な土地へと移動するからだ。

  まともな店が出店
 私は帯広駅からスーパーとかちで札幌へ。

 その前にエキナカのそば屋で昼食。
 以前ここはイーストハウスという、「美味しい」と言えば偽証罪に問われる店だった。

 が、その店が替わっていた。

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 なかなかきちんとしたそばだった。
 私は地鶏そばを頼んだが、肉もたっぷり。太めの麺に濃いめのスープが合う。
 これなら旅行客にも恥ずかしくない味だ。

 ただ、麺に緑茶が練りこまれているということで、そこが正統的かどうか評価が分かれるだろう。経営しているのが藤製茶というお茶の会社なのだ。
 私はまったくお茶の気配、色合い、風味を感じなかったが……。

 帯広駅の中にある食堂で“失敗した”と思わせない店は、事実上“ぶたはげ”だけだったことを思えば、達福の存在意義は大きい。

 西村朗(Nishimura,Akira 1953-  大阪)の「ケチャ(KETIAK)」(1979)。

NishimuraKetiak 初めてこの曲を聴いたとき、人間(わざ)とは思えなかった。
 6台の打楽器(そして声)のための作品だが、精緻なリズムを乱れることなく奏で上げるアンサンブルのすごさにびっくり仰天したものだ。

 その後ミニマルミュージックなど、やはり細かなリズムが刻まれる作品をいくつも聴いてきているが、この「ケチャ」の凄さ-書く方も、()る方も-はいま聴いても鮮烈だ。

 パーカッショングループ72の演奏で。

 1988年録音。カメラータ。

 この曲について、「西村朗と吉松隆のクラシック大作曲家診断」(学研)で、吉松隆氏はこうしゃべっている。

 たとえば、西村君の初期の傑作である《ケチャ》(1979年)ね。リズムのくり返しで熱狂的効果を生み出す作品だけど、あの楽譜って手書きならではのすごさがあるよね。コンピュータならリズム・パターンのひとつをコピーして隣の小節にペーストして「〇〇回くり返す」とクリックすればかんたんにできる作業だけど、それを全部手書きでやったらそれこそ気が狂いそうになる。でも、あの時代にあえてすべて手作業でやった。そのことの説得力があるんだな。

  変態野郎のせいで……
 私が乗る予定の折り返しの車両は、途中の行き違い列車との待ち合わせで時間を要してしまい、30分の到着遅れ。出発も25分遅れた。

 なぜそのようなことが起こったのかの説明はない。
 行き違い列車との待ち合わせで時間を要したというのは間違いではないだろうが、なぜそういうことになったのかの情報がない。

 夜のニュースでわかったのだが、新札幌駅のホームで女性を盗撮しようとした男が、捕まりそうになったので線路に下りそのまま札幌方向へ逃走。その影響で列車に遅れが生じたらしい。

 そこまでのことはアナウンスしないにせよ、あんな内容の案内だったら、またJRに非があって乱れていると思われるだろうに、やり方が実にへたくそだ。

 なお、変態野郎はまだ捕まっていない(はずだ)。
 

“ととと”の前は“ててて”だったっけか?♪呉祖強/琵琶協奏曲

  ふじもりにとってプラスになるかマイナスになるか?
 21日。

 ホテルを出た私は、駅前の通りの眺めに「どこか違う」と感じた。

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 それもそのはず、“ふじもり”(インデアンカレーの経営母体である)の隣に新しい居酒屋ができていたのだ。

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 “ととと”……。妙な名前だ。

 が、それよりなにより、私が住んでいたころ、ここには何があっただろう?
 4年も住んでいたのに、そしてまた、いつもこの通りを歩いていたのに全然思い出せない。

 そんなモヤモヤを心にためたまま、支社に行った。

 挨拶もそこそこに、大嵐係長やスウィングさん、アイアイさんに尋ねてみると、そこはかつて時計店であったことがわかった。
 小原時計店である。

 高級時計主体で、たぶんほとんど定価販売。貼ってあってもセールとかではなく分割払いの「金利優遇キャンペーン」の貼り紙程度。いったいどれくらい売れていたのか……?
 帯広の藤丸百貨店の中にある時計店も定価販売。いまどきこういう売り方をしているのは珍しい。

 そうそう、小原時計店には腕時計の電池交換をしに行ったことがある。
 帰りに、帯広駅のESTAに入っている時計店では電池交換がその半値以下でやってくれるという衝撃の事実を知ったことを思いだしてしまった。

 隣のふじもりの駐車場も広くなっていた。
 ローソンの裏の、何かを取り壊した形跡があった荒廃した空き地-そこにはなぜかいつも自転車が1台停められていた-を買収したのだろう。これでパパもママも安心して食事に行ける。

  1年以上ぶりなのに「いつもの」
 さて、支社に寄ったあと、私は引き止められるのを断り、と思ったら誰も引き止めてくれないので、独り早目の昼食をとることにした(っていうか、計画通りだが)。

 行ったのはもちろん“美珍楼”。担担麺である。

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 店に入ると、ホール係の若いお兄ちゃんが、まるで亡霊を見たような呆然とした表情。
 私の場合、久しぶりに会う人には「あっ!」とかいうリアクションを起こさせるのではなく、相手を固めてしまうらしい。

