新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2016/05

もぅーっ!じらさないで!♪LvB/Sym1(by モントゥー)

BeethovenSymsMonteux  人目につきにくいところに咲く、可憐な花のよう
 このところベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の交響曲第1番ハ長調Op.21(1799-1800)を繰り返し聴いている。

 先月末に手にしたモントゥーによる交響曲全集の中の1枚だ。オーケストラはウィーン・フィル。

 ベートーヴェンはそれまでの作曲家と異なり、自分の書く音楽は“芸術作品”であり使い捨てのものではないという立場に立った。

 とはいえ、彼の交響曲第1番と第2番は初期作品にあたり、先輩であるハイドンやモーツァルトなどからの影響が強く、第3番(「英雄」)になってピグモンガラモンになったような大変貌を遂げるのである。ピグモンとガラモンの場合は別な種の生物だが……

 そういうこともあって、彼の第1番や第2番を繰り返し何度も聴くことなど、いやそもそも繰り返し聴きたいと欲することがいままでなかったが、このモントゥーの演奏は不思議な引力をもっていて、あまり目立つ方ではないけど実はかわいらしい女の子に似た存在。その可憐な女の子にストーカー行為を繰り返すおじさんのように、私は聴きかえしているのである。

 それも、個人的には第1番より第2番の方が曲としては好きなはずなのに、モントゥーの演奏では(どちらもいいんだけど)第1番により引かれる。

  じらさないで……
 モントゥーのアプローチは(ずっと前から聴いていた彼の)第6番や第8番と同じで、しっかりしているのにやわらかくい。しかしこの時代の主流だったロマン派風の過剰な味付けなど一切なく、素材を生かした旬の料理みたいな味わいになっている。

 聴くたびに自分も優しいヒトになったような気になる。

 それと、第1番の第4楽章は序奏で、主題を披露しようか、いやそう簡単には露わにしないぞっというじらしがあるが、モントゥーの演奏では、これまた「は、は、早く露わになってくれっ!はぁはぁ……」みたいな感じが強くする。ワタシだけかもしれないが……

 いずれにしろ、第1番、そして第2番(こちらのオーケストラはロンドン交響楽団)で、これだけ引きつけられる演奏に私はこれまで出会ったことがなかった。

 1960年録音。デッカ。

  店内も、松前出身という店員の女の子も活気がある
 で、道南農林水産部に行って来た。水曜日に。

 あの山林は誰のものなのか?とか、鮭を生で食うと寄生虫で腹が痛くなるのか?といった問い合わせをするためではない。


 道南農林水産部は役所ではないのだ。ここに紹介したように多くの人が集まり道南の海や山の幸を口にし、喉つまり防止のため飲み物も飲みながらミーティングをする場なのである。
 平たく言えば、ネオ炉端とあるように、居酒屋である。


 私は千葉課長と古代課長と一緒に行ったわけだが、早い時間にいったおかげで難なく入れたが、その後はすっかりいっぱいになり、あちこちで熱のこもった論議、協議がなされていた。これでサブちゃんの歌さえ流れていなかったら、ディベート大会会場と間違える人もいないでもないかもしれない。


 私たちは、かすべのザンギ、ちょっとだけいくら(少しだけならHow much?という意味ではない)、とろける室蘭焼き鳥、北海道ポテトサラダなどを頼んだが、まあまあ道産子としても及第点をつけられるものだった。


 ただし、イクラは粒が小さめだったし、室蘭焼き鳥はここの売りのとおりとろける柔らかさだった(角煮のように)が、室蘭の鉄鋼マンが鋼のような歯で食らいつくのが室蘭焼き鳥であり(って、勝手な妄想だが)、もっと薄っぺらで、薄っぺらなくせに噛みごたえ十分の硬い肉でないと、どうも室蘭焼き鳥って感じがしなかった(今回は注文しなかったが、この店の“豚精”が本来の室蘭焼き鳥なのかもしれない)。


 この店、距離は離れているが、つぼ八の強力なライバルになる可能性はある。

札響とマーラーと地震の偶然♪GM4(by テンシュテット)

MahlerCompTennstedt  4月の定期は8日と9日だったので……
 1週間前の金曜日と、翌土曜日(13~14日は札幌交響楽団の第589回定期演奏会が行われている。

 もちろん私は行っていない。

 その日はワケあって名古屋市内で健康セミナーを聞いていた。
 話に感化され、帰りに整腸剤を買ってしまった。

 それはともかく、定期演奏会の指揮はM.ポンマーでメインのプログラムはマーラーの交響曲第4番であった。


 熊本の大地震が起こったあとの最初の札響定期がこの第589回。
 そしてまったくの偶然に他ならないのだけれど、、東日本大震災を引き起こした2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震が起こった後の最初の札響の定期演奏会の演目も、マーラーだった。
 このときの指揮は高関健で、第7番だった。


 もちろんたまたまであることは間違いない。


 が、ふと地震とマーラーというこの札響定期の組み合わせに気づいたのだった。


 ポンマー/札響のマラ4がどのような演奏だったか私には知る由もないが(2カ月後くらいの“音楽の友”に批評が載るだろうから、忘れてなきゃ立ち読みでチェックしよう。

 今日は、このマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第4番ト長調(1892,1899-1901/改訂1901-10)の演奏では私にとって目からうろこ、尻からうん……、いや何でもないのだが、とにかく戦慄をおぼえたテンシュテット指揮ロンドン・フィルによる演奏を。

 どのくらい恐れおののくような演奏なのかは、こちらの記事をご覧いただければ、そりゃ人それぞれ個人差があるから、全然伝わらないかもしれない。


 ソプラノ独唱はポップ。


 1982年録音。EMI。


 なお、2011年の7番と今月の4番の間に、札響は第5番も演奏していることを申し添えておく。
 尾高の指揮による、2012年8月の第551回定期である。
 このときは世の中で大きな出来事はたぶんなかったはずだ。


  大いなる喜びへの参加 of Kobae
 話は部屋のレモンユーカリの鉢植えに変わる。

 連休中ずっと留守をしたせいで、レモンユーカリの葉はすっかり水に戻す前のひじきのように乾燥し縮んだ。
 が、たぶん回復すると思われる(オリーブやテーブルヤシは異常なく育っている)。


