後ろ髪引かれる思いで……
金曜日に私はJRで“おにサンド”を携えて帯広に戻ったことを報告した。
その日、そしてその翌日は札響の第583回定期演奏会が行なわれたのだった。
指揮はアシュケナージ。独奏は実際の姿・演奏を知らないものの、とても好きな顔立ちの河村尚子。
で、そういう誤った好きな理由はともかくとして、アシュケナージがショスタコの10番を振るということで、喉からのどちんこが出るくらい聴きたかった演奏会だった。
しかし、金曜日の夜と土曜日の昼までは、こちらで重要な仕事がある。どれくらい重要かというと、本社からわざわざツバサ氏までもが足を運んでくるというくらい重要なものなのだ。
そんなときに、「私、タコ聴きたいからお休みいただいてよろしいか?」などと言えるわけがない。
それに金曜の夜は夜で、なかなか楽しく過ごしたわけだし……
アシュケナージの狙いと私の期待のズレ?
アシュタコ天の演奏が果たしてどのようなものだったが妄想オヤジのように想像するしかないが、ここを見るかぎりでは、タコの魅力が堪能できるものだったことは確かなようだ。
私はアシュケナージによるショスタコのCDをあまり持っていない。
10番は持っていない。
そこで、心理学的用語でいう、合理化、逃避、白日夢のすべてを網羅するかのように、まるで代償のように彼のタコ8のCDをあらためて聴いている。
ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第8番ハ短調Op.65(1943)。
この作品、さまざまな演奏についてはこれまで収拾がつかないくらい何度も書いてきた。
アシュケナージ/ロイヤル・フィル盤もここで取り上げている。
そして、代償的に久しぶりに聴いたアシュケナージのタコ8は……、やっぱり悪くないんだけど、私にはどこか今一歩物足りない。
だから10番が聴けなかったことなど平気さ!って気持ちが治まるかというと、う~ん、なかなかそんな気にはまだなれない。
でも、またまた別な代償行為的希望がある。
来年6月の札響定期ではタコ8が取り上げられるのだ。
指揮は広上淳一。
行きたいなぁ。行けるかなぁ……
アシュケナージによるタコ10は、現在は全集盤で入手できるだけで単売盤はない。
これまた、私が二の足を踏んでいる理由である。
2015/11
金曜日はスーパーとかち3号で戻った。
時折見かける光景ではあるが、自分の席に着くや否やいきなりシートのリクライニングを目いっぱい、それも威勢よく倒す人がいる。後ろの人に対する配慮はゼロだ。
一言、「倒してもいいでしょうか?」と聞けば、たいていの人は「うんにゃ、まかりならん!」とは言わないだろう。とはいえ、目いっぱいはちょいと迷惑。「ちょっとだけよ」とか「いいけど、やさしくしてね」とは言いにくいし……
しかし、そのように後ろの客に配慮する人ならば、目いっぱい倒すことはあまりないだろう。また、こういう人間は自分が逆にそういう目に遭ったらけっこう文句をつけてきたりするような気がする。
それからまた、途中で降りる場合、リクライニングをそのままにしていく人も少なくない。
ちゃんと戻して下車する。そうすれば後ろの人のこの先の旅も、より快適なものになるはずだ。
低温による脂肪凝固ですな、これは
その前に木曜日の話。
会議は2つ。その前に打ちあわせがあって、会議の後も突発的な打ち合わせ。
打ち合わせがパンだとしたら、会議が具のダブルバーガーってな感じだ。
2つの会議の間に昼食の弁当が出たが、これほどまで人の心を和ませない弁当があるだろうかというものだった。
箱には“2時間以内にお召し上がりください”と書かれた脅迫めいたシールが貼られている。
よほど鮮度が命のおかずが入っているのかと思いきや、メインは牛バラ肉のすき焼き風煮込み。つまり牛丼の具のようなもの。それがご飯の上ではなく、味のついていない白いスパゲティの麺の上に盛られていたが、冷めてしまっているせいでホワイトチョコをコーティングしたような状態になっていた。
そして準メインはエビフライ1本とスモーク・サーモン1切れ。エビフライはエビのフライというよりもパン粉の硬揚げってものだったし、サーモンはどういう意図があるのか読み切れないが、ホントにペラペラのものが1枚だった。
あとはおひたしだの漬物だのニンジンの煮物、それにポテサラ。
心温まるどころかご飯は南極直送のように冷たく、“何から”2時間以内なのかさっぱりわからない。しかも製造時間がわからない(何個かずつ詰め込まれた段ボールに書かれていたのだろうか?)。
やれやれ。
鬼三度、じゃなくライス・サンドイッチ
金曜日は朝から道内各地に大雪警報だの波浪警報だのが発令されていた。
ということは、帰りの列車“スーとか3号”が遅れる恐れがある。
スーパーとかちには車内販売がない。自販機もない。
万が一のことを想定し、多めの食料と飲み物、懐中電灯にヘルメットを買い込んで乗車するかどうか迷ったが、結局非常食のおにぎりとミネラルウォーターと缶コーヒーにとどめた。
結果的にこの非常食は妻の夕食になった。
というのも途中多少遅れが生じたものの、列車は定刻通りに帯広駅に到着したからであった。新狩勝トンネルを抜け新得に入ったときには青空だったくらいだ。
昼食に食べればよかったじゃないかって?
