新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は札幌の「宮川本店」の鰻重。 (記事内にアフィリエイト広告が含まれている場合があります)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2016/01

成人よ、今日は中途半端に盛りだくさんにしたぞ♪伊福部/若者よ挑戦せよ

20160109Carport  反動が怖い……
 昨日の記事でお気づきになった方もいらっしゃるだろうが、この3連休は自宅に戻った。

 それにしてもこれまでのところこの冬は雪が少ない。
 せっかく背の高い脚立を買ったのに、カーポートの屋根はご覧のとおり。雪下ろしの必要がないので脚立の出番がない。いや、これはすさまじく良いことなのだ。このままの調子でいってほしいが、そうはなるまい。その反動が怖い。

  NTTもどきのおいしくも怪しい誘い
 ところで家に帰っているときに、家電-カデンではなくイエデンと読んでほしい。つまり固定電話である-にNTTなんとかを名乗る若い女性から電話がきた。

 妻が出たのだが、やや高飛車な物言いで、いまならフレッツを1ギガタイプに変更してもレンタル機器代が無料になる。しかし、受け付けは電話でしか行なっていない。さあ、どうする?ってもんだった。

 どう考えてもおかしい。
 で、妻は断って切ったが、みなさんもこういう勧誘には気をつけましょう。

  こちらは突然だんまり化
 それはさておき、帯広のマンションの家電 -前回に習ってカデンではなくイエデンと読んでほしい。つまり同様に固定電話である- が死んだ。


 通話中に突然無音になった。

 そのあと、先方から再度かかってきたがコール音は鳴るものの出るとそこは底なし沼のように深いざらついた静寂。表示部分には“シバラクオマチクダサイ”とある。


 妻が数か月前から「この電話、話している途中に突然切れる」と言っていたが、私も初めてその事象を体験できた。買ってから4年。電話ってそうそう壊れるもんじゃないと思っていたけど、まっ、ホーマックで5000円くらいで買ったコードレス。メーカーは……全然目にしたことのない名前。親機と子機があるんじゃなく、親機そのものが子機みたいなタイプで、プッシュボタンの数字もすでに消えかかっている。

Zinmmermman 
祝・成人式
 電話を扱った音楽作品にメノッティの歌劇「電話」があるがそれはここで紹介しているので本日はパス。

 それに本日成人の日を迎えた前途洋洋のぴちぴちヤングに、たとえ電話のことであっても死んだとかなんとかという話題はふさわしくない。


 ところで私が成人を迎えたころ、成人の日は1月15日に固定されていた。
 そしてまた私らしく運の悪いことに、そのときは浪人中でそのあたりの土日が共通一次試験(センター試験ではない)にあたっていた。そんなとき成人式なんかに行く気になるわけがない。


 成人式が共通一次の前に終わっていたのか、それともこれからだったのかよく覚えていないが、試験前なら幸福そうな若人が集まる成人式に行くわけがないし、試験後だったら不出来に打ちのめされて、これまたノコノコと出かけるわけがない。


 私はその少し後になって記念のアルバムだけをもらいに区役所に行った。
 表紙に“はたち”と書かれているものだ。
 でも、いまでもちゃんと使っている。


  いずれ聴く機会があればぜひ!
 で、このように結局話題は明るい日差しを浴びそうにないので、いっそのことズッド~ンと暗くいってみよう!

 ツィンマーマン(Bernd Alois Zimmermann 1918-1970 ドイツ)の「ある若い詩人のためのレクイエム(Requiem fur einen jungen Dichter)」(1967-69)。

 この曲はかなり前に取り上げたが、まあその目新しさというかぶっ飛び度はいまもそのまま。

Ifukube TOHO MusicFile どう考えても作曲者の頭の中は明晰なる錯乱をきたしていて、聴いているものはとても疲れるしほのぼのとした気分には絶対なれない。


 けどこの曲、生で聞いてみたいなぁ……


 ベルティーニ/ケルン放送響ほかの演奏で。

 1986年録音。WERGO。
 と思ったら、タワレコにもアマゾンにも見当たらない。今日はあらゆる点でことごとくごめん。


 かわりに「若者よ挑戦せよ」という映画の音楽を。

 1968年東宝のこの映画、音楽は伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)が書いている。

 オリジナル・サウンドトラックで聴くことができる(“メインタイトル”と“プロポーズ”の2曲)。

 ……って、今朝は(まだ真っ暗だけど)夜のうちに雪が降ったみたいで、少し積もっている。
 雪下ろしとかの量じゃないが、雪かきしなきゃ。

先生は私たちを怒らなかった。妻は夫を叱った♪R.シュトラウス/vnソナタ

FranckVnSonataSteinbacher  突如スポットライトが!
 アメリカではトランプ旋風が巻き起こっているらしい。
 カードのことではない。次期大統領選の候補の名である。

 だが、新聞報道を読む限りかなり危険な人物のようだ。

 学校でトランプ旋風が巻き起こったのは小学5年生のときだった。
 こちらの話はカードのことである。

 何がきっかけだったかわからない。
 しかし休み時間ともなると教室のあちこちで机2つ分の“島”作られ、どいつもこいつもトランプに興じるのであった。いま考えると何と異様な光景だっただろう。


 しかし、これが花札とか百人一首なら異様を通り越して狂気の世界になっただろう。
 花札はどうしても賭博のイメージが強いし、百人一首ならば放課後の掃除前の教室のように机と椅子を後ろへ片付けなければならない。だいいち休み時間中に終わるわけがない。


 ところでトランプが流行ったとき一世を風靡した男の子がいた。カードのさばきかたがじつに上手いのだ。
 こういう子に限ってふだんはいるのかいないのかわからないくらい、いやそれすら関心をもたれていないくらい影が薄い。人畜無害だ。
 ところが彼は意外な特技を持っていた。あのパシャパシャパシャというさばき方でみなが彼の周りに集まり、ほぉ~という賞賛の溜息をつく。

