新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

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2016/02

4年ぶりに「誕生日おめでとう!」♪ロッシーニ/弦楽のためのソナタ

RossiniSonatas  理論的には亡くなったときは20歳?
 今日2月29日はロッシーニ(Gioacchino (Antonio) Rossini 1792-1868 イタリア)の誕生日である。また、例年なら2月はお休みの“肉の日”でもある。

 2月29日生まれの人は、自分の誕生日をどのようにとらえるのだろう?
 本当の誕生日は4年に1回なのでさびしく感じるのか、それともオレは4年に1度しか歳を重ねないので若いんだとワケのわからない自慢をするのだろうか?

 身近に2月29日生まれの人がいないので(少なくとも公言する人はいない)わからないが、血液型ABのRH-の人よりも希少な存在である気がする。

  怠け者でしたけど、体も弱かったんです
 ロッシーニはオペラの作曲家として知られている。

 その成功によって十分な金銭的な蓄えをもったせいか、まだ名声が絶頂だった1829年に突如として作曲をやめた。そしてそのあと亡くなるまで39年間は筆を折ったまま過ごした

 その理由は、それまでにオペラで十分稼ぎまくったということのほかに、もともと怠け者であったこと、強い芸術的信念にかられるような人ではなかったこと、そして体も弱かったことがあげられている。
 ロッシーニは友人に、ご婦人がかかる病気は子宮関係を除いてすべて患った、と語ったそうだ。

 そのロッシーニの作品から、今日はオペラではなく「6つの弦楽のためのソナタ(6 Sonatas for strings)」(1804)。
 なんと作曲者12歳のときの作品だ。

 各曲は、ト長調/イ長調/ハ長調/変ロ長調/変ホ長調/ニ長調で、第3曲以外は1825年から翌年にかけて弦楽四重奏曲に編曲されている。
 ということは、ロッシーニ自身もこの若書きの作品に愛着を持っていたのだろう。

 チャーミングで健康的で躍動感があり、清純さが漂う曲である。
 第1曲冒頭のメロディーはとりわけ有名だ。

 イタリア合奏団の演奏で。

 1987年録音。DENON。

 誕生日が2月29日っていうよりも命日が2月29日って方がすぐにみんなに忘れられそうな感じがして、気の毒度がずっと大きい気がする。

ノドグロが有名な地でのどが痛かった私♪WAM/K.136

MozartK136Koop  不等号が逆転した日
 ずっと

 a > b

の日々が続いていた。

 しかし、水曜日の夜はなぜか寝つけず、夜中にトイレに行った際にはちょっとブルッときた。
 いや、用を済ませたあとにブルッときたのではなく、トイレへ向かうときに寒さを感じたのだった。

 そして、木曜日の朝。
 起きるとちょっぴり喉が痛かった。

 a ≧ b になりかけたのだ。

 さらに木曜日の夕方になって、けっこうのどが痛くなった。
 完全に

 a < b に逆転した。

 aは緊張感であり、bは疲れである。
 aには“気の張り”を代入してもよいが、bに“気の緩み”や“やる気のなさ”を代入することは不可である。

  出張が続いたせいもあり
 先週はいろいろと動き回ることが多かった。

 火曜日は三重に出張した。参考までに言うと、昼は御在所SAの柿安でハンバーグカレーを食べた。

 水曜日は富士市に出張。興味はないだろうが、昼は静岡のハンバーグチェーン店“さわやか”で、ハンバーグを食べた。

 木曜日は再度三重に出張した。聞きたくもないだろうが、昼は名古屋に戻ってから“想吃担担麺(シャンツーダンダンミェン)”という店で担担麺を食べた。ここの担担麺のスープは美味しかった。
 が、名古屋に来て共通なことだが、麺が細めなのが私にはお気に召さない。札幌のESTAにある四川飯店の担担麺の麺は(特注らしいが)、ラーメンの麺ほど太くないが、こちらの麺よりは太いし断面がほぼ四角である。あの麺はスープと絶妙なマッチングをみせている。

 担担麺を食べた数時間後にのどの痛みが本格化した。

 まずい!
 この日の夜は、自宅でピーマンとウインナーを炒めたが、しっかりとニンニクスライスも入れた。
 ニンニクで風邪を撃退しようという作戦である(言っておくが、これ1品だけというさびしい食卓ではない)。

 にしても、ハイボールにいつもレモン汁を入れているというのに、風邪というのは一筋縄でいかない奴だ。

  早めのパブロン!
 金曜日。
 しかし、のどの痛みはさらに強くなり、本格的な咳も出るようになった。
 新任地での仕事や生活。疲れはたまって来ていたが、何とか気力でそれを克服していた。
 しかし、ついに気の張りバリアは風邪の侵入を許してしまった。バリアは1ヵ月もたなかったわけだ。

 この日は金沢に出張である。
 朝7時に名古屋駅構内の薬局が開くや否やパブロンエースAX錠とヴィックス・メディケイテッド・ドロップのオレンジ味を購入した。

 金沢はみぞれだった。それは雨に変わった。
 風邪ひきさんの私にとってはよろしくない天候だ。

 申し添えて欲しくないだろうが、この日の昼は“もりもり寿司”という店(回転の方ではない)で“こだわり握り”を注文し食べた。もちろん店は私のチョイスではない。この日は5人で行動していたわけで、金沢のことをなにも知らない私以外の4人はここに決めていたらしい。私1人だけだったらまた担担麺を食べてむせかえったことだろう。

 なかなか美味しい寿司だった。
 ボク、苦手なアジもハマチも食べたよ!

