新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

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2016/05

はい、いまの私は血圧は落ち着いてますが……♪GM6(by バルシャイ)

Mahler06Barshai  塩、仕入れすぎました?
 鳥貴族である。
 ジャニーズのなんとかというグループのなんとか君のお父さんが経営しているという鳥貴族である。

 前に鳥貴族に行ったときのことは、ここに書いてある。

 その鳥貴族に先日行って来た。
 が、前に行った錦三袋町通店ではない。別な店である。

 店によって味が違うのだろうか?
 どれもこれも、恐ろしくしょっぱかったのである。
 錦三袋町通店では、料理がしょっぱいとは感じなかったのに……

 最初に頼んだ“よだれ鶏”。
 よだれがダラダラ出るほどしょっぱかった。

 鶏串や豚串は適度の塩加減。
 むしろ、店に裁量が任せられている(と思われる)串焼きの方が、まだしょっぱくない。
 塩の振り方が常識的である。

 前回けっこう満足した〆向けのラーメン。
 これまたひどくしょっぱい。
 妻が頼んだ梅茶漬けも、血圧急上昇ってほどしょっぱかった。

  猛暑には塩分も必要ではありますが……
 私が思うに、名古屋は概して料理の塩分が高い。
 暑さを乗り越えるためなのかもしれないが、今回の貴族料理をしょっちゅう食べていたら、暑さを耐えた後、寒い季節になったらに血管がプッツンしちゃうんじゃないだろうかと、心配になってしまう。

 そうそう、先週の金曜日に昼を食べに疎茄課長と行った店も、味見してんだろうかというくらいしょっぱかった。

 私は牛すじカレー定食を頼んだが、定食と称しているゆえんは、カレーライスのほかに小鉢2つとサラダと味噌汁がつくからである。と、偉そうに書いているが、私はこのとき初めて注文したのだった。

 小鉢はひじきの和え物とエノキダケの和え物だった。食物繊維が豊富な実にヘルシーな2品だ。
 For beautiful human life!である。

 私は健康のために最近ずっと励行している習慣通り、最初にサラダを食べた。
 
 その次にひじきを食べた。健康に良いはずのこの1鉢は、しかし恐ろしいほどしょっぱかった。
 口の中が死海状態になったが、口直しにあっさりしたエノキダケを食べた。
 あっさりしているのは見た目だけで、舌がバカになったあげく口蓋が塩漬けになるくらいしょっぱかった。

 どうしてこんなに塩分を強くするのだろう。どう考えてもわかんなかった(以上、“ばっかり食い”でごめん。しかしこれも繊維質を先に摂るためなのだ。これがミックスグリル定食のようなものならば、ハンバーグ→ごはん→チキンソテー→ごはん→ウインナー→ごはん→……と、私だってきちんと“三角食い”をするだろう)。

 そのあとにすすった味噌汁が白湯のように感じたほどだ。

 肝心のカレーも味を感じなかった。
 が、舌の麻痺が回復してくると、やや甘めながらなかなか美味しいカレーであることがわかった。

 体に良いと思って食べた、ヒジキやエノキダケは、今回は間違いなく体に悪かった。
 よかれと思ったことが、実は体に良くないなんて-そういうことって、けっこう往々にしてありそうだが-悲劇だ。

 マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第6番イ短調「悲劇的(Tragische)」(1903-05/改訂1906。その後もたびたび管弦楽配置を変更)。

 今日ご紹介するのはバルシャイ/読売日本交響楽団の1989年ライヴ。

 発売元の東武ランドシステム曰く、

 鬼才バルシャイ、ディスク初レパートリーとなる「悲劇的」。これはギーレン盤以上の問題作と申せましょう。極限までシェイプアップされたアスリート的なボディに、感情注入の欠片もないドライでクールな表現。何も考えずに音化してもそれなりの抒情的な演奏に聞こえてしまう傑作交響曲ですが、バルシャイの意図はどの箇所でも常に明確です。特に緩徐楽章(第3楽章)をここまで色気なく(色気を否定して)紡いだ演奏が他にあるでしょうか。非ロマン的解釈と呼ぶには余りにも問題提起の多い演奏。読響が献身的に従う様が恐ろしいほどです。

という演奏。

 確かにネチネチはしていない。
 が、すっごくドライかというと、そこまでそっけなくもない。
 あっさりしているようでいて、実はけっこう塩っからい。

 個人的にはこの演奏、なぜかどこか懐かしさを感じさせる。なんていうか“良き時代の”という形容詞が似合うような……。でも、なんでそう感じるのかよくわからない。

 オーケストラは熱演。
 必死さが伝わってくる。

 「悲劇的」というタイトルは通称だが、この曲の終楽章は、ハンマーによる2度(初稿では3度)の“運命の打撃”によって“主人公”が打ちのめされるが、それに打ちのめされたわけではないものの、読売日響は終楽章の後半ともなると、もう金管がヨロヨロ、瀕死状態。わかります、お疲れなのは。

 趣味の悪い聴き方と言われそうだが、それがまたなんとも言えぬ臨場感がある。
 そりゃヘロヘロにもなりますよね、人間だもの……

 私は金沢のタワレコでセールされていたのを偶然見つけて買った。
 レーベルはWeitblick。

 その点(って、どの点だ?)、FANNYとかやよい軒の味付けはいたってノーマルな塩加減である。

氷山係長、1日にして初体験2連発♪チャイコフスキー/四季

TchaikovskySeasons  はじめての尻はどうだった?
 月曜日である。

 おまけにあさってから6月である。
 6月だというのにいっちょ前の暑さである。


 先週の月曜日の昼はFANNYに行った。
 日替わりランチには目もくれず弁当にした。しかもヘルシー弁当ではなくFANNY弁当である。
 やや食べ過ぎの感はあるが、でも暑さに負けないためにはこのぐらいの努力が必要なのだ。


 そして、この週は異例なことではあるが木曜日もFANNYに行った。

 たまたま昼休みのチャイムが鳴ったとき、珍しく氷山係長と一緒になり、池中・疎茄・氷山そして貴公子という4人でFANNYに向かったのだが、それは氷山係長が、この界隈を知り尽くしているはずのあの氷山係長が、FANNYに行ったことがないのでFANNYに行ってみたいんですけどFANNYはどうでしょうかにぃ?と言ったからであった。


  禁断のnon healthy
 池中さんは日替わりランチのミニを頼んだ。ミニと言っても2歳児なら食べきれないほどの量である。
 疎茄課長はヘルシー弁当を頼んだ。良い心がけである。

