新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は江別市「らーめん しょう」の味噌ラーメン。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

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2017/01

「か」が抜けててかわゆ~ぃ!♪ボロディン/中央アジアの草原にて

P1050456  ローカルでの高速の必要性
 さて、無線LANディスク(NAS)の話である。


 前回書いたように、これまでもインターネットを利用する分には、さして遅さを感じていない私だった。しかし、PC と NAS(NAS というのは Network Attached Strorage の略) の間の通信速度の遅さに、「カメか?こいつは!」と、困ってしまってワンワンワワンになってしまった。

 契約している光回線の速度以上の能力をもつ無線LANルーターを使う意味なんてないという人もいる。
 だが、光回線による外界との通信以外の、室内の閉鎖されたネットワーク(ローカルネットワーク)の中では、高速な環境でないとみじめな思いをするケースもあるってわけだ。
 私もNASを使い始めるまで、そんなこと考えたこともなかった。

 無線ルーターの方は最大 867Mbps の能力がある。

 なのにカメ並みの速度しか実現しないのは、PC側の事情による。
 それはわかっているが、それにしても遅すぎないか?

 私が使っているNASはデータ転送の速さを前面に打ち出しており、その最大転送量は116MB/s(理論値。以下も特に断らない限り同様)である。
 だから、1秒間に116MBという最大値ははなから実現しないとわかっていても、せめてその半分、いや3分の1の恩恵を授かりたい。


  8bps=1B
 釈迦に説法かもしれないが、ここであらためて単位について説明しておこう。

 通信速度で出てきた Mbps は Mega bit per second の略で、1秒あたりに送れるビット数である。
 54Mbps なら 1秒間に54メガビットのデータを転送できる。


 1B(バイト)は8ビットなので、bps をバイトに換算するには8で割ればいい。
 300Mbps ならば1秒間に 300÷8=37.5 メガバイトのデータを送ることができる。54Mbpsだと 6.75MB だ。

 逆にこのNASの転送速度116MB/sをビットに換算すると 、928Mbps。だからいま使っている867Mbps(108MB)の無線LANルーターでは能力不足。どんなにがんばっても最大値は108MB/sまでということになる。


 ちなみにマウスやUSBメモリ、あるいは外付HDDを接続するUSBポートの速度は、USB3.0で5Gbps(625MB)、USB2.0 だと480Mbps(60MB)である。

 つまり、このNASが理論値通り働いたあかつきには、同じデータならUSB2.0ポートに挿しこんだUSBメモリへ転送する場合に比べると、約半分の所要時間で済むことになる。

 
 ところがである。

 リッピングした音源ファイルをNASにコピーして、私は立ちくらみがした。

20170128NAS1730K  1ケタ間違ってません?
 転送スピードが2MB/秒前後しか出ていないのである。
 換算するのも虚しいが、16Mbpsである。


 このPCの内蔵LANががんばってだしている平均通信速度は 54Mbps(6.75MB)だ。

 だったらせめてそれに近い 6MB くらい出てくれてもいいようなものだ。私がPCならそのぐらいのことは果たしてご主人様を喜ばすに違いない。

 単純な計算になるが、取り込んだCD1枚分のFLAC音源ファイルのサイズを 400MB と考えると(FLAC形式に圧縮しない、CDそのものの最大容量は700MB)、 この圧縮ファイルを毎秒 2MB で送るのに 200秒、3分もかかることになる。
 6MB のスピードが出てくれれば約1分。

 3分ぐらいならいいじゃないかって?
 まっ、カップヌードルが出来上がると同時に、転送は終わる。
 
 でも、1枚ならいい。がまんもできる。


 先日、すでに外付HDDに取り込んであったCD約100枚分のファイルをNASにコピーしたところ、5時間以上かかった(コピー当初は終わるまで14時間かかるという途方に暮れる表示が出た)。
 朝起きて作業を開始し、その間シャワーを浴び、朝食をとり、コーヒーも飲み、スーパーに買い物に出かけて帰ってきて、さてお昼は何にしようかしら(マルちゃん正麺のしょうゆと味噌のどちらにしようかしらん?)とぼちぼち考え出したころに、ようやくコピーが終わったのだった。

 転送速度が 2MB って、いくらなんでもひどすぎないか?
 NASが本来持つ能力の1.7%しか発揮していないことになる。

 送るのが遅いということは、当然受けるのも遅い。
 NASにある音源をPCで再生すると、それだけだと問題ない。
 こういう計算が正しいのかどうか自信はないが、400MBに圧縮された音源ファイルが再生時間で70分とする。
 1秒あたりのサイズは0.095MBなので、NAS→PCに毎秒2MB平均で信号が送られてくれば、音楽再生に遅れを取ることはない。
 ただこのように再生しているときに別な作業でNASにアクセスすると、CDでひどい傷がある箇所にピックアップが差しかかって、そこで進めも戻れもせずに繰り返しキュインキュインするような状態になる。別なアクセスと競合し転送速度が極端に落ちてしまうのだ。

 私は設定が間違っているのではないかと調べた。

 だが、マニュアルを見ても「カメモードになっていませんか?」なんて書いてないし、そもそもマニュアルに書かれているとおりに設定したわけで、ほかに手の施しようがない(どういう原因が考えられるのか見当がつかない)。手の施しようがないので、設定に間違いはないと信じるしかない。本体の正面と背面のランプもみな正常に光っている。

 NASはLANケーブルで無線LANルーターに接続しているわけで、この間の大きな減速は考えられない。
 つまり、PCと無線LANルーターの通信速度を上げるしかない。

 いまの平均速度 54Mbps をもう少し向上できないか?PCの能力限界の 300Mbps にできるだけ近づけることができないか?
 せめて最大値の半分の 150Mbps にまで上がってくれれば、単純に54から150へと3倍の 6MB は出るかもしれない(どっちにしろみみっちい話だ)。

 速度アップというほとんど無理そうな困難な課題に、私は真正面から取り組むこととした。


networkmap1  ふだんは物置部屋になっていr部屋でゴソゴソと
 まず、無線LANルーターの設置場所。

 私はリビングでPCを使っている。しかし無線LANルーター(図のAirPort**)は、トイレの前を通って玄関側の別な部屋にある(といってもわからないだろうけど)。
 というのも、光回線のジャック(モジュラージャック)がその部屋にあるからだ(図の地球の絵にあたる)。

 まず、その部屋の隅に置いてあったルーターを壁から離し、できるだけ中央に置いた(部屋の一辺の中央ということで、部屋のど真ん中ではない)。これで少しは電波が強くなるかもしれない。

 また電波干渉を避けるために、ワイヤーラックの上のルーターの横に置いてあるコードレス電話を、できるだけ離すために床に置いた。

201701IOSupport 電話が日常過ごす部屋にないのは極めて奇妙なことだが、上に書いたようにモジュラージャックがあるのはこの部屋だけ。だから、ホームゲートウェイ(図のPR-**MI)につながなければならない電話の充電器(台座)は、悲しいかな、この部屋に置くしかないのである。


 もっとも、2.4GHz帯の電波はコードレス電話や電子レンジの干渉を受けると言われるものの、これまでの経験では電話を使ったりレンジを使ったときに通信が切れるといった現象に遭ったことは私はない。
 それにコードレス電話機は、使わずにただ充電器の上に置かれている分には、電波は出していないだろう。たぶん。

 アイ・オー・データ機器のサポート・ページを見てみると、USB接続した外付HDDが電波干渉することがあると書いてあった。

 外付HDDはPCのすぐ横に置いてある。
 これは改善につながるかもしれない。

 HDDに付属していた 1m のUSBケーブルを、2m のものに取り換えてPCから離してみた。
 にしても、そんな甘えた聞き方しないでぇ。


 ついでに-関係ないと強く思っているが、絶対に関係ないとは(私の知識では)言い切れない-“ワイヤレスネットワークのプロパティ”で“インテル接続の設定を有効にする”を“無効”にした。
 同じ画面で“さらに優先順位の高いネットワークが利用可能な場合は、そのネットワークに接続する”のチェックも外した。

PSPriolity

 こうすることで、もっといいところがないかなぁとキョロキョロせずにAirPort**一筋で腰を据えてくれるだろう。落ち着いてくれることで、通信が安定するかもしれない。

  床に正座、から救われた電話機

 そのあとで“ワイヤレスネットワーク接続の状態”を見てみると、おぉっ!