20150117TANTAN 「お久しぶりです」と言うと、「お姉さん、喜びますよ!」
 階段を上ると(1階は昼はバイキング会場なので、単品を食べるには2階に行かなくてはならない)、“お姉さん”が「お久しぶりです」と元気に言ってくれた。ようやく固まらない人に出会った。

 このお姉さん、実は年齢不詳だ。
 それは別にどうでもいいが、席に着くと「いつものでいいですか?」と言う。
 もちろんいいのだが、1年以上来ていないのに「いつもの」と言われると、なんだか申し訳ないような気がしてしまう。

 こうして“いつもの”担担麺+小ライスを食べた。
 相変わらずゴマの味わいが濃厚で美味しい。先日四川飯店で食べたような様々な食材が絶妙なハーモニーを織り成すようなものではなく、パワフルな風味。トッピングの金針菜も変わらずで、うれしい(写真は2年前に撮影したもの)。

 またの再会をお姉さんとお兄ちゃんに告げ、店をあとにした。

WuLittleSisters  あのころは聴くたびに感動していたのに
 呉祖強(ウー ツーチャン Wu Tsu-chang 1927-  中国)の琵琶協奏曲「草原の小姉妹(Little Sisters of the Grassland)」(1973)

 呉は北京出身の作曲家。ウィキペディアによると、その作風は“西ヨーロッパ、ロシアのクラシック音楽と中国民俗音楽を融合させたもの”とある。

 小澤征爾がボストン響を率いて中国を訪れた年に、この曲のディスクが発売された(録音はボストンで行なわれた)。
 私はFMをエアチェックし、そのカセットテープをずいぶんと繰り返し聴いた。そのぐらい心を揺さぶられた。「いかにも」っていうベタな曲なのに。

 先日読んだ「音盤考現学 片山杜秀の本(1)」の第27章「小澤征爾と「満州」」に、このディスクが取り上げられていたことと、担担麺を食べたことが融合し、久しぶりにこのコンチェルトを聴いてみたが、今となっては聴いていてなんだか気恥ずかしい感じがしてしまう。別にボク、恥ずかしいことなんてしてないのに。

Katayama_Ozawa にしても、小姉妹って日本語も、考えれば考えるほどやっぱり変だ。

 小親子ならミニサイズの親子丼だってわかるが……って、あのころの私はそんなぐれたことを考えるような若者ではなかったのだ。だから純粋に胸が熱くなったのだ。

 それに、いまの私は村上春樹の小説を知っている。だから姉妹と聞けば加納マルタとクレタや、208号と209号の双子といったヘンテコな姉妹を思い浮かべるようになってしまった。

 琵琶は劉徳海(リュー・テイハイ)。

 1979年録音。フィリップス。

 なお、片山氏はこの作品自体については記述していない。

  エンパイアの向かいの合鍵店もなくなっていた
 まだ出張用務遂行まで時間があったので長崎屋に行ってみる。

 ちょうど小銭入れのチャックが壊れたので、ラムスキンの小銭入れを購入した。
 その前に藤丸でも見たのだが、ブランド品の高い商品ばかり。果たして、札入れより高い小銭入れを買う意味があるだろうか?全然ない。
 というわけで、長崎屋に行ったのだった。

 長崎屋の3階のファミレスっぽい店はつぶれていた。
 同じ階のそば屋には昼どきにもかかわらず、客が1人もいなかった。
 フクハラのレジのお姉さまがたは2年前と変わらない顔ぶれだった。

 そのあと、かつて通った歯科医院の前を通ったら、相変わらず混んでいた。ガラスのドア越しに中が見えるのである。
 ここで治療した歯の、その根がいま私を困らせているなんて、そしてそのことによってひそかに私の恨みをかっているなんて医師は夢にも思っていないだろう。いや、私のことなど300%記憶にないだろう。

 そんなことを思いつつ、ふくらんだ頬を指で押してみたあと、お客さんを飛行場まで迎えに行った伏草課長と合流するためにマチナカをあとにした。

1年ぶりのOb、3年半ぶりのSz♪バルトーク/コントラスツ

ArgerichChamberMusic  この隙に行っておかねば
 20日。
 私は午前中の便で名古屋から新千歳空港に向かった。

 気流が悪いということで、飛行機はしつこい揺れから解放されず、ドリンクサービスも冷たいものだけ。
 なぜならば、揺れで飲み物がこぼれ、やけどをしてはいけないからだ。こういうときでも、自分の不注意にもかかわらず、こぼれたら熱い飲み物をサービスする方が悪いと文句をつけるニンゲンがいるわけで、航空会社としては賢明な判断だ。

 過活動膀胱か膀胱に根性がないだけかわからないが、不意かつ急な逃れがたい尿意に襲われるのを避けるため、飛行機では飲み物サービスをお断りしている私(賢明な判断だ)。

 だからサービスが始まってほどなくして-ということはシートベルトサインが消灯しているわけだ-トイレに行き、絞り出すものを絞り出し、席に戻り、ちゃんとシートベルトをした。
 このトイレに行くタイミングはけっこう難しいものがある。あんまり早めにいくとまたしたくなるような気になるし、ぎりぎりまで待っていると急にトイレが混み始め、そのうちシートベルトサイン点灯という、地球滅亡の日ぐらいショックを受けるはめになるからだ。
 目安の一つは機内販売の終了時刻。アナウンスで「機内販売は〇時〇分に終了させていただきます」と流れたら、その終了時刻の10~5分ころ前に行くのが良い(と私は信じている)。

