新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

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2017/05

皇室番組には欠かせない、舟遊びの音楽。♪ヘンデル/水上の音楽

HandelWaterMarrinerEMI  CDの売上が伸びる予感?
 眞子さまの婚約内定が明らかになった。

 これでしばらくの間はヘンデルの出番が多くなるだろう。

 実際、木曜日の朝のニュースでは、早くも眞子さまの映像とともにヘンデルの曲が祝祭的に流れていた(ニュースなのに!)。

 たいてい使われているのは「水上の音楽」だが、この日も御多分に洩れず「水上の音楽」だった。


 ヘンデル(Georg Friedrich Handel 1685-1759 ドイツ→イギリス)の「水上の音楽(Water Music)」HMV.348-350(1717)。


 なぜヘンデルの、それも「水上の音楽」が皇室関連の映像のバックに使われるのか、少なくとも私の中ではこのときと変わらずいまだに定かではないが、おそらくはヘンデルがイギリスの王室と密な関係にあったこと(考えすぎ?)、そしてまた、音楽そのものが祝祭的で上品な響きをもっているからだと思う。

 それに、とりわけベートーヴェン以降、つまり古典派以降の音楽となると、曲の中で強弱の差がありすぎたり、突然不協和音が現われたりするので、ちょいと向かない。

 では、同じバロックでもなぜバッハじゃだめなのか?

 バッハはヘンデルと違ってずっと教会で働いていて王室とはあまり関係なかったことと(考えすぎ?)、音楽そのものがヘンデルより男性的で骨っぽい。

 となると、ヘンデルの音楽の方が邪魔にならず、みごとなあんばいな音楽ってことになる。

 気になるのはヘンデルが芸術に身を捧げるというよりは興行主だったことと、一生独身で子どももいなかったことだが……

  よくできたもっともらしい伝説
 そしてまた、ヘンデルの数ある作品のなかでも「水上の音楽」が多く使われる理由はなんなのか?

 この曲はイギリス王ジョージ1世の舟遊びの際に演奏するよう書かれた曲である。
 王室と皇室は違うが、品の良い祝祭音楽なのだ

 「水上の音楽」にはご存じかもしれないが、有名な逸話がある。

 ヘンデルはドイツのハノーバー選帝侯の宮廷楽長だったのに、命令に従わずイギリスに渡ったきり帰国しなかった。魅惑の地、イギリスで成功を収めたからだ。

 そのいきさつについて、ショーンバーグがこう書いている*)

 1710年、ヘンデルはイタリアからハノーバーに戻り、選帝侯つきの宮廷音楽家となった。同年末、休暇で英国に渡ったが、そこではイタリア・オペラが音楽的催し物の中で最大の流行となり、「カストラート」歌手が、その声と力と輝きとで人々を驚倒させていた。ヘンデルはここで英国民の求めに応じ、オペラ『リナルド』を作曲した。1711年作曲のこのオペラは、大成功を収めた。彼はハノーバーに帰ったが、眠気を誘うようなちっぽけな宮廷があるだけで、活躍の場も小さいハノーバーと、富と名声を得る機会の多い大都市ロンドンとを比べて見れば、彼がどんなことを考え始めていたかは容易に推察できよう。翌1712年、ヘンデルは「適当な時期に戻る」との条件つきで、再度英国に渡る許可を得た。しかし、実際には「適当な時期」は生涯到来しなかった。
 再度のロンドン入りを果たすとすぐ、ヘンデルはオペラ『忠実な羊飼い』を作曲、その直後に、ユトレヒトの戦勝を記念する、雄大な公式行事用の作品『ユトレヒトのテ・デウム』を作った。彼はまた、アン女王の誕生日を祝う曲を作り、200ポンドの年金を下賜された。それから2年、ヘンデルは無断で、ハノーバーの宮廷へは全然帰らなかった。彼に帰る気があったのかどうか、それはわからない。


 ところが1714年に、なんと雇い主であるハノーファー選帝侯がジョージ1世として迎えられることになった。
 ヘンデルが焦らないわけがない。命令を聞かずにほったらかしにしていた相手が、イギリスの王としてやって来るのである。
 やばい……

 ショーンバーグは続ける。

 しかし1714年にアン女王が逝去すると、事態は彼のままにはならなくなった。雇用主のハノーバー選帝侯がジョージ1世として、英国王の座に就いたからである。ヘンデルはその頃、自身の身に何が起るかと、さぞ不安な日々を過ごしたに違いない。

 何とか許してもらいたい。関係を修復したい。そう画策してヘンデルがご機嫌取りのために作曲したのが「水上の音楽」。1715年に王がテムズ川で舟遊びしたときに演奏し、みごと王との和解に成功したのである。

 と、言われてきたが、これは作り話だと考えられている。

 記録では、1715年ではなく、1717年に行なわれた舟遊びでこの曲が演奏されたようだ。


 このことについて、ショーンバーグさらに続ける。

 しかし、何事も置きはしなかった。日ならずしてヘンデルは、ジョージ1世の寵愛を取り戻し、年金も倍増した。ヘンデルは『水上の音楽』によって国王の信頼を回復した、との面白い説があったが、今日では疑問視されている。この説では、ジョージ1世は1717年、テームズ川で船遊びを楽しみ、その際演奏された『水上の音楽』を褒め讃え、その場でヘンデルと仲直りした、となっている。船遊びは事実であり、また船中でヘンデルの組曲が演奏されたことも記録に残っている。1717年7月19日の「デイリー・クータント」紙は「国王はこの曲が大いにお気に召され、行き帰り併せて3回以上も演奏を命ぜられた」と書いている。だが、この結構な伝説にとっては不幸なことに、両者は1717年以前にすでに和解を遂げていた、と思われる。

