新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は江別市「らーめん しょう」の味噌ラーメン。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2016/06

もう値段を戻しましたけど、何か?♪WAM/Sym45&39(by バルシャイ)

P6090242  フォンは無視し、本を買う
 月曜日は1本早い“しらさぎ”で名古屋を出発し、金沢へ向かった。
 金沢は前回に続き、今回も晴れていた。

 が、始発から終着駅まで一貫して私の隣にはややむさくるしいおじさんが座っていて、車両の中にはところどころ1人しか座っていないシートもあるというのに、何て私は運が悪いのだろうと、心は曇っていた。

 なお昼食は、この知らないおっさんの隣で、私は居心地の悪さを存分に味わいつつ、サークルKの鮭そぼろ弁当を食べた。
 そういう意味では隣がおっさんでよかった。
 美魔女だったら化粧の匂いとミートボールの匂いが混じって肉欲的感覚に襲われる危険があったからだ。

 それにしてもコンビニの弁当に入っているチクワの磯部揚げって、なんで決まって磯部的ではなく、かつ衣が異様に硬いのだろう?
 また、ハーフにカットされているコロッケは、なんで異様に軟らかいのだろう?

 金沢駅に着いて私が最初にしたこと。それはタワレコに詣でだった。
 あっ、その前にトイレに行った。

 前回、バルシャイ指揮のモーツァルトの交響曲集(2枚組)とマーラーの第6交響曲、そしてアルヴィド・ヤンソンス指揮のショスタコの第8交響曲のCDを買った。どれもが税別890円のスペシャル・プライスだったからだ。

 この価格は、スペシャル中のスペシャルである。
 今回もそういう掘り出し物が私を待ち構えているかもしれないと、心して向かったのである。

 が、なかった。“しれない”はしれなかった。
 スペシャル・プライスのものも棚にあったが、ほとんどがヘルベルト・フォン・カラヤンの盤。
 そんなのいらんヤン。

 ちなみにバルシャイのCDも、A.ヤンソンスのタコ8も、通常価格になって戻っていた。

 つまり私はあのとき非常なる幸運に恵まれたのだった。近来稀にみるラッキー池田状態だったのだ。
 実際踊りたくなったほどだったから。もし私が踊れれたならのことだが……

 あの日の夜に行った店にはハイボールがなかったがそのことを悲しがるなんて、私はなんて身の程知らずの欲張りだったのだろう。言い方を変えれば、あの日は昼で運を使い果たしてしまっていたのだ。いや、その後も運の使い果たし継続中って感じだけど……

 でも私の望む掘り出し物がなかったからといって、プイッ!とする大人げない私ではない。
 金沢のタワレコに感謝の意を込めて、そこで雑誌を買った。

 “レコード芸術”である。
 たまにしか買わないが、たまにしか買わないわりに今月号の内容はつまらなかった。ただかばんが重くなっただけだ。
 今回はとことん裏目に出てしまった。

Mozart35etcBarshai  スペシャルな恩恵を授かったときのことを懐かしみ……
 前回を懐かしんで、バルシャイ/読売日本響によるモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー(Haffner)」(1782)と交響曲第39番変ホ長調K.543(1788)。

 このディスクにはモーツァルトの3大交響曲+第35番が収録されている。

 35番と39番の演奏も第40番のものと同じく、“帯”の扇動的文言に反して私にはいたってノーマルに聴こえる。
 ドライ系ではあるが、かといって冷たいわけではない。けっこうオケを鳴らすところは聴いていて気分がすっきりする。クーベリックの演奏を思い起こしてしまうところもある。

 しかし、すごく良い演奏ですかとあなたに訊かれたとしたら、いいんですけど定価で買うのはどうかなぁ……って私は答えちゃいそうだ。

  合せ出汁で味を良くする無謀な作戦
 チンタラと進めている、オーディオいじり。

 スピーカーケーブルに引き続きRCAケーブルも換えた。
 FURUTECHの製品である。
 CDプレーヤーとアンプをつなぐケーブルだが、このケーブルも結線の方向の指示がある。

 このように置き方を変えたりケーブルを換えたりしているので、音は複合的な要因で変化したことになる。

 つまり、昆布だしを鰹だしに変えて味が変わったという単純なものではなく、私は昆布だしに鰹だしを加え、コンソメスープの素を入れ、ガラスープの顆粒も振りトッピングは梅干しを……みたいなことをしているわけだ。

 が、確実に音は良い方向に変わってきている(と感じる。これは思い込みや幻想ではないと信じている)。

 この話、まだ続く……

省けない作業プロセス、省かない誠実な庄司紗矢香♪チャイコン

  オレのバナナは元気だぜぃ
 唐突だが、先週撮影した自宅庭のバラの写真。
 なぜ唐突に掲載するかというと、まだ掲載していなかったからにほかならない。

 ひとンちの庭で咲いているバラになんて興味ないだろうが、栽培しているものにとっては載せたくなるものなのだ。いえいえ、自慢なんかじゃありません。自己満足ってやつです。

 でも、あなたのところに頼みもしないのにバラの写真が印刷されたはがきが届くよりはマシだろう。
 ぜひとも寛大な気持ちでご覧いただきたい。

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 上から“スキャボロ・フェアー”、“ブルー・フォー・ユー”、“ニコル”である。

 また、一時期テレビのニュースで新バナナ病だか新パナマ病だかが蔓延しつつあり、この世のバナナが絶滅の危機に瀕していると一大事とばかり報じていたが、あんなにどの局も「バナナが食べられなくなる」と煽っといて、何日かしたらそれをこれっぽちも報じない。
 まったく垂れ流しというか無責任というか。
 それに応じてスーパーなどではバナナが品薄になったようだが、いまじゃ以前と変わらずに置いてある。

 新パナマ病の蔓延が深刻なのは事実だが、報道ってどうしていつもこうなんだろうねぇ。

 そんな病気なんぞ関係ないとばかり、わが家のドワーフモンキーバナナはこんな具合に生育している。
 こいつにとって新パナマ病よりも恐ろしいのは、ご主人様が水やりを忘れないかということだ。

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 さて、いよいよあの“板”の話である。
 
P6110255  板はあくまで補助
 板といってもかま栄のかまぼこのことではない。

 確かに私は数日前にかまぼこの親戚と言えるチクワを炒めて食べたが、そのこととは関係ない。

 ところで、むかし飼っていた犬にかまぼこの板をあげたことがある。
 板に薄く残っているかまぼこを食べようとかじっているうちに、あいつは板をかみ砕いて食ってしまった。

 シロアリかっ!?