 そして昨日の土曜日。
 ほんのわずかにのどの痛みは残っていたが、驚異的な回復を見せた。私が。
 パブロンエースAX錠とヴィックス・メディケイテッド・ドロップ(オレンジ味)のおかげであり、かつ今回は食欲が落ちなかったことが勝因だと思われる。もちろんハンバーグ・パワーも回復を後押ししてくれたのだろう。

  元気で爽やかな姿で私は金沢をあとに……
 昨日の朝の金沢駅。
 特急“しらさぎ”に乗る前に改札内のトイレに立ち寄ると、天井のスピーカーからはモーツァルトの軽快で爽やかな音楽が流れていた。私の回復を祝福してくれているかのように。

 そのモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のディヴェルティメント ニ長調K.136(K6.125a)。

 この作品はK.137~138(K6.125b~125c)とともに1772年に書かれているが、3曲合わせてザルツブルク交響曲(Salzburger Sinfonien)」とも呼ばれる。
 編成は2つのヴァイオリンとヴィオラ、チェロであり、弦楽四重奏とも見なせる。
 一方で、各パートを複数人に割り当てて小アンサンブル編成で演奏することもできる。

 また、これらは通常のディヴェルティメントの形式とは異なりメヌエットを除いた3楽章構成で書かれているため、のちに管楽器を加えて交響曲の形に仕上げるつもりだったのではないかという説もある。
 ただ、この時代はディヴェルティメント(喜遊曲)とかノットゥルノ(夜想曲)などのジャンルの明確な区別はなかったのも事実である。

 コープマン指揮アムステルダム・バロック管弦楽団の演奏を。

 1989年録音。エラート。

 K.136はとても有名な曲だが、それでも耳にするたびに新鮮な喜びを感じるのは、やはりモーツァルトのすごさである。

歪まないものも、体感中(その1)♪グラス/浜辺のアインシュタイン

GrassAinstein  あぁ、この世界に無抵抗になりそう
 名古屋にだって名古屋めしじゃないものがある。

 当たり前だ。

 油断するとすぐに味噌が入っていたりはするが、全国的普遍料理はきちんとある。

 実際私の日々の昼食は極めてノーマルである。いや普遍的なものを意識して求めている。
 その努力の甲斐があってか、メニューの選択を間違えなければ、味噌汁が赤だしのことが多いだけで(私は赤だしの味噌汁はけっこう好きだ)、特有感はない。

 が、少なからずの店で一見普遍的と思われるようなメニューのなかに、地域特有の味付けのものが素知らぬ顔して、もしくは差別化して並んでいるので注意が必要だ。
 間違って、あるいは勢い余ってそれを頼んでしまうと、微妙なズレを体験することになる。ミニマル・ミュージックのように。
 もっともこの種の音楽はある種の陶酔をもたらせるが……


 じゃあ今日はミニマルといきましょう。


 グラス(Philip Glass 1937- アメリカ)の、「お、お願いっっっ!やめてぇ~っ」と叫びたくなる、けど「い、いや、やめないでっ!」と懇願したくなるような歌劇「浜辺のアインシュタイン(Einstein on the beach)」(1976)。

 グラスについてはこちら、さらにこの歌劇についてはこちらに書いてあるのでご参考に。

 
 私が持っているのはフィリップ・グラス・アンサンブル他による1976年録音のもの。それも抜粋版(全曲の演奏には5時間ほどを要するが、物語をもたないし観客も出入り自由。ということはまあ抜粋版であっても目くじらを立てるようなことは生じない(はず)。ノンサッチ)。

 現在このディスクは入手困難なので、1985年に再上演されたときの録音を(私は未聴。なお、こちらも抜粋版)。
 同じくフィリップ・グラス・アンサンブル他による演奏。

 レーベルはOMM。


  店員も百人力的に客をこなす
 入店から退出まで一貫してギガ速だった担担麺をすすり上げた翌日の昼はハンバーグだった。
 びっくりドンキーやヴィクトリアのような感じのメニューだが、親子連れで大変込み合っていた。
 味は★で言えば3.0くらい。つまりごくふつうである。

 そのあとの昼食を(すでにここここで紹介した店を除いて)思い出すままに列挙する。


 支社近くにある“百人力”(仮名)。
 ここの昼は潔く“日替わり定食”一種類のみ。
 店に入ると空いている席を案内されるが、そこでご飯を大盛りにするかあるいは少な目にするかを言わない限り、全自動洗濯機のようにコースが設定される。つまり有無を言わさずに日替わり定食が運ばれてくる。席に着いてから「ボク、ご飯少な目に」と言ったところでもう遅い。すでに食糧を持ったお姉さんが、あなたの横に到着しているからだ。

 このあたりは、同じく日替わり定食1種類しかないくせに、「日替わり2つ」(2人で行った場合)とか「日替わり3つ」(3人で行った場合)と注文の手順を踏まなければならない“ざくろ”とはまったく違う。それとも“ざくろ”の場合、過去に1人で2食頼む人がいて、それから用心するようになったのだろうか?

 “百人力”は働いているお姉さんたち(というかおばちゃんたち)がとにかくテキパキしている。
 「日替わり2つ」と言っても聞こえてんだか聞こえてないんだか、よく言えば謙虚な態度に終始している“ざくろ”

とはえらい違いだ。


 私が行った日は湯豆腐にチキンカツ(キャベツとトマト付き)にひじきの煮物。充分な量のふつう盛りのご飯に“ふつうの”味噌汁。
 これで650円である。


 650円といえば“荒涼庵”と同価格だ。

 混みだすと動物園の檻の中の虎のようにうつろな目で右往左往する荒涼庵のオヤジさんなら、この店ではとうてい勤まらないだろう。

 料理が出てくるのも速いが、客の回転も速い。それも、あの中華料理店のように居座り続け難いような雰囲気ではなく、食後すぐに満足感に襲われ、あとは社に戻ってのんびりしようって気持ちになるからである。


IMGP0117  ガラスのショーケースには飾られてるのに……
 支社近くにある“やよい軒”。

 現代風定食屋である。この会社のホームページには“JAPANESE TEISHOKU RESTAURANT”と書かれている。“ほっともっと”と同系列らしい。

 北海道にはないので知らなかったが、あるブログでこの名がよく出てきていて、てっきり私はその人の家の近所の大衆食堂のことかと思っていたら、チェーン展開するTEISHOKU REATAURANTだった。


 店の入り口横にはショーウィンドウがありサンプルが並んでいる。
 この構えは帯広のREKISHIARU RESTAURANT “ふじもり”を思い出させるが(写真はふじもり)、メロンソーダは無料サービスじゃないし、顔色の悪いリスもいない。そしてこちらの店は“ふじもり”と違って店内調理はしていないと思われる。

IMGP0116 店に入ると席を案内され、水が運ばれてくる。
 が、あとはテーブルにある端末画面で注文する方式。“笑笑”などの居酒屋のシステムが昼の世界に進出である。


  私は外のサンプルを見て親子丼を頼もうとしたが、なぜか端末画面には表示されない。
 結局カツ丼を端末からオーダーしたが、運ばれてきたときに店員に「なぜ、画面には親子丼がないんですか?」と尋ねたら「あらっ、ありませんでしたか?」という答え。「聞いてきます」と言われたが、もうカツ丼が目の前にあることだし、いいですとうやむやにした。

