新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2017/08

お手頃価格でおニュー!♪グールド/フォスター・ギャラリー

Saito_Uma  公園はそのむかし、競馬場だった
 村上龍の「希望の国のエクソダス」(文春文庫)の希望の地ノホロは、江別市野幌の地をモデルにしているのは間違いない。

 それはさておき、江別市関係の本を最近読んだ。


 斉藤俊彦著「馬のいた風景 ユベオツの風に吹かれて」(中西出版)。


 ユベオツは“チョウザメのいる川”という意味のアイヌ語で、江別の名の由来になったとされる(諸説あり)。

 チョウザメのいる川なんて江別にあったのかな?
 かつてここにキャビア御殿がありました、なんて話聞いたことないし……
 ヤツメウナギならいまでもちょっぴり獲れるけど。
 

 著者は江別市の郷土資料館長で、あとがきにあるように“江別をおもな舞台として馬と人々の暮らしとの関わりについて書いた”本。発行は2012年。

 私は全然馬に興味はないのだが、江別市には関心があるので読んでみた。


 江別市もかつては競馬でにぎわったということを初めて知った。
 飛鳥山公園の場所に競馬場があり、競馬場が4番通りの北側に移転したあとそこは家畜市場となったという。

 あとは江別の歴史に関心があるかないかでこの本の価値や評価が分かれるところだろうが、力作であることは確かだ。著者の馬に対する熱い想いがあったからこそ成し得たのだろう。


 私がいちばんおもしろく、かつ、切なく感じた箇所は“えべつ百話(上)”という本からの引用ではあるが、江別で長く蹄鉄師をしていた渡辺長次郎さんという人の言葉。

 まんず、まんず、北海道に馬いなくなったのは、あっという間だね。それというのは、みんなこれね、馬喰ばくろうがね、ハム、ソーセージにするのに買い集めてもっていっちゃったもの。ありとあらゆる馬が、全部ハム、ソーセージになっちゃった。なんぼでも売れたんだわ。農家の人、機械の方に金回すのに、みんな台車に積んでしまったんだわ。だからもう、馬喰もなりたたない。開拓から百年。みんなハムになっていなくなっちゃった。


 最後の、みんなハムになっていなくなっちゃった、ていうところにキュンときた。

Gould  配合が“ニュー”ってこと?

 最近コンビーフを食べることがないが、子どものころにたまに食べたコンビーフ。ただしわが家はニュー・コンビーフだった。
 コンビーフは牛肉100%だが、ニューの方は馬肉が使われていたのだ。こういうのにニューとつけるところが、これまたなかなか悪よのぅ~。

 まっ、“読後充実度 84ppm のお話”と“新・読後充実度 84ppm のお話”に通じるところがなくもない。

 店舗に行って確かめてみてはいないが、ニューコンビーフは“ビーフ”が100%じゃないということで“コンミート”と名前が変わっているようだ。


 で、ここに書いているように個人的には特に思い入れがあるわけではないもののなかなか便利なので、グールド(Morton Gould 1913-96 アメリカ)の「フォスター・ギャラリー(Foster gallery)」(1938)。

 フォスターの歌曲というと皆さんにもおなじみのメロディーがたくさんあるはずだが、グールドはそれを管弦楽の13曲のメドレーに仕立てた。便利だというのは、この曲でフォスター巡りができちゃうから、という意味。

 第1曲がいきなり「草競馬」。さらに第5曲、第9曲、第12曲が「草競馬変奏曲」である。草競馬への思い入れがハンパじゃない。


 クチャル/ウクライナ国立交響楽団の演奏で。


 1999年録音。ナクソス。


横跳びを反復するのは嫌いだが……♪キラール/エクソドゥス

Katayama1  ワタシハアバタ
 慶應義塾大学法学部教授の片山杜秀氏。

 専門領域は近代日本の思想と文化だというが、クラシック音楽に関しての知識もとても豊富で、独特の切り口による批評や楽曲紹介を読んだことのある人は多いだろう。

 氏は私と同世代。私が子どものころに妙に気になり気に入った怪獣映画の音楽への思いや、「ラウダ・コンチェルタータ」を初めて聴いたときの衝撃、その作曲者が怪獣映画の音楽と同じ伊福部昭だったことを知った喜びといった体験と、氏が伊福部音楽で経験したこととはオーバーラップするところが多い。

 まるで私の分身、化身(アバター)のようだと言いたいところだが、もちろん私と彼とは知識も文章力も説得力も月とすっぽんの雲泥の差のあばたもえくぼ。あなたが月で、アタイはあばたってわけである。

  反復を避け展開する形に進化してきた音楽
 氏の著書の1つ「音盤考現学 片山杜秀の本(1)」(アルテスパブリッシング)。

 “レコード芸術”誌に連載したものをまとめたもので、初版は2008年。電子第1版の発行は今年の4月である。

 今日はこの本のなかの第21話「キラールとコピペ魔」について。


 氏は、クラシック音楽においてもバロック期以降は楽句の繰り返しをいかに避けて作曲するかという歴史だったと指摘。その上で赤ちゃん返りが起こったという。


 ――シェーンベルクが十二音技法による重要作、《管弦楽のための変奏曲》を書き上げたのと同じ1928年に、ラヴェルがほとんど反復だけでできたあの《ボレロ》を発表し、人々をこれは冗談音楽かとたじろがせたのは、なかなか味である。つまり「反復殺し」が頂点をきわめたのと同時に反復復活の狼煙(のろし)もまた上がっていたのだ。
 その合図にこたえたのが、たとえばミニマル音楽であり、また《ボレロ》の正嫡とよびたいキラールの《エクソドゥス》(1981)である。じっさい、この曲は《ボレロ》以上に《ボレロ》だ。つまり《エクソドゥス》は《ボレロ》同様、耳(なじ)みのいい歌謡主題を繰り返し盛り上げるだけの音楽だが、《ボレロ》なら管弦楽でピークを築いたところで終わるのに、《エクソドゥス》はそこから合唱を加え、もうひとヤマを作る。このくどさと迫力!やはり《ボレロ》を超えているというほかない。
 しかも曲名が《エクソドゥス》とは含蓄がある。その題は脱出を、具体的には旧約聖書の出エジプトの物語を意味する。つまりパレスチナからエジプトに行ったユダヤ人がふたたびパレスチナに向かって逃げてゆく音楽なわけだ。
 ならば西洋クラシック音楽史はこの《エクソドゥス》をもって、ひとつの終焉を迎えたといってみてもよいだろう。すなわちそれは、――


 ここに引用した箇所の前と後、気になりますでしょ?