 が、ある日突然のようにトランプブームは去り、あの子は再び目立たない世界へと帰っていった。

  ロマン主義へGo!
 トランプゲームが大好きだった作曲家にR.シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949 ドイツ)がいる。

 彼はスキャットという3人で行なうトランプゲームが好きだったが、おっかない奥さんであるパウリーネが「リヒャルト、さあ作曲にかかりなさい」とわめくとスキャットをやめて仕事場に向かったという(ハロルド.C.ショーンバーグ「大作曲家の生涯」:共同通信社、による)。

 そんな彼のヴァイオリン・ソナタ変ホ長調Op.18(1887-88)。
 3楽章構成で従兄のR.プショルに献呈された。

 R.シュトラウスが書いた唯一のヴァイオリン・ソナタであり、彼が古典派の作風からリストやワーグナーの後継者として交響詩や楽劇の分野へ方向転換を図った時期の作品である。ご存知のように転換を図った彼は後期ロマン主義音楽の頂点に立つことになる。

 フランクのソナタのときにも紹介した、アラベラ・美歩・シュタインバッハーのヴァイオリン、クーレックのピアノで。

 2012年録音。PENTATONE。

 今日は一週間前に頼んだスーツを取に行ってこなきゃ。

新年にあたってさりげなく大胆に断行♪グバイドゥーリナ/悔い改め

GubaidulinaGuitar  七草がゆの代わりにねぎを
 1月7日。

 荒涼庵に大きな変化が起こっていた。

 いえ、潰れたわけではありません。バスが突っ込んだわけでも、ドローンが落下してきたわけでもありません。


 さて、この日の昼は秋吉課長と大嵐係長と珍宝楼に行った。
 2016年初チンポーである。


 が、この日の私はちょっとした気持ちの変化から担担麺ではなくねぎ麺にした。
 醤油ラーメンのようなあっさり系のテイスト。小ライスはつけたが、やはり小ライスとの相性は断然担担麺が勝ることを改めて思い知らされた。


 余談だが、この日の裂竹さんの昼食は、手作りの七草がゆ弁当だったそうだ。

  狙ってる、絶対……
 ところで前にも書いたことがあるかも知れないが、かつて私がサボテン・多肉植物栽培に凝り、通販で苗を購入していた尼崎市の山城愛仙園のカタログに“珍棒閣”というまさに珍しいサボテンが載ったことがある(“珍宝閣”という呼び名もあるようだ)。

 もちろん買ってみた。なんとかいう柱サボテンの石化した品種で、トゲがないどころか無毛でツルツル。絶対ウケ狙いのネーミングだと思う。

 で、珍宝楼というネーミングは実は珍棒閣から思いついたのだった。


 それはそうと、珍宝楼に行くときに荒涼庵の前を通った。

  大きな進化、いや単なる変化が……
 いつもなら黒板に“バイキング”という文字と、その日のラインナップが例えばここに紹介したように殴り書き(本人はそういう気はないんだろうけど)されている。

 しかしこの日は、単純明快一発勝負とばかり大きな文字で


バイキング


としか書かれてない。


 いや、よく見るとその上に小さな文字で“メニュー豊富”と添え書きされている。


 これじゃあ“ざくろ”と同じで、店に足を踏み入れるまでいったい何を食わされるのかわからない。

 何かわからない上に、どのくらい豊富か見当もつかない。もしかして書き間違えただけで本当は“メニュー豆富”かもしれない。

 さらに驚いたことに650円と書いてある。

 なんの断りもなく一挙に100円の値上げ。率にして18%up。その場で食べるのと持ち帰るのとでは消費税率が違うなんてことがちっぽけに思えてくるぐらいの高率。じゅーはちぱぁせんとも上げたのだ。

 ただ650円という価格は昼の定食として、一般論としては決して高いものではない。しかも食べ放題なのだ。
 しかし荒涼庵の場合はその名の通り荒涼たる地下倉庫を思わせる殺風景さ。しばしばおじちゃんを叱りつけるおばちゃんの怒号が響き、照明は暗く、冬は寒い。


 広い窓、新しい椅子、ほほえみを絶やさない店員を備えた近くの“Piece of Cake”の日替わり(魚と肉の2種類がある)の値段が680円であることと比較すれば、バイキングとはいっても昼からそんなに暴食できるわけもない荒涼庵の650円という価格設定は暴利、暴騰、暴挙に思えてくる(もしかしたら正月休みの間に、豪華シャンデリアを天井から下げ、おばちゃんとおじちゃんが微笑がえしの練習をし、テーブルと椅子を新しいものに替えた上での価格改定かもしれないが、そこは未確認である)。


 ただでさえ客足が遠のいている荒涼庵が、この100円アップでこの先どうなるのか、心配はしないが興味深い。あとになって悔やみ再改定(もちろんプライスダウン)したとしても義理堅く利用していた貴重な客足が遠のいてしまっていたら、もうそうそう戻らないだろう。


  おもしろい奏法がいっぱい
 グバイドゥーリナ(Sofiya Asgatovna Gubaidulina ロシア)の「悔い改め(Repentance)」(2008)。 

 ショスタコーヴィチに激励されたことで知られる女性作曲家・グバイドゥーリナ。この作品は、3本のギターとチェロ、コントラバスのための作品だが、他の人のブログ情報などによるとギターの弦にスーパーボールを落とすなんてこともやらかしているらしい。