 私は氷山課長をそそのかして、共にFANNY弁当を頼んだ。
 店を出るとき、氷山課長は食べ過ぎたぁと言っていたが、これからますます暑くなっていくのだ。それぐらいのことに耐えないことには秋にはビョーキになってしまう恐れがある。


 この日の弁当の仕様は、豚肉の生姜焼き、シューマイ、焼き鮭、玉子焼き、鶏のから揚げ甘酢ソースがけ、ウィンナー、しらすのダイコンおろし和え、漬物、味噌汁であった。

 実に充実している。
 氷山係長の“お尻初体験”が充実したメニュー構成で何よりであった。
 氷山課長はこの豊富なラインナップのなかでも特にしらすのダイコンおろし和えが美味しかったと言っていた。

 私は突っ込みたい。「老人かっ!?」


  夜もまたお初
 その氷山係長だが、昼にお尻初体験を果たしたこの日の夜は、ネオ初体験もしている。
 昼にちょっぴりいやらしっぽくウィンナーをくわえながら、「今日の夜は道南農林水産部で飲み会があるんです」と言っていたのだ。

 チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Thaikovsky 1840-93 ロシア)の「四季 - 12の性格的描写(Les saisons - 12 Morceaux caracteristiques)」Op.37b(1875-76) 。


 このピアノ曲集についてはこちらの記事をごらんいただきたいが、第1曲が「炉端にて」なのである。

 前回と同じプレトニョフの演奏を紹介しておく(それしか持ってないから)。


 1994年録音。エラート。


 私はまだこの“ネオ炉端 道南農林水産部”には一度しか行ったことがないが、あの店に炉端ってあったかなぁ?
 “ネオ”、つまり“新しい”ってことだから、今までのイメージの炉端ってことじゃないのかなぁ。


 道南とはいえ、水槽にはイカの姿がなかったけど、時期になれば入ってくるのかなぁ……

 ところで氷山係長の初ネオの感想は、“まだ何とも言えない”というものだった。

PCとWMの圧縮形式は同じでなくても良いのでした♪ラヴェル/ダフニス(by デュトワ)

RavelDaphnisDutoit  ATRAC形式でのPC保管には抵抗感が……
 さて、CDからの音楽の取り込みの話の続きである。

 ウォークマンのサポートページを読んでいて、この期に及んで気がついてしまったことがある。


 私が持っているウォークマンの型番はNW-A866だが、おとといの記事に書いたように、XアプリでPCに取り込んだCD音源をATRAC形式で転送すると、晴れて“ギャップレス”が実現されると記載されている。


 つまりは、CDからPCに音楽を取り込むときにATRAC形式にしなければならないと思い込んでいたが、実は決してそうとは書いていないのである。

 だいたいにして、ウォークマンの機種によってATRACで転送するだの、AACで送るだの、あるいはFLACの場合もあるでよ、とトラック間で発生するギャップの解決策に違いがあるということは、音楽圧縮形式とウォークマンの機種との問題じゃなかろうか?

 うん、そんな気がしてきた。


 だからCDを取り込むときには、将来的に対応する機器があるかどうか不安なATRAC形式で読み込むシバリがあるわけではなく、AACなどで取り込んでおいて、ウォークマンに転送するときにだけATRAC形式にすれば、あてもないくせいに今後に不安を抱いている私も幸せになれるのではないか。
 それががん保険はAFRACに加入している私の生きる道のように思えてきた。


  AAC形式でも、ハードディスク上はギャップレス
 そこでPCの穴にヘッドホンを先を入れてみた。
 圧縮して書いてしまったが、この場合、穴はヘッドホン端子、先はヘッドホンのプラグと変換して解釈していただくと便利である。


 もともとすでに膨大な量になっているMP3・128kbpsで取り込んだファイルには、気持ちが盛り上がらないので見向きもせず、ギャップ問題を解決すべく取り組み始めたあとに取り込んだ、AAC・256kbpsのファイルを聴いてみた。
 くどく言うが、CDから取り込んでPCに保管されているファイルを、ヘッドホンで聴いてみたのである。


 すると、「春の祭典」も「パガニーニ・ラプソディ」も、ショスタコの交響曲第8番やハイティンク指揮の同じくショスタコの12番など、どれもまったくギャップが生じていない。CDを聴いているときと同じく、オイルを塗りたくられた肌のようにまったく引っ掻かかりなく次のトラックに移行するのである。


 ってことは、話はくどさのスパイラルに陥りつつあるが、取り込んだAAC形式のファイルは“ギャップレス”であり、ウォークマンの中に送り込まれた瞬間に、一瞬黙りこくったり、ヒックとしゃっくりをしてしまうクセを身に着けてしまうのだ。

  ウォークマンに転送するときだけATRACに
 Xアプリの設定画面をあらためて調べてみた。


 「ツール」のなかの「設定」をクリック、さらに「機器転送」をクリックするといくつかの項目が出てくるが、ここで「“ウォークマン”などのATRAC Audio Device」をクリックする。
 ふふっ、ウォークマンはあくまでATRACを基本としている姿勢がさりげなく主張されているわけだ。


a この後に出てくるのは「通常転送」か「指定転送」を選ぶメニュー。
 推奨されているのは「通常転送」であり、これは「元のファイル形式のまま転送します」というものだ。私はこれまでこちらを選んでいた。だって、メーカーが推奨していることに歯向かう度胸はないもの。

 が、SONYとしては元のPCに取り込み済みのファイル形式がATRACであるということを暗に前提としているのかもしれない。そういう前提なら、元のファイル形式(ATRAC)のままでも、ウォークマンにはATRAC形式のファイルが送り込まれるわけで、ギャップなど起こさない優等生たちが集うことになる。

 「指定転送」は「常にATRAC形式に変換して転送されます」というもの。
 (私と同じシリーズの機種で)ギャップに悩む者は、CDから素直にATRAC形式で取り込まなかった困った人々である。ギャップが生じるのはバチが当たったようなものなのだ。
 そういう人たちがギャップのない健全な日々を送りたいのなら、こちらを指定すると解決しますよ、という寛大な配慮である。


 私には、仮にUSB端子にオーディオ機器を接続し再生できるプレイヤーなどを購入した場合、ウォークマンを直接つなぐことしか頭になかった。だから対応機種が少ないATRACではだめだと思っていた。

 しかし、ウォークマンはただ“歩く人モード”のときだけの利用で、他にデータを渡すことのない使い方ならば、中に入っている音楽ファイルがオールATRAC形式でも問題ない。ギャップ問題も生じない。


b いま、私のPCに保管されている音楽はAAC形式のファイルだ。
 もし将来、USB対応プレイヤーでその音源を聴きたければ、上に書いた「“ウォークマン”などのATRAC Audio Device」ではなく「“メモリースティック”」を選び、USBメモリにファイルを「通常転送」すればよいのだ。

 終わってみれば、わかってみれば、なんてことのない話だった。

 やれやれ……

 「指定設定」で、AACで取り込んだいくつかのディスクの音源をウォークマンに転送してみた。
 ほとんど完璧と言っていいくらい、ギャップはなくなった。

 ただし、この「指定設定」をすると、もとのAAC形式のファイルのほかに、新たにATRAC形式のファイルがPCにも保管される(2つのファイルが存在することになり、ディスクの容量を圧迫する。こまめにPC上のATRACファイルを削除するしかない)。

RavelDaf2  ギャップレスを見据えた措置?

