新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

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2016/03

この一行で信用失墜・完全自爆♪伊福部/土俗的三連画(by YAMAKAZU)

IfukubeShibahashi2  勘違いか?思い込みか?それとももしかして知らないのか?
 先日紹介した柴橋伴夫著「生の岸辺 伊福部昭の風景」(藤田印刷エクセレントブックス)。


 あいかわらずノリノリになれぬまま、かといってイヤイヤでもないものの、上りの坂道を自転車に乗って進もうとする老人のようにそれなら歩いたほうが速いぐらいの鈍速で読んでいる私だが、こりゃ驚いた!


 写真のページ。ラインを引いた箇所の記述である。


 「土俗的三連画」で伊福部昭はチェレプニン賞をとったぁ?


 いや、こういう本に若き歯科医の奥歯のようにゆるぎなく書かれているのだから、私は一瞬ぐらつきましたよ、実際。

 もしかして「日本狂詩曲」でチェレプニン賞受賞というのは、私の勘違いだったんではないかって。

 あるいは今年になって急に「土俗的三連画」の間違いでしたってことになったんじゃないかって。


 でもそんなことはない。あるはずがない。それは歴史を変えることになる。

 百歩譲ったとして私が言えることは、そのとき町中を駆け巡った(ほんとかね?)のはデマだったということだ。


Ifukube201108  チェレプニン賞受賞じゃなくチェレプニン夫妻に献呈
 伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)がチェレプニン賞第1位となる「日本狂詩曲(Japanese Rhapsody)」を書いたのは1935年のことだ。

 その翌年にチェレプニンが来日。伊福部は1か月ほどの間、横浜でチェレプニンに師事している。


 そして「土俗的三連画(Triptyque aborigene)」が作曲されたのは1937年。厚岸での林務官の仕事の合間に書かれた作品である。
 この曲はチェレプニン夫妻に捧げられている。が、しつこく言うが、チェレプニン賞受賞作品ではない。


 にしても、著者はどうしてこんなミスを犯したのか?

 校正でなぜ気づかなかったのか?

 もしかして音楽作品そのものには強い関心がもともとないのか?(ただしその2ページ前の“年譜風まとめ”では、1935年にチェレプニン賞で一等受賞(作品名は記されていない)、1937年に土俗的三連画が完成とただしく書かれている)。


 いずれにしろ、この一節でこの本に書かれてある内容が信頼できるものかどうかに私としては相当大きなハテナマークがついてしまった。

 やれやれ……

 久しぶりに今日は山田一雄/新星日響の演奏を。

 1986年ライヴ録音。フォンテック。

   このCDの詳しい情報 【タワレコ】
   伊福部昭: 交響作品集(日本狂詩曲, 土俗的三連画, オーケストラとマリンバのためのラウダ・コンチェルタータ)<タワーレコード限定>(投稿日時点価格¥1.285)
   または(写真掲載盤はこちら。2枚組) 伊福部昭(投稿日時点価格¥2,160)

 

帯広 < デュッセルドルフ < マドリード♪ボッケリーニ/ギター五重奏曲G.453

BoccheriniGuitar  十勝の風は冷たく……
 グーグル・アナリティクスでは自分のブログがどこの国や市町村で読まれているかを確認することができる。私にはほとんど関係のない機能だが、ホームページで商売をしている人にとってはエリア戦略をたてられるので便利なんだろう。

 もちろん天下のグーグルでも、世界中のどんなに小さな村まですべて網羅しているわけじゃないだろうから、初山別村とか浜頓別町なんかは表示されない。
 たぶん近くのアクセスポイントとなる市町村に統合されているか、あるいはそれらの町村では誰一人としてこのブログを読む人が存在しないということだろう。

 この1ヶ月間の結果を見てみよう。

 国別では私のブログの読者は圧倒的に日本が多い。
 これは驚くべきことだ、とはまったく言えない。しごく当然のことだ。
 国別の訪問者数(アナリティクスでは“セッション”と呼んでいるが、まあここでは訪問者数とほぼ同義と考えていただいても地軸がずれるようなことはない)の第1位がインドネシアとかだったら、そりゃ人口は多いかもしれないが、私としてはなんだか妙な気分になっちゃうだろう。

 市町村別で見ると第1位は札幌で12.28%(全体のセッションに占める割合。以下同じ)である。2位は新宿区で7.80、3位は名古屋の5.69である。
 4位以降は、順に横浜、港区、千代田区、京都、宇治、世田谷区、杉並区、神戸、浜松、新潟となる。
 個人的には“宇治”っていうのに唐突感と意外感がある。浜松もだが……

 あとは1%以下がダラ~っと並ぶのだが、海外も出てくる。

 マドリードは北見より高いし、パリは函館より高い。
 ホンコンとデュッセルドルフは旭川と同率だ。

 そして私が密かに気になり心を痛めているのが、帯広はそれ以下だということだ。
 まっ、帯広のセッション数がアクセス箇所によって札幌などに合算されているということも考えられる(と考えておこう。だって少なくともmasaさんのセッション数はこれ以上になるはずだ。昨日もメッセージをくれたことだし……)。

  本日のターゲットはマドリード
 ボッケリーニ(Luigi Boccherini 1743-1805)のギター五重奏曲第9番ハ長調G.453「マドリードの帰営ラッパ(La ritirata di Madrid)」(1799)。