 問題はコバエである。


 やはり発生するのである。コバエが。

 コバエといってもふつうのコバエではなく、より小さなコバエである。


 表土にオルトラン粒剤をまいているので、そこから発生するガスで死にそうなものだが、生意気にその上を歩いていたりする。また、水をやった際にオルトランが溶解し土に浸透することで土中の成虫もしくは幼虫もタマランとばかり絶滅しそうなのに、現実はそうはなっていない。

 コバエの存在に気がついたときには、ふつうのスプレー式殺虫剤を噴霧しているが、これは植物に直接かかっていいものではないし、近くにおいてあるCDへの影響も心配だ。


 そこでさらなる対策を講じた。


 コバエ取りなるUFOのような形をした装置を買ってきたのである。
 コバエホイホイとかコバエキャッチャーみたいな名前のものだ。


 開けると酸っぱいにおいがする物質がしみ込んだスポンジが入っている。

 コバエはそれに引き寄せられ、幸せな香りの中で笑いながら死んでいくのだ。理論的には。

 私はどのくらい入るのか、まさにホイホイした気持ちで楽しみにした。


 2日目の朝。

 中をのぞいてみると、なんと驚いたことにその中にはコバエの姿がなかった。海底に住むカレイのように体の色を変え、そのためにスポンジの黄色と区別がつかないのかと少しでも楽観的に考えようとしたが、どう目を凝らしても、ドーム型容器の中は無人島状態であり、スポンジには一切の異物が付着もトッピングもされていなかった。

 私が嫌いな臭いはコバエも嫌い。
 そんな気がした。

 呆然とUFO型容器を見つめながら体育座りをしている私をあざ笑うかのように、コバエが現われUFOの周りをUFOのように不規則な動きで飛んだ。

 その、世を謳歌するように飛んでいる羽根つきミジンコみたいなやつのところに、自然発生あるいは分身の術を使ったかのように、別なもう1匹も現われ最初の1匹の舞いに見るからに大いに喜んで参加した。

 2匹いるということは、通販ならもう1匹プレゼントというパターンだ。
 案の定、土の上にも1匹いた。


 あまりに腹立たしかったので、私は飛んでいるコバエを柏手サンドし(珍しく見事にヒットした)、土の上で散歩している方は、指で押しつぶした。この際、土とオルトランの白黒粒子で指先が汚れようが何しようが構ったもんじゃなかった。

 柏手から逃れたもう1匹の蠅野郎は、私が陸上攻撃をしている最中にいつの間にか近くの床に舞い降り、生意気にもチョロチョロしていたので、こいつはティッシュをギュッと押し付けてギュッとつまみ、ギュッと丸めて燃えるごみの袋に力をこめて投げ入れた(が、それが飛んでいたあの1匹と同一個体かというと、その確証はない。第4の敵かもしれないのだ)。

 やれやれ……


 こいつらはどうやったら根絶できるのだろう?
 アリストテレスの生物自然発生説を支持したくなるくらいだ。
 パスツール先生、なんとかしてくれ!

 それとも、網戸の目や換気口から新参者が来襲しているのだろうか?
 

 もう原始的な殺戮はしたくない。だいいち私の手が、指がかわいそうだ。

 科学的アプローチでなんとかしたい。
 私の苦労と努力は続く……


気になる道南 in 名古屋♪廣瀬/Shakuhachi concerto

  氷山係長の新発見
 1週間前、つまり先週の木曜日、アサイチで氷山係長からメールが来た。

 その内容は、不思議かつ異彩なオーラを放っている店がオープンしたのを発見してしまった、というものだった。

IMG01935

                       ▲ Photo by Kooriyama

 このように貴重な情報を与えてもらえることはありがたい。今後とも私の第一秘書ならぬ第一間諜(かんちょう)としての活躍が期待できる。

 実は私もその店に気づいていた。その前日のことだ。


  難民回避のため高かったがやむを得なく……
 というのも、池中さんと疎茄課長と昼食を食べに行った際、最初の目的地である店は長蛇の列で、そこをあきらめて第2の候補の店に向かったものの、そこもそれなりに人が待っていて、「まずい。これじゃタイムアップだ。餓死してしまう」と途方に暮れかけたとき、その隣にもランチ営業をやっていて、おまけに席が空いてそうな店があって、そこにこんな店があったということに今まで気づかなかった命の恩人的存在に対する非礼を反省しつつ、中に入り、小上がりに通され、私は鶏の竜田揚げ定食を頼んだ。

 ちなみに池中さんも私と同じものを頼んだが、疎茄さんは魚好きにはたまらないだろうが、私は飲み込むのも困難と予想され、仮に飲み込んでも数分後には全身にじんましんが出てきそうな、サバの刺身の醤油漬けという、私にとって初めて知る料理の定食を頼んだ。

 店のなかはこぎれいでテーブル席がいくつかあり、その奥には私たちも通された半個室の小上りがたくさんある。
 落ち着いて食事を待ち、そしてゆったりとした雰囲気のなか食事を食べ、食べたあとも追い立てられるような思いもせず、いつもの殺伐としたランチタイムとは趣の違う時を過ごせた。

 私たちが入店したときはあまり客がいなかったものの、そのあとは私の匂いに引き寄せられるようにそれなりに客が入ってきた。

 が、その吸引力がいまひとつなのは、私のフレグランスが加齢とともに弱まってきているせいではなく、価格設定に問題があるためだろう。
 何種類かある日替わり定食メニューが示し合わせたようにすべて1000円なのである。


 このなかに1つくらい、本日のスペシャル日替わりとして800円ぐらいのものがあってもいいと思うのだが、よりどりみどりオール1000円。


 この日の私は財布を持たずに1000円札を1枚、無造作にポケットに入れて外に出たので、もしこれが税別価格なら80円足りないところだった。税込1000円だったおかげで、疎茄課長に「一生のお願いだから無利子で80円貸してくれ」と懇願せずに済んだ。
 済んだが、元はといえば、1000円という価格設定に問題がある。もしそうでなければ、飢えに我慢できずにそこに入ってしまった私に問題がある。