 実におもしろい音響が広がる。チェロの音は一瞬フルートかと錯覚してしまうし、ギターは甘い音色を放ったかと思うと筝のように弾けたりもする。
 ギターってこんなに表現の幅が、可能性があるのかと感心してしまう(でもチェロも大活躍)。

 私、この曲、案外と好きだ。紹介してくれたぶっちさんに感謝する次第である。

 メイン・ギターをタネンバウムが、第2・第3ギターをヴィロトーとプサラスが務めている演奏を。チェロはウィリック、コントラバスはライト。

 2010年録音。ナクソス。

2種のクレオソート、2種の舞曲♪ドビュッシー/神聖&世俗的……

DebussyRavelBoulez  愛玩犬が見苦しい猿になった(かも)
 おとといの仕事始めの日の夜は、支社某課の新年会があった。
 常識的には当たり前のことだが、それは年前に決まっていたことだった。
 しかし、私はそのことを知らなかった。聞き漏らしていたか、私へ伝え漏れらしていたらしい。
 よかった。この日はほかに予定が入ってなくて。

 突然のお誘いに、私は愛玩犬のようにしっぽをフリフリし「喜んでぇ~」とばかりついていったが、今年の干支に因んだのか単に安く済むからかわからないが、店は“山の猿”だった。猿と犬は仲が悪いがそんなことはどーでもいい。ハイボールが飲めれば問題などないのである。

 そして私は、飲み放題だからと意地汚くたくさん飲んでしまい、“酔っぱらいと猿”ではなく“酔っぱらった猿”のようになってしまった。


  百円ショップで奮発し三百円の商品を買う
 それとは関係のない話だが、去年の12月27日に負ったけが -右薬指の皮むけべろんちょ- がなかなか治らない。

 2年から3年前の年賀状を廃棄しようと百円ショップでシュレッダー鋏というのを324円で買ったのだが、これがなかなか扱いが難しかった。はがきだと1枚を切るのがやっと。2枚重ねると相当な力がいる。しかもサクサクサクと切り刻んでいけるものでもない。ワンアクションで刃と刃の間に裁断された紙が詰まるのである。

 が根気よく作業を続けた結果、終わってみれば指の皮がむけてしまっていたのである。


 ご存じのようにこういうケガは治りにくい。むけたところは透明な液(これも体液というのだろうか?)で湿潤地帯となり、乾いたかなと思ったらどこかにひっかけてしまい出血。血が収まると再び濡れた指……(まっ、やらしい表現ですこと)。

 6日もせっかく乾ききったというのに(この状態がまた実に痛痒い)どこかにひっかけてしまい、血が出そうな危機に。
 そこで職場にあった救急箱からバンドエイド(サビオだったかもしれない。いや、そんなメジャーなものじゃなかっただろう、きっと)をくすねて巻いた。

 ところが救急箱には正露丸(こちらは正真正銘のラッパのマークの正露丸)も入っていて、絆創膏にすっかり臭いがしみこんでいて、今度は指から正露丸の香りが立ち上り始めた。


 やれやれである。

 つまり私が言いたいことは、シュレッダー鋏を使うときには軍手をつけるべきだということである。


  臭いけどまったくもって安全です
 ところで正露丸のあの強烈な臭いはクレオソートのものである。

 クレオソートというと私も庭の枕木に塗っている防腐剤で、発がん性物質を含んでいるものもある。

 じゃ、正露丸を飲んでも大丈夫かってことになるのだが、ご安心ください。ちゃんと入ってませんから。


 同じクレオソートはクレオソートでも防腐剤に使われているのは石炭由来のもの。コールタールを蒸留したものである。
 一方、正露丸の主成分のクレオソートは木を乾留して得られるもので、日本薬局方にも木クレオソート(もくクレオソート)として載っている医薬品。工業用クレオソートとは別物なのである。

 だから、正露丸がないからといって、ひどい下痢の時に枕木に塗る防腐剤のクレオソートを飲んでは決していけない。もっとも正露丸がない家に、工業用のクレオソート油が備わっているという方が稀だろうが(わが家はそうだけど)。

  やはり年を取るとマルくなるのでしょうか? 

 おやおや、こんなことを書いている場合ではない。
 ブーレーズが5日に亡くなった。もう90歳にもなってたんだ……(サラが子どもを産んだ歳だけど)


 ブーレーズという指揮者をどうとらえていいのか、正直なところ私にはよくわからないところがある。
 90年代に入るとなかなか人間味のある良い演奏をしてくれたと思うし、そのあたりからの演奏はとても好きだ。しかしそれ以前の時期における、作品に対するクールすぎるほどのアプローチはさすがだと思う反面、どこか面白みがなく盛り上がれないという不満がある。
 
 今日は美しく精緻ながらもブーレーズさまの感情も芽生えたあとの、まあ強引に言うと世俗さがちょっぴり感じられる演奏を。


 ドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918 フランス)の「神聖な舞曲と世俗的な舞曲(Danse sacree et danse profane)」(1904)。


 ここに書いているように、ハープと弦楽のための協奏的作品。


 ウェルバウムのハープ、クリーヴランド管弦楽団によるこの録音は1999年。

 グラモフォン。


  あぁ、若いころから聴いてきた音楽家が次々と亡くなっていく……

胸やけが治まった後は悲劇的胸の痛み?♪テンシュテットのGM6

Mahler06Ten91  餅を詰まらせず済んだだけマシか……
 ご多聞にもれず、と言っていいのかどうかわからないが、正月中は食べ過ぎた。

 だらだらと1日中何かを食べていたのではない。朝から酒を飲んでいたわけでもない(私は朝でも昼でも、とにかく明るいうちからアルコールを飲むのはあまり好きではない)。
 そりゃいつもとは多少時間のずれはあったが規則正しく3度の食事をしていた。
 アルコールもいつもどおり夜しか飲まなかった。

