新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2017/02

記念日なので新しい薬を有料でプレゼント!♪DSch/Sym11(by ヤルヴィ)

PA240342  ソバもあったが、あえて名古屋名物を選択
 火曜日の金沢出張

 今回は開元さん(初登場)と一緒だったので、まだ昼食には少し早い時間だったが、前からひそかに気になっていた、でも1人では入る勇気がとても出ない、名古屋駅のホームにあるきしめん屋でイカ天きしめんを食べた。

 本当はエビ天にしたかったのだが、食券の自販機のボタンを押すときに悪魔がささやき、なぜかイカ天の券を買ってしまった。

 この店は注文してから天ぷらを揚げる。(そのように書いた堂々たる貼り紙がある)
 その揚げたてのイカ天は巨大で、なのに軟らかすぎるほど軟らかかった。けど、開元さんが頼んだエビ天も美味しそうだった……

 きしめんの方は、ウチの冷凍庫にある冷凍うどんとほとんど同じものだ。
 違いは平べったいかどうかだけだ。少なくとも私にはそう思えた。

 となると、荒涼庵のそばと同じ。
 あそこの麺も冷凍だった。

 いくら立ち食いでもちょっと残念だ。
 ましてそれを目の当たりにしてしまう店の造りだから、都度都度天ぷらを揚げていることとのギャップを大いに感じた。
 最近撤去が相次いでいる札幌駅のホームの立ち食いそば屋は冷凍めんじゃなかった気がするけど……

 ただ、ここのおばちゃんの、天ぷらを揚げはじめるタイミングと冷凍めんをお湯に投入するタイミングの絶妙なコントロールによって、両方が完全一致で仕上がるという技は見事だ。

  ってことは、私はA?いやぁ~ん、離れられないぃ~
 始発の名古屋から私の隣には年配(私より年上という意味で)の男性が座った。

 ほのかにセメダインA+B混合エポキシ強力接着剤のB液のような臭いがした。

 根拠はなんにもないが、B液の臭いがする人がインフルエンザ・ウイルスを保有していることはない気がして、安心した。

 少し離れた席には車内に乗り込んできたときから脚を踏まれたカラスのようにギャアギャアやかましいおばちゃん3人組が座っていた。この人たちは生まれてからこのかた-概ね60年強-インフルエンザにかかったことなんてないに違いない。
 席を向い合せにし4人掛けボックスシート状にし、缶ビールやら缶チューハイをがんがん飲んでいた。

 途中の長浜駅。若いサラリーマン風の男性が乗ってきた。
 そして、彼が持っていたのはよりによってボックスの窓側の指定券。
 大当たりぃぃぃぃ~っ!である。
 気の毒極まりないことにを、彼はその魔窟に入り込まなければならなかった(私だったら瞬時にたとえ立ちんぼになっても自由席で過ごすことを決意するだろう)。

  いろんな意味で急に食欲がなくなったんです
 彼は弁当らしきものが入ったコンビニの袋を持っていたが、ついぞそれを車内で食べる機会も勇気も根性もなく、乗車してきたときと同じようにカバンとコンビニの袋を手に下げて福井で降りた。

 そりゃそうだ。席を回してボックスにしているのだからテーブルがないことになる。
 いや、そんなことではない。黒で三方を囲まれた白い碁石のように身動きできないだけではなく、下品な話を汚い言葉でしゃべくりまくっているあの異様な空気の中で、食事が喉を通るわけがない。私なら水でも吐いてしまいそうだ。

 ここで私は良いことを思いついた。
 いや、彼を救おうなんて気はさらさらなく、自分のことだ。
 ウォークマンで音楽を聴けばいいのだ。もちろんノイズ・キャンセラをONにして。

 私は彼の気持ちを察して、祝典的をかけるのは控え、ショスタコの11番にした。

Shostakovich11Jarvi ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第11番ト短調Op.1031905年(The Year 1905)」(1957)。
 ここここなどで書いたように、1905年に起った革命を題材にした作品である。

 先日、第12交響曲の演奏を取り上げたN.ヤルヴィ/エーテボリ交響楽団の演奏を。

 ここでのヤルヴィは第12番でちょいと垣間見せた「くそまじめになんてやってらんねぇよ」という裏読みを感じさせず(曲の性格のせいもあるが)、極めてシビアに厳粛に曲を進めていく。
 が、それがなかなか迫真の“わざとらしい”演技のように聴こえてきて、にやりとさせられる。上手いなぁ~。

 1989年録音。グラモフォン(TOWER RECORDS UNIVERSAL VINTAGE COLLECTION +plus)。


 前回も書いたように、私が持っているCD(写真)は廃盤。

 このセットで聴くことができる。

 日本人のくせにかしましいことこの上ないあの3人組は、金沢まで乗らずにある温泉地の駅で下車した。
 きっとあの日の夜は旅館ではち切れまくったに違いない。お~、怖!

 ところで、もう全然喜ぶ年ではないと言い始めてもう何年も経つが、今日は誕生日である。私の。

 そんな日から、また新たに服用しなければならない薬が1つ増えてしまった……
 やれやれ……

 そのお話については、日を改めてご報告したい。
 

傑作と言われるわりに聴かれないのはなぜ?♪ケルビーニ/レクイエム

CherbiniRequiem  いざ、白衣のおっさんの所へ
 今日は札幌に出張である。

 突然ではないが、ずっと前から決まっていたわけでもなく行くことになったが、幸いにも病院の予約がとれたので出張用務の前に立ち寄って白衣の婦人-一般的には看護師と呼ばれる-に会ってくる。
 じゃなかった、会わなければならないのは医者だった。

 この病院、以前はそうそう簡単に予約がとれなかったが、最近はこのように直前でも大丈夫なことが多い(甲状腺エコー検査を除く)。

 断言はできないが、前の医師が定年退職して新しい医師に代わってから-新しい医師といっても若いわけでは全然ない-すこし客数、いや、患者数が減ったような気がする。

 いまの医師が悪いかどうかはわからないが、個人的には前の医者の方が好きである。お話ししやすかったんですもの……


 で、2週間前に通院したばかりなのにまた行くのは、ご存じのとおり私は本当に頻脈なのか?そうだとしたら薬を飲まなければならないのか?その白黒をはっきりさせるためである。

 なお、今回の出張は千葉課長と一緒だが、千葉課長は病院に付き添ってくれないことを申し添えておく。

 そうそう、前回は“おくすり手帳”を持っていかなくて薬局のお姉さんに優しく叱られちゃったので忘れないようにしなければならない。ダイソーで“おくすり手帳”カバーも買ったことだし。

