新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は江別市「らーめん しょう」の味噌ラーメン。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

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2017/05

ハイドン様の偉業は私の手で終止符を打ちます♪ハイドン/Sym104

Haydn103Davis  交響曲の父の最後の交響曲
 ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)の交響曲第104番ニ長調Hob.Ⅰ-104ロンドン(London)」(1795)。

 昨日書いたように、ショスタコーヴィチの最後の交響曲となった第15番の第4楽章で、ハイドンの104番の冒頭の音型が現れる。


 ショスタコの第15番の第4楽章の後半になって、低弦によるバスオスティナート主題が出てくる。この主題は第7交響曲「レニングラード」第1楽章の“戦争の主題”に似ている。
 そして、実はそれがハイドンの第104番の序奏と同じだったというわけだ。むかしも書いてるけど


 ハイドンといえば“交響曲の父”である。
 どんな曲を書いたか知らなくても、小学校の音楽の時間にとにかく「このおじさんが“交響曲の父”なんだよ」と、先生に教えられたはずだ。交響曲って何なのか知らないのに。

 ウィキペディアのハイドンの項には、“今でこそハイドンの交響曲はあまりにもポピュラーな存在であるが”と書かれているが、そうだろうか?あまりにもオーバーな書き方に思えるのだが……。

 個人的には、まだまだハイドンの交響曲(や他のジャンルの作品)はポピュラーとは言い切れないと感じている。残念なことだが……


  タコ15は交響曲形式の墓碑銘
 ソヴィエトでもハイドンのことを“交響曲の父”と呼ぶのかどうか知らないが、ショスタコーヴィチは20世紀最大の交響曲作家として“交響曲の父”を讃え、そして自分が亡くなったあとには真の交響曲作家がいなくなることを理解していたので、最後の15番に交響曲形式の確立者ハイドンの最後の充実した交響曲を用いたのではないかと思う。

 もっとも西欧では、マーラー(1860-1911)のころには交響曲という形式はすでに終焉を迎えていた。
 そのあとはソナタ形式にのっとった伝統的な形式の交響曲というのは、例外的にしか書かれていない(はずだ)。音楽的には時代に遅れて進化していたソヴィエトだったために、プロコフィエフやショスタコーヴィチらが交響曲を手がけ続けたのである。

 最初の楽譜がハイドンの交響曲第104番冒頭(掲載譜はオイゲンブルク社のスコア(全音楽譜出版社から国内版として出版されている))。
 ニ短調の重く威圧感のある序奏だが、そのあとは「そんなことあったっけ」みたいに、軽快になる。だからこの序奏が異質といえば異質。

 

Haydn104_1


 2枚目がショスタコの15番のバスオスティナート主題で、3枚目はそれが爆発する箇所(この2つの楽譜は全音楽譜出版社のzen-on score)。


Shostako15-4-BassOstinato

Shostako15-4-ff

 このあと音楽は静まり、魂が天へ昇華するように曲は終わる。

  12曲全部がロンドン交響曲なのに……
 さて、ハイドンの交響曲に話を戻すと、第104番だけに「ロンドン」というニックネームが付けられているものの、第93番から第104番までの12曲がすべてロンドンに縁のある作品。

 ザロモンに招かれてロンドンで演奏するためにウィーンで作曲されたものと、ロンドンで作曲されそこで演奏されたものがあるが、この12曲を「ロンドン交響曲」とか「ロンドン・セット」、あるいは「ザロモン交響曲」「ザロモン・セット」と呼んでいる(ドヴォルザークの交響曲第8番は楽譜がイギリスで出版されたために「イギリス」と、曲の本質とは縁もゆかりもない名を付けられたことがあったが、最近ではほとんどそう呼ばれなくなったのは幸いである)。

 ちなみに、12曲のなかで104番「ロンドン」以外にニックネームがついているのは、第94番「驚愕」、第96番「奇蹟」第100番「軍隊」第101番「時計」第103番「太鼓連打」である。

 では、104番をC.デイヴィス/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏で。

 1977年録音。フィリップス。

 先日の新聞に、デューク・エイセスが解散するという小さな記事が載っていた。

 「歌えなくなる前に、きれいな形で解散しよう」と話し合った結果だったという。

 私が子どものころは、ダークダックスに、デューク・エイセス、ボニージャックスといった男性四重唱団がずいぶんテレビに出て童謡やロシア民謡を歌っていたのを記憶している。

 それがフォーリーブス、さらにはぴんからトリオや玉川カルテットに座を奪われ……ってことではなく、これも“うたごえ運動”の流れをくんだ1つの形式の終焉なんだろう。

私?反抗系じゃなく単なる天邪鬼です♪DSch/Sym15(by ケーゲル)

ShostakoKegel  偶然耳にした新作
 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第15番イ長調Op.141(1971)。

 ショスタコーヴィチの交響曲15曲の中で、私が初めて第15番を聴いたのはクラシック好きになってからでもとても早いうちで、第5番、第9番に次いで3曲目のことだった。

 NHK-FMでだったが、それは1975年8月24日のこと。コンドラシン/モスクワ・フィルの演奏。これが録音されたのは1974年。さすが、現代の交響曲作家のショスタコーヴィチ。新作を発表してからあまり期間を開けずに録音されたわけだ。

 ショスタコーヴィチの最後の交響曲となる第15番が、息子のマキシム・ショスタコーヴィチ指揮のモスクワ放送交響楽団によって初演されたのが1972年1月8日のことなので、私も作曲後すぐとは言えないものの、新作をほどなくして聴けたということになる。

 そしてまた、ショスタコーヴィチが亡くなったのが75年の8月9日。
 なのでこのときの放送は、ショスタコを追悼するために最後のシンフォニーを取り上げたのかもしれない。
 そのころはあまり意識していなかったが、私が第5番でショスタコを知り、また次に第9番に接したころ、まだショスタコーヴィチは生きていたのである。おぉ、同時代人!