 まったくバカな奴だった。まっ、骨を食ったと思えば、硬さ的には大した違いはないか……
 でも、歯も顎も丈夫だったんだな。

 板とは、アンプ類を置く板のことなのである。

 前にアンプをワイヤラックから床置きに替えると書いたが、さすがに床に直置きをする勇気や無謀さ、大胆不敵さは私にはない。
 今回考えたのは、木のブロックを床に置き、そこに板を載せた上にアンプを置くということである。

P6110260 東急ハンズで材料を買ってきた(写真は暑い思いをして持ち帰って来たものの一部)。

 90mm角のホオノキのブロック、3mm厚のブチルゴムのシート、450mm×450mm×20mmの合板などである。

 樹種としてホオノキが適しているのかどうかわからないが、なんとなくホオノキって好きだし、ヒノキなどこの先ヤニが出てきそうなものは避けた。
 板は1枚板にしたかったが、お値段の問題から合板にした。

 写真ではブロックの上にブチルゴムのシートを載せているが(その上にあるのはオーディオテクニカのスピーカー用インシュレーターである)、実際には床とブロックの間にゴムシートを入れることにした。

 ここで絶対に省略してはいけない作業がある。ゴムシートをラップでくるむということだ。
 そうしないと、ゴムシートの色が床に色移りする危険がある。
 借りている部屋だ。床に黒い四角い斑点を残すわけにはいかない。自宅でもやらないし……

IMGP0781 その上に合板を置き、さらにアンプを置くが、アンプの脚がそれぞれのブロックの真上になるように配置してある。つまり、アンプの脚の圧で板がたわまないようにしたわけだ。
 となると、板は必要ないんじゃないかってことにもなるんだけど……

 アンプの脚と合板の間には、よく売られているゴム材をはさんだ。

 板の両端にレゾナンスチップを貼ったのは、なんとなくである(しかも再利用)。

 あぁ、ホタル色のLEDが美しいこと!
 
  省いていない庄司のチャイコン
 庄司紗矢香の独奏、チョン・ミュンフン指揮フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団による、チャイコフスキー(Pyotr Ilyich tchaikovsky 1840-93 ロシア)のヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.35(1878)。

 若々しくはつらつとした、しかもテクニックと音楽性はこのときすでに超一級と賞賛すべき演奏だ。

 私は2001年に札幌で行なわれたテミルカーノフ指揮サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団のコンサートで、庄司の弾くこのコンチェルトを聴いているが、すっごいヴァイオリニストが現われたと驚いた記憶がある。彼女は1983年生れなので、このとき18歳だった。

20011026Concert

 そしてこのとき私が初めて耳にしたのが、第3楽章で多くで行なわれている省略をしないで、スコア通り演奏しているものだった。

 スコア下線の部分が(もちろんオーケストラも)多くの場合省略される部分(掲載譜はzen-on score)。
 掲載した部分は第3楽章の最初、Tempo Ⅰになってすぐのところだが、同じものがこのあとも現われる。それも省略されるのである。

TchaikovskyVnCon3Score

 ウィキペディアには、“なおこの主題は繰り返し登場するので、あえて省略する録音や演奏もある”との記述があるが、私の経験では“もある”どころか、たいていの演奏がそうしている。
 だからコンサートでその部分を初めて耳にしたときにはなかなかけっこう驚いた(この夜、2度目の驚き)。

 この録音でも省略なしで演奏されている。
 このように聴くと、なんで時間的にはほんのわずかの部分をみんな省略しちゃうんだろうと感じてしまう。

TchaikovskyVnShoji

 このディスクの録音は2005年。グラモフォン。

 ホントは、合板でなくて10mm厚のアクリル板が良かったんだけど、あまりに高いし……
 こんなふうにチマチマ買っているうちに、ちゃんとしたラックが買えるくらいになっちゃうかも。

 けどもはやギヤはバックに入れられない。
 続きをお楽しみに!

今回はボク、きれいに剥けたよ♪バッハ/平均律BWV.874(sax版)

P6110259  外側同様、中もヘタっていそう
 さて、まだまだ続くわが再生装置の話である。

 スピーカーケーブルも今回思い切って交換した。

 いや、思い切っても何も、今のケーブルはスピーカーを買ったときにサービスでもらったものなので、十分に年数が経っている。

 ケーブルの経年劣化というのが果たしてあるのか、あるとしたらどのくらい影響があるのか私にはよくわからないが、少なくとも外見は真夏でも着ている浮浪者のコートのように汚らしくなってしまっていた。

 これまで使っていたのはACROTECの6N-S1200というもの。そして新たに購入したのはオルトフォンのSPK-3900Q。

 新旧交代の儀式を写真のように滞りなく済ませた私である。て、ただ一緒に写真撮影しただけだけど……
 なお、銀色のケーブルがSPK-3900Qである。

AcrotecAd ところで、先日パワーディストリビューターのことを書いたが、この機器がってことではないが、今から15年以上前に発刊された「オーディオ入門者のためのABC」(ONTOMO MOOK)に次のようなことが書かれていた。

 実は今回再生装置の置き方をいろいろいじくるにあたり、本棚の奥からこの本を引っ張り出してきたのだ。
 
 15年前だって本音を言えば私は入門者じゃなかったと声を大にして言いたいところだが、そんなことで見栄を張らずにこのような初心者向けの本を恥をしのんでレジに持って行き買わせてもらい、謙虚に自宅で勉強する姿勢が私にはあるのだ。

 しかしなぜ同じように、若いころに見栄を張らずに恥をしのんでビニ本をレジに持って行けなかったのか、悔いが残るところである。
 あぁ、自宅で謙虚かつ敬虔な気持ちでビニールを開けてみたかった……

 その本の裏表紙には先代のスピーカーケーブルの広告が載っている。
 こう考えると、都知事でもないのにけち臭く長年投資せずにこのケーブルをよくぞ使い続けたものだと、我ながらセコさを痛感する。

 で、電源に関してだが、

 電源にこだわるといっても、ノイズフィルターを使うことはない。外部から侵入するノイズよりも、フィルターの副作用が心配であり、……

とある。

 これを書いているのは福田雅光という人だが、あのディストリビューターはノイズフィルターが入っているからこそ購入したもの。
 なぜ、この本を買った当時にきちんと理解しなかったのだろう。このページは読み飛ばしてしまったのだろうか?