 えっ、だからって「水上の音楽」が皇室もので多く使われる理由になっていないって?
 ごもっとも。

  音源が多いという単純な理由?
 以下は私の勝手で無責任な想像。

HandelWater_6023122 ヘンデルの作品の録音ってあまり多いとはいえない。日本では“音楽の母”、とまで呼ばれているのにである。LPレコード時代ならなおさらだ。
 そんななかでも音源が比較的多かった「水上の音楽」が利用しやすかった。って、ことなんじゃないかなと思う。
 やはり有名な「ハレルヤコーラス」ってわけにいかないだろうし……

 と考えると、「水上の音楽」と同じくらい有名な「王宮の花火の音楽」が、やはり皇室番組でときどき使われていることにも通じるものがある。

 マリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(アカデミー室内管弦楽団)による、1988年録音盤を。

 実はこの組み合わせの演奏では、モダン演奏ながらもけっこう攻撃的で刺激的な1993年録音のもの(レーベルはヘンスラー)の方が私は好きなのだが、もし皇室の映像に使うとしたらこちらのソフトなほうが合っている。

 使用楽譜はレートリヒ版で、全22曲(第1組曲10曲,第2組曲5曲,第3組曲7曲),20トラック。

 EMI。

 「水上の音楽」のオリジナルの楽譜は失われたそうで、残されたパート譜やチェンバロ編曲版をもとに管弦楽版が復元された。
 その復元されたものはレートリヒ版など複数存在し、版によって収録されている曲数は異なる。

 *) ハロルド.C.ショーンバーグ「大作曲家の生涯」(亀井旭/玉木裕 共訳:共同通信社 1977年)


評価がじわじわ上がっているようで私はうれしい♪DSch/Sym12

Shostakovich06Inbal  名フィルも近々演奏!
 最近でこそときどき演奏されるようになってきたが、この曲は長年非常に評価の低い曲だった。西側ではもちろんだが、ソ連においてもこの曲を駄作と考える人は少なくなかった。ただ、これは音楽そのものよりも政治的信条の問題だったようだ。実は、ショスタコーヴィチを体制に対する抵抗のシンボルと考える人々は、当時のソ連にたくさんいた。その人たちにとっては、彼がこのような交響曲を書くことは、失望でしかなかったのだ。

 増田良介氏がショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第12番ニ短調Op.1121917年(The Year 1917)」(1961)について書いているものだ *)

 ショスタコの第12交響曲第11交響曲と並んで駄作呼ばわりされていた。体制に迎合したと言われているし、サビーニナときたらこの曲が忘れ去られていないことを嘆いているくらいだ。

 私にとって12番は、15曲あるショスタコの交響曲の中でも知ったのは早い方だったが、それも、こういう不人気作でも廉価盤を出していてくれた(でも他の廉価盤よりはお高めの1,500円)ビクターのメロディア・レーベルの存在があったからである。

 増田氏が書いている“最近でこそときどき演奏されるようになってきた”というのが、どのくらい“ときどき”なのかは知らないが、来月6月の名古屋フィルハーモーニー交響楽団の定期演奏会で、この12番が演奏される(2日,3日)。
 指揮は川瀬賢太郎。まぁ、川瀬さんったら、すっかりご立派になって……

 けど、その日は両日とも名古屋にいないんです。私。
 ちょっぴり残念です。

  お得意の音型署名
 ショスタコの交響曲全集を録音した井上道義。

 井上のインタビュー記事 *) に、この全集のブックレットに書かれていることが触れられているが、井上は第12番について“音楽の流れを阻害する、E,B,C の音型がスターリンのイニシャルだった”と指摘している。

 もっとも井上は、そんなことを聴き手が知る必要は必ずしもないと言っているが……

 スターリンの名前は Иосиф Виссарионович Сталин。
 このイニシャルを音名にすると、よくわからない感じもするが、E,B,C になるらしい。

 この音を高音部譜、低音部譜それぞれの五線に書くと以下のとおりである。

BlogPaint
 この音型は第1楽章の練習番号16(137小節目)で登場する第2主題の最初の3音から生まれたのだろう(いや、その逆か)。
 なお、この交響曲では第1主題とこの第2主題がライトモチーフとして全曲を通じて現われる(譜例はすべてzen-onスコアによる)。

DSch12_1_T2

 イニシャル音型は、たとえば第1楽章で第1主題が大爆発したあとに現れる(他にも出現箇所がある)。

DSch12_1_a

 以下、出現箇所を例示すると、第2楽章は譜例3のとおり。
 第3楽章ではスコアをざっとみても見つけられなかったが、この楽章では譜例1の第2主題がさんざん吹きまくられる。

DSch12_2_a

 終楽章からは3つ例示しておく(譜例4~6)。

DSch12_4_a

DSch12_4_b

DSch12_4_c
 こうなると、ショスタコーヴィチが計算づくでスターリンのイニシャルをおたまじゃくしのなかに署名したのは間違いない。が、第12番は当初、レーニンを描くと作曲者は言っていた。なのに潜んでいるのはスターリンのイニシャルというのも不思議だ。
 完成後、ショスタコは「『レーニン交響曲』は全く別なものになった」と語っているが、このあたりにカギがあるのかも。マニアにはたまらない謎解きの楽しみがありそうだ(私はしないけど)。

 今日はインバル/ウィーン交響楽団の演奏を。

 1994年録音。DENON。

 井上は音楽の流れを阻害すると言っているが、私にはこのイニシャル音型は阻害するというよりも絶えず監視の目を光らせて様子をうかがっている存在のように感じる。
 そして、譜例6のように、曲の最後の最後になってその存在感を誇示するのだ。
 もちろんスターリンのイニシャルだと知ってからの話だが……

