新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2016/09

一見鶏中華風乃美味黄鶏蕎麦於浦臼♪杉谷昭子のLvB/p協

  そばが食べたくなった
 連休の中日(ドラゴンズの状況ではなく、中間の日という意味)。

 私は前日の柴刈り(芝刈りではない)後の枝の始末に疲れ、妻は特に用事もなく、長男も予定がない。
 加えて、私はどこかに出かけたいという気持ちとそばを食べたいという気持ちが融合し、その結果2人とともにそばを食べに出かけることにした。

 ネットで近隣を調べると、近隣とは全然言い難いがなんと浦臼町がそばの産地であることがわかった。
 “牡丹そば”という品種が栽培されており、今週末(24~25日)には“そば祭り”が開催されるほどの町なんだそうだ。
 浦臼は空知管内とはいえ、札幌も含まれる石狩管内と同じ道央圏。なのに私はそのことをちっとも知らなかった。

 そもそも私と浦臼町との間にはまったく縁がない。
 多分、これまで行ったことがあるのは1~2度だけ。それも車で通過しただけだ。札幌からなら車で1時間以上かかるし、JRなら浦臼まで行く列車は1日6本しかない(しかも直通ではなく石狩当別で乗り換えである)。

  まるで「乗るな!」って感じ
 ちなみにこの札沼線(通称・学園都市線。なぜ“札沼”かというと、もともとの計画では札幌⇔石狩沼田を結ぶことになっていたから)の終着駅である、浦臼よりさらに先の新十津川まで行く列車(石狩当別⇔新十津川)は1日1往復のみ。始発便が最終便ってもの。
 下りは当別発7:45→新十津川着9:28。しかし上り便は新十津川発9:40→当別着11:03.

 つまり、朝の下り列車が新十津川に到着し、その12分後に上り便として折り返すのだが、もしJRしか移動手段がない人なら、新十津川に行っても何の用も足せないダイヤだ(おしっこをする時間はあるが)。
 1泊2日の行程とならざるを得ないが、泊めてくれる友人・知人、親類がいないとつらい(宿はあるのだろうか?)。もっとも、新十津川から滝川は近いが……

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 JR北海道が廃止したがっているいくつもの路線のなかに、北海道医療大学⇔新十津川間があるが(輸送密度が北海道でワースト1)、このダイヤじゃ利用せって方が無理だ(北海道医療大学駅は石狩当別より1つ新十津川側の駅で、札幌から医療大学までが電化区間)。

  そばの産地なのに、そば屋は2軒のみ
 さて、じゃあ浦臼にはそば屋がたくさんあるのかというと、ネットで検索しても出てきたのは2軒だけ。
 そのうちの1軒を目指した。

 国道275号を北上。
 当別町では、先日行った“かばと製麺所”の、この日も長く連なる行列を横目に車を進めた。

 目的の店は“わか杉”。
 275号線沿いにあった。
 浦臼駅もすぐ近く。

 駅にはディーゼルカーが停まっていた。
 12:14に着いて、折り返し13:21発石狩当別行の列車だ。
 数少ない貴重な列車を目にできてラッキーだった(ような気がした)。

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  こういう店っていいなぁ。美味しいし
 “わか杉”は適度な混み方。
 大将(?)の「いらっしゃいませ!」という声に迎えられる。

 待たされることはなく、私たちは個室になっている小上がりへ案内された(そのあともコンスタントに客-家族連れが主体-が訪れた)。

 メニューを見ると“そば屋”であることは間違いないが、ご飯ものも充実。
 いずれもリーズナブルな価格設定。

 焼酎やウイスキーのボトルキープもできるようで、地元の人たちの夜の社交場にもなっているのだろう。
 飲んで、〆にそばって私には理想形。うらやましい。
 
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 私はかしわそばと鰹ぶしのおにぎり、妻は天ざる、息子はカツ丼セットを頼む。

 ところで鶏肉のことをかしわというが、それを漢字で書くと黄鶏なんだそうだ。
 かしわというのは日本在来種である羽が褐色のニワトリのことで(だから黄鶏)、それが今では鶏肉のことを総じてかしわと呼ぶようになったらしい。

 壁には“牡丹そば”についての説明が書かれた張り紙が。

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 伊達のびっくりドンキーでハンバーグを食べたのは盆明けのことだった。
 どうでもいいことだけど……
 
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 妻が頼んだ天ざるの天ぷらは、仰々しく厚い衣をまとったものではなく、実直で家庭的な感じのもの。
 一口分け与えてもらった麺はひじょうにコシが強く、風味も力強いもの。良いそばだ。つゆはやや甘めで私の好み。

 息子が頼んだかつ丼セットは、丼とそばそれぞれがハーフサイズ。
 もちろん味見させてくれるわけがない。

 私が頼んだかしわそば。

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 かしわと薬味の小口切りのネギ以外にも、うまいぐあいに火が通ったねぎが入っている。このねぎの甘みが、これまた斬新的に美味しい。ほかにワカメと水菜が。

 メニューに載っていた写真を見たときも思ったが、その姿はラーメンのよう。
 あるいはまた、山形で食べた鶏中華を思い起こさせたが、もちろんこちらはまぎれもなくそば。

BeethovenPf3 めんは硬すぎず柔らかすぎず。でもしっかりとしている。
 つゆも薄すぎず濃すぎずで、だしがきいている。
 涙が出るほど美味しいという突出したものではないが、庶民的な感じから逸脱しないぎりぎりのところでの匠の味って感じで、とても美味しいそばだった。
 なお、おにぎりも塩加減が絶妙。鮭があればもっとうれしかったのに……

 あぁ、“わか杉”で食べすぎ。
 でも、反省するこちょなんてなく、大満足。
 接客も家庭的で心地よかった。

 以上の話とあまり関係ないが、杉谷昭子が弾く、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集(vn協奏曲を作曲者自身がp協奏曲に編曲したものも収録。オスカンプ指揮ベルリン交響楽団。1993-94年録音。ブリリアント・クラシックス)を。

 浦臼では神内ファームがあか牛を飼育している。
 “わか杉”にも神内和牛あか牛そばっていうのがメニューにあった。
 牛肉とそばって、どんな感じになるのだろう?