 カツ丼の味は★3.2ってところか。


  ブルドックがいいです
 支社近くにあるちょいとこだわりのある飲み屋

 昼のメニューは肉料理の定食が何品か。
 この日のわれわれは協調性を発揮して、揃ってトンカツ定食を頼む。

 ソースが3種類から選べるが、そのなかには味噌カツのソースもあった。
 私はしっかり「ただのソース」と頼んだ。
 油断するとオーダーミスにつながりそうで、緊迫感がある。
  
  ハンバーグにもオムライスにもMiSoがある
 名古屋駅の中にあるYEBISU BAR。
 外勤の帰りに立ち寄った。

 私はハンバーグ デミグラスソースを頼んだが、ここにもあった。ハンバーグ デミ味噌煮込みなるものが……。しかもデミグラスソースのものより高い。
 ほんと、どこにでも味噌メニューがある街だ。

 デミソース・ハンバーグの味は★3.8ってところ。

 ってな感じで、いまのところ昼は味噌メニューを巧みにかわしている。

 つまり昼間はあまりまないで済んでいる。

 池中さんが笑顔で私を“あんかけスパゲティ”に誘うが、私にはまだそれに挑む勇気がない。
 「時期尚早では?」とかわしている。

めざせレインボー戦隊!レオンカヴァルロ/「道化師」~カニオのアリア

OperaAriasDecca  間違いなくおしゃれである
 いま支社の中で毎日注目の的となっている人物がいる。
 羨望のまなざしで見られていると言ってもいいくらいだ。


 残念なことに、しかし私ではない。
 疎茄課長である。

 うらやましい限りだ。嫉妬で意地悪したくなっちゃいそうだ。

 彼の何が注目されているのか?
 それは疎茄課長が着てくるベストである。

 ワイシャツの上にピシッと着用したベストは、カラーも日替わり。
 もちろん彼は意識して替えているのだろう。
 扇子を持ち歩く人はいても、このようなセンスでベストを着こなす人は、これまで当支社ではいなかったという。


 考えてみれば私の前任地でもベストを着ている人はいた。

 すでに薄れかけている記憶を無駄を承知でたどれば、日向山課長は寒冷シーズンはベストを毎日着ていた。いや、私は日向山課長と毎日顔をあわせていたわけではない。しかし会うたびに着ていたから、帰納法だか演繹法だか三段論法だかは知らないが、きっと毎日着用していたに違いない。
 しかしそれは黒のものであり、何着持っていたのかはわからないが、日々目に見える変化を感じることはなかった。もしかするとあえて目立たないようにしていたのかもしれない。


 もう1人、ベストを着ていた課長がいた。
 が、その人の場合もいつもグレーだったような気がする。少なくとも還暦爺さん顔負けの真紅のベストとか夜のお仕事っぽいパープルのベストを着たのを見たことがなかった。もし着て来たら脱ぐように支社長から命じただろうけど。


 疎茄課長の場合、少なくとも私が知っている範囲内で以下のカラーバリエーションがラインナップされている。


 ・ピンク
  スモークサーモンは王子に限る。
  そんな確信が湧くと同時に、見る人の心をウキウキさせるような着映えのするカラー。
  派手すぎない色合いはデイリーで身に付けてほしくなるほど……
 
 ・白
  純真さが伝わってくる清楚な雰囲気。この装いの日には昼に担担麺のチョイスは禁物。
  でも、もし汁が飛び散っても、それもまたチャーミングに見えるかも……


 ・グレー
  落ち着いた中にも若さを失わないウォーム感のある明るいグレー。
  ネクタイの色を選ばないやさしい色合い。たまに蝶ネクタイで冒険してみては?


 ・ライトグリーン
  ホーホケキョとどこからかさえずり声が聞こえてきそうな春カラー。
  絶妙な控えめ感のさわやかな色合いは、くどくなく見ていて心が温まりそう。


 ・ブラウン
  ときにはちょっぴり渋めのオトナの色。
  丁寧に編み上げたケーブル編みが、見る人に縄文時代の先祖への感謝の気持ちを喚起します。


  気になる今日のカラー
 私はこの5色しか知らないが、まだほかにもあるのかもしれない。
 そしてエブリディ・サプライズなのは、着てくる色が曜日固定ではないこと。どのように決めているのかまだ確かめられずにいるが、乱数表でも使っているのだろうか?法則性が見いだせない。
 
 レオンカヴァルロ(Ruggero Leoncavallo 1857-1919 イタリア)の歌劇「道化師(I pagliacci)」(1892初演)から「衣装をつけろ(Vesti la giubba)」。

 「道化師」はプロローグと2幕からなり、作曲者自身の台本による。実際に起った事件をもとにしているといわれる。レオンカヴァルロにとっては、現在では唯一知られていると言っていい作品。

 道化師一座の座長カニオが、妻の浮気について現実と芝居との区別がつかなくなり、嫉妬のあまり芝居に出ている妻を観客の前で殺してしまうというもの。

 「衣装をつけろ」は、第1幕の終わりで妻の浮気を知ったカニオが、こんなときでも道化師として客を笑わせなきゃならないと歌う激しい感情のこもったアリアである。

 私が持っている音源は、“Favourite Opera Arias”というオムニバス盤に収められているもの。

 デル・モナコのテノール、モリナーリ=プラデッリ指揮サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団による演奏。

 1959年録音。デッカ。

 蟹男かぁ……

旅の疲れで……♪WAM/レクイエム(F.X.モーツァルトの父親による版)

MozartReisen  テストは成功でした。しかし本番では……
 名古屋に引っ越してきて最初に妻が洗濯機で洗濯をしようとしたところ ― そりゃそうだ。洗濯機で掃除はできないのだから ― 踏まれたカエルの悲鳴のようなブザー音とともに動かなくなった。

 つまり突然死したのだ。


 私はその日は当然のごとく(平日だったから)仕事をしていたのだが、妻からの訃報メールでそれを知った。

 このとき私の頭に浮かんだのは「家族」という映画のことである。

 文部省が推薦してたのかどうかわからないが、小学生のときに全校で浦河のセントラル劇場に行ってこの映画を観た。親も一緒だった。ということは、親子映画鑑賞の集いだったのだろう。


 九州から北海道へ家族そろって移住する話だというのはおぼろげながら記憶にあるが、いまあらためて調べてみると、長崎に住む風見精一が北海道で酪農を始めるべく中標津へ移住するという話。列車を乗り継いでの日本縦断である。 それも家族で(じゃなきゃ「家族」にならないか)。

