新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2017/03

本日の窓口営業時間は15時までです♪バーンスタイン/プレリュード,……

BernsteinRiffsetcRattle  No.78のことではありません
 プレ金である。

 「んっ?金の前?ってことは、白金(プラチナ)か?」と考えたあなたは化学マニア、歩く周期表だ。

 なんのことやらちんぷんかんぷんな読者もいるだろうから(おもに小学生以下のことだろうという忖度される)説明すると、元素周期表における金(原子番号79)の前の、原子記号78の元素は白金なのである。
 このためにだけ、わざわざ元素周期表を調べた私はけっこう勤勉な人間かもしれない。


 ところでABE62やKGI64が国会の場で発している“忖度(そんたく)”って言葉を、私は今回初めて知った。

 この件のニュースでも、キャスターなどが当たり前のように忖度、忖度って言っているが、辞書で調べるまで意味が解らなかった。みなさんはご存知でした?キャスターさんもちゃんと知ってました?

 だから上に書いたような使い方が正しいのか正しくないのかわからない。


 で、忖度の意味だが、要するに“推察”のこと。

 私が持っている小学館の“新選 国語辞典 新版”(って、昭和51年新版9刷発行という代物なので、新選も新版もないのだが)には“他人の心の中をおしはかること”なんだそうだ。

 でもあの人たち、実は「忖度があった」じゃなく、「損得があった」って言いたかったのかも……

  忖度王子

 月曜日。
 その日の私は、朝の通勤途中で昼の弁当を買っておかなかった(週に2回ほどは朝のうちに買ってしまっている)。というのも、立ち寄ったコンビニの棚には、まだ前日からの売れ残り程度しかなかったからである。

 あとから買いに行こうと考えたのだが、10時半ころになってたまには天丼でも食べたいなぁという、人間ドック1週間前とは思えない大胆な企てが頭に浮かんだ。でも、このあたりに天丼をたべさせてくれる店はない。

 そう思いながら喫煙ルームに行くと、そこには千葉課長がいて、「今日は弁当、もう買ったんですか?」と聞いてきた。

 「いや、まだ」と答えると、「じゃあ、たまにかき揚げ丼でも食べに行きましょう。ちょっと遠いですけど、おいしい店知ってるんです。光村という店です」と言う。

 まさに、この千葉課長こそが、私に忖度があったということになるわけだ。


 いかんいかん。
 プレ金から元素の話になり、早口でウソくさい62歳の首相と声がでかいウソくさい64歳の元理事長の話から、かき揚げちゃわない?というお誘いを受け、かき揚げちゃった報告になってしまった(しかも贅沢かつ不健康なことに海老の量が2倍のスペシャルかき揚げ丼を食べてしまった。でも、とてもとてもとぉ~ってもおいしかった)。

  銀行の窓口は閉まります。今日に限らず

 プレ金のプレはプレリュード(前奏曲)のプレである“前”のことではなく、プレミアムのプレだ。

 金はもともとプレミアムだが、こちらの金は金曜日の金だ。

 だからプレ金は、プレミアムな金曜日のことである。そんなの知ってるって?そりゃそうですよね。

 誰が考えたのか知らないが、毎月最終金曜日は早く仕事を終えて充実した時間を過ごしましょうって、経済効果もありまっせという、一方的論理の一面的発想。
 今日はその第2回目(そんな大切な日の朝を、私は出張先の東京で迎えている)。

 いや、いいんです。
 良いことのようにも思います。
 けど、スタートするにしても、もっと浸透させてから実施するもんじゃない?

 しかも今日は一般的には年度の最終日。
 3時に「失礼しやぁ~す」って帰るやつがいたら、ホント、失礼、大ヒンシュク。その人には新年度がやって来ないかもしれないぐらいだ。
 けど、これに賛同している企業だったら、喜んで15時に退社していただくしかないってこと。

 今日のプレ金(プレミアム・フライデー)の様子を報道(特に国営放送)がどう取り上げるか楽しみだ(もちろん意地悪な意味で)。


 バーンスタイン(Leonard Bernstein 1918-90 アメリカ)の「前奏曲,フーガとリフ(Prelude,fugue and riffs)」(1949)。

 ここここで紹介しているが、プレミアム・フライデーでのウキウキした気分のように、ウキウキさせられる曲だ。


 ラトル指揮ロンドン・シンフォニエッタの演奏で。クラリネットのソロはコリンズ。


 1987年録音。EMI。


110722Kaeru2

 私も、カエルが鳴くからか~えろっ!……5時過ぎたらだけど(写真はもちろんイメージです)。

朝。バナナ。活性化。濡れもしたし……♪ショパン/雨だれ

Chopinpreludes  たいした用もないのに……
 日曜日は朝から雨だった。

 前日の天気予報では午前中は曇り、午後から雨。
 しかし目覚めると雨だった。
 
 朝の天気予報はさりげなく午前中は雨、午後から曇りと変わっていた。そのさりげなさが姑息だ。

 だが、その方が私には好都合だ。“じゃぶじゃぶ”に出したスーツが仕上がるのが夕方だったからだ。

 しかし10時頃にいったん雨が上がった。


 そこで私はマックスバリュではない別なスーパーに出かけることにした。
 特に買うものはなかったが、なんとなく外に出て見たかったのだ。

 スーパーに向かって歩き始めると、再び雨が降ってきた。
 どうして私が外に出ると再び雨が落ちてくるのか不思議だ。

 ジャンパーのフードをかぶってスーパーに行き、ブロッコリー・スプラウトとレタス半個にミックスジュース、さらに棚で初めて見かけた〇ん〇〇を買って帰ってきた。マンションの部屋に戻ったときにはほどよく十分に濡れてしまっていた。


 ショパン(Frederic Francois Chopin 1810-1849 ポーランド)の前奏曲第15番変ニ長調Op.28-15「雨だれ(Raindrop)」(1836-39)。

 ショパンは前奏曲を26曲残している。Op.28の「24の前奏曲(24 Preludes)」と前奏曲嬰ハ短調Op.45(第25番)、そして遺作となった変イ長調の作品(第26番)である。

 「雨だれ」は「24の前奏曲」の第15曲。
 太田胃酸ですっかり有名な第7番と並んで、よく知られている作品である。どうでもいいが私の頭には「尼、誰?」という文字列が浮かんでいる。