Kilar  あれは「テン」だっけか

 さて、村上龍のはイマイチだったが、このキラール(Wojciech Kilar 1932-2013 ポーランド)の「エクソドゥス(Exodus)」(1981)はおもしろい!


 おもしろいと言われたってあなたは困惑するばかりだろうが、「ボレロ」をパロッてんだかパクッてる(ま、その両方)っていうのは誰でもわかる(ただし、「ボレロ」を知っている人に限る)。

 だが、「ボレロ」のように艶っぽくも流麗でもない。どこかぐうたらというか不精というか……。

 「ボレロ」が若い男女の秘め事、それも大盛り上がりの2人にふさわしいBGMだとしたら-そんな映画があった-、こちらはいざとなったら役にたたず狼狽するオヤジとすっかりしらけてしまった女性のための悲歌って感じ。
 

 なかなか歌い始めない合唱が、加わるとこれまた凄みを増し、まだまだ反復は終わらない。

 あぁぁぁ~、しつこい!高木よりしつこい!


 単調で退屈しそうだって?いえいえ、メロディーの良さも相まってすっかり引き込まれるんです、これが。


 ヴィット/ポーランド国立放送カトヴィツェ交響楽団、クラクフ・フィルハーモニック合唱団の演奏で。


 1994年録音。ナクソス。


 片山氏の本に書かれている内容には、まだまだ触れたいことがたくさんある。
 折に触れ、取り上げたいと思う。いえ、コピペじゃなくて一部引用という形で。

主の帰りをじっと待っていたオリーブ♪マルコム/バッハ・ビフォー・ザ・マスト

IMG_0003  渇ききっていた彼女
 お盆をはさみけっこうな日数を留守にしたなごやか、いや、名古屋邸。つまり、マンションの部屋。
 カーテンをかけてはいったが、日中は酷暑、夜間も猛暑になったに違いない。

 北海道からマンションに戻ってきて、まずほっとしたのが部屋のドア横にある郵便受けに回覧板がなかったこと。
 年に2回か3回のことのくせに、なぜか私が長期不在するときを狙っているかのように回ってくる。前回はゴールデンウィークだった。

 とっても安堵し、部屋に入る。
 いちばん心配していたのは、オリーブの木が干ばつで死んでしまっていないか、ということ。
 ゴールデンウィークのときには、かなりの葉が枯れて床にネズミの糞のように散乱していた。

 しかし、今回は落葉ゼロ。
 葉の一部は中年女性の膝小僧のように潤いなくかさついていたが、それも写真のようにお水を差し上げることによって乙女のふくらはぎのようになった。人間の場合もヒアルロン酸だとかコラーゲンよりも水がいちばんかもしれない。

201708Olive


  味は生のホウレンソウにはかなわないが
 で、オリーブといえばポパイ。ポパイといえばホウレンソウ。そういう連想をする人の割合も全世界的に少なくなってきているだろうが、オリーブが元気だったこととは関係なく、最近は冷凍のホウレンソウを利用、活用している。
 いまさらながら、これは便利だと気づいた。だからこそソーセージと炒めたりして積極的に食べているわけだ。

20170827Horenso

 ホウレンソウを食べるとポパイのように筋肉隆々、元気いっぱいになるってことは科学的に根拠のないことだが、でもホウレンソウを食べたり、あるいは切り口が多少酸化してだいだい色になっていようとレタスをむさぼったり、一気に口に入れないと種がジュルッとあたりに散ってしまうミニトマトを噛んだりしていると、なんか体にいいことしてるじゃんと思わざるを得ない(それはホンコンやきそばで差し引きゼロとなる)。

 日曜日の昼は担担麺を作った。

 麺はこちらのイオンで買って冷凍保存しておいた江別は菊水の麺。
 スープは向うで買って持ち帰ったベルのもの。ベルというのはスープやタレの老舗メーカー。袋には二十四軒と書かれているが、これは札幌市西区になる地名。ここにベル食品があるのだ。

BellTantanSoup

 そして冷凍ホウレンソウを戻したものとと、タンパク源として前夜作った手羽元。
 最後に私が丹精込めて刻んだ長ネギ。

 ほぅら、なかなかおいしそうでしょ?実際、おいしかったんだものぉ。

20170827Tantan

 この担担麺のスープは初めて食べてみたがいける!花椒(中華山椒)がピリリと効いているタイプではなく、私の好みであるラー油の辛さ。また行ったときに買って来なければ。

  どっちにしろ海と関係あり
 ところで水夫であるポパイの、アニメのテーマ曲は「ポパイ・ザ・セーラーマン」。
 この曲には「セーラーズ・ホーンパイプ(The Sailors' Hornpipe)」という伝承曲(?)の一部が使われている。

 指揮者で鍵盤奏者だったジョージ・マルコム(George John Malcolm 1917-97 イギリス)は「セーラーズ・ホーンパイプ」をバッハ風にした「Bach before the Mast」を書いている。
 で、ここからがよくわからないのだが、「Bach before the Mast」のもともとの曲名は「Bach goes to Sea」だということで(ということは、オリジナルでそういう曲が存在するということだ)、マルコムが“作曲”したのか“アレンジ”したのか、その点が私にはお手上げ。
 またキース・エマーソンが「Bach before the Mast」を用いて組曲を作ったものがあるらしく(廃盤らしい)、それがマルコムの曲を用いたものなのかどうかの関係式もわからない。

