ソバもあったが、あえて名古屋名物を選択
火曜日の金沢出張。
今回は開元さん(初登場)と一緒だったので、まだ昼食には少し早い時間だったが、前からひそかに気になっていた、でも1人では入る勇気がとても出ない、名古屋駅のホームにあるきしめん屋でイカ天きしめんを食べた。
本当はエビ天にしたかったのだが、食券の自販機のボタンを押すときに悪魔がささやき、なぜかイカ天の券を買ってしまった。
この店は注文してから天ぷらを揚げる。(そのように書いた堂々たる貼り紙がある)
その揚げたてのイカ天は巨大で、なのに軟らかすぎるほど軟らかかった。けど、開元さんが頼んだエビ天も美味しそうだった……
きしめんの方は、ウチの冷凍庫にある冷凍うどんとほとんど同じものだ。
違いは平べったいかどうかだけだ。少なくとも私にはそう思えた。
となると、荒涼庵のそばと同じ。
あそこの麺も冷凍だった。
いくら立ち食いでもちょっと残念だ。
ましてそれを目の当たりにしてしまう店の造りだから、都度都度天ぷらを揚げていることとのギャップを大いに感じた。
最近撤去が相次いでいる札幌駅のホームの立ち食いそば屋は冷凍めんじゃなかった気がするけど……
ただ、ここのおばちゃんの、天ぷらを揚げはじめるタイミングと冷凍めんをお湯に投入するタイミングの絶妙なコントロールによって、両方が完全一致で仕上がるという技は見事だ。
ってことは、私はA?いやぁ~ん、離れられないぃ~
始発の名古屋から私の隣には年配(私より年上という意味で)の男性が座った。
ほのかにセメダインA+B混合エポキシ強力接着剤のB液のような臭いがした。
根拠はなんにもないが、B液の臭いがする人がインフルエンザ・ウイルスを保有していることはない気がして、安心した。
少し離れた席には車内に乗り込んできたときから脚を踏まれたカラスのようにギャアギャアやかましいおばちゃん3人組が座っていた。この人たちは生まれてからこのかた-概ね60年強-インフルエンザにかかったことなんてないに違いない。
席を向い合せにし4人掛けボックスシート状にし、缶ビールやら缶チューハイをがんがん飲んでいた。
途中の長浜駅。若いサラリーマン風の男性が乗ってきた。
そして、彼が持っていたのはよりによってボックスの窓側の指定券。
大当たりぃぃぃぃ~っ!である。
気の毒極まりないことにを、彼はその魔窟に入り込まなければならなかった(私だったら瞬時にたとえ立ちんぼになっても自由席で過ごすことを決意するだろう)。
いろんな意味で急に食欲がなくなったんです
彼は弁当らしきものが入ったコンビニの袋を持っていたが、ついぞそれを車内で食べる機会も勇気も根性もなく、乗車してきたときと同じようにカバンとコンビニの袋を手に下げて福井で降りた。
そりゃそうだ。席を回してボックスにしているのだからテーブルがないことになる。
いや、そんなことではない。黒で三方を囲まれた白い碁石のように身動きできないだけではなく、下品な話を汚い言葉でしゃべくりまくっているあの異様な空気の中で、食事が喉を通るわけがない。私なら水でも吐いてしまいそうだ。
ここで私は良いことを思いついた。
いや、彼を救おうなんて気はさらさらなく、自分のことだ。
ウォークマンで音楽を聴けばいいのだ。もちろんノイズ・キャンセラをONにして。
私は彼の気持ちを察して、祝典的をかけるのは控え、ショスタコの11番にした。 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第11番ト短調Op.103「1905年(The Year 1905)」(1957)。
ここやここなどで書いたように、1905年に起った革命を題材にした作品である。
先日、第12交響曲の演奏を取り上げたN.ヤルヴィ/エーテボリ交響楽団の演奏を。
ここでのヤルヴィは第12番でちょいと垣間見せた「くそまじめになんてやってらんねぇよ」という裏読みを感じさせず(曲の性格のせいもあるが)、極めてシビアに厳粛に曲を進めていく。
が、それがなかなか迫真の“わざとらしい”演技のように聴こえてきて、にやりとさせられる。上手いなぁ~。
1989年録音。グラモフォン(TOWER RECORDS UNIVERSAL VINTAGE COLLECTION +plus)。
前回も書いたように、私が持っているCD(写真)は廃盤。
このセットで聴くことができる。
日本人のくせにかしましいことこの上ないあの3人組は、金沢まで乗らずにある温泉地の駅で下車した。
きっとあの日の夜は旅館ではち切れまくったに違いない。お~、怖!
ところで、もう全然喜ぶ年ではないと言い始めてもう何年も経つが、今日は誕生日である。私の。
そんな日から、また新たに服用しなければならない薬が1つ増えてしまった……
やれやれ……
そのお話については、日を改めてご報告したい。