確かにいつもならそうする。
しかし、この日は温かいものを食べたくなった。
そこで到着すると、エキナカのラーメン屋で豚丼+小ラーメンセットを食べてしまった。
味?
黙秘権を行使したい。
コープランド(Aaron Copland 1900-90 アメリカ)の「ジョン・ヘンリー ― 鉄道のバラード(John Henry - A Railroad Ballad)」(1940/改訂1952)。
ウィキペディアによると、付随音楽より改訂された小管弦楽のための作品と書かれているが、そこの付随音楽一覧にはそれらしき曲が見当たらない。「クラシック音楽作品名辞典」(三省堂)にも載っていないし……
なんだが西部劇映画を思わせる音楽。そして、汽車が走る光景を思わせるメロディーも現われる。
なんでもジョン・ヘンリーっていうのは。1870年ころにいた鉄道工事に従事した黒人の肉体労働者の名前らしい。ただし本当に実在した人物かどうかはよくわからない。
コープランド指揮ロンドン交響楽団の演奏で。
1968年録音。ソニークラシカル。
木曜日はスーパーとかち2号で札幌に向かった。
いつもは快適な乗客数だが、この日はやや混んでいた。
というのも、10名ぐらいの団体が乗っていたからだ。
しかも彼らが陣取ったのは私の席の周囲。
うるさいわけでもなんでもなかったが、なんとなく圧迫感があった。
この列車は東追分駅で行きあい列車待ち合わせのために停車する。
この日の車窓からの景色はこんな感じで、すっかり冬景色である。
これに似た写真をご覧になった記憶がある方はいらっしゃらないだろうか?
いらっしゃらないだろうな、どーせ。
去年の2月に同じ場所で写真を撮って、載せているのだ。
それがこの記事。
そして、ここで取り上げている楽曲はチャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」である。
ポーランドとも冬とも関係ないが……
じゃあ、ってことではないが、今日もチャイコフスキー(Pyotr Iiyich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)。
しかし交響曲第1番ではなく、交響曲第3番ニ長調Op.29「ポーランド(Polish)」(1875)。
ここに書いているように、この曲のタイトルは楽曲そのものの内容とは関係ない。
あるのは終楽章である第5楽章のテンポの指示が〈ポロネーズのテンポで〉ということだけである。
それだけで「ポーランド」という名で呼ばれるようになってしまったのだ。
勢いあまってついでに言っておくが、ポロネーズというのはポーランドの舞曲の様式である。
ましてや、この交響曲と“冬”とは関係ない。そりゃポーランドは寒い国かもしれないけど、関係ない。
でも、私はこの曲に冬を感じる。
ムーティ指揮フィルハーモニア管弦楽団による、スケールの大きい、しかし情緒あふれる演奏を。
このペアのチャイコ、いつも出張がらみの記事で紹介しているような気がする……(記事検索で“ムーティ”とやると、それをわかっていただけるだろう)
1977年録音。ワーナー。
じぶんチじゃないんだから……
列車が南千歳を出たあと、私はトイレへと向かった。
男専用トイレのドアを開ける。
うぉっっっ!
お年寄り(推定)が向こうむきで小用の最中。
鍵かけろよな。
仕方ないので反対側のふつうのトイレのドアをあける。
うぅっっっ!
おばあさんが事を終え、ちょうどズボンを引きあげているところだった。
鍵かけてください……
そのすぐあとに部屋から出てきたおばあさんは「すいませんでしたね」と、なぜか私に謝って隣の車両へと消えた。
ハレルヤで憂鬱を吹き飛ばせ!
先日久しぶりに日向山課長と顔を合わす機会があった。
久しぶりになったのは、関係が疎遠になったわけではない。
お互い忙しいのだ。
しばらくぶりに見る日向山課長は、しかし、どうも晴れない表情だ。
腫れて、いや、晴れてほしい。
そこでクリスマス・シリーズ第7弾はヘンデル(Georg Friedrich Handel 1685-1759 ドイツ→イギリス)のオラトリオ「メサイア(Messiah)」HWV.56(1741)。
3部からなり、それは
Ⅰ イエス・キリストの降誕の預言とその成就
Ⅱ キリストの受難と贖罪
Ⅲ 復活と永遠の生命
である。
第2部の終曲「ハレルヤ」は突出して有名である。
作品についてはこちらをご覧いただきたいが、今日はここでも紹介しているクレオバリー盤を(この記事の中で、ジャケットのことを誤入力でチェケットと書いてある。チェケットっていうのがジャケットの絵を描いた人の名だと勘違いした方がいたら、いまさらながらだがお詫びしたい)。
1993年録音。デッカ。
今日の私はある意味彼のメサイアである
さて、なぜ日向山課長は浮かない顔をしていたのか?
「最近娘に言われるんですよ、お父さん、このごろちっともブログに出してもらえてないねって」
はーん。そういうこと。
だって、あまり顔を合わせることがないからしょうがないじゃん。
娘さんへ。
私とお父さんはこのごろ会う機会が少ないので、ということはお父さんの素敵な仕事ぶりを観察することができないので、描写できないんです。想像して書こうと思うと、飲んだくれている姿しか思い浮かばないんです。
だから、お互い時間ができて、この国の未来を語り合う機会があったら、そのときのお父さんの理屈を紹介します。いましばらくお待ちください。
ところでお母様はお元気ですか?
ヘンデルは音楽の母と呼ばれてるんですよ。カンケーないですけど。
娘さんのお父さんへ。
物足りないかもしれませんが、とりあえずは登場させてていただきました。
私はあなたの救世主になったでしょうか?