 どうでもいいことで、加えてあなたにとってはまったく無益な情報だが、私はボッケリーニの名を目にすると遠い思春期のころの、なんとも勝手に気恥しくなった社会科の授業のことを思い出す。
 昔の文学作品として教科書に載っていたボッカッチョの名を思い出しちゃうのだ。

 ボッカッチョが書いた物語は「デカメロン」。
 なんかやらし……

 さて、無益だったことを実感したところでボッケリーニだが、このギター五重奏曲は自身の3楽章からなるピアノ五重奏曲ハ長調p.56-3(Op.46-6。作品番号が複数あるのはボッケリーニの作品番号が錯綜しているためである),G.409(1797)を編曲したものに、5楽章からなる小弦楽五重奏曲Op.30-6,G.324「マドリードの通りの夜の音楽(La musica Notturna delle strade di Madrid)」(1780)の第5楽章「帰営ラッパ(Ritirata)」の編曲を加えた作品である。すなわち4楽章構成となっている。

 過去にも取り上げているが、「帰営ラッパ」のメロディーはとっても優しくて心地よいもの。どこか南国を思わせノーテンキな感じもする。

 私が持っているCDはゾルタン・トコシュというゾルタン・コチシュの異母兄弟のような名前の人によるギターとダニュビウス・クヮルテットというデカメロン的淫靡な名(どこが?)のアンサンブルによる演奏。

BerioRender 1992年録音。ナクソス。

 そしてまた、ベリオはこの「マドリードの帰営ラッパ」を巧みなテクで大オーケストラのために編曲している。

 これは興奮ものである。この記事であなたは私の興奮を、はぁはぁいう息遣いを、感じ取ることができるだろうか?
 ふふふっ、キモイだろ?

 あなたにもコーフンしてもらいたかったのだが、残念ながらCDは廃盤。
 私が謝るべきことじゃないが、ごめん。

久々のチョー♪コープランド/日曜の午後の音楽

CoplandBox  まずはメガネ
 先週は木曜日に札幌に移動。


 札幌に着いてまず行ったのが富士メガネ。
 フレームがやや広がってしまったのを調整してもらった。

 名古屋には富士メガネがない。それがとても不便だ。
 少なくとも札幌よりも富士山が近いというのにどうしてなんだろう?


 今回の出張のメインは金曜日午前中の本社との打合せ。
 伏草課長と一緒である。
 伏草課長はその日の午後も会議だが、私は午前中だけで終了。

 私は木曜日の午後に引き続いて、この日の打合せのあとも本社のいくつかの部署を回って私の不健康っぽい健在ぶりをアピールし(ほとんど関心は持たれなかったように思う)、伏草課長には午後の会議も頑張るようにと心のこもっていない激励の言葉をかけ、そのまま社をあとにした。
 由緒正しい早退扱いであることを申し添えておく。

  次に死んだFMVの後任選び
 午後はまずはケーズデンキに行きノートパソコンを購入しようと考えていた。

 今回いかれた自宅のPCは富士通のFMVであること、現在私が名古屋で使っているのはNECのLAVIEで使い勝手がよいこと、かつて使っていたVAIOはキーの感触が私の指との相性がよくないこと、息子が買ったhp機は買ったときから態度が悪いサボり魔のような機嫌の悪さで3年後には突如燃えるように死んだこと(つまり熱をもっていた)などからメーカーはNECに決めていた。

 死んですぐの喪が明けないうちに買うなんてひどい男だ、買い走ってると思われそうだが、実は死んでいない。

 自宅に戻ってFMV君を起動してみると、画面は前回正常に終了しなかったので通常起動にするかセーフモードにするかという二者択一の究極の選択を迫って来た。それは前回不穏な動きをしたときに妻が強制終了したせいだが、一応はセーフモードを選んだ。
 するとシステムの復元を始めた。つまりやっぱり相当まともじゃなかったのだ。
 その後は正常に動くようになったが、もう買ってからもうすぐ8年になるブンブンBGM付きのマシン。またふてくされるのは時間の問題である。

 今回はビックカメラとケーズデンキのネットショップで機種や価格をそこそこ調べ上げ、絞ったうえで消費行動を起こそうと決意したのだった。
 私が目をつけた商品はビックの方がケーズより高く、そのうえ札幌店に在庫がないというネット情報だったのでケーズに白羽の矢がたったのだ。

 でもその前にと、ビックに立ち寄った。
 これが結果的に私の運命を変えた。
 NECダイレクト(NEC直営でCPUやハードディスクなど自分の好みでパソコンをカスタマイズできる)のコーナーで、私がめぼしをつけていたものよりもスペックが高いLAVIEが買えそうなことがわかったのだ。

 2015年秋冬モデルということもあるが、私としてはそれはかまわない。加えて、現在キャンペーン中ということで結果的に“何にも手心を加えない場合の価格”の約半値となった。
 CPUはPentiumだし(最初に考えていたのはCeleron)、メモリは8GBだ(同じく4GB)。
 その最初に考えていた機種よりも3万円ほど安くついた。
 いやいや、こんな状況だからNECのジャンパーを着たお兄さんと話がスムーズに運ぶこと、運ぶこと。

 ただカスタマイズということで、商品の到着は1週間ほどあとになる。
 そしてまた口コミではサポートの悪さなども書かれており、それが恒常的な実態ならどうしようかとちょいと心配ではあるが、もうとっくに後には戻れない。

