新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2016/01

珍宝楼の正体をご披露する♪チャイコ/Sym5(by ムーティ)

  日曜日の夕食は……

 この間の日曜日の夜、食事をしに珍宝楼に行った。

 そしていまの私の気分は、この店の真の名を明かしたいというものだ。
 といっても、確か3~4年前に一回バラしてるんだけど……


 ここの料理は本当に美味しい。
 美味しいのだから誤解を招くような仮名で書き続けることに、遅ればせながらいまになって罪悪感を抱いたのである。


 その名は……美珍楼。


20160117b


 写真にある建物の上に書かれた欧文表記。
 ちょいと欠けているが、単に“MICHINROU”でないことに、その奥深さと歴史を感じる(ような気配がしないでもない)。


 この日は“長いものサラダ、ガーリックソース”や“カキの四川ソース炒め”、梅肉翡翠餃子などを食べたが、料理が出てくると写真を撮るのを瞬時に失念してしまい、すぐに箸をつけてしまった。

 そんななか、なんとか撮ったのが梅肉翡翠餃子である。

  この先っぽ感?
 見よ!
 このチンポ、いや、珍宝閣を思わせる姿を!

20160117c


 美珍楼を珍宝楼という仮名にしたのは珍宝閣を由来とするが、この翡翠餃子と珍宝閣の見た目が似ていることがこのような意思決定となったのであった。

20160117d ホール係のお兄さんにハイボールとレモンを頼む。

 「いつもの」と頼むと自動的に担担麺+小ライスがオーダーされるのと同じように、「ハイボールとレモン」と頼むと、たくさんのレモンが皿に盛られて出てくるが、この日は特に大盛りのサービスだった。

 美珍楼には“西家”と“アネックス”の2つの支店があるが、私はいちばん古く狭いにも関わらずこの本店が好きである。
 ホール・スタッフの方々ともすっかりフレンドリーだし。

 で、本日の曲はチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)の交響曲第5番ホ短調Op.64(1888)。

 いえ、美珍楼に出かける前に聴いたのが、ムーティ/フィルハーモニア管弦楽団の演奏だったからという理由一筋なわけ。

 ムーティのチャイ5といえば、私はKitaraウィーン・フィルの演奏を聴いたことがある

 オケは違うが、この録音もそのときの大迫力を思い起こさせるものだ。

 1978年録音。ワーナー。


 TchaikovskyMuti


「私の話を聞いて!」って?いいよ、どれどれ♪GM5(by ジンマン)

20160117Walkman   聞く耳もった私がバカだった
  久々に(意外と地味に好評な)スパムメールのお話。

 今日の記事のタイトルにも書いたが、「私の話を聞いて!」というそのものズバリのタイトルのメールが届いた。
 ちゃんと迷惑メールのフォルダに仕分けられていたが……

 どれどれ聞いてあげましょう(というか、読んであげましょう)ということで開いてみると、


 邦画・洋画・最新作・名作・B級などなど、
 私の大好きな映画が無料で見放題だよ。
 http://Pc*************gVK.com


 なんだよ。つまんねぇ……
 せっかく読んだのに楽しいお話なんかじゃ全然ない。
 あんたは映画が大好きかもしれないが、こっちはAVが、いや映画は観ないんだよ。
 ふんっ!
 
Mahler5Zinman  私の話を聞いて!!
 今度は私、すなわちMUUSANの話を聞いておくれ。

 毎日読んでやってるって?そう言わないで……


 電話が死んだと思ったら、今度はウォークマンが重傷を負った。
 カバンの中に入れているときに予期せぬ事故が起こったとしか考えられないが、HOLDスイッチの感触が変なのである。スライドの仕方が窮屈でカチッとしない。隙間から中をのぞいてみると、どうやらスイッチの一部が内部で破損しているようだ。