 なのに1日の午後には胃が重く、胸やけ症状が出た。
 妻も同じことを言っていた。息子も同じ症状を訴えていた。
 が、息子はそうは言いながらも決して食欲は減退していないようだったので、私たちを欺いていたのかもしれない。
 そして息子こそが私たちを胸やけに追い込んだ犯人だったのかもしれない(うま煮にサラダ油を加えるなど)。

  何らかの発疹が出るのを恐れながら……
 しかし、3日の昼は雲間から突如陽が射すように、強烈な空腹感に襲われた。
 久々に少し歩いたせいもあるかもしれない。

 チカホを大通りからサツエキに向かって歩きながら、私は四川飯店の担担麺やびっくりドンキーのチーズバーグディッシュやらーめん共和国のどこかかに思いをはせていた。

 が、妻はあっさりしたものがいいという。「担担麺は頭にはないし、ハンバーグなんてとんでもないし、ラーメンは重い」とは言わなかったが、私とは正反対のベクトルであることは間違いなかったし、私も納得できるほどごもっともであった。

 そこで大丸百貨店最上階の飲食店街に行き、うどん屋に入った。

 が、このときの私は明らかにうどんだと物足りなかった。
 そこで、折衷案としてカレーうどんにした。

  カレーうどんに対する苦手意識克服?
 私はカレーうどんをあまり好まない。

 というのも、小学生低学年のある日曜日の昼。インスタントのカレーうどんを食べたときに、あんまり美味しく感じなく、さらに食べ終わってほどなくして風疹の発疹がポッツ、ポツ、ポツ、ポツと現われはじめたのだ。
 美味しく感じなかったのはすでに体調が悪かったせいだろうが、いずれにしろ私にとってカレーうどんは美しい思い出などない食べ物なのである。

 しかしカレーも食べたい気分になっていた私は、これしかないとばかりカレーうどんを注文したのだった。

 なかなか美味しいカレーうどんだった。私は珍しくもつゆまで完食した。

 しかし悔いは残った。カレーうどんを注文したあとに気づいたのだが、メニューの最終ページにカツ丼が載っていたのだ。失敗した。こういう性格だから私はバイキングでも入口のいちばん近くに意図的に置かれている焼きそば(もしくはナポリタン)から食べ始め、メインにたどり着く前に満腹になってしまうのだ。
 まあいい。そんな反省は自分の胸に抱けしまっておけばいい。
 ちなみにカレーうどんを頼んだが、欲望を抑えてご飯は注文しなかった。おかげで瞬間的に66kgまでなった体重は65.2プラスマイナス0.2kgで推移している。

  悲劇的ドライブではなく、ドライブにはGM6
 6日。帯広に帰ったときはたまたま運転中(運転しながらマーラーの6番と7番を聴いた)に昼がかかり、1時半すぎに到着はしたものの中途半端だと思って昼食を抜いた。

 これが功を奏した。

 胸焼けは化学消防車が放水したかのように焼失した。しかし、何かは言えないが正月中に気づいたある不安が私のキュートな心を支配しており、胸焼けは消えたが胸の悪さは残っている。

 車中でかけた第7番は高関のものだったが、6番はテンシュテットの91年ライヴ(EMI。現在はワーナーから出ている)。

 マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第6番イ短調「悲劇的(Tragische)」(1903-05/改訂1906,その後たびたび管弦楽配置を変更)が、運転しながら聴くにふさわしい曲とはとうてい思えないだろう。しかし今回試しにやってみると、意外といけた。
 しかもテンシュテット/ロンドン・フィルの壮絶ともいえる演奏。だが、イケた。

 つまり、「悲劇的」というマーラー自身がつけたかどうか定かでないタイトルをあまり気にせずに交響曲第6番イ短調としてとらえると、運転しているときにふさわしくないってことはないわけだ。

今さらながら1週間前のこと♪シューベルト/ます

OujiSalmon1  お徳用切り落としを求めて
 新春気分にバックギアを入れさせるようで、そしてまた仕事が始まってやるせなく思っている気持ちを助長させて、申し訳なく表面上だけは思うが、年末の話である。
 1週間前はまだ年末だったのね。
 これを読むと、休みが始まったころの淡い幸福気分を懐かしく思い出せるかもしれない。

 30日はでにご報告した通り、朝いちばんの特急で札幌へ。
 9:30過ぎに定刻通り列車は札幌駅に滑り込んだ。

 そのあとサツエキ周辺で買い物。
 王子スモークサーモンの徳用パックを買おうと、去年買った大丸の地下に行く。

 しかし間違いなく去年買った場所にはカニがゴロゴロ並べられていて、煙まみれになった鮭なんてお呼びじゃない雰囲気。

 はてな?

 当たりを4周したが目的のものは見当たらない。しかもなんでこんなに人がいるんだというくらいの混雑。
 間違いなくあそこに並べられていたカニの数より、通路を横歩きしたりご迷惑にも立ち止まっている人の数の方が多い(当たり前か)。

 その混みようにだんだん嫌気がさし、このままだとカニのように泡を吹いてしまいかねないと場所を移す。

OujiSalmon2 次に行ったのは東急百貨店である。
 大丸と比べると、ずっと買いやすい混み方。こういう適度さが快適だ。

 しかし王子サーモンはなかった。別なスモークサーモンはあったのに……
 で、なぜかカニ甲羅揚げとテリー伊東の兄・アニー伊藤の店の玉子焼きを買ってしまった。

 そうだ、去年はここでレトルトのうなぎのかば焼きを買ったんだった。そのことを思い出す。

 が、妻に「結局、正月中は食べなかったじゃない?」という、まさに鋭い指摘を受け買うのをやめる。

 昼食用に天一で天丼弁当を買う。
 やや年配の店員さんが商品を手渡す際に「ありがとうございます。良い年でありますように」と言ってくれた。
 こういう言葉を添えるところに、この店員さんはただ者ではないと思った。みごとな接客だ。また今度天丼弁当を買いに行きますからね。そんな気持ちになった。