  4大あるいは5大レクイエムに入ると言われる曲なのに……

 さて、上のリンク記事でボワエルデュの「白衣の婦人」序曲を取り上げたわけだが、このボワエルデュの葬儀ではケルビーニ(Luigi Cherubini 1760-1842 イタリア)の「レクイエム ハ短調」(1816)が演奏されたという。

 ケルビーニといえば、ベルリオーズが「あいつにゃさんざんひどい目に遭わされた」と書き綴っている

 いまではベルリオーズの方が作曲家として比べものにならないくらいはるかに有名だが、当時のケルビーニは偉大なオペラ作曲家と見なされており、またパリ音楽院の院長も務める権威ある人物。ベルリオーズにとっては怖くて苦手ないけ好かない奴だったわけだ。
 

InoueRequiem 「レクイエム ハ短調」は処刑されたルイ16世の追悼のために作曲され、ケルビーニとしても特に大きな成功を収めた作品。
 
 井上太郎著「レクィエムの歴史 死と音楽の対話」(河出文庫)には次のように書かれている。

 ベートーヴェンは「もしレクィエムを書けといわれたら、ケルビーニの曲だけを手本にしただろう」といったという。これは1816年のハ短調のレクィエムを指す。その作曲者ルイージ・ケルビーニは、生涯の大半をフランスで過ごしたが、出身はイタリアのフィレンツェである。……
 彼のハ短調のレクィエムは、1816年におこなわれたルイ16世(1754-93,在位1774-92)の追悼式典のために書かれた曲で、ケルビーニの宗教音楽の最高傑作とされており、ベートーヴェンばかりでなく、ベルリオーズ、シューマン、ブラームスも絶讃の言葉を残している。


 7つの楽章からなり、独唱は用いられていない。


 ドラマティックな要素もあるが、息をのむような美しい静粛な世界が続く。
 もっと広く聴かれるべきレクイエムの傑作だ。

 私が聴いているのはフロール指揮ベルリン交響楽団,ベルリン放送合唱団による演奏。


 1987年録音。ドイツ・シャルプラッテン。


 なおケルビーニはレクイエムを2曲残している。
 そのため、このハ短調の作品を第1番、1836年に作曲された男声合唱と管弦楽のためのニ短調の方を第2番と呼ぶこともある。
 

合唱団はどのタイミングでステージに?♪DSch/Sym9(by ペトレンコ)

P2010053  危険は過ぎ去った?

 おととい、きのうと金沢に出張だった(出張復命は後日する予定である)。

 一昨昨日(さきおとといを漢字で書くとこうなるということを、今回変換してみて初めて知った)にインフルエンザによる自宅謹慎から解放された山積氏が出勤して来た。

 もう治ったんだろうとは思うものの、疑い深い上に危機管理に敏感で性悪説を支持する私としては、まだウイルス拡散の危険が完全に無くなったとは言い切れないという強迫観念に心を支配されたので、出張で職場を離れることは幸いなるかな、であった(その前にインフルにかかった若園課長は金曜日に職場復帰したが、医者に言われた厳しい指示をきちんと守った上での復帰だったので、向こうが望めばハグしてもいいと思ったほどだ。相手が望まなくてよかったが)。

 もっとも行き帰りの特急しらさぎの乗客の中に、いや、最悪の場合は隣席の人物が体内でインフルエンザ・ウイルス只今好評増殖中な可能性もあるわけで、まぁ、どこに居ても安心はできない。

 ただ、自分としてはインフルにかかる危険は過ぎ去ったのではないかと思っている。


 インフルエンザとは直接関係ないが(間接的にも関係性は乏しい)、この広告のモデルさんに私は感心し尊敬の念すら抱いた。
 この状態で平然とした表情。いや、うっすらと笑みさえたたえている。
 いくら“痛くない”と言ったって……
 プロ中のプロとみた!。

  危険は過ぎ去っていなかった
 交響曲「大地の歌」を作曲したあと、死の危険は過ぎ去ったと考えたマーラー。

 彼は交響曲における“9 のジンクス”に対し、異常なまでに怯えていた。
 だから交響曲第8番の次の交響曲には番号をつけず「大地の歌」とした

 そして第9交響曲を書いているとき、妻のアルマに「これは実際には10番目の交響曲なんだ」というようなことを言っている。

 その第9番がマーラーにとって完成した最後の交響曲になってしまったが……


 ベートーヴェンの「第九」以降第9番を書くということは、交響曲作家にとって大きなプレッシャーがかかったのは間違いないだろう。
 また、交響曲第9番が発表されるとなると、周りは周りで大曲を期待した(お国によっては)。

 それをみごとにはぐらかしたのがショスタコーヴィチだった。


ShostakoSym5Petrenko1  ジンクスを破るために大曲を避けた?
 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第9番変ホ長調Op.70(1945)。

 長大な第7番「レニングラード」、同じく戦争をテーマにした第8番
 とくれば、続く第9番はすっげえことになるに違いない。そう思い込んだのはソヴィエト当局。

 ショスタコーヴィチも悪い。

 「祖国が戦争に勝利したこととソヴィエト国民の偉大さを讃える合唱交響曲を書いているところだ」と言っちまったのだから

 こう言われちゃ、当局が新作に大いに期待するのも無理はない。


 当初はそのような曲を書いていたのかもしれないが、まっ、結果的に出来上がったのは小さな楽器編成の、30分にも満たない、もちろん合唱団なんて必要ない、伝統的な4楽章構成ではない5楽章からなる交響曲だった。
 人の気分をいいだけ盛り上げておいて、最後は落とす。ショスタコ、性格悪過ぎぃ~


ShostakoSym5Petrenko2 そして当然のごとくお仕置きされたのだった


 そういう事情はともかく、プロコフィエフの「古典交響曲」にも通じる愛らしくて良い曲なんですけどねぇ(ただ、古典交響曲は一貫して健康的だが、タコ9はちょいと病的)。

 けどこのシンフォニー、堂々と演奏してくれたら“こじんまりした交響曲”という性格だけで収まらない二重人格のようにも聴こえてくる。

 ショスタコーヴィチの一連の交響曲を高品質演奏してくれているペトレンコの指揮で。

 オーケストラはロイヤル・リヴァプール・フィル。

 2008年録音。ナクソス。


  村上春樹頼みのクラ業界?
 期待が高まっているといえば、もうすぐ出版される村上春樹の「騎士団長殺し」

 すぐ飛びつくのは何となくしゃくに障るし、前回の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」では裏切られた感もあった
 だから、文庫になるまで待ってやろうと今回は斜に構えるつもりだったのに、予約してしまった(しかも私が氏の本を予約までするのは実は初めて)。