 ところで、前回この話を書いたときに、やはりギャップに悩まされているというAtsushiさんからコメントが寄せられた。

 AtsushiさんはFLAC形式で対処しているそうだ。そして、ギャップの有無のモニターにはベートーヴェンの交響曲第5番の第3楽章から第4楽章を使っているという。
 この「運命」の第4楽章は第3楽章から続けて演奏されるのである。

 みなさん(といっても、Atsushiさんのことしか知らないが)、いろいろとチェック用楽曲をもっているようだ。


 ところで、こういうことを書いていてふと思い出したが、デュトワがモントリオール交響楽団を振ったラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937 フランス)の「ダフニスとクロエ(Daphnis et Chloe)」(1909-12)の全曲盤を買ったときのこと。
 思わず「なんじゃこりゃあと」と天井に張り付いている蛍光灯を罵ってしまった。


 というのも、短いバレエ音楽とは決して言えないのに、まったくトラック分けがされていなかったからである。

RavelDaf1 たいていは、というかほとんど例外なく、この曲のディスクはインバル盤の写真のようにトラック分けされているものだ。しかし、この輸入盤のデュトワのは、始まったら最後、55'57"の間、ずっと隙のないまま進んでいく。
 なんとかしたけりゃCDプレイヤーのフォワードボタン(早送り)かリバースボタン(巻き戻し……じゃないな)に神経を集中させながら頼るしかないのである。

 全曲を通して聴く分には問題ないが、聴きどころ、とりわけ第2組曲に選ばれている終盤の3曲をつまみ聴きしようとすると、えっらい不便なのだ(そのせいで、同じメンバーによるこの第2組曲のCDを別途購入してしまった)。


 どうしてこんなことができるのか、私にはちっとも理解できない。
 外国人にありがちな(偏見だけど)手抜きかと思うしかなかった。


 が、これってウォークマンなんかに取り込んだ時のギャップ現象に対抗するための措置だったのか?

 そうだとしたらすごい。

 でも、逆立ちしようと何しようと、不便であるという主張を曲げる気はない。


 このノートラCDはデッカの輸入盤。
 たぶん(確認はしていないが)、この録音の当時の国内盤やいま売られているタワレコ限定の盤は、きちんと場面ごとにトラック分けされていると思う。


 そう考えると、貴重な盤ではある。
 
 1980年録音。デッカ。
 なお合唱はモントリオール交響合唱団。

長らく空き家でしたが入居者が……♪ベルリオーズ/葬送と勝利の……

  太陽の黒点じゃないっす
 あれから1週間経った。


 あれってどれだ?


 コバエがホイホイと誘い込まれる仕様のドーム型トラップ。それを観葉植物の鉢の間、正確に記すとGW中の水不足ですっかり葉を落としてしまい、私の期待に反してその後も新芽が息吹いてこないレモンスーカリと、けっこうな乾燥に耐えて元気を失っていないが、かといって成長著しい兆候も見せないオリーブの間に置いてから1週間が経ったのである。


 遠目からは何の変化もない。
 中の黄色いスポンジが、相変わらず黄色いままだ。

 効果が持続するのは1か月というから、あと3週間で逆にコバエたちの憩いの場になってしまうかもしれない。

 そんなことを思いながら、赤いふたにあるコバエ入場用の穴から中をのぞいてみると、な、な、なんと、コバエが横たわっているではないか!たった、たった、たった1匹であるが、昼寝ではなく、スポンジの上でお亡くなりになっていたのである。


IMGP0704


 1匹でも私はうれしい。
 喜びのあまり不整脈になりそうなくらいだった。


 こいつは目にもまぶしいレモン色の、上質なふとんのように柔らかい、そして夜の蝶が放つような妖艶な香りに引き寄せられ、自主的に喜んで中に入り、しまったと思ったが時すでに遅しで、命を落としたのだ。
 コバホイを設置した本来の目的が達成できたし、効果も確認できたわけだ。


 たくさん入っていたらそりゃうれしいかもしれないが、反面、そんなにたくさんのコバエがあたりにいたとするとそれまたけっこう気持ち悪いものがある。


BerliozOp15 それにコバホイを置いてすぐのときに、そんなの知らんもんねぇ~とばかり飛んだり散歩していた奴らを、空中作戦(スプレー殺虫剤)、地上作戦(オルトラン粒剤)、しらみつぶし作戦(手で叩き潰す)という陸海空ならぬ化学・物理両面の作戦を繰り広げたのだ。

 そうしたなか生き残った最後の1匹がコバホイに入ったと思えば、捕獲数1匹でも納得がゆく。


 私は、うそっぽい悲しみに包まれたあと、喜びを派手過ぎなくらい発散する音楽で、こいつを弔うことにする。


  この曲を2回も録っているドンディーヌに感謝
 ベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-69 フランス)の「葬送と勝利の大交響曲(Grande symphonie funebre et triomphale)」Op.15,H.80(1840)。

 作品についてはこちらの記事をご覧いただきたいが、吹奏楽のための作品で、弦楽と合唱を任意で加えることができるようになっている(合唱の詞はA.ドシャン)。


BerliozLombard ドンディーヌ指揮パリ警視庁音楽隊の演奏を。吹奏楽のみの編成による演奏である。


 1976年録音。カリオペ。ディスクは廃盤。


 ドンディーヌはこの録音の18年前にも同じくパリ警視庁音楽隊とこの曲を録音しているが(apex。原盤:エラート)、そちらの演奏は合唱が加わっている(合唱はコラール・ポピュレール・ド・パリ。


 この曲、大編成吹奏楽曲ということで演奏される機会もないようだし、録音も少なくので聴く機会もあまりないが、日本楽譜出版社からスコアが出ているのは驚きであり、またベルリオーズ・ファンとしてはうれしいことだ。


 

AとCの力!しゃっくりの症状、軽くなる♪DSch/Sym8(by A.ヤンソンス)