 竜田揚げは美味しかった。が、ちょっとしょっぱかった。


  豚のように豚を食べて苦しんだ思い出
 竜田揚げといえば、大学生のとき学食のAランチにしばしば登場した豚の竜田揚げは美味しかった。

 いま思えば妙に黒っぽく、油もベタベタしていたがとにかく美味しく感じた。

 私なんぞ、いちど弁当を持って行ってそれを食べたのに、竜田揚げの日だと知ってAランチも食べてしまい、帰りの地下鉄の中で、倒れるのではないかと思うほど吐き気を我慢したことがある。


 ところでこの店は夜はやや高級な和食の店になると想定された。
 店の名は、Aランチ時代の大学で農場の管理をしていた主任のおじさんの名前-たとえば源次郎みたいな-と同じだった(私は農学部出身なのだ)。


  ネオ炉端って?
 源次郎(仮称)で食事を終えた帰り道の途中にあったのである。氷山係長が教えてくれた店が。


 食事のあと私たちはその前まで行ってみた。昼は営業していないが、いくらや室蘭やきとりの写真が載った看板が外に立っていた。
 室蘭やきとりというのは、鶏ではなく、そして長ネギではなく、豚肉とタマネギの串焼きである。

 他にどんなメニューがあるのかわからないし、室蘭が道南地域に該当するのかどうか極めて微妙なところだが(私の感覚だと道南は渡島・檜山地方だ。でも道南バスの本社は室蘭にある)、北海道人としてはひじょうに気になるところ。
 私は心を込めて、「今度、お手手つないで一緒に行きましょうね」と、氷山係長に返信した次第である。


 道南といえば、何年か前に東京の日本橋の“北海道八雲町”という居酒屋に飛び込みで入ったことがある。
 なかなかにぎわっていたが、果たしてあのとき何を食べたのか、2軒目に立ち寄った店ゆえに全然覚えていない。


 このたび名古屋にオープンしたこの店、活イカの透き通ったコリコリした刺身なんかがあるといいなぁ………って思いながら、昨日の夜、行ってみた。

 その報告は後日。

  初めての生尺はこの日でした   
 北海道は道南の函館出身の作曲家、廣瀬量平(Hirose,Ryohei 1930-2008)の曲を。

 尺八と管弦楽のための協奏曲(1976)。


Sakkyo170th 1976年の尾高賞受賞作品で、私は1977年4月の札響定期でこの曲を聴いている。
 作曲の翌年に早くも岩城宏之が取り上げたのだが、もちろん私はこのとき初めて聴いた。

 いや、生の尺八自体、初めての経験だった。←なにか表現方法に問題でも?
 独奏は山本邦山。

この日のプログラムに、廣瀬は作品について次のようにとても詳しく書いてくれている。

 私がはじめて尺八という楽器のために作曲したのは15年前の1962年芸術大学卒業直後のことであった。この楽器に対する私の最初の関心は、それが人間の声に似ていることであった。特に日本人の声の出し方に近いと私は思った。我々が微分音程と呼ぶ半音よりももっと細かい音程。グリッサンドと呼ぶにはあまりに繊細な音高の変化とその独特な陰影。深く幽玄な弱音と、貫くように鋭い強音、そして時には楽音という範囲をはるかに越えた烈しい息の音など、それはまさに日本人の発声法の集大成であると思った。声明(しょうみょう)や謡曲、平曲から浄瑠璃、義太夫などの語り物はいうに及ばず、我々の日常的な話し言葉、泣き声、忍ぶ声、呟き、叫び声、そして当然のことながら朗々と歌う声もこの楽器の中に集約されている。
 それどころか、尺八は千鳥の啼き声や松籟にいたるまで自然の音をも連想させたりする。もともと大ていの楽器は人間の声や鳥の声などを模するものであるけれど、この楽器は特にそうである。
 それ故に私はこの曲をまるで声楽曲のように発想した、と言ったら言い過ぎだろうか。
 現代音楽は歌わない、などとよくいわれるが、私はこの曲の中で、様々な歌を歌うことが出来たと思う。
 もっともこのことは作曲中考えていたことではなく、今度の受賞後気づいたのであるが。
 私は作曲中、そういう尺八と、西洋音楽たるオーケストラを如何に交感させようかと努めていたように思う。異質なものたちを対置させるだけではなく、両者が矛盾や対立を越えて交感し、音の綾となり、無数の歌や、呟きや嘆きや、叫びや祈りを包みながら、より広い色彩的世界へと昇華してゆく過程を描きたかった。
 全曲一つの楽章から成り、切れ目なく演奏される。最初は打楽器の弱音からはじまり、楽音といえないような音たちが、少しずつ色彩を加えて拡がり尺八のソロを導く。様々な音の虹がソロを彩る。弦の群が中空に浮かぶ雲のようにそれを包む。やがて金管楽器群が厳粛に現れ、金属打楽器たちが煌めく……という風に曲は進行する。
 様々な自然の物音、そして数々の対話、葛藤……。やがて幾多の紆余曲折を経て、頂点の修羅に至る。それが静まって尺八の独奏。これは従来の協奏曲のカデンツァにあたるが、その後に、独奏とオーケストラは唱和しながら、次第に遠ざかる。打楽器群がそれを彩り、弦は高音へ静かに消えゆく。この終結の部分で私は荘重できらびやかな、一種の宗教的な静けさのようなものを考えていた。
 西洋音楽の協奏曲のように、一つの主題を独奏とオーケストラが交互に奏するなどということは一切ない。


MonoPrism 私が持っているCDは、山本邦山の尺八、外山雄三指揮NHK交響楽団による1984年ライヴ録音(キング)。
 
  つまり私は魚不足ってことだ
 今さらながらさして重要でない“私の昼食”レポートだが、先週の月曜は、すでに報告したように錦城に行き担担麺を食べ、火曜日はFANNYに行ってヘルシー弁当を食べた。

 水曜日は源次郎でちょいと奮発し、木曜日は過去に一度だけ夜に行ったことのある居酒屋に行って“おろしロースカツ定食”を食べた。ここの定食は手作り感がしっかりと伝わってきて、しかも800円。源次郎と比べると、行司が差し違えるわけがないくらい、こちらに軍配が上がる。