 だからもう何も考えない。
 ライナーノーツに「Bach before the Mast(The Sailors' Hornpipe played in the style of Bach)」と記されたものを楽しく聴こう。

 マルコムのチェンバロ演奏で。
 「熊蜂の飛行」(R-コルサコフ)なんかまで、マルコムさんったらチェンバロで弾いちゃってます。

 1960年録音。デッカ。

 ふと思ったが、セーラー服のセーラーという本来の意味を知らない人って案外いるのかも……

2度目の香港は赤玉2つとともに……♪9人の門弟が贈る「伊福部昭……

20170826HongKong  また作ってしまったんです
 100歳まで歩くために、なんて本を読んでおきながらも、土曜日の昼はホンコンやきそばを食べてしまった。
 さすがに罪悪感があって、一応はミニトマトも食べたしオレンジジュースを飲んだ。

 前回よりもさらにおいしく出来上がった。ミニトマトではなく、やきそばが。

 同じ商品なのに、微妙な水加減、繊細な火加減、絶妙な麺のほぐし加減で味が変わる。そこには中華コック長の仕組んだ味付けの妙が隠されている。恐るべしホンコンやきそば、である。

 ただ言い訳しておくと、この日の朝は久しぶりにきちんとご飯を炊き、鮭の切り身を焼き、ソーセージとホウレンソウを炒め、切り口がだいだい色になりかけたレタスを食べた。

 自慢するほどではないが、栄養バランスに無頓着ではないのだ。

  たまに食べるからこそおいしいわけで……
 さて、今回のホンコンやきそば体験は、実は今年になって2回目。
 ソウルフードとはいっても、そうそう食べているわけではない。

 前回作って食べたときは、実は黛敏郎の好物はソース焼きそばだったと山本直純が暴露した話から、氏が書いた「Hommage a A.IFUKUBE」を紹介、そのときにこの曲の初演時ライヴのCDを注文中であることに触れたが、もちろんとっくに手元に届いている。報告が遅れてすまん。報・連・相ができないようじゃ社会人として失格だ。

 今まで私が聴いてきた、この曲を含む「9人の門弟が贈る『伊福部昭のモチーフによる讃』」は1991年に行なわれた“伊福部昭 喜寿記念コンサート”のライヴ。

IfukubeJokun 今回のCDは1988年に行なわれた“伊福部昭先生の叙勲を祝う会 祝賀コンサート”のライヴである。

 初演の叙勲ライヴも喜寿ライヴも、オケは新星日響。指揮は叙勲コンサートでは石井眞木、喜寿ライヴはそれぞれの作曲者(芥川也寸志は89年に亡くなっているので、喜寿ライヴでも石井が振った)。

 どちらが良い演奏と真剣に考えるたぐいの作品ではないが、2つの演奏はずいぶんと違う。
 各作曲者が振った喜寿ライヴの方が遊び心があって楽しいし活き活きしている。その反面-もちろん両立している人だっているが-歴史のなかにおいて作曲家という職業と指揮者という職業が分業化されて良かったよかったと思わせられた。

 EMI(EMI×TOWER RECORDS Excellent COLLECTION Vol.4)。

 土曜日の夜は手羽元の煮込みを作ってみた。
 なかなかうまくできた(写真は残った分を冷蔵庫に入れておいたもの。なので何となく冷蔵庫に入れておいた手羽元の煮込みのような姿になっている)。

20170826Tebamoto

腕を上げて……ウギャギャギャギャ♪デュファイの辛さを嘆く歌

IMG_0002  40とか50とか歳は関係ないんです
 数か月前から-それが何か月なのかという記憶すらあいまい-左の肩に痛みが走る。

 腕をあげながら背中側に伸ばそうとすると「うひゃひゃひゃあぁぁぁ~」と声を上げたくなるほどだ。もちろん喜んでいるのではない。これは痛みによる苦悶の叫びだ。

 あるいは、ネットで見た“診断の目安”である、手のひらを上に向けて伸ばした腕を真横から真上に上げてみるると「うぉっほっほっほ」と口に出さずにはいられない。

 でも、ヒトって痛いときに、ときとして笑いが介入してくるのだろう。おかしなものだ。


 これは、でもね、きっと、たぶん、四十肩とか五十肩である。正式名称は肩関節周囲炎。

 右肩はなんでもないが、左肩だけが痛いだけで服を着るときには十分すぎる障害になる。
 職場に急な来客があって、急いで上着を着なきゃならないときなんか、かなりたいへんだ。
 生まれながらにして私は、まずは右腕を袖に通し、そのあと左腕を袖に通す。
 右腕をさっとスーツの袖に通したはいいが、そのあとの左腕を通すことが肩の痛みでなかなかスムーズにできない。あとから腕を通す左腕は自ずと肩よりも上げなくてはならないからだ。

 お客さまからすると、その光景は着るのを嫌がっている、あるいは、おちゃらけて舞いを演じながら上着を着ようとしていると見えかねない。

  驚くほど困難な逆バージョン
 そこで考えた。
 先に左腕を通し、次に右腕挿入する作戦をとろうと。
 右肩は痛くないわけだから、スムーズにいくだろう。

 ところが、このいつもの習慣とは逆の動きというのが、信じられないほどできない。
 みなさんも試してみるといい。
 右腕をうまく袖穴に向かわすことができないのだ。

 やれやれ……

 東京勤務時代に先輩のルパソさんが四十肩になってスーツが着られないと言っていた時期があった。
 そのルパソさんはアイロン体操なるものをやっていた。
 アイロン体操の効果があったのかどうかは知らないが、今は完治しているようだ。