  そのあとはブラブラ固定
 次いで夕方にSUBARUに行き、点検も兼ねてオイル交換。ただいちばんの目的は温度センサーの修理。

 バンパーの奥にある外気温を測るセンサーの取り付け部品が割れてブラブラとタヌキのなんとかみたいな状態になっていたのを直してもらった。


  すっきりした頭(中身じゃないけど)
 土曜日はアサイチで床屋に行き2か月ぶりに散髪(メッセージをいただいたysrさん。あなたが店を変えないのと同じように、私もずっと今の床屋を裏切っていません。お互い信念を貫き続けましょう)。

 昔なら2か月も放っておくと頭は肥沃な湿原に群生する蒲(ガマ)のように髪が繁茂したと思うが、そうならないのはどうやらもはや髪の成長スピードが鈍化してしまっていることと、日々ぞっとするほど抜けているせいだろう。


 そのあとは家の諸々のことを行ない(書棚を組み立てたり、一部のバラの冬囲いをはずしたり、懐中電灯の電池を交換したり、バナナの木に声かけしたりetc.etc.……)、夜は久々に自称“強”を上回ると言われる“超炭酸水”でハイボールを作って飲んだ。


  サツドラのありがたさ
 名古屋に住んでとにかく不便なのは、この街にはサツドラがないことである。

 サツドラがないということはサツドラのPBである“超炭酸水”を入手できないということだ。
 炭酸がとても強いうえに税込59円という安さの、このすばらしい商品が買えないのは痛い。同じPBの“サツどら焼き”が買えないことはまったくどうでもいいのだが(食べたことないし)、チョータンが買えないことで私は毎夜涙している。

 たまたま木曜日の北海道新聞に、北海道のドラックストアの特集記事が載っていた。
 それによるとサツドラは今度沖縄に出店するという。
 いくら炭酸が強いからといって勢い余って一気に沖縄にぶっ飛んでしまわず、名古屋の私の居住地区にもぜひお願いしたい。

 日曜日は車で1時間半ほどの町まで出かけ(もちろん用があったからだ)、午後になってやはり1時間半ほどかけて家に戻ってきた(用を終えたからだ)。


 そして月曜日にこちらに戻ってきたのである(断っておくが、月曜日は正々堂々と有給休暇をいただいた)。

 と、なかなか忙しい週末だったのである。


 んなわけで今日のところは時間もないので(私の)、ガマにも、じゃなく、藁にもすがるいい加減さでまたコープランド(Aaron Copland 1900-90 アメリカ)のピアノ小品を。


 「日曜の午後の音楽(Sunday Afternoon Music)」(1935)。


 アンニュイな音楽である。
 昼寝をしたくなってしまう。

 2分という短すぎる音楽だが、不思議と心に残る。

 でも、ドライブ中にはえらい不向きだ。

 スミットの演奏で。

 1978年の録音。ソニークラシカル。

 ところで日曜日の午後に家に戻る途中、K'sデンキに立ち寄った。
 白羽の矢を撤回したままでは申し訳なく思ったからだ。
 私は変なところで義理堅いのだ。

 パソコンのコーナーには目もくれず、LED電球と鼻毛カッターを買ったのだった。

でも、長細いあぶら虫っているのかなぁ♪スカルラッティ/おお,死よ

ScarlattiAMagnificatSleeve  目くじら立てるようなこっちゃないですけど……
 どうでもいいっていやいい話なんだが、最近いくつかの自動車保険のCMを見ていると違和感を感じたり意味わかんねぇと思ったりする。


 ソニー損保の女子校生っぽい女の子(って女子校生っぽい男子はいないか……いやそうでもないか)。
 なぜ免許を取る前の歳の子が自動車保険について語り、勧めるのか?
 しかもしゃべり方が棒読み。
 勘弁してほしい。


 同じくソニー損保のCMだと思うが、数名の女性たちが手遊びのように2人で手を合わせあったりして(“おちゃらかほい”みたいな)必要以上にテンションが上がっている。
 自動車保険と何の関係があるん?


 イーデザイン損保の織田裕二。
 保険の専任担当という役設定だが、いくらCMだとしても臭すぎる!


 以上、どこかでぶちまけたかった私。


ScarlattiAMagnificatInner  うるさいがそれなりにいいやつだった
 話は変わる。

 自宅のノートパソコンが死んだ。


 もう何年も前からファンから異音がし、それは年々大きくなりひそひそ話が聞き取れない状況になっていた。

 幸いパソコンの前でひそひそ話をしなければならない状況に置かれたことがなかったので、その点で苦労することはなかったが、あの不快な音のせいで私の繊細な耳はずいぶんと疲れさせられた。もし私がチャイコフスキーなら絶叫し、外へ飛び出し、ついでに川にでも飛び込んだかもしれない。
 だって絶えずアブに付きまとわれているようなもんなのだ。アブがいるなんて、前向きに考えればパソコンのある部屋が自然豊かな森の中のような環境になっているということだが、どうせそうなるなら川のせせらぎとかカァーカァーではないチュンチュン的な鳥のさえずりのような別な音であってほしい。

 またハードディスクの容量が少なく、どんなに掃除してもダメ。
 復元ポイントをしょっちゅう削除しなければならなかった。


 しかしDドライブの容量を削減し、Cに割り当てたところ、容量の問題は解決した。

 解決したが、そのあたりから動作がより不安定になった。

 そしてついにエラーメッセージがちょくちょく画面に顔を出すようになり、突然シャットダウンすらできなくなったと妻が言ってきた。

 私はこちらにいるので症状を見ることはできないが、過去の経過からしてもう寿命なんだろうと思った。
 だって、じいちゃんが死んだときもそうだったもん←違う、違う!


