新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2016/10

マスクに隠された彼女の表情は?♪フォーレ/マスクとベルガマスク

FaurePelleas  ア、アタイを見捨てないで
 先週歯医者に行った。

 一時はケツの穴にストローを突っ込まれたあげく息を吹き込まれたカエルの腹のようになりかけた左下の歯ぐきの腫れも、少し前からかなり治まり、痛みもピーク時の指数を184とすれば41ぐらいまで軽減した。
 マシュマロしか食べられないくらい痛かったのに、いまではアーモンドチョコも平気で食べられる自信があるほどだ。
 私が通っているN歯科クリニックはもしかすると名古屋一なんじゃないかと思うくらいだ。


 前回は歯ぐきのクリーニング(歯石除去)、そしてこの日は優しくて笑顔が素敵な(きっとマスクの下は)衛生士さんが歯の表面をクリーニングしてくれた。

 そのあと院長がやって来て私に言った。


 「MUUSAN、これで予定していた治療はすべて終わりました」


 なんだって?


 痛みが78%軽減したとはいえ、コンビニ弁当の硬いフライの衣を噛んだときに痛みが走るときもあるし、腫れだって少し残っている。タブレット型のガムを噛むと疝痛があごの方へと走るし、レタスも芯のあたりはまだ辛い。
 もし私に羞恥心というものがなかったら、アーモンドチョコは別格で良しとしても、離乳食を食べたいくらいなのだ。

 確かに根性が足りずに治療台で多少はオエッとはなることもあったが、概ね手のかからない患者なはずだ。
 なのになぜ見捨てようとするのか?
 貧乏人は治療を受ける権利もないのか?この国の医療はどうなるんだ?


 そのとき私の脳裏に、この2か月ほどの記憶が走馬灯のように巡り巡った。


  本来の目的は……
 あっ、そっか。この歯科に駆け込んだのは上の奥歯が脱落してしまったからだった。

 その治療に来たときに、新しい義歯を造り、それは記念に持って帰るのではなくちゃんと口の中に装着し、そのあとはしばらく行なっていないようなので歯ぐきのクリーニングをしましょう。そういう口約束を交わしたのだった。

 奇しくもちょうどそのころから歯ぐきも疼きはじめ、その痛みは通院期間と重なったのだった。
 その痛みが日に日に強くなり、私は歯抜けじじいになる不安に亀甲縛りされてしまったので、本来の目的を見失ってしまっていたのだ。


 院長。あなたは正しい。

 予定していた治療はすべて終わった。

 予定していない治療をどうするかは別途相談のオプションである。


 「で、MUSSAN。歯ぐきがまだすっかりと良くなっていないようですが、ご提案ですが治まるまでの間2週間に1度くらいの割合で歯ぐきにレーザーを当てに来てはどうでしょう?」


 商売上手だ。いや、医者の鏡のような人だ。


 私が「喜んで!」と答えたのは言うまでもない。


  気が大きくなってショッピング
 とりあえずは治療は終わったし、歯ぐきも快方に向かっているので(が、最近は左上と右下と右上の歯ぐきもシフト体制を敷いてほのかな痛みを発しているような気がしてならない)、しかも帰り際に歯ブラシもプレゼントされたので(ホテルの洗面台に置いてあるような見てくれだが、袋には歯科医院専用と書かれているので、きっと由緒正しいものに違いない)私はすっかり晴れやかかつ大きな気持ちになって、会社に戻る途中ちょっと回り道をして、かねてから欲しいと思っていたものを買ってしまった。


 0.3mmのシャーペンシルの芯である。


 私は0.3mmの芯のシャープペンシルを愛用しているのだ。
 0.5mmの芯は会社で消耗品としてもらうことができるが、私は0.5mmのシャープは使わない。心と一緒で書く字も繊細なのだ。その代償として、芯は自分で買わなければならない。

 雲丹玉ならぬuni-ballのものを買ったが、けち臭いことに1ケース15本しか入っていない。それは別なメーカーのも同じだった。増量キャンペーンもやっていない。
 むかしは20本は入っていたはずだ。
 これなら中身よりもプラスチックのケースの方がコスト高だろう。が、15本あればトラブルが無い限り3年はもつんじゃないかと思う。


 フォーレ(Gabriel Faure 1845-1924 フランス)のディヴェルティスマン「マスクとベルガマスク(Masques et Bergamasque)」Op.112(1919)。

 フォショアの台本による1幕物の舞台音楽。モナコ皇太子アルベール1世の依頼で作曲された。


 原作はヴォルレーヌで、マスクとは仮面、ベルガマスクとはベルガモ風の衣装のこと。ベルガモはイタリアの町の名である。
 それを身に着けた喜劇役者たちの物語で、音楽は8曲からなる。


 1. 序曲
 2. パストラール
 3. マドリガル(Op.35)
 4. いちばん楽しい道(Op.87-1)
 5. メヌエット
 6. 月の光(Op.46-2)
 7. ガヴォット
 8. パヴァーヌ(Op.50)


 また、フォーレは4曲からなる組曲(序曲/メヌエット/ガヴォット/パストラール)に改編している。

 なお全8曲中、第3,4,6,8曲は自身の旧作からの転用。つまり、組曲は新作の楽曲のみをまとめたものになっている。


 転用された旧作のなかでも「パヴァーヌ」の美しさは天上的で、単独で聴かれることが多い(私は「レクイエム」と「パヴァーヌ」がフォーレの最良の作品だと思っている)。


 プラッソン指揮トゥールズ・キャピトル劇場管弦楽団、アリックス・ブルボン・ヴォーカル・アンサンブル、ゲッダ(テノール)による全曲盤を。


 1980年録音。EMI。


 私の歯の治療がひと段落したことについて、氷山課長は喜ぶと同時に悔しそうだった。

 レーザー治療のとき、首の老人性いぼにもあてて焼き切ってくださいとお願いしたら、ドリル攻撃に遭ってしまうだろうか?

大仰な曲だと思っているうちに虜になる?♪リャトシンスキー/Sym3

LyatoshynskySym2&3  とっつきにくいパパ
 リャトシンスキーという名前をご存じだろうか?


