新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

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2016/11

美しきパイプゆえ、滞りなく流るるわが血潮♪ブルッフ/スコットランド幻想曲

BruchGrumiaux  おや、彼は……
 病院に行くと、待合室に見たことがあるような、でもあんなにおっさん臭かったっけという人物が椅子に座っていた。

 それは(って、物のような言い方ですまん)やはり知り合いだった。ずいぶん久しぶりに会ったが、実は同じ社の社員。
 所属部署が違うので-そもそも彼がいまどこにいるのかも私は知らない-めったに会わないのだ。
 しかも私は名古屋勤務ときている。冷静に考えれば、彼の方がなんでこの人ここにいるの?って私に対して感じただろう。

 彼は私より若いのだが、社交辞令で「どこか悪いの?」と尋ねると「どう見ても健康体には見えないですよね?」と答えた。
 思わず「そのとおりっ!」とかつてのアタック25の児玉清のように叫びそうになったが、「そうかい?」と無難な答えにとどめておいた。が、彼は自分のことをよく理解している。
 私より2歳は年長さんに見える。実際は3歳くらい若いはずだ。

  残された1ヵ月で4回目はあるのか?
 「今年になって、もう3回も痛風の発作を起こしてるんです」

 彼は申し訳なさそうに言った。
 聞いてもいないのに自分から言い出すのは、もしかするとちょっぴり自慢なのかもしれない。

 それにしてもすごい。
 そのうち全身が結晶化しちゃうかもしれない。
 尿酸値7.2でくよくよしている自分がちっぽけに思えたし、幸せだと思った。

 頸部エコー検査は10分ほどで終わった。
 まっ、そんなもんだ。
 空き時間を生じさせてしまった私が悪いのだ。

 検査を受けている間に、あの彼の姿はもうなかった。
 よその病院に行けと追い返されたのかもしれない。

 しばらくして診察室に呼ばれた。

 エコー検査の結果は何も言うことがないくらい申し分のないものだった。

 写真を見ると、実に美しいパイプがそこに写っていた。

 動脈硬化の兆しはまったくない。内壁にコレステロールがたまっているところもない。
 私は中性脂肪は高いがコレステロールは正常値だ。それが功を奏しているのだろうか?

 また甲状腺ものう胞が1つあるもののそれは病的なものではなく、こちらも異常なし。

 これを、なんだよだから検査なんて受けることなかったんだよと捉えるか、あるいは、4時間待った甲斐があったと考えるかは難しいところだ。

 しかし美しい私の血管像を見て自分の血管のことのように医師が喜んでくれたので、後者と捉えよう。

 さて、前日の血液検査の結果も出ていた。

 尿酸値6.7。全然正常だ。すでに姿を消していた年間3冠王に自慢したいくらいだ。

 中性脂肪は340。2か月前の半分だ。

 異常値は異常値ながらも、これは朗報である。って、中性脂肪の値は前日や当日検査前の食事内容によってずいぶんと変わる。たぶん検査前にラーメン・半チャーハンセットなんか食べたら一発で700や800になるだろう。

 ところでパイプといえばバグパイプだ。
 バグパイプと言えばスコットランドだ。

 そこでブルッフ(Max Bruch 1838-1920 ドイツ)のスコットランド幻想曲(Schottische Fantasie)Op.46(1879-80)。

 スコットランド民謡を用いた独奏ヴァイオリンとオーケストラのための作品で4楽章からなる。
 また、オーケストラ内のハープが活躍する。

 この作品についてはここでチョン・キョンファが独奏を務めた盤を紹介したが、なんということでしょう、グリュミオーの録音を紹介し漏れていた。

 だからこの良き演奏を今日は載せておく。

 指揮はワルベルク、オーケストラはニュー・フィルハーモニア管弦楽団。

 1973年録音。フィリップス。

 私にとってスコットランド幻想曲は、厳寒時期の気候のイメージに重なる。
 それはスコットランドという国の気候とかそういうものではなく、この曲を初めて聴いたのが-それは札響定期だった-2月だったからだ。

 コンサート会場に向かうとき、青信号で横断歩道を渡っていたら無理に右折してきた車に危うくはねられそうになった。下はアイスバーン。あの車、よく直前で停まったものだと思う。
 ちなみに運転していたのは高齢者ではなく、若僧だった。

 ところで、チョン・キョンファで思い出したわけではないが、パク・クネの退任要求の集会。
 ニュースでは150万人が集まったとか言っているが、150万っていったら札幌市の人口(約200万)には及ばないものの、すごい数。

 そういう人が1つの集会に集まるなんて物理的にも無理だと思うんだけど、どういうふうになってるんだろう?

 NHKでは27万人って言ってたな……
 これ、同じ話?それとも違う集会のこと?