表情はハレルヤ?
あっ、そーいえば今日の夜は会食で一緒になりますね。
えっ?いえ、大丈夫です。ちゃんと昼過ぎには戻る予定ですから会食には十分間に合います。
列車が鹿の大群に襲われない限り。
雪はずっと降りやまず、昼はあまり外を歩きたくなかったので至近の荒涼庵に行った。
じつに久しぶりのことだ。
こんな天気だからもしかするといつもよりは混んでいるかもしれないと心にもないことを思い、時間をずらして少し遅めに行った。
すると心にもない私をあざ笑うかのように、信じられないほど混んでいた。
といっても、席が空くのを待つ人が入口にたむろしイライラしているわけでは全然ない。各テーブルがほぼ埋まっていたという程度だ。
それでもこれは「こんな光景を目にできるなんてなかなか貴重!」ってくらい珍しいことだ。
きっと私と同じ考えの人が偶然にも19人ぐらいいたのだろう。
つまり、天気が悪いから遠くに行くのは億劫だ。だから今日のところは荒涼庵で手を打とう。しかし、万が一のこともあるかもしれないから少し遅めに行こう、と。
もちろんこの人たちは私よりも早くは来ていたが、時刻は12時半を過ぎているというのにまだ食事の最中ってことは、私よりも少し前に来たに過ぎないということだ。
こんなときに、かしわそばだのラーメンだのと、日替わり以外のものを頼んでも出てくるまで何日待たされるかわかったもんじゃない。
実際問題、店のおばちゃんはすでにパニック状態に陥っていて顔が引きつり、店主は次に何をするべきなのか目標を見失いフライパンを持ったまま、うつろな表情で厨房の中を行ったり来たりしていた。
ただでさえ頭が熱くなっているおばちゃんがおやじにイライラし、キッと振り返って「何やってんの!早く追加のキャベツ切りな!」と怒鳴りつけるに違いないとおもっていたら、やっぱりそのとおりになった。
なぜ私のは四角じゃないの……
そういうわけで、私はやむなく日替わりバイキングを食べることにした。
この日はヒレカツ、ウインナー、シューマイ、白菜の中華風煮物、漬物、サラダ、味噌汁というメニュー。
みんな20cm角ぐらいの正方形の皿に素敵なバイキングメニューの品々を盛り付けている。皿は一応は各おかずが交じり合わないよう4つに区切られているものだ。
おばちゃんは客が来て“日替わり”という意思を確認すると、トレイにその皿を乗せて渡してくれる。この瞬間に、バイキングを食べる権利が与えられるのだ。
ありがたくトレイを渡された客は箸やフォークやスプーンやショベルをとってそのトレイにのせる(持ったままでも構わない)。この段階になると、トイレに行くことは許されない。
次に自分で欲求の赴くままの量のご飯を茶碗に盛り、そのあとおかずを粛々と取る。先に味噌汁をとる人もいるが、そのあとにおかずを取ると、途中で味噌汁がこぼれる恐れがあるのは、どこのバイキングの場合でも共通する注意点だ。
私の前の人はその角皿を乗せられたトレイを渡された。
しかし私のは、ウチの子供が3歳ぐらいのころ使っていたような楕円形の、そして大きな楕円、小さな楕円、三角形のでき損ないの形に区切られた皿だった。お子様ランチに使われるような皿だと思っていただければ大筋あっている。つまり、角皿が底をついたのだ。
なんだか最初からケチがついたような気分だ。仲間外れにされたような……
これにポケモンとかの絵が描かれていなかったのがせめてもの救いだ。
と、思ったら味噌汁の鍋のところで「おばちゃん!お椀がないよ!」と言っている客がいる。
お椀も底を尽きかけていたのだ。
つまりすべてが追いついていない。
なんとかお椀をどこからか取り出してきたおばちゃんは、それを渡す前にチラッと現れずにシンクに放り込まれたお椀の群生を恨めしそうに見ていた。
透き通るような白さ!