 *) “レコード芸術”2017年5月号 記念特集:創刊800号-『レコード芸術』の過去・現在・未来 

ここに彼がいる!?♪ヴィヴァルディ/mand協RV.425

VivaldiMandkinCon  とってつけたようにヴィヴァルディ
 一樹さんの話が続いて恐縮だが、彼が札響から東京交響楽団に移籍し、さらに1980年にイ・ソリスティ・ヴェネティに招かれて、招かれたからにはそこに迎えられたことは、ぼんやりと知ってはいた。
 なぜぼんやりかというと、私にとっては全然一大事ではなかったからだ。

 ところで、ということは、この年以降に録音されたイ・ソリスティ・ヴェネティ(ヴェネチア合奏団)が奏でる音楽の中には一樹さんの弾くヴァイオリンの音も入っているのではないか?
 昨日、そのことにはたと気づいた。大したことではないけど……

 そこで本日は、イ・ソリスティ・ヴェネティが1983年に録音した、ヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi 1678-1741 イタリア)のマンドリン協奏曲ハ長調RV.425,P.134

 マンドリンの独奏はオルランディ、指揮はシモーネ。


 テレビコマーシャルなどでしばしば使われる曲なので、曲名を知らなくてもどこかで耳にしたことがあるはずだ。

 なぜヴィヴァルディの曲を選んだかというと、「春」よりブランデンブルクの方がずっと魅力的とおととい書いてしまったので、なんとなくフォロー。だって赤毛野郎に恨まれたくないもん。

 
  シャープ→(5年後)→東芝
 この曲、そして今日紹介する演奏はここでも取り上げている。
 このときはシャープの経営難のことに触れている。当時(もう5年も経ってしまったのね)この曲がシャープのコマーシャルで使われていたからだ。

 そしてまた、この記事では宮部みゆきの「ソロモンの偽証」も取り上げている。
 あれだけ感心しながら読んでいた宮部みゆきの小説だが、いまではまったく読みたいと思わなくなった。
 なぜかしら……かくかくしかじか……


 ♯、♯と世の中が騒いでいたのは5年前だが、現在は東芝が危機的状況だ。

 東芝とウエスタンデジタル(WD)がもめているようだが、そんなことは私の暮らしに関係ない。と思ったら、自宅で使っているI・O DATA の無線LANディスクのドライブがWD製だということを思い出した。
 思い出したところで、やっぱり私の日常には関係ないけど……

 ちなみに東芝が窮地に陥ったのは、原子力会社のウエスチングハウスの破産。こちらはWH。紛らわしい。
 無知な私はWDが原発も手掛けているのだと勘違いしかけたところだ。

 マンドリン協奏曲のCDはapexから廉価盤で出ている。もともとはエラート・レーベルである。


 そうそう、あの看板が替わっていた!

P5150177

 でも私は思う。これを書いている人はなかなか達筆だと。

マルモちゃんの今とマルイさんの過去♪外山/vn協1

Sakkyo75KaigaiChirashi  うららぁ~うららぁ~うらうらよぉ
 昨日書いたように、私が初めて札響の定期演奏会に行ったのは1973年のこと。

 実はこの年は、山本リンダの「狙いうち」が大ヒットした年でもあった。

 札響のコンサートマスターだった佐々木一樹の長女の名がウララなのは、そのこととはまったく関係ないはずだ。たぶん、きっと、おそらく……

 ウララ・ササキはピアニスト、次女のマルモ・ササキはチェリストとして活躍しているという。なお、うるるとさららはダイキンのエアコンである。
 ウララとマルモとカズキの3人でパドヴァ・トリオという三重奏団も組んでいるらしい。

 佐々木一樹は札響の初代常任指揮者となった荒谷正雄にヴァイオリンを師事。
 1966年から札響のコンサートマスターを務めた(札響の創立は1961年)。1970年から72年の間、イタリアに渡り研鑽を積み、帰国後札響に復帰したが、'77年に札響を辞め東京交響楽団のコンサートマスターに就任した。
Sakkyo75Kaigai  その後1980年に、佐々木はイ・ソリスティ・ヴェネティの首席奏者となった。

 
 一方、細川順三は札響のあとN響の首席奏者となったが、2009年に退団している。
 当時は定期や特別演奏会、あるいはほくでんファミリーコンサートで、細川がしばしばソリストを務めていた。


 また1975年の札響の初の海外公演では、佐々木がソリストとして外山雄三のヴァイオリン協奏曲(第1番)を弾いた。

  羞恥心減少
 外山雄三(Toyama,Yuzo 1951-  東京)のヴァイオリン協奏曲第1番(1963)。
 第12回尾高賞受賞作である。

ToyamaVn 外山の代表作である「ラプソディー」は、あまりにも日本のメロディーが露骨で、ここここに書いたように聴いていて気恥ずかしくなるが(でも、嫌じゃない)、ヴァイオリン協奏曲の方は日本の風情をたっぷりと残しつつも強引さのない“西洋音楽”になっていて、違和感なく聴くことができる。
 特に第3楽章のエネルギッシュさは、人生においてエネルギッシュさが衰えた私ではあるが、今でもなかなか好きである。

 札響の海外公演で外山のコンチェルトが聴衆にどう受け止められたか知る由もないが、シュヴァルツがこの曲を振ったというのもいま思えば意外な感じがする。

 海野義雄のヴァイオリン、外山の指揮、NHK交響楽団の演奏は1965年の録音。DENON。

 札響の初海外公演のプログラム(パンフレット)は、札幌での定期演奏会会場でも販売され、私はそれを買ってしまったのだが、広告を見るととても時代を感じる。

Sakkyo75KaigaiTaku

 ご存じのようにたくぎんはこの世から消えてしまった。
 相手を間違えてフルレンジのサービスをしちゃったからだ。

 そしてこちらの老舗百貨店も倒産した。名前は残っているが、現在店を運営しているのは三越伊勢丹ホールディングスだ。

Sakkyo75KaigaiMarui

 にしても、デパートに熊の木彫りなんて売ってたっけ?