 このパソコンは2008年に買ったVista機だ。
 年数的に老衰ともいえる。

 今回の故障がなくても、何をさせても動作が緩慢だった。
 意味不明ではあるもののすばやい動きをするあの“おちゃらかほい”的CMのお姉さんがたの、爪の垢でも煎じてぶっかけてやりたい気分だった。
 鷹揚な妻も最近はイライラを隠せなかったようだ。


 にしても、アーノンクールマクスウェル・デイヴィスが死んだばかりなのに、スペアミントも死に、今度はパソ

コンである。

 アーノンクールやデイヴィスの死は悲しいし、ミントのもうおまえはほとんど死んでいる状態は腹立たしいが、

実生活においてもっとも痛烈なダメージを受けたのはPCの死である(経済面で)。

  どこまでとるかで意味もまた違ってくる

 A.スカルラッティ(Alessandro Scarlatti 1660-1725 イタリア)の「おお,死よ(O morte))」。
 無伴奏5声のマドリガルである。


 詳しいことはわからないが、こういう曲(この時代の歌曲)は歌詞の最初の部分が曲のタイトルになっていることが多いようだ。


 この歌は次のように始まる。


 O morte a gl'altri fosta,a me serena


 ところが問題は、歌詞のどこまでをとるか。

 最初の2語の O morte ならば「おお,死よ」だ(そうだ)が、上にあげたフレーズすべてを訳してタイトルにすると「他人には暗い死も私には晴れやかだ」となる。

 実際、三省堂の「音楽作品名辞典」では “他人には暗い死も私には晴れやかだ O morte a gl'altri fosta,a me serena”という曲名になっている。

 一方、下に紹介するCDでは曲名は「O morte」(歌詞は上と同じ)。

 「おお,死よ」が「他人には暗い死も私には晴れやかだ」にまで変貌しちゃうことに晴れやかな気分にはなれないところだが、いずれにしろニュアンスが違ってくることは確か。

 曲も最初は厳粛に始まるが、途中からどこかうれしそうな雰囲気に変わる。
 やっぱり晴れやかなんでしょうね。

 余計なことを考えると、“あのねのね”の「赤とんぼの唄」を、こういう具合に歌詞からタイトルをつけたとすると、最初の語句だけなら「赤とんぼ」となるが、続きも使っちゃうと「赤とんぼの羽をとったらあぶら虫」になってしまう。

 確かに全然ニュアンスが違う。


 納得だ!←無理してます。


 アレッサンドリーニ指揮コンチェルト・イタリアーノの演奏で。
 いやですから、「赤とんぼの唄」じゃなくて「おお,死よ」の方です。


 2000年録音。naive。

 なお、上の写真はスリーヴのもの、下の写真はライナーノーツの表紙(いわゆるジャケットのデザイン)である。
 このことからお気づきだと思うが、このCDはスリーブに入っている。

神秘的な(でも正直気色悪い)色とりどり♪シューマン/色とりどりの小品

  こぼれたタネを拾い集めましょう 
 シューマン(Robert Alexander Schumann 1810-56 ドイツ)のピアノ小品集である「色とりどりの小品(Bunte Blatter)」Op.99(1836-49)。

 出来上がるのに10年以上の時間が費やされているのにはワケがある。

 日々考えて完成まで13年間苦しみ続けたわけではない。

 実はこの期間にシューマンが作曲したものの、没にした曲を集めたものだからである。
 なんとなく(ってことはないか)書いた曲もあれば、ほかの曲集のために作曲したものの結局は使わなかったものもこの小品集に拾われている。

 次の14曲からなる。

 1-3. 3つの小品(3 Stucklein)
 4-8. 5つのアルバム(5 Albumblatter)
   9. ノヴェレッテ(Novellette)
 10. 間奏曲(Praludium)
 11. 行進曲(Marsch)
 12. 夕べの音楽(Abendmusik)
 13. スケルツォ(Scherzo)
 14. 速い行進曲(Geschwindmarsch)

 シューマンがそのまま捨てるには惜しいと思った曲たちだけあって、どれもまさに“捨てがたい”魅力を持っている。

  こちらも色とりどり
 伊勢駅から伊勢神宮の外宮(げくう)へ通じる参道。

 この参道に名前とは正反対の外観、つまり全然若々しくない歴史の重みを感じさせる、というか言ってしまえば単にぼろぼろの建物がある。

 伊勢神宮といえばパワースポットである。
 パワースポットといえば、神秘的な、あるいは怪奇的な現象が起こることがあるといわれる。

 例えば、そこにある石碑を撮ってみたら緑色に輝いていたとか、お地蔵さんの背後に赤く光るものが写っていたとかいう現象である。

 1か月ほど前に浜松餃子の店を紹介したが、その1枚目の写真の建物の屋根も何か神秘的である。
 単に撮影に使った携帯電話の調子が悪かった、もしくは光の加減による異常だが、見る人によっては「ここはパワースポットに違いない」と主張するのかもしれない。まっ、餃子はスタミナがありそうだから間違いじゃないかもしれないけど……

 そしてこの“若草堂”という食堂のショーケースを目にしたとき、神秘を超越した怪奇的見本に私はしばし見入ってしまった。

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 あなたはこれが日常的と言えるだろうか?