 ネットで同じようなことで悩んでいる人が調べてみると、いるいる。たーくさんいる。
 その情報を集約すると、ウォークマンのHOLDスイッチの造りは華奢だということだ。

 なかには自分で修理したという人もいて、やり方が載っている。
 SONYに修理に出すと買い替えるくらいかかるのだそうだ。

 私も修理しようかと思っているが、代わりの部品があるわけではないので接着剤でどの程度直るかだ。

 あるいはケースを開けた瞬間に収拾がつかなくなり、修理のつもりが単なる分解行為になってしまうかもしれない。

 だから私も言いたい。HOLDスイッチはもっと頑丈な部品を使ってくれ!、と。

 死んだわけではないが葬送ということで、マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第5番嬰ハ短調(1901-02/その後たびたび管弦楽配置を変更)。
 なぜこの曲かというと、葬送行進曲で始まるからだ(ボーとしていると一瞬メンデルスゾーンの結婚行進曲に聴こえなくもないが)。

 今日はジンマン/チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の演奏で。

 ここに書いているのが成就したかのように、久しぶりにまた聴いてしまったが、久しぶりに聴くとなかなか良いではないか!
 
 2007年録音。RCA。

 どうでもいいが、この兄さん体がキモい。どこかずーしーほっきーを連想させるものがある。

 そして、この曲のフィナーレのようにウォークマンは直ったわい。メデタシ、メデタシという展開になるかどうかは極めて怪しい。

日本一寒い町は-21℃だった♪ブラームス/Sym3(by ヤンソンス)

  昨日最初に行った場所

20160118Rikubetsu

  昨日の朝聴いた曲
 ブラームス(Johannes Brahms )/交響曲第3番ヘ長調Op.90(1883)、の第3楽章。

 演奏はヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団。

Brahms2&3Jansons

 2010年ライヴ録音。BR-Klassik。

 なお、楽曲については気が向いたときにこちらをどうぞ。

LvBのSQ2モードになった私♪LvB/SQ2

BeethovenSQWMQ  不親切なタイトルでスイマセン
 LvBはベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)のことである。ロング・ヴァケーション・ブランクではない。

 SQ2はStreichquartett Nr.2、つまり弦楽四重奏曲第2番である。

 この弦楽四重奏曲第2番ト長調Op.18-2(1799⇔1800)には「挨拶する(Komplimentier)」という通称がある。

 第1楽章第1主題がまるで挨拶を交わしてるかのようだからだ。
 でも、きっと人によってはそんな風には聴こえない、ちっとも気付かない。

 そりゃそうだ。人によっては鶏の鳴き声がとうていコッカドゥードゥルドゥーに聞こえないように。

 4楽章からなるこの作品は、1801年に出版されたOp.18の作品番号をもつ第1番から第6番までの6曲の弦楽四重奏曲の1つで、この曲集はF.J.v.ロプコヴィツ侯爵に献呈されている。

 前にアルバン・ベルク四重奏団の演奏を紹介したが、今日はウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団の演奏を。
 がっちりとしていると同時に爽やかさを感じさせる演奏。

 この弦楽四重奏曲全集は1990-92年録音(第2番は92年)。ナクソス(タワレコによる企画商品)

  しばらく疾風怒濤のような日々が……
 さて、今日のヘンテコなタイトルについて。

 実は私の身に大きな出来事が起こった。
 詳しいことは落ち着いてからきちんと説明するが、今日からほうぼうに挨拶しに回るのである。

 同時にいろいろな面でと怒涛のような日々がしばらく続くことになる。

 記事も短くなる可能性が高いが、決してあなたのことが嫌いになって手抜きモードになるわけではないので、あなたも私に変わらぬご愛顧をお願いしたい。

 

姉が消え、正念場を迎えた妹♪ストラヴィンスキー/プルチネルラ

20160114Kouryouan  なんと2店舗展開だった。
 隠していたわけではないが、実は荒涼庵には姉妹店がある。
 その名も“ビストロKouryou”という。世間に向かって喧嘩を売るような大胆な名前である。