 うん。それはありえなくもない。北電に頼んでオーディオ専用回路にすることなど考えられないので(そもそも専用の部屋がないわけだし)、電源に関することは自分のこととはまったく思っていなかったから。
 それは今でも同じだが……

IMGP0774  コードの組み合わせに迷う
 SPK-3900Qは4線構造である。
 6N-S1200も4線構造だが、コードが平らに4本並んでいた。これをスピーカーにバイワイヤリング接続していた。

 SPK-3900Qはスターカッド・ケーブルで、中心に撚糸がありそれを囲むように4本のコードがある。その周囲は錫メッキのシールド線で囲まれている。

 これをバイワイヤリングで使う場合、どの線とどの線を組み合わせるのかよくわからなかったが、ネットでいろいろ調べて、このコードを端末処理して販売しているショップの接続図にならい、high側を赤(+)と白(-)、low側を黒(+)と緑(-)にした。

 バイワイヤリングではない普通の接続なら、対角線同士のコードを組み合わせて+と-に接続すれば良いようだが、バイワイヤリング使用の場合は果たしてどの組み合わせが推奨されるのだろう。
 メーカーのカタログにはそこのところはちらっとも触れられていない。なお、4本のコードの太さはすべて一緒である(40本の銀メッキ無酸素銅線×4)。

 ケーブルの端末を剥く作業はけっこう大変だ。これは多くの方が経験しているだろう。
 面倒になってぞんざいにやると、その気持ちが伝わったかのようにコードが余計に切れてしまったりする。
 今回は汗をかきかき、慎重に取り進めた。

 シールド線を剥くのが想像以上に手間だった。でも、使っていたカッターで指を切ることもなく、無血戦で終わった。

 このケーブルには接続の方向が定められている。ケーブル表面に → が印字されているのだ。
 各線の接続が正しいか(high側かlow側か、+か-か)とケーブルの方向を気が狂いそうなくらい何度も確認しながら接続が終了したときは、開始から1時間以上経っていた。

 あぁ、疲れた。

GraingerSax  サックスへのイメージがちょっぴり変わった(私にとっては)
 作業が終わったときはもう大人げなく大きな音を出す時間でもなかったので、サクソフォン・アンサンブル版によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)の「平均律クラヴィア曲集第2部 24のプレリュードとフーガ(Das wohltemperierte Clavier, 2 teil, 24 Praludien und Fugen)」(1738⇔42)から「第5番ニ長調BWV.874」をかけてみた。

 ここのところ何度か書いているように、スピーカーケーブル以外のところもいろいろと替えているので、ケーブルの交換による変化とは言い切れないが、音が一皮剥けたように聴こえる。

 剥いたり剥けたりする話ですまないと思っている。

 余計なことだが、錫のシールド線は4本の線をむき出しにする根本の箇所のところでカッターで丹念に切り、そのあとはゆっくりと抜いた。剥いた上に抜いて、まったく申し訳ない。

 このとき聴いたディスクは「グレインジャー サクソフォン作品集」というアルバム。

 グレインジャー(Percy Aldridge Grainger 1882-1961 オーストリア→アメリカ)はピアニストとして活躍する一方で作曲も行なったが、彼はイギリス各地の民謡の収集活動を行ない、それを編曲したり自作に取り入れている。
 彼はまた、サクソフォンの音色に魅かれ、多くの作品をサックス用に編曲している。

 このアルバムにはグレインジャーの作品のほかに、彼がサックス用に編曲した上述のバッハや、もっと前の時代であるルネサンス期の作品も収められている。

 クラシック音楽では主流ではない楽器だが、このように聴くとグレインジャーが「その音色はまるで声のようだ。私はすぐに、世界で最も素晴らしい管楽器であることを知った」(CDの帯より)と感じたこともなるほどと納得できる。

 グリッグス(sax)ほかの演奏。

 2013年録音。ナクソス。

 今朝は金沢にいるため予約投稿させていただきます。
 

残留したい?ダメです♪LvB/Sym9(by モントゥー/LSO)

Resonance  離脱派は歓喜にわくが、この歌とはもはや無縁
 イギリスがEUから離脱したことがニュースで盛んに報じられているが、何となくあるんじゃないかな、ありそうだなと思って調べてみると、やっぱりあった。

 「欧州の歌」っていうのが。

 Wikipediaによると、

 欧州の歌(おうしゅうのうた)は、欧州評議会がヨーロッパ全体を象徴するものとして採択した楽曲。欧州連合、欧州評議会ともに「歓喜の歌」を欧州の歌としている。欧州の歌は1823年にルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第9番の最終楽章をもとに作られている。


なんだそうだ。なんかちょっぴり日本語ヘンあるけど……

 ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の交響曲第9番ニ短調Op.125(1822-24)。
 「合唱付き(Choral)」の通称をもつ偉大なる作品である。

BeethovenSymsMonteux 今日はモントゥー/ロンドン交響楽団の演奏を。

 よくオケが鳴っている。録音もこの時代とは思えない鮮明なもの。
 アンサンブルがときどき危険水域に近づきつつあり、また声楽陣はちょっと雑だが、ねちっこくないがそっけなくもないベートーヴェンが繰り広げられる。
 なかなか興奮ものなのである。
 個人的には向かって左からコントラバスが聴こえるのがお好みではない配置だが……