 金曜日は、これまた夜になると地酒と焼酎を売りにしている(らしい)店に行った。
 池中さんが「ラーメンといなり寿司というちょっと変わった組み合わせを出す店があるので行ってみましょう」というので、「喜んで!」とそこに行こうとしたが、途中にこの“老松”(仮称)という店があった。
 店の前の黒板には焼魚定食の存在が書かれていて、たしか池中さんはこのところ焼魚を欲していたことを思い出し、目的地を変更し、この初めての店に入った。

 日替わり(この日は豚の生姜焼き)が700円、他の定食(焼魚定食とハンバーグ定食とから揚げ定食)は800円。
 ここもコストパフォーマンスは高い。

 池中さんは焼魚定食を頼み、私と疎茄課長が日替わりを頼んだが、店のお姉さんが困った顔をして「日替わり、残り1つになっちゃったんです」というので、疎茄課長の人間性を見極めようと私は黙っていたところ、彼はハンバーグにした。彼が譲り合い精神の持ち主であることがわかった。


 私が食べた生姜焼き定食はボリュームもあっていいのだが、かなりしょっぱかったのと、生姜焼きというよりは焼き煮みたいな感じだった。

 

この日は朝立ちのポジションが悪く……♪ブラームス/Op.96-2

20150510Viola  立つべきところではない

 私の一日の始まりは道新スポーツではなく、通勤電車の中にいかに体を入れるかから事実上スタートする。


 このあいだの朝のことである。


 この日もぎゅうぎゅうに込んだ地下鉄に乗り込んだ。
 どうせぎゅうぎゅうなら牛々と牛がたくさん乗ってりゃ面白いのにとも思ったが、そんななかに1人乗り込むのはやっぱりいやだ。

 とにかく、このときはいつも以上に込んでいた。なぜかダイヤが乱れていたせいである。


 いつもなら列の自分の後ろにいる、私に続いて乗り込んでくる人たちからの押しくらまんじゅうの影響をわずかでも軽減回避するためにできるだけ左右のどちらかに身をずらすようにしているのだが、この日は私のあとに続く者どもがストレートの直球攻めように私にその余裕を与えず、バトルすることも泣きわめくこともできないまま身をまかすしかなかった。

 つまり左右どちらかの通路側へ逃げ込むことができず、張り手攻撃を受ける力士のようにそのまま直線的に押し込まれた。そして蝋人形のようにどうにも身動きができないまま、車体の両側にあるドアの中間地点に立つことになった。車内も暑く、私が蝋人形だったら、人相が変わってしまうところだった。

 もはや立っていても自分を制御することが不可能だったが、あまりにも込んでいたので、電車の減速や加速、停止や発進のときもよろけて見ず知らずのおじさんに寄りかかってしまい、こいつ男狙いの痴漢かと思われるようなことはなかったが、貧乏くじを引いたようなこの最悪な位置には手すりもつり革もないわけで、そしてまた停車するたびに、たとえ進行方向に対して左側のドアが開こうが右側のドアが開こうが、つまりどっちのドアが開こうが、とにかく駅に着くたびに降りる人には邪魔者扱いされ、乗る人には暴力的に押されるわけで、場所としては洗濯槽に匹敵するものがある。

 自分が下りる2つ前の駅は進行方向に向かって左側のドアが開く。つまり対面式(相対式)ホームという駅の構造だ。

 そこでも、私が駅員に代わって「無理なご乗車はおやめください。次の電車、すぐにまいります」と言いたいくらい無理に乗り込んでくる人がいてそれはしょうがないのだが、相手も必死だから私の抵抗むなしく、進行方向に向かって右側のドアの方にさらに押し込まれた。

 その次の駅の自分が下りる駅の1つ前の駅は島式ホーム、つまり進行方向に向かって右側のドアが開く。

 で、前の駅で望んでもいないのにそちら寄りに体をずらされた私は、降りたくもないのに降りる人の流れによってホームに押し出された。急流に放り込まれた木の葉の気持ちがよくわかった。

 降りる人が済んだらまた乗り込むのが世の常ではあるが、このときの私はもうすっかり疲れ果て、乗り込むのがめんどうになった。
 なので、そのまま降りてしまう決意をした。

 疲弊していたがさまようようなことなく、力を振り絞って1駅分をひたすら会社をめざし歩みを進めたのだった。

 

BrahmsPcon1Ax  説明がくどすぎたので ↑、後半はあっさりと ↓
 ブラームス(Johaness Brahms 1833-97 ドイツ)の歌曲「われらはさまよい歩いた(Wir wandelten, wir zwei zusammen)」。

 「4つのリート(4 Lieder)」Op.96(1884)の第2曲で、詞はG.F.ダウマー。

 表記が不親切な、バトルのソプラノ、レヴァインのピアノによる演奏を。

 1983年録音。ソニークラシカル。


  写真はゴールデンウィーク中に買って庭に植えたビオラ。
 この記事の内容とは全く関係ない。
 が、最初に目に飛び込んでくる写真がレヴァインじゃなくてこっちの方がいいに違いないと思って載せてみた。

「ふふっ」じゃなく、とにかく忘れすぎです!♪エロルド/「ザンパ」序曲

GrovesPO  良い買い物だったと独り悦に入る 
 先々週の金曜日、つまり13日の金曜日の前の週の金曜日であり、端的にいうなら5月6日のことなのだが、その日はご存じのように札幌で打合せがあった。

 まずは病院に行き、打合せをし、夜までの空き時間にビックカメラとヨドバシカメラに行った。

 なぜなら、私がK'sデンキで買った“スーパーセキュリティ ZEROが、果たしてお得な買い物だったかどうか、いまさらジタバタしてもしょうがないんだけど、気になったからだ。