  1番に戻って環を閉じる?
 交響曲第15番について、増田良介氏はこう書いている*)

 ……だが、第2楽章冒頭のチェロ独奏が楽章の終わりの方で反行型になってチェレスタに出てくると、実は交響曲第1番冒頭の音型になっていたり、第1番でも聞こえていた《トリスタン》冒頭や《指環》の運命の動機が第4楽章に出てきたりすると、これは全15曲を円環のように閉じる意図だったのではないかと思わざるを得ない。

 なお、雑誌では表記が“反行系”になっていたので、ここでは“反行型”にさりげなく直しておきました(って、そこを書かなきゃいい人なのに……)。もしかして“反行形”の方が良かったでしょうか?

 いずれにしろ、編集者はたいへんだろうけど校正をきちんとしましょう。なお、この号ではもう1か所、私はミスに気づかさせていただきました。

 その第2楽章冒頭のチェロの独奏がこれ(以下、掲載譜はすべて全音楽譜出版社のzenon-scoreによる)。

DSch15_2_017


 第2楽章の終わりの方のチェレスタのメロディー、つまりチェロ独奏の反行型というのがこれ。私は100%は理解できていないけど。

DSch15_2_216

 そして、このチェレスタの音型が交響曲第1番の冒頭と同じだというのだ。

DSch01_1_001

  当惑するお客さま多数
 さて、第15番を、今日はケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団の演奏で。

 この演奏についての感想はここに書いているが、着目すべきはこの録音が1972年11月7日のライヴだということ。初演から10か月後のことなのだ。

 ケーゲルもこの新作をすぐに取り上げたわけだが、この不思議な感触の音楽に対する聴衆の反応が複雑なのは拍手から伝わってくる。それだけでも貴重なライヴだ。

 WEITBLICK。

 ところで、このところショスタコーヴィチを取り上げる機会が多いのは、創刊800号となった“レコード芸術”の特集で、ショスタコの時代が来たという話が乗っているから。
 そして、この特集を読んでからというもの、毎日毎日私の頭の中ではショスタコの交響曲のどれかが頭で鳴り続けている状態。昨日の朝なんて、第6番の重~い第1楽章が脳を支配していて、まったくもって友引にふさわしかった。なんとなく。

IMG_20170527_0004 (2)  タコの時代は果たしてくるのか?
 マーラー・ブームのあとはショスタコ・ブームが来る。そう言われたのはもう25年以上前のことだろうか?
 当時はショスタコのディスク点数がまだ決して多いとは言えなかったということもあったのか、その予言はスカに終わった。

 だが、増田良介氏が記事の中で書いているように、今度こそショスタコ・ブームが来るのかもしれない。
 人気曲はクラシックでも穏やかに変化しているし、いまの世の中の状況がショスタコが生きていたころのソヴィエトのように、なんだか不気味だからだ。

 そしてまた、マーラーの音楽-特にかつてはマーラーの交響曲のなかではいちばんポピュラーだった、昨日取り上げた第1番など-の人気がかつてほどではなくなってきているように感じるからだ。

IMG_20170527_0004 (3) まっ、果たしてどうなるかはわからないけど……

 そうそう、第15番の終楽章には、ハイドンの最後の交響曲、第104番の冒頭も力強く現われる
 これまた、何らかの意味が込められているのだろう。

 第15番が作曲された当時、私たちは給食ではなく弁当を持って中学校へ通っていた(1年生の時は、隣の席の女子が毎日私の弁当を覗き込むのが嫌だった。あるいは彼女は将来、私と結婚したくて、好みの料理の傾向を学ぼうとしていたのだろうか?)。

 牛乳は学校で用意されていたが、まだビンだった。飲んだ後はみんな競い合う必要もないのに、われ先にとビンを箱に返しに行った。

 ついでに言うと、このころの冬の暖房は、コークス(石炭を蒸し焼きにして炭素成分のみにしたもの)を燃やすストーブだった。

 ある日F君が朝早く来て、なぜか蒸発皿(というか洗面器)におしっこをし、湧き上がるにしたがって猛烈な刺激臭が教室中に充満したことがあった。すぐに臭いでわかったが、これが昼近くだったら牛乳を温めるためにビンを入れた人が被害に遭うところだった。

IMG_20170527_0003 (2)

 *) “レコード芸術”2017年5月号 記念特集:創刊800号-『レコード芸術』の過去・現在・未来

今年初の声は5月26日♪GM/Sym1 (by ラインスドルフ)

Mahler3Leinsdolf  気をつけてお出かけあそばせ
 一週間のスタートとなる今朝。

 みなさんにおかれましては、多くの場合、いやぁ職場に行くのが楽しみだなぁと思っていることと思われない。

 でも、安心したまえ!今日は友引だ。
 やれやれ……

  アリの木登り、確認せず
 そんな嫌がらせを書いたこととはまったく関係ないことだが、先週の木曜から金曜日は札幌に出張であった。
 土曜日はそのまま居残ったわけだが、日曜日の復路便は私が好む後方通路側の席がとれず、あまり福路ではなかった。