「春」より衝撃的だったブランデンブルク♪メニューイン/バース音楽祭o

Sakkyo133rd1  当時のシーズン会員は“札響友の会” 
 私が初めて札幌交響楽団の定期演奏会に行ったのは1973年12月14日のこと。
 第133回定期演奏会だった。

 今週末(19・20日)に開催される札響の定期演奏会が第599回目を数えるということで、隔世の感がある。


 当時のチケットの値段。
 私が買ったC席の12月から3月までの4回分のシーズンチケットが1,200円(いきなり定期会員になったのだ。当時の定期会員は“友の会会員”と称した)。セラフィムの廉価盤LP1枚と同じ価格で、1回あたり300円!
 これまた隔世の感がある。


  チェリストだったシュバルツの弾き振り
Sakkyo133rd2 私が定期デビュー(もちろん聴き手として)したこの日のプログラムは、


 ① R.シュテファン/オーケストラのための音楽
 ② J.S.バッハ/ブランデンブルク協奏曲第5番
 ③ ベートーヴェン/交響曲第6番「田園」


 指揮はP.シュヴァルツで、②のソリストはヴァイオリンが佐々木一樹、フルートが細川順三(ともに札響の団員でコンサートマスターとフルートの首席奏者)。
 そしてチェンバロが当時札幌に居を移したばかりの小林道夫だった(プログラムに“小林道夫氏札幌在住歓迎”と書かれているのがなんとも微笑ましい)。
 また、シュヴァルツはブランデンブルク協奏曲ではチェロを弾きながら指揮をしていた。


 ブランデンブルク協奏曲で私が最初に聴いたのは、第2番と第6番。
 この定期の何か月か前にNHK-FMをエアチェックして知った。ただ、誰の演奏だったのか、なぜか汚い字で書かれた録音帳に記録が残っていない。

 バロック音楽ではヴィヴァルディの(「四季」のなかの)「春」を聴いたときに、なんて魅惑的な音楽だろうと思ったが、衝撃度、うずうず度、幸福度はそのはるか上をいった。

 第2番の華々しさと躍動感、第6番の音の織り成し重層する渋さに、一発で虜になった。
 これらの響き、メロディーはモノラルながらもスピーカーから部屋に宝石を散りばめたような感じがした。


  札幌市民会館の古臭さを忘れさせる新鮮な音
 そして初の第5番を生で聴くことになる。

 この曲はチェンバロ協奏曲並みに長いチェンバロの独奏が特徴。バッハはチェンバロという通奏低音の楽器を独奏楽器へと格上げした(バッハがチェンバロ協奏曲を書くのは、この作品よりもあとのこと)。

 そんなことも知らないまま演奏が始まった。
 しょっぱなからメロディーのすばらしさに心が打ち震えた。

 また、初めて見るチェンバロという楽器。鍵盤の色がピアノと白黒が逆なのも神秘的だった。
 そして長大なチェンバロのソロに入る。

 こんなに美しい響きがあるのかと思った。
 会場にいた誰もが幸せな気持ちになっていたと思う。そして、たぶんほとんどの人がこの曲を生で聴くのは初めてだったのではないだろうか。


BrandenburugMenuhin1 この演奏会のあと、たまたまレコード芸術に広告が載っていたブランデンブルク協奏曲全曲の2枚組LPを注文した。駆け込んだ店はカスタムパルコに入っていたコーヨー無線のレコードショップ。

 演奏はメニューインが弾き振りしたバース音楽祭管弦楽団
 セラフィム・レーベルなので、2枚でも2,400円だった。

 そのLPは年明けの1月8日なってようやく入荷した。


 その後、今日までいろいろなブランデンブルク協奏曲の録音を聴いてきた。ブログでも少なからずの録音を取り上げている。
 当時はなかったピリオド演奏。“正統的とは言えないかもしれない”カザルスの演奏etc.etc……


 しかし、私にはこのメニューインの思いっきりモダン・スタイルな演奏を忘れるわけにはいかない。
 いま聴くとさすがに古い録音の聴き苦しさを否定できないが、BrandenburugMenuhin2当時の演奏スタイルのものとしては決して悪くないものだと思う(LPを処分したあと、簡単にCDが手に入るかと思いきや、なかなか発見できずにずいぶんと苦労した)。

 LPジャケットの中面にはメニューインの写真が載っていた。

 まだ若いヴァイオリニストなのでびっくりした。じゃあこの録音をしたときはまだ少年だったんじゃないか?と無意味(だとのちにわかる)な想像もした。

 が、実は写真は若き日のメニューインの姿だったということ(たぶん録音当時)。
 そのときはすでに56歳(でも、若かったか)。

 セラフィム盤では、指揮者のケンペやチェリストのトルトゥリエなど、この“若き日の写真”にずいぶん騙された。


 メニューインのブランデンブルク協奏曲は第1番から第6番まですべてがはつらつとしていて聴いていて楽しくなるが、とりわけクリフトが吹く第2番のトランペットの高音は他ではなかなか耳にできないほどの華やかな輝きを放っている。


 1959年録音。EMI。

 先週、会議が行なわれた金沢のホテル。
 廊下にはBGMでブランデンブルクの5番が流れていた。

 誰の演奏かはわからないが、なんだかテンポを大胆に動かしたり、強弱のメリハリをつけた個性的で奇妙な演奏だった。

 なお、R.シュテファン(1887-1915)の作品は、その後聴く機会がないままである。

物陰に潜むタコ♪Dsch/Sym5&プーシキン・ロマンス

Vorkov_mini  気づけよ、バ~カ!
 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第5番ニ短調Op.47(1937)。

 音楽評論家の増田良介氏はこう書いている*)