PS130M

 たまに 54.0Mbps の数値が出るが、78.0、104.0、117.0、130.0、144.0 という、大喜びでとまではいかないまでも、努力が報われる数字が表示されるようになった。

 コードレス電話はまた元の位置に戻した。それで速度がまた落ちることはないようなので、おそらくはPCの近くにあったHDDと、ほんの30cm程度だが中央寄りにルーターの位置を動かしたことが功を奏したと思われる。

 でも、ここに表示される速度って、PC⇔ルーター間の速度なんですよね?
 そのことも、実は私には確証がない。

 期待に胸ふくらませ、でもどうせだめだろうという自虐的な気持ちの中、ふたたび外付HDDからNASに音楽ファイルをコピーする試験を行なった。

 ▽※$◆%?……

 まったく速度は変わらない。
 自虐は的中した。
 まいった……

 とそのとき、私はあいつのことを思い出した。……まだ続く

  コンパクトだが、交響詩の傑作
 ボロディン(Alexander Borodin 1833-1887 ロシア)の交響詩「中央アジアの草原にて(On the steppes of centrak Asia)」(1880)。

 交響詩と呼ぶには小さな(身近な)作品だが、交響詩-標題音楽の1つの形式だが-で、これほど情景がわかりやすく描写されたものはない。

 ひじょうに有名だが、ポピュラーになりすぎて、逆にいまでは演奏されたり、聴かれる頻度が落ちているかもしれない。

 作品についてはこの記事で詳しく書いているが、場所は中央アジアの草原。

 アジアの隊商がロシア兵に護衛されながら進んで行く様子を描いたもので、楽譜の扉には以下のように記されている。

 《見渡すかぎり広々と広がる中央アジアの広原を平和なロシアの歌が不思議な響きを伝えてくる。遠くから馬とらくだのあがきに混じって東洋風の旋律が響き漂う。アジアの隊商近づく。かれらはロシア兵に護衛されながら果てしない砂漠の道を安全に進む。近くなり、やがて遠ざかっていくロシア人の歌とアジア人の旋律がうまく合して不思議なハーモニーを作る。そのこだまは次第に広原の空へ消えていく》(全音楽譜出版社のミニチュア・スコア解説より)。

 ここに書かれている通り、ロシアの歌とアジアの歌が交互に聴こえてきて、それが融合し、遠のいていく。
 いやまったく、いつ聴いても新鮮な気分にさせられる。

 N.ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団による、このような小さい曲ながらも丁寧に、そして民族色がきちんと表現されている演奏を。

 1989年録音。グラモフォン。

彼女が居続けるワケは?♪LvB/「魔笛」による12の変奏曲

BeethovenVcSonata  ひがしむらやぁ~まぁ~
 先週はワケあって連日夜の飲み会が続いた。
 そのため、時間的には寝不足ではないのに、毎日瞳の裏側で悪魔がダンスをしているような、また瞳の表側は妖怪が日舞を演じてるような、そんな違和感があった。

 こんな酒浸りにもかかわらず、朝、部屋で目の前に小さな虫が飛んでいるのが見えた気がして、アル中患者が酒切れしたときの幻覚かとおののいたが、実際のところコバエよりもさらに小さなミニコバエが飛んでいた。

 安心したが、でもミニコバエが飛んでいることに怒りを感じ、その姿を見つけては両手の手のひらで挟み打ちしてやろうとしたが、パンッと柏手を打ったあとも手のひらには死骸がへばりついてなく、そんなのを繰り返しているうちに、確かに他に誰かが見ているわけじゃないが、志村けんの東村山音頭の振りの練習をしているみたいで自分に嫌気がさした。

 このミニコバエは部屋にある鉢植えの土からパスツールも驚嘆する自然発生をしたのではないかと思ったが、どうも土を凝視してもほかにそのような仲間もいないようで、もしかすると換気口から入って来たのではないかという思いもしている。

 こうなると換気口に虫除けスプレーでもかけておかなければならないかなと思ったが、果たして虫除けスプレーが蚊とかではなくミニコバエにも効果があるのかわからないので、実行できずにいる。
 あっ、世の中にはコバエコナ~ズとかいう名の画期的な商品があったっけ。

20170125SevenMakunouchi  でもいちばんうれしいのは赤いウインナー……
 そんななか(どんななかかは自分でも知らないが)、水曜日に買った弁当は新発見だった。
 なぜ新発見かというと、新発売だからである。

 セブンイレブンの幕の内弁当。

 鮭が鯖なのがいい。

 いや、鮭の切り身は好きなのだが、こういう弁当に入っている鮭は往々にしてなぜか妙に鮭臭い。
 鮭臭いのが北海の鮭らしいというのは必ずしも当たっていない。蒸し焼きするからそうなるのだろう。

 それが鯖となるともっと危険だ。
 砂漠サイト、これこれ、鯖臭いと鮭臭いよりもっとひどいことになると、酒臭い私は思うのだが、この弁当を食べると、いえいえどうして、全然そんなことがなくおいしく召し上がることができた。

 あまりに気に入って翌日も同じのを買ってしまったが、実は翌日はhottomottoに行ってちょいと豪華な幕の内弁当を買おうかとも考えていた。
 しかし、買いに行く前にあらためて手元にあるパンフレットに書かれた値段を見ると790円。

 これは錦城の担担麺セットよりも10円高いし、FANNY弁当よりも110円も上だ。
 並んで給餌を待つとか、まったく見知らぬ人と相席になって見て見ぬふりをしながら頑なに食うことに専念するというストレスはないものの、やはりそれにしてもお値段がはるからとhottomottoに行くのは止めて、またセブンイレブンに行き、じゃあハンバーグ弁当にしようかなと思ったものの、それをよく見るとハンバーグ以外のおかずで好きなものがまったくなかったので、また同じ幕の内を買ったということだ。

 もし前日と同じ店員のいるレジに持って行くと、私が日々、食に対して何の変化も求めていない怠惰な奴と思われるかもしれない。それが嫌で、もう一方のアルバイトの娘が懸命に働いているレジに行こうと考えたものの、その娘は急に肉まんの補充作業にとりかかってしまい、代わりにいやいや立ったのは、手入れしていない髪がボサボサでいかにも貧乏たらっしく非衛生的で、それに加えて愛想はないし態度も悪く、こいつ絶対なんとか極力楽をしながら1日を終えようと考えているのがその動きからみえみえな、やる気のないふてぶてしい女店員だったので(彼女なら「温めますか?」と聞くことさえしないかもしれない。それにしても、1年間見てきたが、このおばさんがクビにならないのが不思議だ。オーナーもしくはオーナの妻、あるいはオーナーの親戚、もしくは本部の特命派遣員なのだろうか?)、前日と同じリュルさんだかクリャバさんだかに会計してもらった。

  チェロは助奏役
 ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の「モーツァルトの『魔笛』の『娘か女か』による12の変奏曲(12 Variationen uber das Thema 'Ein Madchen oder Weibchen' aus der Oper 'Die Zauberflote' von W.A.Mozart)」ヘ長調Op.66(1796)。

 チェロとピアノのために書かれた、ベートーヴェンがまだ若かりしころの作品。
 テーマとなっている曲は、「魔笛」に出て来る愛すべきキャラのパパゲーノが歌うアリア。
 ベートーヴェンがピアニストだったせいだろう。チェロよりもピアノの扱いに重きが置かれている。

 今日はフルニエのチェロ、ケンプのピアノの演奏を。

 1965年ライヴ録音。グラモフォン(TOWER RECORDS VINTAGE COLLECTION +plus)。


 ベートーヴェンは同じ「魔笛」からパミーナとパパゲーノの二重唱をテーマにした、「モーツァルトの『魔笛』の『恋を知る男たちは』の主題による7つの変奏曲」変ホ長調WoO.46(1801)も書いている(このCDにも収められている)。
 こちらもチェロとピアノのための作品だが、こちらではチェロもピアノに負けない活躍をする。

 日曜日に散歩をしていると、盆栽を地植えしたような小ぶりな木が梅らしき花をつけていた。
 よそのおうちの木ですが、撮らせていただきました。

20170129Ume

理想と現実のはざまの中で……♪LvB/Sym7(バーンスタイン/BSO)

Beethoven7Bernstein  あなたならどっちを選ぶ?
 CDのリッピング作業
 地道にちんたらとめげることなく行ない続けてその後も進めている。


 取り込んだ音源ファイルは外付けのハードディスク(以下HDD)と無線LANディスク(NAS)に保管。一方がメイン保管場所で、もう1つがバックアップである。


 リッピングによる音源の保管は、

 ① 外付CDドライブ →(USBケーブル)→ PC →(USBケーブル)→ 外付HDD
 ② 外付CDドライブ →(USBケーブル)→ PC →(無線LAN)→ NAS