Shostakovich08ArvidJansons  切れ目なしで演奏する曲なのに切れ目が……
 CDからウォークマンに音楽を取り込む際、私はSONYのXアプリを使っている。

 Xアプリを使わなくても取り込めるのだが、でも成り行き上、というかウォークマンを手にしてからというもの何にも考えずにこれを使っている。


 音楽圧縮形式はもっとも一般的なMP3に設定、ビットレートはオプションで128kbpsを256kbpsに変更して使っていた。

 専門的なことはちっともわからないが。128より256の方が音質が良くなるだろうと思ったのだ。かといって、それ以上大きく指定するとファイル容量も大きくなるし、大きくなっても構わないものの、果たしてどのくらい違いがあるのかわからないので、中途半端に背伸びして256にしたのであった。


 こうして5年以上にわたってCD音源をパソコンに取り込み、さらにウォークマンに転送して聴いているが、いたしかたないとあきらめているものの、困ったことにCDのトラックが変わるときに一瞬音が途切れるという現象が生じる。すべてのCDにおいて、ということでもないのだが、音が途切れるのである。


 これが美空ひばりや由紀さおり、あるいは三田明のCDなら問題はないのかもしれない。というのは、1曲1曲が独立しているからだ。

 クラシック音楽でも、第1楽章と第2楽章、あるいは第2楽章と第3楽章というようにトラック分けされているものは何ら問題にならない。その合間は無音であるのが本来の形だからだ。


 ところがバレエ音楽なんかでは非常に聴きづらくて困る。あるいは、ラフマニノフの「パガニーニ・ラプソディ」のように短い変奏が続けて演奏されていくものもそうだ。変奏を聴いているうちに変になりそうになる。


 たとえばストラヴィンスキーの「春の祭典」

 LPコードなら第1部と第2部の間にだけ無音の時間帯があったが(あるいはA面B面に分けてプレス)、CDになってからはバレエの場面場面でトラック分けされている。
 これは非常に便利である。が、この曲ではだいたいは3~4分で場面が変わり、トラックも変わる。
 そのたびに音が途切れ、その途切れ方もまるでしゃっくりのようにヒックというように聴こえる。

  とっても多い、“切れ目なく”の演奏指示

 先日たまたま某大型カメラ店のオーディオ・コーナーに行ってみると、いまやUSB機器がつなげられるアンプやプレイヤーが当たり前。

 現在のようにCDを聴いているうちはいいが、CDだっていつ腐ってしまうかわからない。となると、このようにPCに取り込んだ音源をUSB端子につなげて聴くことになるが(つながるからには再生できるということだろう)、それが飲み過ぎたときの私のようにヒックヒックだと、LPの傷音以上にタチが悪い。


 「乙女の神秘的な踊り」、ヒック、「選ばれし生贄への賛美」、ヒック、「祖先の召還」、ヒック、「祖先の儀式」、ヒック、「選ばれし生贄の乙女」だと、「てめえを生贄にしてやる!」と切れた私はUSBデバイスに八つ当たりしてしまうかもしれない。

 クラシックではこのように場面と場面、楽章と楽章が続けて演奏されるものが非常に多いのだ。


  専門用語ではギャップというらしい
 そこで今さらながらウォークマンの説明書を読んでみると、Q&Aのページに曲が途中で切れるケースについての記述があった。

 そこに書かれているのはライヴ録音のCDと場合ということだったが、想像するにライヴを通しで収録しているCDでは曲と曲の間でトラック分けがされているのだろう。

 説明書には解決策として(MP3ではなく)ATRACで取り込んでくださいとある。


 ウォークマンのサポートページにも、このように載っている。


 Q.ウォークマン本体で、曲間を空けずに再生する「ギャップレス再生」ができません。
   (ウォークマンA/E/F/S/X/Z/ZXシリーズ)
 
  •ライブCDなどから取り込んだ、ノンストップの楽曲を再生する際、曲と曲の間が途切れたり、
   ノイズが入ったりします。
  •曲同士の間を空けずにウォークマンで再生したいです。
  •曲間に「プチっ」という雑音が入ってしまいます。


 私の持っているウォークマンの機種に合致する答えが、


 「x-アプリ」をお使いください。ギャップレス再生できるのはATRAC形式の楽曲です。


 なるほど。よしっ!と思いかけたが、ATRACはSONY独自の音楽圧縮形式。MDで使われた形式だ。

  すでに時代はデジタルだから、私もあてのない将来に備えて……
 この先いつか新たに入れ替え導入する可能性のあるアンプやプレイヤーがATRACに対応しているとは限らない。
 実際、そのカメラ店でもらってきたパイオニアのSACDプレイヤーの仕様をみるとATRACには対応していないようだった。


 困った。

 そういう機械を買うあては全然ないが困った。

 そこでXアプリの取り込み設定をMP3の進化形であるAAC、ビットレートは256kbpsとした(一般的に256kbpsだとCDと音の違いが聴き分け音質だという)。

 さて試した結果であるが、カッコよく言えば“ギャップ”なるものは、ゼロにはならなかったがかなり良くなった。
 途切れはほんの一瞬になり、ヒックとかプチッという音も小さくなった。


  Mの父
 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第8番ハ短調Op.65(1943)。

 
 なぜ?
 唐突すぎない?

 そう思ったあなたに、私はお教えしよう。


 今回取り込み直してみた曲の1つがこれ。
 というのも、第3楽章と第4楽章の終わりにはattaccaの指示、つまり休まず続けて演奏するようにとの指示があるのである。
 つまり、第3楽章から第5楽章までは続けて演奏されるものの、各楽章はトラック分けされており、そこがギャップレスになっているかどうかを確認したのだ。


 このときのCDの演奏はアルヴィド・ヤンソンス指揮ベルリン放送交響楽団によるもの。


 アルヴィドは現在活躍しているマリス・ヤンソンスの父親。
 1914年生まれ(おっ、伊福部昭と同じだ)で、1984年に亡くなっている。


 発売・販売元の東武ランドシステムによれば、


 マリスの父という敬称だけではあまりに惜しい名指揮者アルヴィド・ヤンソンス。ムラヴィンスキーの同僚にして盟友。同時代を生きたにもかかわらず録音に恵まれない巨匠。この第8番も初登場レパートリーとなります。お相手は繰返し客演した旧東ベルリン放送響。一聴して極めて重厚なまるでドイツ人が指揮するショスタコーヴィチと言ったら形容が妙でしょうか。遅めのテンポでじっくりと歩みを進める大河的名演。マリス氏も快諾の待望のリリースです。
                               