 土曜日は雨が降るという予報を受け、金曜日の朝にバラや庭木への薬剤散布を繰り上げて行なった。

 例年カイガラムシが発生しスス病に罹るので、その後の状態がいちばん気になっていたモモイロナツツバキは、幸いにしてまだアリどもはボルダリングしていなかった。
 ということは、カイガラムシが発生していないということだ。アリどもはカイガラムシの成虫が排泄するオーバーフローした樹液を求めて、せっせと木登りをするのだが、ロウ質のバリアで薬をはじき返す成虫が発生していないということは、そこらあたりに幼虫がいたとしてもまだ殺虫剤が効くのである。

 今回はオルトラン水和剤に殺菌剤のモレスタン水和剤を混合して散布した。

  夏を告げる声が
 そのときである、カッコウの鳴き声が聞こえた。
 私にとっては自宅で耳にする今年初めてのカッコウである。そしてまた、それに交じってキジバトのデーデーポッポーという声も。

 夏の到来だ。まだ寒い日の方が多いけど……

 そういうえば、テレビでも「なつはこぉかんがかーゆくなるぅ~」という、デリケアM'sのコマーシャルの歌が聞こえてくる季節になった。
 あまり自分は経験した記憶はないが、夏は股間がかゆくなるのか?
 いかがです?氷山係長?オディールさん?
 それより最近、ときおり首に多数ある老人性疣贅(ゆうぜい。つまり老人性いぼ)がかゆくなることがあって、そのことが私は不愉快ではないものの不快だ。

 毎年この時期に取り上げる作品がディーリアスの「春初めてのカッコウを聞いて」。
 しかし、ディーリアスの作品はポーポーちゃんがらみで昨年も取り上げているので、今日は-この曲もこの時期に毎年のように取り上げてはいるが-マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第1番ニ長調(1883-88/改訂'93-96)。

 ここでもカッコウが鳴いているのだが、ふつうカッコウの鳴き声というと音程が3度下降するのに、マーラーは4度下降。なので、気づきずらいかもしれない。

 久しぶりに-って、私にとってはだけど-ラインスドルフ/ボストン交響楽団の演奏を。

 私が初めてマーラーの1番、というよりも、マーラーの音楽を耳にした盤。
 RCAの廉価盤だった。

 1962年録音。

  毎年同じでスイマセン
 さて、これまた毎年この時期に紹介する庭の花たち。
 ほんと、“例年恒例”で変化がなくて申し訳ない(と、一応謙虚な態度)。

 今回はPENTAXの一眼レフで撮ったので、いつもよりは画像がきれいだと思う。

 まずは“ユーフォルビア”。

20170526Eupho2

20170526Eupho1

 もうすぐ開花するであろう“オオデマリ”に、庭のアクセントになっている“ゲウム・ミセスブラッドショー”。

20170526Oodemari

20170526ゲウムミセスブラッドショー

 鉢植えのヴィオラも旺盛に咲き続けている。

20170527Pan

 そして、“黒いナナカマド”と言われる“アロニア”。

20170527Aronia1

20170527Aronia2

 なお、冒頭の話の続きだが、明日は先負である。

ネットでも情報収集はできるけど……♪ミュンシュのS-S/Sym3

SaintSym3Myun  ライナー・ノーツの重要性
 またまた“レコ芸”5月号の話で、ごくごくわずかながらに恐縮だが、特集記事のなかで音源のネット配信の時代を迎えていることについて、音楽・舞踊評論ライターの山野雄大氏がこう話している*)


 録音を配信で購入する場合に、ライナー・ノーツが読めなくなる例が多いのも問題だと感じています。LP時代、僕らはジャケットの裏の解説を読んで、賛否にかかわらず(笑)、参照しながらレコードを買っていました。CDになってから中のライナーを読んで買うことはできなくなりましたが、配信になると解説を読むことすらできなくなってしまう例があまりに多い。PDFやデジタル・ブックなどで読めるものも限られています。未知の作曲家や知らない曲を聴いて、情報なしに判断することは、おもしろいけれど危険な面もある。啓蒙に重きを置かないとしても、作品や演奏に深くアプローチするきっかけになるライナー・ノーツは大切ですし、そのレヴェルに達していないものが今まで多すぎたということも併せて真剣に考えなければいけない。ひょっとしたら、そのフォローを担っていくのも『レコ芸』の役割のひとつになるかも知れませんね。


 続いて音楽評論家の浅里公三氏が語る。


 最近は、ライナー・ノーツも演奏家についてしか書かれいていないものもあります。作品についての最低限の情報は必要ですね。……


 そうなのである。
 浅里氏の言うとおり、珍しい曲でも楽曲について何にも書かれていないときにはけっこうがっかりしてしまう。

 たとえば、前衛作品なのにヘルベルト・ケーゲルのキャリアしか書かれていなかったりすると、「知ってますよ。拳銃自殺したことは」と、ため口の1つも言いたくなる。

 もっとも作品について詳しく書かれていても、輸入盤だったらちーっともわかりましぇんと、己の無能さによる宝の持ち腐れってことも多々あるのだが……


  私の気持ち、あなたは気づいていないでしょうけど……
 私がブログを始めたのは、いくつかの資料に書かれている楽曲の情報を1つにまとめられればと思ったのがきっかけ。たとえばある楽曲について、A というの本には a という情報が書かれているが、b という情報はない。一方、B という本には b と c という情報が記されているが a には触れられていない。だったら、このブログで a と b と c の情報をまとめて提供できないだろうか?