 なお、あなたにはどうでもよいことだろうが、今日の私は休暇中である(勤労感謝後日祭)。
 でもって、お出かけ中。
 だから今日は予約投稿。

4時間=歩数1万超え♪スウェーリンク/エコー・ファンタジア

Sweelinck  境界から遠のいていません?
 先週の札幌出張の折には、会議や打ち合わせの合間を縫って病院にも行った。

 2か月に1度、ありがたく頂戴している薬をもらうためだが、ただ薬をくださいといっても「はいはい、喜んでぇ~」ともらえるものではない。
 血液検査と医師による診察、そしてお薬と、私がもらっている(いや、買っている)薬と同じく3種類の義務を果たさなくてはならない。

 病院に行ったのは月曜日である。

 ご存知のとおり、この日採血した検査結果のうち、血糖値とヘモグロビンA1cは10分ほどでわかるが、その他の項目は半日かかる。だからその他の項目の結果は、次の診察のときに教えてもらうようにしている。

 で、今回の結果だが血糖値もHbA1cも異常なし。
 こうなってくると、果たして私は本当に境界型糖尿病なんだろうかと、大脳と小脳の境界あたりに浮かんでは消える疑惑が一層強くなる。

 さて、その他の項目(つまり2か月ほど前の採血の検査結果)だが、中性脂肪が680!
 いやいや、また上がっちまった。前の日に、あるいは当日の朝にいったい何を食べてしまったのだろう?

 尿酸値は7.2。おやおや、基準値の7.0を超えているではないか。尿酸値でK点超えしても誰も感心してくれない。

 「次回に向け努力します」と、まったく信憑性のない返事をし、私は診察室をあとにしようとした。

 そのときである。医師に何かが降臨した。

  だって、そっちの都合でできないんだってば
 「MUUSAN、頸動脈と甲状腺のエコー検査、もう何年もしてないから次回予約入れて受けてね」

 突然のお申し出である。

 「はぁ」と、私は気のない返事をしたが、医師の目は私を逃さないという皮算用、いや、熱意に満ちていた。

 受けるのはいいが、実はこれまでも何度もトライして予約が入らないという経験をしているのだ。
 この病院でその検査ができる日は、週2回で曜日が決まっている。

 帯広時代もそうだったが、出張が決まってそれがたまたま検査日と曜日が合って予約を入れようとしても、いつももう予約が埋まっているのだ。

 診察室を出た私は、追いすがってくる、いや予約のために私についてきた看護師に言った。

 「あのぁ、予約といっても次回の出張が決まってないですし、これまでも何回か予約を入れようとしたのですが(融通の利かないあなたたちのせいで)いつも拒絶されています。どうしたらいいでしょう?それに今年の春にはドックで頸動脈エコーの検査を受けて異常はなかったんですが……」(カッコ内は心の声)
 「でも、きちんと受けましょうね。甲状腺も調べないといけませんので」

 確かに甲状腺の検査は気になっていた。

 私は平常時でも脈が速い。
 人間、一生のうちに打つ脈の回数に限りがあるとしたらとっくに死んでいるかもしれないというほど速い。
 学生のときに踏み台昇降っていうのをやらされた。
 時間を追って脈の速さが落ちていくのをみる体力測定の一種だ。
 だが、私の結果は最悪だった。だって、もともと脈が速いんだもの。普通の人のように60とか70にはならないのだ、そもそもが。

 脈が速い原因の1つに考えられるのが甲状腺ホルモンの異常である。
 そんなこともあって前回、何年前になるのか知らないが、検査を受けたのだった。結果は異常なしだった。

 スウェーリンク(Jan Pieterszoon Sweelinck 1562-1621 ネーデルランド)のオルガンのための作品、ファンタジア第12番イ長調エコー(Echo)」。

 ここに書いたようにスウェーリンクはバロック初期のオルガニストであり作曲家だった人物で、変奏曲の形式の発展に寄与した。

 「エコー・ファンタジア」は上と下の声部が掛け合いをする、まさに“こだま”の効果を取り入れた作品。
 グレゴリオ聖歌の定旋律が用いられている。

 クリスティのオルガンで。

 1993年録音。ナクソス。

  急な話で迷ったがやっちまった方がいい
 私は手帳を開いてみた。
 おぉ、12月の半ばに会議でこちらに来る用事がある。曜日も見事に合致する。

 「12月〇日なら来られそうです」

 そこで受付嬢が水を差す、というか的確な情報を発する。

 「その日はもう予約がいっぱいです」

 まるでクリスマスイヴのケンタッキーなみじゃないか……

 じゃあ無理ってことね、と私は逃げ切る決意を固めた。
 そのとき、受付嬢が言った。「明日なら1枠空いてます」
 なぜか競馬新聞の紙面を思い浮かべた私……

 その明日は、私は昼過ぎまで会議。
 そのあとは用事はなかった(出張の復路移動扱い)。
 しょうがない、もう腹をくくろう。

 「では、明日受けに来ます。何時からですか?」
 「4時半からです」

 う゛う゛う゛。
 会議が終わった後、4時間も空き時間がある。1枠のために4時間。

 ということで、翌日。

 会議を終え、時間つぶしに本社のあちこちに行ったが前の週にも行っているのであまり邪魔しないようにし、結局は名古屋⇔金沢の特急乗車時間以上の時間をつぶす羽目になった。