 ここでも紹介したピリスの演奏で。

 1975年録音。エラート。

  本来なら朝に皮をむくべきなのだが……
 いつもはオレンジジュースを買うのに、なぜ今回はミックスジュースにしたのかというと、朝たまたま観ていたTBSの“ゲンキの時間”で、バナナには脳を活性化させる作用のあるドーパミンを増やす働きがあるので朝食で食べると良いと言っていたからだ。

 つまり、ミックスジュースにはバナナも入っているので買ったわけだが、はたして皮をむいて食べるのとジュースになってしまったものとが同じ効力を発揮するのかはわからない。
 しかも味も甘ったるいミックスジュースよりも甘い仲にもキレがあるオレンジジュースの方が私は好きだ。

 が、これによって脳が活性化され、ひいては副交感神経から交感神経へのバトンタッチがすみやかに行なわれるなら、私はその甘味に耐える。
 起床時のくしゃみが出続けるようなら、オレンジに戻すことにしよう。

 でも、寝る前にバナナを摂ると、逆に脳が活性化され眠れなくなるってことなのかなぁ。

 ちなみにこの日は朝の“鼻だれ”はなかった。

  私の求めるものではなかった悲しい過去
 〇ん〇〇はたぶん新商品だ。

 担担うどんである。どん兵衛の。

20170326DonTantan この日の昼はMUJIのバターチキンカレーにしようと考えていたが、急遽担担うどん+小ライス(イクラ添え)に変更した。私はこのような柔軟性もソフラン並みに持ち合わせているのである。

 お味はというと、なかなか美味しかった。
 つゆの色を見てもわかるように、けっこう本格的な見た目であり、ゴマの風味が引き立っている。


 かつて札幌の四川飯店で初めて担担麺を食べたときに、こんなにおいしいものがあったのかと感激した私だが、長らくインスタント麺では担担麺は登場しなかった。

 出たかと思ったらそれは担担春雨でひどくがっかりした。

 しかし、ここ数年でインスタントだけではなく冷食も充実。各社が担担モードになっていることは喜ばしいことだ。

 関係ないが札幌市西区西野にはまだ“タンタン”という店があるのだろうか。


 20数年前にここで食べた担担麺は、口に合う合わないという話以前に(結果的に私には合わなかったってことだが)、私が持っている芝麻醤(ヅーマージャン。練りごま)の風味豊かな担担麺の概念とはまったく別次元のものだった。それっきり行くこともなかったし……(その点、美珍楼(ブログ上のあだなは珍宝楼)の担担麺は芝麻醤濃厚で味わい深い)。
 

 結局、雨は夜まで降り続いた。

 夕方、“じゃぶじゃぶ”にスーツを取りに行ったときも降っていた。
 じゃぶじゃぶにはならなかったが、傘をさすのが下手な私は、それなりに濡れた。


 それとは関係ないが、夜は豚肉の生姜焼きを作って食べた。


 こうして日曜日が終わった。


 「騎士団長殺し」は週末で、たった10ページしか読み進まなかった。

 そうそう関係ない話だけど、和歌山カレー事件の林真須美の手紙をTBSのニュースで読んでいたが、読み手の声とかがなんであんななんだろう?わざとらしいし、聞いている人に余計なイメージを植え付けるだろうに……

チャンスでないアタック!♪シェーンベルク/コル・ニドレ

Mahler2Gielen  ここにもJohnsonが 
 土曜日は昼前にクリーニング屋の“じゃぶじゃぶ”にスーツを持って行き、その足でそのままドラッグストアに出向き、ペーパータオルとトイレットペーパー、それにJohnsonのトイレスタンプクリーナーに新たなラインナップとして加わった“トイレスタンプ漂白成分プラス”を買った。
 香りはホワイティーシトラスを選んだ。

 キッチンペーパーはともかく、トイレットペーパーにトイレスタンプを買うのは何となく恥ずかしいものだ。少なくとも目薬を持って行くときよりは、卑屈になる。

 こういうときに限ってレジには若いお姉さんがいるのはなぜだろう?
 しかもご親切に、このお嬢さん「トイレットペーパーは袋にお入れしますか?」とご丁寧に訊いてくれる。

 「い、いえ、テ、テープでけっこうです」
 「ご協力ありがとうございます」

 安売りのトイレットペーパーをわざわざ大きな袋に入れてくれなどと、そんな贅沢をどうして言えようか?

 トイレスタンプをお使いになったことがあるだろうか?

 もしこれが効能通り働いてくれたら、ただ水を流すだけで汚れがとれるという優れものだ。
 しかも漂白成分プラスとなれば、鬼に金棒と言える。

 それにスタンプしたときの、脱肛気味の肛門のような紋様が私は好きだ。


 シェーンベルク(Arnold Schoenberg 1874-1951 オーストリア)の「コル・ニドレコル・ニドライ。Col nidre)」Op.39(1938)。

 ユダヤ教の祈祷文を詞とする語り手と合唱、管弦楽のための作品。

 ギーレン指揮SWRバーデン=バーデン&フライブルク交響楽団(南西ドイツ放送交響楽団)、ベルリン放送合唱団の演奏を。語り手はJohnson。

 1995年ライヴ録音。ヘンスラー。
 マーラーの交響曲第2番とのカップリング。

  昼のくしゃみの原因は
 この日も朝の起き掛けに二度ほどくしゃみが出たが、買い物に出かけたときにはそういったアレルギーっぽい症状は出なかった。変なお兄さんにも遭遇しなかった。

 となると、私は花粉症にならずに済んでいるのではないか?