 で、ネット情報によると村上春樹の新作にクラシック業界も大いに期待してるんだとか。

 というのも、「1Q84」のときにはヤナーチェクの「シンフォニエッタ」のCDが、多崎つくるのときにはリストの「巡礼の年」のCDがとても売れたから。

 「羊をめぐる冒険」のときにスクリャービンのCDが売れたという現象が起こったという話は耳にしたことがないが、それはスクリャービンの第何番のピアノ・ソナタなのかが書かれていなかったせいかもしれない。
 でも、「ねじまき鳥クロニクル」のときも、アバドが振るロッシーニの「泥棒かささぎ」の序曲がヒットしたっていう話も聞かなかったな……

 で、実際のところは読んでのお楽しみってことだが、クラ業界が期待しているのは「騎士団長殺し」のなかでモーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」が取り上げられているんじゃないかってことらしい。

 というのも、このオペラでは騎士団長がドン・ジョヴァンニに殺されるからだ。
 小説の内容が「ドン・ジョヴァンニ」と関係するかもしれない。それだったらいいなって、狸の皮を数えているとかいないとか。

 けど、もしそうだとしても、それでこのオペラのCDが売れるってことにはなるのかなぁ……
 

豚を求めて4イレブンの悲しいキブン♪オルフ/月

20170212Moon  ムーンはハイボール色 
 日曜の朝。

 つまり手作り麻婆豆腐を夕食で食べた翌日の朝のことだが、カーテンを開けて窓の外を見ると、あんなことを書いた私を見下ろすかのようにきったねぇ色をしたやや大ぶりの月が浮いていた。

 写真を観ればわかるように、外はまだ真っ暗な日の出前。
 日曜だっていうのに、なんでゆっくり寝坊できないのだろう。私の染色体の一部にはニワトリのものが組み換えられているのだろうか?

 オルフ(Carl Orff 1895-1982 ドイツ)の「(Der Mond)」(1937-38/改訂'41)。

 ここで取り上げているようにグリム童話をもとにした1幕5場からなる舞台音楽。

OrffMond オルフといえば「カルミナ・ブラーナ」があまりに有名。

 確かにひどく衝撃的かつ親しみやすい作品なのでそれは理解できるが、それゆえか他の作品が聴かれることがあまりない。

 どうかみなさん。23世紀ころにオルフが「カルミナ・ブラーナ」の一発屋と言われていることがないよう、他の作品にも親しもうではありませんか!

 前回も取り上げたサヴァリッシュ指揮フィルハーモニア管弦楽団、同合唱団&児童合唱団他の演奏で。

 1957年録音(ステレオ録音です)。EMI。

  早朝に香り立つニンニク
 手ブレしないように全神経を右手に集中させて月を撮ったあと、ブログを書き(正確には最終の手直しをし)、投稿し、麻婆豆腐を温め直し、中国人も真っ青の“モーニング・マーボー”なる朝食(昨日報告したように、しかも昼はラ-メン)。

 なんせ、豆腐を2丁も使って作ったのだ。朝から麻婆豆腐なんていやだなんて贅沢は言ってられない。
 それでも夕と朝の2食で食べきった自分がすごい。

 ところで麻婆豆腐の名前の由来だが、陳健民があのバイブルにこう書いている。

 “麻”はあばたという意味で、150年ほど前に陳さんというあばたのあるお婆さんが、牛挽き肉、豆腐、豆板醤を炒めて作ったのが始めとされ……

 だから、単に麻婆豆腐というと“あばたのあるお婆さんの豆腐料理”ってこと。
 しかし、最近目にする機会が多い陳麻婆豆腐という呼び名になると、“陳さんという名のあばたのあるお婆さんの豆腐料理”と、より丁寧で陳さんに敬意を表した言い方になる(したがって、“麻婆のバイブル”を間違って“麻婆のバイブ”と書き損じると、あばたのある婆さんの……と、なんだかいやらしい感じになっちゃう。これにチンがつけばさらに卑猥度が高まる。って、いったい何が「したがって」なんだか……)。

 ただ、そこいらの中国料理店では、特に辛い麻婆豆腐のことを陳麻婆豆腐と呼んでることが多いように感じる。

 さて、朝食を終えた私はセブンイレブンへと出かけた。

  地区仕入担当者よ、あなたは間違っている
 実は先週買ったセブンプレミアムの冷凍食品の“三元豚のポークソテー”がなかなか優れものの美味しさで、すっかり気に入った私。
 そこで前の日に、前回それを買った店に行ったのだが、どれだけ目を皿のようにして探しても冷凍庫の中にはその姿がなく、もう1軒別な店舗に行ったのもののそこにもなくて、失意のどん底に突き落とされた。

 そこでこの日は、三元豚をなんとかゲットするべく、さらに別な店舗に向かったのだった。

 が、2軒行ったが、どちらにも置いてなかった。

 豚のしょうが焼きやかつ煮、鶏もも照り焼きはどこにでも置いてあるのに、三元豚は姿を消してしまった。
 ホームページでは、販売地域は北海道を除く全国、となっているのにである。
 これは中京地区担当のバイヤーの陰謀に違いない。

 負けるもんか!……(勝てないけど)

RakuRakuOpen そうそう、セブンイレブンの“おさかなソーセージ”のらくらくOPENも優れものだ。

 各メーカーのソーセージにも開けやすいように赤いテープがついているが、あの赤いテープを私がはがすと、どのメーカーの商品も申し合わせたかのようにそのテープだけがプチンとれてしまい、小さな穴が開くだけである。

 しかし、このらくらくOPENは、こんなに楽していいのかしらというくらいらくらくにOPENしてくれる。

 問題は幼児がおやつ代わりにこれを与えられたときに、“らくらく”しか読めずに困り果てるのではないかという点だ。
 私の知ったこっちゃないけど……

私のマーボーバイブル♪ラヴェル/乳香を摘む女たちの歌

20170211Mabo  もやしの色の変化をうかがいながら……
 土曜日の昼にラーメンをゆでて(西山の麺だ)、札幌の味をいやでも満喫できるスープで(西山のスープだ)味わったことは既に報告した

 あの写真を見て、私のことを生意気だとか贅沢だとか思った了見の狭い人もいたに違いない。そんな奴は猟犬に噛まれて反省すべきである。というのはちっともおもしろくない冗談だが(それに猟犬を用意することは簡単ではないだろう)、確かに一応きちんと具がトッピングされているので、そのように思うのも無理はないだろう。
 もしかして、あれはMUUSANが自分で作ったラーメンじゃないとさえ思っている人もいるかもしれない。