 私は朝夕の通期のときに、かばんを周囲に迷惑にならない程度に上下、左右に揺らしてみている。
 名づけてバッグ体操だ。そのままだけど。


 最近再び歯ぐきが腫れたり、肩が痛くなったり、歩道の段差でつまづいたり、頻尿で気が重かったりと、なかなか大変な日々なのである。ついでにいうと、お盆休み中には寝ている間に首が痛くなり、翌日車をバックさせるのに、窓から出した首を曲げられなくて難儀した。

 もう私には「365歩のマーチ」のような動きはできない……

 たまたま妻が筋力が低下しないよう読んでみたという本を私に贈呈してくれると言ったが-肩関節周囲炎向けのストレッチ法も載っている-妻も何度か読み返すことがあるだろうから必要となるはずだから、同じのを自分でも買った。がんばる所存である。

 ただ気になるのは、100歳歩くのを目指す以前に、何歳まで生きられるのかということだ。

Dufay そんなことを思いながら、デュファイ(Guillaume Dufay 1400頃-74 フランドル)の世俗歌曲「ああ 私の苦しみ その痛手に 私は死ぬ(Helas mon dueil a ce cop sui ie mort)」。

 3声の歌曲で、肩の痛みではなく失恋を歌ったものである。

 私はロンドン中世アンサンブルによるすばらしい演奏を聴いているが、これは実に貴重なアルバム。
 デュファイの世俗音楽が5枚のCDに96曲収められている。
 一時期入手困難となっていたが、再び手に入るようになったのはうれしい(とあなたに代わって喜んであげる)。
 1980年録音。オワゾリール(TOWER RECORDS VINTAGE COLLECTION)。

しつこい高木よ、己のミスに気づけ!♪水色のワルツ

experian  おっ、本文もちゃんと吉本に直ってる
 過去、2度にわたり取り上げたジャーピーエヌ債権回収会社からの最終通告メール。

 なんで2回もかというと、それには“茂木→高木→茂木”バージョン“宇治田→高木→宇治田”バージョンがあったからだ。
 お客様(メールを受け取った私のことだ)の担当は茂木(もしくは宇治田)と自己紹介しておいて、舌の根も乾かぬうちに、やっぱりお客様担当は高木ですと、こいつ自分の名前忘れたのかいな?という、朝食べたものが何だったか思い出せない以上のおとぼけ。
 そして最後はまた私の名前は茂木(あるいは宇治田)と締めくくる、ジキル&ハイドのような人格だった。

 あれから静かになったと思いきや、今度は社名を変えて類似した(というか、一字一句照合していないが、内容はたぶん寸分たがわず同一)メールがやって来た。

 送信者は“エクスペリアンジャパン株式会社”。「いや~ァン」と突っ込みたくなる。

 タイトルは“本通知は【最終通告】となります
 
 が、送信者のアドレスを確かめてみるとqfrnhdcegncijm@pkyzzliqgkblbwjfnubj.com。
 まともな会社ならこんなアドレスを使うわけがない。

 本文は、

 エクスペリアンジャパン株式会社 | Experian.co.jp
 お問い合わせ電話番号06-7167-4575
 お客様担当:吉本 孝則

 突然のご連絡失礼いたします。弊社はエクスペリアンジャパン株式会社のお客様担当吉本と申します。
 弊社は調査業務、情報管理及び和解手続き代行等を主とした調査会社でございます。
 この度、お客様がご利用いただいております情報コンテンツの運営会社よりご依頼をお受けしております。

 (中略)

  そのあとに高木が潜んでいた
 (中略)したあとの、いよいよ最後のクライマックス。

 以上の手続きを執行させて頂きますので予めご了承下さい。
 ※こちらのメールの詳細、退会手続の再開、お支払いのご相談等をご希望のお客様は、高木までお問い合わせ下さい。
 尚、本通知は最終通告となります。
 ---------------------------------------------
 エクスペリアンジャパン株式会社
  | Experian.co.jp
 お問い合わせ電話番号06-7167-4575
 お客様担当:吉本 孝則
 ---------------------------------------------


 おやおや、と言うべきか、やれやれというか、最初の方は直したけど、あとの方は見落としたようだ。
 ちゃ~んと(というのも変だが)、高木が登場する。
 なんでこんなミスをするんだと怒りさえこみあげてくる。
 もしこういうミスを繰り返す-実際、この送信者は繰り返しまくっているわけだが-部下がいたら、真由子議員をお招きして「違うだろぉーっっっっ!」と怒鳴りつけてもらいたいくらいだ。

 なお、エクスペリアンジャパンっていう会社も実在するようだ。
 このメールにも書かれている“Experian.co.jp”のURLだと、“本物の”エクスペリアンジャパンのサイトに飛ぶ。
 そこには“エクスペリアンは世界各国でデータや分析ツールを提供するグローバルな情報サービス企業です”と書かれている。本物さんが気の毒だ。

 これを読んだメールの受け手を信じさせ(ビビらせ)、電話をかけさせようっていう狙いだ。事業内容をみると和解手続きの代行とかはやってないように思うのだが……
 そして慌てて電話をかけちゃうと、受話器の向こうにいるのはまったくの偽物。吉本こと宇治田こと茂木、その実体は高木、の餌食になってしまうのだ。

SamejimaNihon  私ならタヌキがいちばんイヤかな
 子どものころ、別に家族の誰かが欠かさず観たいと思っていたわけでもないのに、毎週のように“家族そろって歌合戦”を観ていた。

 ウサギさんチームとかリスさんチームと名前をつけた家族が、歌合戦し勝ち進んでいくという露出趣味ファミリーには出たくてたまらない番組である。

 たぶん日曜日の午後、他に観るべき番組もなかったのだろう。「がんばれリスさんチーム!」なんて気合いが入るわけもなく、日曜日の昼下がりにけだるく眺め観ていた。


 見ず知らずの家族同士が、それぞれ親類縁者、ご近所様たちの期待とひやかしを背負って戦うわけだから、当然公正な判断を下す審査員もいる。
 そうでなかたったら、チーム名だけで差が出てしまう。ウサギさんチームは相手がクマさんというだけでひるんでしまうだろうし、リスさんチームならゾウの威圧感に押しつぶされそうになる(ことはない)。

