新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

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2015/11

苦く絶望的な日々の象徴?♪ハイドン/pソナタ44

HaydnPfSonata53  正しいが引っかかる
 村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」(講談社文庫)を読んでいると、私はちょっと違和感というかひっかかりを感じる。

 それは小説の内容に対してではない。
 「」で括られた会話文の表記についてである。


 たとえばこうだ。


 「ありがとう。何かおごらせて。」
 「気にしなくっていいですよ。」
 「借りたものは返さないと気の済まない性格(たち)なのよ。良きにつけ悪しきにつけね。」


 このように閉じのカギ括弧(」)の前に句点の“。”が置かれているのである。これに私は違和感を覚えるのだ。


 じゃあこういう書き方が間違っているかというとそうではない。実は“」”の前に句点を置くのがむかしは正しいとされた。そしてそのルールは死んではいない。
 しかし現在では、“」”が文末を示していることが明らかだという理由で省略することが多いのである。


 村上春樹の2作目の「1973年のピンボール」(講談社文庫)では“現代風”の表記になっている。


 「貯水池に何しに行くんだ?」
 「お葬式」
 「誰の?」
 「配電盤よ」


 うん。この方がすっきりする。文法的には「……。」が正しいらしいが、個人的には閉じのカギ括弧の前に句点がないのが好きだ。
 で、村上春樹はなぜ第2作目から表記を変えたのだろう?


  大学に流れるマニアックな曲
 その「1973年のピンボール」の7p。


 僕があぶなっかしく積み上げられたバリケードがわりの長椅子をくぐった時には、ハイドンのト短調のピアノ・ソナタがかすかに聞こえていた。


 ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)のピアノ・ソナタでト短調で書かれた曲は1曲しかない。
 ピアノ・ソナタ第44番ト短調Op.54-1,Hob.ⅩⅥ-44である。旧番号では第32番。
 作曲年はよくわかっておらず、1771年頃から83年までの間と考えられている。


 この場面でハイドンの、お世辞にもそれほど知られているとは言えないト短調のソナタを取り上げた作者の意図は何だろう?


 ここに描かれている絶望的な暗さを、メジャー勢力になりえなかった学生運動を、ト短調ソナタに象徴させているのだろうか?


 アックスの演奏を。


 1993年録音。ソニークラシカル(RCA)。


 ところで私は読点(、)の使い方にいつも迷うし、多用してしまう。
 気をつけなきゃ。


 そうそう。「風の歌を聴け」の同じく48pにある一節。


 「人気がないからさ。」と僕は言った。
 「じゃあフランス人の歌手では誰が人気がある?」
 「アダモ。」
 「ありゃベルギー人だ。」
 「ミシェル・ポルナレフ。」
 「(メルドー)だ。」


 何年か前にミシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」がコマーシャルに使われていた。
 むかし流行ったときけっこうあの曲は好きだったんだけど……

知らないメロディーが延々と続く焦燥感……?♪LvB/Sym9(by ラトル)

BeethovenCompRattle  これで餅が買える、ってか?
 クリスマスが好きだ。

 だから年がいもなくクリスマス・シリーズとか言って、この聖なる日にちなんだ曲をこのところ取り上げているが、考えてみればこれからの期間は“第九”月間でもある。

 ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の交響曲第9番ニ短調Op.125「合唱付き(Choral)」(1822-24)である。


 なぜ年末に近づくとこの曲が異常なほどコンサートで取り上げられるのか、はっきりとした理由はわかっていないようだ。そしてこの現象は日本特有のものらしい。

 一説によると、客入りが良い「第九」をやることで楽員の収入を確保し、無事正月を迎えましょうということが狙いで始まったらしい。
 だとしたら、出番のないテューバ奏者はどうなるん?