という2つの方法がある(PC内蔵のCDドライブがしばしば予期せぬときに気を失ったり、ディスクが引きこもって出て来なくなるようになったのは痛い。まったく関係ない話だが、私は内臓料理は苦手である)。

 またこの音源ファイルを再生するには、

 ① 外付HDD →(USBケーブル)→ PC →(USBケーブル)→ DAC内蔵CDプレーヤー
 ② NAS →(無線LAN)→ PC →(USBケーブル)→ DAC内蔵CDプレーヤー


という同じく2つの方法がある。

 要するに、通常使う保管場所をどちらかにするかの違いだが、誰もが迷わず選ぶのはリッピング&再生用にNASを使い、外付HDDをバックアップ用にするという方法だろう。

 だが、そう簡単にいかないのが不幸な星の下に生まれた私の宿命である。


  ボトルネックはどぉ~こ~だぁ~?
 私を悩ませているのは無線LANである。

 ここで世の中の無線LANの規格と速度を整理すると、


   [規格]      [最大速度]  [周波数帯域]
 IEEE802.11b    11Mbps     2.4GHz
 IEEE802.11a    54Mbps     5 GHz
 IEEE802.11g    54Mbps     2.4GHz
 IEEE803.11n    300Mbps    2.4/5GHz
 IEEE803.11ac  1300Mbps     5 GHz


ということになっている。

20150224IO My PC は5年前に購入したノートPC(ウインドウズ7)。

 内蔵ワイヤレスLANは 11n 対応(b/g/n準拠)。つまり、11b と 11g と 11n での通信ができる。

 逆に言えば、対応しているのはいちばん速いものでも 11n なので、300Mbps 以上の速度はパソコンを頭の上にかざそうが、(無線である意味がなくなるが)無線LANルータの目の前でパソコンを使おうが、時間が経って固まってしまったバリウムのように出ないものは出ない。

 しかも 11n ではあっても、障害物に強く距離も長いが電子レンジやコードレス電話の電波干渉を受けやすいという 2.4GHz のみに対応。5GHz 帯は受信できない。

 一方、使っている無線LANルーターは、11ac にまで対応した機種で(ここに書いたように、購入したいきさつはソフトバンクのレンタルが高いことに気づいたからである)、最大速度は 5GHz帯 の 11ac で867Mbps をビシバシ放出するタイプ。2.4GHz 帯での最大速度は 11n の 300Mbps である。

 ただ、いくらビシバシ放出してくれても、上に書いたようにPC側が最大でも 300Mbps までの 2.4GHz・11n でしか受信できないので、私は高性能な 5GHz 帯の恩恵を授かることができない。

 完璧に宝の持ち腐れ、能ある鷹は爪を隠すじゃなく、能ない鷹子(今日のPCの源氏名だ)のせいで私は爪を噛む、という歯痒い状況に放置されているのだ。

PS54M 無線LANを使用しているときに、ウインドウズの“ネットワークと共有センターを開く”→“ワイヤレスネットワークの接続の状態”で通信速度を見ると、たいていの場合 54.0Mbps という値が表示される。たまに 78.0 とか 117.0 に上がるが、それはつかの間の幸せ。一瞬にして 54.0 に戻ってしまう。

 この部屋で契約している回線は“フレッツ光ネクスト 隼”なので、壁のモジュールジャックからLANケーブルで結ばれた無線LANルーターまでは(理論値だが) 1000Mbps(1Gbps)の通信速度がある。

 無線LANルーターの最大速度は 867Mbps だからここでちょいとブレーキを踏まれるが、PCの受信能力は 300Mbps しかないので速度はさらに半分以下に落ちてしまう。

 さらに悪いことは重なるもので、落ちてしまうといっても 300Mbps はあくまで最大速度の理論値。
 実際にはほとんど常に 54Mbps の速度しか出ていないわけだ。これを理想と現実のギャップという。

 ギガ速で担担麺が運ばれて来る錦城とはえらい違いだ。


  はやく感じていたんです、アタシ
 正直言ってこの速度でもインターネットを使っていてストレスを感じることはほとんどない。

 疥癬が腫れて、いや、回線が晴れて有線から無線になった瞬間に、1000M が 54M と 1/20 にまで落ちてしまっていて、そりゃすっごくすっごくもったいないが、ストレスを感じないし、カンジタところ、いや、感じたところでパソコンを買い替えない限りどうしようもないことである。

 帯広にいるときには、自宅に戻ったときにVista機を使うとその遅さにイライラし、逆に帯広の(いま使っているこの)PCは速いなぁと満足し何不自由していなかったくらいだ(ただし、自宅の方は昨年の春にウインドウズ10のノートに買い替えて、PCの能力ではこちらが劣勢に立たされている)。


 このようにインターネットは、まあよい。
 ところがである。
 この速度ではCDを取り込んだり再生するPC側と音源ファイルが保管されているNASとの通信にあたって、すっごくすっごく不自由な思いをすることが明らかになったのだった。……たぶん明日じゃない日に続く

 バーンスタイン/ボストン交響楽団によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の響曲第7番イ長調Op.92(1811-12)。

 1990年8月19日に行なわれたタングルウッド音楽祭でのライヴ。
 バーンスタインの最後のステージとなった演奏である。

 この演奏の約2か月後の10月14日にバーンスタインは亡くなった。


 遅いテンポのベト7の演奏として知る人ぞ知る演奏。
 晩年のバーンスタインの演奏は概してテンポが遅くなっていったが、ベト7ではそれがしみる。

 この年の6月。第1回目のパシフィック・ミュージック・フェスティバルが札幌を中心に開催された。
 私はバーンスタインがロンドン交響楽団を振った演奏会でこの曲を聴くことができたが、そのときも遅かった。

 あまり遅いと間延びして聴こえるものだと思うが、このときの演奏にはすごい深みのようなものを感じたのを記憶している。もちろん、バーンスタインがこのときすでに病に置かされているなんて知らなかったが……


そもそもASUNAROという命名が若者らしくないのでは♪JSB/農民カンタータ

BachHogwoodSet  補導されないなんてARIENAI!
 2002年秋、80万人の中学生が学校を捨てた。経済の大停滞が続くなか彼らはネットビジネスを開始、情報戦略を駆使して日本の政界、経済界に衝撃を与える一大勢力に成長していく。その後、全世界の注目する中で、彼らのエクソダス(脱出)が始まった――。壮大な規模で現代日本の絶望と希望を描く傑作長編。


 村上龍の「希望の国のエクソダス」(文春文庫)を読み終えた。
 上の文は、本のカバーに書かれているものである。


 読んだ感想はビミョー。

 SFではなく実際の西暦2000年前後の日本を舞台にしているのに(中学生ネットワークであるASUNAROが買収したものの1つに“洞爺湖を望む山の上に建つ有名なホテル”という、実際の建物(ホテルエイペックス洞爺)が出てきたりする)、ここまで現実離れしていると、おいおい作者はまじめにストーリーを考えてんのかよ、って思ってしまった。

 ちなみに、植物のアスナロは北海道で言うところのヒバのこと。
 檜(ヒノキ)に似ていて、明日は檜になろう、というこの木の願望からアスナロという名になったという俗説がある。井上靖の「あすなろ物語」でこの話が有名になったらしい。

MurakamiRyuExo Amazonのレビューを見ても評価が分かれており、希望がもてたという賞賛の声から、アホか?ってなものまで両極端。


 私は読んでも希望はもてなかったし、そもそもいくら優秀な中学生たちとはいえ、こんなにトントン拍子で思いを実現していけるわけがないだろうと読み進むうちにしらけてきた。
 だいたいにしてあんなに稼いで所得税はどうした?