 家族構成は、精一に妻の民子、2人の子供。それに父親の源蔵。

 高齢の源蔵は当初、広島の弟家族に引き取ってもらう予定だったが、招かざる客の雰囲気を察した民子がこのじいさんも北海道へ連れて行くことを提案し、5人で中標津に向かった。

 しかし、旅の途中でまだ赤ん坊の長女が病気で急死。
 ようやく目的地に着いた翌日の晩、地元に人たちが歓迎会を開いてくれたが、笠智衆、いや源蔵はそのまま亡くなってしまう。

 その死の場面が、たかが洗濯機であるがオーバーラップしたのだった。


 この映画が製作・公開されたのは1970年だという。監督は山田洋次。
 たぶんその後中学の社会で習った根釧地帯のパイロットファームを題材にしていたんだろう。


 ところで壊れた洗濯機(非日本製)は帯広で前任者が置いて行ってくれたものだ。
 そのご好意に感謝している。そして、引き続き遠く離れたこの地でも働いてもらおうと思ったのだが長旅に耐えられなかったようだ。引越屋さんがセットしてテスト運転したときには異常はなかったのだが……


 妻は右も左もわからないこの地で、ケーズデンキを探し当て新しい洗濯機を買いに行った。
 が、たどり着いたケーズにあったのはそんなに高いのは要らないというものばかり。
 そして妻は右も左もわからないこの地で、再び奔走し、ヤマダ電機を探し当てオリジナル洗濯機を購入した。


MozartRequiemGiulini  譲り受けたものはもうない……
 考えてみれば前任の方は冷蔵庫もそのまま置いて行ってくれた。
 冷蔵庫の方はいかにも前時代的って感じのもので、これまた3年ほど前に突然死した。

 このように決して望んだ結果じゃないが、冷蔵庫と洗濯機はまだ新しいのである。

 旅の疲れといえば、幼少のころから父と演奏旅行を続けたモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)。その延べ年数は35年の生涯のうち14年間に及ぶ。
 そしてこれが彼が短命に終わった原因の一つと考えられている。
 ここに載せたポストカードは今から10年くらい前に東京のどこかで買ったものだが、どういう人をターゲットにしているのかわからないが(私はターゲットの1人になってしまった)モーツァルトの旅の軌跡が描かれている。

 そのモーツァルトの、レクイエム(Requiem)ニ短調K.626(1791)。
 謎の人物ことF.v.ヴァルゼック=シュトゥパハ伯爵の依頼によって書かれたが未完に終わり、弟子のF.X.ジュスマイヤーによって完成された。

 ジュスマイヤーはモーツァルトの妻・コンスタンツェとできてたともいわれるが、そっちの方はできちゃったかもしれないが、このジュスマイヤーの補筆完成版の方は出来が良くないとされる。私はこれをずっと聴いてきたので巷で言われるほどひどいとは思わないが、評判が悪いということはやっぱり出来が悪いのだろう。
 そのため現在では別な版もいくつかできている。

 が、ここでは伝統的(?)にジュスマイヤー版による演奏を。

 ジュリーニ指揮フィルハーモニア管弦楽団、ドナス(S)、ルートヴィヒ(Ms)、ティアー(T)、ロイド(Bs)による演奏。
 強烈な印象を与える演奏ではないが、ジュリーニの真摯な姿勢が伝わってくる。
 私にとってはLP時代に初めて買ったこの曲のディスクで、まことに勝手ながら思い出深い。

 1978年録音。EMI。

4年で3ほど増えました♪ニールセン/若き芸術家……

20160117a  あらためて感謝、そしてさよならぽん
 今日はこちらへ来る直前の話を。

 いくつかの取引先が送別会を催してくれた。そしてまた、日にちがあまりないので夜が無理ならと昼食会を開いてくれたところもある、とてもありがたいことであり、うれしいことだ。

 そんななかギリギリでmasaさんの会社も私と秋吉課長のために送別会を開いてくれた(そしてここにも書いたようにmasaさんの会社の人たちは歌好き。二次会はスナックでカラオケ。私はお別れの気持ちをこめて“微笑がえし”を歌った)。
 ほかにも送別会の場を、あるいは送別ランチの場を設けてくださった方々にあらためて感謝する次第である。

  ワタシヤクタタズダッタノカシラ?
 ところで転勤が決まり、お世話になりましたと取引先各所に挨拶に回ったが、意外だったというか予想外だったことがあった。
 というのも、けっこう自分としては特にその会社の(その人の)ためになんとか役に立ちたいと力を注いだはずと自負していたのに、その相手が、「あっ、お世話になりました」的なけっこう通り一遍のそっけない言葉しか返ってこなかったことだ。
 これには正直、寂しいものがあった。そういうところは1~2カ所だけだったが、この世のはかなさをちょっぴり感じた。

  ちゃんと読んでます
 話を戻すと、masaさんはたまにメッセージもくれている。
 ブログ画面の左サイドバー下部にあるメッセージ欄から、あるいは本文の下にある“拍手”バナーをクリックすると出て来る“ひとことメッセージ”からである。「元気そうでなによりです」とかと。
 私がメッセージを読んでいるかどうかはmasaをはじめ投稿した人からは確認のしようがないが、ちゃんと読んでいます。ありがとうございますとこの場を借りて(って、借りるも何も自分のブログだが)お礼申し上げます。

JRHokkaido201602 と、まるで善人が書くブログのようになってしまったので軌道修正するが、今後しばらくは乗る機会がないであろう“スーパーとかち”にあった車内誌“THE JR Hokkaido”。
 この本に連載されている小檜山博の“人生讃歌”の2月のタイトルがたまたま“引っ越し”。

 その一部を引用すると、

 引っ越しの背景には学業や就職、結婚や転勤、新築、失職や離婚など悲喜こもごもがあるだろうが、人によっては一ヵ所に一年も住むと飽きてしまうとか、移住そのものが趣味という人もいるから複雑である。
 引っ越しが多いことがいいことなのか、よくないことなのかぼくにはわからない。ただ三回引っ越しすると火事にあったようなものだという比喩があり、転居のたびに不用な物を捨てるから財産が減るということなのだろう。確かにそんな気もする。

  でも実行できるだろうか……
 ところがなぜか今回増えた。体重ではない。今日のタイトルの3につく単位はkgではなく個である。
 帯広の4年間のうちに段ボール3個分増えてしまったのだ。CDが。

 45×30×30の段ボール(いうまでもなく単位はmmでも、ましてやmでもない)で3個増えていたのだ。この間オークションやブックオフで売ったものが段ボール0.4個分ぐらいあるので、はっきり言って実際に増えたのは3.4個分である。