 そういう、案外と真面目でご親切かつお節介な動機で始めたのだ。


 もっとも持っている資料の数には限界があるし、知っている楽曲の数も限られている。

 演奏の比較がメインのテーマではないが、どうしてもアバドの方がムーティより良いなんてことも書いてしまう。スイマセン。

 中学生のころミュンシュによるサン=サーンスの交響曲第3番(これはいまでも名演と言われる)の廉価盤(RCA)を買ったとき、ジャケット裏面に書かれていた楽譜を用いた解説にいたく感動したものだった。
 もっとも、そのころは楽譜を見てもちっとも実際のメロディーと結びつかなかったけど(それぐらい音楽が苦手だったのだ)。
 逆に、楽譜を並べて、このテーマがどうのとか第2主題がああなってとかいう記述は万人向けではないとも思った。
 
 それなのに、いまでは記事でスコアを掲載したりして、すっかり生意気の知ったかぶりをしてゴメンナサイ。はっきり言って、私は曲を聴きながらスコアを追うことはできても、スコアを見て脳にメロディを浮かべさせることはできません。

SSaensSym3_Theme1  友でもないのにすっかりなじんでいる名前
 今日はそのミュンシュ/ボストン交響楽団によるサン=サーンス(Camille Saint-Saens 1835-1921 フランス)の交響曲第3番ハ短調Op.78(1886)。
 編成にオルガンが入るので「オルガン付き」と呼ばれる交響曲である。もっともピアノだって加わっているのだが……。

 ここでオルガンを弾いているのはザムコヒアン。
 もう何十年にもわたってこの名を目にしてきた。よかった、ダミアンとかいう名前じゃなくて。

 交響曲第3番はサン=サーンスの作品の中でも人気が高いもので、グレゴリオ聖歌と同じ音型をもつ主題(譜例。掲載したスコアは全音楽譜出版社のもの)が循環して全曲中に現れる。


 曲は2つの部分に分かれており、第1部、第2部がさらに2つに分かれる。そのため、第1部が通常の交響曲の第1楽章と第2楽章に、第2部が第3楽章と第4楽章に相当する。

 上の循環主題のほかにもう1つ循環主題があり、それは第1部後半部の始まりで、穏やかなオルガンの和音に導かれるようにして現れる弦のユニゾンによる主題である。


 ミュンシュの“わが青春の1枚”と言うべきこの演奏は、私が生まれるより前の1959年の録音。RCA。


 *) “レコード芸術”2017年5月号 記念特集:創刊800号-『レコード芸術』の過去・現在・未来

帰れなくなったら困るから会場は名駅近くに♪グローフェ/ナイアガラの滝

P5090109  ブーメラン行動
 先日の夜、西日本から来客があった。

 氷山係長である。


 私たちと旧交を深めるために、仕事を終えたあとわざわざ急行よりも、いや、特急よりも速い、超特急の新幹線でやって来た。そして、アルコール補給してその日のうちに帰った。
 これを専門用語で“日帰り”というが、いくら近いとはいえ、飲んだあとの移動はさぞかし疲れたことだろう。

 彼を出迎えたのは私と、新婚旅行の行き先をマニアックな国-私はその国出身の作曲家を1人しか知らない-に選び、先週無事帰国したオディール・ホッキーさんである。

 仕事のついでではなくこのようにやって来てくれることに私は感激し、彼が名古屋時代にスーパーの棚から消えてしまったことを残念がっていた好物のサイコロステーキピラフが、「復活、いや、おいしくなって新登場!したよ」と、現物を持参して喜ばせてあげようかと考えたが、冷凍食品なので断念した。

  お礼の一言ぐらい言ってよ!

 話はずれるが、先々週の金沢出張。早めに行動し、特急しらさぎに乗る前に近鉄名古屋駅に切符を買いに行った。
P5200207 22日23日と記事にした志摩に出張するときの切符である。


 そう混んではいなかったが、待ち行列の流れは悪かった。
 窓口の1つが、どういうことになっているのかわからないが、延々と1人の客の対応で占拠されているのだ。

 ようやく次が私の番と列の先頭になったとき、後ろから背の高さがコロポックルのようなおっさんに声をかけられた。
 その前からずいぶんぴったりと背後にいるなと妙な気配は感じていた。焦りも伝わってきていた。
 いま思えば、このときの私は絵皿の乙女に似た状況に置かれたのだった(おっさんが後ろから手でいきなり私を目隠しする恐れだってゼロではなかったはずだ)。


 「兄ちゃん、半のに乗んの?」

 ぱっと案内表示を見ると、9:30に難波行がある。
 いまの時刻は9:23。あと7分だ。


 「いえ」
 「じゃあ、先頼むわ!」
 「どうぞ」

 私はそのおっさんを先を譲った。
 私がこれから乗るJRの特急は9:48発。まだ余裕があったからだ。

 しかも、いま買おうとしているチケットは翌週のものだ。 
 「Non-non、1週間後に乗んの」なんて、どうして言えようか?