 でも、そう考えてみれば浦臼って、ワインやメロンもあるし、けっこう名産品がある町なんだな。

新たな建造物を発見♪ストラヴィンスキー/バリモントによる2つの詩

 【前回のあらすじ】
 今回帰って来てナツツバキの葉の間からキジバトの巣を見てみると、そこには驚くべき光景があった!……だから今日へ続いてるワケ

Kijibato20160916  夫婦ではなく、兄弟(または姉妹)だった
 昨日1週間前のことを書いたが、巣に雛が1羽いるのを確認したものの見捨てたんじゃないかというくらい親が帰って来ない。

 ところが金曜日の朝、見上げる形ではあるが葉の茂みの間から、変態オヤジのようにのぞき見してみると、なんとあのつがいがいるではないか!

 なぜ夫婦そろってすまして座ってる?子どもはどうした?

 いや、ちょっと待てよ(←いや、私が)。
 親にしては一回り小さい。

 ってことはこの子たちは、1週間前には巣から頭が見える程度だったチビ雛か?
 あまりに成長が速い気がするが、それ以外考えられない。

 そして、これで急に糞が垂れてきたことにも納得した。
 親だけの時は糞は落ちてこなかった。きっとお出かけしたときにどこかで済ませてくるからだ。自宅は汚さないのだ。
 年金暮らしのお年寄りが、水道代節約のために苦肉の策として自宅のトイレを使わず、買い物に出かけた先で用を足すように心がけているという話に共通しないでもない。

 しかし子はまだ出かけられない。ただ大きくなって、糞はするようになった。
 まさに糞たれ小僧のごとく、垂れ流すしかない。

 さらに、1週間前は雛は1羽しか確認できなかったが、キジバトは卵を2つ産むという説を証明するかのように、間違いなく2羽いる。まるで二卵性双生児のように。
 糞もダブルである。

  親は見捨てていなかった
 そして土曜日の早朝。
 母親か父親かはわからないが、親が巣に飛んできた。

 彼女(もしくは彼)は、ちゃんと親としての義務を果たしていたのだ。
 戻ってくる頻度が少ないのは、日中パチンコ屋に入り浸っているのではなく、昨日紹介した“説”のように子の自立を促しているのだろう。
 ニュースにしばしば取り上げられるバカで身勝手すぎるニンゲンの虐待親より、はるかにまともである。

 さらにこの日の午後、私が草取りをしていたところ、ひどく大きな羽音がした。
 また親鳥が帰って来たのだった。あんなにバタバタしなくてもいいだろうに。明らかに私を威嚇している。

 そのあとすぐさま親と、もう1羽が飛び立った。あとを追った方は、すぐにわが家のバルコニーの柵にとまった。こちらが子どものようだ。
 飛び方の特訓を受けているようだ。
 親が「私に続け!」とばかり先に進んだが、おぼつかない飛び方ですぐに休憩したらしい。

 が、親のあとを追ったのは1羽だけ。
 巣を除くと、もう1羽は巣の中で鎮座していた。

StravinskySrtBoulez 私が気を遣って庭から家の中へ撤退すると、子らしい方が庭に戻って来て、いっちょ前に地面を何度かつついて(アリでも食べていたのだろうか?だとしたらありがたい)、そのあと巣に戻った。
 こんなに温かく見守ってあげているのに、やはり私のことは邪魔者として警戒しているようだ。

 ストラヴィンスキー(Igor Fyodorovich Stravinsky 1882-1971 ロシア→アメリカ)の「バリモントによる2つの詩(2 Stikhotvoreniya Konstantina Bal'monta)」(1911/改訂1947)。

 第1曲が「忘れな草,愛のささやき(Myosotis, d'amour fleurette)」。第2曲が「(Le pigeon)」。

 バリモント(1867-1942)はロシアの詩人。

 ストラヴィンスキーはバリモントの詩をカンタータ「星の王」(伊福部昭が「変わった作品」と言っているものだ)でも用いている。

 「春の祭典」を作曲しているころに書かれたこの歌曲、やはり同じ時期に書かれた「星の王」と同様に不思議触感な音楽だ(改訂された1947年というのも、「春の祭典」の改訂と重なる)。

 ブリン=ジュルソンのソプラノ独唱、アンサンブル・アンテルコンタンポランの演奏を。

 1980年録音。グラモフォン。

  もう少し耐えてね、masaさん
 ところでポーポーちゃんの巣を除いているときに、同じナツツバキの木に別な、もっと小ぶりで深型の巣があることを発見した。

 しかし何かがいるような気配は感じられない。

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 にしても、今年はナツツバキが鳥たちに大人気だったようだ。
 これもひとえに私に対する信頼の証である。って、さっき書いたことと矛盾してるけど……

 ポーポーといえばmasaさんである。
 なぜかわからないだろうが、そうなのである。
 masaさんとポーポー(でも、こちらのポーポーはハトとは関係ない)は強固に結びついたイメージがあるのである。

 そのmasaさんについては、読者諸氏のなかにもご存じ、というか、記憶に残っている人もたぶんほとんどいないだろうが、新得の人である。
 台風10号で大きな被害を受けた町だ。
 一大イベントである“そば祭り”(今年は特に大きな催しが企画されていた)は、今週末開催予定だったが中止された。訪れる人の交通手段がいまも限られてしまっていることと、断水しているためだ。