 なぜ喧嘩を売るような大胆さなのかというと、私も何度か受動的に利用したことがあるが、確かにステーキやポタージュを出すが、どっこい十勝名物・豚丼もある。そういう店だからだ。

 そのくせ、ストラヴィンスキーの「プルチネッラ」がBGMで流れていたりもする(店のスタッフが選曲しているわけではないと言い切れるが)。
 
 Kouryouの方が姉、荒涼庵が妹にあたる。まっ、どっちでもいいんだけど。


 そのKouryouが閉店したという。理由はわからないが、文字通り店を閉めたのである。
 が、荒涼庵は営業を続けている。ということは、経営難で閉店ということではないようだ。


 そしてビストロKouryouの閉鎖によって、荒涼庵は陸の孤島のように世間ずれしたまま安穏とし続けることが許されなくなった。
 Kouryouで働いていたコックがこの店に加わったのだ。

  これからはおサレな洋食メニューに???
 どうやらバイキングが100円上がったのはそのためらしい。

 風のうわさによると、洋食を(たぶん)得意とするコックが来て、今まで以上に(以下になったらこっちも閉店しなきゃならないことになるだろう)バイキングのおかずを充実させた(もしくはさせるべく取組中)。だから値上げは当然であるということらしい。人件費も上がるわけだし。


 さらにそのコックの提案か、あるいはもともと荒涼庵にいたおやじかおばちゃんのどちらかが気づいてしまったのかわからないが「毎日黒板にメニューを書くのはめんどくさい。いっそのこと“メニュー豊富”とだけしときゃいいだろう」と、楽すること、いや、実に合理的な行動に出たわけである。


 つまり、日付だけ変えればコトが足りる。


 それからというもの、開店前も昼過ぎの閉店後も“メニュー豊富 バイキング”と書かれた黒板が置かれたままだ。道に迷った旅人が日の出とともにこの店の前にたどり着き黒板を見て空腹を満たそうとしても、店にはだぁれもいないのである。

 営業中とか準備中の札をかけるとかいう発想はまったくないのだろうか?


 という指摘がされるのを予期していたかのように、数日前から午後になると黒板を片付けるようになった。
 良いことである。


 私はといえば、新価格になってからこの店には行っていない。

 というのも、何かわからないのは不安だからだ。
 豊富といっても、焼き魚に煮魚、ツナサラダにアジフライという豊富さだって考えられる。
 一度店に入ったら逃げ出しにくい雰囲気だから、冒険する気にはなれない。


 魅力あるメニュー、心地よい雰囲気の店に変わることを期待したい。実に良くなったという噂を耳にした時点で私も行ってみようと思う。


  意外となかった“姉妹”
 私がCDを持っている楽曲で、名に姉妹とつくのは呉祖強(Wu Tsu-Chiang 1927- 中国)の琵琶協奏曲「草原の小姉妹」だけである。
 このコンチェルト、以前は一時的にけっこう熱狂して繰り返し聴いたが、いまではウソのようにすっかり飽きてしまった。

 一方、演奏者のほうを調べると私が持っているのはラベック姉妹だけだった。
 このピアノ・デュオ姉妹は、いまから30年以上前にウイスキーのコマーシャルで連弾している様子が映し出され、それで知っている人もいるかもしれない。
 現在、妹の方はビシュコフの奥さんなんだそうだ。どうでもいいことだけど。


StravinskyFerlyKiss  ビストロKouryouの思い出のために
 そこでストラヴィンスキー(Igor Stravinsky 1882-1971 ロシア→アメリカ)のバレエ「プルチネルラ(プルチネッラ/Pulcinella)」(1919-20/改訂1947)。