  今回は見事なまでに予定通り
 新千歳空港には、あれだけたちの悪い気流に翻弄されたにもかかわらず、定刻に着いた。

 まずは南千歳駅まで行く。ここから帯広に向かうのだ。
 私が乗るスーパーおおぞら7号が来るまで、小1時間ある。

 1時間もあるのかと言うなかれ。
 飛行機が順調に飛んだからこそ、このように余裕があるが、ちょっとでも狂いだすとたちまち余裕がなくなるのだ。

 南千歳駅のホームに快速エアポートから降り立った私は、そのままそのホームにある「まるい」に行く。
 駅弁店である。
 そして、サーモン寿司(ずし)を購入した。
 サーモン寿司は最後に残った1箱だった。なんか、ツイてるぅ~。

 エスカレーターで改札に向かう(南千歳駅は跨線橋の上にある)。

 駅員に「おおぞらに乗り換えるまで1時間弱あるので、いったん改札から出ていいですか?」と尋ねるリハーサルを上昇するエスカレーターの上で3度繰り返した。

 が、なんと改札内にキヨスクまであるガラス張りの待合室があるではないか!むしろ改札から出てしまう方が居心地が悪そうだ。
 ここから道東へ、道南へと乗り換える客はけっこういるのだろう。なかなか合理的な造りである。

 そして私は、理想的なすき加減の待合室でゆっくりとサーモン寿司を味わった。
 日向山課長と冬のホームで食べたとき以来だから、3年半ぶりということになる。

 そしてまた、その環境の違いは味わいにも大きく影響した。
 ほどよい温度(常温だが)に、適度な柔らかさ。口に広がる芳醇な香り。なんて美味しいのだろう!
 食事というものは寒風吹きすさぶホームでとるものではないのだ。

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 ところで、サーモン寿司を私が初めて食べたのは大学生のとき。
 Kbys君たちとアポイ岳に登るため(この山は低いにもかかわらず、固有種も含め高山植物が豊富)国鉄で様似まで行ったのだが、苫小牧駅に停車したときにホームで駅弁を売りしていたおじさんと目があってしまい購入。これがまた、ツボにはまるほどうまかったのだ。
 現在は南千歳駅と苫小牧駅でしか売っておらず、簡単に買いに行けないのが残念である。

  別会社の2人が仲良く飲んだ帰りに見たものは亡霊?
 おなかが満たされた私は、その後スーパーおおぞらに乗車。
 こちらもほぼ定刻通りに帯広駅に到着。
 帯広を訪れるのはほぼ1年ぶり。去年は大きな台風が十勝地方を襲ったすぐあとに訪問した。

 帯広支社の人たちと情報交換をしながら食事をし、大変楽しい時間を過ごさせてもらった。
 うれしさのあまり、帰りにはお空が涙涙涙だったほどだ(つまりどしゃ降り)。

 ホテルに戻ってから、駅構内にあるセブンイレブンに翌朝の食事を買いに出かけた。
 駅のなかで、帯広勤務時代の取引先のA社のaさんと、B社のbさんにばったり会った。
 2人は私の姿を見て、死霊が現れたかのような顔を最初したが、向こうもほろ酔い状態で「どもども、お久しぶりです」「いやいや、お久しぶりです」と意味のないあいさつをし、なぜ私がここにいるのかを知ろうともせず別れた。

 こうして1日目が終わった。

 ところでバルトーク(Bartok,Bela 1881-1945 ハンガリー)の作品にはSz.という番号が付けられて表記される場合が多い。

 Sz.番号はスールーシ(A.Szollosy)が1956年に出版したバルトーク作品目録の番号(1965年改訂)。
 が、むかし-少なくとも私が高校生のころ-はサボルツィ番号と呼ばれていた。これをどう読めばサボルツィという音になるのかよくわからないが……

 バルトークの作品から、今日は「コントラスツ(Contrasts)」Sz.111(1938)。

 ハンガリーのヴァイオリニストで、バルトークと同じくアメリカに渡っていたシゲティが間に入り、ベニー・グッドマン(そう、あのジャスのグッドマン)からの委嘱で書かれた、ヴァイオリン、クラリネット、ピアノのための三重奏曲。
 クラリネットはグッドマン、ヴァイオリンはシゲティ、そしてピアノはバルトークと、この3人で演奏するように書かれたのである。

 あのくそまじめで頑固そうな(と勝手に思い込んでいる)バルトークらしくないジャズっぽい箇所があり、またハンガリーやルーマニアの民俗舞踊音楽の要素もある、なかなかユニーク味の曲である。
 ヴェルブンコシュ/ピヘネー/シェベシュの3つの楽章からなる。

 ジュイエのヴァイオリン、コリンズのクラリネット、アルゲリッチのピアノで。

 1998年ライヴ録音。EMI。

 今日は歯科医院に行く日。この1カ月の私の窮状を切々と訴えなければ……

予告どおり本日休載

 本日は臨時休載いたします。

 こう見えても私、予告したことは守るタイプのヒトなので……

SatieCiccolini

   サティ/バレエ「本日休演(ルラーシュ)」

 書きたいことはたくさんあるんだけど-おそらくそれはあなたが望んでいない内容だろうけど-書く時間がないの……

すべての原因は目にあり!と勝手に思い……♪テンシュテットのGM4

Mahler4Tennstedt  ありがたいお知らせに起こされる
 土曜日の夕方からポツポツと雨粒が空から落ちてきて、それはやがてポツリポツリとなり、さらにボタボタという音に変わり、ついにはザザザザザザザザタタタタタタタタタ、雷ゴロゴロゴロリンチョになった。

 寝入りばなには市から災害警戒メールが入り、すっかり寝入っているときにもまたメール着信音が。“それは大雨警報が解除されました。大雨注意報が発令されました”というとってもご親切なものだった。

 朝になるとすっかり腫れあがっていて(左下の歯ぐきが)、空も晴れあがっていた。

 にしても昨年の夏前に大腫れしたものの、その後の賢明な医師の処置によってずっと落ち着いていた私のハグキ。まぜこの1か月くらいでまた落ち着かなくなってきたのだろう?