 昼にまたくしゃみが出たが、それは妻が前に買ってきてくれた西山ラーメンを作って食べようとしたときに、振りかけたS&Bのコショーが舞って私の鼻腔を刺激したせいに過ぎない。


20170308NishiyamaRamen このラーメンは乾麺タイプだが、乾麺とは思えないコシがある。
 ゆで時間をきちんと規定通り守らないで、早くお湯から出してしまうとコシがあり過ぎるくらいだ。

 なお、スープは3種セットではなく、オールイン・タイプ(たぶん)の液体スープだが、まったく問題なくおいしい(ただし、私にはむかしからの愛着もあって3種混合型セットの方が好きだ。明らかに味が違うとは言い切れないくらいの差異だけど……)。
 それにしても、乾麺でラーメン屋並みの味がご家庭で楽しめるなんて、めん助の努力には頭が下がる。

 この商品、Amazonなどで探してみたがヒットしない。北海道内限定商品なのかもしれない(別パッケージ(箱入りのセット)の熟成乾燥ラーメンは西山製麺のサイトに載っている。麺とスープが1食分袋に入った妻のおみやげと中は一緒なのかもしれない)。

 ちなみにインスタントの袋めんではマルちゃん正麺の完成度が非常に高い。ウソだと思ったら、食べてみてください。

  朝から攻められるなんて……
 ところで、朝の起き掛けにくしゃみが出たり、鼻水が出たり、あるいは鼻がつまったりするというのは、特段珍しいことではないらしい。この現象は“モーニング・アタック”というちゃんとした名前もついていることを知った。

 モーニング・アタックは、眠っているときに優位に働いている副交感神経が起床によって交感神経にその座を譲る際に、その移行がスムーズにいかないと起こるという。
 特に、起きたときに床などに落ちていた花粉やハウスダストが舞いあがることでそれを誘発するそうだ。


 交感神経がきちんと機能しはじめ、活動モードに入ると症状は軽減、あるいは治まるというが、仮にアレルギーがなくてもモーニング・アタックは起こり得るということだ。逆に、アレルギーってこともあるわけで、自分が花粉症(もしくはその予備軍)でないという証明にはなっていないが、なんとなく花粉症ではなく、体内の切り替えの悪さで朝から攻撃されているような気がしてきた(目覚めてすぐ起き上がるのも、切り替えの途中に動くということなのでよくないのかもしれない)。

 あとストレスをためるのもモーニング・アタックの一因だという。
 う~ん、職場のストレスかなぁ~。


 そう思っているうちに、日が暮れ、豚肉とニラ(ドラッグストアの帰り道にマックスバリュをのぞくと一把78円と安かったのだ)の炒め物を作って食べ、土曜日は終わった。

げんこつを食らった彼をおにぎりを食べながら眺めた私♪プフィッツナー/Duo

20170323SevenPL  新発売のものです
 さわやか”でおにぎりハンバーグを食べることにしたが、その前日にも私は昼にハンバーグを食べている。
 
 とはいえ、それはセブンイレブンのお弁当。ミックスプレートという新発売の弁当だ。
 そしてまた、今思い出したが、その前の週の会議の昼もハンバーグを食べた。

 いままで意識していなかったが、私の人生において、ハンバーグというのはきわめて重要な位置づけにあるような気がしてきた。

 セブンイレブンにはハンバーグ弁当という正統的なものがある(電子レンジ必須商品)。
 それは食べたことがないが、おそらくミックスプレートよりはより本格的なハンバーグなのだろう。
 こちらのハンバーグは可もなく不可もないお味。ハンバーグよりは鶏のタルタルの方が味が良かったし、鶏のタルタルよりもウインナーの方がおいしかった。
 それにしても弁当という小宇宙の中においては、なぜウインナーはあんなにおいしく感じるのだろう?それは赤ウインナーでも一緒だ。家で自分で炒めて食べるよりも1ランクも2ランクも上の価値があるものに感じてしまう。

 ミックスプレートのナポリタンも、あのときの弁当には及ばないが、いい加減なケチャップ味ではなかったことを申し添えておこう。

 ただ、わが年齢を考えると決して積極的に選択する弁当ではない。野菜もゼロだし……

  切って押し付けてはけっこう重労働
 さて、“さわやか”の話である。

 熱々の鉄板皿にのった俵型ハンバーグが運ばれてきて、テーブルに置かれるとすぐにそれは店員によって専用の大きめのナイフで縦半分に切られ、切った断面を下にして上から鉄板にこれまた専用の大きめのフォークで、牛だからってことでもないだろうが、ギュゥ~っと押しつらくれる。

 私たちは脂の跳ねるのが治まるまで、紙のランチョンマットの左右両端を胸の高さまで持ちあげそれを防御する(いい歳のおっさんがこんなことしているのがやや恥ずかしくはある)。
 そのため自分のハンバーグがどのように切られ残虐に熱地獄にさらされているのかは見ることができない(この作業をする店員さんはたいへんだ。特にテーブルの奥側に座っている人のを切るときは、かなり腰に負担がかかるだろう)。
 したがっていま私がレポートした内容は、向かいの席の伏草課長のげんこつがさばかれるのをじっと観察したものだ。

  野性味あふれるハンバーグ
 時間が経てば余熱で全体に大方火が通るかと思ったが、鉄板が冷めるのは意外と早いようで、いくら半分に切られ、ギュゥ~っと押しつけられたとはいえ、最後の最後まで中はレアのままだった。

 ハンバーグは粗い食感。繊細な神経の持ち主である私の好みとは言えない。
 また、香辛料のブレンドのせいで、一瞬ソーセージを食べているような錯覚に陥る。
 肉々しさは十分、一般のハンバーグの概念とはちょっと違う。
 たとえば“びっくりドンキー”のような柔らかさはない。

 牛肉100%と銘打っているということは、もしかすると“さわやか”のげんこつ(およびおにぎり)ハンバーグには肉以外のつなぎ成分が一切含まれていないのかもしれない。

 “さわやか”のは、タマネギソテーと牛肉が織りなす素敵な二重奏ともいうべき箸で食べるのが基本のびっくりドンキーのハンバーグとは、対極の位置にあるハンバーグと言える。

 当たり前のことだが、きめ細かくない豪快な肉々しさと粗さひきたつ食感は、“さわやか”が目指し、たどり着いたものだ。
 びっくりドンキーとどっちがおいしいかという議論はナンセンスだ(どっちが好きかというのは、もちろんあって当然)。

 それはレア状態で食べることを強く勧めていることにも表れている。赤身の挽き肉なので、良く焼いてしまうととてもパサつく(前回私はそれを食べて、結果的に失敗したのだが)。

 “ドンキー”が好きな人は、ワイルドな“さわやか”は苦手かもしれない(私はドンキーのハンバーグの方が好みだ。歯の調子もよくないし)。

 にしても、この“さわやか”人気、尋常ではない。
 地元のソウルフードとして完璧に根づいている。

PfitznerVcCon プフィッツナー(Hans Pfitzner 1869-1949 ドイツ)の「ヴァイオリンとチェロの二重奏曲(Duo fur Violine und Violoncello)」Op.43(1937)。

 プフィッツナーは、生前はリヒャルト・シュトラウスと人気を分かち合ったほどの作曲家(指揮者としても活動した)。
 が、いまはあまり知られていない作曲家の1人に甘んじている。