 ペルゴレージ他の作品を素材に用いた、ストラヴィンスキーが新古典主義の姿勢を明確にした最初の作品。
 この曲については過去にラトル盤ブーレーズ(以上全曲版)、バーンスタイン盤クレンぺラー盤(以上組曲版)を取り上げているが、今日はクラフトによる全曲盤を。

 昨年の11月に92歳で亡くなったクラフトは若いころにファンだったストラヴィンスキーの弟子になったが、逆にストラヴィンスキーにも少なからぬ影響を与えた。

 ハロルド.C.ショーンバーグの「大作曲家の生涯」(共同通信社)にはこう書かれている。

 かつてストラヴィンスキーは、十二音音楽に好意的な言葉を吐いたことはなかった。ところが、クラフトによってこの種の音楽、とりわけウェーベルンの音楽を紹介されると、彼は自分の意見を修正した。1952年のインタビューで、彼は自分自身は十二音音楽を書くことに興味はないが、「私が尊敬する規律性を持っているのは、十二音作曲家だけである」と述べた。

 クラフト指揮フィルハーモニア管弦楽団による「プルチネルラ」は1997年録音。
 独唱はモンタギュー(Ms)、レゲイト(T)、ビーズリー(Bs)。
 ナクソス(ロバート・クラフト・コレクション/ストラヴィンスキー作品集第5集)。

 「大作曲家の生涯」ではストラヴィンスキーを風刺したシェーンベルクが書いた詩が紹介されている。

 だが、このドラムを叩いているのはだれだ?
 それは小柄なモンキーダンスだ。
 ……

 今年は申年。
 これを取り上げない手はないと思ってもう一度読んでみると、実は

 だが、このドラムを叩いているのはだれだ?
 それは小柄なモダンスキーだ。
 ……

 私がこの本を購入したのは35年以上前。今に至るまでずっとこのように読み違えていたのだった。
 やれやれ、いとはずかし。

警報の後に懸念される家庭内氷河期の危機♪DSch/Sym11(by コフマン)

ShostakovichSym11Kofman  おとといの昼の揺れ
 12:30前に大きな地震があった。


 ここ帯広は震度4。

 藤丸百貨店の地下に入っている中華惣菜の店“かが屋”で買った弁当を食べ終え(甘酢味のおかずが多めでちょいと不満)、ウォークマンで音楽を聴きながら残りの昼休みを眠って過ごそうと思ったときに、携帯電話がキュリュリーンキュリュリーンと鳴り響き、それは仲の良い秋の虫のようにあちこちで呼応し、どこからかは伊福部達氏が作った緊急地震速報のチャイムも聞こえ、その直後に揺れが来た。

 直後ということは、警報音が鳴っても結局はどこにも逃れられないってことでもある。


 幸い被害はなかったが、問題は札幌を含む石狩地方も同様の震度4だったということだ。

 もしかすると自宅の暖房ボイラーの耐震安全装置が働いたかもしれない。

 ということは、そのあとどんどん室温が下がる。
 最悪の場合は水道が凍結し、水道管が破裂する恐れがある。


 まずい。

 できる限り早期に現地に赴き、実態を把握し、復旧させねばならない。


  こちらは知らせじゃなく鐘だけど
 以上を踏まえて、“警報”ではなく“警鐘”ではあるが、ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第11番ト短調Op.103「1905年(The year 1905)」(1957)。


 この曲については何度も取り上げているが(例えばこことかそことかあそことか)、第4楽章につけられたタイトルが「警鐘」である。

 楽曲についてもこれらの記事をご覧いただければと思うが、今日紹介する演奏は本ブログ2度目となるコフマン/ボン・ベートーヴェン管弦楽団によるもの。

 私の感想は、これまたここに書いてある。

 2006年録音。MDG。


  おとといの朝の積もり
 昨日の朝は、20cmくらい雪が積もっていた。
 帯広は札幌のように除雪が迅速ではない。きっとあまり雪が多くない地なので、除雪車の数も少ないのだろう。
 それでも何台かの除雪車が一生懸命に雪を押し、持ち上げ、トラックに積んでいた。

 見通しが悪いのか、雪を満載してトラックがバックしようとして後ろから来た乗用車に危うく接触するところだった。

 ここでふと気づいた。
 liveddorに移行してから、私の記事に1つもトラックバックがないことを。
 OCN時代はときどきあったトラックバック。それが移行して1年半以上経ったというのに1つも来ないのはなぜなんだろう?