 しかも前回この件で報告したときにはひどいのは左上だったのに、左上だって全快祝いを配って歩くような状態ではないものの、いまひどいのは左下だ。もともと原発となった箇所である。

 もしかすると、腫れの原因はほかにもあるかもしれない。

  遠近両用の場合、見えすぎは逆に疲れる
 日曜日の朝、偶然にもたまたま妻が「メガネの度が合わなくなってきている。汝はいかがか?」と聞いてきたので、「我、合っておらず。また楽しからずや」と答えた。
 遠近両用メガネを使っているが、このところ、近くも遠くも、いったいどこが焦点のベストマッチング・ポイントなのかわからない状況。

 常に目の疲れに襲われており、これってパソコン画面の見過ぎだとか、耳掃除のし過ぎだとかじゃなく、もしかしてメガネが合ってないせいじゃないか。そして歯ぐきの腫れもそれに関係しているのではないのかと考えるに至った。
 で、日曜日、その4時間前にはみじんにも考えていなかった“富士メガネに出向く”ということが決定した。

 測ってみると、2年前に作ったいまのメガネは近視の度数が強いこと、老眼がちょっと進んでいることがわかった。
 遠くを見るときにも近くを見るときにも目の筋肉に緊張を強いていたことになる。
 で、近視を2段階下げ(それでも1.0の視力を確保)、老眼を1段階上げた。
 その結果、本を読むときなどもはたから見て明らかに老眼というように離してみる必要がなくなることになる。

 そういうわけで私は新しいメガネを作ったのだが、受け取りは次回札幌に出張したときということになる。

  スメタナなんかもかけていたけど
 ところで有名な作曲家たちの肖像画あるいは肖像写真をざっくり思い起こしてみると、メガネをかけているのはマーラーとかショスタコーヴィチくらいしかすぐには思い浮かばない。

 間違いなくメガネ着用のベートーヴェンやモーツァルトの絵は残っていないし、バッハやヘンデルもそうだ。
 ただし、バッハは若いときに暗闇で楽譜を勉強し過ぎて目を患ったし、ヘンデルだって盲目になった。

 ましてやリュリやパレストリーナなんてありっこないだろうし-メガネはいつごろ発明されたのだろう?-近代・現代の作曲家にしたってふだんメガネを使っていたにしろ、写真を撮るときにはメガネをはずしたのだろう。

 そんなメガネがお似合いのマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の顔が天然色で描かれている、テンシュテット/ロンドン・フィル、ポップ(S)による交響曲第4番ト長調(1892,'99-1901/改訂1901-10)のディスクを。

 ここに書いたように、マーラーの鋭い視線が聴き手にグサッとくるような怖い演奏だ。

 1982年録音。EMI。

 本日は移動日につきこのへんで。

刺さったのがスープの袋じゃなく指でよかった♪ヴァイス/MY WOODEN~

P9230407  濃厚と煮干し、どっちから味わおうかなぁ
 というわけで、結局理容室からの帰り道はセコマには寄らず、スーパーに寄った。
 そこで、ラーメンのスープを3種買った。

 もちろん名古屋に持ち帰って食べるためである。
 いうまでもなくスープを食べるのではなく、名古屋で買った西山製麺製の麺をゆで、このスープを指定通り希釈してラーメンの姿に仕上げて食べるのである。

 敏感な方でもなかなか気づかないだろうが、今回は西山製のスープではなく菊水製の醤油2種にした。また鈍感な方ならお気づきにならないだろうが、担々麺のスープは以前にも記事で紹介したベル食品製のものである。

 スープ片手にルンルン気分で家路を急いだ私は、ふと街路樹に目をやった。
 なにやら騒々しかったからである。

 樹がうめいていたのではない。
 ナナカマドの実はすっかり色づいていて、「あぁ、もうホントに秋なのね」と、吟遊詩人のように思った。
 で、騒々しかったのはこの実をついばもうと上の電線に待機しているスズメ(逆光だったのでよくわからないが、スズメじゃないとしたら、なおのこと、なんという鳥だかわからない)たちのせいだった。

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  負傷したのはちゃんと履いてなかったから
 さて、自分の髪だけさっぱりすればいいってもんじゃない。
 伸びに伸びたバラの枝々の剪定だ。

 が、手袋は“履かないで”やっていたら。左手中指にグッサリととげを刺してしまった。
 子どもなら泣き叫ぶ痛さと血の出方だ。
 私は子どもじゃないので「やられた~」と独白し、作業を中断せざるを得なかった。

WeissWooden なお北海道の場合、“履く”という言葉は靴や靴下、足袋など足に関するものだけではなく、手袋、軍手、指サックなどを着用する場合にも“履く”と使う。指サックについては自信がないが……