 それこそけっこうさわやかな曲を書いているのに、不思議なことだ。
 R.シュトラウスのようなハッタリがないところ、つまり地味目なところが災いしているのかもしれない。
 顔だって全然さわやかじゃないし……関係ないけど。

 この二重奏曲はヴァイオリンとチェロを独奏とした小オーケストラとの協奏作品で、3楽章からなる。長さは12分ほど。

 この曲だって、なかなか哀愁漂う、またときに慰撫してくれるような(作曲者の顔に似合わず)素敵な曲なんだけどなぁ。

 ゲルゴヴァのヴァイオリン、ゲルハルトのチェロ、ヴァイグレ指揮ベルリン放送交響楽団の演奏で。

 2012年録音。ハイペリオン。

 新札幌のDUOのびっくりドンキーに行きたくなってきた。
 いや、DUOにこだわらないけど……(名古屋にもあるし)

開店20分後に、席待ち30分という人気店♪ブゾーニ/2つの習作

BusoniJarvi  すまない。いつまでも一緒にはいられないんだ
 先週の金曜日(仏滅)は浜松に出張した。

 開元さんと伏草課長と一緒。
 朝に伏草課長が運転する会社の車で浜松に向かい用務を済ませたが、帰りは車に乗せてあげないと言われたので、開元さんと私は新幹線で名古屋に戻ることとなった。

 という内容には寸分の間違いもないのだが、このように書くと伏草課長が私たちに意地悪をしているかのように伝わるかもしれない。そう書いてるし……

 でも、事情は複雑で、私たちは浜松だけで用務が終わるが、課長はそのあと静岡まで行く用があったのである。
 お茶でも仕入れに行くのかどうかは知らないが、そんなワケで私たちは浜松駅まで送られ、そこで捨てられた。しつこく言い添えるが、伏草課長は本意ではないが心を鬼にしてやむなく私たちを捨てたのだ。

 浜松での用務を終えた後、別れを惜しむかのように、3人で早めの昼食をとることにした。

  静岡のリベンジ
 前回静岡に行ったときに-といっても、そのときは課長はおらず、一緒にいたのは伏草課長の部下の丸針係長だったが-長蛇の列で入るのをあきらめ、天ぷらそばに変更を余儀なくされた、静岡では超人気のハンバーグ・チェーン店“さわやか”である(1カ月ほど前にはアド街ック天国でも紹介された)。

 早めも早め、浜松市内の“さわやか”に着いたのは11:20だった。

 なのになのになのに、すでに店内は待つ人々でいっぱい。

 私たちは30分待ちと言われた。

 開店は11時。それから20分ですでに満席かつ30分の待ち行列が発生しているのだ。

 いくら春休みといえども、すごい人気だ(私たちのように春休みとは一切関係ない年齢層の方が半数以上をを占めていたが……。この日は世間的に“早めの昼食デー”だったのかもしれない)。

 伏草課長が「いちおう名前は書いてきましたけど、どうしますか?別な店に行きますか?」と気を遣ってくれたが、この日はそのあとに差し迫った予定もなかったので、「いや、待つことにしよう」と答えた。

  実は私も昨日……
 いま思えば、あのとき伏草課長は別な店に行きたかったのかもしれない。

 そういえば車のなかで、昨日もハンバーグを食べたと言っていたし……
 もしかして浜松餃子が食べたかったのかも……

 気遣いが足りずごめんなさい。
 という私も、その前の日の昼もハンバーグを食べたんだけど……

 “さわやか”でハンバーグを食べるのは、私にとって2回目
 ここは中がレア状態のものをお薦めしている。それがジューシーだからという理由からだ。

 生の肉を好まない私は、前回“よく焼き”を頼んだが、今回は郷に入っては郷に従えとばかり、それを頼んだ。
 それは“よく焼き”だと、かなりパサパサ感があったという失敗歴にもよる。

 ここのおすすめランチメニューの中の、人気メニューは牛肉100%の炭焼きハンバーグ。
 ハンバーグは俵型で、“げんこつハンバーグ”(250g)と“おにぎりハンバーグ”(200g)がある。

 私と開元さんは“おにぎり”、伏草課長は“げんこつ”を頼んだ。……続く

 ブゾーニ(Ferruccio Busoni 1866-1924 イタリア)の「サラバンドと行列-『ファウスト博士』の2つの習作(Sarabande and Cortege-Two Studies for Doktor Faust)」Op.51(1919?)。

 この作品について、私はなんの情報も持ち合わせていない。

 ブゾーニには「ファウスト博士(Doktor Faust)」(1916-24)という未完のオペラがあるが、そのための曲なのかもしれない。

 N.ヤルヴィ指揮BBCフィルの演奏を。

 2001年録音。シャンドス。

豚小屋跡地は土壌汚染どころか肥沃?♪シュニトケ/静寂の音楽

20170325Suisen  いくらなんでも危険すぎる……
 先日出張で北海道に戻ったときに、札幌市は西区の宮の沢ハイツが崩落しつつあるというニュースをやっていた。

 はっきりとは覚えていないが、この建物の姿に漠然とした記憶はある。

 旧国道5号線(札樽国道。現在は道道の北5条手稲通り)沿いで、ニチロや勤医協の近くだったはずだ。旧5号線に対してからはあまり大きく見えないが、奥行きが長い建物なので記憶に残っているのだ。

 その、道路をはさんで真向いではないとは思うが、岩橋印刷や(たぶんとっくになくなっているだろうが)キッチン“青い橋”があった。

  友だちとみなされていなかった?
 キッチン“青い橋”は当時、むかしの家畜舎をそのまま利用したような建物だった(ような気がする)が、中に入ったことがない。だからどんなメニューがあったのか知らない。

 だが、ここは中学の同級生の家だったのだ。

 店の名の由来は、近くに“中の川”っていう川が流れているので、当時はその川に青い色の橋でもかかっていて、そんなことでつけたのかもしれない(←100%憶測)。

 しかし、この同級生-O君-は、ついぞ私を彼の家に誘ってくれたことがなかった。遊びに行ったら店でなにかご馳走してもらえるかもという夢は、そのまま夢に終わった。

 まっ、家を行き来するほど親しい仲じゃでもなかったけど……(そこで暮らしていたのかどうかもわからないし)。

 おや?
 ネットで調べてみたら、建物はまったく違うものになったが、まだやってるではないか!
 もしや、O君があとを継いだのだろうか?