 審査員の中の1人だったのが作曲家の高木東六(Takagi,Toroku 1904-2006 鳥取)。


 この番組を観ていなかったら、このおじさんの顔を私は知らないままだっただろう。

 高木は実は宇治田で、ってことではなく、実は少なからずの管弦楽作品や舞台音楽(バレエや歌劇)を残しているが、実際にディスクとなっているクラシック分野の作品はほとんどないようだ。


 そこで今日はヒットしたという歌謡曲の「水色のワルツ」(1950)を。


 詞は藤浦洸で、歌ったのは二葉あき子(あたしゃせいぜい二葉百合子の名前しか知らない)。


 私が持っているCDは、ソプラノの鮫島有美子が歌ったもの。アルバム名は「鮫島有美子/日本の歌」(1984-92録音)。


 鮫島の日本の歌シリーズ(DENON)は、豊富な音源が残っているがゆえに再発やらベスト盤の発売などで、似たようなアルバムがいくつかある。
 私が持っているCDは現在は売られていないようだが、↓ のディスクに収められた「水色のワルツ」はおそらく同一音源だと思われる。いや、別に同一じゃなくたっていいんだけど……

あのメール。社名がどうであれ、最初は担当者名はすべて高木だったと推測される。
 いろいろなバージョンを作っていくうちに-って、社名や担当者名を変えただけだけど-本文の高木という名を直すのを見落としたのだろう。
 となってくると、オリジナル・バージョンを見てみたくならないでもない。

 そういえば、昨日はプレミアム・フライデーだったな。
 すっかりしっかり完璧に大失敗だな。

波はなく、美人もいなく♪シューベルト/エレンの歌,第3

AveMaria  石は襲う
 先週、洞爺湖畔まで出かけた。

 輪厚スマートICから道央道に入り、室蘭方面へと進む。

 が、苫小牧東ICを越えたあたりから雨が降り出した。
 雨が降り出して気の毒には思うが、私の前をしばらくの間走っていたバイク。ずっと右ウインカーを点滅させ続けないでほしい。紛らわしい。って、バイクって、スピードメーターのところにウインカー点滅のランプってついてないの?


 そんな雨の中でも、「ハイドロプレーニング現象が起きないんかい?」と思うほどスピードを出して追い抜いて行く車はたくさんいる。

 ある1台の車が私の車を追い越して行った(小さな〇〇ごときがわが眠れる豚・B4を追い抜くなんて身の程知らずだ)。

 そのときだった。ピシッともカキッとも言えぬ鋭い大きな音。

 どう考えても、あの車が小石をはね飛ばしてきやがったに間違いない。タイヤの溝にはさまっていたのが遠心力に耐えられなくなって飛び出したのか、あるいはたまたま路面に落ちていた小石をはじいたのかはわからない。
 ただ、通りすがりに石を当てていくとは、強姦罪にも匹敵する。あとから調べると、被害は幸いにもフロントガラスにほんのかすかに擦り傷がついている程度で済んでいた。

 タイヤがダブルになっているダンプなどのすぐ後ろは走らないように気をつけているが-タイヤとタイヤの間に石がはさまっていることがある-、こういう軽快軽量の車にやられるとは想定外だった。

 そういえばこの春、伏草課長が君臨する課で新車に入れ替えた。

 伏草課長がその買ったばかりの社有車を運転していたとき、ピシッと飛び石が。それも狙撃されたような結構な跡。買ったばかりの新車は、フロントガラスだけさらに新品になったのだった。

 伏草課長に何の落ち度もないのに、気の毒である。
 が、これが部下の丸針係長の運転中だったら、係長はけっこう課長にいじめられたかもしれない。

IMGP1889_LI  小ライスはラーメンの方が合うが……
 さて、伊達ICで高速道路を下りて、昼食。

 さすがに今回はラーメン屋はやめ-この日はラーメンの気分じゃなかったというわけではないが、伊達市に来るたびに同じ店にばかり寄っていては、私が店からリベートをもらっているんじゃないかと妻に疑われてしまう恐れがある-、だいぶ前にも一度行ったことのあるそば屋“そば順”に向かった。


 この店はけっこうな有名店で、久々に食べたが確かに美味しかった。田舎そばというほどワイルドではないが、太めの麺が濃いめの汁によく合っているのだ。

 私たちが店に入った11:50にはすぐに座れたが、そのあとは続々と客が来て、写真で足が見えるように-これは何かに白ペンキで描いた上向きの矢印ではない-待っている人が多数いた。写っているの脚は1ペアだけど。

 知りたくもないだろうが一応報告しておくと、私が注文したのはかしわそば+小ライス。妻は“元祖”と銘打っているたこ天がのったそばだった。なお、“そば順”は南小樽駅の近くにも店があるらしい。


  国道じゃないので“道の駅”に非ず
 洞爺湖は波が全然なく、中島も、もし私が泳げれば泳いでいけそうなくらい近くに見えた。
 が、この写真を撮ったあとに雨が降り始め、波も出てきた。

IMGP1893

 キャンプしている人たちに言いたい。「まったくもってご苦労さんです」と。おまけに寒いし。
 でもまぁ、本人たちは楽しんでるんだろうから余計なお世話なんだけど。

 “水の駅”でオシッコをして、湖をあとにした。
 水音を耳にするとオシッコがしたくなるのは“水音効果”というれっきとしたものだそうだ。

IMGP1902

 シューベルト(Franz Peter Schubert 1797-1828 オーストリア)の「エレンの歌,第3(Ellens Gesang Ⅲ)」D.839,Op.52-6(1825)。

 通称「アヴェ・マリア」で知られる、シューベルトの歌曲の中でもとりわけ有名な歌。
 歌詞はW.スコットの「湖上の美人」をA.シュトルクがドイツ語訳したもの。
 つまり、“♪アヴェ・マリア”と歌は始まるが、シューベルトは宗教音楽としてこの曲を書いたわけではない。