 ビックカメラに寄り、LOFTに行き、三省堂書店に向かい、島村楽器に行き、ヨドバシカメラで電気ケトルの価格を見、植物園に行こうかと思ったが面倒なのでやめ、そのかわりに大丸の地下に行ってやはり熊ころり”がもう売られていないことを確認し、紀伊国屋書店にも足を運び……結局、予約時間よりも30分早く病院に向かった。

 ……続く

YOUは何しに栗山へ?いえ、既定路線ですので♪チャイコ/Sym1

TchaikovskySym1Gergiev  あの雪景色が幻だったよう
 チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)の交響曲第1番ト短調Op.13冬の日の幻想(Winter Daydreams)」(第1・2稿1866/第3稿1874)。

 今日この曲を取り上げたのは11月にしてすでにすっかりと冬景色になった北海道で幻想を見てしまった、白日夢で危ない人になった、というのではなく、名古屋と行き来すると北海道のあの光景が幻想だったんじゃないかと思えるから。という、私の意図を組んでくれないあなたは11月25日早朝の陸別町の最低気温ぐらい冷たく痛い。

 以前にも取り上げたゲルギエフ/ロンドン響の2011年ライヴ(レーベルはLSO Live)。

 そのときの記事も書いているが、当初はゲルギエフの暴力ともいえる激しい演奏を期待したのだが、全然違ってとても洗練されたもの。
 が、それが“5人組”の対極にあった西欧派のチャイコフスキーにあってるじゃんと、だんだん心地よくなってしまった私である。

 ところで前に取り上げたときにはCDとして聴いていたが、ご存知のように今年の夏前から私もSACDを再生できる環境になった(背伸びしてそのようにしたという方が正しい)。

 で、このSACDハイブリッド盤をあらためてSACDとして聴いてみると……違うような違わないような。
 結局現状では私は違いのわかる男にはなり切れていない。

 いや、今度はきちんと正座してスピーカーに対峙して、その前に綿棒で耳の穴をきれいに掃除して、聴いてみます。
 きっと違いがわかるはず……

  冬の情景をYOUに
 ところで、今回あちこちで撮った写真を何枚かご紹介。

 これはナナカマドという北海道ではよく街路樹として植えられている樹の実。市や町の樹として定めているところも多い。
 この実は実に渋い(最初の実はみ、2番目の実はじつと読むことを推奨します)。でも鳥はよくついばんでいる。

 ほれほれ、オレンジ色の実がくそ寒い冬の青空に映えること。

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 樹の名の由来は、燃えにくく7回かまどに入れても燃えないというところから来ているそうだが、そこそこよく燃えるという話もある。たき火して試してみたいところだが消防車が来たら困るので実験できないでいる。そもそも庭にナナカマドはないけど。

 このポヤポヤした実(?)をつけた枯れたくせに根性で立ち続けている草の名が何かは知らないが、ススキもそうだけど、こういうのを見ると寒さの感じ方が倍増しそうだ。

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 そして、あまり見かけない夕鉄バス。夕鉄とは夕張鉄道のこと。
 かつては江別市野幌から夕張まで鉄路が敷かれていた。

 このバスは行先表示板が発光のタイミングの加減できちんと写っていないが、栗山駅前行きだった。

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 それにしても、すっかりがっちり雪道&アイスバーンである。

 なお、北海道日本ハムファイターズの栗山監督は、栗山町に住んでいる。

 ※業務連絡:masaさん、メッセージ確認いたしました!ありがとうございます。豚丼好きとは知りませんでした。

油膜の下に封印された熱地獄に注意!♪グラズノフ/夢

GlazunovSerebrier  寶ではありません
 24日はお出かけ中だったことは、さりげなく報告した。前日からあちこちに行って来たのだ。

 23日は伊達市でラーメンを食べた。
 鶴つる亭ではない。私はあまり脂っこいラーメンは好みじゃないし、妻は私以上に好みじゃない(いや、だから脂っこいラーメンの話です)。

 そこで“宝龍”という店に行った。
 鶴つる亭よりももう少し伊達紋別駅寄りである。

 “ほうりゅう”といえばかつては札幌市内のあちこちにあった老舗チェーンの“寶龍”を連想するが、こちらの伊達市の方の“たから”の字は“宝”。だから“寶龍”とは関係ないんだと勝手に判断している今日この頃である。