  憧れの的だったマンション
 宮の沢ハイツは1975年の建築だという。
 となると、私が西野に引っ越してきたときにはまだ建っていなかったことになる。

 そのころに7階建てのあれだけ大きい建物が建つということは、かなり目立ったと思うが、宮の沢方面(当時の住所は手稲東町)は徘徊エリアでなかった私には、建築途中の光景も記憶にない。


 一方、西野には西野ハイツというのがあって、これは1970年築。5階建てだ。
 私が西野に引っ越したときには出来たてに近く、外目から見て「マンションってこういうものなんだ」と思った。

 西野ハイツは4棟からなり、いまはもうすでにないホクレンマーケットのすぐ裏(北西側)に位置し、北東側にはゴルフの打ちっぱなし場があった。
 1976年オープンした西友西野店は、さらに打ちっぱなし場の横(北東側)に位置していた。

 西野の話をすれば、1972年にオープンした、当時の西野のシンボル的総合商業ビルであったカスタムパルコのことを書いたところ、これを読んでくれたサムさんが自分の記事で引用してくれたが、サムさんの方が実に詳しくカスタムパルコのことを覚えており、読んでいてとても懐かしく感じた(私の西野に関する記事は、右サイドバーの検索で“西野”と入力していただければけっこうな数が出てくる。特に旧ブログ(読後充実度 84ppm のお話)に多い→たとえばこんな感じ)。


 余談だが、サムさんは陸別から西野に引っ越してきたというが、名古屋に来る前に帯広に4年住み、仕事でしばしば陸別に行くことがあった私としては、それもまた懐かしく感じる。


 1970年代の西野は驚くべきスピードで変わっていった。

  グラウンドの横で豚が鳴いてたんです
 そのころは手稲東中学校のグラウンドの横には豚小屋があった-そのころは豚専用の配合飼料を食べさせるなんてことはせず、あちこちの家から集めてきた残飯を食わしてしたのでそりゃあなかなか刺激的な香りを清澄な手稲山のふもとの空気に放っていた-のに、それは更地になり、現在は立派なマンションが建っているようだ(西野2条4丁目をグーグル・ストリートビューで見ると)。

 臭いといえば、発寒川だって汚水が垂れ流されていたのでひどいものだった。
 西野地区(私が住んでいたのは手稲東中の近く)で下水が完備されたのは1981年ころになってからだと記憶している。
 もちろん糞尿は垂れ流さないが(市のクリーム色に塗装されたバキュームカーが街を走り回っていた)、生活汚水はそのまま。
 それでも発寒川で釣りをしているおじさんとかいたんだけど……
 もっとも、あのころはまだ住宅の数も今とは比較にならないくらい少なかったから、発寒川もどぶ川にならずに済んでいたのだろう。
 でもって、1981年だか82年にわが家のトイレも水洗になったときには、これでもうお尻を出したままアンモニア中毒で倒れてしまうなんて心配をしなくて良いと、天にも昇る気持ちになった(ということで、写真はイメージです)。

 豚小屋がなくなったあと、細い道をはさんで北東側には大蔵マンションという、マンションも建った(純情だった私は最初、それがマンションという肩書をもつ賃貸アパートのことだとは知らなかった)。ここはいま、空き地となっているようだ(同じくグーグル・ストリートビューで見ると)。


  スケベ同士のあうんの呼吸?
 西警察署が建つ前、そこは墓地だったが、その向かいに木造住宅そのものの外観のやっているのかやっていないのかガラスの引き戸の奥が暗くてわからない本屋-といっても、小学館だか集英社と書かれた金属のスタンドに雑誌を置いているだけ-があった。
 中学生の時に、朝のホームルームで先生が、そこに買い物に行った女子中学生が店の爺さんに触られたとかなんとかだから気をつけるようにと言われた。
 そういう爺さんなら何も言わないだろうと、私はその店で初めて週刊プレイボーイを買えた(西野書店なら店番のお姉さんに叱られるところだ)。

 大雑把にいうと、カスタムパルコの隣は生協、その横には太田理美容室、そしてその横にはウインキーというパン屋ができたが、日糧とかロバとかではないパンが西野でも買えるようになったのは画期的だった(ただしホクレンマーケットにはパン屋が入っていた。そこのピロシキを食べすぎて気持ち悪くなったことがあり、それからというものピロシキは私の苦手な食べ物と化した)。

SchnittkeVcCon 確かウインキーが入っていた建物が、その後マンボウになった。
 マンボウはあまりに人気のため移転し、駐車場のある現在の場所に店を構えている。

 マンボウよりもっと北西側の山の手通りが90度カーブを描いているあたりはリンゴ畑だったが、その手前にはジャイアンツボウルがあった。とはいえ、まだぜんぜんにぎやかなエリアではなく、向静学園という謎の施設があった。きっと静かに向かわせる学園だったのだろう。市営バスの山の手線の一部の便は、西野ターミナル始終発ではなく、向静学園前というバス停を起点・終点としていた。

 今日のところは、そんなわけでシュニトケ(Alfred Schnittke 1934-98 ロシア→ドイツ)の「静寂の音楽(Stille Musik)」(1979)を。

 ヴァイオリンとチェロのための音楽。

 ゴドホフのヴァイオリン、クリーゲルのチェロで。

 1990年録音。ナクソス。

 ってなことはともかく、西野ハイツは全然平気なことを願っている。
 かつては「住んでいる人がうらやましい」と思った、羨望の建物だったわけだから。
 

宣伝商品のことは何も知らないが……♪ワーグナー/名歌手前奏曲

WagnerMata  スプーン1杯の不幸せ
 札幌の某ホテルで会議があったのは先週の金曜日のことだった。

 この日は午前と午後にそれぞれ会議があり、途中昼食が出された。
 ホテルで作られた幕の内弁当である。

 象が踏んでも壊れない、というとウソになるが、これで頭を叩かれたら相当痛いのは間違いないハード仕様の

器に入った弁当(にしても、なぜ筆入れをよりによって象に踏まさせようと考えたのだろう?)。
 ふたを開ける前から期待に胸は膨らむ。

 一流ホテルのことだ。どこかの保育園の給食のように、おかずがスプーン1杯分なんてことは地軸が狂ったとしても絶対にあるまい。


 それにしても、あの“わんずまざー保育園”はシベリア収容所のようだ。
 子どもを金儲けのモノとしか見ていない。じゅうぶんすぎる虐待だ。
 子どもを預けていた親は露とも知らなかったのだろうが、このことを知って子どもに申し訳ない気持ちでいっぱいだろう。だからこれは当然すぎる結果