ということだが、ここに書かれているとおり遅めのテンポで進められる。


 奇をてらったところはなく、上品で誠実さを感じさせるが、物足りなさは感じない。
 いや、なかなか聴かせてくれる。

 ヤンソンスといえばマリスのことしか知らなかった私にとっては、またまた気になる指揮者に出くわしてしまったわいという、うれしくもあり、なんで今まで知らなかったの、このおバカ!という自責の念にもかられる(マリス指揮ピッツバーグ響のタコ8とは趣きがずいぶんと違う)。
 生前はよく来日もしていたそうだが(死後来日されたら恐い……)、どうやら私にはお忍びで来ていたのだろう。

 そしてこのCD、金沢のタワレコで在庫一掃なのかどうかはわからないが、かなりのお値引価格で売られていて、ほとんど迷わず買ったのだった(オンラインショップではふつうのお値段中)。最初にジャケット写真を見たときは、チェレプニンかと思ったけど……

 1981年録音。Weitblick。

 この曲、6月10~11日の札響第590回定期で取り上げられる(指揮は広上淳一)。
 でも、私はこちらで仕事。希望と現実のギャップ……


 ウォークマンの話に戻ると、こうなったらなんとかしゃっくり全快、つまりギャップレスの実現に向けてもう少し頭をひねろうとしている私である。

 あっ、masaさん、メッセージありがとうございました。
 新得のレトルトカレーもとっても美味しいですよ!

極上のスープカレーと至福のベト4に出会えた喜び!♪LvB/Sym4(by モントゥー)

IMGP0118  封を切ると脚がまるごと1本
 私はスープカレーよりもふつうの彼が、いやカレーが好きだ。
 が、ライスに浸透しないぐらい粘りが強いルーは嫌いである。

 帯広の人たちのソウルフードといえるインデアンのカレーは、そりゃ美味しいことは美味しいし値段設定も嬉しいが、私の好みはもう少しルーが“ゆるい”ものだ。


 かといって、緩かろうが締まっていようが、とにかく大事なのは味である。
 そして、難しいのはその味が人によって好みが違うというこだ。


 ところで、たまたまYahooでレトルトのスープカレーの広告を見かけた。

 スープカレーはあまり好きではないと言っても、私とて北海道人のはしくれ。スープカレーを食べたことのない本州人よりもスープカレーに親しんできた。

 クチコミでの評価もやたら高く、妙に惹かれるものがあって、注文しちゃった。

 それは札幌市の“ぼーの”というところが製造・販売している“やわらかチキンスープカレー”。
 1袋1人前だが、2袋で約1000円という価格は、通常のレトルトカレーよりは高いが、通常ではないこだわりの、でも味の違いがあまり明確ではないカレーよりは安い。

 数日後に届いた。

IMGP0702 レトルトパウチは単に銀色。何の印刷もされていない。
 コストダウンとも言えるし、業務用なんじゃないかと思わせる。

 同封されていた説明書には、美味しく食べるコツが書かれていて、お湯で温める最適な時間も厳密に明記されている。
 また、野菜(オクラやキノコなど)を素揚げもしくは軽く焼き、トッピングするとよいと書かれている。


 ちょうど来ている妻が、オクラやニンジン、タマネギなどを準備する。

 そしてレトルトを温め、皿にあけると……


 中に入っている野菜はニンジンとコーンだけだが、チキンレッグが丸ごと骨付きで入っている。


 味は……美味い!
 レトルトとは思えないけっこう本格的な味だ。

 ここに至って、ぜったいこれを出しているカレー店もあるに違いないと、私は思い込んだ次第である。


 このスープカレーはお薦めだ。家で本格的なスープカレーを味わえる(って、アツアツを食べるべく写真撮るのを忘れてしまった。すまない……)。

 そしてレッグが丸ごと1本入っているのに(このチキンがまた、肉がホロリと骨から簡単に外れ食べやすい)この価格とボリュームなら、かなりコスト・パフォーマンスは高い。
 偶然だったが、この商品に出会えてよかった。

BeethovenSymsMonteux  この喜びに通じる幸福感あふれる演奏
 そんな私の喜びを表現するにふさわしい、モントゥーによるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の交響曲第4番変ロ長調Op.60(1806)。

 この曲自体、愛らしくも決して華奢ではない、そしてまた幸せな気分に満ちたものだが、モントゥーの演奏はその特長を最大限に表現している。


 封を開けて皿に出したときに、ゴロリンと横たわるニワトリの御御足。そのサプライズ的喜び。
 口に入れるとスパイシーな味と香りが口蓋内に充満する、幸福感。
 食べ終わった後の満ち足りた気分。


 そういうのが、この曲、この演奏とピタリと重なってしまうのだ。

 スープカレーはともかく、この演奏に出会えてよかった。

 オーケストラはロンドン交響楽団。

 1959年録音。デッカ。


歪み、体感中(その8)♪ショパン/英雄ポロネーズ

PianoEncores  北海道人ながら参加したくない集い
 日曜日は仕事だった(そして昨日はその振り替え休みをいただいた)。

 中京地区に住む北海道人の集いに出席したのである。
 半ば仕事だが本来の業務ではなく、北海道企業の役割としてのお付き合いである。そして私としては、全然前向きな気持ちにならずに顔を出したのであった。
 もし個人的な自由参加ということなら、私は天地がひっくり返っても出席しない。


 会場となったホテルには100人ほどが集まっていた。

 部屋の前の案内札がなかったなら、絶対に老人クラブの集まりだと思われるだろう。
 なかには老人よりは若い人もいるが、その人たちは介護人に見えるに違いない。そういう私だって、この集まりの中では若い部類に入る。

 このような会が抱えがちな問題だが、若いメンバーを集めることが急務である。

 宴会料理の細かなことは書かないが、私の嫌いなニシン漬けがあった。
 ニシン漬けとか飯寿司は私と敵対関係にあるのだ。
 だから食べなかった。

 最後の方になって出てきた鮭チラシ寿司と銘打ったご飯は、酢飯の上に惜しげもなく豪華絢爛に鮭フレークをぶちまけたもので、ご飯がはしかになったような見栄えで、それを見ても、コンビニの鮭おにぎりを思い出しただけで、ちっとも北海道が恋しくならなかった。

 最後の最後になってミートソース・スパゲティが出てきた。
 北海道とは特に関係ないが、満を持してようやっと私好みの一品が姿を現わした感じだ。

 ソースは固まる前のかさぶたのように赤黒く、そこにナスのトッピングがなされ、まさにナスのボロネーゼ・スパゲティという、まぁそのまんまの表現ですまないが、正統的なニッポンの洋食の体を成していた。