 なお十勝管内のあちこちにある“寶龍”は札幌の店からのれん分けしたものらしいが、結局私は帯広にいた4年間で一度もどこの“寶龍”にも行かなかった。

 実際、頼んだ醤油ラーメンは今でも札幌にある寶龍のラーメンとは別種のもの。
 札幌の店の味は、どこかコクがなく感じる。まずくはないが、しょっちゅう食べたいとは思えない。
 ただし、私が札幌の寶龍でラーメンを食べたのは今から8年も前のこと。ラーメンとは関係ないだろうが、そのあとハエが私の周りにたわむれに来た。あのときから味が変わっているかどうかはわからない(が、老舗の味を守り続けていると解釈する方が妥当)。

 その点十勝管内の寶龍は、特に清水や御影の店の評判が良い。札幌とは味が随分と違うのかもしれない。
 もっともラーメンのうまいまずいは人の好みによってずいぶんと違うので(ラーメンに限ったことじゃないが)、一概に札幌が美味しくないとか、十勝が美味しいとか判断できない。
 
 で、宝龍であるが、鶴つる亭ほどではないにせよ、けっこう汁の表面には油が浮いていた。
 どれぐらいかというと、もしこれが車のフロントガラスなら油膜取りスプレーをかけたところで1回や2回では簡単には除去できないぐらいである。

 が、なかなか美味しいラーメンだった。
 一気に食べると口の中がやけどする危険のある熱さだった。
 ネットの口コミでは鶴つる亭の方が評判が良いようだが、私は宝龍の味の方が正統的なラーメンらしい味で好きである。

  もうあと15秒焼いて!
 翌日は“ぶたはげ”で豚丼を食べた。

 いや、わざわざ帯広にまで行ったのではない。
 北広島にある三井アウトレットモールで食べたのだ。

 ご存知の方も多いだろうが、ここの箸袋に書かれているように豚丼は鰻丼の味を目指して作られたものだ。
 けど通常は山椒はかけない。胡椒である。

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 ちなみに“ぶたはげ”は帯広の天ぷら屋“はげ天”が出店している豚丼専門店。
 もちろん“はげ天”でも豚丼を食べることができる。

 帯広市内にははげ天の本店や支店があるので“ぶたはげ”はJR帯広駅にある狭いスペースの店1つだけ。

 そしてまた、帯広以外では北広島と埼玉にあるという。このマニアックともいえる出店地。経営者の野望というか将来の夢が読めない。

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 豚丼はふつうに美味しかったが、もう少し豚肉の裏面も焦げ目をつけてほしかった。

 グラズノフ(Alexander Konstantinovich Glazunov 1865-1936)の「(Reverie)」Op.24(1890)。

 ホルンとピアノのための小品。

 作品について私は詳しい情報を持ち合わせていないが、所有しているCDはホルンと管弦楽による演奏。
 誰がオーケストレーションしたのか(作曲者自身か第三者か)はわからない。

 セロフのホルン、セレブリエール指揮ロシア国立管弦楽団の演奏。

 2010年録音。ワーナー。

そうそう、床屋にも行った。

 来年の定休日カレンダーを早くも手渡された。


歩調じゃなくてホ長調♪エリシュカ/札響のドヴォセレ

  道路で滑ったらアウトだが……
 いやぁ、危なかった。
 まさに滑り込みセーフだった。

 庭の冬囲いのことである。

 冬囲いを終えたことを報告したのは、あれからまだ一度も安息日を迎えていない今週の月曜日のことだ。

 ところが勤労感謝の日から雪が降り積もり、昨日の朝の状況はご覧のとおり。

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 ポーポーちゃんの廃墟にも雪が積もっていて、この上に刺身を盛ったらちょっぴりおしゃれで新鮮に見えそうだ。

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 もっとも東京あたりでも降ったわけで、文字通りあちらでは滑った転んだしている。
 底がまっ平の靴じゃ、いくら歩調に注意したってそりゃ滑る。
 夏タイヤじゃいくらふかしたって、積もったべた雪の中は進めない。

 都市の混乱はたいへんなことは事実だが、先日の津波のニュースと同程度、あるいはそれ以上に時間を割いているのを見ると、マスコミの野次馬根性健全なりってあらためて思ってしまう。

Tchaikovsky4Eliska  半年後の景色をいまから憧れて
 そんな雪景色に囲まれながら、あまのじゃくな私は新緑か夏真っ盛りかはわからないが、そんなまばゆく緑が萌える写真の、先日リリースされたエリシュカ/札響のCDを再び取り上げる。

 前回は史上最優秀演奏と私が認定した(認定されてもなんのメリットもないところが気の毒だ)チャイコフスキーの交響曲第4番を取り上げたが、今日はそれに一緒に収録されているドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904 チェコ)の弦楽セレナード ホ長調Op.22,B.52(Serenada)(1875)。