  これはパスタの味だ!
 さて、ホテルの弁当である。

 ふたを開けると、そこは挽き肉ワールド。

 メインはハンバーグ。
 ナポリタンスパゲティを座布団にして堂々と鎮座している。
 ナポリタンだって、そこはホテル製。どこかの弁当のようにただケチャップと和えたものではなく、きちんとナポリタンの味がした(って、冷食をレンジで温めただけかもしれないが)。

 その隣の一角は春巻きに焼売という中華コーナー。

 別なエリアは玉子焼きに……あとは忘れてしまった。


 もちろんどれも上品なお味。
 午後の会議も真剣に聞くぞという意欲を掻き立てられる内容だった。


 ただ、ハンバーグに春巻きに焼売と、挽き肉を使ったものが多かった。

 それは全然かまわないが、挽き肉を仕入れすぎちゃったのだろうか?
 いや、すべてホテルの厨房で手作りってことはないか……


  焼酎じゃなくて……
 話は変わるが、先日TVをつけっぱなしにしていたら、あのハンバーグ並みに堂々としたワーグナーのメロディーが聞こえてきた。

 慌てて(って、慌てる必要もないんだけど)確かめると、それはグランブルーというもののコマーシャルだった。


 グランブルーって、私の日々にはまったく縁のないものなんだけど、これってゲームなの?焼酎の名前っぽいけど……

 ゲームだったら、日々どころか一生縁がないと思う。私には。


 ワーグナー(Richard Wagner 1813-83 ドイツ)の楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー(Die Meistersinger von Nurnberg)」(1862-67/1868初演)の第1幕前奏曲

 あのコマーシャルで響き渡っている曲で、マイスタージンガーというのは“名歌手”の意味である。

 この前奏曲との出会いやその後の関係についてはここここに書いてあるが、間違いなく言えることは、私がこの楽劇のなかで唯一知っている楽曲が、音楽鑑賞歴長しといえども第1幕前奏曲だけだということである。


 マタチッチ指揮NHK交響楽団の演奏で。


 1968年録音。DENON。


お尻を洗う純,または罪のないソーセージ♪伊福部/ゴジラ対キングギドラ

IfukubeOrochi  けど間違いなくS席です、そこは
 今回自宅に帰ったときに、私の書斎-家族の間では納戸と呼ばれているし、家の設計図にもそう書かれている-でゴソゴソと探し物をした。


 先日、1984年に札幌で伊福部昭のSF交響ファンタジーの演奏会があり私もそれを聴きに行ったと書いたが、そのプログラムを探したのである。

 それはすぐに見つかった。


 中を見て、私はチケット発売初日に学校をさぼって買いに行ったワケを思い出した。


 当日のゲストが伊武雅刀と戸川純だったのである。


 あの当時、この2人がどのくらいの人気があったのが知らないが、テレビでよく見かける“芸能人”(少なくとも、この私でさえ顔と名前は知っていた。ウォシュレットのCMで「おしりだって洗ってほしい」って言ってたのは彼女ではなかったか?)が札響の演奏会にやって来るということで、もしかして通常のコンサートには来ないような人たちが殺到するのではないか?
 そう思って私は焦ってチケットを買いに行ったのだった。

IfukubeSekai1

 われわれはS席で聴いたのだが、一緒に行ったメンバーの1人のI君の席は、その右隣からA席。
 S席の端に当たったことを知ってしまった I君は、たいそう不満げだった。

 しょうがないじゃん。必ずどこかに境界は存在するのだ。


IfukubeSekai2


 ところで、伊福部には第1番から第3番 のほかに、もう1曲SF交響ファンタジーがある。

 第1~3番よりもずっとあと、1991年に作られたSF交響ファンタジー「ゴジラ対キングギドラ」で、伊福部の喜寿記念コンサートのために編まれた。
 このコンサートは1991年12月13日に行なわれ、「ゴジラ対キングギドラ」は石井眞木指揮の新星日本交響楽団によって初演された。

 それから十数年。
 2003年にキングの“伊福部昭の芸術”(Vol.7)でこの曲を収録しようとしたところ、伊福部はこの曲の存在をすっかり忘れていたという。
 喜寿記念コンサート1回限りと考えていたことに加えスコアが手元にではなく東宝にあったから、その存在をすっかり忘れていたらしい。

 曲は、前奏曲/ディノザウルス/ラゴス/エミー/キングギドラ/行進曲/ゴジラからなるが、交響ファンタジー第1~3番に比べると、やや興奮度に欠ける気がする。

Ifukube1991 石井眞木による初演のライヴCD(写真のもの)は現在出ていない模様。
 しかし、DVDが出ている。

 また、“伊福部昭の芸術”でのこの曲は、本名徹次指揮日本フィルハーモニー交響楽団で聴くことができる。

   これらのDVD、CDの詳しい情報 【タワレコ】

 
 味は良くとも、それは苦い思い出の味
 I といえば、私は I社製のソーセージやハムなどは買わないようにしている。
 妻はともかく、少なくとも自分では購入しない。


 ずいぶんと前のことになるが、この会社には嫌な思いをさせられたことがあるからだ。
 詳しいことは書かないが、理不尽なことを経験した。
 それからというもの、根に持つタイプの私は、一消費者としてここの商品は買おうと思わなくなった。


 ファミリーマートのウインナーはおいしい。

20170320FM

 おいしいが、この商品もI社の系列会社が製造していることを知ってしまった。
 その系列会社には恨みはないし、もちろんファミマにも罪はないが、これはもう買えない……


精的物質が浸入し湿る穴,または寝冷えの朝♪GM/Sym1「花の章」付

Mahler01Zinman  寝ているうちにあなたはバイキンマン
 先週、札幌へ出張する日の朝。

 目覚めて、タオルケットを足で蹴っ飛ばそうと思ったら、すでに寝相の悪さからか、あるいは地縛霊が悪さしたからか、タオルケットは足の届かない場所に巨大なボロ雑巾のように横たわっており、どうりで寒かったはずだわいと、持ち前の血圧の高さからすっと起き上がり、まずは歯を磨きにやや寒い洗面所に行った。