 ヴァイス(Harald Weiss 1949-  ドイツ)の「MY WOODEN DANCING SHOES」(1990)。

 ここに書いたように、それぞれ音楽様式の名がついた10曲からなる。

 演奏しているのは作曲者のヴァイス1人。
 録音を重ねて行き-つまり多重録音-へんてこなおっさんが何人もいるような曲になっている。

 ジャンルとしてはクロスオーヴァーってことになるのかもしれないが、ちょっと意味不明ながら奇想天外な世界が広がる。

 1990年録音。wergo。

 今日は札幌で会議である。
 乳舞係長と一緒に出席してくる。

でもセコマに寄らなかった私♪ロッシーニ/セヴィーリャの理髪師

20170917NagoyaManhole  その思い、私もです
 愛知県の大村知事が19日に行なった会見について、20日付の朝日新聞愛知版朝刊にこう載っていた。

 北朝鮮問題が緊迫する中での総選挙による政治空白を「自分の損得より国民社会のために頑張るのが政治家の矜持(きょうじ)じゃないのか。その矜持が消えてなくなったのか、暗澹(あんたん)たる思いに包まれた」と切って捨てるとともに、争点は「こういうやり方をする安倍政権の是非に集約される」と述べた。

 そのとおりだ。実にいいことを言う。
 名古屋のマンホールに描かれているキャラに似ていると思ったこともあるが、ごめん、反省している。

  満足度No.1のコンビニと言われているらしいけど
 さて、あれから1か月以上経ってしまった。

 新千歳空港で松山千春が出発待ちの機内で歌を歌ったときのことではない。
 前回髪を切ってからだ。

 なので理容室に行った。昨日のことである。

 “粋めん”ショップと違い、行きつけの理容室は千円札を3枚握りしめていけばよい。握りしめるのが嫌だったら折りたたんでポケットに入れるもよし、ポケットの容量に余裕があるなら財布ごと突っ込んで出かけてもいい。それなら帰りにセコマに寄って、北海道メロンソフトを買うことだってできる。


SEICOMART セコマの評判が高まっている。
 北海道民としてはうれしい。
 が、弁当に関してはまだまだ改良の余地あり、と思っている。
 が、ホットシェフのカツ丼はいける。食べきりサイズの100円惣菜もすばらしい。単身生活をしていると、近くにセコマがあったらなーと思う。100円惣菜は独り暮らしにとても便利だ。


 セコマってなんだって?ケチ魔のことではない。北海道のコンビニ、セイコーマートのことである。

 にしても、歳を重ねてあちこち衰えてきてもちゃんと髪は伸びるし、爪も伸びる。
 ありがたいことである。


 ロッシーニ(Gioacchino Rossini 1792-1868 イタリア)の歌劇「セヴィーリャの理髪師(Il barbiere di Siviglia)」。原作ボーマルシェ、台本ステルビーニによる2幕のオペラで、1816年にローマで初演された。


 私はかつてヴァルヴィーゾ指揮ナポリ・ロッシーニ管弦楽団他によるLPの抜粋盤を持っていたが、あまりオペラに関心のない私がこのLPを購入したのは、第1幕第1場でフィガロが歌うカヴァティーナ(技巧的なアリア)「私は町の何でも屋(Largo al factotum cita)」を聴きたかったからだ。

 というのも、「トムとジェリー」の真ん中作品のなかで私が最高傑作だと思っている「へんてこなオペラ」で歌われていたのが、この曲だったからである(どうしてこの曲だとわかったのか思い出せないけど)。

 なるほど「私は町の何でも屋」を歌っているからこそ、アニメでもいろんなものに(マジックで)変装させられるのか。まぁ、なんて奥が深いことなの!と感銘を受けたものだったりらりらぁ~。

Rossini Semira また、先月亡くなった喜劇役者のジェリー・ルイス。この人が出ている映画を一度だけテレビで観たことがある。ルイスがある屋敷の前で、2階のバルコニーに向かって歌うのがこのカヴァティーナ。

 オペラでは伯爵が思いを寄せる女性の家の前でバルコニーに向かって愛の歌を歌うものの、彼女は姿を現わさない。そんなときに現れたフィガロがこのカヴァティーナを歌うのだが、映画ではこの筋を(たぶん)踏襲した上で、パロッていたのだったらりろぱ~。
 細かいところはよく覚えていないが、意外と大爆笑してしまったような気がする。

 LPを処分してからは、このオペラの序曲のディスクしかもっていない。

 ということで、序曲をノリントン/ロンドン・クラシカル・プレイヤーズの演奏で。


P9230397 1990年録音。EMI。

 
 「トムとジェリー」の本作品の方でこの序曲が使われていた回があった。


 さて、自分の頭だけさっぱりさせてはバチが当たる。
 帰ってきて庭の芝刈りに雑草抜き、バラの剪定。
 冬支度にはまだ早いが、冬を見据えた強めの剪定を行なう。


 家の中で小さな羽虫が飛んでいるとの苦情が妻から寄せられていた。
 モンキーバナナの鉢から出ているのではないかと言う。
 家の中に入れるとき、半日間鉢をマラソン乳剤に漬け置きしたのでそんなことはないと思うのだが、でもどう考えても怪しいのはバナナの鉢だ。