 関係ないけど、この曲を初めて聴いたのは1974年の札響の演奏会(北電ファミリーコンサート)。作曲からほぼ100年後に耳にしたってわけだ。と、勝手に感慨にふける私。

 この曲、ドヴォルザークらしく魅力的なメロディーに富んでいるが、案外と録音点数はそう多くない(←録音評の点数のことではない)。

 そんななか、レベルの高い録音が1つ加わった格好だ。

 ただし、美しいことは美しいが札響ならもっと美しく清楚な響きを出せただろうし、弱音の箇所は、うまく言えないが、なにかこう、小手先で音量をコントロールしているような、そんな印象を受けてしまう。
 それは特に最初の楽章で感じられる。
 楽章が進むにつれ、札響の、エリシュカの本来の味わいが、魅力が前面に出てくる感じだ。

 2016年ライヴ録音。パスティエル。

 なお、タイトルの「ドヴォセレ」というのは今回私が勝手に省略して使った呼称。
 どこに行っても通用しないどころか、恥をかく羽目にもなりかねないので決して他では使わないように。

えっ?ナマって言ったじゃん!♪協奏四題①~ラウダ・コンチェルタータ

Ifukube協奏四題  結局あの「ラウダ」は幻のまま
 伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の「オーケストラとマリンバのための『ラウダ・コンチェルタータ』(LAUDA CONCERTATA per orchestra e marimba)」(1979)は、私の伊福部信奉を決定づけた作品である。

 最近はピアノ・リダクション版の演奏も含めいくつかの録音がCDで聴けるようになったが、初演後しばらくの間は山田一雄/新星日響の初演ライヴだけであった。独奏はもちろん安倍圭子。

 1983年か84年に井上道義による「協奏三題」という伊福部の協奏作品3曲(リトミカ、vn協、エグログ)を収めたライヴ盤がリリースされた。

 このときのコンサートで、CDに収められた3曲以外にほかの作品も演奏されたかどうかわからないが、そのころNHK-FMの土曜日午後の番組で井上道義指揮による「ラウダ・コンチェルタータ」が放送されることになり(だからコンサートでは「ラウダ」もやったのではないかと思っている)、私はメタル・カセットを買って万全の態勢でエアチェックに臨んだが、なぜか番組の放送内容変更で、ついぞその演奏は聴けないままに終わった。

  良く言えば“優雅”なマリンバ
 その代わりではないが、今回井上の棒による「ラウダ」を聴けることになった。
 井上道義指揮東京交響楽団、マリンバ独奏はこの曲のピアノ・リダクション版を録音している高田みどり。

 ピアノ・リダクション版では感じなかったが、ことフルオーケストラによるオリジナル版のこの演奏を聴くと、どうもマリンバに物足りなさが残る。

 決してひ弱なわけではないが、特段オケが強奏しているわけではない箇所でも、マリンバの音がしばしばオーケストラの音に埋もれてしまう。
 となれば、当然のごとくオケが盛り上がる箇所になると、マリンバの音が聴こえないってこともある。
 初演以降、伊福部が細かな改訂をしたのかどうかはわからないが、ソロパートで「こんなフレーズだったっけ」と思うところもある。

 立派な演奏だとは思う。
 しかし比較して申し訳ないが、安倍のようなすさまじさやスケールの大きさ、蛮性は不足。オーラも感じられない。マリンバの音(音色)は良く録れているが……

IfukubeMook   安倍のすごさは掟破りのせい?
 もっとも、安倍圭子はマリンバを鳴り響かせるために工夫(掟破り?)をしていたようだ。

 井上道義は豊田朋久のインタビュー(2014.4.15)でこう述べている(「KAWADE夢ムック 文藝別冊 片山杜秀責任編集 伊福部 昭」:河出書房新社)。

 ……安倍圭子さんは《ラウダ・コンチェルタータ》の最初のコンサートで、オケに対してマリンバが弱い音しか出てなくて、それが自分としては情けなくて、腹立たしかったそうなんですよ。そんな思いもあって、伊福部さんの許しを得て、自分でどんどん音を足していくようになったものだから、カデンツァなんか楽譜に書いてある音と全然違う。……

 一方、オーケストラは充実した響き。さすが井上道義。彼のタクトの下、すばらしい演奏をしてくれている。
 変な言い方だがこの演奏、オケが入るとほっとする。

 ところで、Amazonのカスタマーレビューにはこの「ラウダ・コンチェルタータ」について、次のような指摘がされている。


 ・情報としてラウダは演奏に致命的なミスがあったのでライヴ音源ではありません(chottoさん)

 ・実演であったミス(ラウダのマリンバのタイミングズレ、協奏風狂詩曲のトロンボーンミス、リトミカのピアノのズレなど)が恐らくゲネプロ音源でしょうか?ミスのないものに差し替え修正されています(KJさん)。