 ビックもヨドバシもケーズより高かった。

 私はとても満足した。もっともネットで買えばさらに安く変えたんだけど……


 そしてビックの店内のエスカレーターの近くで会った。
 帯広に勤務していたときの取引先の担当者に、である。


 私はすぐに「あっ、彼だ」と気づき、つまらなさそうなのか眠たいのか知らないが、いずれにしてもつまらなさそうにしている彼に「どうもしばらくです」と声をかけた。


 彼は「はぁ」と答えた。


 そのリアクションは、明らかに私が誰かを認識できていなかった。
 語尾のイントネーションからもそう推察された。
 彼の瞳は「こいつ何星人だったっけ?」という疑念と不安が入り混じった動きをし、いきなり喧嘩を売られた復讐怪人・ザンパ星人のように緊張もしていた。


 が、その数秒後「あっ、元気でしたか?」と無感動に言ってきた。


 「あっ」というのが、彼の脳内でニューロンがつながったことを示している。
 ほんの2.6秒ぐらいの間に、私がペガッサ星人じゃないことをわかってもらえらのだ。

 さらに「出張ですか?」と聞いてきたところをみると、私が誰であるか、帯広で何度か、いや何度も顔を合わせたことがある人物であり、何か月も前に帯広から転勤したという認識ができたようだ。


 「ええ。〇〇さんも出張ですか?」と私が尋ねる。
 「今日、札幌で会議がありまして」
 「休みのはざまに大変ですね」
 「ふふっ」


 このように、謎の「ふふっ」を残し、そして私もその「ふふっ」の意味がなんなのか追及することなく、「それじゃあ、また」と、ほとんど「また」の機会なんてZEROだろうなとお互い思いつつ別れた。


  良い曲だがオムニバス盤でしか聴けない
 エロルド(Ferdinand Herold 1791-1833 フランス)の歌劇「ザンパ(Zampa)」序曲


 エロルド(エロール)にとってもっとも有名で、たぶん現在ほぼ唯一生き残っているのがこの序曲。

 9年前の記事に、かなりぞんざいに取り上げているが、それはちょっと申し訳ないが、いずれにしろこの曲の置かれた状況に変化はない。


 このオペラは1831年に作曲、初演された3幕物で、台本はメルスヴィル。


 9年前のときから、この曲の別なCDを買うこともなかったので、同じグローヴス指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏を。


 ただしCDの方は廃盤→再発ということで、デザインが一新されている。


 1988年録音。DENON。


時計も環境に慣れたようで……♪クープラン/目覚まし時計、を含む第4組曲

IMGP0690  天気予想はけっこう大雑把
 昨日は壁掛け時計と腕時計のことを書いたが、今日は目覚まし時計の話である。
 だからといって明日は鳩時計のことは書かない。


 現在私が住んでいるマンションには4つの目覚まし時計がある。


 1つは帯広にいたときに、帯広ではなく札幌のLOFTで買った100V電源のものだ。

 この時計を買ったときは、なぜかうれしくてブログでも紹介したが、現在は壁にビスも鋲もつけられないのでステレオ装置のラックの上に置かれている。

 電光式なので数字が見やすく、目覚まし時計ではなくリビングのメイン・クロックとして使っている。

 またこの時計は今後の天気の動向も予測して表示してくれるが、かなり当たらない。というか、たいていはくもりのマークが出ていて、晴れようが雨が降ろうが責められないよう無難な答えしか出さないのだ。


  いただきものが背中合わせ
 キッチンとダイニング(というとオサレだが、実質はダイニングとリビングが一体化している)の間にあるカウンターには2台の目覚まし時計が置いてある。


 1つはキッチンに向けて置いてあり、背中合わせに置いたもう1台はダイニングに向けて置いてある。

 どちらも何かの記念品としてもらったもので、1つはアルフレッド氏の会社名が印刷されており、もう1つはなぜか十勝の某取引先の名前が書かれている。

 ダイニングに向けて置いてある時計は、電光式デジタル時計の方に首を曲げるのが億劫なときのために置かれているのであり、キッチンに向けて時を表示しているのは皿洗いをしているときに無性にいま何時か知りたくなったときのために置いてある。

 この2台も電波時計である。


  いまどき正価で売る方も売る方だが、買う私も私だった
 最後の1台は帯広の某百貨店で買ったもので由緒正しきシチズン製であるが、1円足りとも値引きしていなかった。正価のままである。
 なんか腹立たしかったが、買った。

 これも電波時計で、まさしく目覚まし用に使っているが、1週間のうち6回はセットされた時刻の前に私が目覚めてしまうので、ほとんどいつも黙りこくるしかないというストレスをためこんでいる。


 このシチズン君は、置いてある場所が窓からストレートな位置にあるので、ほぼ毎日電波を受信できており、正確な時を表示している。

 しかし他の3台は窓から離れたり、窓から死角となる場所に置かれている。そのためマンションのコンクリート壁が障害となり電波を受信できない。


 そこで休みの日の前になると、私は寝る前にその3台を東向きの窓際まで持っていき、夜の間に電波を受けるように仕向ける。週に1度、娑婆の様子を見下ろすことができるわけだ。
 こうして、たまには失敗するが、朝には受信したことを示すマークが表示されることになる。


  成長したのか?
 ところが、である。

 私がゴールデンウィークの最終日にマンションに戻ると、どいつもこいつも電波受信マークを誇示するように表示している。それぞれ持ち場に置いてあったにもかかわらずである。


 さらにその後もほぼ毎朝、夜中のうちに電波を受信している。


 これは私にとってはありがたいことだ。

 が、なぜ数か月間受信拒否していたのに、ここにきて素直に受信するようになったのだろう。

 これがメールならフィルターを解除したってことになるのだが、こいつらは目覚まし時計である。
 目覚まし時計にも自助努力、学習機能ってものがあるのだろうか?


 それとも私がいない間に何者かが侵入し、盗聴器とか盗撮カメラをどこかに仕込み、それが中継アンテナのような役割を果たして時計たちも受信できるようになったのか?