 ……しかし『証言』をきっかけに、この曲には裏の意味があるということがほぼ定説となり、議論は続いている。第1楽章にはビゼーの《カルメン》、第3楽章には自作の歌曲《復活》の引用もあり、それもさかんな裏読みを誘っている。

 『証言』というのは、ソロモン・ヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」のこと。
 これは偽書、すなわちショスタコーヴィチが実際に話した内容ではないと言われて久しいが、それでも私は本当に全部が全部作り上げたものなのだろうかと、今でもすっきりしていない。

 第1楽章に登場するビゼーの歌劇「カルメン」の「ハバネラ」のメロディー。

 ショスタコのこの第5交響曲を愛好して30年以上経ったときに、吉松隆センセの指摘を読んで、このメロディーが「ハバネラ」であることにようやっと気づいた私。
 まったくもう、自分の愚かさ、鈍感さにがっくりしたね。

  たまたま同時期だったので、ではない?
 そして今度は増田氏の(私にとっては)新たな指摘。

 「復活(Reincarnation)」というのは、「プーシキンの詩による3つのロマンス(Three Romances on Poems by Pushkin)」Op.46aの第1曲。

 このOp.46aのもとになっているのは、バス独唱とピアノのための「プーシキンの詩による4つのロマンス」Op.46(1936)で、このうちの第1~3曲をオーケストラ伴奏に編曲したものである(ということは、私のこの記述は愚かなる勘違いをしてしまっていることになる。鮭に免じて許して欲しい。あぁ、恥かきっ子だぁ)。

 さて、「3つのロマンス」は第5交響曲の1つ前に作曲された作品で、だから同じようなフレーズが偶然現われたということも考えられるが、そんなことをいうと一生懸命どこかで議論している人に申し訳ないので、きっと裏があるに違いないということにしておこう。

 「復活」で出て来るのは、第5交響曲の第3楽章のこのメロディーというか音型というか、だ(掲載したのは全音楽譜出版社のzen-on score)。

DSchSym5_3Arpe

 この音型は続く第4楽章-最後のクライマックスに突入する前の、静寂の中でティンパニと小太鼓のリズムが刻まれる前-にも現われる。

DSchSym5_4Arpe

 さてさて、ショスタコは「復活」を引用して何かを“込めた”のだろうか?

  記憶ははっきりしないが、たぶんあれはムラヴィンスキー
 レニングラード・フィルとともにムラヴィンスキーが初来日し(1973年)し、第5番も演奏された。
 その模様をテレビで観たのが、私の初「第5」だった。

 その何カ月か後に近所のコーヨー西野店で買ったLPはストコフスキー/ニューヨーク・スタジアム交響楽団(いわゆる覆面オーケストラ)の演奏のもの。ストコフスキーが好きだったわけではない。そもそもストコフスキーなんて指揮者、知らなかった。ほかに選択肢がなかったのだ。

 タコ5の名盤は数々あれど、そういうのとは別次元の理由で私にとって忘れてはいけない1枚である。

Shostakovich5Stokov

 録音は1958年。エヴェレスト(ウエストミンスター)。

 また「3つのロマンス」については、バブィキンのバス、ユロフスキ指揮ケルンWDR交響楽団の演奏を再びご紹介しておく。

ShostakovichMichelangelo

 1994年録音。ブリリアント・クラシックス(原盤:カプリッチォ)。

 これは先日泊まった伊勢のホテルの部屋で見てしまったタコである。

20170508Takoashi

 *) “レコード芸術”2017年5月号 記念特集:創刊800号-『レコード芸術』の過去・現在・未来

同類たちが集う家♪クレメンス/私は野の花

20170513Katabami  必要もないのに鮭を買う……
 土曜日。

 気象予報士が脅すほど激しくない雨が上がった午後、私は近所のマックスバリュに買い物に行った。
 ティッシュペーパーの残りがあと2箱になったからである。
 2箱もあれば1ヵ月以上はもつが、あえて雨上がりに出かけたのは、なんとなく今日ティッシュを買い足しておかねばならないような気がしたからだ。

 で、ついでに冷食のナポリタンと豚肉のこま切れと鮭の切り身を買った。
 これまた、この日どうしても買わなければならないものではなかった。

 帰り道に見かけたカタバミ。

 北海道ではこれから歓迎など全然していないのに元気に繁りまくり、花を咲かせ、タネをばらまき、また翌年さらに繁りまくる厄介者の雑草だが、この地ではもうタネをつけていることに驚いた。

 これが自分ちの庭だったら血相を変えて抜くところだが、道ばただから関係ない。だから、見て見ぬふりの放置。
 でも、人間の価値基準で抜かれたり除草剤をかけられたりと、雑草ってかわいそうではある。けど生命力が強くて憎たらしいんだけど。

 ちなみにカタバミの花言葉は“輝く心”。
 サクショウソウという生薬で、解毒作用があり、また下痢にも効果があるという。 

  ノンノン、パパ。それはあ・と・で……
 クレメンス・ノン・パパ(Clemens non Papa 1510頃-56頃 フランドル)の「私は野の花(Ego flos campi)」(1555刊)。

 クレメンス・ノン・パパという名前を初めて目にしたときには変わっってるなぁと思ったものだ。
 だって、パパじゃないクレメンスなのだから。

 どうやらこの名前はしゃれで付けられたものらしい。
 クレメンスという同名の詩人か教皇が当時いて、その人と区別するためにノン・パパと呼んだようなのだ。
 本名はJacobus Clemensというらしい。

Renaisance クレメンス・ノン・パパはフランドル楽派後期の作曲家。
 フランドル楽派というのは1470年~1560年の間にヨーロッパで活躍したフランドル地方(ベルギー、オランダ、北フランス)出身の音楽家のことをいう。
 彼らはポリフォニーによるミサ曲やモテトを得意とした。創始者はオケヘム(オケゲム)とオブレハト