  定演とは違う会場の雰囲気
 それはともかく、私はここ10年以上「第九」を聴きに行っていないので最近の会場の雰囲気は知らないが、前はちょっと良い服装で家族そろって、あるいはおデートでというように、演奏会というよりは逃してはならない儀式に来ているようなオーラを放っている人も多かったように見受けられた。

 そこにはなんだか“教養”という文字もあたりに踊っていた感じもする。

 加えていとこのお姉ちゃんが歌うとか、町内会の副会長がステージに立つとかで、友人知人親戚一同が集まったりする。こうなると、やはり不義理をしてはいけない儀式である。


 別にそれはそれで全然構わないんだけど、自分が初めて第九演奏会に行った時のことを思うと、毎年毎年つらい思いをしている人がいるんじゃないかと思う。


  やはり予習しておいたほうが……
 その演奏会が、「第九」を初めて聴く場。
 そういう人たちにとっては、終楽章に入ってしばらくしてコントラバスが“あのメロディー”を弾き出すまで、「アタシはホントにダイクを聴いているのだろうか?ホントにもうダイクとやらが始まっているのだろうか?」と不安と苦悩に小1時間耐えているに違いない。

 場合によっては、指揮者が出てきてフゥゥゥゥーン、ピロ、ピロピロと音が出始めたのに、いるはずの合唱団が1人もいないってこともある(つまり、途中の楽章間で入場するワケ)。
 こうなると、「はて、第九とやらは何曲目にやるんだっけ」と疑心暗鬼にさえなるだろう。

 それなのに、隣に座っている交際半月の彼女から「ねぇ、太郎さん。これがダイクって曲なの?」と小声で聞かれたら、「オレだって、オレだって、そんなことわからんばってん!」と悪態の一つもつきたくなるだろう。
 いつもかわいがってくれるいとこのお姉ちゃんが姿を見せず、髪を結んでいる長すぎるリボンで涙を拭う少女もいるかもしれない。

 結局は、お姉ちゃんは光沢を放ったブラウスを着て姿を現してくれ、のどちんこもオペラグラスで確認できることになるのだろうし、曲そのものも終楽章で前の3つの楽章をすべて否定してめでたく“歓び”に至り、会場に堆積したあらゆる不安は払しょくされるわけだけど、それにしてもそれまでが暗すぎる、重すぎる、厳しすぎる。

 これが「第九」をよく知っている人なら、逆に前3つの楽章が好きってことも多々あるのだろうけど、“第九=歓びの歌”という発情気味な人はたいへんなストレスを感じるわけである。

 状況をうまくつかめなくても、周りはみんなレディ~ス&ジェントルマン、それにお坊ちゃまにお嬢ちゃま(に見える)。あくびもできなきゃ、屁などもってのほか。

 第1楽章では夜霧のなかで振り回されるような思いをし、第2楽章ではティンパニの腕の動きに感心するがでももっぱり狭心症のような息苦しさを覚え、第3楽章でやっと重圧から解放されたかとほっとしたのもつかの間、天国的な退屈さを味わう。そして体力のない人は睡魔に勝てなくなる。


 でもそういう人にとっては、“あのメロディー”をコントラバスが弾き始めると、逆に歓びもひとしお。
 このときに必要以上に、穴があくくらいコントラバスをじっと見つめている客がいたら(実際、けっこういる)、その人はたった今、不安から解放され血圧降下中と思っていいだろう。

  入門用には不向き
 今日はラトル/ウィーン・フィルの演奏を。


 鈴木淳史氏が「背徳のクラシック・ガイド」(洋泉社新書)のなかで、


 “ラトルのやたらにアイディア・マンな一面が存分に発揮されるのだ”

 “こういう演奏を聴くと、他の第九演奏が官僚の答案を棒読みする閣僚みたいにしか思えなくなる”


と紹介している演奏。


 アクセルを踏んだり、緩めたりをこまめに繰り返す。そういう運転の車には乗りたくないが、この演奏は実に面白い。でも、コンサート同様、これを「第九」入門にしてはいけない。聴きながら屁はできるだろうけど……


 このある意味ユニークな演奏が、伝統あるウィーン・フィルによるものだということにも驚く。
 すごい適応能力だ。


 独唱はボニー(S)、レンメルト(A)、ストレイト(T)、ハンプソン(Br)。合唱はバーミンガム市交響合唱団。


 2002年ライヴ。ワーナー(EMI)。


 大阪で勤務していたときに、シンフォニーホールに「第九」を聴きに行ったことがある。
 12月の半ばだったと思う。
 翌日、職場の女性社員の1人にそのことをちらっと言ったら、返ってきた言葉は「知っとる、知っとる。最近、流行ってんやってなぁ」