 次にESTAに行く。
 ここでようやく王子スモークサーモンを発見。
 時鮭のとサーモントラウトのがある。両方とも100gパックで540円。

 私はサーモントラウト(もしくはトラウトサーモン)が苦手だ。あの脂がのったところがダメなのだ。
 そもそも“鮭鱒”とか“鱒鮭”ってなんなんだよって感じだが、これってニジマスを海で養殖したものらしい。淡水生活のニジマスを海で育てて鮭らしさを身に付けたってわけだ。
 で、私は時鮭のスモークサーモンを当然のごとく選んだ。

SchubertTroutDemus  この鱒、ピチピチしてますぜ、奥さん
 シューベルト(Franz Schubert 1797-1828 オーストリア)のピアノ五重奏曲イ長調Op.114,D.667「ます(Die Forelle)」(1819)。

 編成はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ピアノで、5つの楽章からなる。

 変奏曲となっている第4楽章にC.F.D.シューバルトの詞による歌曲「ます」Op.32,D.550(1816⇔17)の主題が使われていることからこの通称をもっている。

 デームスのピアノ、シューベルト弦楽四重奏団の演奏を。
 デームスがまだ30歳という若さのときのはつらつとした、まさに水しぶきをあげて飛び跳ねるような演奏。
 日本初CD化である。

 1959年録音。グラモフォン(TOWER RECORDS VINTAGE COLLECTION +plus)。

 帰宅し天丼を食べ30分ほど昼寝し雪かきをした。
 こうして1日が終わった。

20151231Josetsu  大晦日のお仕事、お疲れ様です
 翌日の大晦日。

 早朝に除雪車が入った。1年の最終日の出動、お疲れ様である。
 私はそのタイヤの跡に感謝の思いを告げた。

 ごみの年内最終収集日。
 大晦日も休まず、定められた曜日に忠実に従って収集しに来てくれるとは実にありがたい。
 が、こういうとき(祝日とか特別な日に当たった収集日)はやって来るのが早い。早く終わらせたいってことなんだろうな。
 もたもたしているともう行っちゃいましたってことがある。
 あらゆるゴミ(といっても、ちゃんと燃やせるゴミだけ)をかき集め早々に出す。

 そのあとは家の中を掃除したり、ちょいと用が出来てコンビニに行ったが、コンビニに行ったついでにスーパーの百円ショップに寄って、サボテン用肥料を買う。

 なんでよりによって大晦日に肥料を買わんきゃならんのかその発想が自分でもわからないが、なんとなく買ってしまった。これって植物愛だということにしておこう。

 午後はふろ掃除をする。換気扇の掃除は面倒なのでやめた。妻も張り切り過ぎて毎年反動が来ているのだからそこそこにしなさいと言う。だからそこそこにした。

 午後2時40分に寿司が届いた。3時台、場合によって早まるかもという約束は守られた。
 しかしこういう宅配のバイトは大変だなぁ。

 そして夜になり、今年1年を顧みることなく食事をし、10時過ぎには起きてられなくなって寝てしまったのだった。

 こうして私の知らぬ間に年が明け、だらだらと過ごし、今日からお仕事である。

 さっ!やるぞ!仕事に行くのが楽しみだなぁ~(って、今年最初(いや、もう26回目ぐらいか?)のウソをつく私)。

行き慣れない建物の9階に行ってただ降りてきた♪JSB/無伴奏vc組曲

IMGP0096  ついに本日限り……
 恐れていたことがにわかに現実味を帯びてきた。

 つまり私の正月休みは今日で最後という事実を突きつけられているわけであり、そのことはすなわち明日から仕事ということを意味する。

 2日にホーマックに脚立を買いに行ったときには、まだ休みのまっただなかで、180cmのブツを持って歩いて帰って来るのはそりゃあ決して楽じゃなかったけど、まだ気持ちに余裕があった。

 翌3日は札幌は大通りまで出かけた。
 鳩に餌をやりにいったわけじゃない。札幌の老舗デパートのマルイ(MARUI IMAI)でスーツ3着セールをやっていることを元旦の新聞の広告で知り、滅多に行かないマルイまで行ってみたのだ。3着で32,400円らしい。つまり税別で1着あたり1万円。

 が、会場である9階催事場に行くと、試着待ちのおっさんたちの長い行列。ビアガーデンのトイレ待ちの行列以上だ。
 それを見てすぐに私の気持ちは萎えた。萎えたどころかふだんなら選択しない思いつきでこんなところまでやって来た自分に腹が立った。

 私は自分の体形がA6なのかAB5なのか、あるいはAB6なのかよくわからない。
 仮に根性を出して、それぞれを1着ずつ手にして並び、ようやく試着室に入り、やっぱりAB6だとわかったはいいが、じゃあ新たに残り2着のAB6をどのように手にしろというのか?
 一度試着室を出て、また並び直すのか?
 それとも試着室は押さえたまま、探しに行く権利を与えられるのか?しかしサイズがAB6ならいいってもんじゃない。色や柄だって吟味しなきゃならない。
 まあいい。どっちにしろ「やーめた」と帰って来たのだから。
 で、サツエキの方に戻るとき、観光客のように道庁なんかを撮ってみた。

 腹が立ったのがおさまると、猛烈に腹が減ってきた。
 で、大丸の上で昼食をとった。

AsadaTengoku  買い慣れた店がイチバン?
 結局は失意のまま帰り、自宅エリアのイオンに行ってスーツを買った。
 2着目は半額というセール中。2着で35,000円ほどだったから、マルイで買うより1着少ないものの、品物はむしろこっちの方が良い感じがした。最初っからこうしておきゃよかった。