 “ウクライナの音楽の父”と位置付けられているお人なんだそうだ。


 ということは、カプースチンピゴヴァートのお父さんってことになるわけだが、なんでこの2人の名前が出てきたかというと、私がCDを所有しているウクライナの作曲家はこの2人しかいなかったからである。

 そしてウクライナ第3号として私が知ったのがリャトシンスキー(Boris Lyatoshynsky 1895-1968)なのである。知りたくもないだろうが、半年ほど前のことだ。

 世代的にはプロコフィエフ(1891-1953)より若く、ショスタコーヴィチ(1906-75)より年長ってことになる。


 今日はこのパパ・リャトシンスキーの交響曲第3番ロ短調Op.53(1951/改訂1954)。

 で、ここでご紹介するクチャル/ウクライナ交響楽団による演奏のCD(1993年録音。ナクソス)によると、
 
 ……交響曲第3番は彼の作品の中では最も知られるもので、初演時には大きなセンセーションを巻き起こしたと言われています。当初は「戦争を打ち負かし平和になる」と終楽章に碑文が付されていましたが、ソ連の検閲によりこれを削除、1954年に改訂を施されることとなります。最後は勝利で終わるかと思いきや、すっきりと終わらないところが面白いです。爆演ファンにはたまらない1枚でしょう。

という曲なのである。


 プロコフィエフを思わせる鋼のような響きがあるかと思いきや、じっくり漬け込んだロマンキムチのようなところもある。
 ショスタコーヴィチのシンフォニーの響きが軽薄短小に感じるほど重厚長大なところもある(長大といっても全曲の長さは50分弱。が、長大に感じる)。

 マーラーとエルガーに共通するところもある。それは大音響に喜びを感じるタイプの作曲家なんだろうという点。あるいは静かな楽章では上にも書いたように、ときとして耐えがたいほど甘く自己陶酔的なロマンが漂いまくる。


  ツボにはまるとどっぷり漬かっちゃう
 偉大なる冗長音楽だわいと思いつつも、この第3交響曲が彼のいちばんの作と言われていることに敬意を表して何度か聴き返していると、あらあらアタシったらどうしたことかしら、お父様は正しい!お父様のおっしゃる通りって、リャト神教の教えに刷り込まれてくる自分がいる。

 リャトシンスキーはリヒャルト・シュトラウスの影響を受けていたらしいが、この曲にはR.シュトラウスの「ドン・キホーテ」に似たメロディーが出てくるし、あるいは同じく影響を受けた神秘主義者のスクリャービンの交響曲の響きを彷彿とさせるところもある。

 グレゴリオ聖歌かな?
 それともレスピーギの教会旋法っぽいな。
 あれ?どっかで聴いたことがあるようなこのメロディー、民謡だったっけ?(彼は若いころはボロディンやチャイコフスキーの影響を受けている)

 などと、いろいろと考えさせられるというか、惑わさせられる。

 国民楽派・民族主義と、ロマン主義と、近代の寄せ鍋風。前衛のタレで召し上がると、寒いこれからの季節にぴったりで、パパもボクも大満足(真夏には聴くよりは)。

 交響曲第3番は“暗”から“明”へという、古くはベートーヴェンが交響曲第5番「運命」で描いた流れになってはいるが、作曲されたのはノーテンキで社会主義リアリズム精神にのっとった音楽じゃなきゃ音楽じゃないという時代。  
 リャトシンスキーも泣く子も失禁する当局から目をつけられ、批判の対象となった。この点はプロコやショスタコと同じ目に遭っているわけだ。

 1954年に終楽章をの改訂したのもソヴィエト当局からのお達しによるもので、リャトシンスキーはいやよいやよと言いながら直したのだった(たぶん)。

 なじむまでにちょっと手間と時間とがまんを要する作品だと思うが、これってはまる人にはロケットが宇宙ステーションに見事にドッキングするように、リャトシンスキーの脳と聴く人の頭蓋がぴったりと合致しちゃう恐れがある。つまり、そうなると“たまらない1枚”に化けちゃうのである。

 なお、私は持ち前の知性によってツボに迷い込むのを押しとどまっているが、けっこう好きになっちゃってはいる。
 4つの楽章の中では、謎めいていて神秘的な第2楽章が特に好きである。


 リャトシンスキーの弟子の1人にシルヴェストロフがいる。
 なるほど、たしかにリャトシンスキーはシルヴェストロフっぽい。いや、シルヴェストロフはリャトシンスキーっぽい。
 にしても、2人とももっと言いやすい名前にならなかったのかね。


 この曲を繰り返し聴くために、久々にウォークマンを使った。

 あんまりしばらくぶりだったせいか、メインのスイッチを押すたびにガサッ、ガサッという接点ノイズがしばらく発生していた。

 鉄路もウォークマンもちょっと使わないうちに錆が出てくるようだ。
 鯖が出てくるよりマシだけど。

力強いのにEDだなんて……♪オネゲル/パシフィック231

  メニューが格安?
 私が通常使っているOCNメールでは、しぶとく投げ込まれて来ていた迷惑メールに対し1つ1つ丹念にフィルター登録(日の目を見る前に即破棄)したおかげで、ほとんどゼロといっていいほどその手のメールは来なくなった。

 実に快適であるが、一抹の寂しさもある。
 宅配ピザの店員が付近一帯の家の郵便受けにチラシを入れて回っているのに、なぜか自分ちにだけ入っていなかったような、そんな疎外感がある。陰謀じゃないかとさえ思える。
 だからたまには、たとえば1日限定でフィルターを解除してみようかなと、いけない考えに襲われることもある。

 一方Yahooメールの方には、盛んにスパムメールが入ってくる。
 しかしその大半は、これで有料テレビ放送もすべてタダになるという何とかカードの売り込みか、わけのわかんない日本語とへんてこな色文字を多用した偽ブランド商品の販売サイトの案内であったですの。

 文字の色はどうでもよい。
 色気のあるおバカなメールは来ないのか?

 と思っていると、内容的にはまだまだ不満は残るが少しおオメガネにかなうメールが来た。

 【タイトル】風俗嬢も認めたアレの凄さ!ID:X6****
 【本文】
 レビトラのED治療で現役続行。
 他のED治療薬は試したことがないのでわかりませんが、レビトラの効果にはとても満足していてまだ現役で頑張れそうです。
 格安メニュー・ご購入希望・お問い合わせはこちら
 info*****@yahoo.co.jp
 「件名」に「格安情報希望」と書いてお送りください。格安メニューをお送りしております。


 真剣に突っ込む気はないが、風俗嬢も認めると言ったって、けっこう素人のバイトが多いんじゃないのかなと思う。よく店先に貼ってあるじゃない。“全員素人”とかって。
 だとしたら、たとえばバイト初日の女に人に何を認めてもらうというのか?

 それと、この表現だとメニューが格安って意味にもとれる。
 そもそもレビトラって何なの?

  私もEDに……
 さて、個人的なED体験の話をしよう。

 といっても、現役は無理で浪人生活をおくることを余儀なくされた過去を持つとかいう話じゃなくて、電気機関車のことだ。

 まずは前にも載せた写真を。DDとEDのショット。1文字目のDはディーゼル機関車、Eは電気機関車。2文字目のDは動軸の数が4つということである(Dは4、Eは5 etc……)である。
 そういえば、小学校の卒業文集の“将来の夢”ってところに、T君が“電気機関車”って書いてたけど、T君無事電気機関車になれたかなぁ。

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 こないだ雪に弱かったL特急“いしかり”のことを書いたが、下の写真はある冬の日の札幌駅。もちろん現在の高架駅になる前。現在のホームにはすべて屋根がかかっているので、こんな状況にはならない。
 ただ1歩外に出れば、どんな目に遭うか。それは昔も今も一緒。特に鬼門はポイントの多い苗穂駅構内。ポイント(線路分岐器)に雪が詰まりどーしよーもなくなるのだ。

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 今となっては記憶があいまいでこの電機が雪で立ち往生してるのか、雪を押しているのかよくわからないが、少なくとも除雪用の装備はつけていない。

 下の写真のおじさん、きっと「まいったなぁ~」なんて思ってるに違いないけど、たとえ北海道仕様のミツウマの長靴を履いてたとしても、足、けっこう冷たいんじゃないかなぁ。でも、このおじさん、何してんのかな?