 もしそうだと、すべてをモロにさらけ出してしまうことになる。恐ろしい。
 もぅ、着替えもできなし、シャワーを浴びることもできないわ……


CouperinOrdreMoroney  へぇ、このころすでに目覚まし時計ってあったんだ
 クープラン(Francois Couperin 1668-1733 フランス)の「第4組曲(Ordre No.4)」。

 1713年出版の「クラヴサン曲集第1巻(Pieces de clavecin premier livre)」に含まれる。


 この組曲は以下の4曲からなる(第2曲はさらに3曲からなる)。


 1. 灰色の着物を着た人々の行進(La marche des gris-vetus)
 2. バッカナール(Les Baccanales)
  1) バッコスの陽気(Enjouemens bachiques)
  2) バッコスの愛撫(Tendresses bachiques)
  3) バッコスの怒り(Fureurs bachiques)
 3. ねこなで声(La pateline)
 4. 目ざまし時計(Le reveil-matin)


 この曲では前にボーモンの演奏を紹介したので、今日はモロニーによる演奏を。


 録音年は不明(2012年ころか?)。Plectra Music。


男ものは倍の重さってことか?♪ハイドン/Sym101

  揃いもそろって……
 ゴールデンウィーク中、いくつかのトラブルが自宅で発生した。


 まず1つはリビングとキッチンと次男の部屋(ここはいまは通常空き部屋になっている。わが家で唯一エアコンがついている部屋なので、夏は憩い部屋にしようと企んでいる)の壁時計が、示し合わせたように3つとも針を止めってしまった。

 なぜか?

 電池が切れたからである。

 だからこの現象に恐れおののくこともないし、トラブルというほどのものでもないが、珍事だわいとイカの珍味をほおばりながら思ったものだ。


HaydnSymsDorati そんなわけで、今日のところはてっとり早くハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)の交響曲第101番ニ長調Hob.Ⅰ-101時計(The clock)」(1793-94)。


 ハイドンの数ある交響曲の中でも第94番「驚愕」とならびメロディーが良く知られているが、94番も101番も、ともに有名なのは第2楽章である。


 101番の「時計」というニックネームは19世紀になってどこかの誰かがつけたそうだが、それは第2楽章のリズムが時計の振子のリズムを思わせるからである。

 この楽章は変奏曲となっているが、最初にメロディーが現れる前にリズムだけが現われて目立つように工夫されている。


 ドラティ指揮フィルハーモニア・フンガリカによる偉業、ハイドン交響曲全集をご紹介しておく。

 全集っていうくらいだからハイドンの交響曲のすべてが収められているわけで、「驚愕」だって聴けるし、昨日取り上げたすっごくマイナーな第2番も聴ける。
 あまり聴くことのできないこの曲、せっかくの機会だから朝比奈/札響の演奏と聴き比べたりして楽しんでみるのもいいかも!(って、食べ歩きガイドブックかっっっ!)

 第101番の録音は1971-72年。ロンドン(デッカ)


 時計の話をもう1つ。

 これまたトラブルでもクレームでもない。


 5年ほど前に妻と買った腕時計(ペア)をHARD OFFに売りに行った。


 この時計、千歳に出かけた帰りに恵庭のイトーヨーカドーにおしっこをするために寄り、テナントで入っているザ・クロックハウスの前を通りかかったとき「今日、お安くなってますよ」と言われ、定価は忘れたが1本5000円は確かに相当お安くなっていると買ったものだ。


 そのときは全然知らなかったが、ザ・クロックハウスというのはあちこちにあるチェーン店で、同じ時計がどこででも売られていて、しかも「今日、お安いですよ」は「今日だけお安いですよ」ではなく「今日もいつもどおりお安いですよ」という意味だったわけで、時計としてはなかなか正確に時を刻んではくれたものの、何度か腕に付けただけで新品同様のまましまったままにしておいた。あの定価はなんだったんだ?


 それをHARD OFFに持ち込んで、もしかすると買い取ってくれないかともと思ったが(電池も切れてるし)、ペアで300円で買い取ってくれた。

 まあ、こんなもんだろう。

 買い取り価格の内訳はメンズが200円で、レディースが100円。
 どうしてこういう差があるのかわからない。重量で決めているのだろうか?


  知らないうちに穴がつまってたんです
 で、今度は本当にトラブルである。

 玄関屋根から地中の排水管に繋がっている雨どい。
 そのパイプが地際で外れているのがわかった。

 これまで周囲をレンガで囲っていたので気がつかなかったが、見事に外れていた。

 それも昨日今日外れたものではない。というのも地中に垂直に入っているパイプにはぎっしりと土や細かい石が詰まっていたからだ。


 ただ外れたのではない。

 その地中のパイプは5cmほど地中に埋まりこんでいた。

20160510Pipe


 つまり雪の重さか何かで本来の高さから下に沈み込んだのである。そのように低くなったからこそ尿管結石のように石が詰まったのであり、屋根からの雨どいから引き裂かれるように外れたのである。

 だからただまた元のようにつなげばいいという話ではない。その沈み込んだ分を引き上げなきゃならない。

 現在見積もり依頼中である。

 が、もう一度掘り返してなんていう大ごとになると、金額も大ごとになるだろうから、その場合は地道に詰まった石や土をほじくりだし、ジョイントになるようなパイプかホースを買ってきて自分で修理しようかと考えている(が、自信はまったくない)。

  ヌルへの補足
 昨日の記事に関して、ブルックナーの交響曲第0番は第1番よりも前に書かれたのでしょうかという質問メッセージがあった。

 そのあたりのことは記事で触れなかったが、2つの説がある。

 ノヴァークは第0番の作曲年を1863-64頃(もしくは65年)とし、1869年に改訂稿が作られたとしている。
 昨日の記事で私が記した作曲年もこれにならっており、三省堂の「クラシック音楽作品名辞典」もそうなっている。
 第1番の初稿が完成したのは1866年なので、この説に基づくなら第0番は第1番より先に書かれたことになる。

 もう1つの説は第0番は1869年に着手、完成したとする説で、もともとは交響曲第2番とするつもりだったというもの。自筆譜に“第2番”と書かれたものを消した形跡があるというのが根拠となっており、現在はこちらの第1番と現在の第2番の間に書かれたという説が優勢なようだ。

生ヌルはあのときだけ……♪ブルックナー/Sym0(by 朝比奈/札響)

  貴重な体験
 昨日紹介したエリシュカ指揮によるドヴォルザークの7番。あえて言うことでもないが、この札響定期演奏会に私は行っていない。

 が、ここはあえて言いたいところだが、今日は私が実際に生でも聴いた演奏をご紹介。


 1982年5月21日に行なわれた、第226回札響定期演奏会のライヴ録音である。

 指揮は朝比奈隆。
 曲はブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第0番二短調WAB.100(1863頃-64/改訂1869)。