ヒレカツはどれもが今川焼(北海道では“おやき”と呼ぶ)の型に入れたように完璧に同じ形、大きさ、厚さだった。といっても、おやきほど大きくも厚くもない。大きさはよく惣菜売り場に3個ぐらいがパック詰めされて並んでいるこれまた合同図形のようなコロッケよりもひと回り小さく、厚さはハムカツ並みだった。
ウインナーはその繊細な口当たりからオール・ポークではないと推察された。
シューマイは驚くほど色白で、原材料に肉が使われていないのは明白だった。
白菜の中華風煮物は、白菜とエノキダケとこの店が好んで使うカニ風味かまぼこをあんかけ煮込んだものだったが、エノキダケがけっこうな太さの束のままになっていた。エノキ好きにはたまらない演出である。
サラダは、余計な飾りつけを徹底的に排除した、別名“キャベツの千切り”であった。
荒涼庵のバイキングは、バイキングと自称しているだけで実態は店側が盛り付けを放棄したセルフサービスの定食。
何度もおかずを取りに行く人は、そうそういない。
少量だがバランスは悪かった
私はご飯を半膳強、ヒレカツを双子のように2枚、シューマイの白さとは対照的に赤黒く光ったウインナーを2本、シューマイはきっと口の中でにゅめっとするに違いないから食べるべきではないと判断しパスした。
煮物の白菜を数片、味噌汁はお椀を要求すると代わりに丼を渡されそうだったので見向きもせず、繊維質確保のため漬物を少々、ウサギが食い散らしたように残っているキャベツには近寄らず、つまりお子様ランチの皿にふさわしい量の盛り付けをして、同じ支社の若者が座っていたテーブルに相席させてもらい食べた。
私が食べ終えたのは彼らより早かった。私は食事のスピードが速い方ではない。なのに若者たちに勝った。しかしそれは、バイキングの名に恥じるくらいの量しか食べなかったからだ。彼らの盛り付けに比べると私のは病人食のようだった。
なんだか、コストパフォーマンスが悪い食事だが、まぁ500円台だから文句は言えない。
そしてまた、このように私は食べすぎ注意を継続しているのである。
いきなりこちらも白くなった
雪はずっと降り続いた。
この日の積雪は29センチだったという。
昨日の朝は、除雪車の音で目が覚めた。いや、目が覚めたときに除雪車の音がした。
すっかり冬景色。歩道は氷でツルツル。
冬のしょっぱなから転んでなるものかと、最高警戒レベルの歩行をして通勤。
このときたまたま聴いていたのはブラームス(Johannes Brahms 1833-97 ドイツ)の交響曲第4番ホ短調Op.98(1884-85)。ヤンソンス/バイエルン放送響の演奏。
この作品には、個人的には秋のイメージがある。
そして、冬だともっとさびしい気分になる。
でも、このヤンソンスの演奏はほのかな温かみがある。
それが私の仕事行くのやめようかなっていう萎えつつある根性を、なんとか救ってくれた。
警戒歩行のせいで、社についたときにはすでにふくらはぎが張っていた。
この演奏の録音は2012年。BR-Klassik。
まずは春樹説を
しかし1960年代に入ってマーラーの音楽の劇的なまでのリバイバルがあり、今ではその音楽はコンサートに欠かせない重要な演目となっています。人々は好んで彼のシンフォニーに耳を傾けます。それはスリリングで、精神を揺さぶる音楽として我々の心に強く響きます。つまり現代に生きる我々が時代を超えて、彼のオリジナリティーを掘り起こしたということになるかもしれません。
この文は村上春樹の「職業としての小説家」(スイッチ・パブリッシング)にある一節である。
「巨人」という名前が嫌だった
私が初めて聴いたマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の曲は、交響曲第1番ニ長調「巨人(Titan)」(1884?-88/'93-96改訂)。
そのころたまたまNHK-FMで、確か尾高忠明の指揮だと思うが、この曲のライヴが放送された。
しかしそれを私は聴いていない。マーラーという作曲家も知らなかった。
当時毎号買っていた雑誌“FM-fan”(この雑誌には悲しい思い出がある)に載っていた番組表に「巨人」という文字を見て、怪物を描いた曲なんだろうかとキワモノっぽさを感じたからだ。
しかし、その少し後にレコードショップでRCAの廉価盤を発見。
ものは試しと購入し恐る恐る聴いてみた。
やられた!
それは、私好みの音の連続。
一夜にしてマーラー・ファンになったのだった。
このできごとについては、ここに書いているので物好きな方は読んでいただきたい。
その演奏はラインスドルフ指揮ボストン交響楽団によるのもの。
録音は1962年で、まさに村上春樹の書いている、リバイバル期のものである。
ラインスドルフ盤が新譜で発売されたときどのような評判だったかしらないが、この曲の録音ではその4年後の66年に行なわれたバーンスタイン/ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏は長らく(いまでも?)名演として上位にランキングされていた。
ちなみに、これまた名演の誉れ高いワルター/コロンビア交響楽団の演奏は1961年の録音である。
曲そのものについてはこちらの記事を読んでいただきたいが、当初は5楽章からなる交響詩として書かれ、のちに“花の章”を取り除き4楽章構成の交響曲とした。
したがって、交響曲になってからのものを「巨人」と呼ぶには、少々無理がなくもない。
ラインスドルフの演奏は、ここに書いたように第4楽章のトランペットのアクセントが独特で、その後他の演奏を聴くと違和感を覚えたものだが、いまとなってはラインスドルフ盤の方がきわめて異質ということに納得している。
かといって、ヘンテコな演奏では全然ない。
日本ではラインスドルフの人気は全然高くないが、個人的な思い出を差し引いても、十分立派な演奏だ。
なお、この演奏について過去に取り上げた記事で、録音年を1966年と書いてしまっている。
間違いである。
いや、偉ぶっているのではない。
他者にのり移られ客観的な立場で事実を述べている。
ごめんなさい。
昨日の朝は、ブログ記事を投稿したあと、前日からの計画通りの時間に北海道新聞を買いにコンビニに行った。着いたのは6:06。ダミアンの頭にはない数字だ。そして、開店のわずか6分後ということになる。
前の日は若い男の店員だったが、この日は比較的若い女性店員だった。
入り口横の新聞置き場に行く。
と、ところが、ない。ないのである。道新が!