 ところで、少なくとも私が知っている作曲家で、イニシャルがDDの人やEDの人って、残念ながらいない。土橋大吉とか田頭伝助といった邦人作曲家も見当たらない。

 機関車オタクだったドヴォルザークのイニシャルはADだから、今回はまったくお呼びじゃない。

HoneggerDenon  パシフィック社製の機関車っていうのは間違い
 そこであっさりイニシャルのことは忘れて、オネゲル(Arthur Honegger 1892-1955 スイス)の交響的運動(楽章)第1番パシフィック231(Pacific 231)」(1923)。

 パシフィック231というのは、先軸が2、動輪が3、後軸が1という車輪配置の蒸気機関車だそうで、この231配置の機関車をアメリカではパシフィックと呼んでいた。

 つまりパシフィック231というのは車軸が2-3-1配置の蒸気機関車ということであって、どこの国で造られたどの形式の蒸気機関車を指しているのかはわからない。
 考えてみれば日本でだって、日立EDとか東芝EFとか言わんもんね。

 また、オネゲルも機関車オタクだったそうだが、この曲は描写音楽であはなく、音楽の運動自体は遅れていくのにリズムが数学的に増大していく感じを表わそうとしたそうだ。

 序奏のあと、音楽はテンポを速めていくように感じるが、実際にはテンポは落ちている。リズムが細かくなっていくためアクセルを踏んだように聴こえるらしい。
 
 ここではフルネ指揮オランダ放送フィルの演奏を紹介しておく。

 1993年録音。DENON。

 また、冨田勲はシンセサイザーの多様な表現力を用いてこの曲をアレンジし録音しているが、ポォォォォォ~ッという汽笛の音や踏切のカンカンカンカンという音が加えられており(踏切の音のドップラー効果にワクワク)、こちらはまさに汽車が発車し加速していくさまが描かれている。

汝に雲隠れの術を♪A.スカルラッティ/私の心臓よ衰えないで

ScaelattiAMadrigali  気まぐれなナイゾー君
 ノートパソコンの内蔵DVD/CDドライブ(俗称「ナイゾー君」)のお調子が悪くなり、やむなく外付けのドライブを購入したことはすでに報告したが、この外付けちゃん(愛称「うすうすホワイト」)は問題なく動いてくれている。
 問題ないどころか、ナイゾー君より仕事が速い

 一方Eドライブに割り当てられているナイゾー君はというと、“コンピュータ”でこのドライブのアイコンをクリックするとまったく何事もなかったかのように正しくトレイが開いたりもするし、死んだシジミのように開かなかったりもする。

 もしかして機械的に調子が悪いのではなく、精神的に私をおちょくっているのではないかと疑いたくなってしまうほどだ。


 しかし、先日ナイゾー君をまったくおよびとしていないインターネットの閲覧中にカタ、カサコソ、カタ、ヒュンと音がした。
 止まった心臓が不規則に動き出したような、あるいはパソコンの中に得体の知れない昆虫が入り込んで散歩しているような音だが、やっぱりそうではなくてナイゾーの野郎が気まぐれに動こうとしたに違いない。


 こういう経験は初めてだ。

 私は思わず、とってもエッチなDVDを入れたままにしちゃったのだろうか?だから悶えはじめたのだろうか?と焦る必要もないのに内臓、とりわけ心臓がドキドキしたほどだ。

 つまり結論を言うと、やっぱりそうだったのだ。

 いやだから、すっごくいやらしいDVDを取り出し忘れたのではなく、このナイゾー君が狂っているということである。


CDdrive2  かたくななミツバチちゃん
 「うすうすホワイト」を接続してCDリッピングのために Music Bee を起動する。

 その場合、“編集”→“CDの取り込み”でCDドライブを指定するのだが、何度「うすうすホワイト」のF:に変更し設定を保存しても、次のCDを取り込む時にはナイゾー君のE:に戻ってしまう。もしここに平瀬さんがいたら、どーしようもないオヤジ特有のだじゃれを一発かますだろう。「イーかげんなやつ」って……

 ただそれを無視して(平瀬さんのことではなく)、F:である「うすうすホワイト」にCDを入れると、取り込み画面ではF:に勝手に、いやちゃんと変わる。予告をひるがえしてF:から取り込むのだ。だから問題はないのだが、でも、どーも気に食わない。

 ましてや今回のように眠っているはずのナイゾー君が目を覚ましそうな音を発すると、なおさら精神衛生上よくない。

  ナイゾー君はもう居ナイゾー

 そこでいっそのこと内蔵ドライブの存在そのものを消すことにした。ナイゾー君と絶交である。


 その方法についてはご存じかもしれないが、一応ご紹介しておく。

 ・コントロールパネルを起動し、[システムとセキュリティ]をクリック
 ・([システム]の)[デバイスマネージャー]をクリック
 ・[DVD/CDドライブ]の“ ▻ ”をクリック
 ・表示される内蔵DVD/CDドライブの名前を右クリック
 ・[プロパティ]をクリック
 ・[ドライバー]をクリックし、[無効]をクリック→“Y”


 これで内蔵ドライブは無効化される。

 無効化することによって、Music Bee でリッピングするときも、最初から対象が外付けドライブ(わが家なら「うすうすホワイト」)で表示される。これって、とっても気持ちがすっきりする。ドライブ名はE:になった。

 なお、私のような境遇で内蔵ドライブを使う必要がないならずっと無効にしたままで構わない(友好回復したいなら、上の手順の最後で[有効]を選べばよい)。

 でも、私はなんとなくナイゾー君がかわいそうな気がして、リッピング作業が終わったあとはE:ドライブを有効に戻している。
 もっと頻繁に虫の足音みたいなのを発するようになれば、無効のままずっと存在を消してやろうと考えている。


 じゃあ今日のところは、A.スカルラッティ(Alessandro Scarlatti 1660-1725 イタリア)の無伴奏5声のマドリガル「私の心臓よ衰えないで(Cor mio,deh non languire)」を。

 ルーリー指揮コンソート・オブ・ミュージックが演奏したCDを。

 1986年録音。ドイツ・ハルモイア・ムンディ。

 最後に申し上げよう。

 私はかなりエッチなDVDなど持ってはいない。
 そんなもの観ない。ネットで観れるもの……
 
 どーでもいい話だけど、かっぱえびえんって久々に食べたけどおいしいな。
 買ったんじゃなくて、ファミマのくじで当たったんだけど……
 

カレエとコオヒイが自慢のカツフエ@FUK♪WAM/魔笛(by レヴァイン)

