デーデーポッポー……
いま始まったことじゃないが、朝の鳥のさえずりは実に心を爽やかにさせてくれる。
冬なら7時近くになってあたりがようやく明るくなってくると鳥の声が聞こえ始めるし、いまは日の出が早くなっているので私が起きたころにはもう何種類かの声が聞こえる。
それがなんの鳥たちなのかすべてはわからないが、スズメとセキレイがいることは確かだ。
たまにカラスの声も聞こえるが、カラスは都会でも聞ける、というかいやでも耳に入ってくるのであまりうれしいサウンドとは言えない。
ジジ臭い感じはするが、ドバトの声も何とも言えずのどかでいい。←耳にしている私がジジ臭いのではなく、ドバトの声がジジ臭いという意味である。
冷たい涙を流して空は泣く
ところで昨日の記事の最後に、今年のカッコウの初生声はいつごろになったら耳にできるのだろうなんてこまっしゃくれたことを書いたが、午前10時前に飛行機は新千歳空港に着陸。
厚い雲の中をなかを降下してきたの、まさに五里霧中のなかパイロットもたいへんだなぁと感心したものだ。
当然そこそこ揺れて、私の関心はおみやげに買った赤福の形状、とまでいかなくとも表面が揺れで崩れるのではないかということに向いたが、考えてみれば買ってあとによっこいしょと袋を持った直後に早々に傾けてしまったりもして、それに比べるとこの揺れごときで変形することはないなという結論に達した。
着陸すると窓の外は寒そうな雨。滑走路にはひっきりなしに雨粒が落ちているのがわかった。
快速エアポートに乗り、札幌駅のホームに降り立つと、寒~い。
数時間前にいた今朝の名古屋もいつもよりは寒かったが、こちらはまさに北国らしい気温。
寒さのあまりホームの端にある新生児室のようにガラス張りになった部屋に風よけのために退避、じゃなくタバコを吸った。
家に着き、昼を゛とんでん”に食べに行き、妻は゛母の日スペシャルセット”だかなんだかの期間限定おすすめメニューを頼んだが、私は゛くしろ・そばセット”を頼んだ。
結論から言うと、食べすぎた。朝を食べてなかったので張り切ってしまったのだ。
私たちの少し後に隣の席に着いたおばあちゃんはカツ丼を頼んで食べていた。
あの年でカツ丼とは頼もしい。
胃も歯も丈夫なんだろう。
そのあとホーマックに行き、新しい夏用ワイパーを買った(言っておくがホーマックには古い夏用ワイパーは打売っていない)。
が、小雨が風に煽られて舞っている寒空のもと、とても夏用に気分もワイパーも切り替えられず交換作業は見送った。このような気候だから、タイヤ交換も連休後半にすることにした。
つまり私が言いたいのは、こんなに寒けりゃカッコウはまだまだ鳴きそうもないということだ。
そしてまた、今朝は雪がパラパラと降っていて、風の音がゴーゴー言っている。違うよ、「行け行け」っていうんじゃないよ。鳥の声はひとっつも聞こえない。外気温も5:30現在、0度だ。
鳥たちの声が飛び交う
メシアン(Oliver Messiaen 1908)の「鳥たちの目覚め(Reveil des oiseaux)」(1953)。
ピアノと管弦楽のための作品で、当初は交響詩「春」という作品として書かれたという。
メシアンは鳥フェチとして知られるが、いや失礼、鳥類学者でもあったが、「鳥たちの目覚め」がメシアンの“鳥シリーズ”の第1作である。
真夜中から正午までの春の1日の鳥の声を扱っており、曲中に30種の鳥の声が模倣されているという。
メシアン特有の色彩豊かで透明感のある音響が味わえるが、鳥たちの声は必ずしも爽やかなってわけでもなく、目覚めの悪い鳥たちが機嫌の悪さをぶつけ合っているというように聴こえなくもない。
エマールのピアノ、ブーレーズ指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏で。
1994,96年録音。グラモフォン。
メシアンはこの作品のあと、1955年から56年に「異国の鳥たち」、56年から58年にかけては全13曲からなるピアノ曲「鳥のカタログ」といった、“鳥シリーズ”の作品を作曲していく。
あっ!シリーズのコンセプトに反してあまり一般的じゃない曲を取り上げちゃった。
でも、文章が短いところはコンセプト通りである。
このブログ、つまり「新」になってからもうすぐアクセス数が10万になろうとしている。
ありがとうございます。
どうぞみなさん。10万人目を目指してください。私には誰が祝・10万人目なのか知る由もありませんけど……
masaさん。昨日メッセージをいただいたように、私はやることがたくさんあります。
昨日はそちらもかなり寒く、帯広空港では雪が積もったそうで……
あっ、鳥の声が聞こえてきた!
と思ったら、霰が……