月曜日は1本早い“しらさぎ”で名古屋を出発し、金沢へ向かった。
金沢は前回に続き、今回も晴れていた。
が、始発から終着駅まで一貫して私の隣にはややむさくるしいおじさんが座っていて、車両の中にはところどころ1人しか座っていないシートもあるというのに、何て私は運が悪いのだろうと、心は曇っていた。
なお昼食は、この知らないおっさんの隣で、私は居心地の悪さを存分に味わいつつ、サークルKの鮭そぼろ弁当を食べた。
そういう意味では隣がおっさんでよかった。
美魔女だったら化粧の匂いとミートボールの匂いが混じって肉欲的感覚に襲われる危険があったからだ。
それにしてもコンビニの弁当に入っているチクワの磯部揚げって、なんで決まって磯部的ではなく、かつ衣が異様に硬いのだろう?
また、ハーフにカットされているコロッケは、なんで異様に軟らかいのだろう?
金沢駅に着いて私が最初にしたこと。それはタワレコに詣でだった。
あっ、その前にトイレに行った。
前回、バルシャイ指揮のモーツァルトの交響曲集(2枚組)とマーラーの第6交響曲、そしてアルヴィド・ヤンソンス指揮のショスタコの第8交響曲のCDを買った。どれもが税別890円のスペシャル・プライスだったからだ。
この価格は、スペシャル中のスペシャルである。
今回もそういう掘り出し物が私を待ち構えているかもしれないと、心して向かったのである。
が、なかった。“しれない”はしれなかった。
スペシャル・プライスのものも棚にあったが、ほとんどがヘルベルト・フォン・カラヤンの盤。
そんなのいらんヤン。
ちなみにバルシャイのCDも、A.ヤンソンスのタコ8も、通常価格になって戻っていた。
つまり私はあのとき非常なる幸運に恵まれたのだった。近来稀にみるラッキー池田状態だったのだ。
実際踊りたくなったほどだったから。もし私が踊れれたならのことだが……
あの日の夜に行った店にはハイボールがなかったがそのことを悲しがるなんて、私はなんて身の程知らずの欲張りだったのだろう。言い方を変えれば、あの日は昼で運を使い果たしてしまっていたのだ。いや、その後も運の使い果たし継続中って感じだけど……
でも私の望む掘り出し物がなかったからといって、プイッ!とする大人げない私ではない。
金沢のタワレコに感謝の意を込めて、そこで雑誌を買った。
“レコード芸術”である。
たまにしか買わないが、たまにしか買わないわりに今月号の内容はつまらなかった。ただかばんが重くなっただけだ。
今回はとことん裏目に出てしまった。
スペシャルな恩恵を授かったときのことを懐かしみ……
前回を懐かしんで、バルシャイ/読売日本響によるモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー(Haffner)」(1782)と交響曲第39番変ホ長調K.543(1788)。
このディスクにはモーツァルトの3大交響曲+第35番が収録されている。
35番と39番の演奏も第40番のものと同じく、“帯”の扇動的文言に反して私にはいたってノーマルに聴こえる。
ドライ系ではあるが、かといって冷たいわけではない。けっこうオケを鳴らすところは聴いていて気分がすっきりする。クーベリックの演奏を思い起こしてしまうところもある。
しかし、すごく良い演奏ですかとあなたに訊かれたとしたら、いいんですけど定価で買うのはどうかなぁ……って私は答えちゃいそうだ。
合せ出汁で味を良くする無謀な作戦
チンタラと進めている、オーディオいじり。
スピーカーケーブルに引き続きRCAケーブルも換えた。
FURUTECHの製品である。
CDプレーヤーとアンプをつなぐケーブルだが、このケーブルも結線の方向の指示がある。
このように置き方を変えたりケーブルを換えたりしているので、音は複合的な要因で変化したことになる。
つまり、昆布だしを鰹だしに変えて味が変わったという単純なものではなく、私は昆布だしに鰹だしを加え、コンソメスープの素を入れ、ガラスープの顆粒も振りトッピングは梅干しを……みたいなことをしているわけだ。
が、確実に音は良い方向に変わってきている(と感じる。これは思い込みや幻想ではないと信じている)。
この話、まだ続く……