 昨日はイオンにスクラッチくじをやりに行った。スーツを買ったときにもらった抽選券を持って。

 スーツを買ったとき、売り場からくじ引き会場へ行くと、これまた観光バスが5台同時に到着したパーキングエリアの女性トイレ待ちのような、アナコンダも真っ青の長蛇の列。
 地味な期待は失っていない。しかしどうせ当たらない確率が異様に高いに決まってる。なのにボーっと並ぶのはバカ臭い。だから潔くあきらめて帰って来た。

 しかし心に引っかかるものがあった。
 というわけで、いさぎよくなく昨日リベンジしに行ったのだった。
 もう平日かつ正月休み終了という人が多いせいか大して待たずに挑戦できる。そういうはずだったのに、見事に目論見が外れた。列はまるで入場制限を受けて会場になかなか入れない勝毎花火大会の客のように前日に勝るとも劣らないほどの長さ。
 たが人間たまにはがまんも大切とばかり並ぶ。
 そして見事に15戦全敗だった。

 そして今日は仕事復帰のために195kmほどのドライブ。マルイ、いやマイルでいうと約120マイルである。

 浅田次郎の「天国までの百マイル」(朝日文庫。私は電子書籍を購入)は、ちょいとクサいところもあるものの、なかなか感動的な物語であった。

 ストーリーとしては重度の心臓病を患った母親を、神技的手術ができるという医者がいる100マイル離れた病院に一か八かで連れて行き、見事手術は成功、めでたしめでたしってものだが、ここに出てくるマリさんという女性が身を引くところが、やっぱりね的な展開にも関わらずグッとくる。ってなに言ってんだかわかんないだろうけど、天国というのはこの医者の派閥とは無縁の名医がいる病院のことだ。

  商品名を思いだせないということはCMとしては致命的?
 バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の「6つの無伴奏チェロ組曲(6 Suiten fur Violon-cello allein)」BWV.1007-12(1720頃)。
 チェロの独奏曲として特別な位置付けに輝く名曲である。が、ずっと聴いていて退屈しないかというとウソになる(感想には個人差があります)。

BachVc この曲で特に有名なのは第1組曲の冒頭。
 私が子供のころによく流れていたウイスキーのテレビCMで使われていて、大人になったらこんな渋い曲を聴きながらウイスキーを舐めてみたいわい、なんてことはまったく思いつかなかったが、のちにクラシック音楽を聴くようになって、この曲がクラシックだと知ったときには、なぜか自分のことのようにうれしく思ったものだ。
 で、なんつーウイスキーだったんだろう?覚えてない。

 ところでこの曲のCDだが、私は1960年録音の名演と言われるフルニエによる演奏のものしか持っていない。

 すごい曲だとは思う。畏敬の念すら感じる。
 けどいろいろな演奏を聴き比べてみたいという気持ちにまではならないのだ。
 やっぱ、私にはけっこう多くの部分が退屈に感じるからか?
 リビングで読書とかいうときのBGMにはいいのかも。

 おっと、なぜ今日無伴奏チェロ組曲を取り上げたかというと、「天国までの百マイル」に次のような記述があるからだ。

 海の底のように静まり返った薄闇に、チェロの無伴奏曲が流れていた。

 これだけだと、誰の無伴奏チェロ作品かはわからない。意表をついてプロコフィエフの無伴奏ソナタ嬰ハ短調かもしれない。

 耳を澄ませばチェロの音色とともに潮騒が聴こえた。まるで遥かな沖合に浮かぶ小舟の上で、天使がそれを奏でているようだ。

 天使ってラッパばっかり吹いてるんじゃんないんだ……(それと犬に天使の羽根をつけないでほしいな)

 婦長が扉を開けると、ふいにたおやかなチェロの音色が安男をおし包んだ。
 「じきに終わりますから、しばらくお聴きになっていらして」
 祭壇にかしずいて祈りを捧げる神父のうしろで、曽我医師がバッハを弾いていた。ステンドグラスの彩かな光に隈取られた巨体が、弓弦(ゆづる)の動きとともに左右に揺れる。……
 やがてバッハの無伴奏曲を弾きおえると、曽我はおもむろに、安らかな曲を奏で始めた。


 羽生のことではない。あっ、それは結弦か。
 ここでようやくバッハと無伴奏チェロ作品が結びついた。

 それにしてもこれから繊細な指先の動きを必要とする大手術をしようというのに、チェロを弾くなんて信じられない。
 私なんぞ、電車で脚を組んで座っているだけで、いざ降りようと立ちあがるとしびれ気味でふらつくことがあるというのに……

ジュピターリンツハフナーで軽快に出かけようぜ!?♪WAM/Sym35-36,41(フンメル編)

MozartSym35Hummel  初出動の準備にとりかかれ!
 今日から仕事始めという方も多いだろう。

 が、私の場合は6日が仕事始めである。まだ休みなのである。
 個人的にサボっているのではない。わが社は休みに入るのが遅い分、始まるのも遅いのである。

 元日の朝は曇り空ながら穏やかな正月を迎えたわいと思いきや、6時前からけっこうな雪が降り始めすっかり重い気分になった。幸いにも2時間ほどで雪は止み、雪かきもほとんどしなくて済んだが1年の計は元旦にありって言葉もあるくらいだ。今年1年雪かきのようなことばかりに追われるんじゃないかと心配になる。

 本日このあと仕事に向かう人(そのうちウキウキ気分で出かける人は半数以下と思われる)や1年の計を刑のように背負ってしまった私(および多くの市民)のために、せめて今日は軽快でストレスフリーの音楽を。