 次の世代はイザークやジョスカンなど。ジョスカンはルネサンス音楽の代表的作曲家である。

 1520年以降はクレメンスなどが活躍。この時代は世俗音が増え、また宗教改革の影響があるという。
 そして最後はラッスス(ラッソ)らによってポリフォニー音楽は極限まで発展、そのあとはバロック音楽の時代へ移行していくことになる。

 「私は野の花」は「われはシャロンの花なり」(シャロンはムクゲのこと)と呼ばれることもあるようで、7声の多声声楽曲である。

 私が持っているディスクはサマリー指揮オックスフォード・カメラータによる演奏。
 アルバム名は「ルネサンス・マスターピース」。

 1993年録音。ナクソス。

20170509Sotetsu  どんな実がなるのだろうか?
 花といえば、その2日くらい前にどこかの庭に生えている(っていうか、もともとは植えたんだろうけど)ヤシらしき木に花がついていた。
 ヤシの花が当然のごとく咲いているなんて、北海道人の感覚からすると異常にすごいことだ。

 翌日の日曜日。

 前日家の中で、スリッパを履いていると足が蒸れて暑いことが判明。必要に迫られて、先が開いたスリッパを買いに出かけた。

 去年までは近所に無印良品があった。無印のつま先開口型スリッパは自宅で愛用している。
 だが店を閉じてしまったので、ちょいと遠出して今池という街に行ってみた。

 このあたりは私が名古屋に転勤するときに、帯広で一緒だった秋吉課長がさかんに住むといいと薦めてくれた場所。秋吉課長は帯広に転勤してくる前は名古屋にいたのだが、人に薦めるわりに、実は自分は今池に住んでいなかったという過去を背負っている。

 今池にはAEONがある。昔はダイエーだったらしい。
 同じ経過を新札幌のダイエーが辿っていて、いまではAEONに変わっている。
 そう思うと身近に感じなくもない気がしないわけでもないのは気のせいだろう。

  立つ必要なんてこれっぽっちもないんです
 わざわざ今池まで行ってそのAEONで先割れスリッパ買い、さらに近ごろしゃもじのご飯のくっつき度合いが目に余るほどひどくなったとしゃもじを買うことを思い立つ。
 が、予想に反してひどく高い。スリッパより高い。別に自立してもらわくてもいいのにそういうものしか置いていない。立つタイプのしゃもじは、逆に炊飯器のしゃもじホルダーに入らないからかえって不便だ。

 棚から一歩後ろへ離れて距離を置いて眺めてみると、下の方にひっそりと189円の普通のタイプのしゃもじがあるのを発見。それを買った。

  違います!双眼鏡も地図も持っていません!
 せっかくわざわざ今池まで来たのだし、まだクソ暑くなる前だったので、少しあたりをウォッチングしてみた。

 けっこう飲み屋がある場所であることがわかった。

 こちらは“粉もの”系。
 栗八のキャラが宇宙人っぽくて素敵。

 「今日はどんだけぇに行こうぜ」って、ちょっと言うのが恥ずかしい感じがしないでもない。
 こちらのイカやタコも異星人っぽい。

20170514Kurihachi

20170514Dondake

 ばかたれの家に行くってのもなぁ……。いや、私ばかたれですけどね。
 そして自分は呑み助であることも認めます。呑助+飯店って、日中友好って感じだ。

20170514Bakatare

20170514Nomisuke

 ここはもうやってなさそう。
 横書きの店名の文字の形に時代を感じる。

20170403Eiraku

 ロンドン橋落ちたぁ~……

20170514ImaikeHorumon

 道沿いに咲いていたどこかのお家の花。
 無造作に咲いていたが、下の写真の多肉植物(ベンケイソウ科の品種だろう)は見事な生育ぶり。しかも花盛り。

20170514Flower

20170514Sedum

 と、写真を撮って歩いたが、金田法相ならこれは共謀罪に当たるって言いだすかもしれない。
 弁当と缶ビールも一緒に持ち歩いた方が安全か?暑さで腐りそうだけど。

えぇ、耳は蒸れました。ちょっとだけ……♪ショルティ/CSOのLvB/Sym9

HP10S_0  エアコンを入れるほどでもないので……
 昨日は夜中からずっと雨、そんでもって朝も雨だった。

 前日やこの日の朝の天気予報ではすっごい降りになると繰り返し言っていた。車のワイパーを最速で動かしてもよく見えないくらいに、と。
 しかし、全然そこまでは強くなかった。とはいえ、これが出勤しなければならない朝だったら、仮病を使って休むか検討する価値があるくらいの雨ではあった。

 部屋の中はなんとなく蒸し暑いが、エアコンをONにするほどではない。
 そこで窓を開けたのだが、雨の音やら車の音、そして雨の中何してるんだかわからないが外で大声を出している子どもたち、などの音で、CDをじっくり聴くにも聴けない。

 しかし、実は私は改心した時点ですでにヘッドフォンを備えることにしたのだった。
 それで音楽に集中した。

  ピンキリの極み
 それにしてもウォークマンでインナーイヤー・タイプのヘッドフォン(というか、イヤホン)は使っていたが、オーバーヘッド・タイプのヘッドフォンを使うのはかれこれ20年以上ぶりだ(人間ドックのときの聴力検査時を除く)。

HP10S_02 ヨドバシ.comで見てみると、なんということか最高価格のヘッドフォン(オーバーヘッド型)は62万8,850円、最安値は814円。

 いったいこの価格差はなんだろう?
 62万のヘッドフォンっていったいどんな音がするのだろう?曲の背後からLOTO6の当選番号が聞こえてくるのかもしれない。

 ヘッドフォンに何万も出す気は全然ない。
 1万円だって十分に高いと思うくらいだ。私はあくまでスピーカーで聴く主義。
 しかし、マンション住まいや、窓を開ければ都会の騒音という環境下ではヘッドフォンに頼ることがあったとしてもバチは当たるまい。