しばし(約0.7秒)茫然。
が、昨日とは違う位置に置かれているのを発見した。
キヨスクだったら毎日決まった場所に、決まった銘柄の新聞が置かれているというのに、この店では店員の気分次第のようだ。
朝から高プリン体食
帰宅して、朝食。
まだ、この時間だから当然家族は寝静まっている。
そんななか独り、ゴキブリのようにゴソゴソと活動したわけだ。
タラコに塩辛(を軽くレンジにかけたもの。やや熱が通った塩辛の方が、生もの苦手カテゴリーに分類される私としては美味しくいただける)にウインナー炒めと、痛風もちなら一発ノックアウトのラインンアップ。
って、私だって尿酸値が高いんだけど……
最初のうちはなぜか緩みがち
そうこうしているうちに陽が昇り、外で活動しても怪しい人物とは思われない環境が整ったので、冬の海に飛び込むような覚悟で外へ出る。目的は車のタイヤのチェックである。
スタッドレスタイヤに交換して1ヵ月余り。ホイールナットの緩みと空気圧の確認をしておこうと思ったのだ。
で、点検してよかった。
交換時には十分に締めつけたはずのナットは、どれもがほんのわずかずつだが、さらに締めつけられるくらいのわずかな緩みがあった。
また空気圧は、4本とも示し合わせたように規定値よりも0.2足りなかった。
ご指摘ありがとうございます……
そのあとゴミを出し(月曜日は燃えるごみの日)、家に入りlivedoorにログインし投稿した記事のチェック。
と思ったら、チェック以前に内容に間違いがあるというメッセージが寄せられていた。
ありがたいことである。
言い訳するが私が参考にした文献にはそう書いてあったが、指摘を受けいろいろと確認してみるとその文献の内容が事実と異なることが判明。すぐに修正した。
指摘していただきありがとうございます。
声も姿も知らない方ですが、感謝いたします。が、私としてはもう少し優しい指摘のされ方のほうが好きです。いえいえ、間違った、ウソをついた、世間に迷惑をかけた罪人の私はお願いできる立場になんてないんですけど。
上品で優しい味
掃除をしたりなんやかんやで、昼に家を出発。
昼食は由仁町三川にある“A Table(ア・ターブル)”というフレンチ・レストランで。
リーズナブルな値段で、けっこうボリュームのある、そして優しくもきちんとした味の料理。
去年行った“ファーム・ヤード”よりも三川駅に近い。
“ファーム・ヤード”ほど混んでいないが、それでも私たちが行ったときにはほぼ席が埋まっていた。
窓からは田園風景が見られ、落ち着いた雰囲気でカジュアル・フレンチが楽しめる。
私はけっこう気に入った。
なお、食べログではイタリアンの店となっているが、町のパンフレットにはフレンチと書かれていた。
ターブルって英語のテーブルのことだと思う。
そこで安易にテレマン(Georg Philipp Telemann 1681-1767 ドイツ)の「ターフェルムジーク(Tafelmusik/食卓の音楽)」(1733出版)。
バロック時代に宮廷の食事の席で演奏された形式の楽曲(組曲あり、協奏曲あり……)を集めた3集からなる曲集である。
作品について、そしてここで取り上げるパイヤールの演奏(抜粋盤)についてはこちらを覧いただければ、あなたには手間で申し訳ないが私はありがたい。
オーケストラはもちろんパイヤール室内管弦楽団。
あのレストランは「ターフェルムジーク」がさりげなく流れているのが似合いそうだった。
が、実際には店内にどんな音楽が流れていたのか、まったく記憶にない。
やれやれ……
イントロダクション
“第九の季節”だのぅ、と書いたところだが、この「歓喜の歌」をしているのがショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakocich 1906-1975 ソヴィエト)の「五日五夜(Five days - Five nights)」Op.111(1960)である。
が、その前に私のこの5日間について。
先週は社の中にいることが多かったので、この1ヵ月の間の間欠泉のような出張による疲れが少しずつとれた。
1.水曜日
昼食時と夕方に出かけた以外は支社内にいた。
昼は“Piece of Cake”に行き、日替わりランチの1つである豚の生姜焼きを食べた。ここの生姜焼きはなかなか美味しい。
ちなみにこの日の荒涼庵の日替わりバイキングは、トンカツと玉子焼きにタケノコの煮物と書かれていた。まぁ、定食らしくてけっこうなことだと思う。
夕方になって市内某所での会議のため出かける。
会議の後には懇親会があったが、そこのハイボールが驚くほどシュワッとしなくて濁った水道水で作った水割りのようだった。もちろんとても不味かった。
ただし、2杯目からはまともになった。というのも、炭酸水をもらって自分で作ったからだ。
未開封の炭酸水が出てきた。きっと作って持って来た1杯目の炭酸水は、2、3日前に開封して使いきれなかったものの残りだったんじゃないかと推測される。
2.木曜日
午後から会議のためちょいと遠出。
この日も会議後に懇親会があったが、先方のメンバーの1人がすっごい注ぎ上手。というか、ガンガン日本酒を勧めてくる。笑顔で。でも、けっこう目は真剣。
私はそれを回避したが、若い者はとても断れず不気味な笑顔で襲いかかって来る強姦魔に抵抗できずされるがままに……って感じ。
急性アルコール中毒が問題となるキョウビ、大学のコンパでもこんな飲ませ方はしないのではないかなと思う。酒はビクビクせずに楽しく、ほどよいペースで紳士的に飲みたい。そうじゃなきゃ、いくら仕事上のお付き合いとはいえ、足が遠のきがちになるかもしれない。
もちろん、結果としてわが軍の被害甚大。
3.金曜日
昼はラーメン。きっぱりとAセットの味噌味を注文。
内容は説明しないが自分ではBセットを注文したつもりだった。が、運ばれて来るまで自分の勘違いに気づかなかった。Aセットだったら味噌ではなく醤油ラーメンがよかったのに……