 それと、これもレビューで指摘されているが、ストーリーの展開上ここまで必要ないだろっていうくらい経済に関する話が披露されていて、疲れた。


  もしかして、記者も勘違いした?
 私がこの本を買ったのは、ここに書いたように、北海道新聞で紹介されていたから。
 希望の国に選ばれたのが北海道の野幌(のっぽろ)だというので読んでみようと思ったのだ。


 野幌は札幌の隣の江別市に実際にある地名。
 小説の中でも“野幌”市と、漢字表記は同じだ。
 ただし、読み方は“NOHORO”となっている。


 物語では、NOHOROの場所は札幌と千歳の間にあると書かれている。しかし、江別は札幌と千歳の間ではない。札幌と岩見沢の間だ。

 北海道新聞の記事ではこの小説にからめて江別市野幌の千古園(野幌を開拓した関矢孫左衛門の住居跡地)という場所を紹介していたが、もしかすると村上龍の頭にあったのは上野幌の方かもしれない。
 新千歳空港から札幌に向かうときにJRがここを通るので、窓から見える景色に「おっ、この一帯に移住させればいいかも」と考えた可能性は低くないような気がする。

 上野幌駅は札幌市内ではいちばん千歳寄りの駅で新札幌駅と北広島駅の間にある。というか、すぐ横が北広島市との市境。住所としては上野幌というのはない。

 上野幌も、江別の野幌も広い野幌丘陵に位置するが、北海道新聞の記者の着眼と異なり、村上龍は江別市野幌は知らなかったかもしれない。

 もっとも、野幌市は13の市町村が合併したものなので、江別も北広島も、あるいは恵庭南幌長沼安平などいっしょくたということだろう。


  新たなるリーダー。ではなく、領主様
 今日の曲は、なんとなくバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)の世俗カンタータ「おいらは新しい領主様をいただいた(Mer hahn en neue Oberkeet)」BWV.212(1742)。
 俗に「農民カンタータ(Bauernkantate)」と呼ばれている作品で、詞はC.F.ピカンダー。24曲からなる。


 1742年の夏、ライプツィヒの近くのクラインチョハー村の新しい領主になったC.H.v.ディースカウの着任を祝う宴席で演奏された。

 私には理解できるわけがないが、歌詞にはこの地方の方言が用いられていて楽しいらしい。


 ピカンダーはそれまでもバッハのカンタータの台本を手掛けていたが、彼の本業は税金を徴収する役人だった。伝えられる話では、ピカンダーはディースカウに雇われることになり、上司となるディースカウをヨイショするためにこの台本を作ったという。

 曲の前半(第1~13曲)はディースカウを讃える内容。また、後半(第14曲以降)は祝宴で歌う歌を選ぶという展開で、民謡などが披露される。


 カークビーのソプラノ、トーマス(おやおや、またまたトーマスだわい)のバス、ホグウッド指揮アカデミー・オブ・アンシェント・ミュージックの演奏を。


 1986年録音。オワゾリール。


  長いけどウナギじゃありません
 ところで江別はレンガの街として有名である。

 毎年夏に“やきもの市”というのが江別駅前で開催されるが、そのイベントの1つにれんがドミノ倒しという

のがある。それが楽しいことなのかどうかはわからないが……


 また江別市のもう1つの名産に(といってもマニアックな人向けだと思うが)ヤツメウナギがある。
 石狩川で獲れるそうだ。


 ヤツメウナギはウナギと名はついているものの、本当のウナギとは別物の生物。

 私は江別ではなく、札幌市は手稲の居酒屋でヤツメウナギのかば焼きを食べたことがあるが、一口でギブアップした。味も食感もNo!ニ度と食べたいとは思わなかった。

 滋養強壮に良いらしいが、これを食べなきゃならないなら精力はあきらめて去勢牛のように暮らしたほうがマシだ。


だってこの建物、私のものだもん♪メンデルスゾーン/無言歌

ChopinAskenase  国が介入するほどの事件?
 しっかし、中国って国の思考回路というか腹の中ってどうなってんだろう?
 

 もちろん国民のすべてのがそうじゃないだろうが(マスコミが激情している中国人の画像ばかり選んでいるせいもあるだろうし)、火がついたら集団ヒステリー状態になるって感じだ。

 しかも民間企業のやることに、政府までが介入して来るとはレベルが低いのか、あるいは過激な連中に迎合しご機嫌をとろうとしているのか……

 APAホテルの件である。


 1月24日の“YAHOO!ニュース”(出典:朝日新聞デジタル)の記事はこうだ。


 アパホテルの利用中止要求 中国政府、国内旅行業者に アパホテルの客室内に南京事件などを否定する本が置かれ、中国で反発が強まっている問題で、中国の国家旅遊局は24日、自国内の旅行業者や宿泊予約サイトに対し、同ホテルの利用中止や広告の撤去を要求したことを明らかにした。国営新華社通信のニュースサイトなどが伝えた。大手予約サイトでは、すでに同ホテルの予約ができなくなっていた。
  同局は「日本事務所を通じて、日本側に厳正な申し入れをした」としており、観光客にも同ホテルを利用しないよう呼びかけている。広報担当者は「中国の観光客に対する公然の挑戦であり、旅行業界の基本道徳に反する」と話した。
  ホテルを経営するアパグループは「日本には言論の自由が保証されており、一方的な圧力によって主張を撤

回するようなことは許されてはならない」との見解を示しており、本の回収は考えていないとしている。
                                                (北京=延与光貞)


  仏教徒は心静かに眠る
 これって、“中国の観光客に対する公然の挑戦”なの?
 そんな気全然ないと思うけど……
 話を都合のいいように膨らませ過ぎじゃない?


 この本に書かれてあることが正しいか正しくないかは別として、経営者である元谷氏が自分の著書を客室に置くのは自由。嫌なら黙って利用するのをやめればいいだけの話。
 例えば、「ウチは全室禁煙。いやなら他のホテルをお探しください」と言われて、喫煙族に対する公然の挑戦ってことにならないですよね、たぶん。

 しかも国までが一緒に声を上げるなんて、国家としてのどんな感性・感度なのかと思ってしまう。

 そもそも、客室にある本を真剣に読む人なんてそんなにいるのかね?


 ホテルの客室に聖書を置いてあることも多いが、他の宗教を信仰している人がそれで騒ぎを起こしたという話は聞いたことがない。
 熱狂的なタイガース・ファンのオヤジが経営する“居酒屋・虎王”に入って、「俺はジャイアンツ・ファンだから壁の旗を下せ」なんていう奴がいるだろうか?


 ヤマト運輸に殴りこんだ奴とか、店員に土下座させるとか、そういう困った人たちと同じに見える。

 つまり客(消費者)なんだから、何をやってもいいっておごりだ。

 また、APAホテルのサイトにサイバー攻撃をするというのも、気に入らないから刺した、みたいな自己チューに匹敵するものがある。
 

 また、この件に関して中国人漫画家の孫向文氏が書いていることは、説得力がある。


  多少硬くなってもいいからよく焼きたいのっ!
 私はAPAホテルをしばしば利用する。
 しばしば利用するが、APAホテルが好きかというと、特に気に入っているわけではない。
 宿泊料が安いホテルを探すとAPAになることが多い。それだけだ。
 同じ料金で他があったら、そちらのホテルにする可能性が高い。


 部屋に置いてあるいくつかの本。そのなかの妙な漫画本は一度読んだ
 読んでやれやれって気になった。


 いま問題となっている本のことは知らないが、漫画本にしろ何にしろAPAグループの経営者の成功秘話や経営哲学などの紹介だ。

 自己主張が強いのは、私は好きではない。

 要らないというのに「美味しいですから」と執拗に温泉まんじゅうを勧める宿のおかみ。

 よく焼きたいのに、「もうじゅうぶん焼けてますよ」とまだ真っ赤な牛ロースを勧める焼肉店の巡回女店主。

 いやだと言っているのに、私たちと一緒に祈りましょうと声をかけてくる帽子をかぶったおばちゃん。

 いずれも苦手だ。あっ、自己主張というのとはちょっと違うか……


 だから経営者の姿が前面に出ているAPAホテルは好きではない。
 だが、ただ泊まるだけのことにそれがどれだけ支障になるというのかと考えると、私の場合はならない。

 だいたいのパターンは、酒を飲んで10時ぐらいに部屋に戻り、朝の8時にチェックアウト。

 1泊6000円のAPAと、1泊9800円ののビジネスホテルがあったとしたら、APAを選ぶのが自然な判断というもの。


 要するに、たとえ記述内容はどうであれ、国家レベルで文句をつけることじゃないような……と思ったってこと。
 繰り返すが、いやなら利用しなければいい。無言の抗議が広がってホテル運営に支障がでたら、そのときはそのときで経営者が対応策を考えることだろう。

 ビジネスの成功事例として元谷氏の著書を参考にしようとする人もいるだろうが、でも、そもそも日本国民に広く存在が知れわたっている本ではないはずだ。

 なお、今回のAPAホテルの毅然とした態度は立派だと思っている。

 メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn[-Bartholdy] 1809-47 ドイツ)の「無言歌(Lieder ohne Worte)」(1829-45)。