 トラックバックを望んでいるいるわけではないが、これだけ何にもないとなんだか気になる。

旧・成人の日を迎えるにあたって♪ベルリオーズ/S-F(by O-エストラーダ)

BerliozSForozco  今日のタイトル、あなたはどう解釈しましたか
 1月15日は昔は成人の日だった。
 だから、今日は旧・成人の日である。
 私はそういう意味で書いた。

 が、私に対し悪意がある人は、成人式を迎えたのははるか3億光年の昔、つまり旧い成人である私にとって、今日は何か意味があるの日だと解釈するかもしれない。

 違います。
 勘違いです。
 考えがねじ曲がってます。

 そういうわけで、以下に書くことはこのタイトルと全く関係のない内容である。

  韓国とはまったく関係ないです
 昨日は私のソウルフードの一つということで、びっくりドンキーのハンバーグを挙げた。
 でも言い過ぎだったような気がしないでもない。私自身びっくりしたのだがドンキーに行ったのは数年ぶりだったからだ。何年もがまんできるということは、ちっとも魂の食べ物じゃないのかもしれない。

 また、ソウルフードがママの味もしくは母の味あるいはおふくろの味、厳密には郷土料理、もっと言えば本来はアフリカ系アメリカ人の伝統料理ではなく、外食であることに違和感をおぼえた方もいらっしゃるかもしれないが、外食がダメだという定義はないようだ。
 だいいち私の母は料理が下手だった、作りたがらなかった、努力を怠っていたわけで、懐かしい家庭の味というのはほとんど存在しない。強いて挙げれば湯豆腐か?……


 さて、今日は私のソウルミュージック。

  キョマン、ゴマン、ホロマン
 とはいえ、それはごまんとある。これこれ、5万曲ではないぞよ。とてもたくさんあるという意味だ(ネット情報によると“ごまんと”は漢字で“巨万と”と書くらしい。キョマンかぁ……。それと、私が長年使っている国語辞典には“ごまんと”が載っていない)。

 極端なことを言えば聴きたい曲がそのときのソウルミュージックってことになるのだが、そのなかでも愛着の強弱がある。何を書きたいのかわからなくなってきたので、私の魂にとって重要な数ある作品のなかから今日は“幻想”。


 “幻想”というと私の場合は通常ベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-69 フランス)の幻想交響曲(Symphonie

fantastique)Op.14,H.48(1830/改訂1831)をさす。
 H.番号はマンはマンでもキョマンじゃなく、ホロマン(D.Kern Holoman)による作品目録の番号である。

 
 しかしこのごろは、美しい女性を見かけて胸キュンという体験をしていないし、舞踏会に出かけたい気持ちにもならないし、断頭台に向かいたい気分ではまったくない。
 要するに、幻想交響曲が持つ刺激的な標題要素は、私の私生活にはないのである。

 そんなわけで、あまり劇的効果を狙ったものではなく純音楽的アプローチの演奏をここ数日聴いている。

 オロスコ=エストラーダ指揮ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団のものだ。

 物足りないくらいていねいに進行する“幻想”だ。


 オロスコ=エストラーダは1977年コロンビア生まれの指揮者で、コロンビアのことは全然知らないながらも勝手な思い込みからもっと熱い演奏をするのかなと思いきや、ちっとも情熱的じゃない。むしろクール。
 クール&テイネイなわけ。