 が、自作であることが間違いない証拠があの写真からわかる。
 メンマが欠如しているというラーメンとしては致命的な問題がある。
 丼もダイソーで買ったものである(わからんだろうが)。それも縁の内側に角ばった渦渦が描かれていないうどん用の丼なのだ。

20170212ChinBook1 もやしとネギは前日の帰りにスーパーで買った。
 しかし実は、ホウレンソウのお浸しおよびチャーシューは妻が作って冷凍して送ってくれたものなのだ。

 ところで翌日の日曜日の昼。
 このときも、私はラーメンを食べた。

 というのも、放っておけば半分残しておいたもやしがあっという間に傷んでしまうからである。
 もやしの寿命は短い。
 短命なもやしの寿命に合わせて昼のメニューが決まってしまうというわけだ。

 土曜日の夜は、ニンニクとショウガの力で免疫力を高めようと、久々に麻婆豆腐を作った。

 丸美屋やクックドゥの力を借りたのではない。
 ちゃんと甜麺醤と豆板醤を使って作ったものだ。

 実は麻婆豆腐は私の得意料理なのである。私が腕を振るうと3回に1回は実においしく出来上がる。
 そして幸いにも今回作った麻婆豆腐は近来稀に見るおいしさに仕上がった。

 私の求める麻婆豆腐の味は、札幌にある四川飯店の味である。

 そして私は陳健民(陳健一の父で、麻婆豆腐を日本に伝えた人)のレシピを忠実に、とまではいかないが、大半をおんぶにだっこしている。つまり、この本は私にとって麻婆豆腐のバイブルなのである。
 ちなみに、この陳健一氏のレシピでは山椒を使わない。

20120212ChinBook2  豆乳濃度が低い?
 今回作った麻婆豆腐の失敗を強いてあげるならば、使った豆腐が軟らかすぎたということ。
 マックスバリュの特売で買った木綿豆腐だったのだが、まるで絹ごし豆腐のような軟弱さ。豆腐の味もしない。
 大豆成分が少ない水分の多い品物だったようだ。特売の豆腐にありがちなことである。

 経験があるかどうか知らないが、ハウス プリンミクスでプリンを作るときに、少しでも多くプリンができるようにと欲張って水を多く入れ過ぎ、その結果、固まるか固まらないかぐらい軟弱で味も希薄なプリンが出来上がってしまう。それと同じようなもんだ。

 スーパーの乳製品コーナーに行けばメグミルクだの明治だの森永、オハヨー、グリコなどのカップ入りプリンがたくさん並んでいるのが当たり前の光景だが、むかしはプリンといえば、自宅でこのプリンミクスを水で溶いて、型に入れ、冷蔵庫で固める。それが主流だった。

 あの袋を開けたときの失神しそうなほどかぐわしい香り!
 懐かしい。
 が、この商品がまだ現役で売られているということに、私は感動している。

OndesMartenot  つまり松やにみたいなもんです
 ラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937 フランス)の「乳香を摘む女たちの歌(Chanson des cueilleuses de lentisques)」。

 M.D.カルヴォコレッジが収集し翻訳したギリシア民謡をラヴェルが編曲した「5つのギリシア民謡(5 Melodies populaires greeques)」(1904-06)の中の第4曲である。

 乳香を摘む??
 嗅ぐじゃなくて???

 そう、乳香というのはプリンミクスなどの乳製品の香りのことではなく、カンラン科の木から分泌される樹脂。
 樹皮を傷つけると分泌され、空気に触れて固まるそうだ。それを香料として使う。

 実は私、この作品を編曲したものでしか聴いたことがない。
 それもオンド・マルトゥノで演奏したもの。
 
 この楽器のヒョヨヨ~ンというのが……眠気を誘います。でも、すっごく美しい音色です。

 グルニエによるこのCDは現在タワレコでの取扱いがないようなので、編曲物ではないオリジナル版の演奏のCDを、聴いたこともないのに紹介しておこう。

 タワレコのサイトを見てそのCDを選んだワケは、ジャケットに写っているお姉さま(ゲオルギュー)がひどくゴージャスだったから。それだけである。

  事務連絡:山積氏、昨日職場復帰果たす

こっちは速いのに結果が出るのは遅い♪ボワエルデュ/「白衣の婦人」序曲

FrancaiseParay  あれから10日経過

 “あれ”というのは、病院に恒例の検診に行き、「おやっ?妙に脈が速いな」と指摘された日のことだ。

 そのあと、診察室を出る私に追いすがるように3分もあとに待合室に出て来た看護師さんは、「今日の血液検査では、医師の命令によりいつもの項目に加え甲状腺に関する4つの項目も調べることにしましたが、そのうちの3つは結果が出るまで少し時間がかかります。えーと、〇日くらい。その結果に異常がなければ電話しませんが、悪いお知らせのようだったら電話します。番号はこれでよろしかったですか?」

 「0155……。Non,non、よろしくないです。その番号は帯広で勤務していたときの職場のものです。いまは名古屋です。お教えしましょう。でも、ほかの人には内緒ですよ。この間も、フレッツ光が安くなるという電話が突然来て、人生における貴重な十数分を無駄にしたのですから。あっ、それは自宅のイエデンのここでした」だなんて言えなかった。私は打ちひしがれていたのだ。だって、そうでしょ?検査項目が増えたせいで、料金がどのくらい跳ね上がるか気にならない人はいないはずだ。
 だからこそ〇日の〇になんという数字が該当するのか全然覚えていないのだ。

  白衣を着た修道女?
 ボワエルデュ(Francois Adrien Boieldieu 1775-1834 フランス)の歌劇「白衣の婦人(La dame blanche)」(1825)の序曲。


 ボワエルデュ(ボイエルデュとも)は当時のフランスを代表するオペラ作曲家だったが(フランスのモーツァルトとまで言われたらしい)、現在オペラが上演されることはまったくないといってよく、この「白衣の婦人」の序曲など数曲がコンサートのレパートリーに残っている程度である。

 ただ、しぶとく生き残っているだけあって、なかなか人気もある。


 オペラそのものはスクリープの台本による3幕物。
 私は筋を知らないが、看護婦の話でないことは間違いなさそうだ(台本のもとになったのがW.スコットの「修道院」だっていうし)。


 私が持っているCDはパレー指揮デトロイト交響楽団の演奏によるもの。
 他の録音でこの曲を聴いたことがないので何とも言えないが、パレーだからきっと良い演奏に違いない(と思い込んでいる)。