 にしても、ブックオフに持って行ったもののほとんどタダ同然の値しかつけてもらえなかった、そのときのCDたちにはまっこと申し訳ないことをしたような気持ちでいっぱいである。でも、あなたたちの真価は私がよくわかっていたからね(←だったら売りに出すな)。

NielsenSet 今回の引っ越しでもう少し荷物を減らさなければと痛感した。
 CDの時代がこの先終わってしまうのかどうかはわからないが、ほとんど聴き返さないディスクは一応はオークションにかけてみよう。
 それで売れなかったら、私が死んだときに棺に入れてもらおう。入りきらなかったら、私を棺から出してくれてもいいくらいだ。火葬場で断固として拒否されるだろうけど……

 ニールセン(Carl August Nielsen 1865-1931 デンマーク)のアンダンテ・ラメントーソ「若き芸術家の棺の傍らで(At the bier of a young artist)」FS.58(1910)。

 2本のヴァイオリンと、ヴィオラ、チェロ、コントラバスという弦楽五重奏の編成だが、弦楽合奏で演奏されることも多い。

 ここでは弦楽合奏版で、ボストック指揮チェコ室内フィルの演奏を。

 2005年録音。membran。
 このCDはニールセン作品集10枚ボックスセットのなかの1枚。10枚で1500円ちょっとととってもお安い。
 ニールセンの生誕150年は昨年でもう過ぎ去ってしまったが、この作曲家を知るにはかっこうのセットだ。

 はい。あなたの心にいま引っかかりがあるとおり、私は芸術家でもなければ若くもありません。
 けど、そんなことで目くじらをたてないでください。この曲のように悲しくなっちゃうから。

中と外では酸素濃度が大違い♪JSB/2声のインヴェンション

2016021006190000 (2)  浜松と言えば……
 先日浜松に行って来た。
 取引先に着任のあいさつに伺うためである。

 午前中に出発し、ヒルイチにその会社を訪問することになっていた。
 ということは、浜松で昼食ということになる。

 私は悩んだ。

 というのも、その翌日は札幌から来客があり、すでに昼はひまつぶし、じゃなくて、ひつまぶしを食べることになっていたからである。これは動かしがたい綿密かつがんじがらめに組まれた予定であり、私の一存では変更はできない。する勇気もない(周囲に困惑され、ひんしゅくを買い、挙げ句の果てに嫌われるのは間違いないから)。

 浜松といえば、たぶんうなぎである。

 ここでうな重を食べると、翌日がひつまぶしであるから、幼稚園児が考えたとしても2日続けてうなぎを食べてしまいましたって結論に至るしかない。

2016020912370000 (2) これは危険だ。

 というのも、大阪にいたときに昼に2日続けてうな重を食べ、3日目の朝はひざ裏に激痛が走り、立ち上がるのもやっとで救急搬送された経験が私にはあるからだ。

 その激痛の原因はわからずじまいだったが、私がうすうす思うには、そしてそのときの医者も何となくピンときたのは、痛風発作じゃなかったかということである。

 それを思い起こしながら、不安と期待が入り混じる中、伏草(ふせくさ)課長が運転する車は浜松に向けて走り始めた。池中さんも一緒だ。

  へぇ、餃子も有名なんですか……
 最初の信号待ちのときに伏草課長が軽く振り向きながら、後部座席で片田舎から都会に出てきた老婆のようにかしこまって座っている私に言う。

 「今日の昼はギョーザにしようと思うんです。浜松餃子、有名なんですよ!」

 ハマ、マツギョウザ?
 意表を突く展開だ。
 私は聞きかえした?
 「浜美枝が仰天こえたあげく挫折したのか?」

 ってのはうそで、浜松餃子っていうのがあるの?と尋ねた。

 「はい。美味しいですよ」と、伏草課長は浜松餃子大使のように答えてくれた。

 でも、あぁ、よかった。ちょっぴり残念だけどよかったぁ。

 その店は築何十年かわからないほど、はっきり言ってボロ家だった。申し訳ないが。しかも写真の写り方も変だ。何かのパワーが働いたかのようなムラのある画像になっている。

 しかし、入口のイメージとは打って変わって、なかはけっこう広い。
 中央にコの字型のカウンターがあり、その両脇にも席がある。30名以上は収容できそうだ。
 その広い店内が寂しげかというと、否否、酸欠になりそうなくらいあふれんばかりの客。建物が高気密性だったらホントに酸欠になるところだ。うまくできている。しかも、店の辺りは閑静でほとんど人通りもない。この中だけが別世界だ。

 運良く私たちはすぐに席に着くことができたが、そのあとも続々と客がやってきてたいへんな状態。

2016021006190000 (3) 浜松餃子も、例えば札幌ラーメンのように、あるいは十勝清水の牛玉ステーキ丼のように、店によって味が違うらしい(当たり前か……)。

 そして浜松餃子が一般の餃子とどう違うかはよくわからないが、伏草課長がいうにはドラキュラも食べられるようにニンニクが入っていないので臭わないし、あっさりしているのでけっこう数が食べられるということだった。

 私は中皿を頼んだのだが、15個の餃子がのった皿が運ばれてきたときには思わず後ずさりしかけたものの(幸か不幸か席が狭くて「ずされ」なかった)、おやおや完食してしまった。確かに重くない。ライトな美味しさだ。

 この店(少なくとも私が見たサイトでは)、ランキングで第4位となっている。
 なるほど、混んでいて当たり前なのだ。
 そして伏草課長は私に最大限のおもてなしをしてくれたというわけだ。
 ありがとう。
 今度はラーメン(これまた安い!)も食べてみましょうね。だって、カウンターの端っこでビールを飲みながら2人のおじいさんが食べていたラーメンも美味しそうだったんですもの。いえいえ、あの人たちのようにおみやげに餃子を持ち帰るなんてことはしませんから……

 そのあと取引先を訪問したが、「おやっ、昼は餃子を食べてきましたね?」と気づかれることもなかった。臭わないというのはホントのようだ。単に気づいても指摘しなかっただけかもしれないが……

BachSchiff  こちらも15
 バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)の「2声のインヴェンション(Inventione a 2)」BWV.772-801(1723)。

 長男ヴィルヘルム・フリーデマンのために作られた15曲からなるクラヴィア練習曲である。


 この曲は好きだ。この際はっきり言っておく!