 きっちとした演奏だが、私にとっては自身の日常のように刺激がなさすぎる。
 日々の生活に刺激がありすぎるのも困ったものだけど……


 第1楽章提示部の反復あり。
 第2楽章のコルネットの助奏なし。
 第4楽章の反復あり。
 第5楽章の鐘は安っぽい深みのないカンカンという音で、私の好みじゃないタイプ。


 2012年ライヴ録音。Oehms。 


 昨日の朝、お仕事に向かうために外へ出ると雪がごまんと積もっていた。
 私に断わりもなく、ひっそりと夜中のうちに降ったのだった。
 

ペレストロイカの人ではありません♪ゴルチャコフ編「展覧会の絵」

MussorgskyPictureNowak  ほのかに香る国民楽派臭
 最初に聴いたとき、ラヴェルによる管弦楽編曲に田舎臭いアレンジを施したうえで、できるかぎりどん臭く、いや失礼、土臭さを強調した演奏だと思った。

 が、やはりラヴェル編をいくらアレンジにしてもここまではならないだろうし、演奏であーだこーだやろうとして

も限界がある。
 やはりこれはラヴェル編とはまったく別物(けっこう影響は受けていると思われるが)。


 ゴルチャコフ(Sergei Gortchakov 1905-76 ロシア)が管弦楽編曲(1954)したムソルグスキー(Modest Petrovich Mussorgsky 1839-81 ロシア)の組曲「展覧会の絵(Tableaux d'une exposition)」(1874)のことである。

 調べてみるとラヴェル編(1922)を基にした再編曲ではなく、原曲であるピアノ譜(の原典版)を基にゼロからオーケストレーションしたものだそうだ。
 でも、上に書いたようにラヴェルの影響は少なからず受けているように聴こえる。


 確かにラヴェルのものより都会的な響きや華麗さはなく、しかしトゥシュマロフ(& R-コルサコフ)編(1891)のものほど野暮ったくない。

 ラヴェルが行なっている一部の楽曲のカットがなく、またロシア臭のようなものがそれなりに残っているこの版。録音点数が最近になって少し増えてきているというのはわかる気がする。


 私が聴いているのはノヴァーク指揮ロイヤル・フィルによる演奏。


 2009年ライヴ録音。レーベルはRoyal Philharmonic Orchestra。


  いえ、私はレギュラーでそのものの味を楽しみます
 話は変わるが、先週の(というか、今週の、というのが正しいのだろうか。こないだの、ということである)日曜日は久々に新さっぽろへ行った。ちょいとした用事があったからである。

 どれぐらい久々かというと、いまやイオンになってしまったスーパーは、前回行ったときはまだダイエーだった。
 ダイエー時代は安くてけっこう好みのネクタイが品揃えされていたが、今回は当然のごとくイオンの品揃えに変わっていた。


 で、イオンでもカテプリでもサンピアザでも何も買わず帰ってきた。
 しかし、びっくりドンキーでレギュラーバーグディッシュ(150g)を食べた。これってある意味、私のソウルフードの1つかもしれない。数年前までは300gでも平気で食べられたのに、しかも時にはライス大盛りで注文していたのに、いまは150gが適量。人間、このように食が細くなっていくのだろうか?(いや、前が齢のわりに食べすぎだったのだ、たぶん)。
 妻はパインバーグディッシュを頼んだ。もちろん300g、ではなく150gである。


  2時間19分!タイムアウト!
 ここの駐車場でいつも思うことがある。
 駐車券に押印してもらったら2時間まで無料。5000円以上買い物をしたらそのレシートを提示すると3時間まで無料である。

 が、上限はここまで。


 あとは1万円買おうが10万円使おうが、3時間以降は駐車料金がかかるのである。
 たくさん買った人が気の毒だ。
 それともたくさん買い物できる人は駐車料金がどーだのとケチくさいことは考えないのだろうか?


 今回の私たちはびっくりドンキーだけの利用。しかしここの施設の滞在時間は2時間を超えてしまった。
 ちぇっ!