 15日にmasaさんからメッセージが届いた。
 コメントと違いメッセージなので原則非公開にしなければならないが、その主旨はこうだ。

 ・ 相変わらず断水が続いている。
 ・ 出張など全てが延期、もしくは中止のためずっと家にいる。
 ・ 断水を100%経験している。
 ・ つまり、まいったもんである。

 このメッセージが届いた翌日の北海道新聞の記事によると、新得の隣の、これまた大きな被害を受けた清水町は15日に水道が全面復旧。同日現在、新得町では断水している2636世帯のうち、生活用水が使えるようになったのは半分強。ただ、飲料として利用できる全面復旧は29日ごろになる見通しだという。

 あと、10日もある。

 が、先ほど届いた北海道新聞朝刊によると、昨日水道が全面復旧した。18日の水質検査の結果、飲み水としても利用できるようになったという。

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 masaさん、ホントよかったですね!

 また、同紙1面には、あの報道が速報とはいえやはり一面でしか物事をとらえない不安をあおるあものだったことを証明するように、タマネギ平年並みという記事が。

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 あの局の朝のニュースでは、新聞各紙の記事内容を紹介するコーナーがあるが、この記事をどう扱う?

私はどんなことがあってもお母さんだから♪吉松/鳥は静かに…

  あまり近寄るなという警告か?
 ポーポーちゃんだが、このあいだ不思議と糞をまきちらさない、実に上品で礼儀正しいやつだとほめたとたん、おやおや、木の幹や葉に白いものが……

 まあ、しょうがないな。鳥だもん……
 見ようによっては、黒すす病の黒さとのコントラストがすてきかも。


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 プルーンの木を大胆に剪定したということを書いたが、切る前はこんな様子だった。


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 それを手鋸と電動鋸の両方を駆使し、剪定後はこうなった。


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 うん、剪定というよりは伐採に近い。
 砂漠にある柱サボテンっぽくもある。
 これを見た妻が一瞬絶句したが、実行犯である私でさえも、それも無理はないなと思う。

  パパもママも帰ってこないの……
 このようにギコギコ、ガーガーやっていたせいだろうか?

 その後ポーポーちゃんの姿が見られなくなった。

 騒音に嫌気をさして、あるいは警戒して巣を放棄したのだろうか?

 ネットでいろいろ調べてみると、キジバトはそこそこ警戒心が強く、場合によっては子育てを放棄して巣に戻って来なくなることも珍しくないという。


 その子育てだが、下から巣を見ると、いたのである。ヒナが!

 しかももうけっこう大きくなっている。
 今までは小さくて見えなかったのが、巣から頭が見えるようになったようだ。
 しかも時おり頭を動かすが、鳴き声をあげることもなく実に静かにしている。
 手のかからない子だ。

 キジバトは1度に2つの卵を産むというが、私が確認できたのは1羽だけだ。


 それにしても、こんな子がいるのに戻ってこないなんて、母親として高畑淳子を見習えと言いたくなる(って、あの人はけっこう過保護な印象を受けるけど)。

 私が抱いているヒナ鳥のイメージは、口を開けて親が頻繁に運んでくるミミズなどを口移しでもらうってもの。
 が、このヒナは達観したかのようにじっとしている。
 全然親も戻ってこない。
 親がもう戻ってこないとなると餓死する危険もある。


  いわゆる流動食ってものか?
 またまた調べると、キジバトは虫とか穀物とかを親が運んできて与えるのではないという。
 親がピジョンミルクというものを体の中で作り、それを与えるんだそうだ。
 そのことを知らずにいると、「子どもにゲロを飲ませた。虐待だ」って騒ぎになりかねないところだ。

 そういうこともあって、頻繁に子に餌付けする必要もないのだそうだ。

 とはいえ、それにしても帰ってこない。

 しかし、こんな情報も。

 キジバトは庭や公園の木でも繁殖するので、よく「巣に親鳥が戻らないのでどうしたらよいか」という問い合わせを受ける。だが、巣の近くで人が見ていることを警戒して戻ってこないこともある。また、ひなに頻繁に虫を運ぶ小鳥と違って、ピジョンミルクのおかげで給餌回数は少なくてよいし、小鳥でもそうだが、ひなの巣立ちを促す頃に親はあえて給餌しなくなることも知っておきたい。

 そうかい?
 安心していいのかなぁ。
 心配しても手の出しようはないし、ほんとに警戒して子を捨てて去ったのなら、責任は私にある。
 プルーンの木の姿があまりにも変り果てたので、自分の巣の位置がわからなくなったてこともあるかも。それもすべて責任は私にある。

YoshimatsuMemoFlora 吉松隆(Yoshimatsu,Takashi 1953-  東京)の「鳥は静かに…(and Birds are still…)」Op.72(1997-98)。

 弦楽合奏のための曲で、作曲者はこう述べている。

 弦楽アンサンブルのための短い悲歌として書かれたこの曲は、一羽の鳥の死を仲間の鳥たちが静かに黙して囲んでいる...といったイメージから生まれたもの。元々はあるアマチュアのアンサンブルから「亡くなった仲間への追悼の意を込めた短い弦楽アンサンブルの作品を...」と委嘱されて構想したものだが、後に委嘱は破棄されてこの作品だけが残ることになった。

  曲は、短く断片的な歌がかすかな歌となって形をなしてゆき、メランコリックな遠い思い出のようなメロディとなって歌われた後、ふたたびまた断片として融けるように消えてゆく…というシンプルな形式で出来ている。

  1997年夏から98年春にかけて作曲され、3月に完成。最小12名(4-3-2-2-1)から最大37名(12-9-6-6-4)の弦楽アンサンブルで演奏可能である。op.72。

 藤岡幸夫/マンチェスター・カメラータの演奏で聴くことができる。

 1998年録音。シャンドス。

 なんか縁起でもない曲、とりあげちゃったかな。

 なお、以上の観察日記は1週間前までのこと。

 そして、今回帰って来て見てみると、そこには驚くべき光景が! ……(明日へ続く)

蔵に積み重なった黄色いごちそう♪テレマン/ターフェルムジーク

IMGP1070  鬼め!悪魔め!