 1960年録音。マーキュリー。

  甲状腺がシロだとしたら、原因は何?
 しかしいくら日数を要するとはいえ、午後にヨドバシにウィルキンソンを頼んでも翌々日には届く時代だ。
 採血から今日まで土日が2回はさまっているとはいえ、もう結果は出ているに違いない。


 ということは、甲状腺(ホルモン?)に関してはセーフだったと勝手な判断をしても神様は赦してくださるんじゃないかしら、と思っている本日2月13日月曜日、このあとごみ出しを控えた私である。

 ただし、甲状腺の分泌物由来の頻脈じゃないとしても、医者は「脈が速いのは決して良いことではない」と言っていた。速くて良いのは交通機関と吉野家ぐらいだ(と医者が言っていたわけではない)。なお、“錦城”の場合はもう1,2分遅くてもいいから麺をもう少しほぐしてほしい(というのが私の意見)。


 その医者ももともと脈が速く、抑える薬を飲んでいるという。
 そう言うからには、「薬を飲んでるんだぜ、おれ」という単なる自慢話ではなく、私にも出してやろうということだろう。うん、そうだ。確かに単なる頻脈と、甲状腺の異常による頻脈とでは薬の処方が違うと言っていた。やっぱり、私にも薬を勧めるのだろう。

 思い出したが、あのとき看護師は「甲状腺による頻脈だと、いくら食べても太らないとか、寒いのにたくさん汗をかくとかといった症状も出ます」と言っていた。

 いくら食べてもというのは、鮭の卵を食べてもという意味ではなく、たくさん食べてもという意味だと私はとらえた。
 そうだとすると、良いような残念なような感じだが、私の場合はきちんと食事量に比例して体重は増えるし、おなかが y= 0.3x2 の関数が描くなだらかで美しい放物線になって久しい。

 また、寒いところで大量の汗をかきそれがつららになってしまった経験もないし、寒いときにはおしっこは近くなる上に大量に出るが汗は出ない。

 以上の事実から推察するに、私の脈が速いのは甲状腺に関係したものではない、という結論が帰納法で導かれる。

 なによりも、病院から電話が来ていない。便りがないのは良い報せ。あの特殊な状況とは異なり、一般的なこの言い伝えが適合するだろう。

 でも、どっちにしろ医者にきちんと今後の対処について相談しなければならない。
 大げさに驚いて見せ、血液検査でオプション追加までした彼が、このことを忘れてくれるはずがないもの。

バカヌにあって慎子にないもの♪セジョルネ/marb協

IfukubeLauda bacau  「暴力はいけません」的マリンバの響き
 先日紹介したバカヌのマリンバによる伊福部昭の「ラウダ・コンチェルタータ」のCDには、打楽器奏者でもあるセジョルネ(Emmanuel Sejourne 1961-  フランス)のマリンバ協奏曲も収録されている。

 このコンチェルトは、バカヌの依頼で書かれたマリンバと弦楽オーケストラのための作品(原題は'Concerto for Marimba and String Orchestra')で、CDの表記によると2004年の作(セジョルネのオフィシャルページでは2005年となっている)。
 また、これが World Premiere Recording、つまり世界初録音。

 次の3つの楽章からなる。

 Ⅰ Avec furce
 Ⅱ Tempo souple
 Ⅲ Rythmique, Energiqu 

 ひじょうにロマン的な色合いの濃い音楽で、メロディーはとても親しみやすい。
 現代音楽という表情はほとんどないと言ってよい。
 マリンバのための協奏曲ということで、力強くまた激しくマリンバが打ち鳴らされるかと思いきや、もちろんそういう場面もあるが、マリンバそのものも優しく奏でられる。
 昼メロのテーマ音楽とか、あるいは映画で、刑事に追われる不幸な星のもとに生まれたがゆえに過ちを犯さずにはいられなかった殺人犯が過去を回想する場面なんかにぴったりだ(「砂の器」のシーンが思い浮かんだ)。
 
 この点で、伊福部の「ラウダ・コンチェルタータ」とは性格が正反対。
 伊福部では物足りなさを感じたバカヌの演奏だが、これはとても良い。バカヌに合った音楽なのだろう。

 オーケストラはマンデアル指揮のルーマニア国立交響楽団。

 2016年3月録音。Genuin。

IfukubeLaudaTsukakoshi  第2楽章から始めちゃったってワケ?
 「ラウダ・コンチェルタータ」といえば、昨年の秋に塚越慎子の独奏によるライヴCDが発売された。

 そして塚越のCDにも、偶然か意図的かは知らないが、セジョルネのマリンバ協奏曲が収録されている。

 こちらのコンチェルトは2楽章構成で、

 Ⅰ Tempo souple
 Ⅱ Rythmique, energiqu 

であるが、なんかどっかで見たことあるような気がしません?

 大丈夫、既視感でなく、あなたは間違いなく既視してます。この記事を途中とばさずに読んでいたなら。

 そう。
 バカヌが演奏しているマリンバ協奏曲の第2~3楽章の2つの楽章が、ここでは第1~2楽章として演奏されているのである。
 私もちゃんと聴いて確かめているので、ウソではない。

 なんでこんなことになっているのか、CDのライナーノーツにも書かれていないのでわからない。

 ライナーノーツの木幡一誠氏による解説によると、

 バカヌに捧げられた2005年の所産。2006年のリンツ国際マリンバコンクールの委嘱作品である。

ということで、あとは当たり前に第1楽章はどうの、第2楽章はこうの、としか書かれていない(この一節、閉じかっこの数が1つ多い。というか、余計な 。 がある)。

 この録音にあたって単に第1楽章を割愛した上に2楽章と3楽章の番号を繰り上げたのか、それとももともと2楽章構成としてのこの作品が存在し、あとで楽章を1つ足して3楽章の協奏曲に仕立てたのか、その点はわからない。
 もともと3楽章構成だが、時間の制約上、コンクールでは2楽章にしたということも考えられる(伊福部昭の「日本狂詩曲」がそうだ)。

 塚越の録音は2016年4月(セッション録音)。
 同じ作品とみなせば、1か月遅れでバカヌに世界初録音の座を譲ってしまったことになるが、発売はバカヌのが2017年1月で塚越は2016年10月と、塚越の方が早い。

 ところで、塚越の演奏だが、バカヌよりテンポが速く、バカヌを聴いたあとだとせっかちに、また音楽そのものが軽々しく聴こえる。

 オーケストラは塚越慎子アンサンブルという団体だが、このオーケストラの響きも薄く、深みが感じられない。
 バカヌ盤がなかったら、これはこれで悪くなく感じたと思うが、バカヌの表現力の方が一枚うわ手ってかんじだ。

 こちらのレーベルはクリストン。

 逆に「ラウダ・コンチェルタータ」では塚越の演奏の方が、バカヌよりもはるかに説得力があり、音楽に引き込まれることを申し添えておく。


 そうそう、昨日の昼は予告通りラーメンを作って食べた。
 満足の味であった。

20170211Ramen

 

羊に羽が生えた怪しい奴♪シューマン/幻想小曲集

20170206Shakoba  あれはジャニーズじゃなくインターネットの……
 この間 v6 のことを書いたせいだろうか?
 それをきっかけにするようにこんなメールが立て続けに届くようになった。

 翔だよー_-今何してる?