 全8巻48曲からなるピアノ作品集である。

 今日はアスケナーゼのピアノによる3曲の録音を(ショパンの「即興曲」とのカップリング)。
 収められている3曲は、

 第1番ホ長調Op.19-1「甘い思い出(Sweet remembrance)」(1831。第1巻第1曲)
 第2番イ短調Op.19-2「後悔(Regrets)」(1832。第1巻第2曲)
 第34番ハ長調Op.67-4「紡ぎ歌(Spinnerlied)」(1845。第6巻第4曲)

 なお、この3曲のタイトルはいずれもメンデルスゾーンがつけたものではない。

 1968年録音。グラモフォン(TOWER RECORDS UNIVERSAL VINTAGE COLLECTION +plus)。

  いえ、はじめっからです
 ところで、昨年の12月に私は富山のAPAホテルに泊まった
 APAホテルらしくない造りで、どこかのホテルを買収したのだろうと書いた。


 その何日か後に若園課長が富山に出張に行った。
 彼は現地からこうメールを打ってきた。


 いま、富山駅からタクシーに乗ってます。運転手さんに「このAPAホテルは元は何だったんですか?」と聞いてみたら、「できたときからAPAですよ。どうしたんですか?」と素っ気なく言われました。


 すまん、若園課長。

 私の勝手な思考によるブログ記事を読んだ純粋な若園課長は、私の推察をすっかり信じ込み、富山の街で恥をかいてしまったのだった。


 が、ありがとう。
 もやもやしていた疑念が解け、すっきりすることができた。

腹がタルタルになります♪栃木県soによる「リトミカ・オスティナータ」

IfukubeTochigiso  私は老いた事務労働者
 コンビニ弁当のことを書いたばかりで、そしてまた今の私には昼食からコンビニ弁当を排除することは極めて困難だが、それでも月曜日に買った弁当は、代謝が低下した年齢層にある私にとっては無謀な選択だった。

 この日、いつもの398円幕の内を買おうと思ったのだが、その下の棚にあった弁当がなぜか気になった。

 ふだんなら「重いなぁ」と手にしないだろう。
もちろん弁当の重量が手にするには重すぎるのではなく、ボ」リュームがありすぎるという意味である。
 これを選ぼうとしているところを私の主治医が見たら、またこう言うに違いない。「若い肉体労働者じゃないんだからっ!」と。

  油たっぷり、酢ちょっぴり

 その弁当は“チャーハン&タルタルチキン南蛮弁当”である。
 恐るべき組み合わせだ。タタール人が南蛮渡来し中華料理店に攻め込む感じだ。

 でも買ってしまった。
 このとき私はかなり空腹だったんだと思う。選んだのは抗しきれない脳からの指令である。

 食後は血液の中性脂肪と血糖値が急上昇し、乳濁して流れが悪くなったことだろう。
 自覚症状はないが、一応大学卒なのでそのぐらいの仮説をたてることはできるし、仮説が正しいこともうすうす感じている。
 できて感じもしたが、だが食べててしまったあとだからどうしようもない。
 私の席のすぐ近くで仕事をしている女性社員は全然スマートなのに机の上にはカロリミット茶のペットボトルを置いている。それを目にするといっそう罪悪感に襲われる。

  販売エリアの怪
 この弁当もまた、セブンイレブンのサイトを見るとでは首都圏が販売エリアになっている。
 なぜこのような情報になっているのだろう?
 もちろん私は四ツ谷や五反田まで買いにいったわけではない。名古屋で買ったのだ。

 食べたあとの満足感、というか、満腹感は抜群だ。
 ガツンとくる。
 繊細さはなく粗削りだが、迫力とパワーは十分だ。
 や~まだぁのリトミカ@栃木のようだ。

 私は全部を食べきれなくて残したくらいだ(スパゲティを2本)。

 それにしても徹底して余計なものを排除し、若者に迎合するような内容だ。
 つまり衣に油が十分にしみ込んだから揚げにたっぷりとタルタルソースがかかり、主食は油を心ゆくまで吸い込んだチャーハン。そしてケチャップがからみついたスパゲティ……
 容器内では食物繊維が著しく欠乏しており、豊富な油分、糖分は即行で消化管内で吸収されてしまう。
 仕切りのバラン(プラスチック製のシート)を野菜代わりに食べた方がいいだろうのかと迷ったくらいである。

 若者は腹を満たし午後への活力を作りだすが、私の場合は腹を満たし活力になる前に内蔵脂肪になって蓄積してしまう。つまり39歳以上の方はお求めになってはいけない商品だと思う。
 

  激しい曲だからといっても粗いタッチはいただけない
 伊福部昭(Ifukube,Akira  1914-2006 北海道)の「ピアノとオーケストラのための『リトミカ・オスティナータ』('Ritmica Ostinata' per Pianoforte ed Orchestra)」(1961)。
 ↑ この曲名表記は今日紹介するCDに従ったものだが、私としては「ピアノと管絃楽のための『リトミカ・オスティナータ』」の方がしっくりする。古いニンゲンですいません。

 その本日の生け贄、じゃなく、CDは山田令子のピアノ、荻町修指揮栃木県交響楽団による演奏。

 このところ山田は伊福部弾きとしてすっかり定着した、かどうかはわかわらないが、伊福部のスペシャリストのように位置づけられている。

 指揮の荻町修については、前に書いた今井聡同様、私にとってはまったく未知の指揮者。
 ライナーノーツによると、

 ・1990年から栃木県交響楽団の指揮者を務めている
 ・2010年にも山田のソロで「リトミカ」を指揮し、大喝采を浴び、伊福部家ご遺族から支持を得た
 ・氏が吹奏楽指導をした学校はことごとく栃木県代表になった


ということである。

 さてこの演奏だが、同じく山田が弾いた井上道義/東京soのライヴと比べるとさすがにレベルの差を感じる。 
 アマオケというわりにはなかなかの演奏。だが、個々のパートではミスもけっこう聞こえる。
 そしてまた、指揮者の力量によるところが大きいのではないかと思われる。前のめりというか上ずっているというか……。ノリはいいんだけど。
 終盤ではオーケストラは空中分解寸前。まあ、よく崩壊せずに乗り切った。

 山田の演奏も褒められたものではない。
 粗暴な性格を持つ作品であり、山田はパワフルに弾くが、でも粗暴に聴こえるのはいただけない。ミスタッチらしきものも少なくない。
 
 このようにあらためて録音で聴くとアラが目立つが、ステージを目の前にして聴いていた会場のお客さんたちは、スリリングだったろうし、そのパワフルさに鼻血ブーの興奮状態に陥らされただろう。
 拍手がそれを物語っている。

  キャスター留めてます?
 録音にも「あれっ?」と思うところがある。

 曲が始まってすぐ、ピアノは“かぶりつき”で聴いているように目の前に迫るように響く。
 しかし、それがすーっと、まるで後ずさりする雪女のように、あるいは電波状態が悪いラジオ放送のように音が遠のく。私はそのように感じた。

 この引き潮、満ち潮(というのは大げさだが)が何度か起こる。ピアノの位置が安定しないのだ。

 秘技・遠近法だ。
 さまよえるKAWAIだ。

 でも、精神衛生上よろしくない。

 2016年ライヴ録音。ゼール音楽事務所。

 ところで掲載しているジャケット写真は私の操作ミスで90°右に回転してしまったのではない。
 プラケースにはこの向きで入れられているのだ(この状態で左側が冊子の綴じしろ)。 

 反省を踏まえ、チャーハン&チキン南蛮タルタル弁当はもう買わない。
 次回はハンバーグ弁当の挑戦だ!(←反省がたりない)

軽くて舞い上がってしまいそう♪サーリアホ/風の色

SaariahoTocar  2枚足りない……
 みなさんは100円ショップで売っているパンツ(トランクス)を身に着けたことがおありだろうか?