 おとといからまた出張で北海道に来ている。


 今月の私はあまり支社にいる日がない。
 それで千葉課長がひどくさびしがっているのは、その瞳の色でわかる。


 しかし、許してくれ。


 こっちでの仕事があるし、それにあわせて(あとで書くように、移動の効率化も考慮して)休みも取ってるし、ポーポーちゃんの様子も見なきゃならないし、バラの剪定や落ち葉拾いもしなければならないのだ。


 肺気腫予備軍が集う、薄暗い喫煙ルームの中。
 さびしげな千葉課長の瞳にさっと桃紫色の光が走ったかと思うと、こんな意地悪なことを言った。


 「MUUSAN、今月は単身赴任手当要らないんじゃないですか?」


 な、な、何を言う!


 今回の札幌での用務は、昨日と来週の火曜日と再来週の月曜日である。
 ひどく予定が飛び石級なのだ。


 昨日の業務を終え今日戻る、そして土日祝をはさみ火曜日の朝再び札幌へ飛び、水曜日に名古屋へ戻る。木曜日は祝日なので休みだが、金曜日に支社に出勤し、月曜は朝から会議なので日曜日のうちから札幌へ移動。


 こうするのが王道のように思われるかもしれないが、これだと3度名古屋と札幌を往復しなければならない。

 しかもそうしたところで、支社に出ることができるのは金曜日だけということになる。


 つまり、私はずっと滞在することで3往復分の費用約20万円をを1往復分に抑え、3度の飯、のあとの服薬よりも好きな仕事を犠牲にして、来週金曜日は有給休暇をとるという苦渋の決断をしたのだ。

 それに単身赴任手当をいただいているので、自宅のある札幌へ出張する場合は当然宿泊費は支給されない。この点でも今回長く居残っても会社に迷惑をおかけしていない。


 これほどまでのコスト意識をもっているのだ。

 なのに単身赴任手当を没収しようとは、まったくもってデビル千葉である。

 没収されたら滞在見合いの水道料金と電気料金、食費を妻に納められなくなってしまうではないか!
 って、でも千葉課長の寂しい気持ちはよくわかる。


 ところで余計なことだが、ミレーの有名な絵画は“落穂拾い”である。落葉拾いではないのだ。

 子どものころは落穂って何か知らなくてとっても苦労した、って経験は私にはない。


  一粒残らず奪取してくれた

 庭に落ちたプルーンやナツツバキなどの葉。

 といっても、前回私はプルーンの木を思い切って大胆に剪定したので(「大きくなりすぎたので切って」とあれほど言っていた妻に笑われたほど、すっきりさせたのだ)、ごっそり葉が落ちているわけではない。

 むしろ冬に向けて、そろそろバラを強剪定しておく方が重要な作業になるかもしれない。


 それよりなにより、私は人生初めての光景を目にした。


 “アリの巣コロリ”の中のエサ、クロアリ向けの黄色い顆粒が、すっかりとなくなっているではないか!


 私が数日間目を離したすきに、やつらはせっせと美味しい毒餌を巣に運んだのだ。


 そのわりに、まだ周囲をうろうろしているクロアリが少なからずいるのが気にかかるが、女王アリが「皆の者、よくぞこのような見たこともない魅惑のラムネ菓子を大量に運んでくれた」と働きアリたちをねぎらい、みんなでラムネパーティーの大宴会をするに違いない。
 やがて地下に張り巡らされた通路には方々から断末魔の叫びが響き渡り、全体がコロリっちゃうのだ(と期待したい)。


 教訓 : アリの巣コロリを設置したあとは、そのことを忘れるくらい無関心になれ!


Telemann Tafel テレマン(Georg Philipp Telemann 1681-1767 ドイツ)の「ターフェルムジーク(Tafelmusik)」(1733)。


 ターフェルムジークとはテーブルミュージック、つまり「食卓の音楽」。


 とはいっても、食卓を囲みながら演奏するのではなく、食卓を囲んでいる人たちのために奏でる楽曲。
 いまなら、レストランのBGM、ご家庭ならTVのプロ野球中継(の音声)などと同じである。


 テレマンのこの作品は、組曲やコンチェルト、四重奏曲など全3巻18曲からなる。


 私も全18曲は聴いたことがなく、パイヤール指揮パイヤール室内管弦楽団による抜粋盤(9曲)を聴いている。

 モダン楽器による、のびやかな演奏だ。


 そしてまた、私は自宅で食事をするとき、ターフェルムジークをかけながら、ってことは今のところ一度もない。


 1980年録音。RCA。


 顆粒はなくなったのに、小さなアリ向けだという無色透明なゼリー状(に見える)黒蜜入りのエサは一向に減っていない。

 わが家の敷地に不法侵入している小さなアリは、やはり黒蜜より壇蜜の方が好きなようだ。


 偏った憶測だが……


まるで脈が消え入るように表示が……♪ヴァレーズ/電離

IMGP1072  うめき、ともしびが消えた
 3か月ほど前に自宅の給湯ボイラーを交換した

 お願いもしないのに熱湯が出てくるようになったからではない。
 が、運転中にヒュインヒュインという音が大きくなってきて、私の耳にはそれが悲鳴のように聞こえるようになってきたのだ。


 ボイラーの気持ちがわかる私としては、もういつ突然死、もしくは、かたくななボイコット状態に陥ってもおかしくないと判断した。


 もう19年間使い続けてきたのだ。よくここまでもった。よくぞ長い間がんばってくれた。良いモノにあたったと感謝せざるを得ない。もっとも氷山係長のところのボイラーは26年モノではあったが……

