あのころは今治水もなかっただろうし……
ギロ・ド・ボルネーユ(または、ギラウト・デ・ボルネーユ。Giraut de Bornelth 1138頃-1215 フランス)の「歯の痛みを抑えられない(No puesc sofrir qu'a la dolor)」。
ここでも取り上げているように、この人はトゥルバドゥール、つまりプロヴァンスの詩人。
現代のような歯科治療方法も、いま治まる水も無かった時代、それはそれは地獄のような苦しみだったに違いない。
ナクソスの「トゥルバドゥールの音楽(Music of the Troubadours)」という中世音楽を集めたアルバムに収められている。
演奏はラフィットのヴォーカル他。1996年録音。
歯ぐきの中がイェ・ペッ?
ところでこの2週間ほど私はブチャくなっていた。つまり痛いのである。
江別のもう一つの名の由来であるイェ・ペッに通じるものがあった。
意味は“膿のように濁った川”だ。石狩川は膿のように濁った川に見えたらしい。
歯ぐきが痛み、やがて腫れ、このW症状が続き、血や膿は出ていないものの、やわやわに膨れた歯ぐきの中には見てはいけない物がたまっていることは素人ながらも推測できた。
月曜日の夕方に名古屋に戻ってきた私は、なぜか出会ったオディール・ホッキー君に言った。
「歯ぐきが腫れて痛いんだ。触ってごらん」
彼は左ほほの私がさした箇所を指で押した。
「今度は反対側」
彼は内側が正常硬度と体積を保っている右ほほを指で押した。
「ホントだぁ。すっごい腫れてる!」
最初に左ほほを触った時点では、私が片・宍戸錠状態であることがわからなかったらしい。
時は家路へと急ぐ人々が多い午後6時。
しかも場所は名鉄名古屋駅前。
私たちは妖しい2人だと思われたかもしれない。
が、そのくらい歯ぐきがこぶとり爺さんになっていたのである。
治療ミスではないようだが……
ここに書いたように、1か月前に名古屋の歯医者を初めて訪れた。
訪問目的は別な歯の治療だったが、すでにそのときに歯ぐきが少し疼いていた。
医師がレントゲンで確認したところ、左下奥歯のブリッジ3連物の真ん中の歯が問題だということが判明。
その歯の根のうち、1つのいちばん先の箇所が、写真に白く写らない。
それは薬が入りきっていないことを意味するそうだ。
今年1月に長きにわたる治療を終えたばかりの場所である。
こちらのN歯科に最初に診てもらった時に医師(院長)は私に穏やかにこう告げた。
前のお医者さんも実に丁寧に治療しています。そしてあなたもよくがんばった。けど、この根の先の部分で炎症を起こしているのだと思う。薬が入りきっていないのは、ここの根が砕けているせいかもしれない。これを治すとなると、もはやこの歯を抜くしかありません。それゆえ、この先はきちんとクリーニングをしながら炎症が起きないようできるだけがんばってみましょう。
ってことだった。
仮に新たな3連物を作り直しましょうと言われても、もう治療でオエオエするのは嫌だ。
作り直しが不可能だとしても(それは間違いないらしいが)、両サイドから切り離し、抜くのも嫌だ。ゲロゲロになるに違いない。
薬でなだめ続けられるのなら、それがいま選択できる最良の治療だ。
前回(2週間ほど前)行ったときには痛みが治まっていたので私も医師も、そこではなく、本来の治療箇所(冠が脱落したところ)に専念(って、私は専念する必要はないが)。
その数日後から今日に至るまで、程度の強い弱いはあるが、腫れも痛みもコンティニューなのである。
ところで、オディール君にほっぺたをツンツンしてもらったとき、そこには氷山係長もいた。
実は係長も歯で悩んでいる真っ最中だった。
おやしらずを抜かなければならないのだ。
同じ時期に歯のことで災難に見舞われるなんて、私たちは前世では双子だったのかもしれない。
口の中が異常中の2人と、健康な1人とで、そのあと名古屋の“つぼ八”に行ったのだった。
“ザンギ”を噛んだとき、痛みで氷山係長の顔が涙でかすんだ。
お願い、切って……
そして、昨日は治療中の歯(=脱落した冠をかぶった人工歯のあと)の土台を装着した。
でも、この場で腫れ続けている歯ぐきのことを訴えないわけにはいかない。
医師は明らかに腫れていることを確認した。私が来やーでないことが証明された。
院長もやって来て、レーザーを照射するのと薬(抗生物質)を出すという。
右上が治療継続中ゆえに、この左下の奥歯に余計な力がかかっているが、右上が完成しないうちに左下をいじることはできないとも説明してくれた(そう言われれば、右側をかばうように、痛いのにもかかわらず私は左でばかり物を噛んでいる)。
ありがたい。もし、心の準備もないままいきなり抜きましょうと言われたら、診察台の上で大泣きするところだった。
でも、私は院長に僭越ながら1つの提案をした。
腫れているところにたまっているものを出すと楽になりますか?
院長は、「そうですねぇ……。わかりました。『そこまでの男らしい勇者のごとき決意があるなら』切開して出しましょう」と言ってくれ、私の願いをかなえてくれた(『 』は私が院長の心の声を推察したものである)。
切開してみたものの、「言い方は悪いですけど、気持ちよく膿が飛び出してくるってものではありませんでした」とのことだった。
考えてみれば、この日は前日よりも腫れがひいている感じがしていた。
いざ病院にかかるときに限って、症状が軽減しているってことは、なぜかよくあることである。
これが2日か3日前だったら、ほとばしるくらい、あるいは血気盛んな若者のように、ビュッと出たかもしれない。
以上の経緯により、昨日から抗生物質を飲んでいる。
このアジスロマイシンは人によっては便がゆるくなるという。
今日から出張。便がゆるくなる人の分類に私が含まれないことを祈っている。