夜は支社の観楓会。
観楓会という言葉は北海道以外ではなじみのない言葉だろう。道外でいうところの“紅葉狩り”だが、純粋に紅葉を鑑賞しようと思っている人は99.9%いなくて、要するに泊まりがけの秋の慰安旅行である。
今回も近郊の温泉に1泊することになっていたが、私は翌日早めに札幌へ移動する予定があったので、宴会のみに出席する日帰りとした。
職場で私の席の近くのアイアイさん(初登場)も宴会だけで泊まらずに帰るという。しかもアイアイさんはお酒がまったく飲めないため、自分の車で行き来するという。そこで、「よろしければ、いや、よろしくなくても乗せてもらえんでしょうか?」とお願いし、乗車許可をいただいた。
行き帰りに送っていただいたことに対し、この場を借りてひどく感謝したい。
なお、最近では世間一般の動向として、観楓会も泊まりがけではなく宴会のみというケースが増えてきているようだ。
4.土曜日
とはいえ、3日ほど前に急に決まったことだが、この日は夕方に苫小牧の近くに行く用事ができた。
そのため、早くにではなく、その時間帯に合わせるために出発を昼に遅らせた。
午前中に時間の余裕ができたので、近くの大型書店“クレタ”に行く。もちろん仮名である。
この日、村上春樹の新刊「ラオスにいったい何があるというんですか?」が発売されるはずだったからである。
ところがその本がまったく見当たらない。
新刊コーナーには「下町ロケット」やら「村上さんのところ」という、新刊と呼べるのか疑問の本も置いてある。なのに、本来の新刊がない。
店員さんに聞く。
「今日発売の村上春樹の『ラオスになんたら』という本は入ってますか?」
「今日ですか?だと、地方は2、3日あとになるんですよね」
雑誌じゃなくてもそうなのだろうか?
しかも私が広告を見たのは北海道新聞でだったんだけど……
レジの店員さんは「あちらのサービスカウンターで問い合わせてみてください」と言ったが、サービスカウンターはなぜか朝っぱらから混んでいて、それに私も書名をはっきり覚えていなかったので、なんだかバカにされたらやだなぁと思ってそのまま帰って来た。
クレタにはいったい何があるんですか、って気分だった。
昼にマンションを出発し、ちょっと遅めの昼食は清水町の“三品”というそば屋で。
何度か店の前を通り気にはなっていたが、ようやく行くことができた。
そばは細いがコシがありそばの風味も強い。美味しいそばだ。事前に見た口コミを参考に天ぷらそばを頼んだが、確かに上品で重くないなかなかの天ぷらだった。店内も清潔。良いそば屋だ。
そのあとはnear苫小牧に立ち寄り、その後自宅に向かった。
5.日曜日
朝、新聞を買いにセイコーマートへ。
5:57だったが、雰囲気がいつもと違う。バイトらしき店員がバタバタし、いつもは外に置いてあるゴミ箱を店内から出そうとしていた。
ピンときて看板を見上げると、営業時間が6:00~24:00になっている。
これまでは24時間営業だったのに。
6時過ぎに北海道新聞を買いに行ったものの、すでに品切れだったことが2回ほどあったので6時前には買いに行くようにしていたが、たまたまこの日は行ったのがほぼ6時。早く行っても入れてもらえないことが確認できてよかった。これで5:45とかだったら、新聞を1部買うために15分も暗闇の中で待たねばならないところだった。
決して暖かい日ではなかったが、まだ冬囲いをし終えていないいくつかのバラの囲い作業、それと落ち葉拾いをする。なんだかんだで4時間かかった。
ようやく冬に向けての庭仕事を終えることができた。まだ咲いているバラもあったんだけど……(写真は“メニー・ハッピー・リターンズ”)。
この日、妻は札幌駅近くの美容室に出かけた。
そこで、書店で「ラオス」があったら買って来て欲しいと頼んだ。
そして買って来た。ステラプレイスの三省堂書店に平積みになっていたという。
ならば、今日この日ならば、クレタ書店にも入荷していたのだろうか?
ちょいと怪しいかなと思っている。
五曲
ショスタコーヴィチの「五日五夜」は以前も取り上げているが、L.O.アルンシタム監督のソヴィエト・東ドイツの合作映画。
もうどちらの国も地球上に存在しないのが、なんだか不思議な感じがする。
この映画は第2次世界大戦での連合国軍によるドレスデン空爆を扱ったもので、ショスタコーヴィチは映画の音楽を作るにあたってこの地を訪れた。
まだ生々しい戦争の傷跡を目の当たりにしたショスタコーヴィチは、映画音楽よりも先に弦楽四重奏曲第8番ハ短調Op.110を書きあげている。
また映画音楽が書かれた翌年の1961年にL.アトヴィミヤン(アトフミャン)によって5曲からなる組曲が作られている(Op.111a)。アトヴィミヤンはショスタコの友人だったらしい。
その5曲は〔イントロダクション/廃墟のドレスデン/ドレスデン解放/間奏曲/終曲〕。
第3曲「ドレスデン解放」で、ベートーヴェンの「第九」の「歓びの歌」っぽいメロディーが現われ(このあたり、シューベルトの「大交響曲」の終楽章を連想させる)、それがニョキニョキと真っ直ぐにではなく成長し「歓びの歌」がモロ出しで高らかに鳴り響く。でも、モロといってもどこか変。あんたのなんて見せる価値がないのよ!みたいな……って、また話がシモの方へ行ってしまってすまない。
そしてまた、この曲には彼の交響曲第12番ニ短調Op.112「1917年」(1961)の影もちらついている(左のリンク先の記事には、OCNからlivedooorへ記事を移行したときになにかおとがめがあったのか、記事とは関係のない写真もアップされている)。
ジャッド指揮ベルリン放送交響楽団の演奏は1990年録音。カプリッチョ。
さて、タバコを1本吸って朝刊を買いに行くとするか……
曜日もわからなくなるようじゃ、もうおしまい?