 もともとの私の歯磨き習慣は、朝食後にという順番だったのだが、ある健康雑誌に夜間のうちに口のなかはバイキンがいっぱいになるので、そのばばっちぃまま目覚めの1杯(もちろん酒でなく水である)なんて飲むと、バイキンをそのまま飲み込むようなもので、そんなことが良いことと思いますか?と書かれていたのを読んでから、私は独り「ううん。良くなこと……」と首を横に振り、枯渇した身体に水を補給する前に、まずは歯磨きをすることにしている。
 断っておくが、もちろん朝食後も歯磨きをしている(食後は唾液の分泌が盛んなので、歯を磨くのは好ましくないと、その健康雑誌には書いてあったが……)。

  コーチンたちが私のことについて噂している?
 歯を磨き終えるや否や、くしゃみが出た。
 それも、ハァークション、ハァークヒョン、ハァークチョンと、3回連続である。ルルのCM出演依頼がきそうなくらい模範的3連続くしゃみであった。

 日の出前から私のことを噂している-もちろん内容は「素敵な人ね」といったたぐいのものに違いない-人がいるという心当たりはなく、はて、どうしたのかなと疑問に思うや否や、こんどは鼻水がつーっと、と書いたものの、実際には音もなく垂れてきた。

 鼻の穴をティシュで押さえつけると、それは無色透明で粘度が極めて低いものだった。


 そのとき、私の頭に回平係長の笑顔が浮かんだ。

 パン屋休業のことではない。
 彼が今月に入り、突如花粉症になったということだ。


 私も突如、花粉症になったのだろうか?
 花粉になるよりはるかにマシだが、花粉症になるのは勘弁願いたい。

 それにしても、マンションの部屋のなかで?

 部屋に置いてあるオリーヴは青々しくなく、フェイクグリーンのように花を咲かすどころか新芽も出していない植物人間状態のようなままだし、アロエは青々しいが生育環境に満足しているのか花をつけようとしていない。
 じゃあ、花粉症じゃないんじゃないか?(って、オリーヴやアロエの花粉症なんて聞いたことがないし)。

 だが、私も今年で道外での勤務が通算で7年目となる。
 花粉への抗体が蓄積し、閾値を超えてもおかしくない。笑いたくもない。


 くしゃみはそれほど激しくないが、鼻水は止まらない。
 ちまちまツーツーと、細い流れが連続する。

 おかげで部屋を出るまでの2時間の間に、かみすぎですっかりと鼻が痛くなってしまった。


 外に出て症状がひどくなれば花粉症(スギ)に間違いない。
 が、外に出ても間違いないと判断できるような悪化は見られない。涙も涸れたままだ。

 いったん支社に出てから、セントレアへ行く。

 中部セントレア空港に着くと、少し鼻水が治まった。
 鳥そぼろ弁当を食べたおかげだろうか?が、このように治まるということは、風邪ではなく花粉症である可能性が高まったということだ。

 飛行機に乗る。
 症状は治まったまま。やはり花粉症だったのだろうか?

 が、途中からまた水っ洟(みずっぱな)が出始めた。
 ブラキストン線を越えてしまったせいだろうか?

 けど、北海道に近づくにつれまた症状が出るというのは、花粉症としてはおかしい。
 道南地方は別として北海道にはスギはないし、北海道における花粉症の原因であるイネ科植物やシラカバに対しては、私はアレルギーをもっていない(まだ花粉の時期でもない)。
 だいいち、密閉されたジェット機内にいるのだ。

 じゃあ、タオルケットを蹴とばして寝ていたせいで風邪をひいたのだろうか?
 でも、熱はないし、喉も痛くない。
 私の体はどないしてしまったのだろう?


  頼りになる看護師さん
 用務の合間を縫って、恒例の診察のために病院に行った。

 看護師さんが「調子はその後どうですか?」というので、訊かれていることとは筋が違っているとは百も承知で「くしゃみが出て、鼻水が出ます。風邪か花粉症かわからないのです」と、トナカイのような鼻を悲劇の証拠として示しながら訴えた。

 彼女はメモを取る。くしゃみ、鼻水……。
 よかった。そのあとにコンタックと書かれなくて。


 話題が途切れたので、私は現実的なことを尋ねた。
 「4月に入ってすぐに人間ドックを受けますが、それでも今日、採血検査をした方がいいんでしょうか?」
 「いや、いいんじゃないですか。それなら」

 看護師は私の側に立ってくれた。医師に確認することもなく、採血を免除してくれた。
 すてきな女性だ。彼女なら戦場に行っても気丈に仕事をするに違いない。

 と同時に、くしゃみと鼻水の件はうやむやになった。

 しかし医師の診察の際には、いちおう鼻炎の薬を出しておきましょうということで、処方してもらうことができた。処方してもらえることで安心したのか、鼻水は止まった。

 マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第1番ニ長調(1884?-'88/改訂1893-'96)。
 今日は「花の章」付きの演奏。

 この交響曲はもともと5つの楽章からなる交響詩として作曲された。

 1889年にマーラー自身の指揮によって初演されたのが最初の版(ブダペスト稿)だが、この楽譜は残っていない。またこの時点では曲に標題は付いていない。


 ブダペスト稿の初演後にマーラーは改訂を行ない、1893年に演奏。ここで「巨人(Titan)」という標題が付けられた。この第2稿、そして先のブダペスト稿で第2楽章に置かれていたのが「花の章(Blumine)」である。


 1896年にマーラーは第2楽章「花の章」を削除して、4楽章構成の交響曲とした。
 交響詩は2部構成5楽章だったが2部に分けることも、また標題も削除された。

 したがって、“交響曲”第1番としてなら削除された“花の章”を入れるのは余計なお世話であるし、聴くとマーラーがこの楽章をカットしたのもわからないわけではない。

 とはいえ、どんなものだったか聴いてみたいなぁというおスケベなあなた(私を含む)には、うれしいサービスってことになる。


 「花の章」付きの演奏の録音はいくつか出ているが、今日はジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の演奏を。