 拡大してみよう。

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 うなぎ丼の安さに目が奪われる。……って話ではなくて、まるで太古の時代から置かれているような高貴ともいえるオーラが放たれている。

 見よ、このキャベツの色を!(まさかキャベツではなく亀ではあるまい)

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 野菜炒めなのか、それ以前に店の人はこれが料理見本として効果的と思っているのかかなり理解に苦しむところであるが(食べすぎたあとの……って様相ですらある)、現代にはない色彩美であることは確かだ。

 科学では説明できない恐るべきパワーでこのようになったとしか考えられない。
 乱雑なようでいて、実はやっぱり整然としていない。
 って、バカなこと書いてすいません。長年放置されているだけです、間違いなく。
 
 でも、なぜ蓋だけが置かれてるんだ?あっ、丼や椀を置くと、肝心のおかずが見えにくくなるからか……

  早朝からツルツルできるらしい
 実はここ、廃業した店だろうって?

 そう思うあなたは正常な感性の持ち主だ。
 もし営業している店なら、かえって客を遠のかせるようなサンプルを飾ったりしないだろうから。

 しかし驚くべきことに、この日もちゃんと営業していた、と思う。営業中って札が出ていたから。
 採算が見込めないと旭川西武が閉店を決めたというのに、この店は営業し続けているのだ。

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 この店、メインメニューは#を、じゃなくて、伊勢うどんらしい。

 で、食べログなんかを見るとけっこう知られているらしい。
 店の壁にはどこどこのテレビ取材が来たとか書いた張り紙も。
 ショーケースの奥の壁には“優良施設”と認定された証も置かれている。

 やっぱり秘めたるパワーをもった恐るべき店なのかもしれぬ。

 そしてまた、6:30開店という早朝から伊勢参りを始める人にとってはありがたい店なのだ。きっと。

 ところでシューマンの曲についてはビレットの演奏で。

 1983年録音。IBA。

SchumannBiretBox

再び2日目のカレーの話♪チャイコのロメジュリ(by バーンスタイン)

TchaikovskyBernstein  2日目になるとハーモニーが……
 辛口な音楽批評をする許光俊氏。

 確認したいことがあって、氏の「クラシックを聴け!」(ポプラ文庫)を久々に開いたのだが、まったく読んだ記憶のないカレーについての記述にぶちあたった。

 実はエリシュカ/札響のブラームスを聴いて、そういえば許氏がどこかに日本のオーケストラなんて聴く価値がないようなことを書いていたような気がして、家に何冊かある氏の著作をぱらぱらとめくっていたのだ。

 許氏はこのエリシュカ/札響の演奏を聴いても、やっぱり日本のオケは聴く価値なんかないと自説を曲げないのだろうかと。
 が、そのときにカレーの話を見つけたのだった。
 それを読んだら変な気持ち、いや、どうでもいい気持ちになって、当初の目的である記述は探すのをやめてしまった(もし、日本のオケのことを書いていたのが許氏ではなく私の勘違いだったら許氏て)。

 許氏はクラシック音楽を真に理解するためにカレーをたとえに用いているのであって、おいしいカレーの作り方などもちろん書いてはいない。

 カレーは作った翌日が美味しいという人が、この世にたくさんいる。しかし、私はそう思わないし、ハウス食品の社員も、少なくともバーモントカレーは作ってすぐがおいしいとテレビで言っていたと、前に書いた

 許氏はこう書いている。

 ところで、「カレーは二日目がおいしい」とよく言われる。本当だろうか?
 たしかに、カレーに限らず、煮込み料理は二日目になると全体に味がよくなじむ。これをおいしいと考える人にとっては、確かにそう。けれども、そこに入っているひとつひとつの要素、つまり、おのおのの肉や野菜は確実に性格を弱くしてしまい、各材料間の緊張感はなくなる。したがって、この本で私が言っているようなハーモニーは生まれるべくもない。そんな味がなれ合ったカレーをごはんにかけて食べるのは、極端な話、ごはんにしょうゆをかけて食べるのと一緒だ。

 なんかよくわからないが説得力はある。
 このインパクトある文章がなぜ記憶に残っていなかったのか不思議なくらいだ。
 私の脳幹の緊張感のなさのせいだろう。

 でも、たまにTVなんかで紹介される何昼夜にもわたり煮込んで作るこだわりのカレー店の場合どうなるのだろう?ハーモニーじゃなく音塊になってしまってるよな、この理論からすれば。

  幻想的序曲という不思議なジャンル
 ところでこの本で最初に紹介されている曲。
 それはチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)の幻想的序曲「ロメオとジュリエット(Romeo and Juliet)」(1869,70/第3稿1880。この曲には作品番号はついていない)である。

 なぜ許氏がこの曲を選んでいるのかはここにちょっと書いているが、詳しくはぜひ本を購入して読んでいただきた(もう古本しかないけど)。

 「ロメオとジュリエット」はあまりにも有名なシェイクスピアの劇物語。多くの作曲家がこの物語を題材にした曲を書いているが、チャイコフスキーはバラキレフの勧めによってこれを書いた。

 が、幻想的序曲という不思議なタイトルがついているように、音楽は物語の筋に沿って書かれているわけではない。

 悲劇を予感するような序奏の主題、モンタギュー家とキャピュレット家の争いの主題、ロメオとジュリエットの愛を描く主題の3つのが順に示され、さらに3つの主題が絡み合いながら展開する。
 終わりに近づくと葬送行進曲風の音楽が現われ、最後は厳粛な力強い響きで閉じられる。

 今日は、作曲家として現代版「ロメオとジュリエット」である「ウェスト・サイド・ストリー」を書いたバーンスタインが指揮した演奏を。
 オーケストラはニューヨーク・フィルハーモニック。

 1989年ライヴ録音。グラモフォン。

 祝・北海道新幹線開業!