 「よっしゃ」と瞬時に私の前に移動したおっさん。
 にしても、さすが関西人だ。遠慮のなさ、申し訳なさのなさは脳の隅々にまで浸み込んでいるのだろう。しかも「よっしゃ」ときたかい……

 おっさんはだらっとしたポロシャツにでろっとしたズボン。足にはぼろっとしたつっかけ。
 難波から-いつのことかわからないが-やって来て、朝のうちに帰る人のいでたちにしてはあまりにも軽々しかった。


  オディールさんが行って来たのはバルトークの祖国の近く
 そんなたいへんな地から、氷山係長はおこしやすだったのだ。

 仕事のたいへんさ、難しさについていろいろと語り、悩みを打ち明けながら嗚咽するとは思っていなかったが、

実際、ト長調のように明るい話題に終始した(オディールさんの新婚旅行の話や、オディールさんの新婚旅行の話や、オディールさんの新婚旅行の話など)。

Grofe 組曲「グランド・キャニオン」で知られ、そのほかにもアメリカ観光地シリーズの組曲を書いたグローフェ(Ferde Grofe 1892-1972 アメリカ)の組曲「ナイヤガラの滝」(‘Niagara Falls’Suite.1961)。

 滝のことは瀑布ともいうが、そのためこの曲のタイトルも「ナイヤガラ大瀑布」組曲なんて書いてあることがあるが、瀑布って一般的でもナウくもないので、私は避けたい。


 曲は次の4曲からなる。


 1. 滝の轟き(Thunder of the Waters)
 2. デビルズ・ホールの大虐殺(Devil's Hole Massacre)
 3. 新婚旅行者たち(Honeymooners)
 4. ナイヤガラの力(Power of Niagara)


 4曲の中でも私が出色だと思うのが第3曲の「新婚旅行者たち」。
 ラブラブな感じがたっぷり伝わってくる、リンゴとはちみつ的甘いメロディーが耳に残る。

 ストロンバーグ指揮ボーンマス交響楽団の演奏で。

 1998年録音。ナクソス。


 実は氷山係長は端午の節句にも名古屋に来ている。

 オディールさんの結婚式に出席するためだ。
 オディールさんはこどもの日に挙式したのだ。

 そのおめでたい席に出席しなかったバチで、私は氷山係長に会うことがなかったし、三笠まで行ったのに梅の一輪すら目にすることができなかったのだ。

 なお、節句とはまったく関係ないが、これを見たとき一瞬ドキッとしたことを申し添えておこう。

P4210073

 ドキッとするような年じゃ全然ないんだけど……
 でも横には“みるく”とか“ぷりん”なんて書いてあるし……

ひとりでできるもん!♪ノット/VPOによるGM/大地の歌

MahlerErdeNottVPO  購買意欲をあおりたてる文章
 “レコード芸術”5月号の“先取り!最新盤レヴュー”で、中村孝義氏が紹介しているのが、ノット/ウィーン・フィルによるマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の「大地の歌(Das Lied con der Erde)」(1908-09)のディスク。

 ……全く「新しい」絶美の世界。冒頭の芯があって艶やかな、それでいて何とも耳あたりの良い柔らかさを持ったホルンの雄叫びからして一挙に耳を引きつけられてしまったが、その後に登場する、滴るような艶麗な美観を身にまとった弦楽器群の魅力的な音色には本当に身も心もほだされてしまう。もちろん随所に点在して奏でられる木管のチャーミングな音色や表情もマーラーの爛熟した美しさを描き出して余りある。近年、こんなに美しく充実した響きや表情をウィーン・フィルが示したことがあったろうか。

 と、べた褒めである。


 ここで“マーラー”を“音源”、“ウィーン・フィル”を“再生装置”に置き換えるとヘッドフォンのレヴューにそのまま使えちゃったりできそうだが……


 それは冗談として、ここまで書かれたら聴かないまま人生を終わらせるわけにはかない。


 で、聴いてみた感想だが、確かに美しい演奏だ。すばらしい演奏と言うしかない。
 ただ、艶麗とか爛熟した美しさというところまで感じたかというと、そうではなかった。だいたいにして、ふだんからそういう言葉は使わないし……

  でも作曲者の意図に反しているのでは?

 しかしこの録音の「新しさ」はそれにとどまらない。何と独唱者に起用されたのが、現代における最高のテノール歌手であるヨナス・カウフマン。しかも歌手はたった一人しかクレジットされていない。つまり普通ならアルト、あるいはバリトン歌手が歌う楽章までカウフマンが歌ってしまったのだ。これはまさに前代未聞のこと。しかも驚くべきことは、これを聴いていても全く違和を感じないということだ。……
 この演奏を聴いていると、この曲は、本来一人の歌手で歌われるべきものであったのではないかと錯覚するほどである。……


 1人で歌っていることに全く違和感がない。それはその通りだ。

 この曲はほとんどの場合、アルトとテノールを独唱に起用して演奏される。

 私が持っているCDのなかで、バーンスタインの1966年盤とラトル盤(1995年録音)では、テノールとバリトンを起用している。

 わかってて聴いているのに、偶数楽章で女声ではなく男声で歌が始まると「あれっ」と感じてしまうが、この1人による独唱だと不思議なことに自然に耳に入ってくる。


 この「大地の歌」は、2016年ライヴ録音。ソニークラシカル。


逃げた泥棒は釣り針に引っかかるがごとく♪RVW/エリザベス朝のイングランド

VW_Sym5_Previn 見たことがないほどの光景
 おとといの夕方、妻が大通り-もちろん札幌のことだ-の辺りを歩いていると、何台ものパトカーがサイレンを鳴らして結集し、またたくさんの警官が、ある人は無言で、ある人は何やら叫びながら走り回っていたそうだ。