 交換後、これまでとは違う静かな音でお湯を沸かしてくれた2代目ノーリツ号であったが、先日心霊現象のようにリビングにあるリモコンの表示が暗くなったり明るくなったりを繰り返したり、時刻が狂ったり、設定した湯温が勝手に変わったり、「恨めしやぁ~」ではないがジージーと爺さんに物をねだる孫の声のような音がしたリ、挙句の果てには電源が切れてしまうという症状が現れた。

  まぁ、脈がないような状態だわな

 メーカーの点検によって、リビングのリモコンに来ている電圧が非常に不安定かつ低下していることがわかった。
 実はボイラーとリモコンは新しくなったが、本体から床下と壁の中を通ってリモコンにつながるケーブルについては旧来のものをそのまま使い続けることにしたのだ。もしかするとケーブルの老朽化によって不具合が出始めたということも考えられた。

 しかし、

 ① ケーブル(コード)が経年劣化することはゼロではないだろうが、だとしたら壁の中に張り巡らされている100V電源のコードだってそういうことが起こりうる。しかしあまりそういう例は聞いたことがない(たまに漏電火災というのも耳にはするが)。


 ② だとしたら、ネズミなどが噛んでケーブルが切断しかかっていることが考えられる。


 ③ が、1年半ほど前に床下でニンニクが散らばっているという不可解な事象はあったが、ネズミなどがその後も床下にいるとは考え難い。また、そのときにケーブルを噛み噛みされたとしたら、リモコンの異常はもっと早くに起こったはずである。


 ④ となると、ボイラー交換したタイミングで不具合が出たので、工事の際にケーブルを傷つけるなどした可能性も考えられなくもない。


 ⑤ だが、それなら3ヵ月後ではなくボイラー交換と同時に不具合が生じるはずである。

 ということで、要するに何が原因かわからないままである。

 が、リモコンを新しい別なものに変えもらっても症状は改善されない。
 だいいちテスターで測ると、リモコンに届いているケーブルの電圧が死の直前の血圧のように明らかに低い。  
 となるとメーカー・マターではない。そこで、設置業者にケーブルの交換を申し入れた。


 電圧が15Vだというからまさかとは思うが、それでも場所柄浴槽の中に電気が流れ、湯が電離し、こりゃいいシビレだわいなどと言ってる間に心臓が止まっちまうことだって……ないな。


Varese  謎の現象にみんなイライラ

 床下に潜ってもらい、これまでのケーブルに新しいケーブルを結び付けて引っ張る。これで新しいケーブルを壁の中に引き込み通すことができるが、途中それを間違って切断してしまった1人の作業員のせいで、この業者(メーカーではなくボイラーの設置業者)のチーム内で一時不協和音が響き渡ったが、なんとか作業が終了(そのトラブルのせいで作業は2時間にも及んだ)。


 そのあとはリモコンは正常に機能している(写真は蘇生したあとのリモコン)。


 ヴァレーズ(Edgard Varese 1883-1965 フランス→アメリカ)の「イオニザシオン(Ionisation)」(1929-31)。

 Ionisationは“電離”の意。


 この作品については過去にここで取り上げているが、13の打楽器とサイレンのためのバリバリの前衛音楽。


 少なくとも“バ~リバリッゆーばりっ”ってコマーシャルが流れていたころは、まだまだ前衛的だった。

 いま聴くと、でもなんとなくお茶目な感じがするのはなぜだろう?


 メータ指揮ロスアンジェルス・フィル、ロスアンジェルス・パーカッション・グループの演奏を私はずっと聴き続けている(頻度は3年に1回くらいだけど)。


 そーいやぁ、おとといもイオンのことを書いたような……


 1971年録音。LONDON(デッカ)。


 原因は古いケーブルだったことに間違いないということになったが、なぜそのようなトラブルに至ったのかはわからないままに終わった。古いケーブルを見るタイミングもなかったし。


 ちょっと腑に落ちないが、考えてもどうなるものでもない。


livedoorのBlog君、このごろすこーし変よ…♪ケテルビー/ペルシャの市場にて

Ivanovich  なんでそうなるのっ

 ここ数日、どうもこのlivedoor Blogの管理画面(記事の編集画面)が安定しない。いや、安定しないというのはかなりオブラートに包んだ婉曲表現であり、はっきり言ってヘンだ。


 三点リーダが今までのように表示されなかったり(行の中央の高さではなく、アンダーバーの位置になる。ほれ→……)、“ とか ” が、ご覧のようにぷくぷくしたものではなく半角のように表示される。


 蛍光ペンを引くときや文字色を指定するときも、結果的には指定した色にはなるが、そのプロセスで黒ベタになったりする。

 ジャングル黒べえみたいで、ちょいとうっとうしい。


 画像のアップロードのアイコンが消え、“画像を選択”という文字の表示になった。……って、“ とか ” とか…を入力しながら精神状態が極めて安定しない私である。


 さらにリンクを貼ろうとすると、リンクするテキストがなぜか文頭に吹っ飛んでしまう。

 それを本来の望む位置にコピー&ペーストするという、厄介な労働を強いられている。


 これは一時的なものなのだろうか?


 何にもいじってないよ、ボク。


 だからlivedoor側に障害が生じているように思うのだが……


  盛ってないって、どうしてわかったの?

 話は変わる。


 東京の豊洲新市場の造成工事で盛土が計画通りされていなかった(勝手に変更した計画通りにはなっていた)という、語呂的にふと水森亜土を思い出してしまうようなことが問題となっているが、昨日YAHOO!ニュースの見出しに“(←あぁ、精神が衛生的でなくなる)石原元知事 都の役人は腐敗”というのがあった。


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 腐っているっぽい気が私も感じないわけではないが、元の部下たちのことをそう批判するのは当時の上司としていかがなものかという気もしないわけではない。


 にしても、そもそも盛土していないところがあるということを、小池知事はどうやってこのたび知ったのだろう?