先日新しい腕時計を買った。
これまでしていたもの ― CASIOのLINAGE ― が壊れたわけではないが、最近になっていつの間にかガラスに大きな傷がついていて、それが買い替えのきっかけになった。
しかし、もう1つかねてから不便に思っていたことがある。
この時計には曜日を表示する機能がついていなかったのだ。
曜日なんて必要ないだろうとおっしゃる方も多いだろう。
私もそう思っていたが、実際に使ってみるとしばしば不便。若いころと違い、「あれ?今日は何曜日だったろう?」と忘れることが多くなるのだ。その背景には、毎日が土曜日であってほしいという潜在的願望があるせいかもしれない。
学生のように授業のカリキュラムがあるわけじゃないんだから、曜日なんてあまり問題にならないだろう。
そう思う人もいるかもしれない。
逆に時間割のような明確な違いが毎日にないので、わからなくなってしまうのかもしれない。
しかし、曜日を忘れると生活に大きな支障をきたすことがある。
ごみを出し忘れたら大ごとだし、イオンの火曜市が昨日だったってことがあったら哀しいではないか!
だから次の腕時計は曜日表示のあるもにすることが必須だったのだ。
実はここ数年、私は機会があるたびにビックカメラの売り場を訪れて、東洋系異邦人の観光客に紛れて気に入ったものがないか物色していたのである。
1号機はスイス製
私が初めて腕時計をしたのは小学校6年の時である。
家に遊びに来ていた親戚のおじさんが、酔っ払って托卵家、いや、タクランケになって私にくれたのだ。
スイスの某有名メーカー(その昔はよくクイズ番組の賞品に使われていた)のもので、たぶん結構高価なもの
だったはずだ。しかし、高価だからといって小学生の私がストレートに喜ぶわけでもない。
実際、よく言えば渋いが正直に言うとひどくおっさんくさいデザイン。おまけにバンドは蛇革……
しかもちょっとしたことでガラスの内側が曇ったり、時刻もけっこう狂ったりもした。
私が欲しかったのはオリエントとかシチズンの、文字盤がブルーとかグリーンでカットガラスの時計だったの
だ(いま思えばあのようなガラスにする意味はなんだったのだろう?盛り上がった分、傷がつき放題だったろう。カッコよかったけど……)。
音楽界の時計職人
で、ラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937 フランス)の作品を。
なぜって?
彼はその精緻な書法からストラヴィンスキーに“スイスの時計職人”と呼ばれたからだ。
H.C.ショーンバーグは、“ドビュッシーの音楽は空気のクッションの上に浮かんでいるが、ラヴェルの音楽は精巧なクロノメーターのように正確に時を刻んでいる”と書いている(「大作曲家の生涯」:共同通信社)。
その職人さんの作品から、今日はバレエ「マ・メール・ロア(Ma Mere l'Oye)」。
原曲は1908年から10年にかけて作曲された5曲からなるピアノ連弾組曲。
のちの1911年に、作曲者自身によって間奏曲などを書き加えた形でバレエ音楽としてオーケストラ編曲された。
ピアノ組曲は、〔眠りの森の美女のパヴァーヌ/おやゆび小僧/パゴダの女王レドロネット/美女と野獣の対
話/妖精の園〕の5曲からなるが、バレエ音楽の方では「眠りの森の美女のパヴァーヌ」の前に前奏曲と「紡車の踊りと情景」、そしてまた各曲の間に間奏曲が置かれている。
今日は網タイツのように紡ぎあげられた(←深い意味も浅い意味もありません)ブーレーズ/ベルリン・フィルの演奏を。
1993年録音。グラモフォン。
なお、ここにも書いているように、マ・メール・ロアとはマザーグースのことである。
2号機はカシオのデジタル1号機
おじさんくさい時計のあと、自分の意志で選んで親に買ってもらったのはカシオのデジタル腕時計だった。
デジタルの腕時計としてはたぶん最初に売り出されたものだ。
いまなら1,000円ほどで買えるデジタル腕時計ほどの機能もなかったが、確か3万くらいした。
山口百恵が「デジタルゥーは、カーシオ!」とテレビコマーシャルで歌っていたのはこのころだと思う。
私はもともとデジタルが好きで、このとき、もう一生アナログ時計はすることはないだろうと思った。
3号機はご褒美でもらったキズモノ
次の腕時計はリコーのデジタルだった。
札幌のデパートで行なわれた“アメ横市”という催事のアルバイトで時計を売り、最後にご苦労さん代のボーナスとして店主がくれたのだった。ただ、一部に傷がある品物だった。
しかしそれまでしていたカシオのものよりも数段多機能だった(その機能を使うかどうかは別として)。
4号機はアナデジ
世の中にアナログとデジタルが混合した時計が出回るようになった。
自分もいい歳になってきて、なんとなくスーツ姿にデジタル時計ということに違和感を覚えるようになった。
そこで、かつてのデジタル一筋の信念を貫かずにカシオのWAVE CEPTERのデジアナのものを買った。アナログ時計だが、ガラスにデジタル文字が浮き出るもの。電波時計で時刻合わせ不要というのが気に入った。
5号機は天下のSEIKO製だったが……
完全なるアナログ時計。機内販売で買った。
ムーブメントはSEIKO製。しかしすぐに壊れてしまい、保証期間内だったので交換。その交換後の製品もすぐに壊れた。
6号機以降はアナログ
以降はカシオのアナログ電波時計にしている。日付と曜日が液晶デジタルというのものも、そうでないものもあったが、いずれも電波ソーラーである。時刻が狂うことも、電池が切れることもない。なんとすばらしいことだろう!