 私も昨夜前祝いしました。

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若々しいじぃじは道産子の誇り!♪エリシュカ/札響のブラ2

BrahmsSym2Eliska  学生は疲れてる?
 一時期立て続けに本が出版され、音楽評論でブイブイいわせていた自称・売文業の鈴木淳史氏。

 いまでもブイブイしちゃってるのかもしれないが、最近はあまり名前をみかけない。
 たまたまツイッターを見たら、元気ではあるようだ。

 その鈴木氏が「背徳クラシック・ガイド」(洋泉社新書)のなかで千秋真一指揮R☆Sオーケストラが演奏するブラームスの交響曲第1番について、次のように書いている。

 ……優秀な若手奏者によるオーケストラの旗揚げとして演奏されたブラームスの交響曲なのだけれど、それにしては老獪な印象の演奏である。……
 日本の音楽界が期待する若手指揮者、千秋真一はどうか。彼の場合、派手さのない堅実なタイプの指揮者ということはわかったけれど、それにしてもラトルやハーディングのデビュー時にあったような「若さあふれるインスピレーション」が恐ろしいほど皆無である。……
 若いのに何もかも体験したかのごとく擦れき切って、老臭さえ漂う演奏。……

 ところで千秋って指揮者とR☆Sオケについて知らない人もいるだろうから申し上げておくと、これは「のだめカンタービレ」の話。
 鈴木が書いているのは、この漫画で取り上げられている曲をCDにしちゃったというちゃっかり企画の演奏のことなわけだ。

 私はそんなものを買いはしないが、のだめをTVドラマで観たときのブラ1は年寄り臭いとまでは思わなかったが、ずいぶんとおもしろみのない演奏だなぁと感じたし、学生オケということでわざと上っ面っぽい演奏にしてんじゃないのかと深読みしたほどだ。

 実際の演奏は誰が振ってたんでしょうね?(って、ちょっと悪意が感じられる疑問の呈し方)

 なお、本日のタイトルはこちらを意識したわけではありません。

  オオカミ少年ウソつかない
 曲は違うが、同じブラームス(Johannes Brahms 1833-97 ドイツ)で、千秋のじいさん臭いと言われる演奏の対極にある若々しさを放ちまくっている演奏を。

 エリシュカ/札響による交響曲第2番ニ長調Op.73(1877)である。

 先日取り上げた第3番もすっばらしい演奏なのだが、この2番はその上をゆく。
 聴いていて、「あぁ、幸せすぎてなんだか怖いの」ってくらいだ。

 たとえばひょっとこのお面をつけるなどして(←冗談ですって)、覆面状態でこれを聴いてもらったら、これがつい最近までほとんど無名だった指揮者が振った日本の、それも在京ではないオケの演奏とは思いもしないのではないのだろうか?(それは3番やドヴォコンもそう)

 CDを手にしてから2週間ほどになるが、もう何回聴いたかわからないほどはまっている。
 だって、だって、とってもイインですもの。

 これまでこのブログでいろんな曲のいろんな演奏を、私は薦めてきた。
 だからあなたは、私のことを尻軽な節操のないやつとか、言うことがウソまみれのオオカミ少年みたいなやつとみなし、信じてくれないかもしれないが、それでも地球は回っている、じゃなく、なんと言われようとこれはウルトラお薦め盤である。

 2014年11月の札響第574回定期演奏会のライヴ録音。Altus。

 さらに驚きのあまり失神も失禁もしないで欲しいのだが、このCDに収められているウェーバーの歌劇「魔弾の射手」序曲モーツァルトの交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」も(つまりこの定演の全演目が収録されている)、ウルウル虎虎もののできばえ。

 発売元が書いていることではあるが、

 雄渾のブラームス実に圧巻のフィナーレ
 立派すぎる「魔弾」!
 端正にして気高きモーツァルト


というのは、全然誇大な表現ではない。

  ピリオドとはまた違う躍動感の「プラハ」
 モーツァルトは、かつてのモダン・オーケストラでは当たり前だった、甘ったるくコテコテした演奏スタイルとはまったく違う。ほんわかした幸福感の中にピシッとした緊張が貫かれている。こういうモーツァルトなら大きなオーケストラでもしょっちゅう聴いてみたいものだ。

 ウェーバーはホルンの音を耳にしたときに、札幌近郊の手稲山の姿を思い起こしてしまった。懐かしき自然!

 実はこの第574回定期はNHK-TVで放送されている。
 放送されたのはA日程(金曜日公演)のステージだったが、Altusによると“より燃焼度と完成度の高かった2日目の11月15日(アルトゥスは両日とも収録)をCD化いたしました”ということだ(CDの表記では両日が収録日として記載されている)。

 私もこの放送を観たが、CDを聴いて、しつこいようだがこんなにすばらしかったのかと驚きを新たにしている。

 そしてまた、この定期に出演し、TVでインタビューにも答えているヴァイオリンの石原ゆかりさん。
 彼女はがんと闘っていたが、翌月の12月8日に亡くなったのだった。
 このすばらしい響きの中に、彼女の弦の音も含まれているのだ。

 なお、エリシュカ/札響のブラームスとしては、来月4番がリリースされる。

遅々として進まないのは自らの読解力のなさと推察する♪伊福部/ピアノ組曲

ShibahashiIfukube  著者渾身の評伝、というのは確かだが……
 今年は伊福部昭の没後10年にあたる。

 それに合わせたのか、柴橋伴夫著「生の岸辺 伊福部昭の風景」(藤田印刷エクセレントブックス)が昨年12月に刊行された。
 私はこの本を北海道新聞の紹介記事で知り、1月末に購入した。

 大好きな伊福部昭に関する本だ。
 ふつうなら一気に読んでしまうところだ。しかし、いまだに半分までも読み進んでいない。

 時間がなかったというのはある。が、面白い本なら時間が無くても、時間を捻出しても読み進めるはずだ。
 そんなにまでは私を駆り立てないのはなぜだろう?