MozartZauberflote  最近の老いたモンは常識がない
 土日にかけて出張で九州を訪れた。

 午後の1時半ころに福岡空港に着いたが、まぁなんと混雑しているのだろう。
 人も多いのだが、混雑混迷イモ洗い状態なのはターミナルビルの改修中で通路が狭く、かつ非直線化しているせい。歩きづらいこと極まりない。って、それなのに私ったら、エサを求めてさまよってごめんあそばせ。

 でもそれはともかく、到着ロビーにあったイースタンという焼肉屋みたいな名前の(それはウェスタンだったっけか?)喫茶店に入る。

 案内されたテーブルの隣にはどう控え目に考えても糖尿病を患っているに違いない恰幅の良いじいさんが私の陣地にまではみ出して座っていて(長椅子タイプだったのだ)自分のテーブル側に1mmたりともケツをどけようともせず、しかも向かいの友人らしき、でもかなり善意に解釈しても恰幅じじいにしいたげられた関係にありそうな胃下垂を疑わせる細身で貧相なじいさんにたいそう大声で話しかけているものだから、私は一瞬にしてとても劣悪な環境に置かれることとなった。肥えたカラスと栄養失調のニワトリの横に派遣されたクジャクのような心境だ。

 店の人が恰幅じいさんに「おりゃあ!そこはオメエの席じゃないだろ。ケツ半分ぐらいはみ出してるじゃないか!もっと左にずれろよ!」と言ってくれてしかるべきだと思ったが、そこは学生バイトの女の子。言えなかった(もしくは見て見ぬふりをした)。

 私はカレーライスを頼んだ。
 なぜならまだ昼食をとっていなかったからだ。
 カツカレーにしたかったが、この高慢ちきそうなじいさんがカツのルーツを想像させたので、ビーフカレーにとどめた。

 やがてカレーが運ばれてきて口に入れると、“カレーとコーヒーの店”だか“コーヒーとカレーの店”とだかと銘打っているわりには全然コクがなくて「ありゃりゃ?」と思ったのだが、2口目、3口目と上下の前歯の間から舌の上にスプーンを用いてイエローや奴を投入し咀嚼していくうちに、しつこくなくて適度な上品さをもった味わいであることがわかった。


 私は学んだ。
 今度カレーを作るときはルーを入れ過ぎないようにこれまで以上の努力をしよう、と。

 だいたいにおいてルーを鍋に投入後は、緩いんでないかとか味が足りないんじゃないかと思ってさらにルーを割りいれるのだが、結果的にでん粉だんごのような硬さになってしまったり、ライスを多めに食べなきゃしょっぱくてバランスがとれないということになってしまう。

 それはそれでたいへん役に立ったが、あの恰幅じいさんの大声トークで、貧相じいさんの顔に唾(つばき)がかかるのは一向に構わないが、私のカレーライスに飛び散って来ないか、そればかりが気になった。


  アルアホウってご存知?
 久しぶりに今回はウォークマンと、三途の川の淵から戻ってきた電子書籍端末のレディオを持って出かけてきたが、機内で読んだ1冊(じゃないけど、便宜上そう呼ばせてもらおう)に芥川龍之介の「或阿呆の一生」(昭和2年6月。遺稿)がある。

 そろそろ自分の一生を振り返るのに何かの参考になるかもと思ったわけではない。無料の青空文庫にラインナップされていたから、たまにはこういう日本文学も読んでみようかという気になったわけで、そういうらしくないことをしたせいかどうかはわからないが、到着地の天候は雨だった。

 芥川龍之介は芥川也寸志の父である。いや、芥川也寸志は芥川龍之介の三男である。

 それはどうでもいいが「或阿呆の一生」(あっ、これ「あるあほうのいっしょう」と読む。えっ?余計なお節介?すいません、決してあなたをアホにしているわけじゃないですけど)は芥川の自殺後に発見されたもので、自身の人生を書いたものと言われている。


 書かれ方は断章形式というものらしいが(三男坊が「交響三章」という作品を書いたのは父の影響か?いや、関係ないか)、そう長い小説ではないものの細かく多くの章だてになっている。


 第41章の「病」にはこう書かれている。


 或雪曇りに曇つた午後、彼は或カツフエの隅に火のついた葉巻を啣(くは)へたまま、向うの蓄音機から流れて来る音楽に耳を傾けてゐた。それは彼の心もちに妙にしみ渡る音楽だつた。彼はその音楽の了(をは)るのを待ち、蓄音機の前へ歩み寄つてレコオドの貼り札を検(しら)べることにした。
 Magic Flute‐Mozart
 彼は咄嗟に了解した。十戒を破ったモツツアルトはやはり苦しんだのに違ひなかつた。しかしよもや彼のやうに、……彼は頭を垂れたまま、静かに彼の卓子(テエブル)へ帰つて行つた。

 (青空文庫。底本「現代日本文学体系43芥川龍之介集」筑摩書房:1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行。2005年12月2日修正)


 この文を読んで私は咄嗟に内容を了解した、と言いたいところだが、いまだに大脳皮質は決裁してくれていない。

 主人公は実は不眠症に襲われているのであり、胃酸過多、胃アトニイ、乾性肋膜炎、神経衰弱、慢性結膜炎、脳疲労といった豪華極まる品揃えの病名を医者から言われているのであった。


 最近“胃アトニー”って聞かなくなった。乾性肋膜炎って知らないが、じゃあ湿性肋膜炎っていうのもあるのだろうか?

  九州に行って北海道ゆかりの店でお買い物
 いずれにせよ九州に行ったのに、私はモツ鍋は食べなかった。あまり好きじゃないし……

 一方で、北海道生まれである“クスリのツルハ”の看板を見て、懐かしさもあって店舗に突入。ちょうど切らしていた目薬を買った。
 ロートGOLD40を薦められたので薦められるままそれにした。


 モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の歌劇「魔笛(Die Zauberflote)」K.620

(1791)。


 この人気が高いオペラについてはここここに詳しく書いたつもりだから割愛するが、とにかくモーツァルトがこのとき死の前に立ってヘロヘロ状態だったのは間違いない。だからこそ同じ状況にあった或阿呆は“咄嗟に了解した”のだ。


 いったいこのオペラのどこの部分が流れていたのだろう?
 何枚組か知らないが(SPなら相当な枚数になる)、レコオドのどの面がかけられ、終わったのだろう?

 このオペラ、聴いている分には悲壮感溢れる音楽ではないのだが……

 前にも取り上げた、恰幅じいさん体型のレヴァインがメトロポリタン歌劇場管弦楽団を指揮した演奏を。独唱はバトル(ソプラノ=パミーナ)、セッラ(ソプラノ=夜の女王)、アライサ(テノール=タミーノ)、ヘム(バリトン=パパゲーノ)、モル(ザラストロ=バス)他による上演(DVD)。

 演技・歌唱についてはちょっと弱い感じもするが、パパゲーナ役のソプラノのキルダフがかわいい。パパゲーノとキスしやがって!この阿呆がっ!