しかし7号機、つまり先日まで着けていたLINAGEには、最初に書いたように曜日表示がなかった。
そこでCASIOのEDIFICEである。
少し前からOCEANUSに興味があったが、デザインと色使いがやや派手なのと、価格が高いのが難点。いくら高くても傷がつくときは一緒だし。
と、EDIFICEの先月のニューモデルに出会った。好みのデザインだ。そして曜日表示がある。
ストップウォッチ、タイマー、アラーム、世界時計の機能がついていて機能的には申し分ない(それはLINAGEも一緒だったが)。ただし過去の経験からすれば、私の場合、このうちストップウォッチとタイマーとアラームと世界時計の機能はまず使うことはないだろう。
つまり電波時計の正確さ、電池交換不要、日付曜日表示有ということが重要なのである。
ただ、このモデルには暗い場所での照明機能がないことが惜しまれる。
傷以外には健康なLINAGEは、ガーデニング作業などの時に使い続けるつもりである。
演奏の良さを選ぶなら別なものを薦めますが……
クリスマス・シリーズ第6弾はブリテン(Benjamin Britten 1913-76 イギリス)の「キャロルの祭典(A Ceremony of Carols)」Op.28(1942)。
今日はハデン指揮プサリテ女声合唱団の演奏を取り上げる。ハープはレスター。
この演奏、実はときおりアンサンブルが怪しくなったりと、決して最上級のものとは言えない。
しかし、ブリテンがこの曲に使ったオリジナルのグレゴリオ聖歌やキャロルをも収めた、ちょっぴり“かわいさ余って憎さ百倍”的な好企画なのである。
歌いながら入ってきて、歌いながら退出する
「キャロルの祭典」についてはここにも書いているが、11曲の歌詞はグレゴリオ聖歌と15~16世紀のキャロルである(第8曲はハープのみで演奏される間奏曲)。
1. 入堂:今日、キリストは生まれた(Procession:Hodie Christmas natus est)
2. うれしい主の降誕よ!(Wolcum Yole!)
3. そのようなバラはない(There is no rose)
4a. 生まれたての赤ん坊が(That yonge childe)
4b. 子守歌(Balulalow)
5. 4月の朝露のように(As dew in Aprille)
6. この小さな赤ちゃんは(This little babe)
7. 間奏曲(Interlude)
8. 凍てつく冬の夜に(In freezing winter night)
9. 春のキャロル(Spring Carol)
10. 神に感謝(Deo Gracias)
11. 退堂:今日、キリストは生まれた(Recession:Hodie Christmas natus est)
録音は2006年。CRD。
“僕”は膿が漏れたのか?
話はまったく変わるが、以前、皆さんから頼まれてもいないのに意味不明のひらがなが並ぶスパムメールを紹介した。最近になって同じようなものが再び届いたので、今回も望まれていないかもしれないがご紹介したい。
☆同窓会☆お知らせ
久しぶりです。はたおわのうみろはたおわのうみろ
同窓会をやろうと思うのですが、来れそうな方は僕に連絡下さい。はたおわのうみろはたおわのうみろ
詳細を確認して連絡待ってまーす!はたおわのうみろはたおわのうみろ
はたおわのうみろはたおわのうみろ8786
はたおわのうみろ2818
“はたおわのうみろ”?????
この文字列は何を訴えようとしているのか?
最後の数字は何を意味しているのか?
あるいはまったく意味がないのか?
ただ、根本的な問題として“詳細を確認して連絡まってまーす!”という文が日本語としてヘンである。
ところで、高校を卒業してから1度だけ同窓会に出たことがある。
しかし別に楽しくもなんともなかった。
そしてそのうちにまったくそういう連絡が来なくなった。
おととしのことだったと思うが、仕事の関係で知り合った人がなんと同じ高校で同じ学年だったことが判明した。卒業アルバムで確認してみたら、十分におっさんになっているが、間違いなく写っているのは同一人物だった。
しかし高校生の時はクラスが同じになったこともなく、お互いまったく知らない存在だった。
その彼があるときこう言った。
「去年の同窓会、オレは出れなかったけど、MUUSANは行ったの?」
「いや……。クラスが違うからボクは関係ないんじゃない?」
「違う違う。学年全体でやったんだよ」
「そういう案内は来たことがない」
別に行きたくもなんともないが、こういうのっていやぁ~な感じがする。
街角でポケットティッシュを配っている兄ちゃんが、自分にだけ渡そうとしなかった感覚に似ている。
まっ、いいんだけど……
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