 独唱はゼーダーシュトレーム(S)、レズニック(Ms)、ヴィッカーズ(T)、ワード(Bs)。合唱はロンドン・バッハ合唱団。

 1962年録音。デッカ。

  残留させず
 さて、オーディオ機器の配置換え、というほどちゃんとしたものではなく“置き直し”であるが、これを機にパワーディストリビューターに次いでレゾナンスチップも離脱させた(ところでパワーディストリビュターは“燃えないゴミ”に出していいものなのだろうか?)。

 スピーカーの背面にあるダクトにレゾナンスチップを貼っていたのだが、これをはがしたのである。
 残留したかったのか、両面テープの跡が残って取り去るのに手間がかかったが……

 いまでもマニアの間では神格化され続けているのかどうかわからないが、15年ほど前、レゾナンスチップは知る人ぞ知る“音響向上パーツ”であった(あっ、やっぱり今でも人気があるのね……)。

 この直径1cmほどのチップを貼ることで音が変わるというのだから、確かに魔法のようである。

 効果を実感している人は多いようだ。
 しかし使い方(貼る場所)を間違えると逆に音を“萎縮”させてしまうようだ。振動を抑えるわけだから(必要な振動も、害になる振動も)。

 あのとき私は一応はオーディオ雑誌のレポートを参考にしてあちこちに貼った(出張の折にラジオ会館で買ったのだった)。

 自宅の部屋でそこそこ大きな音で冨田勲のシンセサイザーによるドビュッシーの「月の光」を聴くと、部屋のどこかが共振してしまうという事象が発生した。そこで暖房機のパネルにチップを貼ったところそれが治まったという経験もした。確かに効果はあったのだ。

 が、スピーカーのダクトに貼るのが良かったのかどうかは疑問。
 ダクトの振動を抑えるのは良さそうでもあるし、マイナスに働きそうでもある。
 ということで、スピーカーのチップははがしたのである。

 はがした後は音が伸びやかになった気がするが、気のせいかもしれないし、実際にそうだとしても今回これまで書いたように(そしてこれからも何回かにわたって書くように)他にもいろいろいじっているので、レゾナンスチップとの因果関係は不明である。

 私が思うに、音を聴く部屋の壁や家具に貼りつけるのが良いような気がする。
 また、CDプレーヤーの躯体に貼るのもいいのかもしれない。

 問題は一度貼ってはがすともう効果がないらしいということ。
 が、チップ自体ははがしても変わるものではないだろう。神通力を失うのはブチルゴム製らしい両面テープということになるのだが、よほど特殊なものなのだろうか?

 東急ハンズでブチルゴムの両面テープを買ってきて使ってはダメなのかしらん?
 ダメだとしたら、その理屈がわからん。

 今日は金沢に出張である。
 時間があったら掘り出し物がないかどうかタワレコに寄ってみようと企てている。

一般人的人生?♪R.シュトラウス/「英雄の生涯」 by カサドシュ

StraussRHeldenlebenCasadesus  元気そうに歩いていた
 旧約聖書の考えに従えば、今日は1週間の最後の日の安息日である。

 安息日に当たってこの1週間を振り返ると、月曜日と火曜日は札幌で会議があった。

 火曜日の会議の前に、山田英雄さんに会った。
 会議で顔を合わせたのではない。会議に向かう途中、札幌のマチナカの歩道上で遭遇したのだ。

 山田英雄さんはこの春にわが社を卒業して、いまは第2の職場で働いている。
 直接一緒に仕事をしたことはないが、私と同じ事業部門に属していた。

 ゆえに、私が出席する会議とはもう関係ないのだ。
 だが路上で会うなんて、いかにお互いの行動範囲が狭いのかを証明している。

  庶民スタンスっぽいエイユー
 リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949 ドイツ)の交響詩「英雄の生涯(Ein Heldenleben)」Op.40(1897-98)。もちろん「えいゆうのしょうがい」と読む。

 今日ご紹介するのはカサドシュ指揮リール国立管弦楽団の演奏。

 2015年のリール国立管弦楽団創立40周年、そしてこのオケの創始者ジャン=クロード・カサドシュのキャリア50周年を記念してリリースされたディスクだが、録音されたのは2011年である。

 「英雄の生涯」は、ここここに書いたように作曲者が自らを英雄に見立て音の自叙伝に仕立てたもの。

 この「英雄の生涯」の演奏はスケール感も大きく、熱がこもったもの(指揮者のうねり声や足音が聞こえてくる)だが、「オレは英雄だぜ。こうやって人生を戦って生き抜き、そして勝ち上がってきたんだぜ」という鼻につくところが全然ない。そこに私は非常に好感を持つ。

 少々粗削りな面もあるが、全体を通して清潔感のある仕上がり。
 自らを英雄と称す高慢ちきなところがなく、ヒデオの人生は幸福でしたって感じである。

 山田英雄さん(誤解を招かないよう一応言っておくがまだまだ元気。ご健勝である)のこれまでが波乱万丈だったのか順風満帆だったのか、あるいは刺激的だったのか平凡だったのかどうかは知らないが、少なくとも「オレはヒーローだぜ」っていう生き方をしてこなかったのは、その謙虚で誠実な人柄からも推察できる。私が謙虚とか誠実かどうかはともかく、少なくとも山田さんは代議士先生とかじゃなく私と同じ世間一般のグループに属する人に違いない。

 ここに描かれているのはみんながそれぞれエイユウ。そういう感覚の「英雄の生涯」の演奏である。

 レーベルはナクソス。

 ジャケットを見た瞬間は「アルプス交響曲」かと思っちゃうけど、中身は「英雄の生涯」である。

  担担麺は高級すぎてもダメ
 すでにご報告のとおり、月曜日の昼は四川飯店で担担麺を食べた。
 火曜日は某ホテルのレストランで、またまた担担麺を食べた。前日の倍くらいの値段がしたが、それもそのはずエビが3尾入っていた。が、私の口に合うのは甜麺醤で炒めたひき肉が載った担担麺だ。海鮮入り担担麺は私にとっては海鮮入り胡麻辛子スープそばであり、担担麺っぽく感じないのである。
 担担麺はもともと屋台で担いで売りに来たものだと陳健民さんが書いていた。庶民の食べ物なのだ。