 そこが全然触れられていないのが、これまた不可思議だ。


  見知らぬ人のページにログイン?

 で、この記事をクリックしてみると……(←おぉ、イライラする)。


 んっ?だぁれ?kyon06926って?(矢印の箇所)


 まるでログインしたかのようになっている。

 聡明な皆さまならすでに感づいていると思うが、kyon06926ってぇのは私のIDではない。1文字も共通しない。


 試しにここをクリックすると……な~んにもならんかった。


 

Yahoo2

 ほかのニュースでは、下の画面のようにこのようなことはなかった。


Yahoo3

 その後は解決し(?)、いつもの“ログイン”という文字の表示になった。

 でも、この現象のせいで、元都知事の記事を読みそびれてしまった。


 ケテルビー(Albert William Ketelbey 1875-1959 イギリス)の「ペルシャの市場にて(In a Persian Market)」(1920)。 


 作品についてはこちらの記事(また文頭にぶっ飛びやがった!イライラするぅ~っ)をご覧いただければと思うが、都知事のような(かな?)エキゾチックさですっかり有名な曲である。


 フィードラー指揮ボストン・ポップス管弦楽団の演奏を。

 合唱は入っていない。


 1958年録音。RCA。


 先の話だが、11月に東京に出張する予定がある。

 泊まるのはいつも使っている築地市場のそばのホテルである。


焦りに満ちた行列と、よだれを湛えた行列♪ドビュッシー/小組曲

IMGP1026  水族館の今後は?
 日曜日。
 午後2時ごろに快速エアポートで新千歳空港に着いた私は驚いた。

 保安検査を待つ人でひどい列ができていたのだ。
 気象災害などでトラブルが起こったときを別として、こんな長蛇の列を見たのは千歳では初めてだ。

 いくら日曜の午後とはいえ、なんでこんなに混んでいるんだろう?
 それに快速エアポートは、少なくとも私が乗った先頭車両は空席がポチポチあるほど空いていた。

 それともまた、保安検査にかかわるトラブルでもあったのか?
 あるいはアメリカの同時多発テロが起こった9月11日ということに関係があるのか?

 私はいつも空港へは搭乗便出発時刻の1時間前までには着くようにしている。
 電車のトラブルなど、何かあってもなんとか対処する余裕を持たせるためだ。

 この日も自分が乗る飛行機の出発の70分前に空港に着いた。
 が、この保安検査にちょうど30分並んだ。
 早く行くのは時間の有効利用ではないように思われるかもしれない。
 が、こういうときに気持ちにゆとりが持てる。

 こんなに渋滞、停滞するのは保安検査がいつもよりも綿密丁寧なのかと思いきや、いつもと同じ。
 そして保安検査を終えた先の待合ロビーは、いつもよりもむしろすいているくらい。

 私は並び始めてから私の番になるまでに中に入った人たちはいったいどこに消えたのだろう?
 あるいは、30分間にこなした人数は見た目ほど実際の数は多くはなかったのだろうか?

 話は先週の月曜日に遡る。

 この日、車検のために朝のうちにディーラーに車を持って行き、代車を貸してもらい(インプレッサのハイブリッド、アイサイト付だ)、なんとなく燃費などに興味があったのでちょいとドライブしてみた。

  ※当初の投稿時に“台車”と書いてしまったのは、おイタなミス。ご指摘ありがとうございました。

 最初に新札幌に行った。
 カテプリが閉店し、またサンピアザでもイオンモールに向けての改装で閉店中の店が多い。
 だから閑散としているだろうと思ったら、意外とけっこう客がうろうろしていた。しかも平日なのに。

 なぜだろう?
 私と同じように夏休みを取って、車検の代車を試しに運転してやって来た人たちがこんなにいるとは思えない。
 不思議だ。

 で、ここで昼食を食べようかと思ったが、シャッターが下りたままの店も多く、食べたいものもないので早々に去ることに決めた。ただ、駐車料金を無料にすべく、夜用にベーグルを買った(妻が)。

 サンピアザって名前は残るのだろうか?
 残らないとしたらサンピアザ水族館は改名するのだろうか?
 イオン水族館ってなったら、「この水槽は陽イオンが豊富で」みたいで楽しい←どこがっ!

DebussySuiteKrivine  間違いで営業中を期待したが情報は正しかった
 そして私が思いついたのは、前にJR北海道の車内誌で紹介されていた、当別町にある何とかいうそば屋に行こうというものだった。JRの駅に隣接した建物にあるはずだ。

 念のため妻にスマホで調べてもらうと、月曜定休と書いてあるという。
 念には念を入れて、妻に電話をかけてもらう。
 すると相手が出て、今日はやっているという。
 が、電話を切った妻が言うには、間違ってそのそば屋ではなく、同じ当別にあるうどん屋にかけてしまったという。どうしてそんなミスを起こしたのかわからないが、検索しているうちにごちゃごちゃになったのだろう。


 執念深く、もう一度そば屋にかけてもらう。
 が、14回コールしても誰も出ない。結論が出た。宣言通り、今日月曜日は休みだ。

 そこで間違ってかけたうどん屋に行くことにした。
 電話を切るときに「お待ちしてます」と言っていたという。それに応えなければならない。

 それにこのうどん屋、噂は聞いたことがあるのだ。製麺所とはいえ、うどんを食べさせてくれる店らしい。

 当別町から国道を北海道医療大学方向に少し進んだところに、そのうどん屋はあった。
 ホタテ御殿ならゴージャスだが、残念ながらほったて小屋の小さなうどん屋だ。
 店の名は“かばと製麺所”。“かばと”というのはここの住所、樺戸のことであり、カバトットとは関係ない。