 気になっちゃったんだけど…
 前にも連絡を入れたんだけど僕の事わかる?

 送信者名は“翔.”。

 私の感覚だと、翔といえば相川翔ぐらいしか頭に浮かばなかった。

 しかしアドレスを見てみると、s.a-k.u.-rai.ara.shou****@s***/***********.netで、サクライ アラ ショーとなると、ははん、嵐の櫻井翔のつもりなんかいと気づいてあげなくてはなるまい。
 にしても、この手のアドレスやURLの定番とはいえ、 . や - を文字の間にはさめてご苦労なこってす(本文にもだけど)

 さて、このように翔から気になっちゃわれてしまった私は、表面上は「僕の事わかった」ことにしてあげた。
 まっ、そもそも「こと」のことは「事」ってあんまり書かないよな。漢字に強い国の出身なのだろうか?

  2通目。聞いてもいないのに正体白状

 実はさぁ

 東京在住-1982年1月25日生まれの35歳!5人組のアイドルグループの一人です!
 月曜はZERO-水曜は隔週で夜会の収録に…火曜は交互でしやがれとVSの収録って感じです- -
 細かい事言ったらキリないからこれくらいにしておくね(笑)

 僕の事は翔でいいよー♪
 あだ名つけてくれてもいいけどね♪(笑)


 なに1人で盛り上がってんだかさっぱりわからない。
 (笑) えない。全然。

  松潤御用達サイト?
 このあとどうなるのかしらと待ち望んでいた第3通。

 僕の事わかった?

 このサイトは松潤に紹介してもらったんだけど…
 『いきなり何!』って思うよね-普通_ _僕があなたの立場だったら確実に思うもん(笑)
 でもさ…案外業界の人間もふっつ~の人なんだよ..仕事とは全く関係のない出会いが欲しいんだ* 癒しというか-_-

 …僕じゃダメかな(汗)

 うん、思う思う!確実に。
 でも、そっかぁ。松潤はこういう方法を使ってたのかぁ。

  別に汗かくようなことじゃ……
 4通目。

 他愛もない話したい

 友達感覚でさ…
 そういうのって間に合っているかな?
 よかったら仲良くしたいって思ったんだけど-_-
 それに連絡先の交換もしたいし_まずはメル友からでも。
 素性が知れない奴とはやり取りしたくない…そんな風に思われちゃってる?(汗)


 素性が知れない奴って自分で言ってるんだから……
 「他愛もない話したい」は「他愛もない話、したい」か「他愛もない話をしたい」って書いた方が、わかりやすいと思うよ、翔。よけいなお世話だけど。

 ところで、翔。私の事、男だってわかってないでしょ?こんな僕と仲良くしたい?メル友になりたい?出会いたい?癒してもらいたい?

 あたしゃ、ごめんだね。

  5通目では + も登場
 冗談は一切ないから。

 もっとフランクに普通に話して行きたいなって思っているんだけどこれって難しい事を言っているのかな+
 ねぇ…?
 なんで何も言ってくれないの?


 そりゃ、翔が普通だと思えないからさ。
 フランクフルトでもかじってな。

  にぶにぶな翔
 6通目。

 え…
 無視ですか?
 一言もないの…?


 無視されていることに気づくの遅すぎ。

 で、もうあきたので受信拒否フィルターに登録。

 でも、まったくもってバカバカしいと思うなかれ。
 世の中にはこんな人もいるのだ。
 気をつけましょうね。
 
 シューマン(Robert Schumann 1810-56 ドイツ)の「幻想小曲集(Phantasiestucke)」Op.12(1837)。

SchumannBiretBox イギリスの女性ピアニスト、A.R.レイドロウーに献呈したピアノ曲集。
 以下の9曲からなる。

 1. 夕べに(Des Abends)
 2. 飛翔(Aufschwung)
 3. なぜに(Warum?)
 4. 気まぐれ(Grillen)
 5. 夜に(In der Nacht)
 6. 寓話(Fabel)
 7. 夢のもつれ(Traumes Wirren)
 8. 歌の終わり(Ende vom Lied)
 9. (題名なし)

 無題の第9曲は、1935年の「スイス音楽時報」の版で加えれた曲だという。

 第2曲の「飛翔」が、この曲集の中ではもっともよく知られている。

 ビレットのピアノで。

 2000年録音。IBA(ナクソス)。

  はい、アタシがカカリチョーです
 嵐といえば、先週帯広支社の大嵐係長に用事があって電話した。
 最初に電話に出たのは晶子さんで、係長にとりついでくれた。

 が、電話の声がいつもと違う気がして、確認のために「係長ですか?」と私は聞いてみた。
 すると相手は、「はい、係長です」と言った。「大嵐です」というところを、私の問いにつられ「係長です」と言ってしまったのだった。

 私は (笑) であった。彼はきっと (汗) だったろう。
 
 関係ないが、自宅のシャコバサボテンだかカニハサボテンだかデンマークカクタスだかにつぼみがついた。
 プクプクしていてかわいい。
 妻の実家にある鉢植えから2節だけ失敬してきたのだが、よくここまでに育ったものだ。

 それがうれしくて写真を載せた。
 ただそれだけのことで、何かを暗喩しているわけではない。


春が近づき流氷遠のく♪GM/大地の歌(by ライナー)

MahlerErdeReiner59  変な名前……
 先週出張で札幌に行ったときもアレを買ってきた。

 アレと自分で書いて急に頭に浮かんだのが“アラ!”。
 海苔の佃煮である。

 つまりは桃屋なら、古くは“江戸むらさき”、現在は“ごはんでよ!”と同種の商品である。余談だが“ごはんですよ!”にも小さな文で“江戸むらさき”と書かれている。

 子どものころ初めて、ふつうの“江戸むらさき”ではなく“江戸むらさき特級”の瓶を目にしたときは、そのカネゴンの顔を縦圧縮したようなフォルムにうっとりしたものだ。

 “アラ!”