 結論から先に言おう。
 私はある。
 それも初体験はつい最近のことだ。

 体験するに至った経緯は複雑なようで単純である。


 老朽化した下着、つまりトランクスを整理したところ、残った枚数が日々のローテーションを組むには少々きついことが明らかになった。

 これは追加する必要がある。とりあえず2枚組1袋でいいだろう。
 そう思って買いに行ったことから物語は始まる。

  店の人は昭和初期型
 ここでさりげなく触れているのだが、1か月ちょっと前にマックスバリュに行ったときのこと。

 マックスバリュが入っているビルには100円ショップやドラッグストアなどとともに前時代的な衣料品店も入っている。


 衣料品店の何が前時代的かというと、店の明るさ、雑然とした陳列、いつから置かれているのか在籍年数不明な商品の数々、店員の世代と、すべてが昭和の、それも高度経済成長期あたりの匂いがするところが、である。
 その洋品店(一度通路を通ったことだけはあるが、値札に書かれている商品価格は青紫色のインクのゴム印で押された明朝体風の数字だった)に行って、トランクスを買おうと思ったのだった(こういうときに無印良品とかシマムラがあれば便利だと、人生で初めて思った)。

 もしかすると、トランクスというハイカラな用語が通じなかったり、唐草模様のサルマタぐらいしかないかもしれないという不安があったし、価格破壊と言われて久しいにもかかわらず固定相場制時代のの為替レートのように高いかもしれないという不安はあったが、怖いもの見たさということもあって行くことにした。

 それにしても、そのむかし、ローラーゲームで反則すると10ドルの罰金を払わなければならなかったのに、いまなら同じ10ドルでも日本円にして3,600円ではなく1,000円ちょっとだ。
 そのぐらいの罰金を払えばいいとなると、反則行為が横行したに違いない。ローラーゲームが廃れて何よりである。

 マックスバリュの開店は9時である(9時開店にもかかわらず、開店直後に行くと肉や野菜などがまだ並べ切れていないという、やれやれな状況になっている)。

 三文どころか一文も得したことがないにもかかわらず、私は早起きだ。

 先着30名様には粗品を進呈、という制度もないのに、私は開店と同時に建物の中に入り、まずは階段を優雅に上ってその衣料品店を目指した。

  むなしく打ち砕かれた私の売上貢献意欲

 が、階段を上がりきったところにはネットが張ってあった。
 私がごみを荒らすカラスと思われたのではない。無謀な行為に及ばない限りは人っ子ひとり入れないようになっている。

 貼り紙があった。
 生意気にも開店は10時からとなっている。

 ちぇっ!
 いろいろ考えた末にこの店を選択したというのに、縁がなかったようだ。

 そこでトランクスをあきらめ(このときノーパンデーを何曜日するか考え続けていた)、ハイボール用のグラスを求めに100円ショップに行ったわけだが、そこにトランクスが売っていたのである。

 トランクスは300円商品です、なんていう例外扱いもなく、私は216円でトランクスを2枚購入した。
 これで間違えにくいようにノーパンデーを月と木のゴミ収集日に合わせようという原案は幻と化した。


 そのあと水道の浄水器を買いに同じフロアにあるドラッグストアに寄ると、そこには2枚で780円(ぐらいだったと思う)のトランクスが売られていた。
 見るからに普通の、トップバリュ商品と同等と思われるもので、すでに百均で2枚買ってしまったものの、それにはやはり一抹の不安もあったのでドラッグストアにあるトランクスも買うことにした。

 つまりあの時の記事でトランクスを2枚買ったというのは大嘘で、実は4枚買ったのだった。

  新緑の木々の中を通り抜けるそよ風のよう
 マンションに戻りワクワクしながら袋を開けると、百均のトランクスは手触りが手を拭いても水けをはじき返してくる安手の新品のハンカチのようで、持つと羽毛のように軽い。

 一方、ドラッグストアのものは、私の直感通りふだん私の股間を守ってくれている商品と同じ質感だ。
 ただし、2枚のうち1枚(1枚目の下に重なって封入されていた方だ)は百均の商品の方がはるかに上品だと言えるくらいの妖しいバイオレット色。こんなのをちらりと見せたら、私は夜の男と間違えられてしまいそうだ。
 もっとも表側に入っていたもう1枚も、けっこう鮮やかな青緑色。色白のミドリガメが履いていても、肌の色と一体化してノーパンと間違えられそうな色合いである。


 履いてみる。

 ドラッグストアのは着用感もいつもと同じ。

 しかし百均のはとにかく軽い。
 股間から宙に浮きあがるんじゃないかと思ったほどだ。
 私が猿だったら、この看板のようにクネクネと自然と踊り始めたかもしれない。

P1180018 軽いが薄い。

 この布の下の、ホモサピエンスがもつ複雑怪奇な構造のシルエットをそのまま浮だたせるのではないかというくらい薄い。

 左の太もも側から中央を経由して右の太ももの方へと、そよ風が   を優しく撫でる。

 【問い】 下線部に適当な語を入れよ

 サーリアホ(Kaija Saariaho 1952-  フィンランド)の「風の色(Couleurs du vent)」(1998)。

 彼女の作品はいわゆる“ゲンダイオンガク”って感じのものである。
 フルート作品に名作が多いと言われており、「風の色」も独奏フルートのための曲。

SaariahoPortlait 曲についての詳しいことはわからないが、ちょっと気難しい、軽くはく、色合いでいうとあまり爽やかでない風って印象だ。

 ホイテンガ(オイテンガ)のフルートで。

 2013年録音。ONDINE。

 生地の組成を見てみると、ドラッグストアで買ったものは綿100%。一般的だ。

 しかし百均のはポリエステル100%と、引火したら瞬時にしておしりが丸焼けになるようなものだ。


 が、このまるで身に着けているのを忘れてしまいそうなスカスカ感、軽量感は、暑いときにはよいかも。

 あっ、汗でべちゃべちゃ、スケスケになっちゃうか……

くしゃくしゃトーマス♪ストラヴィンスキー/ディラン・トマスの思い出に

P1190019  16日(月)赤口
 先週の月曜日の昼はサークルKの幕の内弁当だった。

 夜は千葉課長たちと鍋料理を食べたのだが、昼に不足、というかほぼゼロの野菜をリベンジのように食べた。

  17日(火)先勝
 翌日の昼はセブンイレブンの幕の内弁当だった。

 夜は突発的な飲み会で“山ちゃん”に行くことになったが、私はホウレンソウと卵の炒め物ともやし炒めを積極的に食べた。

  18日(水)友引
 昼は珍しく外食。
 これまたある事情があって、山本屋に味噌煮込みうどんを食べに行ったのだった。

 味噌煮込みうどんは高い。
 高いがこれは私の好物である。好物であるが高いので、こちらに赴任して来てから食べたのはこの日でようやく2回目。野菜としてはネギを摂取。
P1210020
 夜は会合があり外で食事。あまり野菜は摂取できなかった。

  19日(木)先負
 昼はサークルKの幕の内弁当。

 これまでに見たことがない幕の内があったのでそれを買ったのだが、食べるときによく見ると、あらあらファミリーマートのマークが(写真)。
 サークルKがファミマに統合されるのをご存じの方も多いと思うが、弁当もこうなってしまったのね。あの398円の定番幕の内は姿を消すのだろうか?

 でも、この幕の内、なかなか幕の内弁当らしくて私はちょっぴり気に入った。しかし、問題はhottomottoの日替わり弁当よりも高いことである(にしても、日替わりメニューをホットなタイミングでもっと短いスパンで全面リニューアルしてくれないものだろうか?)。

 夜は千葉課長と三城係長と、これまたある事情があって食事。
 居酒屋というとちょっと失礼にあたる料理屋。
 アボカドのチーズはさみ揚げで野菜を摂取したこととみなす。

 千葉課長と三城係長と私との無気力な協議の結果、土日など家で過ごす時にはコンビニやスーパーの総菜や弁当を食べずに自分で料理を作ってバランスを保ちましょうということで合意した。だが、三城係長の合意は表面上の意思表示にすぎない。だって、彼は単身赴任じゃないもの……

 実際、昼はコンビニ弁当のことが多い千葉課長は、単身生活が長いこともあって、すでにコンビニ弁当に飽きているという。そりゃそうだろう。1年しか経っていない私だって飽きてきているのだ。だから千葉課長は私の5倍は飽きていることになる。

P1210022  20日(金)仏滅
 昼はセブンイレブンの廉価版(398円)の方の幕の内(火曜日に食べたのは500円。でも、この398弁当、ネット上では東海地区が販売エリアになっていないのはなぜだろう?)。
 この弁当は、女性向けってことでもないのだろうが、量も少なめ。
 帯広時代にもときおり買って食べたのと同じものだ。どこに行っても同じ弁当を食べるっていうのもどうかねぇ……と、自分を戒めながら食べた。