 ・当方は7/10日の実演、CDの両方を聴きました。その記憶との比較になりますが、先方のレビュアーさんの仰る通り特にラウダの実演でのミスは著しく曲の完成度を下げていたため、この差し替えは私としてはプラスの方向に受け取りました(TFKさん)


 ということなんだそうだ。

 でも、ご安心ください。ちゃんと拍手は入ってます。

 2016年7月ライヴ(?)録音。キング。


 以上、いまだに圭子さんの呪縛から逃れられない私の感想である。

待ち時間に流れる優雅でレアな曲♪WAM/教会ソナタ

MozartSonatas  公民館ならせいぜいNHKラジオってところか?
 先週の半ばのこと。

 ある取引先が。その取引先の取引先各社を招いて事業実績などを各取引先に説明する会合というか説明会があった。
 わかりにくい表現だが、わからないままでもこのあとの展開になんら支障ない。

 問題はそれが始まる前に会場に流れていた音楽である。

 会場となったのはもちろんなんとか区民センターとか〇〇福祉会館などという行くのがわくわくしない施設ではない。
 某有名ホテルである。

 だからこそ、開会前に音楽なんぞが優雅に流れているのだが、でしゃばりすぎず、でもその存在感はきちんと主張する音楽と音量だった。

 それはオルガンのためのコンチェルトだった。
 聴いていると、大きなオルガンが発する音ではない。

 オルガン協奏曲というジャンルの作品が書かれたのは主としてバロック時代だろうが、この音楽はどう強引に解釈しようにもバロックの作風ではない。ヘンデルとかのオルガン協奏曲とは明らかに違う。

 では、前古典派、たとえばバッハの次男坊のC.P.E.バッハの曲かというと、CPEBのような過激さ、奔放さはない。

 そうなのだ。明らかに古典派の音楽なのである。

  冤罪的結論付け
 と考えると、私に思い浮かぶのはモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の「教会ソナタ(Kirchensonaten)」ぐらいしかない。
 古典派の作曲が残したオルガンのための協奏作品となるとミヒャエル・ハイドン(あのハイドンの弟)なんかにもあるが、でもあまりほかに思い浮かばない。

 このよくわけのわからない「教会ソナタ」という作品はオルガンと器楽合奏のための単一楽章の作品。
 モーツァルトは17曲を残している。

  1. 変ホ長調K.67(K6.41h)
  2. 変ロ長調K.68(K6.41i)
  3. ニ長調K.69(K6.41k)(以上1772)
  4. 二長調K.144(K6.124a)
  5. へ長調K.145(K6.124B)(以上1774)
  6. 変ロ長調K.212(1775)
  7. ト長調K.241(1776)
  8. ヘ長調K.224(K6.241a)
  9. イ長調K.225(K6.241b)(以上1780)
 10. ヘ長調K.244
 11. 二長調K.245
 12. ハ長調K.263(以上1776)
 13. ト長調K.274(K6.271d)
 14. ハ長調K.278(K6.271e)(以上1777)
 15. ハ長調K.329(K6.317a)
 16. ハ長調K.328(K6.317c)(以上1779)
 17. ハ長調K.336(K6.336d)(1780)

 実は私、この曲のぜんぜん熱心なファンじゃないのだが、過去の記事で取り上げている。
 そこに書いてあるように、当時の制限時間を設けられたミサで演奏できるよう、このような単一楽章の小品が書かれたらしい。

 そして、あまり聴くことがないということで私がメロディーをすっかり覚えているなんてことはまったくない。

 だからあの日大会議会場の天井から流れてきたオルガン・コンチェルトが「教会ソナタ」と断言することはできないのだが、そうとうクサいと思っている。

 アランのオルガン、パイヤール指揮同室内管弦楽団の演奏で。

 1964-65年録音。エラート。
 

つまり私は8***ダイヤルナンバー***3♪ストラヴィンスキー/ハルサイ(by ショルティ)

LaSacre  頼んだのはピンクのケトル
 先週の金曜日のことだが、名鉄名古屋駅から中部セントレア空港に向かう特急列車に乗っていたときのこと(今回はμSKYではなく“特急”)。

 見たことのない番号の携帯(もしくはスマホ)から着信があった。

 もちろん私は「ただいま電話に出ることができません」と応答した、わけがなく、HLDスイッチを押し、2秒後に切った。

 たまたまその数日前に電気ケトルを頼んだので、そのことに関するショップからの問い合わせかもしれないと思い-ご希望のお色が品切れです、とか、終売しましたなど-、中部セントレア空港に着くや否や、私はそこに電話をかけてみた。

 話し中だった。
 これにより、私は相手がただの個人ではないことを確信した。

 と、そのすぐあとにその番号から折り返し着信があった。
 「わざわざお電話を頂戴して申し訳ありません」
 男性の声だったが、いかにも松坂屋あるいは髙島屋風の洗練された、けどわざとらしさのない話し方だった。