 1991年ライヴ。グラモフォン。


 この演奏がすごく良い出来かどうかはわからないが、少なくとも私が持っている全曲盤はこれだけなワケ。
 
 それにしても、むかしはモツツアルトと言つてゐたのか……
 

雪が苦手だった“いしちゃん”♪シューベルト/冬の旅

  485系北海道上陸

 北海道にL特急(運行本数が多い特急の愛称)が登場したのは1975年のこと(3月のダイヤ改正時ではなく7月だったははず)。

 電車による運行の特急はたぶん北海道では初めてで、そのために本州で使われていた485系電車が寒冷地仕様に直されて、鳴り物入りで投入された。

 区間は札幌⇔旭川。
 北海道の最大の都市と2番目の都市を結ぶもので、それまでは電車(711系)による急行“かむい”が主役だった。

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 どうでもいいが(内心は割り切れてないけど)、4枚目の写真の右端に写っている男性がぶら下げている紙袋。むかしよく見かけたと思うのだが、いったいどこの店のものだっただろう?
 
 L特急の名は“いしかり”。

 鉄道雑誌などでしか目にすることがなかったこの485系の車両を初めて札幌駅で実際に見たときには、抱きつきたくなったものだ(現実には寄りかかるのがせいぜい)。

  顔も大切だが、問題は車体の下部
 ところがこの特急、冬になるとトラブル頻発運休続き。

 駅員がほうきで雪を落としたところでライトはよみがえるが、根本的な解決にはならない。
 北海道の寒さと舞い上がる粉雪は、たとえ寒冷地対策を施したとはいえ本州生まれの車両に対し牙をむきっぱなしだったのだ。

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 それでもなんとかがんばり続け、1978年にはこのようなトレインマークをつけて走った。


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 青いナメクジではない。
 これは石狩川をモチーフにしているのである。

 どうでもいいが、5番ホームでうつむいているお姉さん。いったい何があったのだろう?今になって、ずいぶん気になってしまう。


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 とはいえ、こんなにトラブルが多発していては商売にならんということで、“いしかり”をだましだまし走らせている間に北海道オリジナルの電車が開発された。

 それが781系である。
 781系については、また今度。

  氷結しちゃうんです
 シューベルト(Franz Peter Schubert 1797-1828 オーストリア)の歌曲集「冬の旅(Die Winterreise)」D.911,Op.89(1827)。


 詩はミュラー。2部24曲からなる(第1~12曲:第1部,第13~24曲:第2部)が、1部と2部は通しで演奏される。


 失恋した若い男が街から出てさすらいの旅をするという、暗く重い内容である。


  1. おやすみ
  2. 風見
  3. 凍った涙
  4. 氷結
  5. 菩提樹
  6. 雪どけの水流
  7. 川の上で
  8. かえりみて
  9. 鬼火
 10. 休息
 11. 春の夢
 12. 孤独
 13. 郵便馬車
 14. 白い頭
 15. 鴉
 16. 最後の希望
 17. 村にて
 18. 嵐の朝
 19. まぼろし
 20. 道しるべ
 21. 宿屋
 22. 勇気を!
 23. 幻日
 24. ライアー廻し

Schubert Winter  私が持っているCDはむかしも今もプライのバリトン、サバリッシュ(って、鯖りっしゅって変換されるのね。)のピアノの演奏、それ1枚。


 1971年録音。フィリップス。



頭は光り、衣装はくすんでいたコーラ好き老人♪ラヴェル/SQ

  熊がころり、社長さんもコロリ
 帯広勤務中は十勝清水にある取引先の社長(いまは勇退)と親しくさせていただき、ときどき一緒にお酒を飲む機会もあったが、先日電話したところ「台風で大変だったが台風にめげずに元気だ」と言っていた。実際、その話しぶりは相変わらず精力的だった。何よりである。

 このお方は“北海熊ころり”という日本酒が好きだった。小樽の酒で超辛口である。

 ふだんは日本酒は飲まない私だが、「ほんとに美味いから、あんたも飲んでみな」と社長さんに薦められて口にしたことがあるが、とても美味しい酒だった。
 そしてまた、社長さんはその酒しか飲まなかった(たまにそうでないこともあったが)。


  伝統ある北の誉が廃業、その影響で……
 その“北海熊ころり”の蔵元“山二わたなべ”が廃業したと、“財界さっぽろ”の11月号に載っていた。

 記事で初めて知ったが、“熊ころり”は北の誉酒造に醸造委託していたのだそうだ。ところが北海道の歴史あるメーカーの北の誉が閉鎖。
 ゛わたなべ”は別な委託先を探したものの見つからなかったという。


 社長さんは“熊ころり”がこの世から絶滅しちゃったことを知っているのだろうか?
 自宅の在庫(たぶんけっこうあると思う)がなくなったら終わり。どんなに悲しむことだろう。


  先見の明があった?
 日本酒といえば、札幌市西区は西野に“リカーショップやまや”という店がある。

 私が子どものころ祖父母の家に遊び行っていたころからあり、当時は“やまや商店”という名だった。

 そのころは普通の商店だったが、その後日本酒に力を入れて珍しいものも揃えるようになった。
 先日店の前を通りかかったが、なんだか入口がオープンな感じじゃなくて、立ち寄るのをやめた。
 もっとも、日本酒を買う気は全然ないが……


 手稲東町(現・西町)と西野(当時は手稲西野という住所)の間にある正路通り(旧国道5号線と山の手通りの中間に、両者に並行している道路)に面しているが(住所は西野1条6丁目)、いまでこそ住宅街の中にあるものの、できた当時はあたりはリンゴ畑だの空地だの、パンジー畑(もちろん出荷用)が多く、そんなに住宅はなかった。

 道も大きな通り以外は砂利道で、それも角ばった砕石だった。この砕石はたぶん西野の奥の福井や平和の砕石場で採取されたものだ。転んで手をつくと、出血必至。革靴なんかはすぐに傷ついたに違いない。

 そんなところに開店したのだが、いまでは札幌でも日本酒を専門的に扱う有名店になった。たいしたものだ。

Garden100523Biora

  めくると“500円”の文字が!
 一方、山谷商店よりももっと発寒川側。住所では西野1条4丁目になるが、やはり正路(まさみち)通りに面して“広島商店”というのがあった。

 ここは奥行もけっこうあり、肉屋や魚屋、おもちゃ屋に駄菓子屋などがテナントで入っている市場形式の店だった。あのころはここでふだんの買い物をしている人も多かったはずだ。


 広島商店の広島というのはこの中の酒屋の名前で、ペプシコーラの王冠の裏蓋をはがすと現金が当たるというキャンペーンで、ここで買ったものの1本で私が500円を当てたことがあり、当たりの王冠を持っていくと店主が大感激し、共に大喜びした記憶がある(その500円でまたコーラを1カートン買った)。

 広島商店の並びには喜久恵堂(字は違うかもしれない)というお菓子屋(和洋)があり、浦河から西野に引っ越してからは毎年クリスマスケーキはここに注文していた。昭和51年に西友西野店(西町店ではない)がオープンしたとき、この店はテナントして西友に入り店舗を移した。