 麺の量を選び(1玉か2玉か3玉かキン……)、つゆを宣言し(ぶっかけとか、かけとか、しょうゆとか)、トッピングを選ぶシステム。セミセルフである。
 昼どきではあったが、それを加味してもあまりあるほどの長い行列。
 保安検査所の30分の待ち時間ほどではないが、9分は並んだだろう。

 でもドビュッシー(Claude-Achille Debussy 1862-1918)の「行列」のような爽やかさはないものの、みな期待に胸ふくらませすでにおめでたい気持ちになっているのはわかる。

 「行列」は「小組曲(Petite suite)」(1886-89)の第2曲。

 4曲(小舟にて/行列/メヌエット/バレエ)からなるこの曲はピアノ連弾のために書かれたが、ドビュッシーの弟子のビュセール(ビュッセル)によって管弦楽曲に編曲され、いまではその編曲版を聴かれることの方が多い。

 クリヴィヌ指揮国立リヨン管弦楽団の演奏を。
 心洗われるような清楚さがある一方で無邪気さもある演奏。ジャケットの絵が、まさにこの演奏の雰囲気にぴったりだ。

 この録音、再発売と廃盤を繰り返しているが、いま販売されているものの在庫が少なくなってきているようだ。

 1994-95録音。DENON。

  あれっ?あの長蛇の列は?
 で、これだけたくさんの客がほったて小屋に収まりきるのかというと、収まるわけがない。
 実は小屋の裏側の土地にいくつもテーブルが置かれていて、野外うどんという粋な食べ方をするのである。

 幸いこの日は晴れで風もなかった。
 しかし、雨の日だったらどうするんだろう。
 狭い小屋の中で通勤電車並みの密度のなか、立ち食いするしかない。

 でもかなり美味しいうどんだった。
 トッピングの天ぷらも高水準。

 閑静な住宅地ではない、閑散とした国道沿いにもかかわらずあれだけ人が集まって来るのもうなずける。
 私はかしわ天とアスパラ天(Sサイズ)を頼んだが、妻もまったく同じものを頼んだ(直前まで半熟卵天とか言っていたのだが……)。

 偶然の一致にしても不思議なものだ。

 あるいは共に、同じ進捗率で思考が硬直化しているか、あるいは嗜好が収束化しているのかもしれない。


 ところで食べ終わって写真を取りに行ったら、忽然と行列が消失していた。
 狐につままれた気分だ。

 この店、中に入ると左側に調理カウンターがある。
 カウンターの先の奥にレジがある。

 しかし丸亀製麺などと違い、カウンターで麺やトッピングを取ってレジに進むのではない。
 行列にならんで奥のレジで注文。会計して番号札をもらう。
 自分の番号が呼ばれたら、カウンターから受け取る。カウンター前の飢えた人々の行列をかき分けて。
 なら、レジをいちばん入り口側に置けばいいように思うのだが、そこは考えがあるのだ。私には知る由もないが……

 でも3日に1回ぐらいは、受け取った盆が並んでいる人にぶつかってしまい、うどんをぶちまけてしまう人がいるような気がする。

 

もしかしてラーメン屋店主は仮の姿か?レスピーギ/風変わりな店

RespighiPrelude  壁には教訓やら漢文が……
 昼前に一行(いちぎょうと読まないように)と別れた私は、その足でJRで札幌へ向かった。

 昼どきだったのでラーメン屋に入った。
 このように考えると、私はけっこうなラーメン好きなのかもしれない。

 入ったのは“繁盛”(仮名)という店。

 昼だというのに異様にすいていた。混んだ店が嫌いな私でも危機感を覚えたほどだ。

 しかも店主1人でやっている。まぁ、客は私と、先客の2名だから従業員は要らないのだろうが、毎日こんな感じなら店主も必要ないかもしれない。

 しかも店主が教訓(?)めいたようなことを筆で書いた貼り紙が壁のあちこちを占領している。
 書いている意味がよくわからないものもある。いや、そっちの方が多い。

 “にぎわっていなくても、繁盛の幸せ”、みたいな文である。

 やれやれ。まいったなぁ。
 しかし、いまさら出るわけにもいかない。

 醤油ラーメンとライスを頼む。

 やがて運ばれてきたのはPILICA並みに黒いスープで、PILICAでは考えられない脂っこさ。
 PILICAのスープは透明だが、繁盛のは混濁。

 麺を口に含むと、ひどく硬ゆで。

 あぁ、ライスなんて頼まなきゃよかった。
 ラーメンのくどさでおなかいっぱい、むねいっぱい。
 初めてのラーメン屋で最初っからライスまで頼む自分の無謀さを反省した。

 ライスを残せばって?
 なんかそんなことできるような雰囲気の店主じゃなかったんです。
 目つきが怖いとか、体格が良いとかじゃなく、怪しげな雰囲気を放っていたんです。ラーメン界のパガニーニ、みたいな。
 だから、がんばったんです、アタシ。

 そして、そのあとひどい胸やけに襲われました。
 ええ、ラーメン食べて胃薬を飲んだなんて、異例のことです。

 はっきり言おう。
 この専門店より、レストランPILICAのラーメンの方が5倍以上おいしい。

 でも、この味にしびれるマニアックな人もいるのだろう。たとえば、店主その人など……

  素敵な曲なのは素材が良いから?
 レスピーギ(Ottorino Respighi 1879-1936 イタリア)の「風変わりな店(La boutique fantasque)」(1919)。

 ディアギレフ率いるロシア・バレエ団から依頼され書いた1幕ものバレエのための音楽(作品についてはこちらをどうぞ)。
ロッシーニが晩年に折々に書いた小品を集めた「老いのいたずら」のなかの曲を編曲したものである。