 線路沿いの木造の物置小屋に貼られたそれだけしか書いてないブリキの看板を見かけたのも子どものころだ。


 奥さま、何に驚いたんですか?って感じだ。

 だが、それが海苔の佃煮の商品名だと知ったのはずっとあとのこと。
 関西のメーカーのものだというが、北海道のスーパーではあまり見かけた記憶がないし、私は口にしたことがない。


 で、“アラ!”の名の由来が何なのか私にはいまだに不明である。
 きっと命名にまつわる奥深い秘話があるに違いない。


20170204Nishiyama  3つの秘伝のハーモニー
 で、アレに話を戻すが、アレというのは西山製麺のラーメンスープである。

 スーパーなどで売っているラーメンスープは濃縮したスープだけというのが主流だし(便利だからだろう)、西山にもそういう商品がある。
 しかし、私が好んでいるのは昔からある、液体の濃縮スープの他に、粉末の調味料とラードがセットになったもの。それもやはり醤油味がお気にだ。


 麺はこちらのスーパーでも西山のものが売られているので、ここ名古屋の地でもサッポロラーメンの祖である西山ラーメンを食べることができるのである。玉子めんである必要はないんだけど……(しかも一玉税抜115円!)。
P2090060 でも、めん助を目にすると癒されるぅ~。


 土曜日の昼にはさっそくラーメンを作って食べる気満々、流行性感冒になんか負けない元気な子、である。
 袋に描かれた、何してんだかわからないお姉さんも、顔を見るに、気合いは入っているようだし。

 アレッ?アラ!の話の方がアレの話より長くなってしまったでアル。


  かの地は、もう新緑が萌えているかも
 話は変わるが、今年の立春は2月4日だった。

 立春というのは、そのころから徐々に徐々に寒さが和らいでいくという日である(その前日は季節が切り替わる節目となる節分だった)。


 春が近づくにつれ、雪も氷も解ける。
 北海道にいるときにはまだまだぜんぜんそんな実感がないが、1月23日に猿払村の海で接岸した流氷は、やがて遠のいていくわけだ。


 そんななか、氷山係長が転勤することになった。
 ここよりも西、商人の街へ、である。


 ♪ 流氷とけてぇ~ 春風吹いてぇ~


という歌が頭に浮かぶ。
 吉田弘作詞、船村徹作曲の「宗谷岬」である。


 が、こっそり気づいてしまった人もいるだろうが、流氷と氷山は違う。

 だから氷山係長の送別にあたって、私は「宗谷岬」を選ばない(クラシック音楽じゃないし)。


  近くまた乾杯しましょうぜ
 やはりここは、マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の「大地の歌(Das Lied von der Erde)」(1908-09)だろう。


 何度も書いているように、私はこの交響曲(でもあり連作歌曲でもある)の終楽章(第6楽章)「告別(Der Abschied)」の最後の詞がひどく好きである。

 この世(地)に希望を見い出せなかったので山へと去ろうとする男が、最後に友人に言う言葉である。


 原詩は王維の「送別」。マーラーはH.ベートゲがこれを独訳・改編した詩を用いた。


 Die liebe Erde alluberall Bluht auf im Lenz und grunt aufs neu!
 Alluberall und ewig Blauen licht die Fernen!
 Ewig......ewig......


 いとしきこの大地に春来りていずこにも花咲き、緑新たなり!
 遠き果てまで、いずこにも、とこしえに青き光!
 とこしえに……とこしえに……        (渡辺護 訳)


 今日は私が「大地の歌」を知ることになった、私的な歴史的演奏であるライナー/シカゴ響の演奏を(ここでも取り上げている)。
 独唱はフォレスター(アルト)とルイス(テノール)。


 1959年録音。RCA。

 えっ?エッ?ゑっ?
 ハ・イ・バ・ンだって?

 「大地の歌」の第1楽章には、

 この黄金の盃を底まで飲みつくせ!

というフレーズがある。

 また、氷山係長と飲める日を楽しみにしている(特別付録:等身大オディール・ホッキー)。

いつになく早く来た来てはいけない人♪イザイ/悲劇的な詩

YsayeZimmermann  なぜこんなに早くに?
 昨日の朝。

 いつものように必要以上に早く出勤した私だったが(別にそれを目指しているわけではないが、一番乗りだった)、その20分ほどあとにやって来たのは“ある人物”だった。

 “ある人物”と書くとアタック25のようで、あの軽快な音楽が頭に浮かぶが、軽快な話ではないし書きにくい上に読みづらく、双方(私とあなただ)にとってデメリットしかないので、ここではやはり仮名をつけよう(実はこの人物、仮名を二重命名することになってしまうが)。

 ある人物とは、社員の山積氏である。

 社員だから不法侵入ではない。

 しかし、彼がこんな時間に来るとは想像を絶することだ。
 今日から季節はずれのサマータイムを実践することにしたのだろうか?


 しかも珍しくマスクをしている。
 夜中におやしらずでも抜いたのだろうか?

  人の迷惑、つゆほどにも考えず

 彼はその足で私-私は彼の遠縁の上司にあたる-の所へ来て言った。


 「熱があって具合が悪いのでこのあと病院に行って今日は早退させてください」

 正直思った。近寄るな、と。

 まだ業務が始まっていないのに早退も何もないのだが、そもそもそんな状態のくせになぜやって来るのだろう?
 菌かウイルスか胞子か知らないが、間違いなくばらまいているという意識がこれっぽっちもないのだろうか?
 遠くから話してほしい。内線電話を通じてだともっとありがたい。

 「じゃあ、わざわざ出社せずに家の近所の病院に行けばよっかたじゃないか」
 「いえ、今日どうしても1つやっておかなければならないことがあったので」
 「もしインフルエンザだったらどうする?たいへんなことだ」

 私が口にした言葉の意味は、万が一インフルエンザの可能性がありそうなら出社しないのがマナーだ、ということだ。決してインフルエンザだったらお粥を作りに行ってあげるという意味ではない。

 「予防接種しているのでたぶん違うと思います。関節も痛くないですし」
 「わかったもうしゃべるな。どっちにしろ感染しそうな病気だ。こっちの関節が痛くなってきたような気がする」

 そのあと山積氏のすぐ近くに席がある女性社員が1名出勤してきた。
 山積氏は、熱がある、病院に行って帰る、インフルではないと思う、と説明していた。

 私はそちらに向かって言った。「とにかくしゃべるなって!」

 このときすでに、私はなんとなく彼がインフルエンザに罹っているような気がしていたのだ。ひ弱な人間の勘とでもいうのだろうか?