 著者は北海道岩内町生まれで、現在は札幌在住の詩人であり美術評論家であるいう。

 詩人だからというわけじゃないだろうが、文章は簡潔でカフカの小説のような難解さはない。
 また、この本を書くにあたって丁寧に取材したことがわかる。

 しかしである。

 著者の個人的な思いを書くのは全然いいのだが、推測で終わっているところが多いし、読者を誘導するような記述も少なくない気がする。

 いくつかピックアップしてみると、

 ・ 音楽家として生きることが「予告」されている、ともいえる。(20p)
 ・ 代々の先祖の霊に申し訳ないと、自らの非力を恥じたと推察する。(23p)
 ・ この音楽家の境涯を象徴しているではないか。(24p)
 ・ 私は、この宇倍神社の空間に何か見えない神秘的なオーラが立ち込めていると、感じた。(26p)
 ・ そしてこう想った。……「音の民俗誌」を訪ねるパワーを付与したに違いないと。(26p)
 ・ 私は、ここでその「臍の緒」を見つけたような気がした。(26p)
 ・ ふと伊福部昭が作曲した校歌を、どこかで誰かが今も口ずさんでいるのではないか、とも思った。(42p)
 ・ この事実は伊福部昭が映画音楽の道に入る素地を少なからずつくったのかもしれない。(62p)

 という感じ。

 著者が自分の思いを書くことは構わないが、あまりに多いと読んでいて疲れてしまうし、本書では取材で確認できた事実と取材に基づく推察の区別がわかりにくくなっている。
 
 また、ふつうといえばふつうなのかもしれないが、“貴重”という言葉が目につく。
 まっ、いいけど。

 ・ 一角に貴重なものを見つけた。(40p)
 ・ 歌志内の安楽寺訪問から、副次的だが貴重な発見があった。(81p)
 ・ そこに貴重な資料を見出した。(116p)
 ・ 貴重な集合写真を拝見できた。(118p)
 ・ 貴重な写真があった。(127p)

  “ド”は?
 さて、本書120pに「ピアノ組曲」(1933-34。1991年に「管弦楽のための日本組曲」に改編)をジョージ・コープランドに送ったことが書かれている。
 伊福部ファンにとっては良く知られた話だ。

 ……さらにピアノ曲「日本組曲」をジョージ・コープランに献呈した。どうしてジョージ・コープランだったのであろうか。話は少し前の事になるが、ビクターから赤盤で、ジョージ・コープラン「スペイン音楽集」が出た。
 さて当時、コープランドはスペインに滞在していた。日本の音楽雑誌には「スペイン音楽集」に対して酷評ばかりが載った。あまりに厳しい論調なので、三浦淳史と二人で「では実際に、聴いてみよう」と、市内にある冨貴堂に足を運んだ。……

 ジョージ・コープランドはピアニストである。

 「ピアノ組曲」を「日本組曲」と書いているのはまあいいとして(実際当初のタイトルは「日本組曲」だった。それを「ピアノ組曲」の名に変えた。上のリンク記事を参照のこと)、コープランドをコープランと書かれているのはいただけない(クープランみたい。でも、そのあとはコープランドになっている)。

 また、よく読めばわかるといえばわかるが、ジョージ・コープランドという人がピアニストだということもわかりにくい。
 コープランドといってクラシック・ファンならまっさきに思い浮かべるのは、昨日紹介したアーロン・コープランドだろう。こちらはピアニストだということには触れておくべきだろう。

IfukubeLauda ということで、伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の「ピアノ組曲」(1933-34)。

 伊福部と三浦が「スペイン音楽集」のレコードを聴いてその演奏に感激し、ジョージ・コープランドに手紙を出したところ、「日本の曲があったら演奏したい」という返事が来て、それを受けて伊福部が作曲したもの。

 作品はコープランドに送られたがスペイン内戦が勃発。
 そのためにコープランドとのやりとりが途絶えたため、実際に彼がこの曲を弾いたかどうかはわかっていない。

 伊福部はそのすぐあとの1935年に「日本狂詩曲」でチェレプニン賞を受賞。作曲家として広く名が知られることとなるが(でも音楽界の主流にはならなかった)、この「ピアノ組曲」が実質的なOp.1の作品となるわけだ。

 曲は、盆踊/七夕/演伶(ながし)/佞武多の4曲からなる。

 以前にも紹介した川上敦子による演奏を。

 2012年録音。ゼール音楽事務所。

ハッカに関するスッキリしない現象♪コープランド/滑稽なスケルツォ

CoplandBox  はびこりまくる強健種
 ハッカ、おしゃれな言い方をすればミント、は非常に丈夫な植物だ。
 ハーブではあるが、一歩間違えるとタチの悪い雑草になる。

 私も庭を作り始めたとき、ご多分にもれずハーブ類をせっせと植えた。

 ペパーミントだかクールミント(はガムの名前か)、パイナップルミントを植えたが、それは地下茎で広範囲にわたって繁茂し、抜いても抜いてもなくならない状況にある。
 また、一部は種子でも広がったと思われるが、ミント類は雑種ができやすいそうで、そうなるとペパップルミントのようなものが広がってしまっている可能性もある。