 確かにこの時期だけの流行。
 なかなか的を得た表現ともいえる。

お好み焼きには全国区になる美味さがある♪チャップリン/モダン・タイムス

ChaplinModernTimes  形勢逆転
 もんじゃの店では、3品目は“「なに」もんじゃ”にしようかなとはしゃいでいる“若干2名”の期待に背くように、私は「次はお好み焼きが食べたい」と、何とか自分の意思を訴えた。

 すると、ほかの2名もそれに賛同してくれた。


 つまり5名で行っていたわけだから、大はしゃぎの“若干2名”より私を含む残り3名の意見が有利になったのだ。僅差だが、多数決での勝敗は明白。
 若干2名も多少おとなしくなり、何という組み合わせか覚えていないが、お好み焼きメニューではその店の第3位というものを頼んだ。


 やっぱりこれだ。

 いつまでもドロドロしていて味もしっかりと伝わってこないもんじゃ焼きより、お好み焼きのほうを私は断然好む。


  モダン焼きはご存知?
 ところであの店にはモダン焼きはあったのだろうか?

 ホテルに戻る途中ですでにおなかがすいていて、とても不満が残った。
 流動食みたいなものを少しと、お好み焼き1切れしか食べてなかったからだ。焼きそば(正しくは中華めんが、というべきか)が入ったモダン焼きでもさらに食べていれば、少しは私の満足感も違ったろうに。

 もう10年以上前のことだが、大阪に勤務していたときに出張で行った広島でモダン焼き(という名称だったかどうかは記憶が定かではない)を食べたことがある。ボリューム満点で美味しくもあったが、広島は台風のど真ん中。大阪にまったく帰れない状況下だったので、味わうどころじゃなかった。
 今度はゆっくりと食べてみたいものだ。


 ホテルにたどり着く前にコンビニで、またビスコ(今度はクリームがノーマルなタイプ)と、それにたらこのおにぎりを買って帰った。


  音楽よりは演技の才能が長けていたようで
 チャップリン(Charles Chaplin(Charlie Chaplin) 1889-1977 イギリス)の「モダン・タイムス(Modern Times)」(1935-36)。

 ご存じのようにチャップリンは喜劇王と言われる映画俳優。映画監督や脚本なども手がけたが、作曲家としての顔も持っていた。


 「モダン・タイムス」は1936年のアメリカ映画。
 私はこの映画、100%知らない。
 そもそもチャップリン自体、ほとんど知らない。
 「オレらサラリーマンなんて会社の歯車の1つに過ぎないのさ」と嘆く会社員もいるらしいが(そういうやつほど会社で役に立つどころか、ほかの歯車の周期を乱している)、この映画の内容も単調な仕事に嫌気がさして、みたいなたぐいのものらしい。
  
 最近になってこの映画の音楽を“complate”収録したディスクがリリースされた。
 1999年から2000年にかけて、この録音で指揮を務めているT.ブロックという人がスコアを復元したらしい。


 曲は、ベタな表現だが“笑いとペーソスが伝わってくる”もの。
 もっとも上に書いたように私はこの映画のことはまったく知らないので、チャップリンの映画だからそういうものなんだろうと勝手に思い込み、影響を受けているせいかもしれない。


  またまた“伊福部昭”讃
 映画音楽というのはこのように聴くとけっこう間延びすることが多い。
 それは音楽が映像に結びつく地位にあるわけで、ある程度はやむを得ない。同じことはバレエや舞台の音楽にも言えることである。
 だから、良いとこどりの観賞用作品、つまり組曲が作られたりもするわけだ。


 私が好きなショスタコーヴィチでさえ、映画音楽全曲となると途中何度もおしっこに行きたくなることがある。あっ、音楽とは別問題か?