 練習曲とは思えない複雑な音の絡み合いと印象的なメロディー。かといって、バッハとしては仰々しくないライトな感触が魅力だ。過去、コープマン盤レオンハルト盤を取り上げたときに楽曲についても詳しく書いているので、餃子が焼きあがるまでの間にでもそちらをご覧いただければと思う。


 この曲はぜひともチェンバロ演奏で聴きたいところだが、たまにはピアノによるものを血迷って紹介しておこう。
 
 って、私はピアノ演奏による録音はシフのしか持ってないんだけど。


 シフのディスクは1977年録音。DENON。


 ちなみに珍宝楼(=美珍楼)の焼き餃子は1皿6個である(と記憶している)。でも、これがいたってふつうの個数だろう。

歪み、体感中(その1)♪グローフェ/ミシシッピ組曲

MurakamiChikyuu  僕もそう思います

 僕は思うんだけど、名古屋という場所の特殊性は、そこが押しも押されぬ大都市でありながら、どこかしら異界に直結しているような呪術性をまだ失っていまいところにあるんじゃないだろうか。で、その「異界」とは何かっていうと、結局のところ僕ら(つまり名古屋市民のみならず普遍的な日本人である僕ら)自身の内部にある古典的異界=暗闇なんですね。……


 ……名古屋という街には、何故かそういう暗がり部分が今でもずるずると残っている。これはもう「魔都」って呼んでもおかしくないんじゃないかと感じるわけです。どうしてそんな事態が生じたかっていうと、思うんだけど、これまで名古屋に全国レベルでのマスメディア的な注目が集まることがなかったからじゃないだろうか。つまり名古屋はこれだけの大都市でありながら、実際的には情報上のエアポケットみたいなエリアになってしまった。……


 で、そういう孤立進化の状態がもっとも顕著にあらわれているサンプルが、名古屋の食べ物なんですね。名古屋には名古屋でしか食べられないっていう食べ物がいくつもあって、名古屋市民に深く愛されていて、おいしいものはもちろんそれなりにおいしいんだけど、僕ら非名古屋人にとっては、どれを食べても「なんか変だ」というかすかな違和感がつきまとうわけです。「なんかがずれているんだよな」と感じる。……


 ……ところがしばらくしていったんその歪みに馴れてしまうと、今度はもう一生そこから抜けられないんじゃないかという、妖しい中毒性みたいなものが、名古屋の食にはあるわけです。……


 以上は村上春樹他による「東京するめクラブ 地球のはぐれ方」(文春文庫)に書かれている文である。


 まだまだ私には名古屋独自の食べ物について分析的に語るほどの経験をしていないし、果たしてその歪みとやらに馴れるのかどうかわからないが、まずはこちらに来てからの食事(外食)についての第一報。
 このなかには名古屋でしか食べられない物、じゃない物ももちろんある。


  セントレア空港のきしめん
 これはすでにご報告したとおりなわけで、衝撃はちっとも受けなかった。
 平べったいうどんとしか思えなかった。

 つまり「うぉぉぉぉぉぉ~っ!こ、こ、これがキシメンかっ!」という高揚感ゼロ。ふつうにおいしいんだけどね。考えてみれば名古屋の人もきしめんについてはほとんど言及しない(ような気がする)。

 が、名古屋の人が誇る(であろう)味噌カツ。この店で同時に食べた味噌カツは私の舌と相性が良くなかった。あの甘さが苦手だ。

  大成園の焼肉
 この焼肉店が有名なのかどうかは知らないが、こぎれいである接客も丁寧。そして味も良い。安心して、良い意味でのふつうの焼肉が食べられる。値段は決して安くはないが、かといってばか高くもない。


  世界の山ちゃん
 名古屋の街ではあちこちで嫌というほど見かける。札幌のすすきの近くにもあるが私は過去一度しか行ったことがない。
 こちらに来ても味は札幌と同じ(って、当たり前か)。コショウのお味が涙をそそるわ……

 カレーライスがあると、テーブルにおかれたチラシにも店内に貼られたポスターにも書いてあったので(自称“まさかのカレー”だという)、〆にちょっこと盛りを注文しようとしたら、店員さんがカタコトのニッポン語で「キョウダメ、ナイ」という。よく見ると火曜日限定とある。私が行ったのは木曜日。

 紛らわしいから火曜日以外はテーブルにカレーのちらしを置かないで欲しい。
 いや、いたらないは私なんだきっと。ちゃんと読まない私が一方的に悪いんだ、たぶん。

IMGP0324  鳥貴族
 焼鳥居酒屋。手羽攻めよりもこちらの方が品揃え的には好きである(もちろん“山ちゃん”なんかにも手羽先以外のメニューもあるけど)。たぶん妻なら山ちゃんよりこちらを好むと思われる。

 ただし店内はあまり貴族的ではない雰囲気。内装が金ぴかであるとか豪華シャンデリアによる間接照明にこだわりましたみたいなことを期待をしてはいけない。

 おそらく店名は貴族のようなお育ちの鳥を提供しているということなのだろう(と勝手に無理やり解釈しよう)。価格はどれも1品280円とわかりやすい。

 〆に食べたとり白湯めん(ちょうどいいボリューム)の味が、酔っぱらった舌に美味しく広がる。

  某中華料理店
 昼に行ったが、担担麺セット(担担麺+小ライス)が780円。単純比較は強引すぎるが珍宝楼より200円安い。

 しかし驚いたのは価格じゃなくて出てくる速さ。駅のホームの立ち食いそばでもここまで速くないというくらいのギガ速で出てきた。なお、3人で行ったのだが麻婆豆腐が1皿ついてきた。麻婆については人数分1皿盛りなのだ。

 注文の受け方も「あ?セット?3つぅ~!?ワカッタ!」とマゾならたまらない聞き方。そして捨てぜりふのような確認のしかた。運ばれてきた料理の置き方も、テーブルの表面を微細に摩耗させるようなたくましいもの。店内には粗雑な店員の言葉と、丼や皿を置くゴンっという音がこだまする。
 茹で上がりを速くするためかどうかは定かでないが、麺は細め。しかし速さゆえか私の麺は一部ほぐれておらず、」数本が束になっていた。
 味はまあまあ。深みがあると言えない。麺の量は少なめ。

 食べ終わると、それを監視していたかのように店員がやって来て即食器を下げる。そのあとは入れ替わり立ち替わりテーブルの周辺にスクランブル出動のようにやって来て、「アリガトゴザイマシタ」「アリガトゴザイマシタ」「アリガトゴザイマシタ」とひじょうに心がこもっていない感謝の言葉を機械的に繰返す。あんたたちいつまで座ってんのよという無言(ではないが)の圧力だ。まあ、客の回転が勝負だからね……
 あなたたちに残された時間はないと、時間の大切さを身をもってわからせてくれるランチタイムならぬランチモーメントを過ごせる店だった。


 山ちゃんと中華料理屋と鳥貴族に共通して感じたのは、全然落ち着いた感じがしないということ。
 テーブルと椅子のスペースが狭いのと、隣の席との距離が近いためだろう(中華料理屋は違う次元の事情の方が強いが)。


  えびすや本店
 そば屋。昼に行った。ここは美味しい。うどんやきしめんもあるようだが、名古屋でこういうそばが食べられるとは思わなかった。
 ここはいい!