 
隠し味?いえ、主役です
 そして取り分けて口にした瞬間に、私の口腔内に広がったのは、こ、こ、これは!ってものだった。

 口に残ったすっごくしょっぱいスモークサーモンの味を払しょくしてくれ、うれしさのあまりポロネーズでも踊ってしまったらどうしようと危惧していたが、それは杞憂に終わった。

 それどころか、ミャーミャー泣きたくなった。トマトソースよりも味噌の味が勝っていたからである。


 好きなんですね。こちらの方たちはお味噌が。
 それも北海道になじみがある白味噌じゃない味噌が。
 地域の名物、地域の味、こちらの方々の魂を揺さぶる味。

 わかります。ソウルフード。

 でも、少なくとも私にはデミソースとか(名駅にある某レストランにはハンバーグデミ味噌煮込みっていうのがある)スパゲティのミートソースで、隠し味ではなくしっかりと八丁味噌が自己主張する味は、私には苦手である。


 そうそう、道南農林水産部の室蘭焼き鳥のたれにも八丁味噌が使われている。
 名古屋にある店として、こちらの人の味覚に合わせるのは当然の戦略だが、北海道人としては「これ、別物」なのである。だから、これは室蘭焼き鳥ではないと心して口にしなければならない。

 あのミートソースを食べたときに、中国のホテルにあったボロネーゼの日本語訳“イタリア肉の味噌ラーメン”をふと思い出してしまった。あのボロネーゼは学校給食のソフトめん+ミートソースでさえ比較にならないくらいまずかったが……(ルームサービスでは頼まなかったが、ホテル内のレストランで食べてしまったのだ)。

 そんなわけで、今日は安易ながらも正統的に“ポロネーズ”を。


 有名な、ショパン(Frederic Francois Chopin 1810-49 ポーランド)のポロネーズ第6番変イ長調Op.53英雄(Polonaise heroique)」(1862)。


 ポロネーズというのは“ポーランド風”の意味で、もともとはポーランドの民族舞踊のことである。
 それが音楽様式の1つとしてヨーロッパに広まったのだった。


 一方、スパゲティソースのボロネーゼはイタリアのボローニャ地方の地名が由来であり、ポーランドともポロネーズとも関係ない。すまん…… 


 ここではベルマンの演奏を。ピアノ名曲集に収められている。


 1979年録音。グラモフォン。


Numata  こちらは間違いなくトマトが凝縮されている! 

 ところで、この会場では沼田町役場の職員が来て、この町の産物だというケチャップを売っていた。


 沼田町は旭川の日本海側に位置する町だが、私はここがトマトの産地だとは知らなかった。
 が、販売員としてやって来ていた役場の方が言うには、生食用トマトでなく、ケチャップやジュースにする加工用品種を栽培しているのだそうだ。加工は町の施設が行なっている。

 私はケチャップを1瓶買った。
 翌朝オムレツを焼き、このケチャップで食べてみたが、実に美味い!

 江別市の農家が作っているケチャップも美味しかったが、こちらは私が苦手とするガラモン、いやシナモンが使われているのが難点。

 が、沼田町のケチャップは私に対するそういう障害がない。ホントに美味しいトマトケチャップ、注目の一品である。


   この美味なるケチャップについてはこちら 【Yahoo】
   北海道ぬまた産 完熟トマトケチャップ

 関係ないが、日曜日の夜は、北海道のスープカレーを食べた。
 いや、北海道人の集いとは全く関係ないのだが、家で北海道名物のスープカレーを食べた。
 その話は、また後日。


 異国風ミートソースを食べ、そのあと美味しいケチャップを味わった私がいまモーレツに望んでいるのは、ふつうの-イタリア料理店とか高級レストランのものとは違う-喫茶店とか大衆レストランにある、できれば鉄板の上でジュウジュウ悲鳴をあげながら運ばれてくるミートソース・スパゲティを食べることである。

あまりにガードが堅いやつ♪ヤナーチェク/利口な女狐

Dvorak7ekiska  使えないレンタルPC
 麻布茶房の担担麺に後ろ髪をひかれつつ、でも寿司とミニうどんのセットを食べてしまったからには、さらに担担麺を食べるなんてまるで食レポのために金沢に来てるようだし、何よりAランチの悲劇の再現になりかねないと、約束の時間が近づいたので、CDでここに来る前よりもちょっぴり肥えたかばんを持って取引先に打ち合わせに向かった。

 打ち合わせは友好的な雰囲気の中で行なわれ、終わったあといつものAPAホテルに一度チェックインした。

 フロントでレンタルPCを借りたが、それは比較的新しく、起動するといままで目にしたことのないデスクトップ画面であり(ウィンドウズ本来のものとは異なる)、IEとオンラインゲームとOfficeの互換ソフトのアイコンしかなかった。
 タスクバーにはウィンドウズ・メディア・プレイヤーのアイコンがあったので、私は買ったCDの音楽をウォークマンに転送しようとしたが、そういう“よそ者”は一切使えないようガードがかかっていて、つまりはふつうのホテルのレンタルパソコンよりもかなり制限が強く、しょうがないのでCD取り込みはあきらめた。

 では、ブログ記事の下書きでもしようかと思ったら、文章を書き“下書き保存”をしても、その一部がふっとんでしまっていて、せっかく書いた貴重な駄文が消えてしまう。

 どういう罠でこのようになるのかわからないが、とにかく使い物にならない。

 さらに、画面左下の“スタート”をクリックしても、“すべてのプログラム”は表示されないし、コントロールパネルもない。しょうがないから“メモ帳”で下書きしようにも、メモ帳が開けない。結局、これはUSBの“メモ帳”のファイルをいったん開くことで解決したが、“メモ帳”そのものに“すべてのプログラム”から行きつくことができなかった。

 このPCはネット・サーフィンかゲームをすることに特化しているのだろう。が、これじゃビジネスに使えない。
 私もビジネスで使おうとしたわけじゃないけど……

  超人気店は超混んでいたが……
 夜は池中さんの推薦する、というか池中さんが行きたかった金沢で超人気だという居酒屋に行った。
 前に池中さんが支社の若いモンに連れて行ってもらって、その味の良さに感激したんだそうだ。

 予約は入らなかったが、店に行くとたまたま1テーブルあいていて、すぐに座ることができた。って、電話で予約が入らなかったので1テーブルあいているって、急なキャンセルでもあったのだろう。

 土地柄、私の好きな傾向の料理はあまりなく、つまりは魚主体。豚肉料理もあったが、頼まなかった。
 店は騒然雑然とした雰囲気で、観光客なんかは逆にこの雰囲気が“らしく”感じられるのだろう。