 私が持っているCDは、シューベルトの歌曲集というものではなく、いろいろなAve Mariaや宗教声楽作品を収めたオムニバス盤。「エレンの歌,第3」はボニー(ソプラノ)とパーソンズ(ピアノ)による。

 1994年録音。エラート。

 帰りは東室蘭のイオンに立ち寄ったが、そこでチョー偶然にも親戚にばったり会う。
 世の中、狭いものだ。というか、見事なタイミングだ。

 ところでこのイオンにテナントで入っている薬局はマニアックだった。
 若甦とかレバコールをはじめ漢方系が充実。

 私は大正の歯ブラシを買った。いや、大正時代の歯ブラシではなく、大正製薬の歯ブラシだ。
 大正の歯ブラシなんて初めて見た。が、なかなか使い勝手が良い。

 そうそう、昨日約1か月ぶりの定例診察のために歯科医院に行った。
 タイミング良く、というのも妙だが、1週間ほど前からまた左奥の歯ぐきが腫れはじめていたのでグッドタイミングであった。


お通じが来た!♪ガーシュウィン/パリのアメリカ人

20170624c  番号は失われると言われたのに
 といっても、宿便放出の話ではない。
 だから写真も全然関係ない。そもそもお通じと始末という事象がリンクしていないではないか!

 auひかりへの切り替え工事が終了し、直後からインターネットはその回線を使えるようになったが電話(ひかり電話)はしばらく待たねばならなかった(ここを読みなさい)。

 時間がかかるのは、これまでの電話番号を継続するための処理に時間を要するから。開通のめどは工事から1週間後である。

 だが、ちょうどお盆時期をはさんだため、1週間後にホームゲートウェイの“電話”のランプが緑色に輝くことはなく、光を失った陰鬱な私の性格のようにグレーのままだった。


 余談だが、フレッツ光+OCN(プロバイダー)から光コラボのOCN光に切り替えたとき、もし解約した場合には今使っている電話番号が使えなくなると説明された。
 しかし今回、NTT時代から使っている電話番号なら(光コラボに切り替えたときに新規に取得した電話番号でなければ)継続できると言われた。
 あのとき「解約したら電話番号がかわってしまうぞ」と脅かされ、これまで日々、その恐怖にさいなまれた私の精神的負担をどうしてくれる?……って、もはや固定電話へかけてくる人なんて親か、セールス(それも通信回線系)ぐらいなものだ。
 もはや、電話番号が変わろうが、誰も気にかけてくれないだろう。

  日の出とともに輝く

 話を戻すが、妻から月曜日の朝にメールが来た。

 「光った!あなた、光ったわよ!あぁ、まぶしいくらい!だから、お通じしたの!」


 と、脚色して(いや、ほぼ創作)書いてしまったが、朝には“電話”のランプがエメラルドグリーンに輝いていたというのだ。


 “My au”のページの情報で、月曜日に開通予定ということは事前に察知していたが、そんなに早い時刻に、つまり目覚めたらすでに輝いていたとは思わなかった。

 ランプがついた翌日にホームゲートウェイに電話機からのケーブルをつなぐようにと説明書に書いてあった。
 はやる妻に私は「説明書にはランプが光った翌日に電話機とつなぐように書いてあるから」と理論的に説明して落ち着かせ、火曜日になったらジャックを差し込むように言った。


 そして火曜日。
 目覚めてすぐに妻は作業を行ない、無事電話が開通したことを確認。それを祝って朝食に納豆ご飯を食べたのであった。

  好物じゃないけど食べたくなったんです
 このような、あなたにとってはどーでもいいことはともかく、先週の土曜日の夜-つまり移動日前日-はコープさっぽろで松尾ジンギスカンを買ってきた。高価なラムとリーズナブルなお値段のマトンとで迷ったが、マトンの“くせのある旨み”というキャッチフレーズに羊苦手派の私は抵抗を感じ、ラムにした。

GershwinPrevin 「あぁ、北海道の味覚だわい。明日からは名古屋の北海道人だ。しばらくは食べられないな」と、ふだんはジンギスカンなんてめったに食べないくせに、感慨にふけってみたりした。
 が、名古屋に戻って近所のスーパーで同じ商品が売っているのを発見。そうだよな、松尾は特に有名だからな。長沼ジンギスカンにしときゃよかった。

 ちなみに名古屋のこの店で売られていた松尾のラムは、コープさっぽろの売価より200円ぐらい高かった(下に載せた同一商品はもっと高い価格設定だけど)。


 ガーシュウィン(George Gershwin 1898-1937 アメリカ)の「パリのアメリカ人(An American in Paris)」(1928)。


 作品についてはここここ(ありゃ、アタシったらここでもジンギスカンが食べたいなんて書いてるではないか!)をご覧いただきたい。


 プレヴィン/ピッツバーグ交響楽団の演奏を。


 1984年録音。デッカ。


 そうそうコープさっぽろの野菜&果物売り場には“ミキプルーン”ならぬ“ニキプルーン”が置いてあった。
 まがい物ではない。
 仁木産のフレッシュなプルーンだった。

20170822Sky OCNの解約も無事済ませた。
 おとといの夕方の帰宅後、空がモノクロツートンになり、激しい雷雨になっているなか、電話をかけた。

 「長い間ありがとうございました。また機会がありましたらよろしくお願いいたします」と言われた。

 1Gタイプを使えるルーターが有料レンタルだけっていうのではなければ、切り替えはしなかったんだけど……


不法侵入女のせいで♪R.シュトラウス「影のない女」

StraussRZara  すっかり全国区
 一夜、ではなく二夜明けた昨日の朝。
 ニュースでは松山千春がいつまで経っても出発しない飛行機の中で歌を披露したことを伝えていた。
 すっかり全国区のニュースになってしまった。
 神対応というのは少し祭り上げすぎのような気がしないでもないが、芸能人としてのサービス精神、あるいは気遣いは賞賛されるべきことだし、歌うことを許可したパイロットも粋である。

 ここで業務連絡。
 masaさん、私に「微笑返し」を歌えと?あるいは「海のトリトン」?