 水曜日はちょうど昼時に機中の人になってしまうので、搭乗前に空弁売り場でホッキ貝飯のおにぎりを1個買って食べた。そのせいではないが、機中で膨満感に悩まされた。

 ちなみに同じ便にはアルフレッド氏と姥向井氏が乗っていた。セントレアで先に着いていたムッカマール氏と合流。この3人がなぜ名古屋に来たかというと、仕事で来たことは来たのだが、まあ私と同じ支社の古山課長に会うことが重要案件だったようだ。

 が、ムッカマール氏は別として、2人はすでに千歳空港で私と会ってしまった。だったらその足で引き返せばいいという意地悪な判断も考えられなくはないが、とにかく名古屋にやって来た。
 この3人が来たせいで名古屋はどしゃ降りになった。

 確か前にもこんなことがあった。
 この3人が帯広に来たとき、ひどいどしゃ降りになったのだった。
 これは偶然なのだろうか?

 木曜日の昼は“やよい軒”に行った。
 相変わらず豚肉の生姜焼き定食を食べた。いつもよりべちゃべちゃし、味も濃いように感じた。そのせいでご飯をおかわりしてしまった。いや、単なる言い訳である。

 金曜日はそば屋に行った。“盛賀美”である。
 天丼とミニそばのセットを食べてしまった。
 食べ過ぎだと思うが酷暑に負けないためにも食べることが肝心である。

ホタルのともし火に癒されるぅ~♪チャイコフスキー/雷雨

P6080234  壁の中はブラックボックス
 今回ワイヤーラックから卒業するにあたって(卒業しない方がいいかもしれないという不安はある)、これまで使っていた“トイレの消臭元”ならぬ“電気の供給元”も替えることにした。


 といっても、何万もかけて電源タップを替えるというような無謀なことではない。
 電源をきちんとすれば音が変わるという理論は感覚的には理解できる。きっとそうなんだろうと私も思う。

 ただ、今住んでいるマンションのコンセントまで電気が送られてきている経路が果たしてどんなことになっているのか、壁の中のことなどさっぱりわからないし、それはここのマンションに限らず自宅だって同じだ。家を建てるときにオーディオ用に別な回路を設けるなんぞ、考えもしなかった。

P6160277 だからコンセントからオーディオ機器までの間の電源にお金をかけることは、少なくとも私にはナンセンスに思えるのである。

 いろいろな本に電源の重要性が書かれているし、非常に高価なタップや電源コードが売られているが、私のような住環境にいる者にとって、モノによってはアンプよりも高い機器を買うことは、美味しい漬物を漬けるために漬物石を磨きこんだ御影石に替えるような、意味のない行為に思えるのだ。


 
ネオン管は炎のようにちらちら揺らぐ
 ただ、コンセントから機器までの間で、少なくともプラスに働かないと思われる要因は除去した方が良い。


 実は今まで、オーディオ類の電源はパワーディストリビューターを通じて取っていた。
 ワイヤラックを使い始めた、それよりも前からそうしている。
 そしてパワーディストリビューターを、ホーマックで買ってきた汎用性の高い金具を使ってビス止めすれば、あたかもワイヤラックのオプション製品のようにきちんと装着できたのである。

 これはもともとパソコン(PC9801VM)を初めて買った30年前にPC本体やプリンターなどの電源を取るために、たまたま時間つぶしで立ち寄った秋葉原で買ったもの。
 電源から入り込むノイズを防ぐフィルター機能があるということだった。

P6160278 当時はちょっとした電気的トラブルでデータが失われることがあるなどと脅かされていた時代。
 パソコン雑誌に載っているゲームのプログラムを打ち込んでいるときやフロッピーディスクにデータを書き込んでいるときに、少々いかれかかったグロー管を使っている蛍光灯器具のスイッチを入れると、バリバリバリとノイズが発生し、それによってデータが失われると、いま思えばかなりマユツバな話だが、まことしやかに言われていたのである。

 だから、ラジオ会館でこれを見つけたときはとんでもなく素晴らしいものを発見した気になったものだ。

 おかげさまで、これを持ち帰るときは羽田空港の保安検査場で、ビビーッとブザーは鳴るし、検査官の目の前で電源を入れて爆発しないことを証明させられるはで、よからぬ人物じゃないかと真剣に疑われた。

 その後、ノイズ除去ならオーディオも一緒だろうと考え、PC-98引退後はこのパワーディストリビューターをオーディオ機器への電源供給のために使っているが(ここで電源をOFFにすることによってアンプなどのスタンバイ状態をOFFにできるというメリットがある。節電のためである)、かえって音に悪さをしているかもしれないと思うようになった。にわかに。

 だいたいにしてパイロットランプが派手にノイズを発散していそうだ。
 これはネオン管のランプである。
 灯りがチラチラする、あのオレンジ色のランプである。
 耳を近づけると、言葉を覚えたての孫が何かをおねだりするときのような「ジィジ、ジィジ」という音が聞こえてきそうだ。

P6090246 CDプレイヤーのディスプレイでさえ消した方が良いと言われているご時世なのだ。
 これが、害はあっても益をもたらしているとは考えにくい。

 それに各機器のスタンバイ状態(待機状態)を節電のためにOFFにしたければ、当時は見かけなかったスイッチ付きテーブルタップが、リンダが選ぶのに困っちゃうほどの多種類売られている。


 が、そういう商品のなかでもネオン管と思われるパイロットランプが使われていることがある。
 スイッチはグリーンなので、ONにすると青肉メロンのジュースのような色で輝くかと思いきや、スイッチの色はグリーンなのに中でオレンジ色のランプが光るのである。

 これにはがっかりさせられる。青肉メロンのジュースかと思ったら、小松菜とニンジンのミックスジュースだったっていう悲しみに匹敵する。
 写真の2枚目と3枚目の製品がそういうタイプだが、これをご覧いただければ、あなたも私の気持ちをわかってくれるだろう。


  LEDはノイズレス、かどうかは知りませんけど……
 そこでELPAのLEDのパイロットランプが点灯するものにした。
 ホタル色のランプが点灯する。いや、成虫の体色ではなく、成虫が発する光のような色である。

 LEDがネオン管のようなノイズを出さないのかどうかは知らないが、ホタル色の灯りというのが良いではないか!