 広島商店とお菓子屋の間には電器屋と洋品店があったような気がするがはっきり覚えていない。また広島商店の向かいには日立のチェーンの電器店もあった。

 その電器店の隣には、あとの時代になってからのことかもしれないが食堂があり、さらそのあとは喫茶店(トーテムだかいう店名)になった。その隣にはタマキという床屋があった。

 西野1条5丁目の4丁目側の角(正路通りに面しているところ)には、これまたあとになってからのことかもしれないが、マリ美容室っていうのもあった。マリさんってどんな人だったのかいまだに気になる。

 当時を思い返すと広島商店が無くなり、やまや商店が生き残るとは思わなかった。もっとも広島商店の主人と、同じく店に出ていた奥さんとの間にゴタゴタがあり、さらには主人が病気で亡くなったということもある。

IMGP1163

 正路通りとT字交差するマリ美容室の前の通りを山の手通りまで進むと、その手前に手稲東中学校がある。
 校舎は右手、グラウンドは左手である。

 にしてもこの道、こんなに狭かったのかと思うくらいいま通ると細い。

 この辺りがおそらくは無計画に分譲されたことがうかがい知れる(条丁目になる前の住所は番地だったが、ひどいとび番だった。というのも家が建った順に番地が付けられたらしいからだ)。

  知る人ぞ知る東中近くに住む有名人

 中学校の裏手には昔から市営住宅があり、当時はそこに住む“丹前じじい”というはげで細身の無気力そうな爺さんが界隈ではちょっとした有名人だった。

 いつも丹前姿で、日中に中学校の敷地内を通って山の手通りの方に行く。ほぼ毎日だ。
 しばらくするとコカコーラのホームサイズのカートンをぶら下げて帰って来るのである。

 いまの若い人は知らないだろうが、ペットボトルのない時代、500mlのビンに入ったコーラをホームサイズといい、その4本が入る厚紙のカートンがあったのだ。

 丹前じじいはどこに出動するのか?
 方向的にコーラを買っている店は笹原商店か小沢商店と思われた。いずれも山の手通り沿いである。

 視線はまっすぐ先を見ており、歩き方もゆっくり。
 しかも丹前姿(なのに靴はなぜか革靴。年季は入っていたが)だから、たぶんどこか体の調子が悪いと思うのだが、あれだけコーラを飲めるなら心配ないような気もした。

IMGP1164

 中学のプール前の1階の教室で授業を受けていると、校舎のすぐ横を歩く丹前じじいの姿が窓から見える。
 授業中に教科書読みを当てられている最中に、出没する姿が視界に入るとつらいものがあった。

 「誰だ。」メロスは走りながら、 うっ!(視野右75度に茶の制服を着た歩兵発見!超低速度で接近中!) 尋ねた。 ゲホンゲホン

 「ヒ、ヒ、 フィロストラトスでご じゃ、あっ ございます。貴方のお友達セリ ヌヌヌ ヌンティウス様の弟子でご じゃ、いや ございます。」その若い石工も、 ひひひひぃ~っ メロスの ご、ご、ご?、 後について走りながら叫んだ。「も、も、も、 もう、駄目でございます。」 先生。読めまふぇん……


 でもあの丹前、いつも同じに見えたけど、替えはあったのだろうか?

RavelSQMelos ラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937 フランス)の弦楽四重奏曲ヘ長調(1902-03)。

 この作品と、以上のたわごととは何の関係もない。
 むしろ今日は異例なことに音楽作品には触れないでおこう。いや、触れようがないと弱気になっていたくらいだ。

 でも、メロス弦楽四重奏団の演奏を紹介しておく(井瀬詩麻子のときに続き、何と今年2回目)。

 1979年録音。グラモフォン。

  虫の居所が悪い教育者?
 その丹前じじいが住む市営住宅に同級生も住んでいた。
 まだ小学生のころ、中学の体育館の横で(なぜかそこにはポツリとブランコだけが設置されていた)彼とサッカーのボール蹴りをして遊んでいたところ、ボールが体育館のガラスを直撃。ガッシャーンと割れてしまった。


 そのすぐ横には校長公宅があった。三角屋根の冬はいかにも寒そうな家だ。


 正直者の私たちは校長宅の呼び鈴のボタンを押した(ブーという音が聞こえた)。
 赤ら顔の校長が出てきた。単なるおっさんだった。それも寝起きを起こされたような機嫌悪そうな顔つきだった。

 事情を話した。
 許してくれるかと思ったら大激怒された。
 でも弁償は免れた。
 いまでも思う。あんなに怒ることないだろうに、と。


 今日掲載したビオラや野菊の写真は本文とは一切関係ない。
 文字ばかりなら嫌だろうから、イラスト代わりに挿入したに過ぎない。

あいつもこいつも同じ1号を名乗ってるわけで♪ライヒ/ディファレント・トレインズ

PA150283  分身か?
 1968年10月号の時刻表を見ていて、?(“はてな”と読むこと)と思うことがあった。


 函館5:05発“急行ニセコ1号”が列車がある。小樽回りで札幌着が10:05。列車番号は101D、つまり(気動車)ディーゼルカーによる運行だ。

 ところがもう1つ“急行ニセコ1号”という列車があるのだ。
 札幌10:05発、函館16:10着の列車だ。“ニセコ”っていうくらいだから、もちろん小樽回り。列車番号は104である。

PA150285 列車番号の末尾に何の記号も付いていないのは機関車牽引による客車である(末尾に“レ”を付すこともある。なお電車の場合は末尾にMが付く)。この列車は、たぶん当時は蒸気機関車が牽引していたSLマニアならシュッシュッポッポー大興奮、しびれまくりブーの列車なはずである。

 なぜかニセコ1号という列車が2本存在しているのである。


 下り列車(原則として東京から離れる方向)の場合、列車番号は奇数になる。上り(“上京”って言葉があるくらいだから東京方面に向かうもの)なら偶数である。この2つのニセコ1号の列車番号も、当然のことながらそのルールに従っている……、のだが〇号という数字も上りは偶数になるべきはずだ。なのに、104列車は“1号”なのである。


 誤植か?