 これまで見たことのない騒々しく切迫た雰囲気に、妻は誰か刺されたのだろうかと思ったという。

 ここ名古屋ではしょっちゅうパトカーがサイレンを鳴らして走っているが-なんせ愛知県警24時間なんていう観はじめたらけっこうはまってしまう特番があるくらいなのだ-、北海道ではパトカーがウ~ウ~ウ~と現場に向かって走っていく姿はまずみかけない。そしてまた、名古屋では見かけないミニパトがとても多い。

 それが一度に何台ものセダン・タイプのパトカーが大通りの辺りを疾走しているのだ。
 言葉は悪いが、かなり壮観だったに違いない。


 妻はそのまま地下街へと下りたそうだが、そこでは多くの人が何かを遠巻きにして円形に集まっていたそうだ。

 ここでも警察官が「止まらないでそのまま進んで」と通行人に指示を出していた。

 妻は血だらけの人が倒れていて、それを見せないように早く行けと指示していると思い込んだようだ。


 が、夜のニュースを観て、それが宝石強盗の捕り物劇であったことを知ったという。

 まさに事件が起こってすぐ、妻はそこを通ったわけである。


  1人で逃げた店員は結果的には偉かった!
 北海道新聞などによると、この日の午後5時25分ごろに西4丁目のエリザベス宝石大通本店に男が押し入り、店長ら従業員4人にカッターナイフを突き付け「マネー」などと英語で話した。従業員の1人が逃げて110番通報し、札幌中央署員が駆け付けると男は何も取らずに逃走。約5分後に警官が店から数100m離れた地下鉄大通駅につながる地下通路で取り押さえ、強盗未遂の疑いで逮捕された。

 強盗の未遂であっても道警はすぐにこれだけの態勢を組み、すぐに犯人を捕まえてくれたのだ!

 なお、逮捕されたのは住所・職業ともに不詳の43歳の男だそうだ。英語が得意だったのかどうかには触れられていない。

 大通りの西4丁目にエリザベス宝石なんてあったかな?
 私には、驚くほど鮮明に記憶がない。

 また、エリザベス宝石なんて名前を聞いたことがない人も多いだろう。というのも、北海道内で店舗展開しているからだ。店舗数は25あるという。

 フィッシュランドというグループの1つで、エリザベス宝石事業の他、フィッシングやアウトドア用品を販売するフィッシュランド事業、メガネの販売のドクターアイズ事業などを行なっている。
 宝石に釣り具っていうのが意表を突いた組み合わせだ。

  エクスプローラーってそういう意味だったのね
 そんなこんなで、ヴォーン・ウィリアムズ(Ralph Vaughan Williams 1872-1958 イギリス)の「『エリザベス朝のイングランド』からの3つのポートレート(Theree Portraits from ‘The England Of Elizabeth’」)。

 「エリザベス朝のイングランド」は、1955年に作られたエリザベス王朝時代のイギリスを描いたドキュメンタリー映画(監督はテイラー)。

 その中から、

 1.探検者(Explorer)/2.詩人(Poet)/3.女王(Queen)

の3曲に編曲したのがこの作品。編曲はマシーソンによる。


 もともとが映画のために書かれたということもあってか、耳にすんなりとなじむ音楽だ。


 プレヴィン/ロンドン交響楽団の演奏で。


 1968年録音。RCA。


 そういえば、ウチの子どもたちは小さいころ、家にあった小汚いウシのぬいぐるみにエリザベスと名づけ呼んでいた。


アメリカ、そしてナス・なす・茄子♪ドヴォルザーク/SQ12

HaydnSunrise  同郷の人に会えた喜び
 先週の土曜の夜、観て見ぬふりをしていた、ただつけっぱなしだったテレビから「アメリカ」のメロディーが流れてきた。


 サックスなどのためにアレンジされたものだが、なかなか感じがいい。


 それはAJINOMOTOの企業CMだった。

 AJINOMOTOの企業CMといえば、以前はショスタコーヴィチの「タヒチ・トロット」を使っていて(というよりは、ユーマンスの「二人でお茶を」というべきか)、これまたセンスがよかった。さすが、サトウキビからAJINOMOTOである。意味不明の納得だが。

 
 ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904 チェコ)の弦楽四重奏曲第12番ヘ長調Op.96,B.179アメリカ(The American)」(1893)。

 「新世界交響曲」「チェロ協奏曲ロ短調」とともに、ドヴォルザークがアメリカ滞在中に書いた傑作である。

 この曲は、ドヴォルザークがアイオワ州スピルヴィルというチェコからの移民集団が住む街を訪れたときに作曲された。アメリカに入植した人々に触れ、望郷の念と温かな感情が沸き起こったのだろう。そういう感情にあふれた音楽だ。

 アメリカ的なメロディー、つまり黒人霊歌などの宗教的な民衆の歌(スピリチュアル)を思わせる旋律で(タイトルが'America'ではなく'The American'なのだ)、ちょっぴりおセンチになる第2楽章もあるが、活き活きとしていて、聴いていて気持の良い曲。
 まさにドヴォルザークにしか書けない音楽だ。