 用心深く慎重に点検する。
 私の目には生物らしき粒は見えない。
 部屋の中を羽虫が飛んでいる姿も目にしていない。

 私が帰宅して恐れをなしたのだろうか?
 そういえば「セヴィーリャの理髪師」のまたの名は「無益な用心(L'inutile precauzione)」だ。
 
 そうそう、名古屋のマンホールに描かれているキャラはカエルだとばっかり思っていたが-この地にはかえる饅頭なるお菓子もあるくらいだ-、妻が調べたところカエルじゃなくアメンボなんだそうだ。

 マンホールのふたを開けるとそこには、アメンボの大群が……なんて絶対ヤダ。

私の札響感動史(04)♪豪華絢爛な響きに感極まった私

Beethoven3Sakkyo1974  札響の演奏が世界初録音
 還暦祝賀で荒谷が指揮台に上がった第134回定期の翌月(第135回)は、常任のシュヴァルツの指揮。

 この日のプログラムは、
 ①プフィッツナー/小交響曲
 ②ラロ/スペイン交響曲(ヴァイオリン独奏:江藤俊哉)
 ③ブラームス/交響曲第1番

 正直言ってあまり印象に残っていない。

 唯一言えるのは、スペイン交響曲(この交響曲という名のコンチェルトは5つの楽章からなる)の第3楽章が「ジャン!」と力強い一音で終わったときに、ヴィオラの誰かがその勢いのまま弓を床にバタッ!と落としたことぐらいだ。もちろん本人はとっても恥ずかしそうに苦笑いしていたが。

 また、「小交響曲」は、コンサートでの印象は残っていないものの、この年の5月に発売された初の札響のレコードにベートーヴェンの交響曲第3番とともに収められた。
 その、おそらくは小交響曲としては初録音だろうと言われた演奏を何度も聴くうちに、私はすっかり好きになってしまった。
 ベートーヴェンが札響の響きでは物足りなかったのに対し-モーツァルトのような「エロイカ」だった-、プフィッツナーはぴったりはまっていた。

  すぐ赤くなるんだからぁ~
 このシーズン最後の、3月の第136回定期は若き日の内田光子がメンデルスゾーンのピアノ協奏曲第1番を弾いたが、これまた彼女の姿は記憶に残っているものの演奏は覚えていない。
 136回定期も指揮はシュヴァルツだったが、メインはムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編)。

 初めて聴く曲だったが、冒頭のトランペットのメロディーで「あっ、聴いたことのある曲だ」と引き込まれ、そこからはすっかりテンション上がりっぱなし(私の)。吹けばどんどん顔が真っ赤になるトランペットの金子義人さんの顔を見るのも楽しかった。
 いろんな楽器が鳴り響くこの曲は、このシーズンで最も私を感動感激させた。

 また、この日のプログラムにはヒンデミットの「ウェーバーの主題による交響的変容」も入っていた。これまた打楽器が活躍する曲で、すっかりお気に召してしまった。

 さて、次の春季シーズンは会員継続をしなかった。できなかったというのが正しい。
 中学生だもの。お金がないんですもの。次に会員になったのはこの年の12月。第144回定期からだった。

  無料コンサートにも数多く登場したシュヴァルツ
 その間は無料の演奏会に行った。
 そう、札響第2の定期演奏会と言われる“北電ファミリーコンサート”である。

 5月(指揮:三石精一)、10月(飯守泰次郎)、11月(シュヴァルツ)に行っているが、5月と10月は強烈な印象が残った。

1974Hokuden チケット半券を探し出せなかったが三石のときは、「ペール・ギュント」組曲(グリーグ)、「カルメン」組曲、組曲「仮面舞踏会」(ハチャトゥリアン)、小組曲(ドビュッシー)など、次から次へと心を揺り動かされた。

 そして、飯守の回の「シェエラザード」。
 終演後、どうしたらよいだろうってくらいの気分の高揚。バスに乗って家に帰る、そういう俗っぽいことをしたくないと思ったほどだった。

 そしてまた、この2回はようやくシュヴァルツ以外の指揮者の演奏を聴く良い機会でもあった(すでに荒谷は聴いたけど)。

 良くも悪くも、このころは定期でもファミリーコンサートでもシュヴァルツが登場する回数が多かった。
 コンサートに出向く用になって数カ月の私が生意気にもそのとき思ったことは、他の指揮者の演奏も聴いてみたいということだった。

PfitznerSym2 さて、今日はプフィッツナー(Hans Pfitzner 1869-1949 ドイツ)の「小交響曲(Kleine Symphonie)」Op.44(1939)。

 この曲のディスクを検索してみると、いまでもとても少ない。

 私が持っているのはアルベルト/バンベルク交響楽団による演奏のものだが、この録音以外はないかもしれない。

 1989‐90年録音。CPO。

 読んでおわかりのように、このころは演奏が良いとかどうとか-もちろん私にはこれらの多く良い演奏だと感じたし、逆に印象に残っていないものもあるわけだが-よりも、札響の演奏会を通じて新たな曲を知れることがありがたかった。