 そんな疑問を胸に、そのあとケーズデンキに寄って昨日紹介した電話機を購入したのだった。
 もしこれがイオンに売っていれば、3時間まで無料になったのに……


海胆のあとにきたのは鋭いヤツ?♪グノー/操り人形の葬送行進曲

20160111Telephone  死んだ“おでん”に未練はない!

 いやがらせのように通話中に自動切断する固定電話のことをことを書いたが、私はこのような電話機として致命的な過去、いや欠陥をもつ機器に対しては厳しい。これだと、先がとがっていない爪楊枝のように役に立たない。

 そこで燃えないゴミとして葬った。

 果たして電話機が“燃えないゴミ”(もしくは“燃やせないゴミ”)に分類してよいのか一瞬悩んだが、市の分別の手引きによると、電話機は“燃えないゴミ”だった。が、充電式電池はリサイクルへとある。

 気づかないふりをして電話機内に充電池を装着したまま“燃えないゴミ”として出してしまおうかとも思ったが、そこは良心ある私。きちんと充電池ははずして出した。
 そのせいで、裏蓋をはずす時に爪の先を傷つけた。

 はずした充電池はまだ部屋に残っている。いずれわざわざ家電量販店のリサイクルボックスに持っていかねばならない。


  心が純な私は、やっぱり白を……
 新しく買ったのはSHARPの電話機である。
 コードレスで一番安い機種をケーズデンキで探すと、これだったのだ。
 今まで使っていた電話のメーカーは海胆殿(これをアルファベットにすると正しい名が明らかになる)というところのもの。
 全然メジャーじゃない会社だが、きっと実直に作っていたに違いない、と信じることにしよう(ああ、佃製製作所のイメージが判断を甘くする)。

 SHARPといえば、そりゃナショナルや日立ほど一流ではないが、かつては技術力はどんな大手にも負けないとされていた。少なくとも私はそう思っていた。
 太陽電池だって早くから取り組んでいた。
 そのSHARPがなんで今こうなってしまっているのか、なんだかよくわからん。

 SHARPのこの電話機が、ホームセンターの棚の下のほうに置かれている海胆殿製の電話と1000円ぐらいしか高くないのは驚きである。
 とはいえ、ラッキーなことにたまたまこの日SHARPの電話がさらに1000円値下げしてたんだけど……


 色はホワイトとライトグリーンとワインレッドがあった。
 たまには気分を変えてワインレッドにでもしようかと思ったが、結局はホワイトを選んでしまう保守的な私だった。やれやれ、またまた汚れが目立つわい。


FrancaiseParay  意識せずに聴いている可能性大
 私としては「電話の葬送行進曲」とか「イエデンの埋葬曲」とかを紹介したいところだが、そういう作品は少なくともクラシック音楽にはないので、代用としてグノー(Charles Francois Gounod 1818-93 フランス)の「操り人形の葬送行進曲(Marche funebre d'une marionnette)」(1873)。
 管弦楽のための小品である。


 曲名を見てもどんな曲かピンとこない人が多いと思う。

 しかし、多くの人は耳にしたことがあるはずだ。というのも、テレビ番組などでしばしば使われているからだ。
 私は見たことがないが(というか知らない)、昔テレビでやっていた「ヒッチコック劇場」という番組のタイトル曲に使われていたそうで、それも広く知られるきっかけになったのだろう。


 ほの暗いながらも滑稽さのあるアンバランスな魅力がある曲だ。


 グノーは“殺された人形の葬式を仲間の人形たちが盛大に執り行う。教会へ向かう途中ひと休みして“故人”の思い出を語り合う。そして再び葬列は教会に向かって動き出す”というストーリーからこの曲を着想したと言われている。