 味は悪くはないが、私としてはびっくりするくらい美味しいとは思わなかった。

 そしてまた、これは池中さんがすまんかったのぅと言ってくれたが、ハイボールがない。ハイボールがないから嫌だってわけじゃないが、正直ただでさえ上がっていない私のテンションは下がる。

 食事を終え、コンビニで翌朝の食事を買った。
 おにぎり1個とミニのどん兵衛天ぷらそばだ。

  狐にやられた!
 が、翌朝私は腰が砕けるほど驚き、ひざまずきたいくらいの悲しみに襲われた。

 ミニのどん兵衛天ぷらそばが、なぜかミニのどん兵衛きつねうどんだったのだ。

 私の就寝中に変身してしまったのだろうか?
 だとしたら、ミニのどん兵衛きつねうどんに変わってしまったのが私自身ではなく、ミニのどん兵衛天ぷらそばでよかった。危うくグレゴール・ウードン・ザムザになるところだった。……って、結局酔っぱらっていて買い間違えただけの話なんだけど。でもね、ちゃんとお箸をもらうのは忘れなかったよ!

 ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928 チェコ)の歌劇「利口な女狐の物語(女狐ビストロウシュカの物語。Prihody lisky Bystrousky)」(1921-23)の組曲(ターリッヒ編)。

 ビストロウシュカは“利口な”からきた固有名詞だそう。
 歌劇は3幕9場からなるが、この組曲は序曲と第1幕の音楽からなる。

 あまり聴かれることのない曲だが、“ヤナーチェクがチェコの自然と生命を高らかに謳いあげた名曲”なのである。いかにもヤナーチェクらしい音楽だが、実に美しく、ときにお茶目でさえある。

 エリシュカ/札幌交響楽団の、これまた見事な演奏を。

 2009年ライヴ録音。pastier。

  池中さんは翌日言った。
 「昼の店も夜の店も、前より味が落ちた気がします」

 せっかく私たちを案内してくれたのに、味が落ちた(かもしれない)ことを申し訳なく思ったのだ。
 池中さんに罪はないのだが……
 もしかすると池中さん、前のときはドーパミンが分泌されすぎていたのかもしれない。

 こうして私たちはアサイチで別な取引先を訪問し、“しらさぎ”一筋で名古屋まで戻ったのであった。

再び“朝ナマ”の体験を……♪札響のブルックナー/Sym4

Sakkyo188th  30分早く行動するか?乗り換えなしを選ぶか?
 19日。金沢に着いたのは11:48前だった。

 名古屋駅に行くまでは、名古屋9:19発の“ひかり503号”に乗って米原(9:45着)で降り、米原9:56発の在来線特急の“しらさぎ3号”に乗りかえて金沢に向かうつもりだった。それが池中さんが教えてくれた最短かつ最良の行程だからだ。

 しかし、早めに家を出た私は、理論通り早めに名古屋駅に着いた。
 すると、米原で乗り換える“しらさぎ3号”がまだ発車する前であった。発車前どころか、入線もしていない様子だった。
 この“しらさぎ3号”にここから乗るという手がある。

 いや、正直に言うと、朝起きたときから、どうせなら一気通貫で“しらさぎ3号”にしたほうが楽なのでは思いつつあった。
 時刻表を確認し、選択肢を知ってしまったのだ。だからこそそれに間に合うように家を出て来たのだった。

 どういうことかというと、当初予定していた新幹線利用の行程だとしても、その30分前に名古屋を出発するこの同じ“しらさぎ3号”に米原で乗り換えることになるのだ。

 つまり、あとから名古屋を出発するひかり503号が米原で追いつくので、勇んで“しらさぎ3号”に名古屋から乗りこまなくても金沢に着くのは一緒になるわけ。う~ん西村京太郎の世界だ(っつーのはオーバーだ)。
 ゆっくり出発したい人、総所要時間を短くしたい人はこの方法がベストだ。

 当初予定の8:20に名古屋駅に着いてしまった私としては、ひかり503号の発車時刻である9:19までただただ駅のなかをウロウロするしかない。ならば、「最初っから8:50発のしらさぎ3号に乗ってしまっては?、だってほんとはそのつもりなんだろ?」と、右脳と左脳とで協議した結果、いたってノーマルな結論を導き出したのだった。
 新幹線利用で乗り換えるより所要時間は30分多くなるが、駅でうろうろするよりは、しらさぎの車内で座ってゆったりちんたらと時間をつぶす方がずっとマシだ。
 それに何より、乗り換えなくて済む。ひかりやしらさぎの空席の有無を案じなくても済む。

 こうして、金沢に着いた。
 池中さんは自信が推奨するルートどおり行動し、私と金沢駅で顔を合わせた。

  待つこと覚悟で行ったのに、これって幸運?
 金沢では、東京から来た、10年前の私と同じ課にいて、いまは東京に転勤になっている“ベンちゃん”とも合流。
 まずは昼食ということで、池中さんのお導きに身をまかせ、行ったのは金沢FORUSというビルのなかにある“もりもり寿司”。
 池中さんは金沢に来たからにはいつも昼はここで食ているという。

 前回来たときにはすっごく混んでいたのに、この日は全然すいていた。
 さらに、おなじく前回はこの店の向かいにある、回転寿司の方の“もりもり寿司”は長蛇の列だったが、昼どき真っ盛りというのに、ガラス越しに空席が目立って見えた。
 いや、この商業施設(金沢フォーラス)のレストラン・フロア自体、人があまりいなかった。
 なぜなんだろう?

 寿司を食べ、そのあと取引先に伺うまで時間もあることから、お茶を飲みながらベンちゃんと事前打ち合わせをすることにしたが、場所はもりもり寿司と同じフロアにある麻布茶房にした。

 この店は札幌にもある。
 この店には担担麺がある。
 札幌店で担担麺を食べたことがある。

 ということで、寿司を食べた後だったので無理だったが、終始担担麺のことが気になってしょうがなかった。

  見るだけじゃダメだったんです……
 打ち合わせを終えてもまだ時間があるので、池中さんとベンちゃんを店に残し、4階に行ってみた。
 タワレコがあるのだ。その名も金沢FORUS店である。

 ただ眺めるだけのつもりだったのに、見るだけではどうにもがまんできず、アタシったら手を出してしまったんです。イケナイ旅人のアタシ……

 というのも、無茶苦茶プライスダウンした掘り出し物を見つけてしまったからだ。
 その掘り出し物のCDを3点と、近く買おうと思っていたノーマル価格のCDもここで買うことにした。