 しかも雷の害からも守ってくれる。たとえ雷が落ちても、機器が損傷することはないのだ。その近くにいる私の体が放電で損傷したとしてもだ。

 とはいえ所詮テーブルタップを使っての電源確保。ショスタコもあきれるタコ足配線である。

 根本的な改善には程遠いが、私は満足である。というか、諸事情を勘案した上でやれるべきことをやったという最適な妥協点に到達したのである。
 これでどうして満足したふりをしないでいられようか!

  雷怖い
 チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)の序曲「雷雨(Groza/The Storm)」Op.76(1864)。
 作品番号の数字は76と、交響曲第6番「悲愴」Op.74よりも大きいが、実は作曲者が24歳のときの作品。

 ペテルブルク音楽院で出された管弦楽法の課題のために作曲したもので、A.N.オストロフスキーの「雷雨」という劇(で演奏することを前提とした?)のための序曲である。

TchaikoSymRozhdes 楽曲についての詳しいことは私にはわからないが、若書きの習作とはいえここにある音楽はすでにまぎれもなくチャイコフスキーのものであり、また、交響曲第1番「冬の日の幻想」のメロディーの断片が発芽活動中のように顔を出す。


 私が持っているCDはロジェストヴェンスキー指揮ロンドン交響楽団の演奏によるもの。


 録音年の表記なし。ブリリアント・クラシックス。ただしすでに廃盤。こんな顔されちゃあ、廃盤にもしたくなるよなぁ……いえ、関係ないことですけど……


ワイヤーでは物足りなくなってしまったアタシ……♪伊福部/サハリン島……

P6080233  あまりにも突然に疑問が湧き、嫌になった
 私はアンプとCDプレーヤーをワイヤーラック(メタルラック)に載せて使っている。

 高さ120cmのもので、天板にプリンター(もちろんこれは音楽再生には関係ない)、2段目にチューナーとCDプレーヤー、3段目にアンプを配置している。3段目の棚板の下から床までは40cmくらいの高さがある。
 2本のスピーカーの間に、向かって左にテレビ、右にラックを置いている。

 このワイヤーラックを使うようになって、もう20年近くなる。

 それまでは、よくありがちなガラス扉のついた合板でできた黒色仕上げのオーディオラックを使っていた。
 オーディオラックと言ってもカラーボックスを大きくして見た目を良くしたようなもので、どっしりしているかと言えばそうではなく、横から小指で押してもユラユラぐらぐらした。いまなら免震構造と呼ばれるのかもしれない。
 が、私の組み立て方に問題があったと考えるのが妥当だ。最初からそういう仕様だったというのも否定しがたいが……

 そして、プリメインアンプをONKYOのものから一挙にグレードアップしてLUXMANに替えたとき、新しいアンプが収まらないという事態に直面した。

 ちょうどそんなときに、オーディオ評論家の江川三郎氏がワイヤーラックがオーディオラックに適しているという記事を雑誌で読んだ。

 ワイヤーラックは安くてかなりの荷重にも耐える。
 こんなありがたい話はない。

 そこでホーマックでワイヤーラックを買い、上に書いたような置き方で使ってきたのである。

 ワイヤーラックがなぜオーディオラックとして適しているのかという理屈は忘れたが、間違いなく言えるのは熱はこもらない。そしてあのスカスカさによって音圧も逃がしてしまうということだろう。振動もうまく吸収し逃がしてしまうのかもしれない。どこに逃げてしまうのかわからないが、とにかく暖簾に腕押し状態が功を奏するということだと思う。

 一方でワイヤが共振するのではないかという懸念もある。

 一応素人考えで、ブチルゴムのテープをサランラップで巻いたものを棚板の上に横たえさせ、また各機械の脚の下にも同様にブチルゴムを敷いた。
 脚の下に何かを敷かないとワイヤーゆえに置き位置によっては安定しないし、2本または3本のワイヤの上にうまく足が載って安定したとしても、その脚の下には寝癖のように跡が付いてしまう。

 ゴムのおかげかどうかはわからないが、けっこうな音量で音楽をかけてもワイヤがキンキンと鳴き始めるということはなかった。


 実はこのときはアンプだけではなくCDプレーヤーも入れ替えた。
 なので、ラックの交換による音の変化についてだけをとらえることはできなかった。

 が、音の変化に大いに満足したのは事実。
 その後は何度かの引っ越しがあったものの、ずっとこの形で音楽をかけてきたのである。


Eikyoku  私の心は突如秋の空
 ところが先日、この置き方に飽きてしまった。
 嫌気がさしたとも言える。
 急にである。


 ワイヤラックはとうに輝きを失ってしまっている。細かな部分は埃がこびりつき、これをきれいに取り除くには(たとえその強い意志があったとしても)何時間もかかるだろう。


 ワイヤラックの是非が云々ではなく、別な置き方をしたくなった。なんとなくだが、その方が音が締まるのではないかという予感がしてきて、それは私の心の中で確信のようなものに成長した。

 そんな風に考え出すと、それまであまりやったことがなかったが、このワイヤラックも案外とグラグラしていることに気づいた。そういえば、いちばん上に載せてあるプリンターを使うとラックがグニュグニュと左右に振れていたことを思い出した。この上に猫でも居ようもんなら、揺りかごの中に居るかのように、ウツラウツラしちゃうだろう。騒音を別とすれば。
 こうなると坊主憎けりゃ袈裟まで憎いじゃないが、急にワイヤラックは心理的にも輝きを失ってしまった。

 本来ならもっと背の低いワイヤラックを使い、重いものをできるだけ床に近づけて置くようにするとぐらつきは治まるのだろう。その点では私にも落ち度はある。

 しかし、考えてみれば台所にはこのラックより一回り小さな弟分のワイヤラックが置かれており、やっぱりそれなりにぐらついているし、そこには電子レンジや炊飯器が置かれている。

 オーディオも電子レンジも同じ扱いというのも、今になってちょいとおかしいのではないかと思った。
 おかしくないかもしれないが、こうなりだすと心情的に許せない。

 だいいち危険だ。
 もし中途半端にモノゴトをわかっている幼児でも家に居ようもんなら、電子レンジと間違ってCDプレーヤーのトレイにマルハニチロの冷凍ミックスピザを入れられてしまう恐れがある。ウチの子供たちがそのような勘違いをせずに育ってくれたことに今さらながら感謝したい。


 ということで、ワイヤラックの使用をやめることにした。
 ついでにこの際だからRCAケーブルも替えることにした。
 スピーカーケーブルも交換する決意をした。
 実はプレーヤーを入れ替えることを検討しており、その準備でもある。


 じゃあ次は何にオーディオを入れるのか?