  う~ん、実にサロン的だ
 モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91)の、

 交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー(Haffner)」(1782)
 交響曲第36番ハ長調K.425「リンツ(Linz)」(1783)
 交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター(Jupiter)」(1788)

 でも、オリジナルの管弦楽版ではなくあなたの足取りを軽くすべく、今日はフンメル(Johann Nepomuk Hummel 1778-1837 オーストリア)が、室内楽に編曲したものを。

 フンメルはモーツァルトのウィーンの家に2年間住みこんでピアノを習ったが、その後はハイドンやサリエリに作曲を学び、またベートーヴェンとも親交があった。
 つまりいまは多くの人がフンッとあまり関心を持たないが、当時はピアニスト、作曲家としてかなり有名だったわけだ。

 このモーツァルトのシンフォニーの室内楽編曲版(CDでの収録順は36番・35番・41番)は、編成がピアノ、フルート、ヴァイオリン、チェロというもので、1823年から24年にかけて作られたらしい。

 編曲の目的はわからないが、恩師へのオマージュといったところだろうか?
 名ピアニストだったフンメルらしく、ピアノが活躍する。

 クリューガーのピアノ、グロットのフルート、アイヒホルンのヴァイオリン、ルンメルのチェロで。

 2012年録音。ナクソス。

   このCDの詳しい情報 【ナクソス】
 ところで昨日は“三日とろろの日”だった。
 なんじゃいそれ?って、1月3日がこのような日だということを、私もスーパーのちらしで知った。

 もともと東北かどこかの風習で、正月で疲れた胃をとろろで元気づけるということらしい。

 理にかなっている。
 それに喚起されたわけではないが、私は昨日とろろを食べた。

 それにしても、こういうふうに全国区の習慣にしようという流通業の着眼点と商魂には恐れ入る。

 おっと、来月は恵方巻の月だな……
 

初売りに出向いてみた♪ロッシーニ/絹のはしご

Rossini Semira  張りきらないで初売りに向かう
 昨日は多くの店で初売りだった。

 私の住む地域でも2日が家電量販店やホームセンター、スーパーが新春初売りを行なった。セイコーマートは元旦から地味に営業しているのに話題にならないのは気の毒だが、それはコンビエンスストアの宿命というやつだ。

 初売りとはいえ、福袋にはまったく興味のない私である。
 中学生のとき、中学生であるにもかかわらずコープさっぽろ(当時の呼び名は札幌市民生協)の福袋を何をとち狂ったか買ってしまい、フライパンだの婦人用手袋だの三角コーナーだのが出てきて以来、福袋はまったく自分に福をもたらすものではないことを悟ったからである。

 もっとも現在と当時は違う。
 あのころの福袋は“男性向け”“女性向け”、あるいは“若者向け”“壮年向け”といった親切な区分けがされていなかったし、ましてやあらかじめ中身がわかる福袋なんて存在しなかった。思いっきりばくちだったわけだ。

 じゃあセール品が目当てで今回私が初売りに出陣したかというと、そうでもない。

 私の目的は“脚立”であった。

 そう、ご指摘のとおりである。
 何ら新春とは関係のないものである。まだ漬物用樽の方が新春っぽいくらいだ。
 しかし備えあれば憂いなしである。大晦日の夜に脚立を買っておくべきだと悟ったのであった。

 これまでも自宅には脚立があった。
 脚立時の高さが120cmほど。伸ばしてはしごにしたときは240cmほどになる。
 が、これでは足りないのである。いや、私の知恵ではなく高さが。

  相当無謀な賭けともいえる作業
 実は今から3年くらい前だったと思うが(確か阿古屋係長と出会った年だ)、自宅のカーポートが雪の重みで傾き立て替えざるを得ないはめになった。

 ところが新しいカーポートは屋根の高さが前のものより50cmほど高い。
 つまりこれまで使っていた脚立(はしご)では届かないのである。

 では、去年やおととしの冬に雪下ろしをするときにどうしていたか?
 実はすっかり真冬になって雪や氷で地表面の高さがかさ上げされたときに、かなり危険を伴いながらなんとか寸法不足のはしごをかけて登っていたのだ。
 はしごの先が屋根に引っかかる部分はわずかであり、もしこのとき地盤(というか踏み固められて硬くなった積雪)にはしごの足がめり込んだらその時が最後、わずかに屋根に引っかかっていたはしごの先ははずれ、私を乗せたまま前のめりに倒れることになる。カーポート内に車を停めてあったら、それに激突することにもなる。

20160102Kyatatsu1 こんなことをしていてはいけない。きちんと背の届くはしごにしなければ。
 そんな当たり前のことを大晦日の晩に悟ったわけである。

 そこで歩いて25分ほどの場所にあるホーマックに歩いて行った。
 なぜ車でいかなかったのか?

  66……おぉ、オーメンか?
 この日の朝体重計に乗ると、なんと2kgも増量していたのが理由の1つ。66kgと悪い予兆のような数字が表示されたのだ。痩せるためのウォーキングである。

 もう1つの理由は、車をステーションワゴンからセダンに替えたわけで、脚立を積みこめない可能性が極めて高いというものだった。

 ホーマックに行く途中でケーズデンキに寄ってみる。
 多くの日替わり品の整理券はなく、完売と張り紙がしてあった。そりゃそうだ。もう昼だもの。
 けど、5台限りというNECのノートパソコンの整理券はまだ3枚残っていた。だが今回の私には関係ない(けど気にかかる)。

 そのあとホーマックに行く。
 ぐるぐる店内を回って探すが小さな脚立しかない。
 そのときオシッコがしたくなってトイレに行き、も一度探そうと思ったとき、あっそうか外にあるのかもと気づいた。で、実際、それは外に陳列されていた。まさにチンが陳列のヒントを与えてくれたのだ。……つまんねぇの。