 夜は自室でレタスをかじった。

  21日(土)大安
 朝のうちに買い物に。
 ただ大安のこの日は、夕方に妻から食料援助物資が届く予定だったので、食品は買わずほとんど運動がてらスーパーに行って帰って来ただけの放浪、いや、散歩(ふつうの日本語なら“散歩がてらの〇〇”となるのだろうが、私の場合は散歩がメインなのだ。なお、援助物資は無事届いた。角煮やシチューやホウレンソウのおひたしなどを冷凍したものだ。持つべきものは援助者である)。

 途中にあったマンションのエントランスの植栽。
 木の名前はわからないが、ツヤツヤと緑に輝く葉を持ったものと、小学生のときにしつこく歌わされた「まっかな秋」を思わず口ずさんでしまいそうな、真っ赤に染まった木。その2つのコントラストが、お造り舟盛りに添付された海藻サラダのように美しかった。

 おや?歩道沿いの50cmくらいの高さに整えられた並木の上になにやら青いものが……

P1210021

 金めのものかもしれないと近寄ってみると、整形手術に失敗したようなきかんしゃトーマスの顔が。

 推察するに、誰かが落としていていったこの帽子を、親切なおばちゃんが持ち主が捜しに戻って来たときにわかりやすいようにとこの上に置いたのだろう。
 捜しに来た子は、歩道に落としたに違いないとずっと足元ばかりを捜していたので、これを見落として通り過ぎてしまった。こうして何日かたって、夜露でべちょっとなり、毛糸の張りもなくなってしまったのだ、きっと。

 トーマスを失った少年は、失った悲しみと親からの叱責による悲しみで、毎夜夜露を出しているに違いない(←涙です。他意はありません)。

StravinskySrtBoulez  スペルはどちらもThomasです
 ってなことで、「ディラン・トマスの思い出に(In Memoriam Dylan Thomas)」(1954)。

 ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky 1882-1971 ロシア→アメリカ)が書いた歌曲で、テノールの独唱に伴奏は2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、4トロンボーン。

 ディラン・トマスというのはきかんしゃトーマスのフルネームではなく、イギリスの詩人(1914-53)。

 ストラヴィンスキーはトマスの詩を歌詞としたこの曲を書き、追悼したのであった。

 ティアーのテノール、アンサンブル・アンテルコンタンポランによる演奏を。

 1980年録音。グラモフォン。

Graham005

 ちなみに写真のこのバラの名は“グラハム・トーマス”。D.オースティンが作出したイングリッシュ・ローズのなかでも高い人気がある品種である。

 そしてこの日の午後、私は大安にもかかわらず怪しさ満点の電話を受けることになったワケだ。
 吉日じゃない大安っていう日もあるのだろうか?

限りなく詐欺に近いテル♪リスト/レ・プレリュード

20160111Telephone  まどろみを破るTelの音……
 土曜日の昼下がり。

 昼寝に入って十数分のところ。ようやく眠りに入りかけたところで家電が鳴った。

 家電といっても洗濯機が突然うめきだしたとか、掃除機がインドゾウの鼻のごとくホースをもたげたということではない。この家電はカデンではなくイエデン、つまり固定電話である。コードレスなのに固定電話とは、その呼称に不満をもっているかもしれない、ウチの固定電話は(写真は実物ではあるが、過去に撮ったイメージである)。

 寝ぼけてはいないが、やや意識が濃霧注意報状態で電話に出る。
 
 この番号を知っているのは家族だけだ。
 この時間に家族から電話がかかってくることはよほどのことがない限りない。
 つまり、家族はよほどのことでかけてきた可能性が高い。

 という三段論法が成り立つ。

  フレッツ光って、その名からしてあんた二世か何かかね?
 電話の内容のおおざっぱな内容はこんなものだった。

 「こちらフレッツ光でございます。いつもお世話になっております」
 男性である。
 つまり電話の相手は妻でもわが子でもなく、見ず知らずの他人だ。
 でも考えてみれば、家族以外でも、契約しているNTT西はこの番号をわかっているわけだ。

 私-(不機嫌に)はあ~っ~っ~……
 「本日はお客様のフレッツ光の料金が今よりお安くなるサービスのご案内でございます」
 -(なんとなくこの先の話の予想がつくが)はぃ~……
 「光のコラボで現在のプロバイダー料が一切かからなります。工事や変更費用などは一切かかりません。お客様が現在ご利用になっているプロバイダーはどちらになりますでしょうか?」
 -ヤフゥですが……
 「ありがとうございます。新しいコラボのプランに切り替えていただくと今後はヤフーへのお支払いが一切発生いたしません。お客様はふだん、インターネットはパソコンとスマホのどちらでご利用ですか?」
 -パソコンです。
 「それではこのあとシステム担当より切り替え手続きの電話をさせていただきます。その際、パソコンでインターネットが利用できるような状態にしておくようお願いいたします」
 -それって光コラボってことですか?
 「そうでございます。プロバイダーがどこかを気にせずにご利用できます」
 -プロバイダーは必要なんじゃないですか?
 「お客様はビッグローブというのをご存じでしょうか?」
 -知ってます。
 「私どもはビッグローブを利用した安い光回線への切り替えをご案内しております。お客様の一帯はほとんどすべての方の切り替えが終わっておりますが、まだお済でない方にお電話しております」(←全然プロバイダーについての質問の答えになっていない)。
 -請求はどこからになるんですか?
 「いままでどおりNTT西日本からになります。現在はヤフーとNTT西の二本だての請求が一本になります」
 -でも24カ月更新のヤフーのオプションを途中でやめることになると違約金が発生しますよね?(実はそういうオプションは契約していないが)
 「そんなのがあるんですか?いや、それは考えなくて大丈夫。そんなことないから」(←いきなり友だち言葉)
 -ビッグローブの光コラボに切り替えろってことですか?
 「いえ。そうではありません。プロバイダーのことはもう考えなくて大丈夫になります」

 あんたの方が大丈夫かと思ったが、とりあえず「わかりました」と電話を切った。

  引き続きシステム担当からきたTel
 この電話が明らかにおかしいのは、すでに最初に明らかになっている。

 NTT西からならば「まず〇〇様でいらっしゃいますか?」とこちらの名前を確認するはずである。
 それがない。
 つまり、かたっぱしから電話をかけているに違いない。

 私の頭蓋骨の中に濃霧注意報が発令されていなかったら即座に気が付くところだったが、幸福な昼寝へのいざないを中断されたこともあって思考がダイヤルアップ接続のように緩慢だった。

 20分後くらいに電話がかかってきた。
 こうなったらどんないい加減なことを言うのか聞いてみよう。

 「こちらフレッツ光でございます。さきほどお電話でお伝えしたシステム担当です」

 先ほどとは違う、ちょっとイントネーションがおっさん臭い、たぶん正真正銘のおっさんだ。とはいえ、私より若いかもしれない。

 -はい。
 「パソコンは準備できておりますでしょうか?」
 -その前に、これに変えるとプロバイダーはどこになるんですか?
 「そういうのはないんです」
 -ないってことないですよね?私は光コラボでOCN光の契約をしたことがありますが(実際、自宅はOCN光である)、プロバイダーはOCNですよ。
 「光コラボとは違うんです」
 -じゃあどういうことですか?
 「フレッツ光が1年後に使えなくなります。それはお客様のプランにもよりますが。その前に切り替えておく必要があります」

 フレッツ光・プレミアムが廃止され光ネクストに移行するということは知っていた。
 このめりはりのない語り口のおっさんはそのことを言っているのだろうか?