  某居酒屋
 地元の人が頼んだどて煮をちょいと食べてみた。その人曰く、どて煮も家によって、また店によって甘さが強かったりそうでなかったりとけっこう違いがあるらしい。この店のどて煮は甘め。その地元民もこれは自分の好みではないと言っていたが、私に至っては言うまでもない。やはり甘い味噌味は苦手だ。そしてあのなんともざらつきた感じも私にはまだまだ相当な歪みに感じてしまうのである。


Grofe  火曜日じゃなかったけど……
 グローフェ(Ferde Grofe 1892-1972 アメリカ)の組曲「ミシシッピ(Mississippi)」(1925)。


 グローフェといえば「グランド・キャニオン」が有名だが、彼は他にもアメリカの観光地を題材にした組曲を書いている。「ナイヤガラの滝」、「ハドソン川」、「デス・ヴァレー」etc……


 組曲「ミシシッピ」は次の4曲からなる。


 1. 河の父(Father of the Waters)
 2. ハックルベリー・フィン(Huckleberry Finn)
 3. オールド・クリオール・デイズ(Old Creole Days)
 4. マルディ・グラ(懺悔火曜日)(Mardi Gras)


 この作品は決して録音点数が多くなく、あまり耳にする機会がないかもしれない。
 それでも少なからずの人がこの曲に含まれるメロディーを知っているはずである。

 というのも、ここにも書いたように、第2曲と第4曲のメロディーがかつて放送されていた“アメリカ横断ウルトラクイズ”で使われていたからだ。


 再びストロンバーグ/オーンマス交響楽団の演奏で。


 1998年録音。ナクソス。


もう実になってるかも?♪D.R.Dのブルックナー/Sym6

IMGP0289  咲いてたのは10日前のことでしたので……
 建国記念の日に名古屋城に行ってみた。

 いえいえ、建国記念の日が実は名古屋城に重大な意味を持つという意味ではない。
 休みなので出かけてきた。ただそれだけのことだ。

 ちょうど梅が咲いていて、私も多くの一般庶民と同様の行動にでた。

 つまり嬉々として写真に収めたのである。

 こういうのって撮ったところであとで感慨深く見返すってことはほぼ皆無なんだけど、なぜ撮りたくなるんだろう?
 で、しかも紅梅の方はもう終わりかけだったし……

  私が名古屋城を訪れるのは初めて。
IMGP0294
 本丸御殿に入るとまず驚くのが、やたら係員がいること。
 リュックはロッカーに預けろだの(100円玉はあとから戻ってくることを強調していた)、廊下の真ん中を歩けだの、足元に十分注意せよだの、やたらにしつこい。

 しかし、これは見学者の身を案じているのではない。大切なのは建造物。壁や障子の破損を回避するために細かに注意するのだ。

 やれやれ。
 事情はわかるが、もう少し控えめにできないのだろうか。美術館の係員のように……。どうせうるさく言ったところで、あちらの国の観光客のみなさまには通じないんだろうし。

 そしてまた、話には聞いていたが城そのものは現代建築。妻は大阪城と一緒でこれじゃあねぇと言っていた。戦災に遭ってもいるし、姫路城とかと比較してはいけないんだろうけどね。

 ところで名古屋城に行くのには地下鉄の市役所前で降りるのが最寄だが、ご存知の方も多いと思うが、ここに建つ市役所と県庁がすでに城である。知事の城とか、市長のキャッスルとかいう意味ではなく、外観が城……

 こうまでしたい気持ちはわからないではないが、このデザインが採択された事情はやや理解できない。

IMGP0284 初めてここを訪れて、これが名古屋城だと勘違いする人も、きっと150人に1人ぐらいはいるんじゃないだろうか?

 「パパはお城に勤めているの。お殿様のお気に入りだって母君が言ってたわ」って気の毒な勘違いをしている職員の子供も165人に1人ぐらいはいると思う。
 そしてそれは高学年になるにつれ減少すると推測される。

 おや、空を見上げるとスクールジャージが?

 いや、2本線の飛行機雲が。

 なかなか美しい光景だったが、カメラを空に向けてシャッターを押す私を、太った中国系外国人が八丁味噌ソフトクリームをなめながら怪訝そうに見ていた。

IMGP0318 ほっといてくれ!

  名駅へ
 城見学もほどほどに名古屋駅周辺へ。

 名古屋の人は“めいえき”と呼ぶ。最初耳にしたときは、なんの免疫かと思ってしまった。
 実際、名駅という住所地名もある。

 JRタカシマヤはひっどい人だった。
 が、店内も駅のコンコースも大阪のように無秩序ではなく、過密は過密でも東京ほどではない。ミャアミャアという声も聞こえてこない。
 この混んだタカシマヤの中にある、7階の東急ハンズでカーテンレールフック8個入り180円を買った。
 なんだか自分の行ないにむなしさを感じた。

 名鉄百貨店はほどよい混み方。あまりきちんと見なかったが、こちらのほうがタカシマヤよりも面白そうだ。もっとも百貨店に用があることなどほとんど私にはないが。

 名古屋駅と栄地区の商業施設の対比関係は、札幌駅と大通公園のそれに似ている。もちろん札幌の方がコンパクトだが……

Bruckner 6 DRDavies  貴族なみに歓迎?
 この日の夜は、やはりこちらの支社に転勤してくる疎茄課長が名古屋入りするというので、同僚の池中さんとともに彼・Mr.SONAの夕食の相手をしてあげることにした。

 歓迎のために手羽攻めにしようと思ったが、あいにくの祝日休業。
 そこで前回下見済みの“鳥貴族”にお連れ申した。

 前回も書いたが、この店が名前にふさわしくなく高貴な雰囲気ではないのは、その大衆価格ゆえの客層のせいもあると思う。
 この日はデニス・ラッセル・デイヴィスみたいな人が焼き鳥を串から引きちぎるように食べていたのを目撃した。