Sakkyo226th


 当時はブルックナーの第0番の録音なんてほとんどなく、私もFMをエアチェックしたものを聴いていたのだが、そんな幻ともいえる曲を生で聴けるチャンスなんてもうこの先ないかもしれないと、よろこび勇んで(って、あくまで気持ちの話で、そういうアクションを実行したわけではない)会場に足を運んだような気が、今になって思えば、してならない。

 そして実際、この日の夜から現在に至るまでブルヌルを再び生で聴くという機会はないままである。


 第0番という異例の番号がついているが、この交響曲がブルックナーにとって最初に書いた交響曲かというと、そうではない。


 第0番のほんの少し前、1863年に交響曲ヘ短調WAB.99を書いている。
 ただし習作的作品であり、ブルックナーの生前は演奏されることがなかった。
 番号はついていないものの、第0番より前に書かれているので、そう呼ぶのが良いのか悪いのか、上品なのか下品なのかわからないが、ヘ短調の交響曲は現在、第00番(ヌルヌル)の番号で呼ばれることもある。


 番号を与えられなかったヌルヌルのあと書かれたのが第0番だが、ブルックナーはこの曲の草稿に“交響曲第0番。価値のない試作”と書き記している。


Bruckner0Sapporo  最新技術を駆使し匠の技によって蘇る響き
 さて、このCDで気になるのは“音”である。音質、音場、分離……


 このように、最新技術を駆使したそうだ。


 ※ 初発売。ステレオ録音
 ※ 2015年新マスタリング音源使用(SACD層、CD層を別個にマスタリング→SACD層:DSD5.6MHz、CD層:DXD352.8kHz/32bit)
 ※ オリジナル・アナログマスターからの高品位(DSD5.6MHz、DXD352.8kHz/32bit)音源よりデジタル化


 5.6MHzだの352.8kHzだのといった数字がどのような意味を持ち、それがいかにすごいのかはちっともわからないが、名古屋の電流が60Hzであることを考えると、なんだか桁違いに革新的なような気がするのは間違いない。


 日本初演者である朝比奈による、ブルックナー0番の珍しい記録。4度演奏した最後の演奏がこの音源です。
 前年に創立20年を迎えた札響は、より飛躍すべくハイドンのシリーズもこの時開始。前座であるハイドンの交響曲第2番は朝比奈にとっても初出音源です。オリジナルのアナログマスターを活かした高品位のリマスターが、名演を細部まで再現します。……
 収録会場は余韻が少ないと言われていますが、この録音ではそれほどデッドすぎず、各楽器のハーモニー、響きの集積や余韻を感じることができます。録音年代も徐々に新しくなり、音質的なクオリティも上がっていることを実感できる出来です。ハイドンの交響曲第2番は、朝比奈にとって初めて発売される曲。1981年に札響は創立20年を迎え、全定期演奏会でハイドンの曲を入れることになりました。……
 今回の復刻では、札幌交響楽団が保有していたオリジナルのアナログマスターテープより、高品位で2種のデジタル化を行い(DSD5.6MHzとDXD(352.8kHz/32bit))、そのままのスペックでSACD層、CD層用として別々にマスタリングし、製品化を行いました。楽器の個々の音色や当時の会場の空気感までも伝える音質で、ここまで素晴らしい音が残っていたことは驚くべきことです。演奏会場は、これまでの札幌市民会館から、よりキャパの大きい北海道厚生年金会館に変わりました。響きのニュアンスがこれまでと多少異なりますが、楽器の定位や密度感、リアリティはより高まり、スケール感の大きな素晴らしい響きを堪能できます。SACD化でより拡がりを感じることができるでしょう。今回のステレオ音源でも、時代を超えた生々しい響きに驚くことと思います。尚、経年変化や当時の収録方法により、一部にノイズ等の聴き苦しい点がございますことをご承知ください。


 もともとCD化するためにマイクを立てて収録したものではないので、かなりのハンディを背負っているわけだが、「よくぞここまでちゃんとした音に!」というほどの仕上がりになっている。

 もちろん苦しいところはあるのだが、ここまで甦らせるとは「立派!」の一言である。


 また、音が冷たくドライでいくぶん無愛想なのは、上の説明に書かれているようにこのころの札響のホームだった北海道厚生年金会館(現・ニトリ文化ホール)の響きにくいホールのオイタな特性のせいだろう。
 
 なおCDには記されていないが、このときのプログラムには、使用譜は1869年稿ノヴァーク版(1869年版)と明記されている。


 レーベルはフォンテック(タワレコとのコラボ企画)。


  まだはたちそこそこだった札響
 このころの札響は、岩城体制になって8年目。
 岩城によってすでに全国的にもレベルの高いオーケストラとして知られていたが、まだ演奏に硬さというか、全体的にあまり余裕がない感じがする。その一方で、真逆なことだが、ときどきポッと隙ができてしまうようなところもある。


 このときの札響は21歳。
 そしていまの札響の年齢は55歳である。
 あのときはまだ若かった。そして、いまや堂々たる名オーケストラになった。

 そしてまた、技術的には岩城によって鍛えられたのだろうが、最近立て続けに放っているエリシュカとの名演とはまったくタイプの違う演奏をあのころの札響はしていたのだと思う。


 このCDにはプログラムの1曲目に演奏されたハイドンの交響曲第2番も収められている。

 あらためて聴くとなかなかはつらつとした演奏なのだが、当時の私にはこの“ハイドン・シリーズ”が退屈で苦痛だった。ハイドンのどこがいいの?……でも、いま私はハイドンがけっこう好きになった。あのころは私も若かったのだ。


 ついでにいうと、2曲目でモーツァルトのコンチェルトを弾いた野島稔。
 私はこのピアニストの容姿と雰囲気が好きだった。いかにも誠実で優しそうな感じがして。
 でも、演奏はまったく覚えていない。

 若きMUUSANはモーツァルトもまだ苦手だったのだ。

あたしゃみなおしたね、この曲♪ドヴォルザーク/Sym7(by エリシュカ)

