勘違いか?思い込みか?それとももしかして知らないのか?
先日紹介した柴橋伴夫著「生の岸辺 伊福部昭の風景」(藤田印刷エクセレントブックス)。
あいかわらずノリノリになれぬまま、かといってイヤイヤでもないものの、上りの坂道を自転車に乗って進もうとする老人のようにそれなら歩いたほうが速いぐらいの鈍速で読んでいる私だが、こりゃ驚いた!
写真のページ。ラインを引いた箇所の記述である。
「土俗的三連画」で伊福部昭はチェレプニン賞をとったぁ?
いや、こういう本に若き歯科医の奥歯のようにゆるぎなく書かれているのだから、私は一瞬ぐらつきましたよ、実際。
もしかして「日本狂詩曲」でチェレプニン賞受賞というのは、私の勘違いだったんではないかって。
あるいは今年になって急に「土俗的三連画」の間違いでしたってことになったんじゃないかって。
でもそんなことはない。あるはずがない。それは歴史を変えることになる。
百歩譲ったとして私が言えることは、そのとき町中を駆け巡った(ほんとかね?)のはデマだったということだ。
チェレプニン賞受賞じゃなくチェレプニン夫妻に献呈
伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)がチェレプニン賞第1位となる「日本狂詩曲(Japanese Rhapsody)」を書いたのは1935年のことだ。
その翌年にチェレプニンが来日。伊福部は1か月ほどの間、横浜でチェレプニンに師事している。
そして「土俗的三連画(Triptyque aborigene)」が作曲されたのは1937年。厚岸での林務官の仕事の合間に書かれた作品である。
この曲はチェレプニン夫妻に捧げられている。が、しつこく言うが、チェレプニン賞受賞作品ではない。
にしても、著者はどうしてこんなミスを犯したのか?
校正でなぜ気づかなかったのか?
もしかして音楽作品そのものには強い関心がもともとないのか?(ただしその2ページ前の“年譜風まとめ”では、1935年にチェレプニン賞で一等受賞(作品名は記されていない)、1937年に土俗的三連画が完成とただしく書かれている)。
いずれにしろ、この一節でこの本に書かれてある内容が信頼できるものかどうかに私としては相当大きなハテナマークがついてしまった。
やれやれ……
久しぶりに今日は山田一雄/新星日響の演奏を。
1986年ライヴ録音。フォンテック。
このCDの詳しい情報 【タワレコ】
⇒ 伊福部昭: 交響作品集(日本狂詩曲, 土俗的三連画, オーケストラとマリンバのためのラウダ・コンチェルタータ)<タワーレコード限定>(投稿日時点価格¥1.285)
または(写真掲載盤はこちら。2枚組) ⇒ 伊福部昭(投稿日時点価格¥2,160)