 でも、私の契約は最初から光ネクストである。
 それにNTT西の人なら、私の契約内容を知らないでこのMUUSAN様に切り替えのあっせんを言ってくるはずがない。

 -あなたはNTT西の方ですか?
 「いえ違います。NTT西にこのようなことを行なう部署はないです(←言い方になんだか牛河を想像してしまった)。前はビッグローブにそういうことを委託していたのですが、ビッグローブが独立した会社になったので、それを受けて代理店である私どもがサービスを行っております」(だんだん話し方の丁寧さが崩れ、どこかの地方の訛りが混じってくる。もともと希薄だった話の内容の論理性も崩れつつある)。
 -さきほどのフレッツ光が契約内容によって使えなくなるという話をしてましたが、そういうのってNTT西から書面で通知が来るべきものではないですか?
 「送りましたよ」(←偉そうな、でもこれ以上深い話にしたくないという突き放した口調。そもそもあなたが送ったわけではないでしょうに……)
 -受け取ってませんけど(だって、最初から光ネクストだもんね)
 「それはおかしいです。確かに送ってます」
 -おかしいですよ。確かに受け取ってません。
 「みなさん新しいプランに変えてますし、1年後には使えなくなるかもしれません」

  みなさんって、all じゃなくたとえば美菜さんとかのこと?
 そういえば、マンションの1階ホールの掲示板にフレッツの切り替えの案内広告が貼られていた。
 つまり、全世帯がこのおっさんの言うようにしているわけではない。でなきゃ、別などこかの回線へ切り替えしましょう!なんていう広告は意味をなさない。
 -そういうのって、こんな電話で済ますことなんですか?OCN光に変えたときとずいぶんと感じが違いますね。話がどうも変だ。切ります。

 こうして私はガチャンと受話器を置いた、としたかったが、コードレスで充電台は別な部屋なので“切”のボタンを押した。

 その後、イエデンは地蔵のように黙りこくったまま。
 再び“フレッツ光”さんから電話がかかって来ることはなかった。


 そっくり一緒というわけではないが、ネットに書かれている話に類似している。

 私の場合は、じゃあ今の料金がいくら安くなっていくらになるのか聞かなかったし、話の中でビッグローブが結局どのくらい重要な位置づけを持っていたのかを含め、さらに話を進めていくとどういう発見があったのかまで付き合いきれず、その手前の前奏段階で見切りをつけてしまったが、詐欺ではないかもしれないものの信じたところで幸せにはなれない、悪徳悪質悪行ホラ吹き業者であることは間違いないだろう。

 そしてまた、安くなるという甘い言葉は(そして、「あなただけがまだですよ」という自分だけが世の中に取り残され損をしているような煽り方は)、高い授業料への前奏曲なのである。

BerliozSFSoltiNew  合唱曲の前奏曲が、ストーリーをもつ「前奏曲」に
 リスト(Liszt,Franz 1811-86 ハンガリー)の交響詩「前奏曲(Les Preludes)」S.97(1848/改訂1852,’53)。

 リストが書いた交響詩の中でも最も人気が高い作品。

 交響詩「前奏曲」は、リストが1844年から翌年にかけて作曲した合唱曲「四大元素(Les quatre elements)」(J.オートランの詞による「大地」「北風」「海の水」「空」の4曲からなる男声合唱とピアノのための作品)のテーマを使い、この合唱曲の前奏曲として書かれた。

 しかし、改訂時にラマルティーヌの「詩的瞑想録」の一節、“われわれの一生は死への前奏曲である”を目にし、これに基づいた交響詩に仕上げた。当初は文字通り音楽形式上の“前奏曲”の位置づけだったものが、曲の内容にマッチした(というか、こりゃ使えるという)詩の発見によって、ストーリー性を持つ交響詩になったのである。

 ここでもちょっと取り上げているショルティ/シカゴ響による演奏を。

 1992年ライヴ録音。デッカ。

 なお、リストの作品につけられている S. 番号は、グローヴ音楽事典第5版(1954/'61補巻)でのH.Searleによる整理番号である。

 牛河っぽい奴と話してなんだかイライラさせられたが、夜にたまたまテレビをかけっぱなしにしていたら、ANAのコマーシャルに(旧姓・福原の)愛ちゃんが出ていて-初めて観るCMだった-笑うようなCMじゃないんだけど、なんだか温かな気持ちで笑えた。

こんな行為がマチの書店を圧迫してしまうのね♪メンデルスゾーン/Sym2

MendelssohnDohnanyi  愛と憎しみは裏腹?
 迷った挙句に村上春樹の新刊を予約した。

 いや、そんなに迷うことはないのだが、「すぐに読まなければ後悔するほどおもしろいかもしれない」という思いと、「また鼻につく表現があったり、わけのわからない現象が起きたり、後味の悪い終わり方だったりするのではないか」という、近年ちょっぴり膨らんできた氏への不信感みたいなものもあって、買おうか買うまいか思いが交錯したのだった。

 が、自分の性格からして、発売日(2月24日)当日になると「売り切れてしまって重版ができるまで時間がかかるかもしれない」と気が気でなくなったり、たぶん取り上げられるに決まってるニュースを観て、微笑むニュースキャスターを逆恨みしては困るので、この際だから予約することにした。

 考えてみれば村上春樹に限らず新刊本の予約をするなんてことは初めてかもしれない。

 予約はネットで行なった。
 どれくらいで配送されるのかはわからない。

 えっ、発売当日に読めないじゃないかって?
 いいんです。
 その日のうちに書店に行ける確証はないし、その日のうちから読み始める意欲があるかどうかもわからないから……

 それに(まだ1ヵ月もあるが)、私はまだもう1人の村上氏である龍(“たつ”と読ないように)の「希望の国のエクソダス」もまだ読了していない。


 また、ブログを読ませていただいている“かまど姫”さんが紹介していた篠田節子さんの「讃歌」(朝日文庫)も買って読んでみたいと思っていた。

  よほどの節子マニアじゃなきゃ手を出さない

 しかし「讃歌」はそんなに前の出版じゃないのにすでに絶版。電子書籍にもなっていない。
 中古を探すと、状態が“良”のものでも2000円ぐらいするし、新品だと1万円というすっげえ値段がつけられている。いくらなんでも新品にはばかばかしくて手を出す気はないし、いくら“良”の状態でも出版時に700円ほどだったものが2000円というのも私をばかにしている。


 ということで、さてどうしたものかと思いつつも様子ながめということにした。


 メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn [-Bartholdy] 1809-47 ドイツ)の交響曲第2番変ロ長調Op.52讃歌(Lobgesang)」(1840)。

 看板に偽りなく、実際に声楽(独唱と合唱)を伴う作品である。

 凸版印刷ならぬ活版印刷を発明したJ.グーテンベルクは活字による初の印刷を行なって400年という、1840年に行なわれた400周年記念式典で演奏するためにライプツィヒ市から委嘱された作品。

 式典での初演後、声楽部分の改訂が行われ翌年に出版され、ザクセン王のフリードリヒ・アウグスト2世に献呈された。

 メンデルスゾーンは交響曲を5曲残しているが、この第2番は5曲中4番目に書かれた。
 しかし交響曲のなかで2番目に出版されたため、第2番の番号になっている。
 
 曲は2部全10曲。

 第1部は3つの楽章からなるシンフォニア、第2部は詩篇などを歌詞とするカンタータの形式で9曲からなる。

 それゆえ、第1部を第1~第3楽章。第2部を第4楽章と強引に見なせば、4楽章構成の交響曲と思えなくもない。
 その第1部は3楽章合わせて25分ほどで、第2部は40分ちょいと演奏に要する。
 となると、4楽章構成とみなすと各楽章の長さのバランスは悪く、関係ないのにショスタコーヴィチが第10交響曲を発表したときの弁明したのを思い出してしまう。

 ……第2楽章は短すぎたようだ。

 メンデルスゾーンの第2交響曲を、私はあまり得意としていない。
 あっ、こう書くとまるで演奏する立場のようで偉そうだから言いかえると、あまり好きではない。

 ザクセン王はたいそう近年評価が高まっているようだが、私には刺激がなさすぎる。
 でも、深い感動を得る人がいるというのもわかる気がする。

 私が聴いているCDのアーティストは、ドホナーニ指揮ウィーン・フィル、ウィーン国立歌劇場合唱団、ソプラノ独唱はガザリアンとグルベローヴァ、テノール独唱はクレン。オルガンはベック。

 1976年録音。ロンドン(デッカ)。

 私が持っている写真のCDは、

 一つのムラもない、極めて高水準の仕上がり
 1970年後半に、ドホナーニがウィーン・フィルと録音したメンデルスゾーンの作品をまとめた4枚組。緻密で鋭敏なタクトが織りなす絶妙なテンポとバランスに、ウィーン・フィルの極上のオルガントーンが見事にマッチした、極めて高水準の仕上がりになっています。
   ユニバーサル ミュージック/IMS

という、メンデルスゾーン交響曲全集であるが、単売もされている。

 私は未聴だが、ポンマーの指揮による札幌交響楽団の定期演奏会ライヴもなかなか良い演奏だという。
 とはいえ、札響愛にあふれた私ではあるが、別にそれほど焦って聴かなきゃって思う曲じゃないし……。この感動はあなたに託す。

 街の本屋が経営難で減っていっているということが言われて久しい。

 それは実に困ったことだ。


 なのに今回私はオンラインショップで買ってしまった。

 ごめんなさい……

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