 そういう意味では、伊福部昭はすごい。
 編成の問題はともかく、氏の場合は映画音楽や舞踊音楽と純音楽作品の垣根がまずない。
 およそ、耳に心地よいメロディーで観客を喜ばせるということがなかった。自分を信じあんな重い音楽ばかりを映画に付ける作曲家なんて、ほかにはなかなかいないだろう。
 彼の音楽は映画の従属物になっていないのである。

 古今東西を見ても、バレエ音楽でも付随音楽でも映画音楽でも、従属物になっていないきちんとした主張のある音楽こそが、今でも聴きつがれているといえるだろう。


 「モダン・タイムス」に話を戻すと、チャップリンは作曲家の顔も持ってはいたが、それはメインの仕事ではなかった(はずだ)。

 ということで、素直に当時の空気を味わうってことで、厳しい目を向けるのはやめましょう(と自分に言う)。
 なお、作曲はチャップリンだが、オーケストレーションを行なったのはE.パウエルとD.ラスキンである。


 演奏はブロック指揮ハノーヴァー北ドイツ放送交響楽団。
 
 2006-07年録音。CPO。


“すばらしき誕生”を心から讃える音楽♪シュッツ/クリスマス・オラトリオ

SchutzChristmasOratorio  やっぱりもんじゃは苦手だった
 土曜日の夕食は月島でもんじゃ焼きを食べた。

 もんじゃ焼きを食べるのは私の人生の中で2度目。

 前回は私が東京に住んでいたときのこと。視察&査察に来た家族と、やはり月島に食べに行った。
 焼き方、食べ方が全然わからず、かといって店の兄さんが不親切かつ恐ろしそうだったので助けを求めずに勝手に焼いて食べたが、とても私が好きな食べ物ではなかった。

 そういう思い出があるので全然もんじゃ焼きなど食べたくなかったのだが、今回出張に行った総勢5人のうち若干2名がやたら食べたがり、それに付き合わざるを得なかったのだ。

 今回は店員の女性に作ってもらった。
 キャベツをはじめとする具を、コテであんなに豪快に切り刻むとは知らなかった。間違って指を指し出したら一発で切断だろう。

 で、出来上がった物は……やはり私の口に合う料理ではなかった。

  お行儀の良い4人組
 近くの席に、緊張した面持ちでやはり店員に焼いてもらっている女子高校生4人組が。
 ブラウスの袖を見ると“HOKKAI”と刺繍されている。

 「ホッ……カイ?北海?札幌から?」
 思わず聞くと、1人がこっくりとうなずく。
 修学旅行だという。

 おぉ、月島での札幌の女子高校生と帯広のオッサンたちの偶然過ぎる遭遇。
 やはり北海道の人っておとなしめなんだろうか?キャーともギャーとも言わず、彼女たちはお行儀良く食べていた。
 いや、こちらの若干2名は喜び勇んでもんじゃの写真を撮ったりギャーギャー騒いでいたので、北海道人がどうとは一概に言えないな。しかし、どっちが高校生だかわかんないノリだった。あの2人。

  リンクもツリーもあった丸ビル
 日曜日の夜。
 仁野さんが風邪気味だというので、ワケのわかったようなわからないような発想ではあるが、それならと2人で焼き肉を食べに行った。
 丸ビルのトラジである。

 丸ビルの1階には小さなスケートリンクが作られていて、その狭い中を子供たちが滑っていた。
 そしてまた、ビルの中はクリスマス・モードになっていた。

 クリスマス・シリーズ第5弾はバロック初期の作品。

 シュッツ(Heinrich Schutz 1585洗礼-1672 ドイツ)の「クリスマス・オラトリオ(Weihnachts-Oratorium)」SWV.435/435a(1660初演)。
 「神とマリアの子なるイエス・キリストの喜ばしく恩寵ゆたかな生誕の物語(Historia, derfreuden und gnadenreichen Geburth Gottes und Marien Sohnes, Jesu Christi)」の副題をもつ。

 10曲からなり、とても清楚でほのぼのとした温かみのある音楽。
 キリストの誕生物語を温かい目で、そして心から歓迎しているような音楽は、聴いている方の心をも温めてくれるかのようだ。

 ベルニウス指揮ムジカ・フィアタ・ケルン、シュトゥットガルト・バロック管弦楽団、シュトゥットガルト室内合唱団の演奏で。

 1990年録音。ソニークラシカル(VIVARTE)。

はやく豚丼が食べたかった♪チャイコ/Sym2(by ムーティ)

20151116Butahachi  あまり心は満たされなかったけど
 日曜日の朝は、ファミリーマートで前日の夜に買った鮭のおにぎりと、朝にもかかわらずカップ麺の担々麺を食べた。