 2006年録音。RCA。
 SACDハイブリッド。


 北海道滞在中も、当初は鼻水が出たり出なかったり。

 そして20日の午後に名古屋に戻ってきたわけだが、花粉が飛散するには絶好の好天。
 しかし、くしゃみも出なけりゃ鼻水も出ない。

 翌21日。症状はまったくなし。ただし、朝からずっと雨だったので花粉が飛び交っていなかったのだろう。

 昨日は朝起きると、クシャミとわずかに鼻水が。
 好天のなかを健康のために2つ先の駅まで歩いたが、くしゃみのくの字もなけりゃあ、鼻水も垂れてこない。

 風邪だったんでしょうか?
 だったらうれしい(ふつうは風邪をひいて喜ぶ人はいないけど)。

 ただ、マンションの部屋で、なぜ朝にくしゃみがでるのかが気にかかる。

春分の日の人助け,または笑顔が戻った老夫婦♪WAM/ドン・ジョヴァンニ

MurakamiKishiW  おなかには脂肪層がありますけど
 3月19日の北海道新聞に載っていた書評。

 そのなかに、いろいろな面でいま話題の-というよりも、発売前日にマスコミがやたら盛り上げていて、実際発売されたあとはさっぱり取り上げられていない感じがする-村上春樹の「騎士団長殺し」もあった。
 書いていたのは文芸評論家の横尾和博氏。

 その書評のタイトルは“深まる謎、寓意解く楽しみ”

 どんなことが書いてあったかというと、“過去の作品の既視感がよぎるが、大きく異なる点がある。熱心な村上ファンなら結末の意外さに気づくはず”、“読者も自らの地層の掘り下げが問われる”、ってなことだった。

 第2部に入って、再び足踏み状態の私なので-前だったら厚い本でも読みたけりゃ出張に携えて行ったのだが、その根性も気持ちの高揚も私には顕れなかった-、まだ私は“結末の意外さ”には気づいていない(一生気づかないままかもしれない)。

 あるいは、自分の地層を掘り下げたら地崩れを起こすかもしれない。

 このごろタワレコに行ってみていないが(札幌Pivot店にも名古屋の近鉄パッセ店にも)、「ドン・ジョヴァンニ」特設コーナーなんかができているんだろうか?

MozartDonGiovanni  「または」って、なんだかめんどくさい
 モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の歌劇「ドン・ジョヴァンニ,または罪を受けた道楽者(Il Don Giovanni,ossia Il dissoluto punito)」K.527(1787)。

 タイトルを見ておわかりのように、この時代(だけでもないのだが)のオペラには「または」として別な名(たいていは説明的なもの)もつけられているケースが少なくない。

 モーツァルトよりも前の世代だと、たとえばバッハの末っ子であるヨハン・クリスティアン・バッハ(1735-82)の歌劇「オリオーネ」は「またはディアナの復讐」だし、あとの世代ではベートーヴェン(1770-1827)の「フィデリオ」は「または夫婦の愛」、ケルビーニ(1760-1842)の「アナクレオン」は「またはつかの間の恋」といったぐあいである。
 ロッシーニ(1792-1868)の「セヴィリアの理髪師」は「または無益な用心」であり、「ランスへの旅」は「または黄金の百合咲く宿」。宿の周りを散策しようものなら花粉だらけになりそうだ。

 私は、「ドン・ジョヴァンニ」はここでも取り上げているショルティ/ロンドン・フィルによる1996年のライヴしか聴いたことがない(しかも抜粋盤)。

 映画「アマデウス」では「ドン・ジョヴァンニ」が上演され、客が喜んで観ている場面があるが、DVDなんかで観ればとっても楽しいオペラなのかもしれない。

  能動的に動いてね
 おととい、私が中部セントレア空港に着き、急ぎ足で名鉄の駅に行くと、時刻は13:45すぎ。
 13:47発の特急のミューチケットを買おうとすると。すでに販売終了。
 ミューチケットは発車時刻の2分前で販売終了となるのだ(名古屋駅だと4分前だったような気がする)。

 次の列車は14:07発のミュースカイである。

 たっぷり時間があるが、手慣れた迅速さで私は券売機でミューチケットを買った。

 そのとき、私は視線を感じた。
 隣の券売機の前で思考も行動も停止しているおじいさんとおばあさんが、千円札2枚を握りしめ、私の方をじっと見ているのである。

 私に小遣いをくれようと見つめていたわけではない。
 切符の買い方がわからず途方に暮れていたのだ。
 そんなときに神業のごとく券売機を操作する私は、2人にとって北国からの使者のように見えたのだろう(あるいは南国からの死者に見えたかもしれない)。
 発車まで2分しかなければ心を鬼にして日本語がわからないふりをするしかないが、このときはすんでのところで乗る権利を失ったので、本来の親切モードの自分で接してあげた。

 「どうしましたか?」
 「〇〇駅(よく聞こえなかった)までの切符を買いたいんだけど、どうやって買ったらいいのかわからなくて」
 おばあさんがそういう。おじいさんは不安げな瞳のまま無言で2度深くうなずいた。

 確かにその券売機はわかりずらかった。
 初期画面が特別乗車券(ミューチケット)の購入モードになっているからだ。
 通常の乗車券を買うには、画面の左側に表示されている“片道乗車券”をタッチしなければならないが、わかりにくい。

 「いくらの切符なの?」
 私は2時間ほど前に新千歳空港の佐藤水産で買ったいくらのしょうゆ漬けのことを思い起こしながらそう尋ねた。今日の夜はゆめぴりかを炊こう。いくらご飯にして食べちゃおう。うふっ。

 「740円を2枚」

 私は“片道乗車券”の表示をタッチした。すると、行先駅ごとの料金の画面に。
 おじいさんは無言で驚嘆していた。

 大人の形の絵が2人書かれているボタンを押し、740円のバナーにタッチする。

 「じゃあ、ここにお金を入れてください」

 ICカード挿入口に無理やり千円札2枚を押しこもうとしたおばあさんを優しくリードしてあげた結果、お札はスムーズにインサートされた。

 「はい、切符が出てきましたよ。2枚重なってますよ。お釣りが出てきましたから取り忘れないようにね」
 「ありがとうございます。ほんとうに助かりました」

 「いえいえ。また困ったときには遠慮なく電話をください」

 そう言い残さないで、私はきびすを返し颯爽と改札へと向かった。
 が、そのときすぐ近くに案内の駅員が立っているのを知った。
 たぶん、私が2人からヘルプを受ける前から、その位置にいたのだと思う。

 困っている人がいたら、それを察して教えてあげてくださるとよいのではないでしょうか?
 このときは気づかなかったんだろうけど……

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