 パレー指揮デトロイト交響楽団の演奏を。


 1959年録音。マーキュリー。


あぁ、広々ぉ~♪WAM/協奏交響曲K.297B

297B  Dを減らしてCを増やそう
 前にも書いたが、自宅のノートPCの2008年産FMVは、Cドライブの空き容量が少ない。

 都度都度ディスククリーンアップをし、その際にシステムの復元ポイントも削除し、なんとか6~7GBの空き容量を確保しているが、この作業はおんな子どもには(少なくともわが家の)できない。

 そこでリスクがあるのは承知の上、思いきってパーティションを切りなおしてDドライブの容量をCに分け与え拡張することにした。

 そもそもCドライブの容量は49.9GB。そのうちプログラムファイルやら、いつの間にかたまったゴミなど(これも都度掃除しているのだが頑固な汚れが残るらしい)のせいですでに40数ギガが使われてしまっている。

 一方Dドライブの容量は86.0GBもある。
 そのうち使っているのは24GBのみ。

 そこでDドライブのうち40GBをCに与えることにしたのだ。
 これまでそれをやらなかったのは、Dドライブを一度削除することになるのでバックアップしておく必要があるから。幸い最近は大容量USBメモリも安いのが出ており、安物には信頼面でハテナはあるが、一次的なバックアップなら大丈夫だろう。ということでこの作業の環境が整ったのだ。

  無事Cが増えてDは減った 
 スタートメニューの検索ボックスにdiskmgmt.mscと入力し、まずは“ボリュームの削除”でDドライブを削除する。いやぁ、その前のUSBへのバックアップ、けっこう時間がかかった。
 これでハードディスクに86GBの未使用領域が誕生した。

 その次に“ボリュームの拡張”で、未使用領域からCドライブに約40GBをプラス。
 ちょっと意外なほど、あっさりとCドライブの容量は91.1GBになった。もちろんもともとCドライブにあったファイルは無傷。

 その作業のあとは未使用領域の残りの容量44.9GBにあらためてDのドライブ名を割り当てフォーマット。さらにUSBにバックアップしておいたファイル(このなかにはインターネットエクスプローラーのお気に入りのファイルなども含まれる。かつて少しでもCの容量を減らすために保管場所をDに指定し直したのだ)をDに戻し作業終了。

 最終的にCドライブのこの時点の空き容量は50.2GBとなった。
 めでたし、めでたし。

 そしてここにきて知ったのだが、新しい復元ポイントを作らないよう設定することもできる。
 な~んだ最初からそうしておけばよかった。
 けど、古い機種、OSゆえに復元ポイントがないのも心配ではある。今回はCドライブの空き容量が増えたので復元ポイントは作るようそのままにしたが(復元ポイントを作らないようにすると、過去のポイントもすべて削除されてしまう)、容量不足に悩む人には有効な手段だろう。

 ちなみにその方法は、コントロールパネル→システム→システムの詳細設定→システムの保護で、自動復元ポイントのCドライブにあるチェックをはずせばよい。

  こちらも復元の話
 じゃあ今日はモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の協奏交響曲変ホ長調K.297B(K.Anh.9)

 フルート、オーボエ、ファゴット、ホルンを独奏楽器とするこのシンフォニア・コンチェルタンテは、ここに書いたように楽譜が見つかっていない幻の作品なのである。

 つまり、この未発見の楽譜を再現したという編曲版の楽譜が見つかり、そこから逆にオリジナルとされるこの曲が復元されたのである。復元したのはR.レヴィン。

 前にも紹介したマリナー/アカデミー室内管弦楽団(ASMF)の演奏で。
 独奏はニコル(フルート)、ホリガー(オーボエ)、トゥーネマン(ファゴット)、バウマン(ホルン)。

 私はフルートではなくクラリネットを独奏の1つとするK6.297bより、こちらのK.297Bのほうが好きである(ケッヘル番号に関してはこちらをどうぞ)。

 1983年録音。フィリップス。

 タイトルに広々って書いて思い出したけど、六花亭の新しいお菓子の名前が“ひろびろ”といったような気がする。


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