 が、リコーダーすら満足に吹けない私は、やがて評論家じみた見方もするようになる。しかし、それはもっともっとあとのことである。

 そして、私が次に臨んだ第144回定期演奏会。
 指揮者はテオドール・グシュルバウアーだった。

薄いめより濃いめが好き!♪プレートルの幻想交響曲

BerliozSFPretre  この絵のような人は駅にはいなかったけど
 おととい、帯広にやって来た。
 今日まで帯広およびその近隣の町で仕事である。

 今回の出張の、冷たいあなたにはちっとも話を聞いてくれないのね、的な報告については戻ってからということになるが、その間、少なくとも機能、京都飛鳥漁って、おっと、昨日、今日と明日かあさって(便乗)のブログは文を書いている時間がないので、あらかじめ書いてあった記事を予約投稿する。そのことをあなたは認知しなくれはならないの。
 作り置きしていた文章か、作り立てのできそこないの文章かの区別は、投稿時刻が5:30か否か。5:30なら予約投稿ということになる。
 あるいはホテルでレンタルPCを借りた場合は、いまくどくどしく書いた前提はなし崩しになる。

  減塩食のよう?
 さて、19日に村上春樹の「雑文集」のなかから、マゼールについて書いてある箇所を引用したが、その続きにはこう書いてある。

 ――ジョルジュ・プレートルがベートーヴェンを振ったコンサートも見事だった。レコードで聴くプレートルの印象ってなんかちょいと薄いめで、とくになんていうこともない指揮者だなあ、と思っていたんですけど、実演だとまるで違うんです。音楽が隅々まで生きて動いていて、それが目に見えます。そういうのって、コンサートじゃないとわからないですよね。
――


 そうですか?

 いえ、決して同意していないということではない。
 コンサートじゃわからないことって、間違いなくある。

 私が疑問をもったのはプレートルのこと。この指揮者に関してはフランス物の録音しか聴いたことがないから。
 サン=サーンスやプーランク、そしてベルリオーズだ。

 その演奏は透明感があって繊細。快活でちょっぴり茶目っ気もある(ように聴こえることがあるような気もする)。逆にいえば、村上氏の言う「薄いめ」ということになる。
 にしても、「薄め」じゃなくて「薄いめ」って言うんだ……。濃いめの反対だからな……

 プレートルは今年の1月に亡くなった。
 そのときにはどこのオーケストラとも契約を結んでいなかったが、ウィーン交響楽団の終身名誉指揮者、シュトゥットガルト放送交響楽団の名誉指揮者だった。

 そのプレートル/ウィーン交響楽団によるベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-69 フランス)の幻想交響曲Op.14(1830/改訂'31)。

 このディスクを以前取り上げたとき、私は生意気にも“録音は良いし、力演。ただ、私の心には迫ってこない。パワーもあるのだが、どこかよそよそしく響く。全体を通してテンポは速めで、この作品の標題がもつ恨みつらみとか愛と憎しみのような情感は希薄”と書いている。

 やっぱり薄いめってことか?

 いえ、悪くはないんですよ。鳴るべきところはパワフルだし、細かにテンポを動かすところも面白いし。
 でも、私の好みは後半2つの楽章はもっとドロドロやってほしいところってだけ。とくに、しけたしけた鐘の音がどうもねぇ。
 機会があったら、プレートルのドイツ物を聴いてみよう。

 1985年録音。テルデック(WARNER × TOWER RECORDS Detour Collection)。

SukiyaButadon1  非十勝風豚丼
 ところで帯広といえば、誰もが知ってる-もう1つのソウルフード・中華ちらしを知らなくても-豚丼。

 名古屋で暮らしていてけっこう重宝しているのが、冷凍食品のすき家監修によるトロナジャパンの牛丼の具
 お茶碗サイズで便利なのだ。

 しかし牛肉よりも豚肉が好きな私。すき焼きでも牛より豚に喜びを感じる私。

 そんな私が自宅に帰ったとき、近所のスーパーですき家の同じお茶碗サイSukiyaButadon2ズの豚丼の具が売っているのを発見した。

 名古屋でも売ってくれないかなぁ。

 そう思っていたら、誰にも言ってないのに願いが通じたのか、マックスバリュで大量陳列されていた。

 豚丼といっても十勝の豚丼のように焼いたものではなく、豚肉を牛丼風に煮込んだもの。

 でもやっぱり、牛より豚が、私にはおいしく感じる。

 あれ?
 “ぶたどん”じゃなくて“とんどん”ってふり仮名が……
 へぇ~。

 考えてみれば、トンカツにトンテキ、トンソクって言うもんな。トン汁はぶた汁って言うことはあるけど。
 ってことは、ぶた丼って言い方の方が全国的にはひねった読み方なのかもしれない。

かつてはこっち、いまはあっち♪中胡協奏曲「Su Wu」他

Su Wu  マチナカから離れたところに……
 初代・陳建民、2代目・陳建一、3代目・陳建太郎の赤坂四川飯店。

 名古屋にも、その直営店か系列店かはよくわからないが、四川飯店がある。
 場所は名駅でも栄でもない。池下という街の閑静とした住宅街にある。

 先週、牛坂課長ならびに乳舞(ちちぶ)係長と、その四川飯店 名古屋に行ってみた。
 もちろんただ行ってみただけではない。ちゃんと食べてみた。

 モダンな店舗。提灯やら紹興酒のカメなんかが店先に並んでいたりしない。
 店内には、いかにもって感じで中国音楽が流れたりしていない。
 価格設定は、一般的な中華料理店の1.5~2倍くらい。赤坂の四川飯店よりはちょっぴり安いかもしれない。

 が、味は間違いなし。これなら、この価格でも文句など言えるものか!