 山積氏が滞在したのは15分ほどだ。
 なんかごそごそやっていたが、病を押して無事用務を終えたようだ。


 「とにかく診察の結果をメールするように」
 私は来るべき悪夢を想定しつつ、そう指示した。


 彼が始業時間前に帰ったあと、耐えられなくなったあの女性社員はあわてて入口近くに置いてあるアルコール殺菌剤を手にスプレーしに行った。
 私もそれに続いた。

 のどの消毒のためにハイボールの1杯も飲みたい気分だった。

  便りがないのは良くない報せ
 そのメールはなかなか来なかった。
 時間がかかっているということは、医者が一目見てただの風邪とは思わなかった証だ。


 1時間半後。

 インフルエンザA型だったという報告が来た。

 鶏なら土に埋められるところだ。
 不幸中の幸いは、接種のおかげで重症化は免れたということだ。


 本来ならば「おだいじにしてください」と返信するところだが、彼の軽率な行動に対し私は注意せざるを得なかった。あまりの危機管理感覚の欠如に対し注意した。

 返信の大意はこうである。


 インフルエンザが流行している最中でもあり、体調が悪く少しでもその可能性が考えられたわけですから、周りへの感染リスクを考えなければならないのでしょうか?きっと同じ地下鉄の車両にいた人たちの何人かは、隣の人がフルー状態だなんて夢にも思わなかったにもかかわらず、もう悪寒に襲われているかもしれません。
 もちろん会社でもそうです。
 たとえ大事な、でも15分で済む用務があったとしても、怪しければ出社しない。これが社会人としてのマナーであり常識です。インフルエンザなら出勤停止になるわけですから、その疑いがある状況で出てくることが理解できません。先に病院に行ってインフルエンザの疑いが晴れた上で出勤しなければなりません。
 どうしても処理しなければならない仕事といっても、ふだんから課のメンバーとある程度情報を共有していれば、メンバーがサポートしてくれるはずです。
 当面の仕事についてはきちんと課のメンバーに伝えてください。 かしこ、後略、草々


 大意の方が原文より長くなってしまったが、私はこの件に関しては「つらいでしょ」とか優しい言葉を一切交えずに、上司の1人として心を鬼にしてあえて厳しく書き送ったのだった(実にけしからんと思ったし)。

 そうでないとこれから先、無自覚のまま他人に迷惑をかけることがあるかもしれない。そのような社会人にはなってほしくないという、親心からだ(彼は社会人になってまだ20数年しか経っていないのだ)。

 “山積氏インフル罹患”の報は、あっという間に支社内に知れ渡り、すでにインフルで自宅に幽閉されている若園課長を除き、多くの社員が不安のどん底に突き落とされ、郵便や宅配便の配達員は近寄りたくないのに仕事を成し遂げなければならないため涙目状態。
 回平係長も涙目になっていたが、それは昼に激辛のカップめんを食べたせいだ。

 ふだんはお飾り状態のアルコール消毒剤はふだんの3倍の消費量となった。

 また、私も予防接種を受けてはいるものの、もしうつされたら場合は超悲劇だ。
 どう責任をとってもらえば浮かばれるだろうか?(9日4:30時点では異常も異状もない)。


 イザイ(Eugene Ysaye 1858-1938 ベルギー)の「悲劇的な詩(Poeme elegiaque)」Op.12(1892-93)。

 イザイについてはこちらをご覧いただきたいが、この曲、哀愁そのものといったメロディーが、インフルエンザでゾクゾクするようにゾクゾクさせる作品。
 フォーレに献呈されたが、イザイの葬儀の際にも演奏された。

 本来は独奏ヴァイオリンとオーケストラのための作品だが、ここではヴァイオリンとピアノによる版で。

 ツィンマーマンのヴァイオリン、ストラビオリのピアノ。

 1994年録音。EMI(現在はワーナー)。

  こちらの人も来ないで!
 常識がないといえば、いまさらになって言うことでもないが、中国系観光客のふるまいである。

 なんであんなにやかましく、無秩序な動きをするのだろう?って、疑問に思っても解答はないわけだけど。


 先日の新千歳→中部セントレア便では、子どもがギャーギャー泣いていた。
 それはしかたない。きっと気圧の変化で耳が痛かったのだろう。
 問題はそれを叱ってる、あるいは言い聞かせている、もしくは(とてもそうは聞こえなかったが)あやしてる親の声。
 父親の声がやたらでかくてうるさいったらありゃしない。
 ときおり発する母親の声も大きくて耳障りったらありゃしない。


 あるいは最終の着陸態勢に入ったというアナウンスがあったのにリクライニングを戻さない女性。言葉が解らなくたって常識でわかるだろうに(後ろに座っていた男性客が怒っていた)。

 そしてまた、中国系の女性観光客ってなんであんなにトイレが長いの?


 空港でも大声で仲間を呼んだり、到着した飛行機から降りたはいいが、ボーディングブリッジを渡ったところで記念写真をとって邪魔以外の何ものでもない集団、ありゃいったい何だ!こいつらの背景に自分が写りこむなんてまっぴらごめんだし、そのせいでミュースカイを1本逃してしまった(指定券であるミューチケットを持ってないのに平気で座っている奴も、いつも必ず見かける)。

 他のお客様のご迷惑になる、つまり迷惑行為をする客は搭乗させないくらいの毅然とした態度はとれないものか?

 爆買いがなくなって嘆いている百貨店や家電量販店?
 爆買いがなくなって大いに結構。店がごちゃごちゃになってなくてこちらとしては喜ばしい。

 それで景気が悪くなる?
 爆買いなんてずっと前からあった現象ではない。いつまでも続くわけがない。

 景気が良くなるためにあちらの人々に迎合なんてしないでほしい。
 そんなこと嘆いていたら、尖閣をよこせば爆買いしに行ってやると言いかねない国だ。

激励のお気持ち承り所
最近寄せられたコメント
これまでの御来訪者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

メッセージ

名前
メール
本文
このブログの浮き沈み状況
読者登録
LINE読者登録QRコード
QRコード
QRコード
本日もようこそ!
ご来訪いただき、まことにありがとうございます。

PVアクセスランキング にほんブログ村
サイト内検索
楽天市場 MUUSAN 出張所(広告)

カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
タグ絞り込み検索
ささやかなお願い
 当ブログの記事へのリンクはフリーです。 なお、当ブログの記事の一部を別のブログで引用する場合には出典元を記していただくようお願いいたします。 また、MUUSANの許可なく記事内のコンテンツ(写真・本文)を転載・複製することはかたくお断り申し上げます。

 © 2014 「新・読後充実度 84ppm のお話」
  • ライブドアブログ