 Family Mart collection というPBの担々麺で、ふたには“たっぷりのそぼろ肉とごまの旨み、香り高い特製ラー油で仕上げる贅沢な一杯です”と書いてある。

 贅沢な気分にはならなかったが、なかなか良くできた一杯だった。
 麺にもう少し力強さがあれば贅沢度がプチ増加すると思われる。

 そして今日はは朝食抜き。いや、ソバが入っていない朝食のことではなく、アサゴハンを食べなかった。

 異例の記事投稿後回し政策で、もたもたせずにさっさとホテルをチェックアウトし、真っ暗な中駅へと向かい、京急(というか都営浅草線というか)の一番電車に乗って羽田空港に向かったのだった。

 へたにおなかに物を詰め込むと、急に痛くなったり、気持ち悪くなったり、下ったりする危険がある。だから腸の内視鏡検査に臨むがごとく、おなかの中は空っぽにしておいたのである。

 帯広空港には定刻の8:35に到着。

 と、にわかに豚丼がたべたくなった。市内へ向かう空港連絡バスの中で「豚丼名人!」というCMアナウンスが流れていたせいに違いない。
TchaikovskyMuti
 北国に帰ってきたわいってなワケで、チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)の交響曲第2番ハ短調Op.17「小ロシア(Little Russian)」(1872/改訂1879-80)。

 5人組にもお褒めにあずかったように、チャイコフスキーの交響曲のなかでは最も民族的色合いの濃い作品だ。作品の詳細については、あっちこっちをご覧いただければと思う。

 第1楽章はまるで演歌。そして終楽章はある種の危険なノリ。

 今日はムーティ/フィルハーモニア管弦楽団の、これまた迫力満点の演奏を。

 1977年録音。ワーナー。

  今日もあまり満たされなかったけど
 バスが帯広駅に着くと、私は駅構内にある“ぶたはげ”を目指した。
 ここは豚丼をテイクアウトすることができる。

 が、ガ~ン!

 開店は10時からとある。羽田空港のショップが6時から開いているのを少しは見習うべきだ。

 そこでJRの券売機の横の、ちょっと奥まった角でひそかに豚丼弁当を売っている“ぶた八”に行き、それを買った。ぶた八さんには申し訳ない言い方になるが、やむを得ない措置だ。

 そして私はその場で、ではなく、自宅に帰り遅い朝食をとったのだった。

 ぶた八とぶたはげの大きな違いは、ぶたはげの方が作り立てであることと豚肉の1枚1枚が大きいことである。
 はっきり言って、ぶたはげの方が選択されるにふさわしい条件を備えている。
 ただ、味自体がポークジンジャーとポークチャップほどまで違いがあるかというと、そんなことはない。

ほのぼのとしたイヴを望むあなたに♪R-コルサコフ/クリスマス・イヴ

R-KorsakovAnsemet  夕食は中華。食後のデザートは寿 
 東京に来た金曜日の夜は、同行している仁野さんと飛び込みで中華料理屋に入ったが、なかなか満足のゆく店だった。しかし控えめに食べ、そのあと多店舗展開している大きな店ではあるが、初めて築地で寿司を食べた。アルバイトかどうかは知らないが、ぼぉ~としたお姉ちゃんがかわいらしかった。
 出張記については後日復命することとする。

 そんなわけでよだれ鶏や寿司を食べるのに忙しくて、そしてこの土日はバカンスではなく仕事で東京に来ているわけで、あまり文を核時間がなく、おまけにご存知の方も多いように、このノートブックはコアラのように動きが鈍いので、時候の挨拶は前略して早速本題に入る。

  うごくいい曲なんですよ
 クリスマス・シリーズ第4弾は、リムスキー=コルサコフ(Nikolai Rimsky-Korsakov 1844-1908 ロシア)の組曲「クリスマス・イヴ(Christmas Eve)」(1903)。

 作品についてはこちらあちらに詳しく書いているが、歌劇「クリスマス・イヴ」(1894-95)から組曲に改編したものである。

 メロディーも色彩感あふれる響きもとても魅力的なのに、この曲、イマイチ、いや、イマハチくらい地味な存在に甘んじている。

 確かに盛り上がりという意味ではメリハリに欠けるかもしれないが、それは「シェエラザード」に比べりゃそうかもしれない。しかし、聴くものを楽しませてくれる一級品だ。

 ステレオ最初期の録音で、さすがに音場の広がりがちょっと苦しいが、アンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団の演奏がイチオシ!