 タカーチ弦楽四重奏団の演奏を。

 1989録音。デッカ。

  一人で茄子を
 このときのTVではCook DoのCMも流れた。なぜなら、その番組はAJINOMOTOの提供だからである。

 商品は“きょうの大皿 豚バラなす用”であった。

 そういえば冷凍庫に豚バラ肉を大切にしまってあることを思い出した。


201705Matsuzaka 翌日。
 スーパーに行き、まずは野菜売り場でナスを見てみる。
 いやだわ、とっても太くて大きい黒々としたナスが1つの袋に3本も入ってる……(写真は間接的イメージ。ったく、どーしよーもない)。


 私はカゴに入れた。


 次にCook Doなんかが置いてある売り場に行ってみる。

 いろんな商品があるが、目的のものが見当たらない。


 いやっ!この黒々とした大きくて太くてたくましいナスを手放すことなんてもうできない。


 何度も棚を見返して、ようやく“きょうの大皿 豚バラなす用”を発見。以外にもすぐ目の前にあった。
 アタシったらどうしちゃったのかしら。

 夕方になって豚バラなす用を使って-これだけじゃ、読んでいるあなたはいったいどんな味かわからないだろう-料理を完成させた。

 “米みそに濃厚な風味の八丁味噌をブレンドして、きざみ生姜でアクセントをつけたソース”なわけで、要するにナスと豚ばら肉の甘みそ炒めである。

 で、さすがCook Doだけあって、なかなかおいしい。
 独り暮らしの私は、たっぷりできたみそ炒め-量的に大皿の看板に偽りなし。わが住まいには、その盛り付けに合った大皿はないが-を、懸命に食べた。


 懸命に食べたが、1/3は翌日の朝食に持ち越すことになった。


  しかも、ミックスフライといってもメインはコロッケ……
 朝から前夜と同じもの-すでにナスはふにゃふにゃにしぼんでいた-を食べたわけだが、この日の昼はHotto Motto に買いに行った。


 何の考えもなしに、日替わりランチを頼んだあと、私は愕然とした。
 この日は“ミックスフライ&なす味噌”弁当だったのだ。


 やれやれ……


 しかも、私が作ったCook Do プレゼンスのなす味噌の方がおいしかった。


 も一度、やれやれ……


 しばらくなす味噌は勘弁だ。

 アメリカといえば、カフカに「アメリカ」という小説があるが、いまでは「失踪者」というタイトルにあらためられているらしい。

 知らんかった……

ひょうたんに蓮根をつないだような脚♪ノーノ/わが心のスペイン

  スペイン風駅舎
 翌朝は早々に名古屋に戻るため、7時にホテルを出発。駅に早めについたので辺りを散策してみた。
 同じようなことを1年前もしたような気がする。

 前日にホテルまでタクシーの迎えを予約しておいたが、間もなく駅に着くというときに、運転手さんに「古くなってしまってますけど、駅の建物が凝った造りですね」と尋ねてみた。

 運転手さんは「スペイン村に合わせたんだけど、ほら、すっかりさびれちまって……」

P5200199

 私には「そんなことありませんよ」なんて、まったく言えなかった。
 運転手さんの言葉にはまったく反論の余地がなかった。

 たぶんできたときには輝きを放っていたのだろうが、今ではすすけてしまっている。

 駅の通路には駅舎が建った年と思われる年号が書かれたプレートや、絵皿が。
 スペイン風だ。

 それにしても、この小僧。背後から何をしようと企んでいるんだ?

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  10年前までのニックネームは志摩スペイン村駅
 今年も去年も、この駅に降り立ったとしても、果たして客待ちのタクシーがいるのだろうかとずっと不安に思っていたくらいだ。幸いにも2年続けていてくれたが……

 それくらい降り立つ人がいないのだ。特急が停まる駅なのに。
 今回、この駅で降りたのは私を含め2人。つまり私の他に1人。だから指を使わなくても数えることができた。

 志摩スペイン村の最寄駅となるので特急が停まるのだろうが、スペイン村の入り口としての役目は今では鵜方駅に移されてしまった。過去は磯部駅からスペイン村行きのバスが出ていたようだが、廃止されてしまったのだ。直行バスはここ磯部駅より3駅賢島寄りの鵜方駅から出ており、そのせいで街が寂しくなってしまったのだ。

 駅の周りは人影もまばら。
 これといったものは何もない。

 土曜日の7時過ぎだから、また昨日は平日の昼だからということで、通勤や通学の人たちの姿がないのかもしれない。でも、一般人もいなさすぎる。
 これといった商業施設もなさそうだ。

 昨日ルドルフ大公殿下のことを書いたが、しかしここにもデンカはあった。
 デンカ違いだが。

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 ローソンを見つけたときには、思わずうれしくて朝食用の鮭ハラスのおにぎりと、何もわざわざここで買わなくてもいいのにセブンスターを買ってしまったほどだ。

 ローソンの入り口は駅、つまり街とは反対側の県道(?)に向いていた。
 デンカもこの道に面していた。
 この道はこの時間でもそこそこ車の通行量があった。

P5200201

 無造作に置かれている不思議な看板を発見。
 青い色したコーナー?