Bruckner4Sakkyo  金沢で札幌のものを
 そのノーマル価格のCDとは、朝比奈隆が札幌交響楽団を指揮した1978年12月14日の第188回定期のライヴ。

 曲はブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第4番変ホ長調WAB.104ロマンティック(Romantische)」(1872-73)。使用楽譜はハース版。

 このコンサートにも私は行っている。

 私がナマ朝比奈を聴いたのはこのときが初めてで、朝比奈のファンってわけじゃ全然なかったが、多感な(もしくは権威主義な)世代だった当時の私は、日本指揮界の大御所の演奏に生で接することができるということだけで、すっかり気持が舞い上がり、そのくせこの「ロマンティック」がとにかく長く感じ、お尻も痛くなったことを恨みがましくしつこく覚えている。

 でも、あのときは良い演奏だとは思った。

 が、このCDを聴き、スケールは大きくないは、響きは厚くないは、音楽の深みがあまり感じられないはで、札響ってあのころこんな演奏をしてたんだろうかと、期待外れだった。思い出は美しすぎて……ってわけじゃないけど、ここまで“シケナイ”的とは……(←乾燥剤のことです)

 もちろん録音や会場(北海道厚生年金会館)の響きのせいもあるだろうが(SACDとして聴けばかなり違うのだろうか?が、CD再生でも第0番の方はここまでひどくなかった)、特に第1楽章の“軽さ”なんかは演奏そのものからくるもので、朝比奈ってこんなんだったっけ?と思った(私はほとんど朝比奈のブルックナーを聴いたことがないので、よくわからない)。

 いずれにしろ先日取り上げたの0番と比べると、ちょいとねぇ~、だ。

 タワレコによる紹介文は、

 ……朝比奈&札響の音源発売はこれが初。録音が多い"ロマンティック"の中でも、異彩を放つ貴重な記録です。

 ……オケの熟練度としても当時の演奏布陣は何ら他の日本のオケと比較しても劣らない力量を有しており、朝比奈の解釈を受け止めるだけのレヴェルにありました。この録音でも安定感のある金管楽器や響きの豊かな弦楽器群、端正な木管楽器の音色が朝比奈の指揮により見事に体現化されており、この組み合わせが決して違和感を持たない演奏に仕上がっています。数ある朝比奈の「ロマンティック」の中でも、今後注目される演奏のひとつとして評価されて行くでしょう。

 ってことだが、異彩を放っているのは確かにそうかも。
 “今後注目される演奏のひとつになる”のかどうかは、私には合議欄に判を押す勇気がない。

 ……金沢出張記はあと1回、しつこく続く……

3度目の正直。晴天の金沢♪WAM/fl四重奏曲1

MozartFlQ  ノコギリですぱっと切れ!
 先週の木曜金曜は金沢に出張した。


 こちらに着任してから金沢へ出張するのはこれで3回目。


 最初のときはみぞれまじりのどしゃ降りだった。

 2回目はみぞれはまじっていなかったがどしゃ降りだった。


 ということで、“2度あることは3度ある”になるのか“3度目の正直”になるのか、今回は金沢と私の相性を占う重要な訪問になった。


 ところで2回目となる前回の出張のときは会社の車で行き来したのだが、最初に行ったときはJRを使った。

 そしてご報告したとおり、帰るときに金沢駅のトイレに寄るとモーツァルトの流麗な音楽が流れていた。


 今回もJR利用だったので、トイレに入るのを楽しみにしていたが(って、変ですか?)、またまたモーツァルトが流れていて、最近摂取しているノコギリヤシのサプリの効果があるかどうかは定かはでないが、キレの良いおしっこをすることができた。


 それにしてもノコギリヤシに限ったことじゃないが、サプリメント(栄養補助食品)ってなんでメーカーによってあんなに値段の差があるのだろう。


 全体的に低価格なのはDHCだが、そしてここの製品を買うことが多いのだが(理由はただ1つ。安いから)、パッケージがどうもいただけない。

 ファンケルやオリヒロや小林製薬やサントリーなどなど、いろんなところがサプリメントを出しているがホント、価格はまちまち。成分が違うのはわかるけど、その違いが価格の違いにどう反映するのかよくわからない。

 それはともかく、金沢駅で流れていたのは「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」だった。

  まっ、曲名よりもメロディー重視ってことで……
 私が小学校5年の秋から卒業まで通った札幌の小学校では、昼の時間の校内放送のオープニング曲が“アイネ・クライネ”だった。だから、この曲を耳にすると、ちっともおいしくないパンとか、大嫌いなヨーグルト・サラダを思い出しちゃうのだが、昼に“ナハト・ムジーク”(夜曲)ってのがな~んも考えてない証拠だし、それはともかく、朝の9時半に金沢駅で流れていたのも“ナハト・ムジーク”だが、こういううるさいことを言ってると嫌われるからもう言わないで、まっ、メロディー自体が観光客のウキウキした気分をさらに盛り上げるならいいってことだと、善意に解釈しよう。

 ところで、この音楽はトイレだけに流れているわけじゃないことを知った。
 改札コンコースにも、そしてトイレにもちょうどいい音量で響いている。
 おしっこをしてても、きんつばを購入中だろうと、券売機の操作の仕方がわからなくて困惑してようと、さわやかな小さな夜曲は鼓膜をくすぐっているのだ。

 「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」の第1楽章のあとにかかったのは、同じくモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のフルート四重奏曲第1番ニ長調K.285(1777)だった。

 なかなかこの時間、この空間にマッチした選曲だ。
 2月の末に金沢駅で耳にしたのはK.136のディヴェルティメントだったが、この曲とフルート四重奏曲第1番の冒頭のメロディー・ラインは二卵性双生児のように爽やかだ。

 モーツァルトは4曲のフルート四重奏曲を書いているが、第3番は疑作である。

 ウィンセンスのフルート、エマーソン弦楽四重奏団の演奏で。

 1990年録音。グラモフォン。

 金沢での、駅構内以外での話についてはまたあらためて書くが、その前にノコギリヤシの話。

 蒲原聖可著「サプリメント小事典」(平凡社新書)によると、ノコギリヤシは、

 ・ 前立腺肥大症に伴う症状に効果がある。
 ・ 男性ホルモンに関係する酵素の働きを抑える作用をもつ。
 ・ 多くの臨床試験により効果と安全性が示されたハーブ。

とある。

 が、私にとっての問題は、いまのところ私は前立腺肥大症ではないということである。

 まっ、そういうことで、今回の金沢は晴れ。
 少なくともこの街は、過去2回、私を拒絶しようと悪天だったわけではなさそうだ。

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