 年に何日かのことなのかもしれない。しかし、これほどまでに出発便が遅延してしまうという保安検査の態勢については、空港としてさらに真剣に考えてもらいたい。
 また、その前の手荷物を預けるために並んだ長蛇の列も問題だ。

  罰するべきだと私は思う
 保安検査場がひどく渋滞するようになったのは、昨年起こったある事件で検査が厳しくなったからだ。

 非常識で自己チューな女が保安検査を受けずにすり抜けて搭乗待合室に入ってしまったのだ。おまけにそいつはそのまま羽田空港へと飛んだ。彼女が機中の人になってしまったあとも、新千歳空港ではその女を探し回っていたという。

 R.シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949 ドイツ)の交響的幻想曲「影のない女(Die Frau ohne Schatten)」(1946)。

 ここで書いたように、1914年から17年にかけて作曲した歌劇「影のない女」Op.65から管弦楽曲に改編した作品。

 そこでも取り上げたドラティ/デトロイト交響楽団の演奏(ドラティ編)を。

 1983年録音。デッカ(TOWER RECORDS UNIVERSAL VINTAGE COLLECTION +plus)。

 あの罪深い女のせいでそのあと、特に日曜日などは保安検査場は大渋滞。
 ひどい状態だった。

 はっきりいって、現在の私はプラチナメンバーなので保安検査もメンバー専用のレーンを利用できる。渋滞レスである。
 しかしそこを利用しなくとも、昨日も書いたように改修工事によってレーン数を大幅に増やした保安検査場Cができてからは、日曜日でもスムーズに検査を終えることができる。混んでいる場合であっても、羽田なんかより渋滞しているということはほぼなくなった。

 とはいえ、今月20日のような大渋滞・遅延トラブルが発生した。中国人だったら暴動を起こすところだ。
 検査を待つ人も、保安検査員も、食ってかかられる地上係員も、み~んなイライラ、数えきれない数の不幸が集結した悲劇の館状態。
 加えて飛行機の中で待たされる“遅れないようにやって来た”罪のない客も、ひたすら耐えるしかないさしずめ苦行僧。

 松山千春の行ないに話題が集中しているが、そもそもどうしてここまでの大混乱に至ったのかに触れている記事がないのが問題。
 どうしたもんでしょうね……

  私が見かけた別な足寄びと
 私が搭乗した定刻11:55分発の名古屋行きの1時間ほど前。
 そのとき私はJAL側の搭乗待合室の方にいたのだが(比較的人が少なかったので)、ちょうどJALの名古屋便の搭乗が始まった。
 定刻の出発である。

 その1時間あとに自分があんな目に遭って、さらに1時間出発が遅れるなんて、このときは予想だにしていなかった。

 JAL便に乗り込む客の中に、帯広支社勤務時代に何度か会ったことがある足寄にある会社の人を見かけた。
 話かけようかと思ったが、なんとなく懐かしがってもくれないし、ゆえに話も積もっていないので盛り上がらなさそうなので、近づくことをやめた。

 その2時間ほどあとに、足寄出身の松山千春がパフォーマンスをしたわけだ。
 それが何の関係がある?って話だけど……

お嬢さん、私にウソついてません?♪モンク/近ごろの婦人

MonkLady  154Mが3876Mに

 8月20日。
 この日はお盆休み後の第二の人民大移動のピークと予想されていた日だ。


 そのピークの日、私は新千歳から名古屋へと飛んだ。ひゅぃ~ん、ひゅぃ~ん←あぁ、おばかなオチャラケ。

 札幌からのJR、快速エアポートも混んでいた。
 だが私は江別が始発で札幌が終点の普通列車に乗って札幌駅まで向かったので、余裕のよっちゃんで座れた。なぜならば、この普通列車は札幌駅に到着したあと、新千歳空港行きの快速エアポートに転身するのだ。
 だから大半の人が降りてしまい-おそらく大丸やステラプレイスに買い物にいくのだろう-、席をゲットしようと目を血走らせながら暴徒と化した群衆たちがホームから乗り込んでくる前に、優雅に席を確保できたのである。


  周りは白い目
 新千歳空港も混雑していた。
 が、数か月前にJALとANAのカウンターの境目に新設されたレーン数の多い保安検査場はさほど混んでいなかった。開放されていないレーンもあったくらいだ。


 検査場を抜けて待合室に入る。
 出発時刻が近い便の搭乗口前は混雑していたが、それはいつものことだ。

 この日はなぜか使用機到着遅れが頻発していて、それに関してかどうかわからないが長々と文句をつけてるんだか、余計なアドバイスをしているんだが、何かを哀願しているのかは知らないが、地上係員をつかまえて彼女たちの業務の邪魔をしている人を何人か見かけた。
 そしてこういう人は、たいていの場合、身なりはそこそこで自分は権威者であると勘違いしているオッサンである。


 私が乗る予定だった便11:55発ANA706便も、使用機到着遅れで15分出発が遅れ12:10になるとのアナウンス。
 ただし、それ以上遅れが拡大するというアナウンスもなく、新たな出発時刻の15分前の11:55には搭乗が始まった。

  「すべての通信用機器の電源をお切りください」と言ってくれない
 が、乗り込んだあともドアが閉まらない。
 しかも、満席なはずな上に、2人分の座席が不足するから1万円でなんとか手を打ってくれる人はいないでしょうかと、待合室でアナウンスがあったにもかかわらず、ところどころに空席もある。