P5200200

 いや、わかってますって。意味は。

 このあと私は駅に戻り、ただただボーっと電車が来る時間を待った。

Nono  こちらは刺激たっぷりのスペインもの

 ノーノ(Luigi Nono 1924-90 スペイン)の「フェデリーコ・ガルシーア・ロルカへの墓碑銘(Epitaffio per Federico Garcia Lorca)」(1952)から、第1曲「わが心のスペイン(Espana en el corazon)」。
 ゲンダイオンガクである。

 ノーノは12音音楽で第2次大戦後の前衛音楽の牽引役となった人。
 初期の作品は政治的だったが、“1980年代の音楽は、高度な洗練をみせるようになった”と言われる*)

 「墓碑銘」は、「わが心のスペイン」「そして彼の血はもう歌っている」「追憶-スペイン民間警察兵の物語」の3曲からなる、語り手とソプラノ、バリトン、シュプレヒコール、合唱、管弦楽のための作品。

 シュプレヒコールとは、なにやら穏やかではない。
 そう。実際、穏やかじゃないのだ。

 「ガルシア・ロルカとネルーダの詩によるソプラノ、バリトン、シュプレヒコール、器楽のための習作」という副題をもつ第1曲「わが心のスペイン」は、さらに「午後」「戦争」「薔薇のカシーダ」の3曲からなる。
 このうち「戦争」はネルーダの詩、両端の2曲はロルカの詩による。

 ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団、同合唱団、トレクスラーのソプラノと語り、ハーゼロイのバリトンと語り、の演奏で。

 1976,77年録音。ドイツ・シャルプラッテン。
 
 この不可解で不気味な前衛音楽に、あなたの耳は耐えられるか?

 でも、しばしばとても美しい響きを放つ曲でもあるのだ。

 *) ロバート.P.モーガン「西洋の音楽と社会11 現代Ⅱ 世界音楽の時代」
    (長木誠司監訳:音楽之友社1997年)

カレーの切ない思い出を避け、握りたてを♪LvB/pソナタ26

P5190181  この日の昼食代475円
 ほぼ1年前のこと。

 私はあるホテルのラウンジでカレーライスを注文した。
 そのあとに入ってきた男性客はピラフを注文した。

 やがてカレーを持った店員(私が店に入ったときに迅速な対応をせずウェイトさせられたのでウェイトレスと呼ぶにはふさわしくない)が、男性客の所へ行った。

 男性客は、頼んでない、でもカレーでもいいや、と本来の注文者である私のことなど忖度せず(しかも、ピラフよりカレーの方がやや値段が高いことにも気づいていなかったはずだ)、そしてまた店員はラウンジがほとんど無人並みにガラガラすいているのに自分が運んだ相手が間違いであることにしばらく気づかず、あやうく私のカレーが他人の胃袋に収まるところだった。

 その店員が井瀬詩麻子。ここここで連載扱いで取り上げられた女性である。

 愉快ではない気分でカレーライスを食べ、詩麻子にお金を払って別れてからおよそ1年が経った先週の金曜日、再びそのホテルに行く用事がった。

 他にエサを与えてくれる場所がないので、去年と同じように魔界に踏み込むように足を店の中へ入れるしかないのだろうか。

 いや、あのいたたまれない雰囲気は二度と味わいたくない。

 そう考え、私は近鉄名古屋駅、というか近鉄パッセの“にぎりたて”で焼きたらこのおにぎりと天むすを買い、電車に乗り込んだ。目的地・志摩磯部駅に着くのは11:50。その前の宇治山田駅で伊勢志摩ライナーに乗り換えたら食べることにしよう。暑くなりそうだが、電車の中だ。おにぎりが傷む心配はまったくない。

 ホテルに着き、怖いもの見たさ、というか、雰囲気が変わっていないかどうか知りたくて、あのラウンジの入口近くまで行ってみた。

2017ISESHIMAKO  1,200円ちょっとはある意味安いとはいえる 
 1年前と同じ静けさだった。
 入口には、食事メニューとしてカレーとピラフの写真を載せたメニューが。
 1年前と同じだ。

 覗き込むと、客は数組。
 覗き込んでも店員に気づかれないのだ。店に入ってもしばらくは気づかれないくらいだから。

 詩麻子はこのとき果していたのだろうか?
 あるいは不在だったのだろうか?

 なお、写真がボケているのは、雰囲気だけではなく廊下も暗かった上に、汗で蒸れた携帯電話で撮ったからだ。決して魔界だからということではない。

  ってことで、再会はしなかったが……
 ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)のピアノ・ソナタ第26番変ホ長調Op.81a告別(Das Lebewohl)」(1809-10)。

 3つの楽章からなり、それぞれの楽章には「告別(Lebewohl)」「不在(Abwesenheit)」「再会(Wiedersehn)」の標題がある。
 ベートーヴェン自身が標題をつけたピアノ・ソナタはこの「告別」と第8番の「悲愴」の2曲だけである。

BeethovenSonataHeidsieck この告別とは、ベートーヴェンのパトロンだったルドルフ大公とのこと。

 1809年にナポレオン率いるフランス軍がウィーンを占拠。ルドルフ大公を含むウィーンの貴族たちは疎開した。
 ベートーヴェンは第1楽章に“告別、尊敬するルドルフ大公殿下のご出発にあたって”と記した。

 第2楽章は殿下が疎開で不在であることだし、第3楽章は疎開先からの帰還である。

 ただし、標題がついているとはいえ、ストーリーに沿って進むのではなく、“あくまでもソナタの範囲内で感情を示すにとどまっており、いわゆる標題音楽とは一線を画している”(小石忠男氏)のである。

 私が聴いているのは若き日のハイドシェックによる演奏。

 1967-73年録音。EMI。

 この出張の話は明日もしつこく続く。


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