 口コミサイトで調べてみると、SOUND WARRIORという日本の会社のSW-HP10というヘッドフォンの評判が気持ち悪いくらい良い。実勢価格は1万円を切っているが、人によると音は5万円クラスのものより上だという。
 ただ、見た目が貧乏ったらしい、ダサイと、そこの評判はよくない。

HP10S_03 が、人に見せびらかすために買うわけじゃないし、そもそも私は今のヘッドフォンがどんなにおしゃれに進化しているのかもさっぱりわからない。
 最初は5,000円くらいの製品でも十分だと考えていたものの、あまりにみなさんが讃えているので、この機種を購入しようと思ったものの、あらあら廃番。
 そこで後継機種のSW-HP10sに決めた。

  聴力検査のものはなぜあんなに重いのか?
 口コミで多くの人が言っている「見た目がチープ」ってのが、私にはさっぱりわからない。
 ふつうのヘッドフォンの外観だ。

 コードを含んだ重量は280g。装着していても重くないし圧迫感はない。
 口コミでは自然でクリアな音ということだったが、オーケストラ作品を聴いた私の感想では左右の広がりが狭いし、1つ1つの音がクリアに聴こえるとは言い難い。各パートの楽器が粒立つのではなく、塊になる。
 このあたりは密閉型という特性、そしてモニター用ということがあるのかもしれない。

RecoGeiLvB9 ただ、ヘッドフォンで音楽を聴いたことが浦島太郎並みに久々なので、私には良し悪しは言えない。
 まだ耳が、感覚が、ヘッドフォンに慣れていない、つまり耳がエージングされていないからだ。

 でも、これだけみんなが褒めているのだから、他の機種に比べてもかなり優れた鳴り方をしてくれているのだろう。

  私にとっての記念碑的「第九」
 この日聴いたのは、ショルティが振ったベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の交響曲第9番ニ短調Op.125合唱付き(Choral)」(1822-24)。

 創刊800号となる“レコード芸術”の5月号(この号に関する話題は今後もしばらく続く)の特集記事のなかで、“おもいでの1枚”としてオーディオ評論家の山之内正氏が選んでいるのがこの録音。

 これは私にも思い出深い演奏。

 1973年11月21日(水)の午後1時。NHK-FMの“ホームコンサート”をエアチェックしている(平日なのになぜ家にいたのだろう)。
 エアチェックして私にとって初めて全曲を聴いた演奏が、このショルティによるものだった。
 山之内氏も書いているように、当時高い評価は得られなかったようだが、私にとっては最初に良い演奏に出会えてラッキーだった。

 おかげさまで(?)、ピラール・ローレンガー、イヴォンヌ・ミントン、ステュアート・バローズ、マルッティ・タルヴェラという独唱者の名前は、すっかりしっかり頭に刷り込まれた。

BeethovenSymSolti あの当時は、親に買ってもらって8ヶ月ほど経ったAIWAのラジカセで録音し聴いていた。
 同じNHKラジオでも、FMばかり聴いて、本来の目的だったAMの“基礎英語”講座なんて1度か2度録音したっきり。
 そのテープもクラシック音楽で上書き録音され……

 私が再生できる音はモノラルだったが(ステレオ・ラジカセなんてなかった)、次々と新しい音楽に接することができて感激と感動の日々だった。

 オーケストラはもちろんシカゴ交響楽団、合唱はシカゴ交響合唱団。

 1972年録音。デッカ。

急に意欲的に音楽を聴きたくなった日♪スッペ/「軽騎兵」序曲

Rekogei201705  鼎談(ていだん)を読み己を省みる
 木曜~金曜は金沢に出張した。
 月~火は伊勢出張だったので、1週間でフォッサマグナ風に日本列島を縦断したことになる。

 金沢出張の際は雑誌“レコード芸術”の5月号-このあいだ取り上げた創刊800号-を携えた。

 名古屋から金沢までは特急・しらさぎで3時間。

 久々に文字通り隅から隅まで読んだ。
 レコ芸をこんなにきちんと読んだのは相当久しぶり、いや初めてのことかもしれない。

 800号記念の特集記事をいろいろ読んでいてあらためて感じたのは、このところずっと自分はきちんと音楽を聴いていないということだ。
 忙しくてなかなかじっくりと音楽を聴く時間がとれないのだが、それなら大学に入るために浪人生活をおくっていたときだって一緒だ。いや、もっと切羽詰まって当たり前だった。しかし、あのときほど音楽を“きちんと”楽しんでいた時代はない。

 最近は2本のスピーカーの間、の中央、の奥にある壁に向かって腰を据えてCDを聴くことがほとんどない。
 マンションなので大きな音を出せないというのもあるが、1枚1枚のCDをあまりに粗雑に扱っているような気がする。

 うすうす気づいていたが、今号のレコ芸を読んでそれをはっきりと認識させられた。

 よし。
 ちゃんとCDに収められた音楽をじっくりたっぷりねちねち楽しもう。
 そう動機づけられた。

FASCINATING ORCH PIECES  有名曲なのにいざ聴くとなると……
 ところで特集記事の1つのなかで増田良介氏はこう書いている。

 クラシック音楽の名曲というのは意外に出入りが激しい。マーラーの交響曲第3番や第7番なんて、かつては演奏されるだけでちょっとした事件だったものだが、今はそうでもない。逆に昔は誰でも知っていた《軽騎兵》序曲や《おもちゃの交響曲》はすっかり忘れさられてしまって、ちょっと寂しい。

 「軽騎兵」序曲!