 入れない。
 床置きしてみようと考えたのである。


  そんなわけで、、、
 伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の「サハリン島先住民の3つの揺籃歌」(1949)。
 この曲はここで取り上げているが、“先住民”の表記はかつては“土民”とか“土蛮”とされていた。
 これらの語句はパソコンでも変換できないし、曲の名も“先住民”に変更されたのははこの言葉が差別用語になるからなんだろうか?


 平田恭子のソプラノ、井上直幸のピアノで。


 1974年録音。カメラータ。


 さて、私のオーディオ配置模様替え大作戦についての話はまだまだ続く。
 ただし、まったく理論的なことはやっていない。長嶋茂雄の足元にも及ばないが、自分の勘と経験に頼っているだけだ。なので、私の書くことは参考にならないことは保証しておく。


往年の名指揮者を聴きたくなるこのごろ♪モントゥーのペトルーシュカ

FranckSymMonteux  60年近く前の響きは、いまも鮮明
 ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky 1882-1971 ロシア→アメリカ)の「ペトルーシュカ(Petrouchka)」(1910-11/改訂'46)。

 「火の鳥に続く、ディアギレフ率いるロシア・バレエ団から委嘱されたバレエ音楽第2弾である。
 ここに書いたように、バレエは4場からなる。

 ところでこのところモントゥーが指揮したベートーヴェン交響曲の録音を取り上げているが(継続中、なう)、私にとってモントゥーやシルヴェストリ、ミュンシュやライナーといった指揮者はリアルタイムでは知らないが、逆に廉価盤LPとして親しんだ人たちである。

 モントゥーとライナーはRCAの1300円の廉価盤、ミュンシュとシルヴェストリはセラフィム(EMI)の1200円盤で出ていた。セラフィム盤の方は、ジャケットの裏面に指揮者の写真も載っていたが、それがけっこう若いときのもので、純情無垢な私はその当時もまだまだおじいさんじゃないと疑わなかったものだ。しかし、私にとってクラシック音楽のすばらしさを教えてくれたおじいちゃんたちだったのである。

StravinskyPetrouMonteux 指揮者じゃないが、チェリストのトルトゥリエの写真なんて青年そのもので、いやぁ、結婚詐欺にあったようなものだった(私が欧米人好きの女性だったとしたら)。

  そうそう、ジゲラだった!
 今日取り上げる「ペトルーシュカ」も、RCAの1300円盤で親しんだモントゥー/ボストン響による演奏。

 1959年録音ながら、色あせることない壮麗華美な響き。録音の古さを感じさせない。
 何より懐かしい!あのころ、大きくなったら大道芸人になろうと将来を夢見ていたことを思いだす(まったくウソです)。

 ピアノの演奏はジゲラ。
 そうそう、ジゲラだった。この名前、LPの帯に書かれていた。
 この名が潜在意識に残っていたので、私はニゲラという花の名前に懐かしさを感じたのだろう(これもウソです)。

Sakkyo153rd でも懐かしさだけではなく、この演奏、とっても良い演奏だと思う。

 上がジャケット写真だが、下の写真はその裏表紙のものである。

 使用している版は1911年のもの。なので、場と場の間のドラム・ロールはない。

 ところで私が「ペトルーシュカ」を初めて聴いたのは、岩城宏之が札響の正指揮者に就任した最初の定期演奏会においてであった(って、偽指揮者って言葉はないよなぁ)。

 札響が「ペトルーシュカ」を取り上げるのはこのときが初めてで、それは画期的な出来事だったのだろうが、客席にいた私にはいまひとつピンと来なかった(この演奏会の模様はNHK-TVでも放送された)。

 それから数ヵ月後に、このモントゥー盤のLPを見つけて買って聴いてみたのだが、あらなんて魅惑的な曲なんでしょと思ったのだった。
 なぜ生で耳にしたときにそれに気づかなかったのか、まったくやれやれである。

  火の鳥で幕を閉じ、ペトルーシュカで新時代開幕
 ちなみに、この就任記念演奏会の3ヵ月ほど前には、前任のP.シュヴァルツの送別演奏会が開かれたが、そこでは「火の鳥」の組曲が演奏された。

 シュヴァルツは「火の鳥」で最後を飾り、岩城は同じストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」で正式者、いや正指揮者デビューしたのだった。

 また、この第153回定期の1曲目は石井眞木の「オーケストラのための『序』」Op.26であった。
 この作品は、NHK-TVで聴きすでに知っていたが、大小の金属の壺を打ち鳴らすところのメロディーが非常に印象的だった。

 「序」はその後「日本太鼓とオーケストラのためのモノ・プリズム」Op.29の第1部になったようだが、その後耳にできないままである(第2部だけのCDは出ているのだが……)。

 

雨上がりの朝のあとは晴天なのに屋内従事♪ヘンデル/調子のよい鍛冶屋

  風で飛ばされずに済んだ肥料
 先週末から今週にかけては、日曜日を除き、天候に恵まれなかった。
 ガーデニング作業ができたのは日曜日の午前中だけだった。
 だが私の予知により(天気予報に基づく予知である)、日曜日の夕方にまいた肥料は夜の激しい雨によって無事風に飛ばされることなく土にへばりつき、窒素・リン酸・カリは目的どおり土中に浸み込んだ。