 これから庭にミントを植えようと考えている人がいたら、根が方々に伸びていかないように深めの鉢に入れるか、周囲に深めに板などを埋め込んだ方がいい。

 一度キャットミントというものを植えたこともあった。
 このミントは猫が好むそうで、確かにそうだった。
 目を離すとどこからか猫がやって来て、キャットミントの上に鎮座し、恍惚の表情を浮かべているのである。よだれこそ垂らしてはいなかったとは思うが、そのうっとりした顔つきはある種怖いものがあった。

 これでノネズミでも追いかけて恩返ししてくれるのならともかく、そうやって悦楽に浸ることしかしないので、キャットミントはすぐに抜いてしまった。

 ミントは防虫効果があるということで、部屋をミントの香りで満たそうと考えたことは報告したとおりである

  買うのもどうかと思ったが……
 が、先日園芸店でスペアミントのポット苗が売られていた。
 180円である。
 雑草のごとく繁殖する草に180円も出すのはどうかとも思ったが(雪が解けたら自宅の庭から抜いてもってくればいいのだし……)、それでも在庫処分で安くなっていたようだ。
 買ってしまったイケナイ私。

 それを買った理由は、丈夫なハーブなのでどんどん繁るだろう。だから1日に1枚葉をちぎってもまったく影響がないだろう。そしてその切り口からは、クールミントガムを食べた後の口からの息のように、新鮮な爽やかでスッキリしたミントの香りが放たれるだろう。と考えると、180円は安いものだ。ということだった。

IMGP0460 が、買ってきて4日後の朝。
 その強健でちょっとやそっとで易々とへこたれないはずのスペアミントが、間違って電子レンジに入れられたようにみごとに瀕死の状態になっているではないか!

 私の育て方が悪いって?
 私は店で買って、そのまま部屋に置いただけなのだ。
 育てるなんて立派な行ないはまったくしていない。
 はっきり言って運搬しただけである。

 となると、買う時にもうすでに死にかけていたとしか思えない。

 とはいえ、何度も言うが、雑草並みに強健なハーブである。
 根はしっかりと息づいていて、再び芽を出すに違いないと思っている。
 もしこのまま死んだとしたら、あの園芸店に騙されたと泣き寝入りする決意である。

 コープランド(Aaron Copland 1900-90 アメリカ)のピアノ曲「滑稽なスケルツォ -猫とねずみ(Scherzo humoristique - The Cat and the Mouse)」(1920)。

 ユーモラスな曲だが、「わぁ、滑稽だなぁ~!」ってほどのものではない(と私は感じる)。
 ただ、聴きばえのする小品である。

 スミットのピアノで。

 1978年録音。ソニークラシカル。

悪いのは新幹線?♪吉松隆/カムイチカプSym

Yoshimatsu1Fujioka  ちょっと危なくも見える……
 寝台特急カシオペアのラストランのニュースを目にした。

 かつては鉄道ファン、社会人になってからはふつうの鉄道好きな私としては、期間的にカシオペアや北斗星にはあまり関心がなかったが、それでも夜行列車がなくなってしまうのは少しさびしい。

 しかし、思った。

 3月19日の上野発のカシオペア。
 集まったファンというかマニアたちが、列車が動き出すと「カシオペア!カシオペア!カシオペア!カシオペア!」(以下繰り返し)と涙ぐんで叫んでいる。ほとんどが男だ。

 これを見て私は単なる鉄道好きにしかなりえないと思った。
 そこにいる人たちの思いはわからないではない。しかし、自分はそこまでのめりこめない。
 私がそう感じるということは、ニュースを見ている特に鉄道に思い入れの無い視聴者にとっては、けっこう奇妙な世界に映るだろう。
 私は彼らの同類には入れない。入れられたくない。入りたくない。

 なお、カシオペアというのは、ご存知の方も多いだろうがダブル型に5つの星が並んでいるので有名な星座である。もし知らないとしたら、小学校の理科の授業をまじめに聞いてなかった可能性がある。
 北斗七星に次いで知られているものかもしれない。が、ひしゃくなんて日常生活ではあまり見かけなくなった昨今、子供たちに「ほら、ひしゃくの形をしてるでしょ?あれが北斗七星だよ」って教えても、オジサンのイッテることアタシわからないっていう反応をされるかも……

20151220sKamui  新幹線の犠牲に?……
 ちなみに、北海道新幹線の開業に伴い、カシオペアのほか特急“白鳥”と急行“はまなす”が運転をとりやめる。
 また、新幹線開業とは直接関係ないが、旭川⇔新千歳空港間のスーパーカムイは廃止され、スーパーカムイはすべて旭川⇔札幌の運転となる(つまりL特急からそのまま快速エアポートへの、あるいはその逆の直通運転はなくなる)。

 まずい。鉄道(時刻表)オタクに思われたら困るので、音楽作品のご紹介に。

 吉松隆(Yoshimatsu,Takashi 1953-  東京)の「カムイチカプ交響曲(Kamui-Chikap Symphony)」(交響曲第1番)Op.40(1990)。

 おそらく(って言い方も変だが)、吉松作品のなかで私がもっとも好きな曲であり、だから過去にもここここここで取り上げている。

 今日もまた、藤岡幸夫指揮BBCフィルの録音で。

 1999年録音。シャンドス。

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