 「いえいえ」。私は反物をいつも買う常連客のように答えた。

 「実は……」

 きたきた。きっと私が頼んだピンクの電気ケトルが在庫切れになったので、水色ならすぐに届けられるという話に違いない。

  ところが、意表を突く展開
 「所得税がぐっとお安くなる、マンションの一室を運用するというご案内を本日させていただきたくお電話させていただいたのですが、いまお時間よろしいでしょうか?」
 「よろしくありません」
 だって、私はこれから搭乗しようとしているのだ。
 その前にお昼ご飯を食べるという義務も負っている。

 「ご興味ありませんか?」
 「まったくありません」
 だってマンションの一室に金を出すくらいならその分所得税の支払いに回したほうが良いように感じる。
 そもそも私の所得のことも知らないで、所得税について言ってくること自体、余計なお世話だ。

 「こういうお話の電話はよくおありですか?」
 「よくとまでは言いがたいまでも、きわめて珍しいともいえません」
 「そうですか。また何か機会がありましたらよろしくお願いします」

 彼はオークションの出品者コメントのようなことを言ったが、断られたからといって態度を豹変させ粗暴になることもなかった。きっと育ちがいいか、気が弱いかのどちらかだ。

 こういう相手だからいいチャンスだ。
 私は言った。

 「これを機にお友だちになりませんか?」

 というのはウソで、「どうしてこの番号がわかったのですか?」と尋ねてみたのだ。

 「はい、電話番号の下4桁が***3の番号に順にかけているんです」
 間違いない。私の携帯番号の詩も4桁は***3番である。

 すごい!局番が何千通りあるのか知らないが(0000~9999までなら10000通りだが、使用されていないものがあるだろう。にしてもいまどき珍しいほどの原始的な方法だ。が、ランダムでない合理的な方法でもある)、たいした根性である。そのつらさは大リーグボール養成ギブスをしながら沢庵ご飯を平然と食うぐらいたいへんだろう。
 私の局番は8400番台後半だ。
 何日かかって私の元に電話をかけるにいたったのだろう?

 やっぱりこの人は正直だ。

 そして私は電話を切ったあと、売店でつくねのっけ弁当を買い、保安検査を終えた後、搭乗待合室でそれを食べた。急激な血糖値の上昇を抑えるために、ひじきから食べた。

 では、原始主義ということでストラヴィンスキー(Igor Stravinsky 1882-1971 ロシア→アメリカ)のバレエ「春の祭典(Le Sacre Printemps)」(1911-13/改訂1947)。

 今日はショルティ/シカゴ響のパワー炸裂演奏を。
 おイタなミスがあるとはいうけれど、そんなのぶっとびのキレとハリのある演奏。

 1974年録音。デッカ。

 この演奏と楽曲についてはここに詳しく書いているが、「火の鳥」でセンセーショナルなデビューをし、続く「ペトルーシュカ」でも大成功を収めたが、反ロマン主義・反印象主義のストラヴィンスキーの原始主義の頂点となる作品がこの「春の祭典」だろう。

 考えてみりゃ、電気ケトルを注文したときに書いた電話番号は固定電話のものだった。

 やれやれ……

タコのアタマ?当たり前に売ってます♪シュニトケ/タコの追悼のための……

Sym15VerCO  早朝割り?
 土曜日に、若いとは言えないものの1人の女性と至近距離で向かい合い、私は腕の肌を彼女の前でさらし、彼女はそこに触れ、ついでにチクッと刺激を与えられた。

 彼女は「だめよ、今日は。激しい運動は」と私を戒めた。

 コトを終えるのにかかったのはわずかな時間。でも、料金は3,000円だった。

 いや、インフルエンザの予防接種のことである。

 その帰りにスーパーに寄った。

 わさび醤油で食べるとマグロの刺身のような味がして、その上強い抗酸化作用を持つ(んだっけ?)アボガドを買った。

 私はアボカドのことを、ずっとアボガドだと思っていた
 でも、アボガドではなくアボカドだと知ってからも、どうしてもついついアボガドと言ってしまう。

 avocadoだからアボガドではなくアボカドが正しいことはわかっているが、そもそもなぜ私はアボガドと誤った呼び方を習得してしまったのだろう?