 いや、ほかのページを見ると号数のつけかたが上り下りで区別されていないことがわかった。

2016-10-05_96 - コピー 例えば函館→札幌の下りの“特急北斗”。
 函館9:30発3D列車は北斗1号(この列車は旭川が終着)だが、函館16:25発21D列車は北斗2号なのである。

 上りはというと、札幌7:30発22D列車が北斗1号と奇数、旭川10:20発4D列車は北斗2号である。

 つまり、このころは上りでも下りでも1号から順に番号付けされていたのである。


 これってとても不親切だ。


 たとえば上に書いたニセコ1号。
 2つのニセコ1号は発時間と着時間が一緒だ。
 これはうっかり者の八兵衛が函館から着いた101D列車に乗り込んでしまい、「あっ、違った!」と気づいたときには104列車は出発してしまったあと、なんていう悲劇を招いたかもしれない。

2016-10-05_15 - コピー  様似に行く列車じゃなく、様似から来た列車
 これよりはるかに間違えそうなのが、苫小牧駅での急行えりも1号。

 札幌7:10発の上り(まずは函館方面へ通じる苫小牧へ向かうので上り扱いなのだろう)のえりも1号(718D)の苫小牧着は8:36。このあと(下る方向になるのだが)様似に向けて苫小牧を出発するのが8:43である。

 様似5:31発の下りのえりも1号(2711D。苫小牧の方に向かうのに、そこからは函館方面じゃなく札幌に向かうので下り扱いなのだろう。苫小牧で室蘭から来た急行ちとせと連結し札幌へ向かう)が苫小牧に着くのは8:20。発車は8:33である。


 これって危険だ。

2016-10-05_16 - コピー 浦河や様似に行こうとしていて、列車が入線したのであわてて飛び乗ったら(だって、ちゃんと“えりも”って書いたサボ(サインボード=行先標)がついているし)、あらあら向かったのは札幌ってことにもなりかねない。

 しかも苫小牧からは札幌方向も、様似方向も、隣りの沼の端駅までの間、しばらくレールは並行している。間違ってもすぐには気づかない仕組みだ(すぐ気づいてもあとの祭りだが)。

 1978年10月、つまり大幅なダイヤ改正が行なわれた月の時刻表の“全国ダイヤ改正のあらまし”というページにはこう書いてあった。

 従来まちまちであった特急・急行列車の列車愛称番号が新幹線同様、上り列車は偶数、下り列車は奇数の番号がつくことになります。


 この時点でようやくわかりやすく整理されたのだ。
 利用者目線じゃなかったんだねぇ。

 あっ、写真のディーゼル急行はニセコかちとせか、はたまた別なものかわかりません。
 イメージってことで。

DifferentTrains  で、違う列車の曲
 ミニマル・ミュージックのパイオニアであり、また大御所であるライヒ(Steve Reich 1916-  アメリカ)の「ディファレント・トレインズ(Different Trains)」(1988)。

 テープ(人の声と列車の警笛、サイレン、弦楽四重奏による演奏が録音されている)と、それに合わせて演奏される生の弦楽四重奏による3楽章構成の作品で(3つの楽章は続けて演奏される)、ここに書いたようにライヒの幼少期の思い出を音楽にしたものである。

 ライヒはニューヨークで父親と暮らしていたが、離婚した母親に会いにしばしば列車(汽車)で家庭教師とともにロサンゼルスに出かけた。
 しかし、もしユダヤ人である自分がこのときのヨーロッパに住んでいたらいったいどうなっていたことだろう?別な列車に乗るはめになっていたかもしれない。
 このような考えが作曲のもとになっている。

 この切なさというか不安というか心細さが伝わってくる雰囲気……
 私としてはライヒの作品中、いちばん好きな作品でもある(「テヒリーム」もかなり好きだけど……)。


 この作品で感心させられるのは(って僭越すぎるけど)、人の言葉の抑揚を弦楽四重奏が模してメロディーにしていくところ。そのメロディーが、話し言葉から生れているとは思えないほどどれも魅力的なのだ。

 ミニマル・ミュージックはゲンダイオンガクのジャンルの中でも(って、それは時代による区分に過ぎない)親しみやすく耳に心地よい(もちろん例外もあるし、繰り返しで頭がボーっとすることもある)。
 その中でも「ディファレント・トレインズ」は社会へのメッセージを持った、強い人間性を感じさせる作品である。

 クロノス弦楽四重奏団の演奏。


 1988年録音。ノンサッチ。

 実は私もかつて104列車に乗ったことがある。
 そのときはもうディーゼル機関車による牽引だった。

 “違う列車”といえば、名鉄の名古屋駅でも乗り間違えらしき人をよく見かける。
 おもに外国人だが、数分おきに列車が入線して来るので中部セントレア空港行のミュースカイに乗るつもりが、そのすぐ前に先に入ってくる豊橋行の特急電車などに引き寄せられるように乗り込んだりしている。

 大きなスーツケースなどを持っているのでおそらく空港に行こうとしているのだろうが、大きなスーツケースを持って豊橋に行く外国人だっているかもしれない。だから余計なことは言わない。それ以前に、言いたくても私の思いを言葉に変換できない。

 でも、あれって日本人でも間違いやすいと思う。
 ちょっと考え事をしていると、乗り間違えそうになる。

ファロ島じゃないので大ダコはいなかったけど……♪伊福部/vn協1他

  いえ、私だけが一方的に助けられました
 2週間前にTwitterでお互いに補い助け合っている、つまり相互フォローしている“N38916”さんからメッセージが届いた。

 このようなことは異例である。


 ブログの記事で大ウソを書いてしまっただろうか?で、そのクレームか?
 ちょっとビビる。


 しかしそのメッセージは私へのプレゼントについてであった。

 その内容を大まかに披露すると、


 1975年三菱海洋未来館(沖縄国際海洋博覧会)の内緒?音源です。
 ご興味ありましたらどうぞ。


 というもので、そのあとにはURLが記されていたが、1週間で消滅するというのでここには載せない。
 いや意地悪じゃなく、無くなったものはしょうがないではないか!

 この音源がわれわれにとってどのような価値あるか?
 
 さあ、たまには考えて次から正解をLet's選択。


 1. 私たちは三菱の株を持っている。
 2. 私たちは海に興味がある。
 3. 私たちは沖縄在住である。
 4. 私たちは伊福部昭のファンである。
 5. 私たちは内緒の仲である。


 ↓
 ↓
 ↓
 ↓
 ↓


 4の“私たちは伊福部昭のファンである”が正解。


 少なくとも1,2,3,5は私に該当しない。N38916さんのことはわからないが……


  沖縄で伊福部とはなんだか不思議な印象が
 さて、なぜ三菱海洋未来館が、沖縄国際海洋博覧会が、北海道生まれで林務官をしていた伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)と関係があるのか?