20160102Kyatatsu2 折りたたみ時180cm、はしご時360cmのアルインコ製の脚立を買う。
 歩いて来て良かった。これは車に積みこめない(だろう)。

 再び25分の道のりを脚立を持ちながら帰った。
 横を通り過ぎて行く車から見れば、脚立を持って歩いている私は、車が故障したけど急を要している塗装屋に見えたかもしれない。

 ほら、試しにカーポートに立てかけてみると、もう余裕のよっちゃん、安全第一指さし確認、着雪・滑落注意ってもんである。
 このときは雨混じりの雪(要するにみぞれ)が降り始めてきたので、上に登ってはみなかったけど。

  私のはアルミです
 ロッシーニ(Gioacchino Rossini 1792-1868 イタリア)の歌劇「絹のはしご(La scala di seta)」(1812初演)の序曲。

 プラナールの作品からG.フォッパが台本を作ったこのオペラは1幕物で、禁断の恋ゆえに絹のはしごを使って逢引を重ねている男女のストーリー。
 これはこれで命がけかもしれない。

 ノリントン指揮ロンドン・クラシカル・プレイヤーズの演奏で。

 1990年録音。ワーナー(EMI)。

 なお、この日の歩数は8342歩であり、夕べはやや食事を控え目にしたせいだろうか、今朝の体重は65.2kgである。

 今日は暖かくなるそうだ。
 雪崩注意!
 

初トロイメライは楽しいものでしたか?♪ビレットによる子供関連作3題

SchumannBiretBox  南極〇号とかの話じゃないです
 初夢……それは元日から2日の夜にみる夢とされるのが大勢の民意。しかし、大晦日から元日とすることもあるし、また2日から3日にかけてという説もある。

 縁起が良いとされるのは、いちふじ、にたか、さんぐりあ、である(違ったか?)。

 皆さんは縁起の良い夢、不幸にもそうじゃなかったにせよ少なくとも楽しい夢をみることができただろうか?
 私はとてもみなさんに披露できるような夢ではなかった(いやらしい夢という意味ではない)。
 “2日から3日の夜”説を支持することに翻意しよう。

 チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1940-93 ロシア)のピアノ曲「子供のアルバム(Chirdren's Album/Album for the Young)」Op.39(1878)。

 「24のやさしい小品」という副題を持つこの曲は、チャイコフスキーが妹の家庭を訪問した際にそこの7歳の甥のために作曲された。

 24曲は、1.朝の祈り/2.冬の朝/3.お母さん/4.木馬遊び/5.木の兵隊の行進/6.新しいお人形/7.お人形の病気/8.お人形の葬式/9.ワルツ変ホ長調/10.ポルカ変ロ長調/11.マズルカ ニ短調/12.ロシアの歌/13.ガルモニカを弾く農夫/14.カマリンスカヤ/15.イタリアの歌/16.フランスの古い歌/17.ドイツの歌/18.ナポリ人の歌/19.乳母のお話/20.ババ・ヤガ/21.楽しい夢/22.ひばりの歌/23.教会で/24.辻音楽師。

 このなかで私がはっとするのは第16曲の「フランスの古い歌」。
 童謡「赤い靴」に非常によく似たメロディーなのだが、これと同じものがショスタコーヴィチの若い頃の映画音楽「ニュー・バビロン」にも現われるのである。
 この2つの曲が引用した“フランスの古い歌”というのは何という曲なのだろう。
 ちなみに童謡の「赤い靴」が作曲されたのは1922年。作ったのは本居長世である。

 さらにこのなかで私がどきっとさせられるのは「木馬遊び」である。子供のころから木馬で遊ぶ癖をつけると大人になってから大変じゃないかと余計な心配をしてしまう。それに新しい人形を発注したり、酷使しすぎてお病気にしちゃって、あげくのはてに使いものにならなくなってひっそりと葬式をあげちゃうなんて、もう危険すぎる……って、私が病気か?年初めから暴走、すまんこってす。

  ここにも夢が!木馬が!
 「子供のアルバム」は、シューマン(Robert Schumann 1810-56 ドイツ)の「子供のためのアルバム(Album fur die Jugend)」Op.68(1848)の影響があるとも言われているが、CDの都合上、ここでは「子供のためのアルバム」ではなく「子供の情景(Kinderszenen)」Op.15(1838)。

 ここに書いてあるように、この作品は子供のために書いたものではなくクララへの思いから生まれた作品。

 そしてこの曲には有名な「トロイメライ(Traumerei/夢想)」が含まれており、また「木馬の騎士」という曲もある。でもトロイの木馬とは関係はない。

 ビレットのシャープだが優しさも伝わってくる演奏で。

 1993年録音。ナクソス。

 このCDにはもう1曲“子供もの”が収録されている。

 ドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918 フランス)の「子供の領分(Childeren's corner)」(1906-08)である。

 ドビュッシーが娘・エマのために作曲したもので、〔グラドゥス・アド・パルナッスム博士/ジャンボ(象)の子守歌/人形のセレナード/雪は踊る/小さな羊飼/ゴリウォッグのケークウォーク〕の6曲からなる。

 残念ながら(?)ドビュッシーの場合は夢も木馬も出て来ないが……おや、人形が……

御多分にもれず参加中・・・
プロフィール

MUUSAN

 クラシック音楽、バラ、そして60歳代の平凡ながらもちょっぴり刺激的な日々について、「読後充実度 84ppm のお話」と「新・読後充実度 84ppm のお話」の2つのサイトで北海道江別市から発信している日記的ブログ。どの記事も内容の薄さと乏しさという点ではひそかに自信あり。

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