 1958年録音。デッカ。

海苔煎餅じゃなくクッキーなところがおサレ?♪コープランド/静かな都会

20151113Bisco  悪いのは双子
 “クリスマス・シリーズ第4弾!”と書きたいところだが、毎日書いていくとクリスマスまでに第44弾くらいになってしまうかもしれないので(言っておくが、厳密に回数を数えているわけではないのでその手のクレームは受け付けない)、今日はノーマル・モード。

 昨日の午後に東京にとんで来たのだが(といっても、急いでやってきたというわけではない)、携えた本は村上春樹の「1973年のピンボール」(講談社文庫)。

 先日も書いたように、氏の「職業としての小説家」を読み、“職業はサラリーマン”の私は、なぜかと問われると明確には答えられないが、また氏の小説を時代を追って読みたくなったのだ。まぁ、欲求に明確な答えなんてないのかもしれないけど……

 この小説でとても印象深く記憶に残るのは、双子 ―208と209 ― の登場であり、彼女たちと“僕”とのやり取りには常にさびしさや厭世観が漂うが、また、いつもクッキーを食べている。

 羽田に着き、京急に乗り換え、都営浅草線の某駅で降りた私は、いつものようにホテルにチェックインする前にコンビニに寄りミネラルウォーターを買ったのだが ― 500mlよりも2Lの方が安いという、この不条理さ ― 、ついついクッキーならぬビスコを買ってしまった。

 だってがまんできなかったんだもん。

 そして、部屋に入ると水を飲み、ビスコを食べた。
 5枚入りが3袋入っていたが、1袋を食べた。
 
 だって食べたかったんだもん。とても。

 たぶん味としてはふつうのクリームの方が好きだと思う。けど、目に良いかなと思ってブルーベリークリームにした。
 それにしても、パッケージに描かれている少年、いつのまにすっかり都会的な顔になっている。
 そのことに感心した。

 今回は3泊するので、1日1袋食べられる計算だ。偶然とはいえ、そのことにも感心した。

CoplandBox  このあたりは静かでない都会
 コープランド(Aaron Copland 1900-90 アメリカ)の「静かな都会(Quiet city)」(1941)。

 トランペットとイングリッシュ・ホルンのソロと弦楽のための作品。
 こちらに詳しく書いているように、もともとはアーウィン・ショーの同名の舞台作品の音楽(1939)を編曲したもの。

 今日は作曲者自身、つまりコープランドが指揮したロンドン交響楽団の演奏を。

 1965年録音。ソニークラシカル。

 それにしても東京ってところは夜になってもなかなか静まらない街だわい。
 少なくとも私が泊まっているあたりは。

作曲か、それとも究極の編曲か?♪グノー/アヴェ・マリア

AveMaria  阿部じゃなくて安倍でもいいよ、別に……
 クリスマス・シリーズ第3弾は「アヴェ・マリア」。

 人口の多い日本では、たぶん少なくとも2人か3人は阿部真理亜という名の少女がいるだろうが(ばあさんでも構わないけど)、ここでいう「あべまりあ」は“Ave Maria”のこと。
 意味は“めでたしマリア”で、ローマ・カトリック教会において聖母マリアを讃える歌。つまり教会音楽だが、世俗歌曲も作られた。

 今日はシューベルトの「アヴェ・マリア(エレンの歌 第3)」とともに、2大アヴェ・マリアと私が勝手に呼んでいる、グノー(Charles Francois Gounod 1818-93 フランス)の「アヴェ・マリア」(1859)。

 この曲には「バッハの前奏曲第1番につけられた宗教的歌曲(Melodie religieuse adaptee au 1er prelude de Bach)の副題がある。

  パクリと言うなかれ
 そうなのである。
 バッハの前奏曲第1番に付けちゃったのである。歌を。

 バッハの前奏曲第1番というのは、24の前奏曲とフーガからなる「平均律クラヴィア曲集第1部」(1722完成)の第1曲ハ長調BWV.846の前奏曲のこと。

 グノーはこの前奏曲をほぼそのまま伴奏に使い、それに歌のメロディーを付けたのだった。
 この曲の作曲者を書く場合、「バッハ/グノー」とか「グノー/バッハ」とあるのはこういう理由による。