 あまりCDの販売点数が多くない作品だが、ノセダ指揮BBCフィルハーモニックによる“聴かせる”演奏を。

 2002年録音。シャンドス。

唯一つながっている道を行く♪GM/Sym2(by エッシェンバッハ)

Mahler2E  寝酒ならぬ寝インデアン?
 2日目は帯広に宿泊。
 半年ほど前まで住んでいたのに、ひどく懐かしく感じる。

 今回、名古屋支社から参加したのは私と若園課長だったが、若園課長は懇親会のあとインデアンカレーを食べに行こうと考えているという。

 「長崎屋のなかにありますよね?」

 そう聞いてきたので私は、「でも懇親会が終わって行っても、長崎屋の中のインデアンは終わっているかもしれないよ。だったら最初っから駅前の通りを少し行ったところにあるマチナカ店に行った方がいいよ。確か11時までやっているはずだから」と、観光ガイドのように親切に教えてあげた。

 懇親会の後にカレーを食べに行くなんて、まだまだ若園課長は若い。

 実際私は、その懇親会で出てきたピラフだの和風スパゲティだのの炭水化物攻撃の罠にまんまとはまってしまい、仕上げは別席でゆっくり食べるといういけないこともちょっぴり夢見たが(長寿庵のそばとか、三楽のラーメンとか、あちこちの居酒屋でもメニューにある豚丼とか……)、米粒1つ、麺1cmも食べようという欲がすっかり失われた。

 そしてまた、若園課長も結局“鳥せい”に行ったそうで、カレーは幻に終わった。

  アタシもノセテイタダケマスか?
 翌朝は、帯広から新千歳空港へ。

 ただし、おととい書いたように、私は当初ホテルの前で一行の出発をお見送りし、単独行動でJRで札幌へ向かう予定だった。

IMGP1042


 しかし、前の週に新得で鉄橋が流失。
 ほかにも各所で被害が出た。

 道路も、国道38号、274号とも不通。
 札幌まで通じているのは道東自動車道だけである。

IMGP1052


 帯広→札幌の都市間高速バス“ポテトライナー”を利用する手は残っているが、そんなことするくらいなら、たとえ札幌行きでなくても、一行に懇願して貸切バスに乗せてもらった方がいい。

 だいいち、“ポテトライナー”も満杯で、のこのこ行って乗車券が買える状況にはないのだ。

IMGP1045


 ただ、この日からJRがトマム→札幌で臨時特急を走らすことになった。
 帯広からトマムまではバス代行である。

IMGP1043


 でも、目の前に千歳まで行くバスがあるのに、それを利用させてもらわない手はない。
 良識ある大人ならそうするに決まっている。

 ということで、最も懸命な、そしてまたそうしないとバカだという選択をして移動した。

 高速道路から見えた川(十勝川だと思う)や、南富良野あたりの道路わきが、台風の痕跡を残していた。
 そしてまた、思ったほどではなかったが、道東道は平日の日中のわりには混んでいた。

IMGP1051

IMGP1053


 私たちは無事千歳へと迎えたが、翌日は大雨で一時的に道東道も通行止めになった。
 復旧にはまだまだ時間がかかるだろうということを実感した。

 マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第2番ハ短調「復活(Auferstehung)」(1887-94/改訂'93)。

 作品についてはこちらこちらの記事などをご覧いただくとして、今日はエッシェンバッハ指揮フィラデルフィア管弦楽団、フィラデルフィア・シンガーズ合唱団、サチュローヴァ(ソプラノ)、ナエフ(メゾソプラノ)の演奏を久しぶりに取り上げよう

 2007年ライヴ録音。ONDINE。

 2009年に札幌のKitaraで聴いた、エッシェンバッハ/PMFオーケストラによる「復活」
 あれは感動的だった。

いかにもオヤジ心をくすぐる看板♪サティ/国旗賛歌

  かつてはきっとにぎわった天国
 2日目。北見で迎えた朝。

 ホテルの窓のカーテンを開けると、前夜は真っ黒な得体のしれない直方体だったものが、明日香遺跡のように原画がよく判別できない看板であることがわかった。

IMGP1030

 かっぱ天国……
 なんだか楽しそうな酒処だ。
 むかしコマーシャルか何かでこの名を耳にしたことがあるような……

 あっ、それは“はだか~天国っ!”って歌ってた、ホテル紅葉のCMか。
 いま調べてみたら、このホテルがあったのは琵琶湖。
 北海道でもコマーシャルを流していたとはすごい!

 この“かっぱ天国”は黄桜が関係する居酒屋だったのだろうか?
 
 上に書かれている“ひつじ亭”ってのは、どう考えてもジンギスカンの店だろう。
 いずれにしろどちらももう、やっていないのだろう。たぶん。

  いえ、私には政治的意図等は一切ありません
 北見から陸別、足寄経由で帯広へ。

 途中、上士幌でこんな看板を見た。

IMGP1032

 すいません。私、国旗持ってないです。
 反省します。

SatieCiccolini サティ(Erik Satie 1866-1925 フランス)の「国旗賛歌(Hymne au drapeau)」(1891)。またの名を「『軍旗敬礼』への賛歌」(Hymne pour la 'Salut drapeau')。

 この歌曲についての情報を私はなんにも持っていない。
 すまない……
 こういう名の曲もあるということだ。

 ゲッダのテノール、チッコリーニのピアノによる演奏のCDを私は持っているが、あまり聴いたことがない。

 1986年録音。EMI。

 昨日、庭木を大胆に剪定したせいで、手が痛い。
 長時間にわたって剪定ばさみを使い続けたせいだ。

 そんなわけで、書きたいことはたくさんあるのだが、続きはまた明日。

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