 だからそのスーパーでこんなPOPを見たら思わずうれしくなってしまった。

2016112017220000b

 実はアボガドというのは私という個人的な問題ではなく、北海道が抱える独自の訛りなのかもしれない。

  いつもこういう豚肉を買えればなぁ
 そのあと精肉コーナーに行く。
 やはり北海道は豚肉が安い。
 この写真のように100gあたり188円の国産(北海道の平取産)のモモ薄切りを名古屋の店で見かけることはないと思われる。

2016112017220000

 いや、肉に限らず野菜も魚も北海道は安い。名古屋の物価が高いのか、北海道が低いのかよくわからないが……

  頭を得られるのは1匹ごとのとき?
 そういえば、1か月ほど前に名古屋の取引先の人に妙なことを聞かれた。

 「北海道ではタコのアタマだけを刺身で売っているって本当ですか?」

 本当です。

 厳密には生だこではなく、一般のスーパーで売られているのは脚同様ボイルしたものだが、頭だけで売ってます。
 脚と違って軟らかくて食べやすいです。

2016111911470000

 その人が言うには、タコ1匹ごとなら頭はついているが(それほど大きなタコではないらしい)、頭単独では売っていないそうだ。

 こっちでは頭を真っ二つにしているのを売っているというのに、おもしろいものだ。
 今度名古屋のスーパーのタコ事情を実際の目で確かめてみようと思う。

 タコといえば、クラシック音楽業界ではショスタコーヴィチである(と勝手に定義している)。

  タコを偲んで
 シュニトケ(Alfred Schnittke 1934-98 ロシア→ドイツ)の「ショスタコーヴィチ追悼のための前奏曲(Prelude in memoriam Dmitri Shostakovich)」(1975)。

 2台のヴァイオリン、もしくはヴァイオリンと(あらかじめ一方のヴァイオリンのパートを録音した)テープのための音楽。

 ショスタコが亡くなった1975年に書かれており、曲はショスタコの名の音名D-S(Es)-C-Hに基づく動機に、シュニトケがあまねく音楽にこの人が存在するという(考えようによっては支配されているようでちょっぴり怖い)J.S.バッハの音名B-A-C-Hによる動機が対位法で絡む。

 クレーメルの演奏で(クレーメルによるテープ録音に重ねた演奏)。

 1995年録音。グラモフォン。
 ショスタコーヴィチの交響曲第15番の室内楽版とのカップリングだが、すでに廃盤。
 

はっきり言って、大いなる勘違い♪ラヴェル/シェエラザード

DebussyRavelBoulez  ごめん、謝る
 先日の記事で、名鉄名古屋駅のホーム上にある案内表示板がパタパタ式だと書いたが、先日セントレア空港に行くためにこの駅を利用した際、それが真っ赤なウソであることが判明した。

 いや、私には悪意はなかった。
 純粋に勘違いしていたのだ。

 この表示板、液晶パネルの電光式(っていう表現が正しいとは思えないけど)。
 ただ、画面の地が黒いのでそう思い込んでしまったのと、実際私の耳にはそら耳ではなく、間違いなくパタパタという音が聞こえたのだった。

 しかし今回、おぉっ、相変わらず元気にパタパタしているわいと思いながら表示板を見上げると、電光式ではないか。
 パタパタパタパタという音は、アジアンしているお嬢さん(非日本人)がけだるそうに引っぱっているキャリーケースの車輪がホーム床のタイルの目地と共演し、リズミカルなトーンを奏しているものだった。
 けだるさゆえに、パタパタ式デジタル表示板が動くテンポにそっくりだった。

 ここに謹んで読者の皆様、名鉄関係者さまにお詫び申し上げる。

 ラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937 フランス)の歌曲「シェエラザード(Sheherazade)」(1903)。

 T.クリングゾルの詞によるオーケストラ伴奏によるメゾ・ソプラノのための歌曲で、次の3曲からなる。

 1. アジア(Asie)
 2. 魔法の笛(La flute enchantee)
 3. つれない人(L'indifferent)

 オッターのメゾ・ソプラノ、ブーレーズ/クリーヴランド管弦楽団の演奏を。

 1999年録音。グラモフォン。

  筏みたい……
 土曜日。

 朝はすこしもやっていたが、徐々に天候は回復。
 今年の北海道はおどろくほど早く雪が降り積もったが、いまは雪もいったんなくなった。
 私の願いがかなった格好だ。

 この日の朝のニュースでお天気お姉さんが「庭の冬囲いをするには最後ともいえる絶好の日」と言っていたが、そのとおり絶好の冬囲い日和になった。

 途中、インフルエンザの予防接種を受けるために近所の内科医院に行ったこと、昼になったのでご飯を食べたことを除き、外の作業を行なった。

 今年も庭はご覧のような眺めになった。

IMGP1186

 それぞれに電飾(イルミネーション)を施せば面白いかもしれないと、まったくやる気もないことを考えてしまった。
 
 ナツツバキの葉もだいぶ散り、ポーポーちゃんが住んでいた家の姿もよく見えるようになった。
 親ポーポーの家づくりは実に丁寧じゃない仕事だったことが明らかになった(奥は別な鳥の巣。どんな鳥が営巣したのかわからないままだが)。

IMGP1184

 昨日は土曜日よりも寒く、風もあり、朝方は雨が降っていた。
 ファイターズの優勝パレードを見に行った人たちは、寒かっただろう。
 で、何を言いたいかというと、土曜日のうちに冬囲いをしておいてよかったということだ。

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