 グノーが書いたこの「アヴェ・マリア」はソプラノとオーケストラ、オルガンという編成だが、伴奏だけでもすばらしい偉大な作品なわけで、そしてまたグノーが付けたメロディーがこれまた清楚で美しいので、いまではいろいろな楽器のために編曲され演奏される。

  その前に書かれたのは歌詞を持たないだけ?
 ところで、グノーはこの歌曲の前に器楽作品も書いている。
 1852年の「バッハの前奏曲第1番による瞑想曲(Meditation sur le 1er prelude de Bach)」である。
 ヴァイオリンとピアノ、オルガンという編成だが、これと宗教的歌曲が歌の有無以外の違いがあるのかどうかは私にはわからない。

 今日は「聖なる調べ」というアルバムを。

 “究極の安らぎのための歌を集めた”というふれこみのCD。
 確かにそうかもしれないが、バードやシサスク、カンプラの曲まで入っていて、なんだか無理やり曲を集めた苦労が感じられなくもない。

 グノーの「アヴェ・マリア」の演奏は(「アヴェ・マリア」としては、他にシューベルトとブルックナーの作品が収められている)、ハンプソンのバリトン、ウルフ指揮セントポール室内管弦楽団で、19912年録音。

No Momi in Hokkaido♪プリシュカのクリスマス音楽集

Plishka  生モミを知らない私
 クリスマス・シリーズ第2弾。


 今日はモミにちなんだ曲。

 繰り返すな!モミモミじゃない。
 てもみんじゃあるまいし……


 クリスマスの木といえばモミ、つまり樅の木である(ヒイラギもあるけど)。

 なぜならモミの木はクリスマスツリーに使われる木だからである。


 モミの木はクリスマスの曲以外にも、民謡でも歌われている。
 民謡でなら白樺のほうが多いかもしれないけど。
 加えていうと、NHKの大河ドラマのタイトルになったこともある。


 ところが、ツリーだキャロルだと言いながら、この私はモミの木を見たことがない。
 ずっとコンクリート囲まれた部屋に幽閉されて暮らしているからではない。

 私も知らなかったのだが、モミの木は北海道には自生していないのだ。
 日本でのモミの木の自生北限は秋田県なんだそうだ。
 道産子である私が、森の中で、林の中で、モミの木を目にすることができなかったのは避けがたい運命だったのである。


  頭皮もみもみして欲しい?
 実際、私の手元にある“北海道の森林植物図鑑”(社団法人北海道国土緑化推進委員会編。北海道林務部監修)にはモミは載っていない。

 では、北海道のイベントで飾られる巨大クリスマスツリー ― 〇〇町の山から切り出されたツリーが札幌市内の商業施設に運び込まれました、みたいな ― はモミじゃなくて何なのか?


 その多くはドイツトウヒ(ヨーロッパトイヒ)という木なんだそうだ。
 揉みだの頭皮だのすまんの。


 ドイツトウヒはアカモミとも呼ばれ(またまた垢揉みとは堪忍してな)、学名はPicea abies。マツ科トウヒ属の植物である。一方モミは、Abies firma で、同じマツ科だがモミ属である。
 どちらにも abies という語があるのが、これまた勘違いのもとになりそうだ。

 上に書いた図鑑では、ドイツトウヒについてこう書いてある。


 北海道の国鉄に乗ると、車窓から防雪林のつづくのが見られるが、そのほとんどはカラマツとヨーロッパトウヒである。ヨーロッパ原産で、日本には明治中期にはいった。……

 国鉄……

 それもそのはず。この図鑑の発行は昭和51年。
 印刷所は札幌市西区手稲東3南6の岩橋印刷とあるが、この手稲東という住所も無くなって久しい(いまは西区西町)。
 この図鑑、父が持っていたものである。