 そんなわけで、今日はここにも書いているように、この指揮者の顔に似合わないけっこう落ち着いてどっしりした演奏のブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第6番イ長調WAB.106を紹介しておこう。

 テンポが遅めなのが特徴の演奏だが、それがプラスに働いてスケールの大きいものになっている。
 個人的にはけっこうお薦めしたい。

 オーケストラはリンツ・ブルックナー管弦楽団。第1稿(1879-81)ノヴァーク版による演奏。

 2008年ライヴ録音。アルテノヴァ。

 ところで疎茄さんは北海道のそれも北の方からやって来たのだが、今回の移動では吹雪で交通障害に遭ってひどかったなどと嘆いていたが、私たちには「それはたいへんだったね」と“まなかな”のように声をそろえて応えてあげる以外言葉はなかった。

 

噴門をひらきましょう!♪クープラン/第19組曲

  面が割れてる老女はカキフライを頼んでいた
 すぐ先に観光名所(?)の寺があるにもかかわらず、Uターンし地下鉄の駅の方へと戻る。

 
 みたらし団子を食べてみた。

IMGP0269


 タレに甘みがなく、しょうゆせんべいをレアで食べているような感じだが、この味は悪くない。ベタ甘くないのがいい。が、「一度食べてみたかったのぅ!」的存在で二度目はない可能性は、個人的にはある。


 その向かいには、これまたガイドブックに載っている“ひらき”というレストランが。
 カニクリームコロッケが有名だという。

IMGP0281

IMGP0279


 数人が入口の外で並んで待っていたが、よし食べてみようということで、待つぐらいなら食べない方がいいという私のポリシーに反し、珍しく私たち夫婦も並んだ。

 私たちの前にはけっこう年配の、端的に言えば“老”な女性がいた。
 どうやら常連らしく、そしてこの店に魅せられているようで、私たちにここの料理は美味しい。なかなか(列が)進まないけど待つ価値がある、というようなことを話してくれた。

 おまけに隣にある食堂のこともついでに教えてくれたが、彼女曰く「そこのうどんも美味しいけど、でもなんでもあるんだけど、店が開くのが11時半って遅いの。そしてすぐに混むの。でもここは朝早くからやってるの。それでね、朝は定食はないの。でもね10時過ぎくらいからはあるの」と、暗に隣りの店の開店時間が遅いことを非難していた。


 やがて店のドアが開き、そのけっこう年配な女性は中から店員に呼ばれたが、「〇〇さん、お待たせしました」というものだったので、やっぱりしょっちゅうここに来ているのだろう。おしゃれ&リッチだ。


 とはいえ、かなりコストパフォーマンスが高い。実際彼女はおそらくはリッチだと思うが、リッチじゃなくてもしばしば利用できるリーズナブルな値段設定。

 老女が店内に案内されたそのあとすぐに私たちも入店を許された。
 私は日替わりのA定食を頼んだが、鶏のから揚げ3個にカニクリームコロッケ、ライスに味噌汁、コーヒーで750円。へたすりゃ味噌ラーメンより安い。

 一方妻が頼んだB定食はおかずは一緒で、ご飯とみそ汁の代わりに厚焼きトーストがつくというもの。

 これも750円だが、AもBも超安い。しかもボリューム満点。
 から揚げは1個1個が大きく、私は2個しか食べられなかったほどだ(敗因の1つはみたらし団子にある)。
 他のメニューも、こんなに食べられないというようなセットが容易に手の届く価格でラインナップされている。


CouperinOrdreCompBaumont  純な娘はプレッシャーにつぶされかけた
 近くの席に座っていた母と小学生らしき娘。

 女の子はスパゲティ・ナポリタンを頼んでいたが、こんもり盛られたナポリタンが運ばれて来た直後にトーストも。

 母親が「これ頼んでませんけど」というと、店員は「ご安心ください。ちゃあ~んと付いてますよ!」と、言い方は違ったし服も着てたがそのような旨のことを言い、あまりのボリュームに母親は壊れたように陽気になり、生真面目そうな娘は半べそをかいていた(ように見えた)。

 クープラン(Francois Couperin 1668-1733 フランス)の「第19組曲(Ordre No.19)」。
 1722年に刊行された7曲の組曲が収められた「クラヴサン曲集第3巻(Pieces de clavecin troisieme livre)」の最後を飾る組曲である。

 曲は次の7曲からなる。

 1. 信心男と信心女,または小屋芝居の一こま
    (Les calotins et les calotines, ou La piece a tretous)
 2. 信心女たち(Les calotines)
 3. 生娘(L'ingenue)
 4. 芸術家(L'artiste)
 5. ドミニコ会のある人物の転落(Les culbutes Ixcxbxnxs)
 6. プラチナ色の髪のミューズ(La Muse-platine)
 7. 陽気な女(L'enjouee)

 ボーモンの演奏で。

 1992年録音。ワーナー。

 なお、このCD(ボックスセット)は全集だが、国内盤で抜粋盤が出ている。
 その中にある、第19組曲からの2曲(第1~2曲)のタイトルは、上に書いたのとは別な訳で紹介されている。
 そっちのほうがユーモアチックで個人的には好きだ(上記のは井上和男編「クラシック音楽作品名辞典」(三省堂)による)。

 
手羽先の店ならさしずめ“鳥類食堂”
 豚を丸呑みしたアナコンダのように幸福感に満たされ、しかしながら早く噴門から食べたものが腸へと移動しなきゃたまったもんじゃないなと重苦しさを感じながら店を出ると、その食堂はあった。すぐ横に。

 麺類食堂とある。

IMGP0272


 なかなかありそうでない名前だ。
 丼物類食堂とか生もの類食堂とかもあると楽しそうだ。

 が、この店、看板に偽りありだ。
 というのも、かつ丼などもあるようだからだ。

 そして、もう1枚看板が。こちらの“玉屋”というのが本当の店の名前のようだ。

IMGP0274


 ここも有名店だそうで、セット物を注文するとそのボリュームはハンパじゃないらしい。

 
 この近くには花屋もあって、アロエ(いわゆるふつうのアロエ=キダチアロエ(アロエ・アルボレッセンス))が一鉢400円で売っていた。
 とっても買いたい気分が自動的に盛り上がったが、またこんなの増やしてどうすんのという妻の一理ある指摘に従ってがまんした。

 弘法も筆の誤り……
 って、この店は何の店だったのだろう?筆屋さんか?(筆屋って言葉はないと思うけど……)。

IMGP0270

 

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