 陳建一の麻婆豆腐と陳建民の麻婆豆腐の2種の麻婆豆腐があり、どちらも食べてみたが、どっちもうまい。
 建一版は唐辛子マーク4つ、建民版は1つ。
 建民版の方が懐かしい味がする。
 なお、どちらも山椒(花椒(ホワジャオ))はほとんど使っていない。もしかするとまったく使っていないかもしれない。豆板醤の辛さである。山椒の刺激で味をマスクしていないのだ。

 メニューにはないのを承知で「かに玉はあります?」と言ってみたら、ウェイターのお兄さんが「かに玉はちょっと」と笑って応えてくれた。ウケてよかった。
 メニューにあるのに「麻婆春雨……」とオーダーしようとすると間髪入れずに「ない!」というあの店とは正反対。応対も洗練されている。

  味わい深さこの上ないスープ
 最後に担担麺を注文。
 3人でシェア。

 スープをすすると、なんと深みのある味か!
 憑りつかれたように続けてスープを飲んでしまい、汁なし担担麺のようになってしまった。
 もちろん麺もこのスープに相性抜群の太さ。

 あぁ、3人でシェアするんじゃなかった。みんな私の物にすればよかった!
 せめて、大盛りを3人で分けるべきだった。
 なお、こちらも山椒は使っていない。

  友好マップが変化
 ところで、何度か触れているが、札幌にも四川飯店がある。それも2店。

 私がよく行っていたのは札幌駅ターミナルビル・ESTAの10階にある店の方だ。

 ところが以前、赤坂の四川飯店に行ったとき、レジの横に置いてある全国の店舗が載っているパンフをみると、その店が載っていない。
 レジの人に聞くと、その店はウチの系列店ではないという。一方、もう1つの店、札幌ガーデンパレスに入っている四川飯店は関係があると言っていた。

 写真は、1985年に発行された「暮しの設計 Vol.167 陳建民 健一 中国の家庭料理入門」。

Kurashi167

 そのなかに四川飯店の案内が載っている広告ページがある。

KurashinoTechoShisen

 赤坂四川飯店の系列店として札幌四川飯店が載っているが、この電話番号はESTAにある店のもの。この店はもちろんいまでもあるし、人気がある。電話番号も同じだ。
 ということは、少なくとも昭和60年の時点ではESTAの店は赤坂四川飯店の系列店だったことになる。

 一方、札幌ガーデンパレスに入っている四川飯店は、いまのガーデンパレスが建てられる前、現在地の近くにあったエルム会館だかという古い建物にあったはずだ。行ったことはないが看板を見かけたことがある。

 それがどんないきさつか知らないが、ESTAの店はもう本家と関係なく、逆に広告には載っていなかったガーデンパレスの店はつながりがあることになった。
 ガーデンパレスの店に初めて行ったのはいまから15年ほど前で、その後何回か食事しているが、確かに赤坂四川飯店や先週食べた名古屋の四川飯店の味に通じるものがあるし、ESTAの四川飯店よりも値段の設定も高めだ。

JyuugyouinBoshu 昭和60年ころから昼に夜によく食事をしに行ったESTAの四川飯店は、ここ数年(その前にも断続的に)かつての味とはちょっと変わったような気がする

 そういえば、ESTAの四川飯店はかつて、陳建民の弟子だった人(日本人)が料理長を務めていると言っていた(写真はまったく関係ない名古屋の中華料理屋でみかけた貼り紙です)。その人が辞めたあと、提携関係が変わったのだろうか?ホームページには“桃園会グループ”とある。

 ところで、なぜ私が陳建民の料理本を持っているか。
 ESTAの四川飯店の担担麺や麻婆豆腐などの味に感動した若き日の私は、自分でも作りたいと強く思った。

 そんなときにこの本を見つけたのである。

 “暮しの設計”での陳建民シリーズは私が知っている限り3冊ある。ほかの2冊は“陳建民・洋子夫妻のおそうざい中國料理”と“陳建一 中国の野菜料理”である。
 結局私は札幌の旭屋書店でこれらのバックナンバーを買いそろえたが、いちばん使っているのは“中国の家庭料理入門”である。

 これに載っている麻婆豆腐と担担麺のレシピ。
 陳建民はどちらにも花椒を使っていない。

Chin_Mabo

Chin_Tantan

 今日はちょいと変わったアルバムを。
 いまから15年以上前に秋葉原の石丸3号店で、なんの目的意識もなく買ったもの。

 最近になってナクソス・ミュージック・ライブラリーで検索してみたら、これが中胡のための協奏曲と二胡と管弦楽のための作品集であることがわかった。

 収録曲は写真に書かれているとおり。
 中胡協奏曲「Su Wu」の作曲者はZhu Liu、二胡のための協奏曲「Ballad of Yubel」の作曲者はWenjin Liuということだが、ほかの曲は伝承曲もしくは作曲者不詳らしい。

 数人の店員を雇っているくらいの規模の中華料理店の中で流れていそうな“いかにも”音楽だ。

 中胡と二胡を弾いているのは黄安源、指揮は葉詠詩、オーケストラは香港フィルハーモニー管弦楽団。

 1987年録音。MARCO POLO。

 なお、広告に書かれている旭川と北見(錦江)の四川飯店は現在はない。
 旭川店はターミナルホテルの上の階に、錦江は北見東急百貨店にあったが、ホテルはイオンに建て替えられたし、東急百貨店は……いまどうなってんだろ?

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