 が、心配はいらない。
 国鉄が無くなっても、手稲東という名が消えても、そしてまた父が亡くなっても、JRの車窓からはいまでもドイツトウヒを見ることができる。

 なおこの図鑑によると、じゃあドイツトウヒがすごく寒さに強いのかというと、そうでもないらしい。

 水湿や野ネズミによく耐え生長がはやいので、防雪林の本命とされてきたが、浅根性で風に弱く、北海道では寿命が短い

そうである。


  ずばり「もみの木」
 モミの木関連の作品(という言い方も変だけど)としては、先日シベリウスの「樹の組曲」を紹介した。

 2年前には、ショスタコーヴィチがロシア民謡を編曲した「10のロシア民謡」を取り上げたが、その第7曲は「私のモミの木の林よ」である。この自慢げなタイトルは、モミの木繁る山林所有者の権威を誇示する歌なのだろうか?


 あるいは、1970年のNHK大河ドラマ「樅の木は残った」のテーマ音楽の作曲者は依田光正である。


 が、今日は素直にクリスマス音楽集のアルバムをご紹介。
 
 “ポール・プリシュカのクリスマス”というCD。


 収録曲は、

 ・ あめなる神には
 ・ はるか遠くの飼葉桶
 ・ オー・ホーリー・ナイト
 ・ よろこびたたえよ
 ・ 聖しこの夜
 ・ あら野の果てに
 ・ 愛はクリスマスにやってきた
 ・ あの方はお生まれになった
 ・ 一輪のバラが咲いて
 ・ あめにはさかえ
 ・ 3艘の船
 ・ さすらいながら考えた
 ・ ああ,小さきベツレヘムの町よ
 ・ ウクライナのキャロル
 ・ 今宵も歌おう
 ・ おお,喜ばしきかな
 ・ ウェンセスラスはよい王様
 ・ 寒い12月の夜に
 ・ もみの木
 ・ クリスマスの朝に
 ・ 世の人忘れるな
 ・ 山に行って告げよ
 ・ 子守歌
 ・ ひいらぎとつたは
 ・ 幼子キリスト
 ・ クリスマスおめでとう
 ・ 高き天より


 プリシュカのバス、ジョンソンのソプラノ、マーブル大聖堂合唱団、エリクソンのオルガンによる演奏。


 1995年録音。ナクソス。


 これをかけながらケンタッキーを食べるのも良いのではないでしょうか?
 クリスマスならフォスターの、The sun shines bright in the old Kentucky home……っていう「なつかしきケンタッキーのわが家」よりもずっと。

若いうちからこうだったので早死にした?♪メンデルスゾーン/二重協奏曲

MendelssohnConcertosStaier  恐るべき中学生
 昨日の記事で、シューベルトの「ザ・グレイト」の初演指揮者としてメンデルスゾーンの名が出てきたが、今日はそのメンデルスゾーン(Felix Mendelssohn(-Bartholdy) 1809-47 ドイツ)のまだあまり知られてない作品を。

 メンデルスゾーンの恐るべき才能の早咲きとして、前にピアノ協奏曲イ短調(1822)を紹介したが、この曲に勝るとも劣らない魅力をたたえた、「ヴァイオリン、ピアノと弦楽のための協奏曲ニ短調」(1823)。

 作曲年を見ておわかりのように14歳ころの作品だが、テクニックはもちろんだが、まだ小児科に通える歳でこれほどまでの豊かな感性をもち(それも哀愁満ち溢れんばかりの)、それを曲に具現化しているのは見事である。

 凡人の私はただただ脱帽したいところだが、いまは帽子をかぶっていないのが残念である。

  ご自宅でのセレブなサロン・コンサート用
 作曲の経緯はよくわかっていないが、ピアノ協奏曲イ短調と同じく自宅でのコンサートで演奏するために書かれたようだ。

 この曲とピアノ協奏曲イ短調が1枚のCDで聴けるのが、これまたうれしい。

 シュタイアーのフォルテピアノ、クスマウルのヴァイオリン、コンチェルト・ケルンの演奏。

 1996年録音。テルデック。

 小児科へは何歳までかかれるか?
 法的には決まりはないそうだ。
 ただ、15歳以上になると薬の分量も成人と同じになるので、おおむね15歳というのが目安になるそう。

 私も土曜日はすぐ近くの小児科を図々しく訪れることなく(そこには若いお母さんたちがたくさんいたに違いないが)、やや離れた内科に行ったのは、私が常識的人間である証である。

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