 昨日も朝方まで小雨。

 朝の花の様子はこういう具合。水滴は水滴で、これまた美しい気もする。
 バラは開花したもの品種もあるが、多くはこれから。

 名古屋ではすでにバラの一番花は終わっている、もしくは終わりかけていることを思えば、その気候の差をあらためて痛感させられる。だからこそ、たとえば“グラハム・トーマス”は北海道ではつるバラとしても扱えるってような現象が起こるのだろう。

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▲ クレマチス・アロマティカ(蔓にならないタイプの品種)

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▲ スキャボロ・フェアー

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▲ マチルダ

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▲ ブルー・フォー・ユー

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▲ ユリ
品種は不明。4年前に紫竹ガーデンに行ったときに入り口でもらったもの。
    このつぼみを見ると、珍宝楼(本名:美珍楼)の金針菜が載った担担麺が無性に食べたくなる。

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▲ メニー・ハッピー・リターンズ

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                 ▲ ビオラ(品種不明)

  せっかく雨が上がったのに、屋内従事。いえ、仕事ですから当然です
 昨日はその後ようやく晴れたが、会議。
 いや、文句などこれっぽっちもない。本来その目的で来たのだから文句が言える筋合いがあるはずがない。
 月曜日も会議だったが、雨の中会議に向かった。それと昨日を比較すれば、雲泥、月とスッポン、貧富、美女と野獣、ウコンとウンコの差と同じくらい晴れていた方がいい。たとえ庭いじりができなくとも……

handelHpsiSuite  BGMの選曲のセンスが良い。というか、私好み
 月曜日の会議は札幌市内のホテルが会場だった。

 ここのホテル、わが社はしばしば会議で利用するがたいていは廊下やロビーにクラシック音楽が流れている。

 この日最初に私の耳に飛び込んで来たのは、ヘンデル(Georg Friedrich Handel 1685-1759 ドイツ→イギリス)の「調子のよい鍛冶屋(The harmonious blacksmith)」だった。

 雨で全身が湿り切っているので、個人的感覚としてはまったく調子が悪かったが(おまけにESTA・味のテラスの四川飯店で担担麺を食べたあとだったので、気温が低いにも関わらず汗ばんでしまっていた。なお、この日は担担麺単品でがまんした)、そんなことはつゆ知らずとばかりに天井のスピーカーからは調子のよい音楽が流れていた。
 おかげで私もルンルンした気分になってきた、ような気がした。

 「調子のよい鍛冶屋」はここでも紹介しているように、8曲からなる「ハープシコード組曲第1巻(Suites de pieces)」(1720刊)のなかの第5番ホ長調HWV.430(全4楽章)の終楽章「エアと変奏」のこと。この楽章につけられたニックネームなのである。

 ボルグスターデのチェンバロ演奏で。

 2007年録音。ブリリアント・クラシックス。

 なお、昨日今日とヘンデルが続いたのはまったくの成り行き上の偶然です。

ヘンデル in 国境の南、太陽の西。そして Animals in Music♪org協

Animal in Music  僕らって、実は僕だけだったのでは?
 、村上春樹の「国境の南、太陽の西」(講談社文庫)。

 外苑で首都高速を下りるまで、僕らはほとんど口をきかなかった。僕はヘンデルのオルガン・コンチェルトのテープを小さな音で聴いていた。  (174p)  

 僕らというのは、この場面、隣の席には島本さんがいるのだ。

 でも、本当にいたのだろうか?

 すべては“僕”の妄想、つまり僕はすでにイカレテしまっていたのではないだろうか?

 いえ、なんでもないです。
 けど、怖いですね。
 こんなところに引っ張り出されたヘンデルさんがかわいそうです。

  この2つの鳥は音楽の常連?
 ヘンデル(Georg Friedrich Handel 1685-1759 ドイツ→イギリス)は16曲のオルガン協奏曲を残している。

 Op.4(HWV.284-194)の6曲、Op.7(HWV.306-311)の6曲、Op.番号なし(HWV.295,296,304,305a)の4曲である。
 これらのオルガン協奏曲は、小型オルガンのために書かれており、劇場の幕間に演奏されたという。

 またこの16曲のほかに、「2台のオルガンのための協奏曲」HWV.303があるが、これはOp.7-4によく似ているらしい(私は未聴)。作曲されたのは2台のコンチェルトの方が先らしいが……

 今日はそれらのなかからオルガン協奏曲ヘ長調HWV.295(通し番号では第13番。1739頃)の第2楽章。

 この曲はここに書いたように、「カッコーとナイチンゲール(The Cuckoo and The Nightingale)」と呼ばれることがある。実際、第2楽章でその鳴き声の模倣が出てくる。

 今日は“Animals in Music”という、真面目なんだがお茶らけているんだか(いや、親切心からだろう)よくわからない企画の2枚組CDを。
 この曲の第2楽章が収められているのだ。

 アラトールのオルガン、ティンジ指揮ヘンデル祝祭管弦楽団の演奏。
 録音年不明。ナクソス。

 いや、実はなかなか楽しいアルバムである。
 収録曲も有名どころからマニアックなものまで甲・乙・丙・丁のようなラインナップ。自分でも意味不明だが……
 とにかく、二段重ねのお重にいろんなものが詰まっている感じ。ワクワク。

 欲を言えばP.ホワイトの「蚊の踊り」なんていう、すっごくヘンテコな曲(?)が入っていればもっとうれしかったのだが、そんなことをすると私のうれしさと反比例して売り上げは落ちるだろう。

 でも、ジャケットのムシの絵、気持ち悪いなぁ。

 ジャポニカ学習帳だって、ムシの写真をやめたっていうのに……
 そりゃ、昆虫の顔のどアップ写真が表紙なら、良い子のみんなも(一部の昆虫マニアを除いて)勉強なんて手につかないですよね。

 ムシも鳥もAnimal?
 いえ、そういう舅みたいな意地悪なこと言いません……
 そんなこと言ったら「動物の謝肉祭」を否定することになるし……

 
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