Dvorak7ekiska  3位だが2強との差はあまりにも大きい
 ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904 ボヘミア)は9つの交響曲を書いた。

 いちばん有名なのは第9番「新世界より」である。


 2番目に人気があるのは第8番である。
 この曲はイギリスで楽譜が出版されたために「イギリス」というニックネームで呼ばれることもあったが、それは“欽ドン”に出ていた女の子を出身地から気仙沼ちゃんと名づける以上に曲そのものとは全く関係のないもので、さすがに最近はその名を目にすることは少なくなった。


 で、3番目に聴かれる機会が多いのは、多分第7番だろう。
 ドヴォルザークの交響曲は第7番で、作曲者本人曰く「本格的なもの」になり、そのあと第8番と第9番という傑作へと発展していった。

 だが、3番目といってもその人気度は、スーパー業界のイオン、セブン&アイに次ぐユニーのような感じで、上位2つとは大きく差をつけられている。


 第8番や第9番に比べると、一発で心に染み入るようなメロディーが少ないからだろう。


  結果的に、現時点でエリシュカ全ゲット
 で、今日はそのドヴォルザークの交響曲でもたぶん7番目に地味な存在の交響曲第7番ニ短調Op.70,B.141(1884-85)。

 ドヴォルザークは自作の交響曲第6番が演奏されるのを聴きにロンドンを訪れたが、これが大成功。
 そのためロンドンのフィルハーモニー協会の名誉会員に選ばれた。
 そしてまた、新しいシンフォニーの作曲の依頼を受けたのだった。

 こうして生まれたのが交響曲第7番である。
 そしてまたこの曲には、作曲を始める少し前に耳にしたブラームスの交響曲第3番の影響もあると言われる。

 本日紹介する演奏はエリシュカ指揮の札幌交響楽団。


 エリシュカ/札響の演奏に対し、私はことごとく褒め言葉を浴びせまくっているが、これは道産子としての郷土愛によるひいきといった偏った評価ではない。

 ホントにいいんだもん。
 実際、すばらしいんだもん。

 この演奏についても、私がこれまで聴いてきたドヴォ7の録音の中で、全然途中で気持ちが緩むことなく引き込まれた。


 第7番という曲そのものをあらためて評価したくなる、そんな演奏だ。
 特に最後の最後の部分は宗教的な敬虔ささえ感じさせる。


 2009年ライヴ録音。Pastier。


 で、結局はエリシュカ/札響のCDはすべて買い揃えてしまった私。
 まったくもって、遅ればせながら、である。
 感動を先送りしてしまっていたわけだ。


IMGP0689  押しずしなので型崩れしにくいです
 話は変わるが、このあいだの日曜日に名古屋に戻るとき、いつものようにコンビニや近くのスーパーで夕食を買うのも芸がないと思い、飛行機に乗る前に弁当を買うことにた。

 しかし考えてみれば、空弁は高い。
 高いうえに、たとえばイクラが乗った弁当なんて、かばんの中で縦姿勢になると卵の粒の位置がブラウン運動のようにぐちゃぐちゃになる。

 そこで札幌駅で駅弁の“やまべ鮭寿し”を買った。
 好物ってわけじゃないが、価格も600円と手ごろだし、魚を食べたい気にもなっていたのだ。

 ヤマベの皮模様を鮮烈にアピールしているヤマベの押しずしは、ビジュアル的に私の好みではないが、味は良い。良いのだがこの皮の食感は私には喜びをもたらさないものだ。そのことを知っていながら買ったのだから文句は言えない。
 一方鮭の押しずしの方は食感も味も良かった。
 みなさんも札幌に行くことがあれば一度ご賞味あれ。

 それにしても新千歳空港駅で“サーモン寿司”が売られていないのは実に残念なことだ。

 そーいえば、今思い出したけど、むかし狸小路にあった(といってもアーケードのなかではない)“シャンボール”っていう名曲喫茶では、よくドヴォルザークの7番がかかっていたなぁ。
 それも、(LPレコードだったので)ばっちり傷の音が聞こえてた。

 あのとき1人で店を切り盛りしていたお姉さん、もうすっかりおばあさんになったんだろうなぁ。って、すいません余計なお世話でした。

自作品紹介カタログのような交響曲♪コープランド/Sym3

CoplandBox  最後は“市民のため”でとどめ
 コープランド(Aaron Copland 1900-90 アメリカ)の交響曲第3番(1944-46)。

 クーセヴィツキーの奥さんのナターリーの追悼のために書かれた曲だが、この交響曲、コープランドのいろいろな作品を凝縮したようなものになっている。

 コープランドの曲で耳にする機会が多いものとしては、「エル・サロン・メヒコ」(1936)や「アパラチアの春」(1943-44/改訂1945)、「ビリー・ザ・キッド」(1938)や「市民のためのファンファーレ」(1942)などがあるが、交響曲第3番にはこういった曲の雰囲気、そして要素そのものが姿を現すのである。

 4つの楽章からなるが、終楽章では「市民のためのファンファーレ」がモロに現れる。

 全曲中で大きなウェイトを占めるこの第4楽章は、この元となったファンファーレによって市民(国民)を鼓舞するかのよう。
 ここには、戦争で疲れた国民を励まし、アメリカの偉大さを表出したいという作曲者の思いがあったのかもしれない。
 
 コープランド指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏を。

 1976年録音。ソニークラシカル。

  大きくなっちゃったんです、アタイのバナナ……
 で、バナナである。
 愛国心とか市民とかとまったく関係ないが、私のバナナである。

 あっ、違う違う、そういう意味ではない。
 モンキーバナナのことである。

 だから違うって! 
 モンキーバナナのように小さいってことじゃないって。

 私が育てている、生物学上は植物でありバショウ科に属する“ドワーフモンキー バナナ”のことである。
 あれからあとも成長は順調で、連休中に再会したときには写真のように背丈もずいぶん伸びていた。

IMGP0657


IMGP0658


 花をつけ実が成るにはもっともっと大きくなる必要があるが、そこに至るまで元気なまま育ってくれるか、そのことの方が心配である。

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