 しばらくして客室乗務員からアナウンスがあった。

 かいつまんでいうと、数名の客が乗るのを待っている。最終の搭乗案内をしているが、今日は保安検査場がたいへん混んでいて時間がかかっているようだ、というものだった。

 私が通った中央ゲート(保安検査場C)はさして混雑していなかったが、ANA側のBの検査場はけっこう列になっているようだった(待合室側から垣間見えた)。

 とはいえ、私を含めほとんどの乗客がきちんと飛行機に乗り込んでいる。
 時間に余裕を持たない方が悪いだけじゃないのか?
 私なんて、空港には出発時間の90分前には着いていた。こういう時期は十分に余裕をもつことが大切なのだ。


 でも待てよ?
 保安検査場を通過していないのなら、本来乗るべき客が実際に空港に来ているかどうかわからないのではないか?予約だけで搭乗を止めたってことも考えられる。
 いるかいないかわからないのに出発しないで待つのはおかしい。


 ということは、その人たちは手荷物を預けたということか?
 でも、本来の出発時刻どころか15分遅延しているのだ。その時間に搭乗口に来てない方が悪い。
 とんでもない迷惑者だ。
 いったん積み込んだ手荷物を下ろすのにはもっと時間がかかるので、ここはじっと耐えて乗り込んでくるのを待っているのだろうか?


 手荷物を預けていなければ置き去りにできる。
 が、手荷物を預けていないということは、実際に空港に来ているかどうかは不明なので、その点からも邪険に扱える。でも、当便は律儀に出発しないで待っている。

 手荷物を預けてはいないが保安検査場を通過しているとしたら、なんで来ないんだコノヤロー!ってことになる。
 でも、だとしたら、間違ってジェットスターの乗り口の方に行ってしまったならともかく、こんなに時間がかかるわけがない。

  何かの被害で遅れた?
 やがてようやく客が乗ってきた。それもほぼそろって。5~6人いた。だがこの人たちはお互い知らぬ関係のようだ。年齢もバラバラ。統計的にまとめようがない。


 全員悪びれる様子も、申し訳ないという様子もなかった。
 しかも客室乗務員は、いま乗り込んできた客たちにも「大変お待たせして申し訳ありません」と言っていた。
 なんだか、遅れて乗り込んできた人たちも、被害者のような雰囲気だ。


 結局、ドアが閉まったのは搭乗開始から1時間後の12:55。

 こんなに待つなんて、ちょっと変だ。
 保安検査場が混んでいるからなんて、ちょっぴりウソくさい。

 そもそも「〇〇時発の〇〇行きにご搭乗の方、いらっしゃいませんかぁ~」と、よく保安検査場で急ぐ客を横はいりさせて、いや、優先扱いしているではないか?


 1時間は長すぎる。


 遅れてきた人たちが、パラパラと断続的に乗り込んでこないのも不自然だ。
 乗り継ぎ客待ちとか?

 真相は謎だ。


 モンク(Meredith Monk 1942-  ペルー→アメリカ)の「近ごろの婦人(Our Lady of Late)」(1973)。


 モンクの拡張奏法と呼ばれるヴォーカル・パフォーマンスの作品。
 他にグラス(ワイングラス)と打楽器が加わる。

 この文句の声は、すごい。すごいけどヘンテコだ。


 ヴォーカル(というかヴォイス)とグラスがモンク自身、さらにパーカッションとグラスがウォールコットの録音がある。


 1973年録音。wergo。

 20年ぐらい、あるいはそれより前のことだが、雑誌“レコード芸術”に“世界のレーベル”だかいう連載があって-その名の通り、レーベルの紹介である-wergoも何回かにわたって取り上げられた。


 この Our Lady of Late の1枚も紹介されていたが(その時点では私はこの曲を聴いたことがなかった)、この曲のタイトルについて「遅れてきたわれらがお嬢さん」とか書いてあった。
 執筆者がだれだったかまったく覚えていないが、喜び勇んでこういうタイトルの曲があると書いてあったと記憶している。

 lateを“近ごろの”と解釈しなかった悲劇だ。

 そのときは気づかなかったんだろうけど、あとで冷や汗、紅顔ものだったに違いない。
 編集部もチェックが足りないと言えるが……

 それともこんな曲誰も知らないと思って、興味を持たせるためにあえて誤訳した?


 ただ、私も「遅れてきたわれらがお嬢さん」だと、なんか変なのと思いながらも信じていた。


 あるときwergoのディスクを輸入しているKINGのカタログを見ることがあって、「近ごろの婦人」というタイトルを知った次第。この方が、だんぜん音楽作品名っぽいので、邦題はこれだと信じている。

  はてぇしぃなぁい~
 さて、昨日の夕方に妻から、前日の新千歳発の伊丹便も1時間動かないままで、たまたま乗っていた松山千春が乗客のイライラをまぎらわすために歌を歌ったというニュースをネットで見たとメールが来た。

 新千歳発11:55.まさに私が乗ったのと同時刻に出発する便。伊丹行きも同様に遅れていたのだ。
 松山千春、たいしたものだ。
 名古屋便にはそういう人物が乗っていなかったようだ。でも、だからといってたとえばスチュワーデスが突然阿波踊りを披露し始めても気は晴れない……

 記事を読む限りでは、やっぱり遅延の理由は保安検査場の混雑ということだったのだろうか?

激励のお気持ち承り所
最近寄せられたコメント
私の浮き沈み状況

これまでの御来訪者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

メッセージ

名前
メール
本文
本日もようこそ!
ご来訪いただき、まことにありがとうございます。

PVアクセスランキング にほんブログ村
サイト内検索
楽天市場 MUUSAN 出張所(広告)





カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
タグ絞り込み検索
読者登録
LINE読者登録QRコード
QRコード
QRコード
ささやかなお願い
 当ブログの記事へのリンクはフリーです。 なお、当ブログの記事の一部を別のブログで引用する場合には出典元を記していただくようお願いいたします。 また、MUUSANの許可なく記事内のコンテンツ(写真・本文)を転載・複製することはかたくお断り申し上げます。

 © 2014 「新・読後充実度 84ppm のお話」
  • ライブドアブログ