 その存在すら私は忘れかけていた。

 自分でもステレオ・カセットデッキを持つようになり、NHK-FMの“青少年コンサート”で放送されたこの曲をエアチェックして何度も聴いたものだ。
 放送日は1976年の2月8日という記録がある。

 演奏は山岡重信指揮の東京フィルハーモニー交響楽団だった。

 夢中になって聴いたこの曲も、いま手元にある音源は小林研一郎指揮東京都交響楽団のCD。
 “管弦楽名曲集”というアルバムだが、ということは私は日本人演奏家によるものでしか、この曲を聴いたことがないってことだ。
 それがダメだとかいうことではなく、それだけこの曲のCDを探すのがなかなか難しいってことなのかもしれない(いや、真剣に探そうとしなかった私がすべて悪い)。

 スッペ(Franz von Suppe 1819-95 オーストリア)はウィーンで活躍したオペレッタの作曲家で、本名をFrancesco Suppe-Demelliという。
 オペレッタではパリで活躍したオッフェンバックと人気を2分したという。

 「軽騎兵(Die leichte Kavallerie)」(1866)はK.コスタの台本による2幕のオペレッタ。愉しい軍人生活を描いたものらしい。

 序曲の冒頭の明るく勇壮なファンファーレや中間部の軽快なメロディーは誰でも一度(以上)は耳にしたことがあるはずだ。

 私の持っているCDは他の収録曲も含め録音が良くない。
 音が良くないのではなく、ダイナミックレンジが狭いというか、奥行きがないというか……
 だからお薦めできない。

  凝ったものではなくふつうのが良かったのに……
 金沢に着いたのは13時少し前。
 一緒だった満保係長(初登場。なんとなくイメージ的につけてしまった仮名。若園課長の部下である)とフォーラスのレストラン街に行き、富金豚に入った。ここを利用するのは2回目。

 トンカツ屋である。
 私はこのトンカツ屋で豚のしょうが焼きを食べようかと思っていたが、店に入ると急にカツカレーをもよおした。

 メニューを見る。

 ない!

 えっ?そんなバカな!
 トンカツ屋には自慢のカツカレーがあるに決まってる。

 あった!
 カツカレーではなく、とんかつカレーと書いてあるから発見しにくかったのだ。

 カツカレーというとだいたいはやや甘めの味付けであることが多い。

 が、ここのは辛かった。
 赤唐辛子の細かな断片が豊富に入っている。
 こんな辛いカツカレーのルゥは初めてだ。これじゃ子どもは絶対食べられない。私だって涙がにじみ出たほどだ。
 しかもカレーということなのか、ご飯の炊き方が硬め。
 あぁ、ふっくら炊きあがったご飯が食べたかったのに……

 満保係長はトンカツ定食。
 あぁ、うらやましい……
 ご飯はふっくらやわらかそう。

 そんなことがあったのと、あとは健康のために、ライスは半分ほど残した私だった。

伊勢エビの姿は今回も見かけず……♪ブリテン/聖と俗

P5080090  成り行きはとても複雑
 月曜から火曜にかけて伊勢市に出張してきた。

 出張用務の成り行き上、読者の方には全然その成り行きなるものがちっとも想像できないと思うが、ビジネスながらも観光客のように昼食はおかげ横丁でそばを食べた。

 この日はゴールデン・ウィーク明けのせいか、これまで私が行ったうち、最も横丁はすいていた。
 昼どきど真ん中なのに、すぐに席をとって食事ができたし、通りも老齢系ツアー客の姿はあったものの、生徒族の姿はほとんどなかった。

 この店、ざるそばもおいしかったが、一緒に食べた“本日の日替わり炊き込みご飯”だった筍ご飯のおにぎりがたいへんおいしかった。

 そのあと、より一層どのような成り行きがあったのか読者の方を混乱させてしまうに違いないが、内宮にお参りに行った。

  神の道ではしゃぐばちあたり者
 内宮へ行くにはまず、俗界と聖界の境目である五十鈴川にかかる宇治橋を渡るところからはじまるわけだが、橋の中央には30cmくらいの幅の板が貼られていて、そこの部分が一段高くなっている。

 これは人々がスムーズに行きかうためのセンターラインではない。
 神様が通る道なのである。
 だからこの上を歩いてはいけないと、同行した神宮通(つう)の人が教えてくれた。
 そのときもその上を平均台よろしく歩いていていい歳の夫婦がいたが……

 五十鈴川はいつ見ても澄んでいて美しい。

P5080091

 橋のすぐ上流側にはこのように柱が何本か立っている。
 これは大雨で水かさが増し、上流から流木が流れてきた際に、それが橋げたを直撃しないよう防御するための柱だそうだ。木除杭と呼ばれるという。

 中へと進むと、空気が変わる。
 少しひんやりとし、空気そのものに厳粛さを感じる。
 長い年月をかけて太くなった木々が、これまた神々しい。

P5080092

P5080093

 ブリテン(Benjamin Britten 1913-76 イギリス)の「神聖と世俗(Sacred and Profane)」Op.91(1974-75)。

 中世の抒情詩を歌詞とする8曲からなる無伴奏合唱曲である。

 スパイサー指揮フィンジ・シンガーズの演奏を。

 1997年録音。シャンドス。

BrittenChoralEditionBox

  正座するのはじいちゃんの葬式以来なもので……
 ところでこの日、これまた成り行きで(といっても、私だけ知らなかったのだが)私たち一行はお祓いを受けた。
 そこで十数年ぶりに正座をした。体育座りも久しくしていないが、正座はもっとごぶさただった。

 が、私はすっかり正座ができない体になっていた。

 正座した瞬間に足が痛くなり、足の裏がつりそうになった。これじゃ神宮痛だ。
 これからは正座ができるように日々、徐々に訓練しておく必要がある。
  
 ところで、考えてみれば、伊勢には何度か行っているが、伊勢エビはこの地でまだ1かけも口にしたことがない。

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