 良い質問だ。って、自分で書いてんだけど。

 そろそろうっすら気づいているかと思うが、1975年に開催された沖縄国際海洋博覧会の会場に出展していた三菱グループのパビリオン“三菱海洋未来館”で放映した“海へのいざない”の音楽を担当したのが伊福部昭だったのである。

 教えてくれたサイトに行き音源をダウンロードし、聴いてみる。


 どこがとははっきりわからないが、でもどことなく時代を感じさせるナレーションのバックに、聴き馴染んだメロディーが、良く言えばゆったりと落ち着いて、悪く言えば暗く重く流れている。

 勝手な想像だが、深く暗い海底で浮世の喧騒とは無縁に暮らし続ける深海魚たちの映像に合わせるにはぴったりの音楽だ。

 すでにSF特撮映画などで聴き親しんだメロディーが素材となっているのだが、このくそまじめでユーモアも学説に聞こえてくるようなナレーションと一緒に聴くと、不思議と新鮮に耳に響く。

 とは言いつつも、いま私のこの文を読んでいるあなたは聴くことができない(んだろうな、きっと)。

 そこで合理化、代償、白日夢


 この4年前(そして大阪万博の翌年)の1971年に伊福部昭は1948年に作曲した「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲(Rhapsodia concertante per Violino ed Orchestra)」に改訂を施している(下欄*)。

 今回はそれを聴いてみましょうね。


 この「協奏風狂詩曲」(のちに「ヴァイオリン協奏曲第1番」と併記するようになる)は「ゴジラ」のテーマの元となる作品で、第1楽章にオーケストラによってあのテーマが出現する。

IfukubeArmenian 今日は久保田巧の独奏による演奏を。
 指揮は井上喜惟(ひさよし)。オーケストラはアルメニア・フィル。
 井上喜惟についてはこちらも参照すると、参考になる可能性を秘めている。


 1993年ライヴ録音。Altus。ヴァイオリン協奏曲第2番も収められている。


 また1948年の原典版は現在聴くことができないが、1959年の改訂第2版の演奏のCDは出ている。

 ヴァイオリンが小林武史のもの(フォンテック。森正/ABC響<59>)と前橋汀子によるもの(NHK)を現在聴くことができるが、今日はNHKの放送音源として残っていた前橋汀子の演奏を。

IfukubeIwaki 「ゴジラ」のメロディがそのまま出てくることで知られる「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲」の独奏は何と前橋汀子。当時17歳で、ソ連に留学する以前の貴重な記録。さらに凄いのは、伴奏がやはり根強い人気のある山田一雄の指揮であること。両者ならではの情念とスピード感が非常な魅力。この共演は伝説となっていましたが、ついに日の目を見ることとなりました。完全初出です。

 というもので、指揮は山田夏精(一雄)。オケは東京フィルハーモニー交響楽団。


 1960年録音。NHK。モノラル録音。 


 伊福部昭が三菱のパビリオンのために曲を書いたのは沖縄が最初ではない。

 「こんにちはぁ~こんにちはぁ~」で知られる(って、古すぎる)1970年の大阪万国博覧会。
 三菱が出展した“三菱未来館”で映された“日本の自然と夢”の音楽は伊福部によるものだった。

 で、今日私は、大阪よりも西で、沖縄より近い、九州にいる。

 *)過去の記事では1975年に改訂と書いている。これは文献によってそのように書かれていたためであるが、現在リリースされているCDを見るとどれも1971年改訂(そしてそれが最終版)ということなので(そして決定打は片山杜秀氏の「KAWADE夢ムック」の記述)、過去を懺悔するとともに訂正させていただく。
 どうやら1975年と書いてある文献は、この最終稿の2度目の演奏(独奏:黒沼ユリ子)がこの年だったことによる誤解のようだ。
   改訂版初演は1971年に徳永二男の独奏によって行なわれているというのが正しいらしい。

若いふりして“JR”と言っても世代がばれてますよ♪伊福部/国鉄組曲

  コメ嫌いなまぁさ
 おととい、masaさんからメッセージが届いた。


 このブログを義理堅く読み続けている人ならご承知、もしくは記憶の片隅にあるかと思うが、masaさんは新得町に住んでいる、私が帯広勤務時代に仕事でお世話になった人物である。

2016-10-05_142sub

 8月末の台風10号によってパンケシントク川にかかる根室線の鉄橋が濁流で崩落したが、その場所は新得町内である。

 この台風によって、幸いmasaさんの家は大丈夫だったようだが、長引く断水でたいへん苦労したという。

 masaさんは時おりメッセージを寄せてくれるが、コメントは寄せてくれない。
 コメントだと公開される可能性がほぼ100%あるので、それを避けているに違いない。

 なぜ避けるのか?
 がらに似合わずけっこうシャイなのか、あるいは自分のことを世間に知られたくないスペシャルな事情があるのかのどちらかだろう、きっと。

  JRじゃなくてJNRです

 今回だけ特別に許しを得て(いないが)、そのメッセージの一部(といっても大部分)をご披露申し上げよう。

 来ました。何がって、白い そう初雪です。
 札幌 旭川積雪です。JRの話なんかやってる場合じゃないですよ~


 そうなのだ。
 おととい、ついに札幌でも雪が降ったのである。

 この現実を知ると、つくづく早めにタイヤ交換を済ませておいてよかったと、自分の危機管理能力の高さに感心する。

 masaさんのメッセージは冒頭から強烈だ。
 “来ました”と突然読む者を襲撃する。
 いったい何がだろうと疑問が生じる前に、さらなる疑問をmasaさんは投げつけ、たたみかけてくる。“白い”という簡潔だが深みのある形容詞だ。

 そのあとには私をじらすように1文字分のスペースが。敵ながらあっぱれの憎い演出だ。

 “来ました”→何かわかるか?、という挑戦的な質問→“白い”……はて、いったい何のことか?、と考える間を与えずに、小学校の卒業式の“呼びかけ”のように、丁寧に答えをおのずから暴露してしまう親切さ。

 ここですぐに“そう初雪です”と書くことによって、私がオバQかな?と誤った道に進むことを阻止してくれているわけだ。

 が、そのあとが失敗だ。
 “JRの話”?

 ちっ、ちっ、ちっ!

 違いますよ、JNR世代のmasaさん。
 JRじゃなくて国鉄の話ですよ。


 もっとも、いまや国鉄って言葉を知らない人もけっこう多いかも。
 だって、JRへ分割民営化されたのが1987年。
 もうすぐ30周年を迎えるくらいなのだ。

 上の写真は1978年ころに撮ったものだ。
 つまり石勝線はまだ開通していないので上り方面の次の駅は根室本線の落合だけである(現在は落合とトマム2つが記されている)。


  江ノ電のことじゃありません
 知らないっていえば、東京の山手線や京浜東北線などが“国電”って呼ばれていたことも、それより国電につけられた“E電”っていう愛称も、若いモンにはハテナだろう。きっと。


 伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の「国鉄」組曲(Japanese National Railways,suite)。

Ifukube100nenki1 この組曲については、旧館となっている“読後充実度 84ppm のお話”を私がメインブログとしていたときの最終日の記事で取り上げている(その後旧館は月2回ほどのペースでなんとか生きながらえている)。

 その記事と話が重複するが、「国鉄」組曲は伊福部が手がけた国鉄の記録映画3本から12曲を組曲化したもの。
 2014年2月に行なわれた伊福部昭百年紀実行委員会主催のコンサートで初演された。3本の映画は、


 ・ つばめを動かす人たち (1954:日映科学)
 ・ 雪にいどむ (1961:日映科学)
 ・ 国鉄~21世紀を目指して(1966:学研)


 である。


 齊藤一郎指揮オーケストラ・トリプティークの演奏。

 2014年ライヴ録音。スリーシェルズ。


 伊福部の重量感ある音楽は、客車を牽引して疾走する機関車の映像なんかにぴったりだっただろう。

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